ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

何年振りかの普通の山歩きを奥多摩駅裏の本仁田山で行ないました。山体力が悲惨なほど低下しています

2021年11月27日 | ハイキング/奥多摩

このブログではまだ公にしていない事情によって、ここ何年かは普通の登山や沢登り、雪山は出来ていません。易しくて短い、急登がなく標高の低い丘のような山のハイキングがほとんどでした。コロナ禍の前まではこれも超簡単な沢歩き程度はしていましたが、それも昨年からは出来ていません。今年は丘ハイキングも出来なくなっていました。ただひとつ、週に1日だけ平日に天覧山の岩場で2時間ほどのトラバーストレーニングだけ実践していました。

ですが、嬉しいことに11月21日の日曜日、何年ぶりかで普通の山歩きを奥多摩で行なうことが出来ました。僕にとって普通と言うのは、ほぼ自分のペースで歩ける登山のことです。同行者にほとんど気を遣うことなく、山が与えてくれる喜びを体いっぱいに享受しながら歩けるということです。

今後は月に1回か2回は日帰りでそのような登山を楽しむことが出来ると思います。このブログでも、そのような山行の記録を残しておきたいと思っています。

 

当然のことですが、長いブランクがあると山体力の衰えは避けられません。ただでさえ高齢なのに、ブランクの影響は若いころのそれとは比較できないくらい壊滅的影響を及ぼすはずです。

自覚はあります。日常生活の中で一番よく分かるのは自転車ですね。買い物へ行く途中に長い坂道があって、昔はそこを6段変速のいちばん速いギアでもきついと思わずに漕ぎ上がったのですが、最近は上から3番目のギアで上ります。最速ギアなら立ち漕ぎしてしまうでしょうね。

そんな衰えまくった僕ですから、コース選定は短いルートにしました。ただ、なだらかで楽なコースだと自分に負荷がかかりませんから、急登で急な下りのあるコースを選びました。

それが今回のゴンザス尾根~大休場(おおやすんば)尾根です。

さらには下山後に天益に寄ろうと思っていますから、下山時刻が早くなり過ぎないように出発を普段より1時間ほど遅く設定しました。

 

▲9:23。奥多摩ビジターセンターです。駅でトイレに入りたかったのですが、男子トイレにも行列が出来ていました。どうやらトイレが新しくなったみたいでした。便器の数が減ったのかもしれません。男性用で行列が出来るのは珍しいことですから。駅前での用足しは諦めて、そのまま歩いていたらビジターセンターが開いていました。遅い出発だったので、開いていたんですね。ここのトイレを使わしてもらいました。綺麗なトイレでした。有難うございます。

 

▲9:33。もえぎの湯です。

 

▲9:36。日向の馬頭さま。横に解説板がありましたから、それを転記します。「奥多摩は関東随一の急峻な地勢で道路問題は古くから住民の大きな負担になっていた。ここ、氷川と白丸は隣合せの集落でありながら地形が急峻で江戸時代の中期までは、その往来は山上の根石越えが主要道で、元禄時代に数馬の切り通しが開削されるまで、ひどい難儀を強いられていた。また、この氷川の七曲りには、オオカミ落しの呼称のある多摩川まで逆落しに落ち込む岸壁があり、交通の難所で道路開削後も宝暦四年、嘉永二年を含め度々大がかりの道普請が行なわれている。この日向の馬頭観音は文化十一年に建立されたものであるが、刻まれた銘等を見ると青梅をはじめ交通に関わり合いのある多くの人達により、供養されたものと思われる。当初は現国道より十数米上部の旧道に建立されていたものであるが、現国道が昭和二年~四年に改修されたときに現在地より百米程青梅寄りの国道添いに移築され、通行する人々の安全を見守っていたところである。今般、日向人道橋の工事に伴いこの地に移築したものである。平成八年十二月四日 奥多摩町」。奥多摩駅と隣りの白丸駅との間に、昔あった山越えの道がどこを通っていたか分かっていないそうなんです。どこを歩いても大変そうな急峻な地形だから。

 

▲9:40。写真奥のトンネルのすぐ左から出て来ました。この歩道橋が馬頭観音の解説板にある人道橋なのでしょうね。左下には多摩川が流れています。確かに急峻な地形です。

▲9:47。久し振りなので、この登山口を見つけるのに少しだけ迷いました。これからゴンザス尾根を登ります。

 

▲9:57。朝食はしっかりと家で食べて来ましたが、まずは本格的登りが始まる前に再度の軽い腹ごしらえ。この祠の脇で、コロッケ1個とミルクチャイを飲みました。

 

▲10:09。写真中央部分、植林の間に人の姿が複数見えると思います。僕がここで休憩していると、10人以上のパーティーが通り過ぎていきました。「高校生?」と聞くと、「はいそうです。※#*のアルペンクラブです」との答え。帰宅して調べると、どうやら青山高校アルペン部のようですね。

 

▲10:38。これがNHKの設備なのかな? ここの左奥で高校生パーティーが休憩を取っていました。白い柱の左にちょっとだけ姿が写ってますね。

 

▲10:48。途中、送電線鉄塔のある広場があります。標高700m付近です。昔、ここで送電鉄塔を保守点検している方たちに会ったことがあります。その日は確か、氷川屏風岩の左をそのまま登って、ここまで来たんだと思います。昔の道の根石越えの可能性を探ろうと思っていたのですが、登りが険し過ぎますよね。

▲10:57。僕が小休止していると、元気な声が聞こえてきました。さっき追い越した高校生パーティーです。僕も出発するところだったので、彼らの前を歩こうとすぐに出発しました。写真中央に彼らのオレンジ色のユニフォームが見えますよね。

 

▲11:09。紅葉の盛りなんですが、生憎の曇天なので、鮮やかな輝きとはほど遠いですね。

 

▲11:14。あれが目指す本仁田山(1224.5m)でしょう。

 

▲11:23。少し陽が射し始めました。

 

▲11:31。急登のところどころでこの程度ですが岩場が現われます。

▲11:35。高校生パーティーの声が時々僕に迫って来ます。本当なら彼らにはすぐに追い越されて、さらにはどんどん引き離されてしまうのでしょうけれど、10人以上のパーティーですから、いちばん遅いメンバーに合わせたスピードです。山体力の衰えた僕と同じくらいのスピードでした。

 

▲11:50。ゴンザス尾根はここで終了です。ここからは鳩ノ巣駅から始まっている花折戸尾根になります。

 

▲11:58。築摩山(1040m)に到着しました。東京三五〇というのは何だろう? と思って調べたら『東京周辺の山』という本におよそ350の山が掲載されているので、どうやらその意味のようですね。この山名標識を掛けた方は350の山々を巡りながら、標識板を作り、取り付けているのでしょうか? 僕は日本百名山すらほとんど意識していません。数えてみたら50とか60山くらい登っていましたが、まったく興味ありません。自然に増えて、95山くらいになったら、「あと5つ登ってみるか」という気が起きるかもしれませんけどね。

 

▲11:59。筑摩山で3回目の休憩を取りました。休んでいると、高校生たちが通り過ぎていきました。顧問の先生のような方が一人いて、「ここは狭いからもう少し先へ行こう!」と言いました。陽はまだ射していて、風もなく、太陽へ体を向けて暖かなひと時を過ごしました。

 

▲12:21。筑摩山山頂で20分近く休憩しました。筑摩山から本仁田山に近づくまではなだらかな尾根道が続きます。

 

▲12:35。途中で高校生パーティーを抜きました。この写真とよく似た広い場所で昼食休憩のようでした。バーナーの音が聞こえていましたから、皆の昼食を作っていたのかもしれませんね。この写真の前方の山は本仁田山だと思います。

 

▲12:45。本仁田山への急登が続きます。昔よりもこの急登が長くなったような気がしました。昔はもっと早めに左へ進んで行き、大休場尾根の登山道へ合流していたような記憶があるのですけれど。

 

▲12:55。大休場尾根の登山道に出ました。

 

▲12:58。先ほどの合流点から3分しかかからずに本仁田山山頂です。こんなに近かったかなぁ? 正午には山頂到着の予想だったのに1時間も遅くなってしまいました。

 

▲13:14。山頂には3パーティー、10人の登山者がいました。男の子3人を連れているお父さんもいました。

 

▲13:30。大休場尾根です。奥多摩の登山道の中にも下りでしか使わない登山道が幾本かありますけれど、ここもそうです。何回下りてもあまり好きになれない道です。

 

▲13:44。こんな看板が。

 

▲13:45。この岩に注意しろと言ってたんですね。この日は岩も乾いていてさほど滑りませんが、濡れていたりすると凄く滑るでしょうね。ツルツルのスラブですから。

 

▲13:52。見事に手入れされている美林ですね。

 

▲14:03。登山道は大休場尾根をここで離れて右へと曲がります。尾根はこの先も続いています。昔、この先の様子が気になって、降りてみたことがあります。山道は途中で消えて、尾根左の急斜面を下降せざるを得なかったように記憶しています。その下降はけっこう嫌らしいものでした。確かに二度と通過したくない場所でしたよ。

 

▲14:18。またこんな看板が。先ほどのは多摩環境事務所でしたが、こちらは奥多摩自然公園管理センターです。駅裏の山ですし、登山初心者も多く登る山なんでしょうね。おそらく、この辺りで滑落した人がいるんだと思います。

 

▲14:30。里が近づいて来たようですね。石垣が現われました。

 

▲14:35。安寺沢の登山口に降りて来ました。本仁田山山頂からここまで1時間20分かかってしまいました。一般的なコースタイムは50分になっています。そんなに遅く歩いたつもりはないのですが、この時間です。脚が弱っているんでしょうね。

 

▲14:56。人家が現われました。中央の陸橋のような構造物は奥多摩工業氷川工場に石灰岩を送るトロッコ軌道です。

 

▲14:57。正午頃から少しだけ晴れ間が出ましたが、すぐに再び曇天に戻りました。陽が当たっていればこの楓の木ももっと美しかったでしょうね。

 

▲14:59。氷川国際ます釣り場とその向こうには奥多摩工業氷川工場です。石灰石関連製品(生石灰、消石灰など)を作っているようですね。

 

▲15:05。左端は氷川工場、中央の建物は氷川小学校です。小学校上に見える尾根がこの日に登ったゴンザス尾根です。

▲15:10。今日の目的のもうひとつがここ天益です。お客さんがちょうどお勘定で、カウンターに座ることが出来ました。僕にとっては1年8ヶ月ぶりの外食です。外食するなら最初は天益と決めていましたから、それが実現できて嬉しかったです。この店へ通い始めてからもう35年は経っています。今の女将さんのお母さんの時代からです。昔は餃子と冷奴だけがメニューでした。中国で教えてもらったというニンニクの入っていない餃子でした。店もこの場所ではなくて、この通りの一番奥にありました。奥多摩の山の想い出も天益と共にあると言ってもいいくらいです。楽しい、懐かしい、哀しい想い出がたくさんあります。この日の天益では静かなしっとりとしたひと時を過ごすことが出来ました。再びこの店に来ることが出来た喜びを噛みしめながら過ごしました。迎えてくださっただけでも嬉しいのに、密かにお土産までくださって本当に感謝です。天益さんは僕のことを少し大切にし過ぎてくださっているとまで感じます。下山した山の麓にこんな素晴らしいお店があるとは、僕は本当に幸せです。