無縁社会について、調べようと、ネット検索した。
すると、「うえしん」さんのブログが、ヒットした。
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。
マスコミのニュースより、自分の身近な問題のほうを考えたいと思っています。
書評、エッセイが中心のサイトです。
と、プロフィールを紹介している。
(職業が、分からないのが残念だ。)
彼のエッセイを、抜粋、紹介したい。
以下、彼のエッセイである。
2005年9月にNHKで放映され話題になった『ひとり団地の一室』という番組の再放送をみた。千葉県松戸市のニュータウンで孤独死があいついでいるという。
大阪市でも孤独死は85年から三倍にも増えている。40代50代の働き盛りもふくまれるのである。
一人世帯はこの5年で12%増え、高齢者は三割近く増加しており、一人世帯は三割に達している(統計局)。
近所に付き合いや話相手もいない老人も増えており、まさにこの社会は「無縁社会」となろうとしているのである。
いぜん風間茂の『ホームレス人生講座』(中公ラクレ新書)という本を読んだが、ホームレスも血縁や社縁から断ち切られるから路上に放り出されるのだとのべていたが、この孤独死も同じような人とのつながりがまったくない無縁社会から発生しているのだろう。
私も数年前、貯金だけで失業期間を半年ほど過ごしていたことがあったが、毎日ほとんどだれとも口を聞かない日々がつづいた。
会社や仕事からはなれると、街中では人とのつながりをまったくなくす世の中がひろがっているのである。
失業した中高年や定年になった高齢者もこのような日々を毎日送っているのだろうか。
戦後の日本人は田舎から都会に出てきて、会社だけのコミュニティをつくり、近所とのつきあいを断った関係をつくりあげた。
田舎の因習的な関係を拒否し、核家族に自由と幸福をもとめるライフスタイルを築いたのである。
そしてお金と仕事だけで人とつながる関係をつくり、近所には知り合いのいない街をつくりあげたのである。
会社から離れると人はたちまち孤立した個人として放り出され、だれともつながりのない世の中に住まうことになったのである。
たしかに近所とのつき合いはっとうしいものである。監視されているような息苦しさがあった。
会社でのつきあいにわずらわしい思いをし、仕事でくたくたになって、近所で人とつきあう余裕もなかったのだろう。
しかしそんな世の中で失職したり病気になったりしたら、近所ではだれとのつながりもないのである。
そうして世間から忘れ去られるように生をひっそりと終えるのである。
戦後の人たちはなにをまちがったのだろうか。
このような人生の終わり方は戦後日本の大きな過ちの結果だったのだと思う。
私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の「経済至上主義」と「会社中心主義」のせいだと思う。
会社と労働に「国民総動員体制」がかけられたために、われわれは会社以外のコミュニティをつくる時間も余裕も奪われたのである。
会社だけがコミュニティであり、共同体であるシステムをつくりあげてしまった。
それは人間らしい生き方の強奪であり、人間としての生活を奪うシステムであった結果が、この孤独死なのである。
せめて会社以外の比重がかけられる社会であったら、このような人生の終末は防げたのではないかと思う。
貨幣経済の進展も人との関係を断ち切っていった。
農業社会で大家族で自給したり、近隣で食べ物を融通しあったりする関係も断ち切られ、お金とサービスで買える関係だけに置き換わっていった。
家族や共同体は解体され、金とサービスで買える関係だけに個人は切り離されていったのである。
それは便利で効率的なものであったが、代わりに人とのつながりや縁をぱらばらにする関係でもあったのである。
そのような貨幣サービス関係だけでは死は看取られることはないし、個人の行状が知られることもない。
効率的で自由な個人主義は人の生き死も自由であり、そして無視されるのである。
われわれはこの効率的であるが、生死も見捨てておかれる社会に今後も将来をたくすべきなのだろうか。
先ほど読んだ広井良典の『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)に、この孤立したコミュニティ論に一章が割かれ、「コミュニティとは、本来「死」という要素を本質に含むものであり、同時にまた、”「死」を含むコミュニティの再構築”が現在そしてこれからの日本社会にとっての大きな課題なのではなかろうか」とのべられている。
この本には先進国の社会的孤立を比較したデータがあり、家族以外に人と会う頻度をあらわしたものだが、日本では16%ほどの人が人と会わないとされており、ほかの国に比べてダントツである。
アメリカやオランダ、イギリスなどは6%~2%におさまっている。
日本がいかに孤立した無縁社会になっているかということだ。
日本人は自分の知らない人に対してのコミュニケーション技法や能力をまったく発達させてこなかったのである。
そのような結果が死後のタイムラグをへての発見となってしまうのである。
近隣とつきあいのない快適な関係が、孤独死という人が死んでも見捨てられるような痛みや悲しみをわれわれにつきつけるのである。
つまり人が死んでも放っておかれるような社会や地域をわれわれはこれからも継続させてゆくつもりなのか。
葬式というものは、不思議なものだと思うが、死んでしまった本人は葬式がおこなわれている自覚はすでにないはずである。
どちらかというと、残された人の悲しみや慰めのためにおこなわれるものであり、または生前の本人の安らかさをもたらすものであろう。
孤独死は残ったわれわれにえもしれぬ悔恨を与えるのである。
われわれは戦後に都会に出てきて、近隣とつきあいのない自由で効率的な社会をつくったが、そのような社会には孤独死という痛みをわれわれにつきつけるのである。
会社とお金の関係だけでは、われわれは人としての関係を築いているいるとはいえない。
隣人が死後何日もたって発見されたとしたら、私たちにとってどんな痛みや悲しみをもたらすものか、考えてみなければならない。
私たちは近隣とのつきあいのない関係の中で孤独死やホームレスをたくさん生み出しているのである。
いまでも孤立や孤独の中で生きている人もたくさんいるはずである。われわれはそのような痛みを放置したままでも、近隣とのコミュニケーションやつながりを断った関係をつづけてゆこうというのだろうか。
日本人は知らない人に対する、身内に対する「ソト」の人に対しては冷酷で冷淡すぎる。
このような行動様式がいま、ぼろぼろと孤独死やホームレス、または困窮した人たちを生み出しているのである。
われわれは不快で窮屈にならない近隣とのコミュニケーションや関係を新たにつくってゆかなければならないのである。
老後や健康の社会保障というのは国家や会社だけが与えられるものではない。
家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。
私たちはそういう自覚と覚悟があまりにも薄かったのではないだろうか。
以上、「うえしん」さんのエッセイである。
読んでみて、わたしたちの人生を振り返る思いをしている。
ほぼ、彼の言う通りである。
若干、意見してしまうのであるが、彼は、「私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の『経済至上主義』と『会社中心主義』のせいだと思う。」と述べている。
この見解については、もちろん同意できるが、わたしは、もっともっと多くの要素があって、わたしたちとしては、招かれざる客である無縁社会を呼び寄せたと思っている。
つまり、この無縁社会は、戦後これまで、生きていた人の全ての良かれとした行動の合成の誤謬として、できあがったというのが、わたしの考えである。
このことをどのように説明してみようかと思っているのだが、頭の整理がなかなかできない。
このブログでは、1000行以上の文章は、まとめて掲載できないようにできている。
この条件も厳しい。
いよいよもって、難題である。
彼は、「家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。」と述べている。
そして、マスコミでもそのような意見が、見かけられる。又、香山リカ氏もそう言っていたような気がしたが。
しかし、これは、若干疑問が残る。
とういのは、近隣や共同体も、多くの家族や親族によって成り立っているのである。
家族や親族が頼れない状況というのは、近隣や共同体も疲弊し、解体しようとしているのである。
近隣や共同体だって、格差社会化しているし、限界集落化しつつある。
あえて、近隣や共同体に期待するなら、いわゆるわたしたちの世代が子どもの頃に育った
「近隣や共同体」とは、違う別次元の概念でなければならない。
つまり、無縁社会を前提として、その中から、「近隣や共同体」の枠組みを模索できるか、そして、その力をわたしたちがもち得るのかということかとも思う。
しかし、無縁社会を呼び寄せたわたしたちが、それを構築する人間として、生まれ変わることができるかということが、難題だと思うのである。
果たして、可能であろうか?
かつて、読んだ本にのっていた逸話である。
「エジプトから民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野をさまよったが、約束の土地を目前にして世を去ったという。」
この話しについての、言及であった。
つまり、「なぜ、モーゼは、40年に渡って荒野をさまよったか」についての話しであった。
そのことについて、エジプトを脱出したイスラエルの民の中で、エジプトの文化に毒された者共が死に絶えるのを待っていたという理由づけであった。
つまり、砂漠の生活の中で生まれたメンバーが大半になるまで、約束の土地につくのを引き延ばしていたという説明である。
このような解釈を展開された時、なんとも言えない衝撃を覚えた。
ところで、わたしたちの無縁社会は、無縁社会を生み出したわたしたちが一掃されるまで、待つのだろうか。
そうなると、わたしたちは、悲劇の一時代を避けることはできないということになるのだが。
すると、「うえしん」さんのブログが、ヒットした。
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。
マスコミのニュースより、自分の身近な問題のほうを考えたいと思っています。
書評、エッセイが中心のサイトです。
と、プロフィールを紹介している。
(職業が、分からないのが残念だ。)
彼のエッセイを、抜粋、紹介したい。
以下、彼のエッセイである。
2005年9月にNHKで放映され話題になった『ひとり団地の一室』という番組の再放送をみた。千葉県松戸市のニュータウンで孤独死があいついでいるという。
大阪市でも孤独死は85年から三倍にも増えている。40代50代の働き盛りもふくまれるのである。
一人世帯はこの5年で12%増え、高齢者は三割近く増加しており、一人世帯は三割に達している(統計局)。
近所に付き合いや話相手もいない老人も増えており、まさにこの社会は「無縁社会」となろうとしているのである。
いぜん風間茂の『ホームレス人生講座』(中公ラクレ新書)という本を読んだが、ホームレスも血縁や社縁から断ち切られるから路上に放り出されるのだとのべていたが、この孤独死も同じような人とのつながりがまったくない無縁社会から発生しているのだろう。
私も数年前、貯金だけで失業期間を半年ほど過ごしていたことがあったが、毎日ほとんどだれとも口を聞かない日々がつづいた。
会社や仕事からはなれると、街中では人とのつながりをまったくなくす世の中がひろがっているのである。
失業した中高年や定年になった高齢者もこのような日々を毎日送っているのだろうか。
戦後の日本人は田舎から都会に出てきて、会社だけのコミュニティをつくり、近所とのつきあいを断った関係をつくりあげた。
田舎の因習的な関係を拒否し、核家族に自由と幸福をもとめるライフスタイルを築いたのである。
そしてお金と仕事だけで人とつながる関係をつくり、近所には知り合いのいない街をつくりあげたのである。
会社から離れると人はたちまち孤立した個人として放り出され、だれともつながりのない世の中に住まうことになったのである。
たしかに近所とのつき合いはっとうしいものである。監視されているような息苦しさがあった。
会社でのつきあいにわずらわしい思いをし、仕事でくたくたになって、近所で人とつきあう余裕もなかったのだろう。
しかしそんな世の中で失職したり病気になったりしたら、近所ではだれとのつながりもないのである。
そうして世間から忘れ去られるように生をひっそりと終えるのである。
戦後の人たちはなにをまちがったのだろうか。
このような人生の終わり方は戦後日本の大きな過ちの結果だったのだと思う。
私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の「経済至上主義」と「会社中心主義」のせいだと思う。
会社と労働に「国民総動員体制」がかけられたために、われわれは会社以外のコミュニティをつくる時間も余裕も奪われたのである。
会社だけがコミュニティであり、共同体であるシステムをつくりあげてしまった。
それは人間らしい生き方の強奪であり、人間としての生活を奪うシステムであった結果が、この孤独死なのである。
せめて会社以外の比重がかけられる社会であったら、このような人生の終末は防げたのではないかと思う。
貨幣経済の進展も人との関係を断ち切っていった。
農業社会で大家族で自給したり、近隣で食べ物を融通しあったりする関係も断ち切られ、お金とサービスで買える関係だけに置き換わっていった。
家族や共同体は解体され、金とサービスで買える関係だけに個人は切り離されていったのである。
それは便利で効率的なものであったが、代わりに人とのつながりや縁をぱらばらにする関係でもあったのである。
そのような貨幣サービス関係だけでは死は看取られることはないし、個人の行状が知られることもない。
効率的で自由な個人主義は人の生き死も自由であり、そして無視されるのである。
われわれはこの効率的であるが、生死も見捨てておかれる社会に今後も将来をたくすべきなのだろうか。
先ほど読んだ広井良典の『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)に、この孤立したコミュニティ論に一章が割かれ、「コミュニティとは、本来「死」という要素を本質に含むものであり、同時にまた、”「死」を含むコミュニティの再構築”が現在そしてこれからの日本社会にとっての大きな課題なのではなかろうか」とのべられている。
この本には先進国の社会的孤立を比較したデータがあり、家族以外に人と会う頻度をあらわしたものだが、日本では16%ほどの人が人と会わないとされており、ほかの国に比べてダントツである。
アメリカやオランダ、イギリスなどは6%~2%におさまっている。
日本がいかに孤立した無縁社会になっているかということだ。
日本人は自分の知らない人に対してのコミュニケーション技法や能力をまったく発達させてこなかったのである。
そのような結果が死後のタイムラグをへての発見となってしまうのである。
近隣とつきあいのない快適な関係が、孤独死という人が死んでも見捨てられるような痛みや悲しみをわれわれにつきつけるのである。
つまり人が死んでも放っておかれるような社会や地域をわれわれはこれからも継続させてゆくつもりなのか。
葬式というものは、不思議なものだと思うが、死んでしまった本人は葬式がおこなわれている自覚はすでにないはずである。
どちらかというと、残された人の悲しみや慰めのためにおこなわれるものであり、または生前の本人の安らかさをもたらすものであろう。
孤独死は残ったわれわれにえもしれぬ悔恨を与えるのである。
われわれは戦後に都会に出てきて、近隣とつきあいのない自由で効率的な社会をつくったが、そのような社会には孤独死という痛みをわれわれにつきつけるのである。
会社とお金の関係だけでは、われわれは人としての関係を築いているいるとはいえない。
隣人が死後何日もたって発見されたとしたら、私たちにとってどんな痛みや悲しみをもたらすものか、考えてみなければならない。
私たちは近隣とのつきあいのない関係の中で孤独死やホームレスをたくさん生み出しているのである。
いまでも孤立や孤独の中で生きている人もたくさんいるはずである。われわれはそのような痛みを放置したままでも、近隣とのコミュニケーションやつながりを断った関係をつづけてゆこうというのだろうか。
日本人は知らない人に対する、身内に対する「ソト」の人に対しては冷酷で冷淡すぎる。
このような行動様式がいま、ぼろぼろと孤独死やホームレス、または困窮した人たちを生み出しているのである。
われわれは不快で窮屈にならない近隣とのコミュニケーションや関係を新たにつくってゆかなければならないのである。
老後や健康の社会保障というのは国家や会社だけが与えられるものではない。
家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。
私たちはそういう自覚と覚悟があまりにも薄かったのではないだろうか。
以上、「うえしん」さんのエッセイである。
読んでみて、わたしたちの人生を振り返る思いをしている。
ほぼ、彼の言う通りである。
若干、意見してしまうのであるが、彼は、「私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の『経済至上主義』と『会社中心主義』のせいだと思う。」と述べている。
この見解については、もちろん同意できるが、わたしは、もっともっと多くの要素があって、わたしたちとしては、招かれざる客である無縁社会を呼び寄せたと思っている。
つまり、この無縁社会は、戦後これまで、生きていた人の全ての良かれとした行動の合成の誤謬として、できあがったというのが、わたしの考えである。
このことをどのように説明してみようかと思っているのだが、頭の整理がなかなかできない。
このブログでは、1000行以上の文章は、まとめて掲載できないようにできている。
この条件も厳しい。
いよいよもって、難題である。
彼は、「家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。」と述べている。
そして、マスコミでもそのような意見が、見かけられる。又、香山リカ氏もそう言っていたような気がしたが。
しかし、これは、若干疑問が残る。
とういのは、近隣や共同体も、多くの家族や親族によって成り立っているのである。
家族や親族が頼れない状況というのは、近隣や共同体も疲弊し、解体しようとしているのである。
近隣や共同体だって、格差社会化しているし、限界集落化しつつある。
あえて、近隣や共同体に期待するなら、いわゆるわたしたちの世代が子どもの頃に育った
「近隣や共同体」とは、違う別次元の概念でなければならない。
つまり、無縁社会を前提として、その中から、「近隣や共同体」の枠組みを模索できるか、そして、その力をわたしたちがもち得るのかということかとも思う。
しかし、無縁社会を呼び寄せたわたしたちが、それを構築する人間として、生まれ変わることができるかということが、難題だと思うのである。
果たして、可能であろうか?
かつて、読んだ本にのっていた逸話である。
「エジプトから民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野をさまよったが、約束の土地を目前にして世を去ったという。」
この話しについての、言及であった。
つまり、「なぜ、モーゼは、40年に渡って荒野をさまよったか」についての話しであった。
そのことについて、エジプトを脱出したイスラエルの民の中で、エジプトの文化に毒された者共が死に絶えるのを待っていたという理由づけであった。
つまり、砂漠の生活の中で生まれたメンバーが大半になるまで、約束の土地につくのを引き延ばしていたという説明である。
このような解釈を展開された時、なんとも言えない衝撃を覚えた。
ところで、わたしたちの無縁社会は、無縁社会を生み出したわたしたちが一掃されるまで、待つのだろうか。
そうなると、わたしたちは、悲劇の一時代を避けることはできないということになるのだが。