大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

倉敷・岡山への旅

2024年04月10日 | 史跡
4月8日、ツアーで倉敷・岡山へ。

曇天の中、近畿自動車道・中国道・山陽道を進むバスの車窓から満開の桜を望みながら倉敷を目指します。

倉敷アイビースクエアで早めの昼食。ツタが絡まる赤レンガ造りの外観は大変趣がありました。

アイビースクエアは、明治時代の倉敷紡績所(現クラボウ)発祥工場の外観や立木を可能な限り保存し、再利用して生まれた、ホテル・文化施設をあわせもつ複合観光施設。2007年には、旧倉敷紡績所が日本の産業の近代化に大きく貢献したとして、創業時の紡績工場の建物群が、国の「近代化産業遺産」に認定されました。

食後、隣接する倉敷美観地区を散策。

柳の新芽と桜が同時に見ることができ、堀の白鳥も喜んでいるようです。

バスガイドさんの案内で阿智神社が鶴形山の上にあり、眺望が良いとのことでしたので行ってみました。

石段約200段、結構急な階段でしたが何とかクリアーし参拝後、満開の桜越しに倉敷市内が一望できました。

バスの車窓から、聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つ備中国分寺の五重塔(岡山県唯一の五重塔・江戸中期の再建)や桃の花を観賞。

桃太郎のお話のもととも云われる温羅退治のお話や鳴釜神事で名高い三備一宮吉備津神社へ。

本殿(国宝)の大きさは、桁行き約14.6m、梁間約17.7m、棟高約12m、建坪約255m²の大建築であり、京都の八坂神社につぐ大きさがあり、また出雲大社の約2倍以上の広さがある。

本殿裏の長い回廊の途中の御竈殿にもお参り。
鳴釜神事は、「世の中に事あれば釜の前に参り給えば幸あれば裕に鳴り、禍あれば荒らかに鳴ろう」と言い伝えられていて、現在でも希望者には占って頂けるそうです。

最後に、後楽園から岡山城へ。

後楽園は、江戸時代を代表する大名庭園(回遊式庭園)の一つです。岡山藩主 池田 綱政が家臣の津田永忠に命じて、1687年に着工、1700年に一応の完成をみました。その後も藩主の好みで手が加えられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられています。

今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘がありました。その石山にあった城を手に入れて本拠地とし、岡山の地を戦国の表舞台に立たせたのは宇喜多直家でした。その子の秀家は、岡山の丘に本丸を定め、今に残る岡山城を築きました(1597年天守完成という)。

今回の旅は、雨に遇うことは少なく満開の桜にも出会えたうえ、楽しくいろいろな歴史を感じることができました。

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