老いの矜持 潔く美しく生きる
中野孝次 著
青春出版社
いくつか興味深い話があった。
26 諦念なしに幸福は得られぬ
【 個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなけれ
ばならないということを、だれも理解しない。】
(『ゲーテ格言集』新潮文庫)
およそ人類が生んだ最も多才な天才詩人といわれたゲーテ
にして、なおこの言葉がある。天才といえども諦念を学ぶこと
から出発したのだ。
世の中にはよく何にでも手を出し、それもこれもそこそこに
うまくやりとげてみせる人がいるが、そういう人間で一流に達
した人をわたしは見たことがない。
器用貧乏というのは、結局生活に何もやりとげられぬディレッ
タントのことだ。
一事に専念するとは、他のすべてを断念してこそ可能なので
ある。世界レベルのスキー選手になるためには、幼い時からスキ
ーにすべてを捧げた生き方をし、他は全部諦めて、その中で技と
体力を磨きつづけなければならない。マラソンだって、水泳だっ
て、野球だってそうだろう。
俳聖といわれる芭蕉もそうだった。『笈の小文』という文章の
中でこういうことを言っている。古文で読みにくいからわたしの
訳でいう。
-披が俳諧というのを好んでから、もうずいぶんになる。
そしてついにこれを生涯の仕事としようと決意するに至った。
が、それでもあるときは倦いて、こんなものを捨ててしまおうと
思ったこともあった。
またあるときは同業の人々に勝って名誉を得ようとも思ったことも
あり、あれやこれやの欲望や思いが胸の中にこもごも湧いてきて、
少しの間も心が安らかであったことはない。
ときには世間に出て立身出世しようと願ったことさえあった。が、
結局は俳諧が好きでそれを離れることができず、今日までついに
無能無才の身のままこの一筋につながって生きて来たのであった。
この最後のところが、
「つひに無能無芸にして只此一筋に繋る。」
という一行である。
わたしは中年になって芭蕉のこの言葉を知ったとき、そのきびし
さに鞭打たれるような思いがしたものであった。そして以来この
言葉は、わたしの気持がよそに浮かれ出ようとするとき、わたしを
元に戻す働きをした。
【しかし、あきらめにも、また、幸福の獲得において果たすべき
役割がある。その役割は努力が果たす役割に劣らず矢かすことの
できないものだ。】
(『ラッセル幸福論』岩波文庫)
すべては自分を受け入れることから始まるとわたしが言うのは、
すべてを与えられて生れて来た人間なぞ存在するわけがないから
である。
誰にも必ず欠乏がある。かつて古代中国の皇帝は、権力も富も、
およそ人間の望みうるすべてを所有していたが、その皇帝でも
なお死を免れることはできなかった。
秦の始皇帝は、脅迫と莫大な報酬をもって四方に不老不死の薬を
求めさせたが、その旅の途中に死んだ。
不老不死だけではない。才能、財産、名声、健康、収入、美貌、
その他何事にあれ、一人の人間に全部が与えられることはない。
そして人はいつか必ず自分に欠けているものに気づくものである。
だが、ないものはないのであって、どうあがいても得られない。
そのときどうするか?
与えられたままの自分を受け入れる必要が生じるのは、その
ときだ。
自分に与えられなかったものを、与えられないといって悔みつづ
けたのでは何事もできない。
与えられなかったものは断念せねばならぬ。
もっと金持ちの家に生れてくればよかったのに、と貧乏な家に
生れた子は必ず思う。
が、いくらそう思ってもどうにもならぬと悟ったとき、貧しい家
に生れたという事実を受け入れる。すべてはそこから始まるのだ。
貧しいなら貧乏から這い上ろう。美人に生れつかなかったのなら、
この醜い自分を生かして美しくしてみせよう。これが人間の意志
の働きであり、そう決意したところから自分の人生が始まるので
ある。
与えられたものだけに満足している人生は、自分の人生とは言え
ぬ。
そして、自分に欠如しているもの、与えられなかったものに気づ
くとき、人は一方で必ず自分だけに与えられたものを発見する。
学校のできなかった子は、代りにおそろしく手の仕事にたけて
いるかもしれない。
数学の才能のない子は、代りに絵を描くことや、文章を作ること
に抜群の才能を見せるかもしれない。
そういう、自分の好きなこと、自分に恵まれた能力を発見する
とき、他のすべてを断念してもこの道一筋に生きようという決意
が生まれ、自分の人生が始まるのだ。
6 自分を受け入れる
【人々は自分から脱け出し、人間から逃げたがる。ばかげた
ことだ。天使に身を変えようとして動物になる。高く舞い上が
るかわりにぶっ倒れる。(略)自分の存在を正しく享受すること
を知ることは、ほとんど神に近い絶対の完成である。】
(モンテーニュ 『エセー』岩波文庫)
世の中にはどうしても自分を受け入れられない人がいる。
自分をあるがままに認めることができないので、たえずぶつくさ
いう。
ーーどうして自分の脚はこんなに短いのだろう。なぜ自分は恰好
よい姿態を恵まれなかったのだろう。
ああ、こんな自分なんか、いやだ、いやだ。そんなふうに年中
自分に不平を言っている人間は案外に多いものだ。
そういう人は、なんとかして自分以外の者に変身したい願望を
抱く親から恵まれた黒髪を染めて外国人のような髪にしてみる。
背の低さを苦にして十センチもある足駄のような靴をはく。
ばかげたことだが、そういうちょっとした外見の変貌によって、
自分から脱だしたような錯覚に酔う。
こういう自己を受容できない人間は、どこまでいっても不満を
持ち、不平を言いつづけ、決して幸福になることができない。
そして自分の不幸の原因をつねに他人あるいは環境のせいにして、
責任が自分にあると認めない。こういう不平家はどうしようもない。
自分を受け入れるということが、すべての始まりだ。
親が生んでくれたあるがままの自分をありかたく受け入れ、それを
出発点として、自分というものを精一杯に生かすこと。
自分にない才能を羨むことなく、自分に与えられた才能を十全に
生かし、繁らせること。それが人間の責任だ。この責任を果たさ
ぬ人はついに自分の人生を生かすことができない。
わたしも、若い時分はなかなか自分をあるがままに全部受け
入れることができなかった。
自分はなぜこんな貧しい家に生れてきたんだろう、なぜもっと
恵まれた所に生れなかったんだろう、なぜこんな国に生れて
しまったのか、などと絶えず不平不満を抱き、ちがう自分を夢
みていた。
だが、そんなふうにしているかぎり結局わたしは何一つする
ことができなかったのである。
自分を受け入れられぬ者に本当の自信は与えられない。そして
自らを信じない者には、社会でこれと認められるような価値ある
行為は決して出来ない。
だんだんにそういう事情がわかってきて、初めてわたしは、いか
に才乏しく、能が低くとも、このあるがままの自分を受け入れよ
う、ここから自分の人生を導きだそう、と覚悟を定めたのだった。
そのことがしかし難しく、なかなか出来ないからこそ、モンテ
ーニュは『エセー』の最後で、
ー自分の存在を正しく享受することを知ることは、ほとんど
神に近い絶対の完成である。
と、最高級の言葉で讃えたのであろう。披はつづけてこう言って
いる。
「われわれは自分の境遇を享受することを知らないために、他人
の境遇を求め、自分の内部の状態を知らないために、われわれの
外へ出ようとする。
だが、竹馬に乗っても何にもならない。なぜなら、竹馬に乗って
も所詮は自分の足で歩かねばならないし、世界でもっとも高い
玉座に昇っても、やはり自分の尻の上に坐っているからである。
もっとも美しい生活とは、私の考えるところでは、普通の、人間
らしい模範に合った、秩序ある、しかし奇蹟も異常もない生活であ
る。」
これこそ人をして自分の人生を生きることへと促し、力づけて
くれる言葉だ。
自分自身になれ。これが昔から賢者や哲学者が生きる心得の第一
としてきたことだった。
自分から逃れだそうとばかりしている者は、よくよくこのことを
考えねばならぬ。
以上。
ここにあげてみた文章は、「ゲーテ」、「ラッセル」、
「モンテーニュ」、「芭蕉」の語ったことである。
歴史に残る彼らが、このような悩みを持っていたなんて、
不思議でならないが、興味深い。
それはそうと、年をとると、このようなことが、しみじみ
と分かるようになるのではと思った。
できれば、若いうちに、理解できれば、人生の寄り道も
少なくて済むはずだが、かといって、学校教育で教えるの
も苦しいものがある。
子どもたちの人生も、様々だ。下手にこの手の話をやり
出せば、子どもたちの心理的影響がどれほどのものに
なるか検討がつかない。
うまくいっている子どもは、順境すぎて、絶望してしま
う。
教師なんて、大方は、平々凡々の人生だ、この手の話を
すると、逆境にある子どもは、反発してしまう。
大事な話だが、下手をすると、一番聞いてほしい子ども
の人生に止めをさしてしまいかねない。
偉人の人生の知恵は、なかなか書いた人の意志にそぐ
わず伝わってほしい人に伝わらない。
でも、老いてなお、いまだ悩み続けている人にとって、第二
の人生如何にと、思わん人にとっては、何がしか示唆して
くれるものがあるのでは?
ところで、この本で、次のような箇所があって、なんとも
考えさせられてしまった。
30 幸福な生活
だれでもみんな、商売のため、職業のためだったら、大いに
努力する。ところが、ふつう自分の家に帰って幸せであるため
には何もしないのだ。
(アラン『幸福論』岩波文庫)
著者は、「アランのこの言葉は、どの国人よりも日本の男に
あてはまりそうだ。とくに今から10年以上前の、会社人間と
か、仕事人間と呼ばれる人種が大勢いたころの日本の勤め人
にぴったりだ!」
と言われたら、耳が痛くで、しようがない。
なんのことはない、自分のことでもあるし、自分の父親の
姿でもあるからだ。
全く、似通わぬ人生だったが、わたし自身が、結局、親父
に反発しながら、同じことを繰り返していたということ
だろう。
気づくのが、かなり遅すぎだのだが。
ここまで
とはいうものの、老いてはじめて、親の人生も考えられる
ようになったのは、悪くはない。
結局、今で言えば、両親とも、欠損家庭の一人っ子同然
だったから、自暴自棄になって、人生を放り出すことが
なかったのは、評価すべきではと。
このアランの言葉を知る前に、だいぶ前にビジネス本に
あったことで、表現は違うが似通った話に出会った。
それは、時間に関する話である。
時間には、二つある。
一つは、ビジネスの時間、二つめは、家庭の時間それは、
異質であり、使い分けなければならない。
詳しい言葉づかいは、忘れたが、大体このようなもの
だったと思う。
この文章に、接した時に、とても、ショックを覚えた。
ビジネスの時間は、効率優先、合理的、効果的、を
優先する時間で、家庭の時間は、それとは、真逆の
質を持つ時間だというのである。
わたしは、この本で言われるまで、時間というのを
このように考えたことがないので、びっくりした。
思えば、そのような切り換えがいかない家庭で、いろ
いろな不幸が起こるのだろう。
よく聞いたのだが、教師や警察官の家庭で、問題が
起こる。
そういう意味では、最近、はやりの「育メン」というの
は、多いに大事にされるべきかも知れない。
もっとも、このような家庭も、あと何十年も経って、
子どもが成人にしてみなければ、客観的な評価はでき
ないだろうとも思うのだが。
いずれにせよ、わたしたちの世代は、
「末は、博士か大臣か」「一家の大黒柱」とか、
唱歌「ふるさと」の
志を 果たして いつの日にか 帰らん
山はあおきふるさと 水は清き ふるさと
唱歌「仰げば尊し」の
互いに睦し 日ごろの恩
別るる後にも、やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
で、育った。
なにしろ、
男は閾を跨げば七人の敵あり(おとこはしきいを
またげばしちにんのてきあり・かたきあり)で、
育ったのだ。
心の底のどこかで、このような価値観が巣くった
まま、高度経済成長時代、内需優先から外需優先の
時代、そしてバブル時代、失われた10年を経て
きたのだ。
すべてが、アナログの時代から、デジタルの時代に
質的に切り替わっていった。
そう、ある意味で、「シュトルム・ウント・ドランク」
(疾風怒濤時代)だったと思う。
だから、アランに揶揄されるような、輩が大勢排出して
しまったのではと、弁解じみたことを考える。
最近、年金で高齢者の取りすぎと、ニュースになって、
肩身の狭い思いをしているが、このような歪な努力と
人生の末に、勝ち取ったものであることは、忘れては
困ると、自己弁護してみたい。
第一の人生は、終了した。大きな代償も払って、たどり
着いたような気がする。
第二の人生で、それを取り返してみたいものだ。