大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第1回大阪シティーウオーク2019 

2019年11月01日 | 大阪シティーウオーク
大阪シティーウオーク2019・ショートコースに参加。
長居公園第4ゲート前に集合。
コースは、長居公園⇒今川緑道⇒桃ヶ池公園⇒万代池公園⇒長池公園⇒長居公園の約8キロ。

9時30分スタート式・ゲストの森脇健二氏がストレッチと激励のメッセージ。
9時50分マラソンゲートからスタート。

長居公園
昭和19年開園。
その後、大阪競馬場(昭和34年閉場)・大阪中央競輪場(昭和37年閉場)が開場。
小学生の頃には、この公園まで遠征をし園内の臨南禅寺などで遊びました。特に競馬や競輪のあった時などは紙くず(多分馬券等)が風に舞っていたのが強く印象に残っています。
現在は、競技場・植物園・博物館などがあり、大阪城公園と並んで大阪市民にとってなくてはならない緑のオアシスとなっている。

今川緑道
昭和58年整備され開園。
今川の堤に設けられた緑道の昔は漆並木で有名でしたが、現在は桜並み木と姿を変え市民憩いの場所となっている。
実家から中学校まで約1年間電車通学でしたが、遠回りですので時々今川沿いに歩いて帰りました。
父の葬儀もここの会館で行いました。

桃ヶ池公園
昭和8年開園。
上町台地と我孫子丘陵間の低地にあり、昔は股が池と呼ばれていた。
小学生の頃、父と一緒にボート遊び(現在ボートはありません)やキャッチボールをして遊んだ記憶があります。池の一部にあった蓮の花が池一面にまで広がっていたのには驚きました。

長池公園
昭和3年開園。
JR阪和線沿いにあり、幼児用遊具が充実している。
相棒の家が鳳駅にありましたので、阪和線に乗る度この公園とシャープの本社ビルをよく記憶していましたが、現在は阪和線も高架となり二棟あったシャープのビルも一棟となっており時代の変遷が感じられます。

「ゆっくり完歩」をテーマとして11時45分長居公園にゴール。
今回のコースは、実家の北田辺周辺を巡るコースで小学生時代によく遊びに行った場所が多く含まれており、地元の方々の強い意志により保存された樹齢300年の北田辺の大楠(写真上右)にも出会え、大変懐かしく昔を思い出しながら楽しく巡れました。
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第5回大阪シティーウオーク 長居公園~住吉大社

2019年03月27日 | 大阪シティーウオーク
3月24日、大阪シティーウオーク最終回への参加。
コースは、長居公園(10時15分)⇒万代池公園⇒生根神社⇒住吉大社⇒池田家住宅⇒荘厳浄土寺⇒長居公園(12時50分着)・・約8キロ。

今回のスターター小崎まりさん(大阪国際女子マラソン準優勝)、準備体操の後10時15分スタート。
「ゆっくり、完歩」を目標に、早咲きの満開の桜に見送られ私もスタート。

長居公園・・昭和19年開園、その後競馬場(昭和34年閉場)・競輪場(昭和37年閉場)増設。65.7haを誇る大阪を代表する公園。競技場・植物園・こどもの広場等を有し家族連れで楽しめるほかセレッソ大阪のホームスタジアムでもある。
(小学校5,6年生の頃、この近くに住んでいたことがありよく遊びに行きました)

万代池公園・・昭和15年に開園された4.4haの公園で池の周囲には桜が植えられ、市民憩いの場所として利用されている。

生根神社・・祭神は少彦名命。延喜式神名帳の延長5年(927年)に記載あり、江戸時代には住吉大社の摂社。本殿は慶長年間頃の造営。壱間社流造で正面には千鳥唐破風を付す。屋根は檜皮葺。この本殿は桃山時代の建築様式を残すことから、大阪府指定有形文化財に指定。
通称奥の天神として篤く信仰されている。

住吉大社・・摂津国一宮。航海の神・祓いの神・歌の神として古くから崇敬されている。祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后でそれぞれ四柱を祀る文化7年(1810年)道営の本殿四社は国宝。

池田屋住宅・・老舗味噌屋として今も昔ながらの製法を伝え、住吉大社の東参道四つ辻角にあり表の屋根の高燈籠や白壁の虫籠窓が江戸期の建物の面影を残しており、国の登録有形文化財に指定。

荘厳浄土寺・・住吉三大寺のひとつで真言律宗の寺院で、創建は延長8年(930年)から天慶9年(946年)と推定され、応徳元年(1084年)白河天皇の勅願として再建され名を賜り四天王寺と並ぶ壮麗な寺院だった。

住吉大社の東門から続く住吉街道は磯歯津路(しはつみち)として平城京までの古路として知られており、東門出たところのろうそく石は駒つなぎ石として名残を残している。また、その街道に面する住吉村の村長で油屋を営んでいた方の古民家が今月限りで取り壊されるそうで地元のボランティアガイドの方達が残念そうに説明頂いたことが大変印象に残りました。
(日本書紀雄略天皇14条に住吉津に着いた呉国からの織物の工人を磯歯津路への道路を造って平城京へ通わせた、との記述有)

昨年6月3日から始まった大阪シティーウオーク、5回とも完歩しました。
本日の歩数計は、11536歩。
よく眠れました、お世話頂いた皆様有難うございました。





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第4回大阪シティーウオーク・大阪城天守閣前

2018年11月19日 | 大阪シティーウオーク
昨日、第4回シティーウオークに参加。
今回は、大阪城天守閣前から中之島経由森ノ宮まで戻って来る約9キロのウオーキング。

コースは、
大阪城天守閣前⇒極楽橋⇒京橋公園コムズガーデン⇒造幣局⇒大塩の乱槐跡⇒天満天神繁盛亭⇒大阪天満宮⇒中之島公園⇒大阪中央公会堂⇒五代友厚像(北浜)⇒前島密像⇒八軒家浜船着場跡⇒大阪城大手門⇒もりのみやキューズモールBASE。

大阪城内で出会うのは中国人、韓国人のほか西洋人も多くとても日本とは思えません。地震以降減っていたインバウンド客も戻ってきているようです。

集合時間10時から阪神のエースであった上田次朗氏の掛け声で準備体操後出発。

大阪城天守閣・・秀吉が天正11年(1583年)築城、大坂夏の陣で落城後徳川幕府によって再築されたが落雷により天守閣焼失。その後天守のない城であったが昭和6年大阪市民の寄付によって復興された。現在残っている櫓や石垣は徳川時代のもの。現在残っている井戸の中等に豊臣時代の石垣が残っている。

極楽橋・・本丸北端の山里丸と二の丸を結ぶ全長54mの橋。戊辰戦争で焼失し現在の橋は昭和40年に再建。豊臣時代の橋は豪華絢爛で屋根付であった事は、近年オーストリアで発見された豊臣期大坂図屏風で確認されている。
(写真上左大阪城側からはOBPの高層ビル群・写真上右渡り終え振り返ると大阪城が望めます)

京橋公園コムズガーデン・・地下鉄京橋駅に隣接し空中庭園のあるグルメの地下街。屋上は京橋公園で都会のオアシスとして市民に親しまれている。

造幣局・・近代国家を目指す明治政府は最新式の貨幣鋳造工場を建設。明治4年創業。毎年4月に行われる八重桜の通り抜けは今も人気です。

大塩の乱槐(えんじゅ)跡・・江戸時代後期儒学者で大坂町奉行与力であった大塩平八郎が天保大飢饉で飢え苦しむ庶民のため起した乱が大塩平八郎の乱である。碑は、天保8年挙兵した大塩方の砲弾がここにあった樹齢200年の槐の木に着弾した所に建つ。

天満天神繁盛亭・・平成15年桂三枝(現6代目文枝)が天神橋商店街に落語会の行える空き店舗の提供を依頼。大阪天満宮の厚意で用地の無料提供を受け落語専門の寄席が復活。平成18年開業。

大阪天満宮・・日本の三大祭りの一つ天神祭が行われ、菅原道真を祀る神社。江戸時代の記録だけで7度の火災に遭い、大塩平八郎の乱の際には全焼。現在の本殿はその全焼の6年後の天保14年に再建。

中之島公園・・明治24年大阪市で最初の公園。堂島川と土佐堀川にはさまれた延長1.5キロ、面積10.6haの緑あふれる都会のオアシスとなっている。
(写真下左・公園の先端剣先の噴水)

大阪中央公会堂・・株の仲買人岩本栄之助の寄付により大正7年完成、今年は100周年。株で大儲けをした岩本栄之助は寄付後株で大損をし完成の前に自殺。

五代友厚像・・薩摩藩士、欧州留学の経験を買われ明治元年外国事務局判事として大阪在勤となり、大阪経済を立て直すため商工業の組織化、信用秩序の再構築を図り近代商工都市大阪の礎を築いた。それらの功績を顕彰するため数体の銅像が大阪市内に建てられている中でこの北浜の銅像は最大。

前島密像・・日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。郵便や切手、葉書という名称を定めた。その功績から郵便制度の父と呼ばれる。

八軒家浜船着場跡・・大坂と京都伏見を結ぶ水運の拠点で幕末期には薩長など倒幕派、新撰組をはじめとする佐幕派を問わず多くの志士がこの地を訪れた。当時の大川は今よりも川幅が広く、この碑の建つ現在の土佐堀通り南側まであった。

(写真は左から千貫櫓・多門櫓・大手門)
千貫櫓・・元和6年(1620年)築の隅櫓、大坂城最古の建造物。織田信長がこの地にあった大坂(石山)本願寺を攻めた時に、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と兵士たちの間で噂されたという逸話が残っている。
多門櫓・・嘉永元年(1848年)に再築。現存する多聞櫓の中でも大坂城の多聞櫓は最大規模。
大阪城大手門・・寛永5年(1628年)、徳川幕府により大坂城再築工事の時に創建。重文。

もりのみやキューズモールBASE・・近鉄球団の準本拠地日生球場の跡地に平成27年開業したショッピングセンター。目玉は屋上に設置されたエアトラックでランニングが出来るトラックを併設。

最近のウオーキングでは「ゆっくり完歩」を心がけており、素晴らしい青空の下約9キロを2時間20分、15578歩で完歩。
途中では、紅葉の深まった風景にも出会うことができ楽しく歩けました。
関係者の皆様に感謝です。

また、ゴール手前で教育会館(現パル法円坂)の前を通り、建物は建て替わっていますが53年前ここで結婚式を挙げたことを思い出し、53年のなんと早い事か、あっという間であり相棒と巡り会えたことの幸せをつくづく感じさせて頂けたことにも感謝です。
次回の第5回(最終回)は来年3月です、健康に気を付けて参加したいものです。
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第3回大阪シティーウオーク・赤レンガ倉庫

2018年10月29日 | 大阪シティーウオーク
昨日、大阪シティーウオーク第3回ショートコース約7キロに参加。
ロングコース1約2キロ組と合わせて約600名が大阪港近くの赤レンガ倉庫横に集合。

本日のコースは、
赤レンガ倉庫⇒みおつくしモニュメント(大阪港)⇒海遊館⇒明治天皇観艦之所碑・西村捨三像(天保山)⇒天保山二等三角点⇒八幡屋公園⇒三津神社⇒港住吉神社⇒赤レンガ倉庫

ショートコース組は10時出発、準備体操後ゲストのパラアーチェリーの上田友裕選手が、今年のアジア大会で獲得した銀メダルを披露。東京パラリンピックでは金メダルと会場を一杯にすることを目標に頑張っておられます。
メダルを触らせて頂きましたが、思ったより軽かったのは驚きでした。

赤レンガ倉庫・・大正12年大阪港第1岸壁沿いに住友倉庫が建設(平成11年大阪市へ移管)。2階建てと平屋の二棟が残っており現在は飲食店やクラシックカーの展示販売所(ジーライオンミュージアム)として利用中。

みおつくしモニュメント・・「みおつくし(澪標)」というのは、その昔、難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識のこと。「みお」は、漢字で「澪」または「水脈」と書き、水路という意味で、「くし」は漢字で「串」、即ち「杭」の意味です。古歌では「身を尽くす」という意味で、掛詞として用いられている。
大阪市の市標はこれをデザイン化したもの。

海遊館・・屋内水槽の規模に関しては世界でも上位五指に入るほどの世界最大級の水族館。ジンベエザメが遊泳する様は雄大で美しく一見の価値ありです。

天保山・・淀川が運ぶ大量の土砂を浚渫した土を盛り上げた築山(約20m)。その後灯台建設に際し削ったり、地盤沈下により現在は4.53m。平成26年仙台の日和山(3m)が認定されるまで日本一の低山であった。

明治天皇観艦之所碑・・戊辰戦争中の慶応4年(1868年)3月26日、大阪・天保山沖で明治天皇による「軍艦叡覧(日本初の観艦式)」が行われた。

西村捨三像・・彦根藩士。明治30年広く政財界の信望を得て初代大阪築港事務所長に推された西村は資金集めに奔走、工事全般を指揮する等の偉業をたたえ建立。

八幡屋公園・・大正12年大阪市立運動場(当時東洋一)として建設され、昭和39年長居陸上競技場が出来るまでの大規模競技大会を開催。現在は大阪プールと大阪市中央体育館を併設。

三津神社・・石田新田開発の際、工事の安全と成功を祈り守護神として、明和五年(1768年)此の地に天照皇大神を奉斎して石田皇大神宮を創祀。昭和7年、社号を三津神社と改称。

港住吉神社・・祭神:住吉大神・神功皇后。天保13年(1842年)大阪港に出入りする船の航海安全や漁労安全を祈って、摂津一の宮なる住吉大社より四座の御分霊を天保山に勧請。

12時、10459歩にて無事ゴール。
ジーライオンミュージアムでクラシックカーの展示を見学して海遊館近くで昼食して帰宅しました。
本日の歩数は18057歩、素晴らしい好天と共に気温も20度位の中のウオーキングは汗をかくことも少なく大変気持ち良く歩けました。



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第2回大阪シティーウオーク

2018年09月25日 | 大阪シティーウオーク
9月23日、第2回シティ―ウオークのショートコースに参加。
10時に下福島公園に集合、間もなく準備体操後出発。

コースは、下福島公園⇒莫大小(メリヤス)会館⇒朝日放送⇒福沢諭吉生誕の地⇒蛸の松⇒田簑橋⇒中之島通りを西下⇒大阪府師範学校跡地⇒湊橋⇒雑喉場魚市場跡地⇒木津川橋⇒川口居留地跡⇒川口基督教会⇒中之島漁港⇒河村瑞賢紀功碑⇒安治川トンネル⇒JR西九条駅⇒安治川沿いを東へ⇒おおさかふくしま中之島ゲート海の駅⇒極楽寺(野田城跡)⇒野田恵比寿神社⇒下福島公園。

下福島公園・・室内プール・トレーニング場・野球場が二面とれる運動場を持つ福島区最大の公園。

莫大小会館・・莫大小産業が盛んな福島区の近代建築で蜆川(曽根崎川)を埋め立てた跡地にメリヤスの組合ビルとして建設。設計は堺筋にある生駒時計店等を手掛けた宗兵蔵。

福沢諭吉誕生の地・・天保5年(1834年)この地にあった中津藩蔵屋敷で誕生。

蛸の松・・中之島には諸大名の蔵屋敷が多く設けられ、建ち並んだ蔵屋敷には各藩自慢の松が植えられ人々は白壁と川面に映える松の景色を楽しんだ。中でも広島藩主の福島正則が植えたと伝わる黒松は枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ることから蛸の松と呼ばれ親しまれた。最初の蛸の松は、対岸の大阪府師範学校跡地内にあった。

雑喉場魚市場跡・・延宝年間(1673~81)に鷺島の生魚市場の名称を雑喉場と改め、大坂三郷の中央部に所在していた魚市場を移転させて以来、昭和6年に市営の中央卸売市場に統合されるまで、実に250年以上ものあいだ大阪における魚類取引の中心であった。

川口居留地跡・・明治元年大阪開港と同時にこの地は外国人に競売され居留地を設置。ミッションスクールや教会、病院が建設され、大阪の文明開化は造幣局と共にこの地から始まった。

川口基督教会・・明治2年宣教師来日、明治14年教会設立、大正9年現在の礼拝堂建設。阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが世界中の支援を得て復元された。

河村瑞賢紀功碑・・江戸初期の土木家。幕府から淀川改修を命じられ新しい川を堀り安治川を設置。

安治川トンネル・・昭和19年日本初の沈埋トンネル。長さ80.6mの歩行者、自転車専用トンネル。

極楽寺(野田城跡)・・享禄4年(1531年)頃築かれ、四国の豪族三好一党が改築したと推測。織田信長の拠点として荒木村重が毛利水軍との戦いで立て籠もった。大坂夏の陣以後廃城。

恵比寿神社・・創建時期不明なるも平安時代には存在。当時の大阪湾は現在よりも奥深く入り込んでおり、この地には漁業を生業とする人々が住みつき漁業の神であるエビス信仰が成立した。戦国時代には野田城内に取り込まれ武士からの信仰も得た。

本日のコースは約7キロ、10時過ぎに出発をしゆっくり歩いてきましたが安治川沿いを歩いていますと屋台が多く出ていて時計を見ますとちょうど12時、昼食を摂ることにしマグロのお寿司とビールで一休み。

ゴールした時には1時前、歩数計は16787歩。
安治川トンネルで約100段を上り下りした以外はほとんど平地でしたが少し疲れを感じました。
完歩証を頂き、一休みをしてから帰途に。










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