ヤフーのニュースである。
09年の自動車販売、500万台割り込む 1978年以来31年ぶり
自動車業界団体が5日まとめた2009年の新車販売台数(軽自動車を含む)は前年比9.3%減の460万9255台となり、1978年以来31年ぶりに500万台を下回った。
09年の登録車の新車販売台数は前年比9.1%減の292万1085台となり、1971年以来38年ぶりに300万台を下回った。(産経新聞)
[記事全文]
70年安保自動延長、沖縄祖国復帰が実現し、政治の季節が終わった
そして、時代は、急変していったように思えた。
ウィキペディアには、こういう記載があった。
教育学者の高橋勝は、1970年代半ばに消費社会が到来したと説く。
日本は1964年に先進国入りしていたとは言え、未だ農村人口の比率が高く、社会資本の整備も充分とは言えなかった。
しかし、1970年代半ばに、ファストフード・コンビニエンスストアが目に見えて普及し、農村出身者が都市に流入すると共に、都市と農村の格差も縮小した。
結果として、農村においても、都市においても、地域共同体の解体を招いた。人間は、共同体から隔絶した個人として生きるしかなくなった。
地域だけではなく、家族も解体された。
核家族が一般的になり、子育てするにも、年長者の知恵を拝借することは、困難になっていった。
消費社会が到来する前は、家族の中で解決されていた問題も、行政機関やサービス業など、外部機関に依頼することが多くなった。
消費社会では、商品を購入する能力で、優劣が決まる。
少子化で、購買力の高まった子供は、今や子供扱いされておらず、一人前の消費者として扱われている。消費社会は、大人と子供の関係に、影響を及ぼしている。
以上、ウィキペディアより。
この資料に「教育学者の高橋勝は、1970年代半ばに消費社会が到来したと説く。」とある。
わたしが、大学を卒業する頃、寮のテレビでレジャーを強調するようなコマーシャルが、流されはじめた。
ついこの間まで、政治で世の中は騒然となっていたのに、世間の雰囲気がガラリと変わっていく気配にうろたえた記憶がある。
社会は、刹那的で、快楽主義にはしっていくような気配を感じた。
ところで、ウィキペディアには、こうも記されている。
1970年代になると、オートバイは低価格化とともに中・低所得者層へも普及し、とりわけ不良少年をはじめとした低所得者層の子息に浸透していくと暴行・恐喝事件を起こす傾向が強くなり、一般市民への暴力事件やグループ同士の抗争事件が社会問題として取り上げられるようになった。
以上、ウィキペディアより。
1970年は、わたしが21歳で大学に入学した年である。
わたしの20代は、若者が車を持ち始めたような記憶がある。
国産車の各メーカーが若者を意識した車を作り出していたような気がする。
わたしが帰郷すると、4輪の暴走族がやたら目立っていた。
わたしたちの高校の頃、自分が自家用車を持てるなんて、想像だにできなかった。
わたしが大学を卒業する頃、自家用車で大学に通学するのは珍しくなくなった。
暴走族が出てきたように、車を商用車や実用車ではなく、遊び道具にするような時代になった。
トヨタ カローラレビン、スプリンタートレノ、セリカ
日産 スカイライン、フェアレディZ
三菱 ギャランGTO
マツダ RXー7
いすゞ 117クーペ
高価な車もあったが、若者が乗れた車はこのような車種であったろう。
車に散財する勇気はなかったが、職場が移転して、自家用車を持つ必要があって、一番安い車を買った。
わたしの本音は、トヨタのセリカが乗りたかったのだが┄。
とある日、急で長い坂道をわたしの車が、喘いで登っていく途中、チューンナップしたサニーが、猛スピードで追い越し走り抜け、あっという間にわたしの視界から消えていったのを今でも覚えている。
わたしが20代の中頃、漫画のほうもそのような内容のがあった。
「サーキットの狼」(1975~1979年)、わたしはこの漫画で、ポルシェの名前を知った。
ところで、その後、低成長時代というのがあったが、バブル崩壊後の失われた10年に遭遇するまで、わたしたちは、時代は登り調子にあるかのような幻想に浸っていた。
(10年にはいっても、その夢から、意外と多くの同僚が覚めないことに、不思議でならなっかたが)
この幸せな時代に、車社会が発展したと思う。団塊の世代も大きな役割をはたしたと思う。
そう、多くの通りが、駐停車禁止になり、街が廃れ始めた。
グローバリズムの時代を経て、100年に一度の大不況。
もう時代は疲弊している。
一番、車に乗って楽しい世代が、少子化で絶対人数が減った。
そして、就職もできず、非正規社員として、経済的に苦しい時代になった。
「09年の自動車販売、500万台割り込む 1978年以来31年ぶり 」さもありなんである。
09年の自動車販売、500万台割り込む 1978年以来31年ぶり
自動車業界団体が5日まとめた2009年の新車販売台数(軽自動車を含む)は前年比9.3%減の460万9255台となり、1978年以来31年ぶりに500万台を下回った。
09年の登録車の新車販売台数は前年比9.1%減の292万1085台となり、1971年以来38年ぶりに300万台を下回った。(産経新聞)
[記事全文]
70年安保自動延長、沖縄祖国復帰が実現し、政治の季節が終わった
そして、時代は、急変していったように思えた。
ウィキペディアには、こういう記載があった。
教育学者の高橋勝は、1970年代半ばに消費社会が到来したと説く。
日本は1964年に先進国入りしていたとは言え、未だ農村人口の比率が高く、社会資本の整備も充分とは言えなかった。
しかし、1970年代半ばに、ファストフード・コンビニエンスストアが目に見えて普及し、農村出身者が都市に流入すると共に、都市と農村の格差も縮小した。
結果として、農村においても、都市においても、地域共同体の解体を招いた。人間は、共同体から隔絶した個人として生きるしかなくなった。
地域だけではなく、家族も解体された。
核家族が一般的になり、子育てするにも、年長者の知恵を拝借することは、困難になっていった。
消費社会が到来する前は、家族の中で解決されていた問題も、行政機関やサービス業など、外部機関に依頼することが多くなった。
消費社会では、商品を購入する能力で、優劣が決まる。
少子化で、購買力の高まった子供は、今や子供扱いされておらず、一人前の消費者として扱われている。消費社会は、大人と子供の関係に、影響を及ぼしている。
以上、ウィキペディアより。
この資料に「教育学者の高橋勝は、1970年代半ばに消費社会が到来したと説く。」とある。
わたしが、大学を卒業する頃、寮のテレビでレジャーを強調するようなコマーシャルが、流されはじめた。
ついこの間まで、政治で世の中は騒然となっていたのに、世間の雰囲気がガラリと変わっていく気配にうろたえた記憶がある。
社会は、刹那的で、快楽主義にはしっていくような気配を感じた。
ところで、ウィキペディアには、こうも記されている。
1970年代になると、オートバイは低価格化とともに中・低所得者層へも普及し、とりわけ不良少年をはじめとした低所得者層の子息に浸透していくと暴行・恐喝事件を起こす傾向が強くなり、一般市民への暴力事件やグループ同士の抗争事件が社会問題として取り上げられるようになった。
以上、ウィキペディアより。
1970年は、わたしが21歳で大学に入学した年である。
わたしの20代は、若者が車を持ち始めたような記憶がある。
国産車の各メーカーが若者を意識した車を作り出していたような気がする。
わたしが帰郷すると、4輪の暴走族がやたら目立っていた。
わたしたちの高校の頃、自分が自家用車を持てるなんて、想像だにできなかった。
わたしが大学を卒業する頃、自家用車で大学に通学するのは珍しくなくなった。
暴走族が出てきたように、車を商用車や実用車ではなく、遊び道具にするような時代になった。
トヨタ カローラレビン、スプリンタートレノ、セリカ
日産 スカイライン、フェアレディZ
三菱 ギャランGTO
マツダ RXー7
いすゞ 117クーペ
高価な車もあったが、若者が乗れた車はこのような車種であったろう。
車に散財する勇気はなかったが、職場が移転して、自家用車を持つ必要があって、一番安い車を買った。
わたしの本音は、トヨタのセリカが乗りたかったのだが┄。
とある日、急で長い坂道をわたしの車が、喘いで登っていく途中、チューンナップしたサニーが、猛スピードで追い越し走り抜け、あっという間にわたしの視界から消えていったのを今でも覚えている。
わたしが20代の中頃、漫画のほうもそのような内容のがあった。
「サーキットの狼」(1975~1979年)、わたしはこの漫画で、ポルシェの名前を知った。
ところで、その後、低成長時代というのがあったが、バブル崩壊後の失われた10年に遭遇するまで、わたしたちは、時代は登り調子にあるかのような幻想に浸っていた。
(10年にはいっても、その夢から、意外と多くの同僚が覚めないことに、不思議でならなっかたが)
この幸せな時代に、車社会が発展したと思う。団塊の世代も大きな役割をはたしたと思う。
そう、多くの通りが、駐停車禁止になり、街が廃れ始めた。
グローバリズムの時代を経て、100年に一度の大不況。
もう時代は疲弊している。
一番、車に乗って楽しい世代が、少子化で絶対人数が減った。
そして、就職もできず、非正規社員として、経済的に苦しい時代になった。
「09年の自動車販売、500万台割り込む 1978年以来31年ぶり 」さもありなんである。