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リタイアーのよもやま話

米、邦人留学生増加へ対策強化 同盟弱体化に危機感

2011-01-04 23:33:03 | 経済

ヤフーのニュースである。

 


米、邦人留学生増加へ対策強化 同盟弱体化に危機感
 

日本から米国への留学生が減少していることに対し、米政府が
危機感を抱いている。

内向き傾向にある日本の若者の「米国離れ」を助長、長期的に
日米関係の弱体化を招きかねないからだ。

在日米大使館も日本人留学生の増加を目指し、日本政府と協力
しながら対策に乗り出した。

米国際教育協会(IIE)によると、2009年秋に米国の大学に
留学した外国人のうち、中国出身者は前年と比べて約30%増加し、
約12万7600人でトップ。2位はインド、3位は韓国だった。

これに対し、日本からの留学生は前年比15%減り、約2万4800
人で6位。

01年当時は約4万7千人が米国で学んでいたが、バブル経済崩壊後
の景気低迷や若者の内向き志向などから減少傾向が続いている。


以上。


このニュースをみて、アメリカがこのような視点で、留学という
ものを見ているんだと、びっくりした。

普通このような視点で、米国留学というものを意識したことがない。

今までは、頭脳の流出ということで、日本の側からしか、この留学
問題を考えることがなかったからだ。

国家レベルで、騒ぎ立てるので、びっくりしたが、よくよく
考えてみれば、それほど意外なことではないということが
思いあたる。

小泉内閣の竹中平蔵が、アメリカよりの政策を画策した?ような
ことがあったやに思うのだが、アメリカからすると、アメリカの
都合のいい政治をしてもらうために、傀儡的動きをしてくれる
インテリゲンチャの確保は重要なことであろう。

安保条約の問題だけではなく、このようなところに、アメリカに
とって都合の良い、アメリカと日本の戦略的互恵関係というのが
うかがえるということなのか?

国家間のもたれない。こういうことなのか?

 


野望を持つなら覚悟をきめろ

2011-01-04 23:15:08 | 読書

ワンピースに」に学ぶ仕事術

平居謙

データハウス

にあった話である。

 


野望を持つなら覚悟をきめろ


ルフィの夢

少年ルフィには素朴な夢があった。

その夢が結局この『ONE PIECE』という物語
そのものを支えることになることは、多くの読者が既に
知っているところだ。

だがその夢が物語初端からすでに、小さな港町の平和と
憧れのシャンクスの左腕を奪い、累々と並ぶ山賊たちの
遺骸を生み出していることもまた意識すべきである。

さらにはゾロ・ナミ・ウソップ・チョッパー・ロビンなど
後に加わってくる多くの仲間たちの命運を左右してゆく。

もちろん彼らはルフィと一緒に旅することで得たものは限り
なく大きいから後悔はしていないだろうが別の人生もあった
はずだ。

夢や野望は全てを生み出す。と同時に周囲から多くのものを
奪う。

それらの所有者が意識しなければならないのはむしろこの
ことだ。

「海賊王におれはなる」と初めて言った時、恐らく周囲を
これほどにまで巻き込むことになるとは思ってもいなかった
はずだ。

だが結果は大いに違っている。

会社や学校で大胆な計画やプロジェクトを発表した時、魅力
的だと感じながらも二の足を踏むのは、周囲の人たちが自分達が
「巻き込まれる」ことになるのを感じるからだ。

もちろんそれを恐れていては何も出来ない。

理論で説得するか無言の存在感で納得を与えられる者だけが、
踏み出す資格を有する。

『ONE PIECE』のルフィはもちろん言葉なんかに
頼らない。

彼のやり方は後者に当たる。

存在そのもので周囲を巻き込んでゆく。

あなたはどちらのタイプだろうか。

いずれにしても、夢や野望を持つならば覚悟を決めなければ
ならない。

それは他人の夢を奪うことでもあるからだ。


以上。


この中で


「夢や野望は全てを生み出す。と同時に周囲から多くのものを
奪う。」


「いずれにしても、夢や野望を持つならば覚悟を決めなければ
ならない。

それは他人の夢を奪うことでもあるからだ。」

こう、語っている。

まさにその通りである。

だから、夢や野望への道を、途中で降りる人が出てくるのでは
なかろうか。

そう、夢や野望を抱くだけでは、それを成就することはできな
い。


自分の人生をふり返るようになってみて、これらの現実を受け
入れる覚悟は、とうてい持ちうる器ではないということを思い知る
ことになった。

それに、これらの幾多の犠牲を払うほどに、自分の夢や野心を
信ずるには及ばなかったのだ。

いや、これらのことについて、周囲の者も酔わすほどの自信も
それだけの結果を示すだけの実力も残念ながら、持ち合わ
せていなかったようだ。

自分の人生前編の終了間際、わたしの諦めた夢を果たすことが
できた後輩たちが、次々と現れるようになった時に、もしかして、
なんて、思ったりしないこともなくはないが、残念ながらは、
わたしには、いくら思い返してみても、夢や野望の実現に伴う
多くの犠牲を負う勇気も精神的強さも、そして、能力も持ち
合わせていなかったと再確認するという結論にしか達しない
のだ。

自分の夢や野心に、それだけの正当性があるのかという疑問が
いつもついてまわる。

結局、わたし自身の夢や野望も中学生当時のあわい思い以上の
ものとなることは、なかったようだと、自分を慰めるしか
ない。

自分の器もその程度のものだったと、納得するしかないのではと、
思ったりするのである。

結局、自分の夢や野心をどれだけ信ずることができるかという
ことも大事なことなんだろうし、それ以上にその夢や野心が
実現するためには、それ以外の何かが多く必要とされる
ということがあるという事実を鑑みたみた場合、やはり、                    

実現されるべき夢や野心も、人を選ぶということに
つきるような気がする。