韓国南部、珍島沖で起きたフェリー沈没事故からやがて1ヶ月だ。
最初は、救助の不手際などが指摘されて、韓国民の全体がパニックになったという雰囲気だったが、それでも今までに270名以上の死亡が確認され、行方不明の者は30名余りになった。今後も不明者捜査作業は継続され、船会社や乗組員の不正行為など原因究明調査も進むのだろうから、徐々にではあっても国中に平常心が戻ってくることを期待したい。
お仲間のISさんの文章が、韓国のJさんによって韓国語に翻訳され、現地のWEBコラムに載った。
「日本人ジャーナリストが見た《セウォル号》沈没事故」というタイトル、「韓国社会には徹底した改造が必要、犠牲者の霊魂が黄泉路で迷わぬ為に、、」というサブタイトルだが、どうやらこれはJさんの思惑で考えられたもののようだ。
事故2週間後にソウルを訪れたISさんは、市庁広場の追悼集会で、被害者と同年齢の高校生たちが市民の「追悼のことば」を集めている現場に遭遇し、自身も《鎮魂》と漢字で書いた。彼の「追悼句」を受けた女子高生は頷きながら何度も頭を下げたが、それは、『必死に《憾み》と戦っているように見え、高校生たちのそんな様子は、言葉では説明できない《沈黙の雄弁》であった』と云う。東日本大震災時の高校生ボランティアもきっと同じように「思いつめた表情」をしていたのではないか。
さらにISさんは、『大統領支持率は、最近になって20%下落したと云う。国民の憤怒がひしひしと伝わってくるだけ、韓国政府にとっても、この事件は向後政策の大きなターニングポイントになるだろう』とし、『韓国という国自体の信頼を危うくさせるような事件だが、これを契機にして、官僚の無責任体質や官民の癒着などに全方位的なメスを入れ徹底的な改造がされなくては、犠牲者たちの霊魂は黄泉の国には辿り着けまい。』と纏めている。
ところで、今日のNHKの四国香川のローカルニュースに「紫雲丸事故60回忌で法要」という記事が載った。
1955年5月11日、旧国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が高松沖合の瀬戸内海で沈没し小中学生を含む168人が死亡した事故からすでに60年が経過したわけだ。「セウォル号」に似た状況での海難だが、当時小学生だった自分にもこの事故はたいへんショッキングなものだった。ラジオのドキュメンタリー録音、事故写真を大きく載せた新聞一面など、いわば、コントラストの強い『白黒』のイメージで記憶の底に残っている。
実は、この5番目の事故以前にも「紫雲丸」は4回もの事故を起こしている問題船だったという点も「セウォル号」の劣悪なマネジメントを思わせる。これはこじつけだが、「紫雲」は「死運」につながり、「歳月」(セウォル)は「二度と還らない」と、どちらの船名も悲劇を予感させるではないか。
高松の事故現場を見渡せる高台にある寺の慰霊碑前では毎年この命日に法要が営まれているのだそうで、節目の今年は遺族など20人余が参列したのだとある。
出張で「紫雲丸」に乗船していた90歳の男性は「今も事故を振り返るとどうして子どもたちを救えなかったのかと思います。韓国の旅客船事故もあったのだから、安全意識を高めてもらいたい」、中学生の姉を亡くした59歳の男性は「姉が生きていれば多くの思い出をつくれたはず」と話したそうだが、「セウォル号」の被害者や遺族たちも同じ思いでいるはずだ。
最初は、救助の不手際などが指摘されて、韓国民の全体がパニックになったという雰囲気だったが、それでも今までに270名以上の死亡が確認され、行方不明の者は30名余りになった。今後も不明者捜査作業は継続され、船会社や乗組員の不正行為など原因究明調査も進むのだろうから、徐々にではあっても国中に平常心が戻ってくることを期待したい。
お仲間のISさんの文章が、韓国のJさんによって韓国語に翻訳され、現地のWEBコラムに載った。
「日本人ジャーナリストが見た《セウォル号》沈没事故」というタイトル、「韓国社会には徹底した改造が必要、犠牲者の霊魂が黄泉路で迷わぬ為に、、」というサブタイトルだが、どうやらこれはJさんの思惑で考えられたもののようだ。
事故2週間後にソウルを訪れたISさんは、市庁広場の追悼集会で、被害者と同年齢の高校生たちが市民の「追悼のことば」を集めている現場に遭遇し、自身も《鎮魂》と漢字で書いた。彼の「追悼句」を受けた女子高生は頷きながら何度も頭を下げたが、それは、『必死に《憾み》と戦っているように見え、高校生たちのそんな様子は、言葉では説明できない《沈黙の雄弁》であった』と云う。東日本大震災時の高校生ボランティアもきっと同じように「思いつめた表情」をしていたのではないか。
さらにISさんは、『大統領支持率は、最近になって20%下落したと云う。国民の憤怒がひしひしと伝わってくるだけ、韓国政府にとっても、この事件は向後政策の大きなターニングポイントになるだろう』とし、『韓国という国自体の信頼を危うくさせるような事件だが、これを契機にして、官僚の無責任体質や官民の癒着などに全方位的なメスを入れ徹底的な改造がされなくては、犠牲者たちの霊魂は黄泉の国には辿り着けまい。』と纏めている。
ところで、今日のNHKの四国香川のローカルニュースに「紫雲丸事故60回忌で法要」という記事が載った。
1955年5月11日、旧国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が高松沖合の瀬戸内海で沈没し小中学生を含む168人が死亡した事故からすでに60年が経過したわけだ。「セウォル号」に似た状況での海難だが、当時小学生だった自分にもこの事故はたいへんショッキングなものだった。ラジオのドキュメンタリー録音、事故写真を大きく載せた新聞一面など、いわば、コントラストの強い『白黒』のイメージで記憶の底に残っている。
実は、この5番目の事故以前にも「紫雲丸」は4回もの事故を起こしている問題船だったという点も「セウォル号」の劣悪なマネジメントを思わせる。これはこじつけだが、「紫雲」は「死運」につながり、「歳月」(セウォル)は「二度と還らない」と、どちらの船名も悲劇を予感させるではないか。
高松の事故現場を見渡せる高台にある寺の慰霊碑前では毎年この命日に法要が営まれているのだそうで、節目の今年は遺族など20人余が参列したのだとある。
出張で「紫雲丸」に乗船していた90歳の男性は「今も事故を振り返るとどうして子どもたちを救えなかったのかと思います。韓国の旅客船事故もあったのだから、安全意識を高めてもらいたい」、中学生の姉を亡くした59歳の男性は「姉が生きていれば多くの思い出をつくれたはず」と話したそうだが、「セウォル号」の被害者や遺族たちも同じ思いでいるはずだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます