蒼穹のぺうげおっと

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ひぐらしのなく頃に 「目明し編」 感想

2005-06-25 01:10:28 | 小説 感想
ひぐらしはないているか?
・・・ああ、ないているね、僕の頭の中で、延々と。

ひぐらしは遊んでくれたね
・・・遊んでくれたというより、むしろ弄ばれたんだね、きっと。

ひぐらしは壊れたね
・・・いや、むしろ壊れたのは僕の心だね。砕かれた。

終わらせよう、そう、ひぐらしのく頃に
・・・終わらない。
・・・僕の心の日常と非日常はまだ・・・。
・・・まだ終わらないんだ・・・。

*  *  *

さて、どっぷりとつかって日常生活も崩壊寸前まで追い込んでくれたこの「ひぐらしのく頃に」ですが、現在発表されている最新シナリオ「目明し編」まで読了するに至りました。
まだ続きがあるとは言え、これで一応一息つけそうです。ふぅ。

改めて「ファウスト Vol.5」の竜騎士07さんのインタビューなんかを今読み返したりしていますが、読み応え十分でしたし、何より心砕かれるまではまってしまいました、完全に。
#「目明し編」を読了された方はTIPSが最後に2つが追加されていることに気が付きましたか?
#僕は「ファウスト Vol.5」読まなかったら絶対気が付きませんでした(笑)。
また音楽もよくて、今もひぐらしの音楽室を立ち上げてエンドレスリピート中です。

今回は「目明し編」に入る前に、自分なりの仮説を立てて突入することができたのが良かったかな・・・かな?
基本的には自分なりの仮説を立てたことで自分が楽しめたこと、これが大きかったのですが、読み進めていくうちに、自分の中の仮説はあいまいながらも確信を得てきたように思っています。

参考:ひぐらしのなく頃に 「鬼隠し編」~「暇潰し編」までの私的仮説
注意:この記事にはネタバレを多く含みますので、「暇潰し編」まで読了されていない方は十分ご注意ください。

その辺りを踏まえながら、簡易感想です。
「目明し編」を読了されていない方は、大きくネタバレ含みますので十分ご注意ください。


* * *



■雛見沢システム
この「目明し編」も日常パートから非日常パートへ転換してからの惨劇は悲しくて哀しい物語になってしまったのですが、僕の中の仮説に対する確信は、ページを追うごとに徐々に高まっていきました。

仮説を簡単に言うと、

大局的な共通認識と、局所的な共通認識。
雛見沢という「共通認識」の中でおきた、事実、事故、勘違い、思い込み、嘘。
これらがビリヤードの玉のように複雑に動き合って、「偶然」9番がポケットに落ちた、しかし9番がポケットに落ちたということは「事実」として取り上げられる。
そう、全てが「玉突き的」に発生した悲劇だったんじゃないか、そう思っています。

視点を変えることで、こんなにも一つの「事実」に対する受け止め方が変わってしまう、「事実」はあるんだけれども、そこに至る過程、思い、その後の影響は、個人の主観から見た個人の思い込みに過ぎないかもしれない、自分というフィルターを通すことで「事実」がいかようにでも解釈されてしまう、これが「ひぐらしのなく頃に」で表現されている肝なんだと僕は思うのです。

例えば、智史が消えたとき、くまのぬいぐるみが無くなっていた。
これを詩音は園崎家が買ってしまったと思い込んだ。
でもその真偽は分からないんですね。
あのおじいちゃんが店番をしていたなら、誰か他の人に格安で売ってしまってもその過程は分からないんですよね。
そこにあるのはただぬいぐるみが無くなったという「事実」だけ。
ひょっとしたら智史が購入していたかもしれない。
・・・けれど、これを詩音のフィルターで見ると「智史くんを追い込むために園崎家が仕掛けたに違いない、そして智史くんはうなだれて・・・」みたいな思い込みへつながっていってしまう。

また詩音自身も怯え、そしていろんな意味でショックを受けた祭具殿侵入ですが、詩音はあれがタブーでタブーを犯した者にはオヤシロさまの祟りとして死を与えなければいけない、と自分で思い込んでしまったとも取れます。
これは僕の仮説でもあったわけですが、祭具殿に進入してもそれはほんとうは直接の死の原因にはつながらなかったはずだと思うのです。
それを自分の周囲からショックなことを聞いて、自分で祭具殿に進入した者は死ななければならない、みたいな論理に追いこんでしまったと思うのです。
後は、坂を転げるように死が続いて行く訳ですが、実はこの「ひぐらしのなく頃に」で発生する惨劇の多くは、こういった各人のフィルターを通して「事実」を軸に様々な事故、思い込み、勘違い、嘘が連鎖していった結果なんじゃないか?と思うわけです。

■そうは言っても
僕は、正直魅音と詩音の入れ替わりがあんなに前からあったなんて、全く持って想像できませんでした。
ころっと騙されました(笑)。
途中に出てきた、どうしても今日は入れ替わるという日、これも鬼の刺青を入れる日だったというのも最後まで気が付かなかったし、鈍感だな自分・・・と、つくづく推理に向いてないと思いましたよ。
あれはもう何か、それこそ心砕かれた・・・って感じでしたよ。

■捨てきれない神秘性の線
雛見沢で発生する惨劇のほとんどは人によるものだと思っているのですが、梨花ちゃんの豹変ぶり、これについてだけは神秘性の線を捨てきれないです。みぃー。
内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」でも最後の最後に神秘的な現象が起こって美しいエンドを迎えるんですが、二重人格的に巫女に憑依がある、そういう設定があったも僕個人としては良いかなと思ったり。

梨花ちゃんはどうしても死んでしまう。
それは神秘性を持つ梨花ちゃんが未来予知していた、というのでも良いなぁ。

「暇潰し編」で見せる日常を裏切るような雨、サプライズの料理を待ちわびる気持ちとしては、いずれ死んでしまうことが義務付けられた存在ならば、やはりその因果律を断ち切るような「偶然」、それによる解放を期待していたんではないかと思ってしまいます。

それにしてもあの喉を掻き毟って自殺する薬が古手家秘伝のものだったとは・・・。
そう思うとオヤシロさまを信仰する集団がオヤシロさま復興へ向けて描いたシナリオだったとも取れるんで、まだまだこの辺は謎ですね。人のシナリオだったとしたらまだ自分の仮説は当てはまるので、それもまた楽しいですね。

■レナと沙都子
オヤシロさまの祟りは強い強迫観念が極限に達すると起きる現象じゃないかと思うのですが、レナの場合、幼少期から雛見沢を離れると祟られるという言葉を信じていたわけだし、もし引越し先で非常に嫌な目に遭っていたとしたら、それが自分に向けられたオヤシロさまの祟りに直結してしまってもおかしくない。
そういう強迫観念が積もって、人格まで豹変させてしまったのかもしれない。
例えば友人の3人がレナを襲おうとしたとして、そのときに豹変したならば、その3人は自分達の罪を認めることになり、口を割らなかった、とも考えることができます。
次作「罪滅し編」はレナが主人公のようなので、その辺に期待です。

沙都子については仮説で想像したとおりかな。
叔父さんに当たる人は複数いた、そして実は圭一が殺害するように誘導した、とかそういうのがあるんじゃないかと思いますね。

■誘導
最初の詩音のところでも書きましたが、個人のフィルターによって「事実」の受け止め方は変わりますよね。
またこれって、主人公や視点を変えることで「事実」の認識が変わりますよね、読者も。
つまり、主人公によって作者は意図的に、フィルターをかけて読者を誘導していると思われます。
主人公フィルターを通すことで、その主人公が見たい理由を、読者もまた引っ張られているんだと思うのです。
ここが上手いんですよねぇ。

例えば、今回は詩音視点で智史を見ていたわけですが、じゃあ本当の智史の心情はどうだったんだろうか?
これって全部詩音の想像なんですよね。
智史には智史の、智史にしか思い至れない境地があったのかもしれない。
個人的には智史視点のシナリオ、短くても良いからあって欲しいなぁ。

勘違いや思い込みの連鎖、嘘などが相互に影響しあう、それが雛見沢システムだと僕は思っています。
さて、これがどうなっていくのか、来年の夏まで含めて、とりあえず今年の夏に出る新作を待ちたいと思います。




ようやく、自分の感想を書き終わったので、これからは新作が出るまで、じっくりと皆様の感想・考察を拝見しに伺いたいと思います。
ああ、楽しみです。

「ひぐらしのく頃に」は一番最初のシナリオである「鬼隠し編」をフリーでダウンロードして楽しむことが出来ます。
ご興味をお持ちの方は是非一緒に読んでみませんか?
「07th Expansion」さんのHPはこちらから。



ちなみに僕は沙都子萌えなのでこっちも貼っておきます(笑)。



ひぐらし、熱いです。ほんとに。