ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

青梅の里山へ秋の残りを探しに行きました―――二ツ塚峠~浅間岳~羽村大橋

2013年12月10日 | ハイキング/奥多摩

2013/12/5  ニュージーランドへ出発する前、自宅の窓から眺められる二本のモミジの木はわずかに色づき始めたばかりでした。山の紅葉は進んでいたことでしょうが、準備に追われてそれどころではありません。
ところで、帰国するとあのモミジの紅葉の盛りがとっくに過ぎ去っているではありませんか! 街には風で落ち葉が舞っています。あ~あ! 僕は今年の日本の秋を知らないで過ごしてしまった! 後悔とも、無念ともつかぬ心持ち・・・・
わずかなりとも、日本の秋を感じたい。それで出かけたのが青梅の里山です。標高はせいぜい300mくらい。ひょっとしたらまだ秋が残っているのでは・・・・ 淡い期待を胸に歩いて来ました。

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▲遅い出発がさらに遅れ、青梅に着いたのはこんな時間です。10:51ころ。
調布橋で多摩川を渡ります。写真左に見えている低い山並みが今日歩くところ。

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▲天祖神社の階段がハイキングのスタート。11:04ころ。

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▲天祖神社です。この社の右側から山道が始まっていました。11:09ころ。

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▲まずは二ツ塚峠を目指します。11:55ころ。

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▲山道にはずう~っと枯れ葉が敷き詰められています。すでに冬の姿。でも、秋や冬に関係なく心地よい雰囲気で、僕は大好きなんです。11:55ころ。
前を歩くのはS子。

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▲二ツ塚峠に到着しました。12:21ころ。
これから馬引沢峠、天狗岩を目指します。

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▲「野の坂の 春の木立の 葉がくれに 古き宿見ゆ 武蔵の青梅」 若山牧水
日本全国を旅しながら歌を詠んだ牧水ですから、ここへも来たのかもしれません。昔の人にとって峠を越える山道は現代人よりずっと生活に密着した道だったでしょうから。12:22ころ。

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▲「四季変り 世の憂 忘らる 二ツ坂」 久作
久作とは夢野久作のことだとは思いますが、確信は持てません。ここは二ツ塚峠ですし、二ツ坂とは違います。この峠と何かの関わりがある句なのでしょうか? 疑問ですね。12:23ころ。

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▲二ツ塚峠はこんな感じの場所です。今は近くを自動車道路が越えていますから、そちらが新・二ツ塚峠で、ここは旧・二ツ塚峠になっていますけれど、僕にとってはこここそがただひとつの二ツ塚峠。12:23ころ。
S子の視線の先に白い棒が立っていますが、そこには二ツ塚峠にまつわる悲話が記されていたのです。今回はその看板は壊れて外れてしまっていました。内容はこんなお話し。
「峠の麓に年老いた母と、親思いの娘が住んでいました。ある頃から母は不治の病に伏せるようになり、娘の必死の看護も虚しいばかりでした。母はこのまま山に埋めてもらうことを願い、娘も母と一緒に埋めてくれと村人に頼んだのです。村人たちは断り切れずその願いを聞き入れ、山へ二人を運びました。二人を山へ埋めた村人たちは、その後も供養、掃除を欠かさず、土盛りもしました。そのようにして峠には二つの塚ができたのです。人々はその峠を二ツ塚峠と呼ぶようになりました」

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▲二ツ塚峠からしばらく進むと、こんな標識が出現! 満地峠も草花も知っている地名です。当初、目的地と考えていた馬引沢峠や天狗岩とは180°方向が逆です。どうやら、二ツ塚峠あたりで進むルートを間違えたみたい。まあ、仕方ありません。草花へ続く山道ならば2、3度歩いたことのある道ですから、だいたいの様子は覚えています。今日は気楽な里山歩きですから、こんなこともアリでしょう。13:12ころ。

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▲やっと日当りがよくて心地よい場所があったので、お昼にしました。座ったところから撮った林です。広葉樹林で、すでにほとんどの葉っぱは落葉した後。13:28ころ。

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▲昼食も食べて、再び元気に歩き始めました。13:49ころ。

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▲山道に沿って、こんな像があることは知っていました。それが機動隊のものであることも。第五機動隊、第六機動隊、第七機動隊、それぞれの記念像です。
でも、なぜこの山道にこのような像を立てることになったのでしょう? どういう必要性があったのでしょう? 機動隊の訓練コースだったのでしょうか? 13:53~14:04ころ。

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▲西日がモミジを輝かせています。赤みは色褪せて、葉の枯れゆく色の方が勝り始めていますけれど、陽光の煌めきが補ってくれています。14:06ころ。

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▲この鉄条網で守られたフェンスが続くことも覚えていました。警察官の訓練所とか、警察学校みたいのがあるのかなあと、想像していました。フェンス内には獰猛な(?)警察犬が放されて(?)いるようですし、一定距離で監視カメラも多数配置されていますから、やたらと警備が厳重だなあと感じてもいました。14:10と14:13ころ。
今回、ネットで調べてみました。するとビックリ! ここは警察庁の弾薬製造所(警察庁秋川工場)なんだそうです。ですから、この工場の入り口には福生警察署秋多警備派出所が置かれています。警備派出所は空港や大使館、要人の私邸などの警備をするのだとか。
調べてみるものですね~ぇ。

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▲浅間岳とか大澄山など、通い慣れた山の名前が出て来ました。満地峠へは行かずに大澄山方向へ進みます。14:53ころ。

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▲まずは浅間岳235m。15:06ころ。

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▲今日は一日中同じようなのどかな風景が続きました。陽はもうすでに傾いてしまっています。15:19ころ。

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▲北にひらけた場所に立つと、眼下には多摩川の流れ、その先に広々と続く関東平野が見渡せます。空気の澄んだ日なら上越や奥日光の山々も見えるのではないでしょうか。15:27ころ。

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▲途中、立川国際CCの縁を山道は通ります。昔歩いた際には、ゴルフ場とからみながら適当に石壁の上とかを歩いた記憶があります。今日歩くと、きちんとハイキングコースとして整備されていました。
そして、この朝日山妙見堂です。説明板を読んでもよく理解出来ません。摩訶不思議な神様のようです。どうやら北極星にちなんだ神様のようで、天上にあって不動の存在としての霊験あらたかなのだとか。ますます分かりにくくなってしまいますね。15:50ころ。

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▲朝日山妙見堂の鳥居の前にこのカエデが色づいたまま残っていました。これぞ、この神社の霊験ですね! 陽もカエデの葉の下から弱々しく射す日暮れ近くですから、こんな感じでくすんだ赤にしか撮れませんでした。でも、美しかったですよ。日没直前に綺麗な紅葉を見ることができました。15:52ころ。

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▲ヤツデの花が咲いていました。昔はよく見る庭木でしたが、最近はあまり見かけませんよね。人気がないのでしょうか? 子供の頃、天狗の団扇だ~っと、大きな葉っぱで遊んだものです。15:53ころ。
ところで、ネットでヤツデの花を調べてみると、興味深いことが分かりました。晩秋から初冬にかけて咲くのですが、虫媒花ですから暖かい日には意外と多くの虫が集まるのだそうです。他に咲く花が少ないですから、独占状態に近いのでしょうかね? 
さらに不思議な記述も。この写真の細く出ているのは雄しべなのですが、ひとつの花ではまず雄しべから現われるのだとか。虫を呼ぶために蜜も出すのです。雄しべが終わってから、今度は雌しべが現われ、この時にも蜜を出します。こんなふうに時間差で雄しべ雌しべを出すことで自家受粉を避けているのですね。

いったん車道に出て、大澄山へ行く山道を探しましたが、以前と変わってしまっていて、見つけることができません。すでに16時を過ぎていましたから、30分もしないうちに日没です。
大澄山は諦め、羽村大橋を渡って羽村の駅まで行くことにしました。

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▲青梅線の線路わきで枯れているエノコログサです。猫じゃらしと言った方が分かりますかね。穂が犬の尻尾に似ていることから「犬っころくさ」と呼ばれてこの名前になったのだとか。
若い葉やこの穂は食糧にもなるのだそうですよ。16:40ころ。

羽村の駅のそばの和食チェーン店で日本酒を飲みながらS子と二人で打ち上げ。
ニュージーランドからの帰国後初めての日本の山は、奥多摩の山へのただいまの挨拶のような気分でした。ネパールへ行った時もそうでしたが、長く離れれば離れるほどに日本の山が恋しくなるのです。長年慣れ親しんだ山の自然ですから、そこに居ることで最も安心でき深く癒されるのですね。どれほどヒマラヤの山々がニュージーランドの山々が素晴らしくても、日本の山が与えてくれる故郷の包容感のようなものは超えることが出来ないようです。それは自らの母への想いのようなものですから。


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1 コメント

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Unknown (たこす)
2020-02-19 21:49:19
第五機動隊とかあのモニュメントはなんなのでしょうね、、、

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