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リタイアーのよもやま話

過去にしばられない

2011-01-08 11:02:07 | 若い時に読みたかった本

カンブリア宮殿(特別版)村上龍×孫正義

テレビ東京報道局編

日経プレミアシリーズ


という本を読んだのだが、あちらこちらにいい話しがあって、
喜んでいる。


この本を、読み返していたことろ、「はじめに」にも、
いい話しがあった。


野心を持つということは、どういうことか。彼なりの
定義である。

 


以下、その箇所である。


はじめに


収録の前に、ソフトバンクの株主を対象とした孫正義氏の
プレゼンテーションを聞きに行った。

2時間を優に超えるもので、未来へのビジョンをわかりやすく、
ときにユーモアを交えて語り続けるエネルギーに感嘆した。

だが、最後の30分、在日コリアンとしての生い立ちが語られ
はじめたとき、わたしはその話しに釘づけになった。

在日コリアンとして差別を受けたから、それを見返すという
単純なエピソードではなかった。

在日一世として生きた祖母の帰郷に同行した孫さんは、「幸福」
という概念に触れたのだ。

祖母が、日本から持ってきた端切れで作った服に喜ぶ韓国の親戚
たちを見て、孫さんは「人に笑顔と喜びを与える、これが幸福だ」
と思い、それを情報革命で実現しようと決意した。

わたしは、オーソン・ウェルズの映画『市民ケーン』を思い出した。

新聞王ケーンは、「バラの蕾」という謎の言葉を残して生涯を
終える。

映画はその言葉の謎を追っていき、最後に、養子に出される前の
ケーンが実家で遊んでいた子供用の橇(そり)「バラの蕾」と描
かれていたことを示す。

大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ時間を取り戻す
ことはできなかった。

単純に市民ケーンと孫正義がわたしの中でオーバーラップしたと
いうことではない。

子どもは誰でも、成長の過程で多くのものを失い、手放す。

母親との一体感、幼いときに描いていたさまざまな可能性、性格の
一部も手放すこともあるので、優れた役者はその頃のキャラクター
をカウンセリングで再獲得したりする。

作家としてのわたしは、小さいころに夢見ていたことを、小説と
いう虚構の中で再構築しようと試みる。

孫正義は、日本を代表する経営者となって、何かを取り戻そうと
しているのだろうかと考えたのだった。


だが、収録中、そういった物語が孫氏に限っては当てはまらない
ことに気づいた。

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

その強烈なエネルギーを支えているのは、現在をサバイバルする
ことと、未来への明確なビジョンだけで、過去は関係ない。

未来へのビジョンとは、あたかも本当に見てきたかのように未来に
ついて語ることだと、孫さんは明言した。

これまでこれほど明確にビジョンについて定義した人をわたしは
知らない。

小学校の卒業時の記念文集に「前進あるのみ」と記した少年は、
世界的経営者になった今でも、その言葉を忠実に守っている。  

以上。


この話しを読んで、松下幸之助の信条を思いだした。

また、マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルのスティーブ
・ジョブズが、コンピュータにかけた若き日の情熱を思い出した。


先程の文章で、


子どもは誰でも、成長の過程で多くのものを失い、手放す。

人は、過去に失ったものを取り戻そうとしがちである。


しかし、実際は「大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ
時間を取り戻すことはできなかった。」


というのがあったのだが、

たいていの人間は、孫氏と違って、何らかの形で、過去にしばれ
ていると思う。

そして、それを取り戻そうとしているのは、まだましなほうで、
過去にとらわれるあまりに、いつまでも前に一歩も踏み出せない
ままにいることも多々あることだと思われるのだ。

また、時折、過去に失ったものを取り戻そうとするあまりに、
大なり小なり、「大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ
時間を取り戻すことはできなかった。」の通りになりがちだとも
思う。

時によって、拘りから生ずるエスカレートした信条は、自らを
崩壊させてしまうこともあるのではと思うのだが、どうであろう。

 

先程の文章では、こういうのもあった。

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

その強烈なエネルギーを支えているのは、現在をサバイバルする
ことと、未来への明確なビジョンだけで、過去は関係ない。

未来へのビジョンとは、あたかも本当に見てきたかのように未来に
ついて語ることだと、孫さんは明言した。

ということだが、どうしたら、このような境地に達することが
できるのか、羨ましいことだ。

このような文章も、若い日々に読まれるのが、望まれることだ。

 

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

という生き方が可能だということを、知ることは大事なこと
かもしれない。