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大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

旧大乗院庭園・ならまち

2019年12月06日 | 高齢者大学
12月4日、高大歴考仲間の忘年会で奈良へ。
近鉄奈良駅前集合10時、参加者9名いつも通り定刻前に出発。好天気でもあり旧大乗院庭園まで歩くことに。
外国からの観光客たちや角きりで頭の寂しくなった鹿たちで賑わう奈良公園内を抜け、のんびりと歩きます。

旧大乗院庭園
寛治元年(1087年)
大乗院創建。平安時代から江戸時代に栄えた(興福寺の)門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出。)

治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後、奈良県庁の位置から現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続し、現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっている。

室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥父子によって改造。
将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられてきた。
明治時代、大乗院門跡は松園家と改称し男爵に叙せられるが明治10年大乗院を売却。その後敷地は飛鳥小学校や奈良ホテルのテニスコートなどになった。

1958年(昭和33年)国の名勝に指定。
1994年からは庭園全体の発掘調査を行い、江戸時代末期に画かれた『大乗院庭園四季真景図』をもとに復元。平城遷都1300年記念事業に合わせて一般公開。

殆ど来園者の無い庭園の真ん中にある東大池の周囲を散策。朱色の反り橋のかかる池を渡り、水面で鴨たちの日向ぼっこを眺め紅葉も楽しめました。
隣接の「名勝旧大乗院庭園文化館」で、かつての大乗院を復元した模型や、関係資料の展示の歴史的文化遺産を見学して昼食。

昼食後、ならまちをのんびりと散策、道祖神社にもお参りし猿沢の池を経て近鉄奈良駅へ。

駅前でティータイム後、帰宅。
このメンバーで今年も楽しい時が過ごせました、来年もどうぞよろしく。
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北陸紀行(その4)

2019年09月09日 | 高齢者大学
天候に恵まれた楽しかった北陸の旅も終わり、普段の生活に戻っています。
旅行中出会った珍しいものについても記録しておきます。

金沢市内の長町武家屋敷跡の入り口で屋敷の塀についても説明板がありました。
それによりますと、工法が版築であるとのことでした。版築は古墳築造時の工法であることを以前学んだことがあり、さぞ丈夫であろうと思いながら見学して回りました。

版築
土を建材に用い強く突き固める方法で、堅固な土壁や建築の基礎部分を徐々に高く構築する工法。版築自体は、ほぼ土や石(礫)と少量の石灰や稲藁等の凝固材の混合物でできている。

版築は非常に頑丈で、城壁や墳墓などの大規模な建造物をはじめ、道路や家屋などにも用いられてきた。
中国では古代における都城・長城など大規模な工事での使用例も多いが、日本では主に家屋の壁や城郭の土塁などの建設に用いることが多い。

また、長町武家屋敷跡散策時、珍しい木の実が落ちていました、踏んでみましたが潰れません。
ムクロジの実でした。

ムクロジ
ムクロジ科。アジアの熱帯から亜熱帯域に分布し、日本では新潟・茨城以西で見られる高さ15m以上になる落葉高木。雌雄同株。
秋には黄葉し、11月頃に約2cmの球形の実が黄色く熟する。
果皮はサポニンを含み、薬用・石けんとしても用いられ、中の黒い実は羽根つきの羽根のおもりや数珠に使用される。

漢字で無患子と書くことから、子が患わ無いという願いが込められ、羽子板は厄をはね返すという事、また、景気を跳ね上げると言う意味で、江戸時代には商売繁盛のお札代わりにも贈られていたという縁起物だったようです。

武家屋敷の東西(鞍月用水と大野庄用水)には用水路が設けられ、きれいな流れが昔と変わらぬ情緒と風情を醸し出しています。

鞍月用水・大野庄用水
金沢市内には犀川と浅野川を水源とする55本の用水がある。市内中心部を流れる鞍月用水・大野庄用水は江戸時代より存在し、港からの物資運搬、防火、城下町防御、潅漑などに使われてきた。

金沢の町めぐりでは、「北鉄バス1日フリー乗車券」のお世話になりました。1回の乗車200円ですが、この切符は500円で何回でも乗車可能です。
私達は合計5回乗りましたので随分経済的でした。



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北陸紀行(その3)

2019年09月07日 | 高齢者大学
9月4日、私はよく寝ていましたので気がつきませんでしたが昨夜半も大雨であったとのM氏の情報。
昨朝同様朝食を美味しく頂いた後、8時に幹事の方に手配頂いたジャンボタクシーに8人が乗車、山越えをして福井県立恐竜博物館へ向かいます。

近づいてきますと銀色の輝く球体が見えはじめ、いかにも恐竜の卵に見えます。
予定より早く9時過ぎには到着。9時開館ですが夏休み明けの平日にもかかわらず駐車場には多くの乗用車。
私達は年齢証明書を提示、全員無料で入館。コインロッカーに荷物を預け、集合11時まで思い思いに見学開始。
エスカレーターで1階(入り口は3階)へ下ります。

1階は、地球の科学(種々の化石、地球を構成する岩石、鉱物や隕石等)・恐竜の世界(40体以上の恐竜骨格が展示)をテーマに展示されています。
特に目を引くのが福井県勝山のこの地で発掘された5体の恐竜たちの骨や歯にもとづく恐竜の復元。

発掘された5体は、・フクイベナートル(同2.4m・写真上左)・コシサウルス(幼体)(写真上右)・フクイティタン(全長10m)・フクイサウルス(同5m・写真下左)・フクイラプトル(同4.2m)でこの地にちなんだ名前が付けられています。

他にティラノサウルス(写真下)の全身骨格や復元像やフクイラプトルの復元像(・写真上右)が展示されています。何れも首が動き大迫力です。

福井県立恐竜博物館
長径84m、短径55m、広さ4500平方m、天井の高さ約37mのドーム型の巨大な無柱空間であり、カナダ・中国の恐竜博物館と並び世界三大恐竜博物館の一つ。
博物館に程近い勝山市北谷町の手取層群北谷層からは、恐竜のほか、ワニ、カメ、魚類、淡水生貝類、陸生植物などの化石が産出している。

恐竜に関する資料を中心とした地球史を学習できる国内最大級の博物館です。銀色に光るドームの内部にある展示室は、「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」の3ゾーンで構成している。
44体もの恐竜全身骨格をはじめ、大型復元ジオラマや映像など子供から大人まで楽しんで学習できる。
また、発掘現場は恐竜の森として発掘体験や見学ができ、発掘された恐竜の化石標本と共に国の天然記念物に指定されている。

一度は来たかった恐竜博物館、素晴らしい展示品特に恐竜の復元骨格の大きさと地球上でこの生き物が闊歩していたことが実感できました。
先日のNHKTVチコちゃんで、「恐竜はどうなったか?」「絶滅した」との回答に「ボーッと生きてんじゃない」「正解は現在も生きている、それは鳥である」。その事を係員に質問し正しいことが確認できました。
(写真上・鳥の進化、右は始祖鳥)

館内のレストランで昼食後、バスとえちぜん鉄道で福井駅へ。
福井駅前には、実物大の恐竜が3体いて観光客を送迎していました。
(写真上・フクイサウルス)

14時42分発のサンダーバードで大阪へ、定刻16時37分着。
途中の琵琶湖横では豪雨に遭い、今回の旅行行動中雨に遭わなかった事の幸いを喜び、幹事さんのご苦労のお蔭で無事帰阪できたことに感謝です。
本当にご苦労様でした、有難うございました。
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北陸紀行(その2)

2019年09月06日 | 高齢者大学
9月3日朝、夜中の大雨が嘘のような上天気。
7時からの朝食、色々なオカズ(野菜・魚中心)を取りお腹一杯。

本日は金沢へ。訪問予定地は、ひがし茶屋街⇒近江町市場(昼食)⇒武家屋敷跡⇒21世紀美術館。

送迎バスで加賀温泉駅へ、9時19分発金沢行きで終点10時2分着。
バスの1日券購入、ひがし茶屋街へ。昔の面影の残る街並みを散策。

ひがし茶屋街
重要伝統的建造物群保存地区に指定。
南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。

文政3年(1820年)加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形な町割は改められ、整形な街区が形成された。

格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめ、外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みとして人気を博している。(写真上・金箔を貼った蔵とその内部)
作家・五木寛之作品「朱鷺の墓」の舞台としても有名。
主人公の染乃(芸妓)はひがし花街のお茶屋の養女。

ゆっくりと茶屋街の雰囲気や買い物を楽しんだ後、近江町市場へ。
私は、泉鏡花記念館へ立ち寄りましたが改装中で休館でした。

近江町市場
金沢の食文化を支える市民の台所として親しまれている近江町市場。
狭い小路には約180の店が並び、新鮮な海の幸や地元産の野菜や果物などが豊富に揃っていて、常にたくさんの観光客で賑わっています。

名前の由来は近江商人が作ったことによる。
戦火を免れた趣きある建物も老朽化が進み、2007年の市街地再開発事業により2009年に近江町いちば館が開業し73店舗が入居している。

私達も観光客等で賑わう市場を散策後、いちば館内で新鮮な魚料理を地元酒と共に頂きました。

次は、長町武家屋敷跡界隈へ。

長町武家屋敷跡
加賀藩士・中級武士たちの豪壮な武家屋敷跡や昔ながらの土塀や石畳の小路が残る街並みの中では、今も市民生活が営まれています。伝統環境保存区域および景観地区に指定されていて、今でも趣のある景観が維持されている。

前田家の重臣である長氏の屋敷があったことが長町の由来である。
長町武家屋敷跡では冬になると雪から土塀を守るため「コモかけ」が行われます。
(写真上・大屋家は登録有形文化財)

最後は、ユニークな建物として有名な21世紀美術館へ。

21世紀美術館
2004年に開館。
現代美術を収蔵した金沢市立の公立美術館。愛称は、まるびぃ(由来は丸い美術館)であるが、一般的には、21美(にじゅういちび)と呼ばれ市民から慕われ、金沢美術工芸大学の卒業制作展が毎年ここで行われている。

設計者のSANAA(日本の建築家ユニット)は、この建物等によりヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展の最高賞である金獅子賞を受賞。

予想をはるかに上回る天候に恵まれた中での観光でしたが、皆さん順調に予定をこなし金沢駅へ。

金沢駅
平成17年3月20日に北陸新幹線の金沢延伸を見越した駅周辺整備事業の進捗によって、東口正面には巨大な総ガラス製ドーム「もてなしドーム」と木製の「鼓門」(写真上・門柱が鼓の形)が完成した。
平成13年、JR金沢駅・北鉄金沢駅ともに第3回中部の駅百選に選定された。平成23年には、アメリカ・Travel + Leisure(ウェブ版)の「世界で最も美しい駅」の一つに選定された。

いしかわ鉄道が、土地を除く在来線駅の施設を補助金により所有権を取得。ただし、管理・運営は引き続きJR西日本が行っている。

15時24分発の列車で加賀温泉駅へ、送迎バスでホテルへ。
すぐに温泉で本日の疲れを癒し夕食会場へ。
ビール、地酒と共に美味しく頂き、幹事部屋へ。昨晩の続きで喧々諤々、ビールも飲み干し早めの解散。

私は温泉に入浴後就寝、金沢市内の移動は極力バス移動でしたが、歩数計は12868歩青空も覗く良い天候に恵まれた中での観光、疲れもあったのでしょうすぐに眠れました。
明日の福井恐竜博物館が楽しみです。
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北陸紀行(その1)

2019年09月05日 | 高齢者大学
高大歴考同窓会での催しで北陸方面へ、9月2日から2泊旅行へ。
11時40分大阪駅へ各自弁当持参で8名が集合。
12時12分発のサンダーバードで加賀温泉駅まで約2時間の列車の旅で楽しい集いの幕が開きます。

席に着き早速昼食、私はいつもの通り御堂筋弁当の数々のオカズを肴にビールと日本酒を頂きます。
御堂筋弁当には、単身赴任時帰省の際いつもお世話になった事を思い出しながら美味しく頂きました。

加賀温泉駅からはホテルの送迎バスで山中温泉へ。
夕食までの間、漆塗りの柱や格子風の壁を持つ山中座(写真上左)や芭蕉も絶賛した1300年の伝統を持つ名湯で東の横綱に選出された山中温泉の天平造りの共同浴場菊の湯(男女別)とからくり時計・足湯を見学。
T氏は足湯を体験、私は近くの行基開山と伝わる医王寺(階段120段・写真下)へ、山門をくぐりますと三味線の音、どうやら山中節のようでした。

山中温泉
今から1300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。
(写真下・足湯と飲泉)

長い時を経た元禄の頃、俳聖・松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って日本各地を旅した奥の細道の途中、元禄2年(1689年)7月27日に山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。
9日間も山中に逗留した芭蕉は、薬師堂を詣で、温泉につかり、風光明媚な景色を心から楽しんだと言われています。以来300年余の時が流れた今もなお、ここ山中の地にはこんこんと湧く出湯と豊かな自然、日本の美と心が受け継がれているのです。
(写真下菊の湯男湯と女湯)

「古九谷」は17世紀以降に焼かれた色絵磁器です。その発祥はおよそ300年前、大聖寺初代藩主前田利治が家臣の後藤才次郎と田村権左衛門に山中温泉上流の九谷村に窯を築かせたことに始まるとされ、今なお世界的に高く評価される名陶の数々を生みだしました。
奥山中に古九谷窯跡があり、現在も発掘作業が行われています。

ホテルに戻ってまず温泉、大聖寺川に面する露天風呂は快適でした。
夕食は、バイキングで各自思い思いの料理をお皿にとります。飲酒組はビールで乾杯、その後は思い思いのアルコール私は地元の冷酒を頂きました。

食後はいつもの如く幹事部屋での歓談。
麦酒を飲みながら、飲まない方もいつものようにお付き合い頂きワイワイガヤガヤ。
早めに就寝される方もあり、また明晩もありますので早めにお開き。

私はもう一度温泉に浸かり、明日の金沢への旅を夢見てバタンキュー。




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