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リタイアーのよもやま話

人間万事塞翁

2011-01-10 21:32:35 | 人生

山中伸弥京都大学iPS細胞研究所長について、テレビで
取り上げられていた。

その中で、彼のエピソードが語られて、いろいろと思う
ことがあった。

テレビで、ゲストの先輩も語っていたが、「人間万事塞翁
が馬 」の諺についてである。

彼は、高校時代に柔道をやっていて、よく骨折をしたようだ。

この経験から、彼は、整形医を志すようになり、医大に進み
医者になったようだ。

話によると、彼は、他の医者が20分でできる手術を2時間かか
ってしまうほど、不器用だったらしい。

もと同僚の医師も、語っている場面があったから本当の話で
ある。


ということで、整形医に限界を感じ、研究者の道に進むように
なったようである。

ウィキペディアによると、こういうことが記載されている。

神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。
その時、重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身
の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立
てを研究するために研究者を志すようになる。

ということらしいが、テレビでの様子では、不器用で、自ら
「邪魔中」というあだ名がついていたと語っていたので、
不器用さが、転職の大きな理由だろう。


実は、テレビを見終わって、しばらくして、思いだしたことがあった。

それは、外科医は手先が器用でないといけない。という話である。
これも、テレビで見たような気がするが。

そこで、思ったのだ。

実は、彼が不器用なのは、高校時代柔道をやっていたせいでは
ないか。ということである。

つまり、格闘技をしていたことで、手指が固くなってしまったのである。

昔、スポーツ系の高校生が、リコーダーで、指がぎこちなくて、難渋
していたのを覚えているので、充分可能性があると思っている。

もし、彼が、ピアノを弾いていたり、木管楽器か弦楽器をやっていたり
すれば、手指は、しなやかで、微妙で繊細な動きをしていただろう。

と考えたのである。

もし、そうであったなら、彼は、臨床医として、医療の現場で仕事を
していたと思うのである。

(もっとも、医者を目指す機会があったか、これが問題だが)


結局、ある意味で、彼が外科医を目指したのは、進路選択を誤ったと
いうことである。

どんなに、頭が良くても、情熱があっても、超えられない壁が
あるということだろう。肉体的に。外科医は。

外科医の現場を分かる高校の進路指導の先生がいたり、山中氏の
身近に、外科医の先生がいたりして、相談できていたりすれば、
そのような進路選択はしなかったのではないか。

しかし、現実の結果として、最終的には、この進路選択のミスが、
研究者志望への進路変更を通して、世界的な快挙につながったの
だから、人生は面白いというしかない。

骨折ばかりする柔道部の高校生でなく、屈強な体で、柔道界で
頭角を現すようになっていたりすれば。なんて、思うと、なんとも
不思議な人生である。


「人間万事塞翁が馬 」という話が、あんなに有名な方の人生の
ことでもあったなんて┄┄。

テレビを見たあと、いろいろと思われてならなかった。

 

 


 


五分五分ではダメ、九割ではもう遅い

2011-01-10 11:08:20 | 若い時に読みたかった本

カンブリア宮殿(特別版)村上龍×孫正義

テレビ東京報道局編

日経プレミアシリーズ

の本の中の話である。


以下抜粋。


五分五分ではダメ、九割ではもう遅い


村上 新しい事業を始める時とか、おっしゃったような
  崖っぷちに追い込まれた時というのは、どのくらい
  の勝算があるものですか。

孫  僕が目安としているのは、七という数字です。

      新規事業に参入するという時には、七割以上勝つ
    確率がないと参入しません。

   五分五分だったら、僕は絶対にやらないです。

      七割以上勝つ確率が読めたな、自分の中できちっと
    計算できたな、ということで参入します。

   ではそれが九割ならいいのかというと、そうではない。

    七より九の方がいいとは思っていません。

   九割になるまで待つのは、手遅れになる場合が多い
    からです。

      勝つ確率が七割ぐらいまでの間にいろいろな準備が
   できて固まったら、もう参入しないと、世界中の戦う人
   たちがどんどん来てしまうわけです。

小池 遅いんですね、それでは。


新規事業は、七割以上勝つ確率がないと参入しない。

五分五分だったら、絶対にやらない。

九割になるまで待つと、手遅れになる。

 

孫  どちらかというと目本の大企業は九割まで待つ場合が多い
  んですよ。

   それでいつも後手、後手に回っている。

   ですから、九の方が七よりいいのではないということを
  理解すべきだと思います。

   また、僕の中では三ぐらいの失敗の確率だったら挽回できる
  というのがあります。

   残りのグループの全体によって、トカゲの尻尾が切れても、
  三割ぐらいならまた生えてくる。

   ただし五割ぐらいになると、はらわたまで壊してしまって、
  これはもう倒れるということですね。 

   確率論で、僕は七割を一つの目安にしています。

村上 以前、出ていただいたユニクロの柳井さんには、「一勝九敗」
  という有名な言葉があるのですが、その時に年表を見ながら
  「ここの時点と、ここの時点では絶対、負けられなかったで 
  しょう?」と聞いたら、「いや、それは、そうです」とおっしゃ
  っていました。

  孫さんの場合はほとんど負けられないものばかりですね。

孫  そうですね。


以上、抜粋。


こういう話は、けっこう聞く話である。

孫氏も、やはり、同様の考え方をもたれている。

わたしたちは、学校の授業では、常に、できる見込みの
あることを前提として、取りかかるようどこかで、教えら
れている。

高校入試でも、大学入試でも、合格する可能性の高いことが
前提で、不合格になる可能性のある進路選択は、通常しない。

そこで、わたしたちは、そこそこの目標で、日常折り合って
生きる癖を身につけてしまう。

ところで、学校の勉強なるもの、すべて、答えのある問題に
取り組んでいる。

わたしたちは、100%答えがあるものを学習してきている。

学習は学期単位で学習するし、長くても、1年単位のサイクルで
学習している。

中学も高校も3年で完結する。大学だって4年では完結する。

学校では、答えのない問題に寄り道する習慣はない。


ところが、現実の社会で、事をなし遂げることは、自ら
オリジナルの課題を発見し、答えのない課題に取り組み
解決するということである。

課題によっては、10年もかかるし、20年もかかる。
場合によっては、一生の仕事となる。

現状維持は、現実の社会では、後退であり、退歩であり、
そして、没落することであるとされる。

リスクを負わないことが、最大のリスクであるとされて
いる。

わたしたちが、学校教育で、善とされていたことが、
現実の社会生活では、リスクとなることであり、この
ことからの飛躍を人生のどこかで、行わなければ
ならないが、これが、実に容易でない。

一番体力のある時に、非常時の事態に備えて、準備
せよなんていう内容の諺があったが、大体全盛期の
時なんて、浮かれた生活にうつつを抜かし、余力
がなくなってから、あわてだす。

惜福の工夫をし、ビジネスモデルが激変する事態
に備えて、次ぎのビジネスモデルへのチャレンジ
の準備なんて、大概の人間にはおよびもつかない
状態だ。

現実の社会で、生き残るって、なんて厳しいことなん
だろう!