終戦記念日も68回目、日本人の多くが戦争を知らないものに入れ替わった。もちろん安倍内閣の閣僚も全員がそうだ。麻生副総理は1940年生まれだが終戦の1945年には5歳の子供だった。
今年の全国戦没者追悼式は戦没者遺族4600人と各界代表が参列。追悼の対象は戦死した軍人・軍属約230万人と、空襲や広島、長崎の原爆投下、沖縄戦などで亡くなった民間人約80万人の計約310万人だった。戦時には影もカタチもなかった若い安倍首相がどういった式辞を述べるのかに多くの人々が注目したはずだ。
生憎、TV中継での彼の肉声は聴いていないが、「戦没者への語りかけ」スタイルをとって、「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」と述べたという。これはマスコミがしたコメントだが、そこまではよかろう。
ところが、1994年の村山首相(自社さきがけ連立政府)以降、歴代の首相がその式辞で触れてきたアジア諸国への加害と反省に関しては明言はなく、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻む」という表現はあったものの、「不戦の誓い」の文言も今回はなかったのだそうだ。かなり確信犯的な「お詫び無視」のように思えるのだがどうだろう。
「光復節」記念式典の演説で朴大統領は「過去を直視する勇気と相手の痛みに配慮する姿勢がなければ、未来に向かう信頼を築くのも困難だ~政治が国民の思いについて行けず、過去に戻れば未来は見えない~日本の政治家たちは過去の傷を癒やす勇気ある指導力を見せるべきだ~歴史による苦しみと傷を今も抱えて生きる方々に、責任と誠意のある措置を期待する」と述べたというのだから、これではまた平行線ではないか。「日本はやっぱり反省をしていない」といわれそうだ。
武道館からは眼と鼻の先にある靖国神社では、遺族の参拝にまじって100人以上の国会議員が団体で参拝する恒例のデモンストレーション行事が見られたという。国会は休会中なのだから自分の選挙区に戻って地元の戦没者に祈るのが筋だろうに。
ここでは注目された首相参拝は見送られ、自民党総裁として私費で玉串料を奉納する代理参拝の方法で、中国や韓国の攻撃から逃げたカタチを取った。どうやらアメリカからの微妙な圧力もあってのことだろうという見方もされている。「玉串料などという姑息な手段までとって」と中韓から笑われるのを覚悟の、これも確信犯的な政治判断だというのだろうか。
今年の全国戦没者追悼式は戦没者遺族4600人と各界代表が参列。追悼の対象は戦死した軍人・軍属約230万人と、空襲や広島、長崎の原爆投下、沖縄戦などで亡くなった民間人約80万人の計約310万人だった。戦時には影もカタチもなかった若い安倍首相がどういった式辞を述べるのかに多くの人々が注目したはずだ。
生憎、TV中継での彼の肉声は聴いていないが、「戦没者への語りかけ」スタイルをとって、「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」と述べたという。これはマスコミがしたコメントだが、そこまではよかろう。
ところが、1994年の村山首相(自社さきがけ連立政府)以降、歴代の首相がその式辞で触れてきたアジア諸国への加害と反省に関しては明言はなく、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻む」という表現はあったものの、「不戦の誓い」の文言も今回はなかったのだそうだ。かなり確信犯的な「お詫び無視」のように思えるのだがどうだろう。
「光復節」記念式典の演説で朴大統領は「過去を直視する勇気と相手の痛みに配慮する姿勢がなければ、未来に向かう信頼を築くのも困難だ~政治が国民の思いについて行けず、過去に戻れば未来は見えない~日本の政治家たちは過去の傷を癒やす勇気ある指導力を見せるべきだ~歴史による苦しみと傷を今も抱えて生きる方々に、責任と誠意のある措置を期待する」と述べたというのだから、これではまた平行線ではないか。「日本はやっぱり反省をしていない」といわれそうだ。
武道館からは眼と鼻の先にある靖国神社では、遺族の参拝にまじって100人以上の国会議員が団体で参拝する恒例のデモンストレーション行事が見られたという。国会は休会中なのだから自分の選挙区に戻って地元の戦没者に祈るのが筋だろうに。
ここでは注目された首相参拝は見送られ、自民党総裁として私費で玉串料を奉納する代理参拝の方法で、中国や韓国の攻撃から逃げたカタチを取った。どうやらアメリカからの微妙な圧力もあってのことだろうという見方もされている。「玉串料などという姑息な手段までとって」と中韓から笑われるのを覚悟の、これも確信犯的な政治判断だというのだろうか。
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