蒼穹のぺうげおっと

-PEUGEOT in the AZURE- マンガ・小説・アニメの感想を書き流すファフナーとエウレカ好きのサイトです

ガンダムSEED DESTINY 第33話 「示される世界」 感想

2005-06-04 20:52:52 | ガンダムSEED DESTINY
何か先週よりも切なく感じるアバンとAパート、そしてタイトルの通り個人的にも何となく見えてきた感じのする第33話「示される世界」。

■ステラたん。・゜・(ノД`)・゜・。
1週置いて改めてこういう描写があると余計に切ない感じ満載です。・゜・(ノД`)・゜・。

■シン
シンというキャラは、本来優しさによってモティベートされるはずなのに、妹を含む家族を失った時点から怒りによってモティベートされてしまう、というキャラなんですね、きっと。
ゆえに、先週の感想でもシンは一度作中テーマの答えの一つに辿り着いて、優しさによってステラたんと銃を下ろすところまで到達しているんですが、一方でまた家族と同じようにステラたんを失うことで、再び怒りによってモティベートされてしまったわけですね。

最初に家族を失ったときはその怒りを理不尽な暴力に対して向けていたのですが、今回は自分の気持ちを受け入れきれない、処理できなくて、また軍人として脅威を排除すべきという観点も合致して、その矛先がフリーダムへ向いてキラとの対決へ持っていくというのは地上編でのクライマックスの近さを予感させますね。

シンが本来持っている優しさへ戻るポイントが一つの見せ場だと思っているのは変わりないのですが、番組放送開始当初はそれをステラたん絡みで30話くらいに持ってくるかなぁなんて思っていました。
しかしながら、今回の議長の行動とキラとの対決、デスティニーの存在を考えるとやはり彼の変化をもし描くとするならば宇宙に上がってからなんでしょうね。
個人的にはキラかカガリとの直接対話を希望なんですが、その上で敢えて自分の道を通すみたいな展開もアリかなと最近は考えていたり。

■マリューさんとネオ
何気に今回切ない描写のマリューさん。・゜・(ノД`)・゜・。
#結構DESTINYのマリューさんは好きなのでぐっと来てしまった・・・。

ネオについては第22話「蒼天の剣」の感想で「ファントム・ペインと記憶」という記事で書いていた考察でほぼ当たりと考えていいのかな。
クローンとかも年齢から考えて違うと思うし、口調や性格は生育環境が異なれば違うはずだから、やはり除外して考えて良さそう。

となると、ネオの記憶を呼び覚ますのはマリューさんであって欲しいところ。
#ネオは「マリみて」で言うところのマリア様の星に行かなかった方の人ということで個人的思いを納得させることにしました(笑)。

■議長
今回議長が動いてくれたおかげで、ようやく見えてきた気がしました。
議長の目論見を考えるに、第17話「戦士の条件」の感想で「図式を変えることが目的じゃないか?」と書いたのですが、それは今の「ナチュラル 対 コーディネーター」という作られた図式から、コーディネーターというカテゴリが敵というわけではない、という図式にシフトさせたいのかな、と思ったわけです。
そのために「ロゴス」という「敵」を世界に認識させ、「ロゴス」こそが人類の「敵」なんだ!と思わせる、ここに狙いがあったんじゃないかなぁ。
「敵」を作ることで民意を一つにまとめる、作られた「敵」であっても、民衆は「敵」を認識している方が安心するというか、考えなくて済むという心理を上手く使った気がするんですが・・・。

議長という存在は白・黒はっきりさせないで最後まで灰色で引っ張って欲しいと思っているのですが、今回の件では白にも見えますね。

では黒部分を妄想するとですね、
まず、デストロイの情報を知っていてデストロイが破壊活動に入るまで放置していたのは、やはり連合に先走らせて非道な被害を出させて、そこを効果的に演出の一つとして利用して「ナチュラル 対 コーディネーター」ではない!という図式をアピールさせたかったんじゃないかと。

シンがステラたん脱出時に無罪放免となった理由としては、シンには議長が期待する点として2つあって、1つが今回のデストロイを倒せるとしたらもともとシンしか考えられなかったと言う点ですね。
要するにデストロイが破壊活動するのも、それをシンが倒すのも議長の筋書き通りみたいな。
#でもステラたんとシンが心を通わせていたのは議長の筋書きには無い!

そしてもう1つが議長も最強のナイトと考えるキラ対策。この要員としてシンを育成するというのも筋書き通りなんでしょうね。
図らずも(というか意図的に)今回シンからそういう台詞が出ましたよね。
フリーダムと戦うことになったらどうするんだ?誰が倒すんだ?と。
まさに議長の筋書き通り。
#でもステラたんの仇というのは筋書きではないんで、これもまた運命なのか?

さらにレイ。
レイはやはりシンを誘導している部分が少なからずあるような気がしますねぇ。
対フリーダム用にシンを育成してくれ、みたいな感じで議長から指示が出ている、というのは深読みしすぎでしょうかね。

もっと妄想するなら、ユニウス・セブン落としから議長が仕組んでいたんじゃないか?
第5話の感想の後に「デュランダル議長という人は」という記事で、そんなことを書いたのですが、再び考えてみます。

ユニウス・セブンを落とすことで災厄に見舞われた被災地域に対して「人道援助」という形で入り込んで、ネットワークを形成する。
そして、反連合派を後押しするような援助を続けつつ、コーディネーターは「敵」ではない、という図式を作っていく。
そしてミネルバを先頭に、各所で戦闘活動を行っていれば連合は苛立って必ず火種から大きな炎に燃え上がる、つまりそれが結果としてデストロイの大破壊につながると踏んでいたんじゃないかと。

さあ、久しぶりに大風呂敷を広げて妄想してみましたが如何でしょう?

■そして本格的な宣戦布告へ、アスランどうするよ?
AA組とアスランが恐れていたのはたぶん、こういう形じゃないにせよ全面戦争になるような事態を避けたいと思っていたはず。
だから「大変なことになった」なわけですね。

特にアスランについては第10話「父の呪縛」で議長とアスランはこんな会話をしていましたね。

できることなら戦争は避けたい、だがだからと言って銃も取らずに一方的に滅ぼされるわけにも行かない

そんなときのために君にも力のある存在で居て欲しいのだよ 私は
先の大戦を体験し、父上のことで悩み苦しんだ君ならどんな状況になっても道を誤ることはないだろう
我らが誤った道を行こうとしたら、君もそれを正してくれ
だがそうするにも力は必要だろう 残念ながら

だが君にできること、君が望むこと、それは君自身が一番よく知っているはずだ


できることなら戦争は避けたい、と言った議長。
しかし、今は完全に全面戦争の様相を呈してしまった。

そんなときのために君にも力のある存在で居て欲しい、と言われたアスラン。
しかしながら部下も抑えられず、阻止することもできなかった。

もうアスランこれで完全にザフトにいる意義を失ってしまった形です。
ミネルバ搭乗当時からアスランがいつまでミネルバにいるか?と考えていたのですが、シンとキラの対決同様、上手いこと流れてきた気がしますね。
#そのおかげでアスラン株は大暴落ですが。

個人的には是非ともインフィニット・ジャスティスはラクスの手から受け取って欲しいのですが、その前に是非ラクスからまた言葉責めを受けて欲しいものです(笑)。

■今週のルナ嬢
いじらしくって最高です。
ステラたん亡き後、僕を癒してくれるのはメイリンとルナ嬢だけです。
つか、ホーク姉妹が好きなんだな、自分。
#ルナ嬢はヘソ出しだったのか、ベルトのバックルだったのか気になって仕方ありません。
#でも手違いで録画消してしまったので確認できない(泣)。

あとやっぱり今週はこれです。

そういうところも好きですけど

ぎゃー、どさくさー(嬉)。でも鈍感アスランには届かない、みたいな。
アスランを追ってミネルバ出ちゃうとかやってくんないかな~。
ルナ、頑張れ(笑)。

「金枝篇(1)」からみる「交響詩篇 エウレカセブン」との関連性

2005-06-04 17:25:28 | エウレカセブン
その昔、北イタリア山中のネミ湖畔にはディアーナ女神を祭る神聖な森があった。
森には一本の聖なる樹があって「森の王」と呼ばれる祭司が守っていた。
王が衰えを見せるや強健な若者が聖樹の「金枝」を折り取りとり、剣を振るって彼を殺し王位を継いだ・・・。


表紙裏のこの言葉から始まるフレイザーの「金枝篇(1)」、何とか読み終わって現在第2巻に突入しております。

■そもそも
そもそも「金枝篇」とは何か?という話なのですが、今僕が最も楽しみにしている作品「交響詩篇 エウレカセブン」に登場するキーマン達が読んでいる「実在」の書物のことなんですね。
#エウレカセブン自体は脚本、絵、音楽、演出とどれをとってもクオリティーが高くて、これは本当にお勧めです。

実はこれ、初版は1890年。なんと19世紀の本なのです。

■民俗学・宗教学の集大成
冒頭の文章を読むと、一見ミステリー小説か?と思わせるところもありますが、これは創作関連の書籍ではなく、民俗学・宗教学に関するフレイザーの考えをまとめたものなんです。
#よって研究論文等を読み慣れない人には苦痛を伴うことがあります(笑)。
#ちなみに僕も苦痛を感じているのは内緒です。

世界各地に点在する伝承・魔術・呪術に関して膨大な文献、ヒアリングをベースに科学的な分析を行った、そういう本だと理解してもらえれば良いかもしれません。
#そのサンプル数たるや、まじでびっくりするほど膨大です。

■前提として
茶者であるフレイザーは伝承、魔術、呪術に関する生涯をかけたような調査をしていますが、基本的に魔術・呪術は信じていません。
彼は学者ですから、何故魔術が信奉されるようになったのか?どうしてそのような伝承・魔術・呪術に関して世界規模で類似性、共通性があるのか?という点について膨大なデータから分析を行うことで、今の(と言っても19世紀だが)宗教学につながっていったのかを説いていっている、という感じです。

神話や伝承の共通性については、本書でかなり詳細に語られており、ギリシャ神話とヨーロッパ各地にある神話の類似性のみならず、その研究は中国、オーストラリア、アメリカ、そして何と19世紀にして日本の神話にまで及んでいます。
これは正直驚き。

■その原点として
じゃあ、フレイザーが何故そんな膨大な研究をする気になったのか?
恐らくその動機たる部分、これが冒頭で紹介した「ネミの司祭を殺害するのは何故か?」というところから出発していると思われ、さらに推測するに「交響詩篇 エウレカセブン」でこの「金枝篇」がフューチャーされた所以ではないかと推測します。

そしてフレイザーはこの「何故王は殺されねばならなかったのか?」について、ただこの1点についてのみ解き明かしたいがために(文庫にして)全5巻のボリュームをかけて本書を執筆したのではないかと第1巻を読んで思うわけです。
つか、そのエネルギーたるや驚くべきものです。

この本を読んで自分はつくづく学者には向いていないなと思うのですが、僕は個人的にこういう「学究の徒」みたいな人、好きです。

■第1巻のポイントは2つ・・・かな?・・・かな?

まず1点目「何故王は殺されなければならないのか?」です。
いきなり核心を突くことになるのですが、第2巻でも外堀を完全に埋めるようにたくさんの説を紹介し、この1点に集約させようとしていると思います。

「金枝」とは?
これは森の信仰対象になっているもので、その由来は(実はかなり複雑なのだけど)簡単に言うと、豊穣の女神ディアーナ=月の女神アルテミスを指しているとフレイザーは述べています。

人間が安定して生きていく上で最も必要なことは「豊穣」であり「多産」である(現代では忘れられがちだけれども19世紀までにおいてはとりわけ重要視される)わけで、そのためには女神の配偶者が必要であると考えられたわけですね。

その配偶者たる人物こそが「森の王」であり、「司祭」であったわけですね。
聖なる森にある1本の木「聖樹」を女神と見立て、その配偶者たるものを「王」であり「司祭」として崇めたというわけです。

ゆえに王は代々その「聖樹」を守護するわけですが、その「王」の力が衰えたるとみるや、次の王を目指すものによってその王は殺され、「聖樹」の「枝」を折ったもの、つまり「金枝」を持つものが次代の王として認められる、ということになったわけです。

これは私見ですが、王とは常に力を持っている必要があり、それが衰えると「豊穣」や「多産」が約束されなくなるんじゃないか、と思うわけです。
ゆえに王とは強くなくてはいけない・・・と。

この辺が恐らく「交響詩篇 エウレカセブン」でもフューチャーされているポイントであり、「英雄王アドロック・サーストン」の話とリンクする部分だと思われます。
この流れから推察するに、アドロックの死は決して事故等ではなく、なんらかの犠牲にされたのではないか?と考えることもできるんじゃないかなぁ。
要するに生贄的な扱いか?
コーラリアンとの関連性、そして「王」の役割、そういう部分が今後ポイントになるはず!と踏んでいます。

■司祭や王の役割
これが2点目。
これも第2巻以降、延々と分析が述べられるわけですが、簡潔に言うと

王や司祭とは呪術・魔術に秀でた存在であるが、フレイザーは魔術・呪術を科学的に否定した上で、そういった欺瞞を民衆に対して思い込ますことができる、そういった優秀な者である、としています。

またエウレカセブンの感想でも書いたのですが、フレイザーは司祭の地位にあるものはその欺瞞を公共の福祉に役立てるものに使う傾向があり、それが魔術・呪術を信奉が成立する所以であり、その司祭が後世の王という立場になっているとしています。

王の役割や成り立ち、そして現代に至るまでの王成立の背景について非常に緻密に調査されているわけですが、やはり「王」とは優秀で強くなくてはならない、欺瞞であろうが民衆に信じさせることができる力を有しており、それを公共の利益に導くことができる、そういう役割を期待されている、と考えたんじゃないかなぁ。

この辺がエウレカセブンでデューイ中佐の台詞には注意しなければならないポイントかなと。
既に台詞の節々にその布石が垣間見られると思います。

■第1巻のポイントの最後に
個人的にここがポイントかな、というのを最後にピックアップしてみました。
ここがエウレカセブンで使われるかどうか、本流とひょっとしたら関係ないかもしれないんですが、どちらとも取れるこのフレイザーの説について、自分なりに考えてみるとエウレカセブンでも楽しめるのかもしれません。
#全然使われなかったらごめんね。

(このような初期の社会では)専制主義は人道の最善の友であり、また逆説的に聞こえるかもしれないけれど、それはまた自由の最善の友であると言っても決して過言ではないのである。

呪術の公的行使は最も卓越した人々をして至上権の座につかしめる手段である限りにおいて、伝統の鉄鎖から人類を解放し、彼らをより大きくより自由な生活にまで引き上げて世界に対するいっそう広い視野を与えることに貢献するところがあった。
これが人道に与えた貢献は決して微々たるものではない。
そして、他方において呪術が科学の道を開拓したことを考え合わせるとき、例え妖術が多くの悪を行ったとしても、同時にそれが多くの善の源泉であったことを認めないわけにはいかず、またたとえそれが誤謬の子であるにしても、なおよく自由と真理の母であったことを承認しないわけにはいかないのである。



まだまだ「金枝篇」は続くので、時間があれば2巻以降も皆さんに紹介できればと思います。
こんなんでどうでしょう(笑)?

・・・かな?・・・かな?

2005-06-04 15:29:50 | 小説 感想
ハマッているの・・・かな?・・・かな?

「ひぐらしのく頃に(体験版)」、早速プレイ中です。

最初に気になっていたというか、僕個人の参入障壁みたいになっていた画の感じも、実際やり始めると結構良いというか、雰囲気作ってるというか、やっぱりこれじゃないと駄目かもと思うくらいになってきています。

もともとネット上では話題になっていましたが、僕が興味を猛烈に惹かれてしまったのが「ファウスト Vol.5」での奈須きのこさんとこの制作者の竜騎士07さんとの対談にありました。

奈須きのこさんの「空の境界」にいたくハマッてしまった僕としては、そのファウストの対談の中で「日常」と「非日常」の境界について二人が語っていたりする点が妙にストライクだったんですね。
#もちろんこの二人の対談はそれだけに留まらず非常に興味深いものだったのですが、その話はまた今度。

僕は「空の境界」の感想でも、随所に盛り込まれた「対比構造」と「境界」の意味に注意して読むときっと面白いと書いているのですが、この対談でも「日常」から「非日常」への切り替えや、「日常」があるからこそ「非日常」がクローズアップすることができると二人が語っているので、「日常」にスポットの当たっている「体験版」について、その辺注意しながら楽しみたいと思います。

既にちらっと「非日常」へ誘うような描写が差し込まれていたりするんで、かなり・・・楽しみかも、・・・楽しみかも。

今はガンダムWの一気視聴(えー)の合間に気分転換でやってるんですが、これが逆転する日(いや時間)も近い・・・かな?・・・かな?

やっと買えたよ 冲方式!!

2005-06-04 00:15:51 | 小説 感想
もうすぐ「蒼穹のファフナー DVD第9巻」が発売なんですが、既に観ているくせにこのDVDの発売が待ち遠しくてならない燕。です、こんにちは。
#ファフナーほんとに好きなんです、自分。
#それを語りだすと夜が明けるのでこの話はまた今度。

さて、そんな「蒼穹のファフナー」関連で仲良くして頂いて、今では僕の日参ブログの一つにさせて頂いているマイカさんの「日々是置き楽日記」で紹介されていた記事を読んで、僕は書店へ走りましたよ。
#もちろん移動は縮地法です。
#しかも前後左右使えることはデフォルトですから(えー)。

目的のブツはこれ!!


冲方式ストーリー創作塾

煽り文句にマルドゥック・スクランブル
の書き方とか書かれた日にゃあ
ファンは飛びつくってもんですよ
何気に表紙も良いですな
つか、冲方さん仕事しすぎですよ
嬉しいけど




「冲方式ストーリー創作塾」ということで、煽り文句がまた「キミにもマルドゥック・スクランブルが書ける!!」とか書かれたら、あんなすげーもん書けるのあんただけだよ!と心で突っ込みを入れつつ、そりゃもう走りましたよ、書店へ。

* * *

(縮地法で)書店に飛び込む燕。
しかしそこで足が止まる・・・。

「・・・これは小説コーナーなのか?それとも新書か?いったいどこの売り場だ?」
といきなり悩んだわけです。

そんなときは迷わず店員さんに聞きます。
ちなみに、マイカさんはこんな風に聞いたそうです(引用させて下さい~ペコリ)。

>「ええっと、作者はウブカタ・トウです」
>「ええっと、どんな字ですか?」
>「あー、だから、その、あのぉ、沖縄の沖をにすいにして…あ、そうそう、その字!」


僕の場合はこんな感じでした。

「ええっと、作者はウブカタ・トウです」
「ええっと、どんな字ですか?」
「あー、だから、その、あのぉ、沖縄の沖をにすいにして…あ、そうそう、その字!」


・・・まるっきり同じじゃん!!
#マイカさん、対応スクリプトとして使わせて頂きました(笑)。

僕の場合、ここから続きがあって、

「うーん、無いみたいですねぇ」
「(ショックを見せないように)ああ、分かりました結構です」


と言って次の書店へダッシュ。
#もちろん縮地ほ(略)。

* * *

2件目にて。
#既に探すのが面倒なので店員さんにいきなり聞いている。

「ええっと、作者はウブカタ・トウです」
「ええっと、どんな字ですか?」
「あー、だから、その、あのぉ、沖縄の沖をにすいにして…あ、そうそう、その字!」

「うーん、無いみたいですねぇ」
「(ショックを見せないように)ああ、分かりました結構です」


・・・まるっきり同じじゃん!!ここでも!!無いとこまで!!

このとき「また(冲方で)やってしまったのか?」と心が悲鳴をあげそうになっていたことは内緒です。
#二度あることは三度ある・・・なのか?

そしてさらに次の書店へダッシュ。
#もちろん縮(略)。

* * *

3件目にて。
#もう面倒なので店員さんにくってかかるように聞いている。

「ええっと、作者はウブカタ・トウです」
「ええっと、どんな字ですか?」
「あー、だから、その、あのぉ、沖縄の沖をにすいにして…あ、そうそう、その字!」

「これですね」
「それです!!」


目の前にあった。・゜・(ノД`)・゜・。
殆ど諦めかけていましたが、3件目にて起死回生のゲット!!
ぎゃー、嬉しい!!


さて、肝心の内容ですがまだ序章しか読めてません。じっくりと読みたいと思います。
しかし、その序章を読んで既にか・な・り・来てます。
大の冲方ファンであるということもあるのですが、今回冲方さんがこの本を執筆しようと思った動機に非常に共感、僕の場合はそれが内容は全く違えど仕事で同じことをまさに今やっているところだったりするので、既にこの序章のみで買って良かったと浸っているところでございますよ。
#ということでこの話はまた今度。

今年もまた冲方丁さんにやられそうです。
つか、むしろやってください(懇願)。
#つか、冲方さんも「つか」って使ってるよ!!ぎゃー。