ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

日陰名栗沢の遡行は僕にとっての山体力復活作戦の第2ステージです

2022年06月21日 | 沢登り/多摩川日原川水系

昨年の11月からスタートした僕の山体力復活作戦。11月21日ゴンザス尾根~本仁田山~大休場尾根が最初でした。それから7ヶ月近く経ちました。自分自身の山体力の復活レベルですけれど、最盛期の自分と比べたら5割くらいだと思います。でも、加齢による必然的な衰えもあるでしょうから、7割くらいまでは戻ったのかもしれません。まだまだ後3割はアップさせねばなりませんね。

沢登りシーズンに入りましたから、一般登山道を『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6までで止まったままです。ただ、コースタイムで、否、それ以下で歩くことは出来るようになったと感じています。ですから、僕は次のステージに進むことにしました。それは「これまでよりもコースタイムが長いコースを歩く」ことです。これまではコースタイム数時間のコースがほとんどでした。それを7~9時間に長くしてみたいのです。それをコースタイムとあまり変わらない時間で歩きたいのです。

『少し長い距離を歩く』シリーズ№1に選んたのは日陰名栗沢でした。アプローチが2時間、沢中3時間30分、下山2時間30分で、トータル8時間です。

同行してくれるYYDの仲間3人も屈強なメンバーばかり。マラソンを最近になって何十回と完走しているSRさん、トレラン得意なS上さん、地図読み名人のT橋さんです。T橋さんは今年の1月8日湯久保尾根~御前山(登頂できず)~境橋を誘ってくれました。その時はコースタイム4時間40分7時間20分(休憩込み)もかかっています。

 

2022年6月18日(土) 東日原~日陰名栗沢~峰谷

▲9:48。東日原バス停を9時ころにスタートし、途中のトイレを利用しました。前方の橋は八丁橋ですが、ここまでのコースタイムは1時間です。T橋さん(左)とSRさん。

 

▲10:00。マタタビです。蕾が葉の下に隠れていました。白い花は2cmほどの綺麗な花ですが、葉の下で下向きに咲くので目立ちません。目立たない花の代わりに、この白い葉で昆虫などを呼び寄せているのだそうです。

 

▲10:19。日陰名栗沢への下降点の目印がこの距離標識です。これは日原林道の起点からの距離だと思います。林道が右にカーブしていますが、そこから左へ下っていくのです。

 

▲10:19。下降点にはカーブミラーもあります。

 

▲10:20。山側にはこの看板も付いています。昔昔、40年近く前になりますが、日陰名栗沢への下降点を間違えて、ずっと下流に下りてしまったことがありました。出合まで日原川を遡行し、何とかその日のうちに日陰名栗沢を遡行したことがありました。

 

▲10:20。カーブミラーの左には明瞭な踏み跡があります。

 

▲10:31。でも、途中から踏み跡はあるもののとんでもない急降下になってしまいます。今回の下降ルートが今までで一番シビアだったような気がします。(撮影:S上)

 

▲10:34。日原川本流の小さな広場に降りました。写真はS上さんですね。

 

▲10:59。この岩のことを光石と呼ぶのでしょうか? いよいよ遡行スタート。

 

▲11:00。光石のほんの少し上流に日陰名栗沢の出合があります。この日は梅雨シーズンなのに水量は特に多くはないようでした。

 

▲11:05。日陰名栗沢は日本庭園のように美しい沢です。大滝はなく、小滝ばかりです。しかも、ナメやナメ滝が多いのです。岩はを纏い、緑に輝いています。

 

▲11:18。今日のメンバーは僕の『少し長い距離を歩く』シリーズを理解してくれています。長い距離を歩くということは、僕にとっては少し速いペースで歩くということでもあります。僕が自分なりのペースで歩けるように、僕が先頭を歩くことを優先してくれています。右から、T橋さん、S上さん、SRさん。SRさんはほとんどの山行で先頭を行くのですが、この日はラストで歩いてくれています。

 

▲11:19。2条の小滝ですね。

 

▲11:26。綺麗な滝です。どこからでも登れそうですね。

 

▲11:27。左から登ったようです。

 

▲11:30。SRさんが滝の上に立っています。

 

▲11:32。直登できなくもなさそうですが・・・・

 

▲11:37。高巻くことにしたようですね。

 

▲11:40。休憩するのかな? (撮影:S上)

 

▲11:48。最初の休憩ですね。(撮影:S上)

 

▲この写真の撮影時刻は分かりません。でも、僕の遡行中の写真は珍しいので、掲載させてもらいました。右上はT橋さん、左は上から僕、S上さん。(撮影:SR)

 

▲11:56。岩にはもちろん、流木にもむしています。

 

▲12:05。一ヵ所、沢の右岸が崩壊していました。

 

▲12:20。ちょっとシビアな高巻きをしました。沢床に降りる直前です。皆、倒木を伝って慎重に降りて来ましたが、ラストのSRさんはカモシカのように山の斜面を飛び跳ねて降りて来ました。

 

▲12:27。T橋さんが切り傷を作ったみたいで、S上さんがテープで止めてあげています。

 

▲12:36。沢登りの好きな風景。もちろん水の風景は第一かもしれませんが、僕は沢の途中で見る森の美しさが大好きです。

 

▲12:43。むす風景と巨樹の存在感。

 

▲12:46。巨樹の正体がこれです。カツラの樹でしょうか?

 

▲13:30。支流の水を飲むSRさん。

 

▲13:44。ワサビ田の跡が出て来ました。

 

▲13:47。おそらくここに作業小屋が建っていたのでしょうね。幾つもワサビ田跡がありましたからね。

 

▲13:55。そこが二俣だと思います。標高1380mくらいでしょうか? はこの二俣を左に入ったものです。左の方が沢床が低く(水はすでにほとんど流れていません)、沢の名前が日陰名栗沢ですから、どうしても日陰名栗山のある方へ引き寄せられていきますよね。すると、上部での猛烈な笹藪漕ぎが待ち受けているのです。しかも、笹藪漕ぎ前半は山腹をトラバースするように進まなくてはなりませんから、笹を束ねて掴み、滑りやすい笹竹の上を歩くのです。発表されていた遡行図がそうなっていましたから、「右俣に入ったらもっと大変なんだろうな」と思い込んでいたんです。その後、右に入る遡行図も発表され、「あれ? 右に入ると楽みたいだ」と思ったものです。実際、藪漕ぎもなく、実に楽なんですよね。

 

▲14:05。すでに源流と言ってもいい場所なんですが、傾斜が緩やかですね。

 

▲14:13。水は伏流しています。沢の上流を眺めると、時々低い位置にが見え始めます。

 

▲14:24。伏流していた水が姿を現わすこともあります。飲むと冷たくて美味しい水ですよ。

 

▲14:30。普通の沢なら最後の詰めの急登になっても可笑しくないのに、まだなだらかです。

 

▲14:45。石尾根登山道がある稜線がはっきりと見えて来ました。

 

▲14:48。すぐそこです。

 

▲14:51。S上さんが駆け上がって行きました。

 

▲14:52。SRさんも駆け上がって行きました。この日陰名栗沢は超短い駆け上がり斜面ですけれど、沢登りの最後の詰めで駆け上がれるだけの体力があることが大切だと僕は思っています。ちなみに僕自身はというと、駆け上がれる体力は残っていませんでした。もっと体力つけねば!

 

▲14:53。最後に稜線に出たのは当然僕でした。3人とも座り込んでいますね。心地よい草地だということもありますが、やっぱり体力使いましたからね。(僕は疲労困憊ですが)。14時30分にここに着いていれば最高だったのですが、遅くても14時台と考えていましたから、ギリギリ許容範囲でした。急いで装備解除して、15時05分に下山開始。

 

▲15:18。いつ来てもこの辺りの景色には感動します。水墨画のような山並みが美しいのです。

 

▲15:19。本当は巻き道を通りたかったのですが、尾根通しの登山道を歩きました。その結果、日陰名栗山1725mに登頂です。僕はピークに拘らない人間なんですが、とりあえず記念撮影。右からT橋さん、SRさん、僕。(撮影:S上)

 

▲15:20。僕のカメラでも記念撮影。左からSRさん、S上さん、T橋さん。

 

▲15:22。時間があれば、近寄って綺麗に撮りたかったのですが、ヤマツツジ2株、咲いていました。もう少し雲取山寄りにはヤマツツジの群生している場所もあります。

 

▲15:23。鷹ノ巣山1736.6mが見えています。その直下の鷹ノ巣山避難小屋から石尾根を離れ、浅間尾根を右へ下っていくのです。

 

▲15:35。鷹ノ巣山避難小屋。2、3度泊まったことがあります。なかなか良い避難小屋です。奥多摩に点在する避難小屋は自由に泊まってもいいのだそうです。以前、東京都の避難小屋を管轄している部署に電話をして聞いたことがあります。「最初から宿泊目的で使用してもいいですよ」と言われました。

 

▲15:56。浅間尾根の途中で巨大な椎茸の栽培場が広がっていました。登山道脇だけでも、写真の広さの10倍以上あったと思います。ほだ木が並べられ、種菌がほだ木に打ち込まれていました。

 

▲16:25。峰谷の奥集落に出て来ました。東京都でいちばん標高の高い集落です。

 

ここまでも山道を時々走って降りて来ました。可能なら、峰谷バス停発16時55分に間に合いたいのです。そのバス停からは午後はその1本しかありません。それを逃すと、車道を40分ほど先まで歩いた峰谷橋バス停まで行かなければなりません。そこで18時08分のバスに乗ることになります。

峰谷バス停にはこの写真の場所からもまだ3km以上あります。それを30分で行かなければなりません。山道でもそうでしたが、僕が一番足が遅い訳ですから、僕が間に合えば皆が間に合います。3人とも僕に気を遣ってくれて、「無理はしないでくださいね」と言ってくれます。無理はしていないのですが、頑張りどころです。

舗装道路になると、少しきつい下り坂は走ると膝への衝撃が激しくて、走るのは無理です。緩やかな坂道が走り易いのですが、それでも100mも走ると疲れてしまいます。昔だったら何kmでも走ったものですけどね。早歩き、ちょっと小走りの繰り返し。まだ、上の写真から2度ほどは山道に入ったりします。その山道は谷側が崖なので走れません。車道はくねくねとしていて、長いですしね。

S上さんがトイレに行きたいというので、峰谷バス停にトイレがあることを教えてあげました。S上さんはひとり走って先行します。彼女はトレランもしますから、走るのは得意なんですね。SRさんもその後、先行しました。「先に行って、バスに待っていてもらうよう頼む」と言います。

でも、途中でSRさんが道端でザックを置いて佇んでいました。「間に合わない。無理だよ」と言います。後、5分もなかったと思います。僕は最後の力を振り絞って、スピードは遅いですけれど、走りました。

すると、前方に建物が見えて来ました。そして、バスがいます。T橋さんが走って向かいます。16時54分に乗車。16時50分に着いたというS上さんも乗車。16時55分に僕とSRさんが乗車。バスはほぼ同時に発車しました。

ふ~~う、ふ~~う、ふ~~う! はあ、はあ、はあ! いつまでも荒い息が終わりません。でも、SRさんとS上さんは全然息が上がっていません。普通の呼吸です。凄いですね。

まさか間に合うとは思っていなかった16時55分のバスに乗ることが出来ました。東日原バス停が9時ころ、峰谷バス停が16時55分。8時間かかりませんでした。休憩等込みで、コースタイムと同じ時間で歩き切ることが出来ました。僕にとっては予想外の好結果です。

 

▲17:37。奥多摩駅前の天益にて。僕は焼酎のオンザロック、SRさんはコーラと梅酒です。下山後の天益でのひと時は本当に心が落ち着きます。(撮影:S上)

 

▲17:41。天益名物の餃子。今の女将さんのお母さんの時代から僕は天益のお世話になっています。お母さんの時は、メニューは餃子と冷奴だけでした。それで十分でした。餃子を何皿も何皿も食べました。中国仕込みの餃子なので、ニンニクが入っていませんから、いくらでも食べられます。今は女将さんがいろいろと他の料理も作ってくれます。この日も臭みのない新鮮なレバニラや肉野菜炒め、大根とキュウリの糠漬け、みんな美味しかったです。(撮影:S上)


YYDの新人2人が天覧山で初めての岩登りトレーニングをしました

2022年06月16日 | 岩登りトレーニング

6月5日(日)のシダクラ尾根地図読み山行の反省会(という名の打ち上げ)で、新人の男性1人が「岩登りの練習をしたい」と言っていました。という訳で、1週間後の12日岩トレを実行することに。山行計画を公表すると、同じ日のもう1人の新人女性も参加を申し込んで来ました。「僕ひとりで2人の初心者を教えるのは大変だな~ぁ!」と思っていたら、それを察したK野さんが手伝いに来てくれることに。感謝! 感謝!

 

初心者2名への岩トレ体制はスタッフ面では心配なくなりましたが、もっと心配なのは天気でした。何日も前から気象庁やウェザーニュースやらをチェックし続けていましたが、気象庁は慎重派で「曇り時々雨」みたいなレベルの予報から良くはなりません。ウェザーニュースの飯能市の予報を見ていると、2日前くらいだったか、1時間おきの予報の中に雨マークが消えて、午後からは晴れマークばかりになったことも一瞬ありました。でも、すぐに午後から3~4時間は雨になります。最終的にはウェザーニュースでは前日夜からは曇りが続いて、当日正午まで曇り。午後2時間ほど時間降水量が0.5ミリほどの小雨が降り、その後は晴れ、そんな予報が出ていました。これなら、1日中岩トレ出来そうだな、と思いました。岩場も完全には乾かないでしょうが、生乾き程度にはなるかな? と。

当日になって、予報を詳しくは見ませんでしたけれど、空に広がっている雲は薄雲で、ときおり薄日も射すほどでした。ただ、夜中に2時間ほどかなりの雨(50ミリ以上)が降ったみたいで、岩場はびしょ濡れ、一日中乾くことはないだろうと、思いました。

天覧山の岩質はチャート系で濡れると滑り易くなります。ですから、少し難しいグレードのクライミング練習は出来そうにありません。4級は登れないでしょう。3級の岩場だけでの練習になるでしょう。本来ならば、4級+のルートくらいは触って欲しかったのですが、そこは諦めることにしました。

 

2022年6月12日(日) 天覧山岩登りトレーニング

 

天候も微妙でしたから、飯能駅集合は9時25分。そこから住宅街の外れにある天覧山へ行き、最下部岩場へ降りて行きました。驚いたことに、こんな季節こんな日なのに、僕たち以外のパーティーがいます。最下部岩場の易しい右側のエリアに2本のザイルをトップロープにセットしてあります。

僕は朝食もまだでしたから、ゆっくりとサンドウィッチを食し、ミルクチャイを飲みます。新人2人がハーネスを装着する前に、岩場の下を左から右へトラバースしてみよう、と言いました。一番左端は少し難しいので、そこは外しました。一度やって見せて、あとはK野さんに任せます。K野さんは基本となる三点確保等を教えてくれていました。岩場はびしょ濡れです。

 

▲11:18。サンドウィッチを口にしながら、僕もハーネスを装着して、岩場の左側にトップロープのセットをしました。K野さんの確保で、まずは男性の哲さんが登ります。易しいルート(3級-)を登って、そこをクライムダウン(登り同様に自分の手と足で降りて来る)します。続いて、女性のO崎さん。写真は最初にザイルで確保されている安心感を知ってもらうために、ザイルに身を預けてもらっているところです。

 

▲11:19。O崎さんも哲さん同様、易しいルートを登り、クライムダウン。

 

▲11:30。同じ練習の2度目です。哲さんは最初のルートの少し左を登ろうとしています。でも、そこは少し難しく3級+くらいはありそうです。さらに少し左のルートを登ってみたらと指示しました。この写真のルートですが、最初よりは岩場が立っていますけれど、思いのほかホールドがしっかりしていて登り易いんです。3級でしょうね。クライムダウンは最初と同じルートを降りて来ます。そして、地面から1mの辺りでクライムダウンを止めて、ザイルに体重を預けてもらいました。そして、そのままザイルを下ろして行きます。ロワーダウンですね。

 

▲11:39。K野さんにも登ってもらいました。哲さんには人生初確保をしてもらいました。当然、写真に写っていない手前のザイルを僕がしっかりと握っています。K野さんはちょっと難しい3級+のルートを登って行きました。スタンス(足場)が小さいので、運動靴では登りにくいんですけどね。

 

▲11:59。僕も登らせてもらいました。その確保はO崎さん。彼女は直前にハーネスとヘルメットを買ったんだそうです。沢登り用のハーネスだそうです。安全環付カラビナとルベルソはK野さんが貸してあげたもの。

 

▲12:07。3級ルートの登攀とロワーダウンを繰り返します。

 

▲12:09。ロワーダウンは懸垂下降の姿勢と同じですから、その準備練習としても有効です。哲さんは岩場は初めてだそうですが、クライミングの机上講習のようなものを受けたことがあるそうですね。ヘルメットもハーネスも、幾つか器具も持っています。

 

▲12:19。3級ルートの上部はこんな感じです。このルート自体は高さ6mくらいでしょうか。

 

▲12:21。O崎さんも哲さんもロワーダウンを怖がらずに降りて来ます。怖がって、足で立つ姿勢をとってしまう人もいます。体が起きてしまうと、逆に足が滑り易くなるんですよね。足は岩場と垂直になるくらいに思った方がいいのです。

 

▲12:25。K野さんが登っています。哲さんはしっかりと確保しています。

 

この後、僕たちは昼食タイムにしました。しかし、すぐに遠くで雷の音が聞こえ始めます。雷鳴は鳴るたびにどんどん接近して来て、すぐに大音響を轟かせるようになりました。雷雨の予想を見ても、どうやらこの場所を直撃するようです。僕たちは荷物が濡れないようにして、天覧山中腹広場の東屋へ避難することにしました。

 

▲12:55。豪雨の中、この東屋に逃げ込みました。まさにバケツを引っ繰り返したような雨です。すぐ近くの景色も雨で白く煙(けぶ)っています。

 

▲12:58。少し雨の量は減りましたが、大雨ではあります。

 

▲13:16。雨がやみました。

 

▲13:16。青空も覗いています。

 

気象庁のデータを見ると、飯能市では30分間20ミリ以上の雨が降ったようですね。そのうち10分間では17ミリですから、1時間換算では100ミリ降るような激しい雨だったわけです。ただ、僕の個人的感想では、もっと降っていたように感じます。気象庁が設置している飯能市の観測地点よりも天覧山の方がより多く降っていたと思います。

 

▲13:45。さ~て、午後の練習、再開です。午前中から張ってあるトップロープの場所に懸垂下降用のザイルもセットしました。自分の好きなルートを登って来た哲さんは岩場の上まで来て、まずはセルフビレイを取り、8環に懸垂下降のためのザイルをセットします。そして、セルフビレイを外し、トップロープのザイルで確保されたまま、懸垂下降。哲さん、人生初の懸垂下降です。

 

▲13:50。O崎さんも続きます。

 

▲13:56。同じように懸垂下降。O崎さんも人生初の懸垂下降です。これを2人とも2度実践しました。

 

▲13:59。右の木を使った2ヶ所のシュリンゲはトップロープ用。左は僕のセルフビレイ。左上から右下へ伸びている水色のザイルは懸垂下降用ザイルです。

 

▲14:27。最後に僕も懸垂下降。ルベルソ5を用いての正式な懸垂下降です。ルベルソは体からは少し離れたところにセットしています。そして、黄色いシュリンゲですがマッシャー結びで体の近くにセットしました。最近の懸垂下降ではこのマッシャー結び等で安全装置をセットすることが、主流になっているようです。懸垂下降の途中でアクシデントがあって、ザイルから両手を離してしまっても、その場で自動的に停止します。安全意識が時代と共に高まって来ているのでしょう。以前から、8環なら仮固定ですぐに留まることが出来るけれど、ATCやルベルソではどうするんだろう? と思っていました。こうするんですね。

 

▲14:50。最下部岩場は静かです。まだびしょ濡れのままですが、陽射しも降り注いでいます。実は、もうひとつのパーティーが移動したんです。僕たちが雨宿りしていた東屋に行くと言っていました。そこでザイルワーク中心に練習するんでしょうね。ですから、最下部岩場を僕たち4人パーティーが独占しています。

 

▲14:53。岩場の右に懸垂下降用のザイルを移しました。この上へは安全に歩いて行けるのです。懸垂下降を確実なものにするために何回も練習してもらうことにしました。哲さんが懸垂下降で降りて来ています。

 

▲15:05。このルベルソ4(かな?)は哲さん自身のだったと思います。ルベルソを体の近くに置いて、安全装置のフリクションノットは遠いサイドにセットしていますね。フリクションノットはクレイムハイストですね。下降器と安全装置の位置関係はどちらがいいのか、僕はまだ分かりません。ただ、公式には先ほどの僕のように安全装置の方を体に近づけていますね。

 

▲15:10。O崎さんも懸垂下降。

 

▲15:15。哲さんもこの方(安全装置が体の近く)がやりやすい、と言ってましたね。

 

哲さんもO崎さんも懸垂下降を数回繰り返すうちに、K野さんからのアドバイスなしに懸垂下降が出来るようになりました。岩場上部でのチェックを任せていたK野さんも最後に懸垂で降りて来ました。

続いて、時間的に最後の練習メニューになりますが、カラビナの掛け替えをしました。岩場の下の所々に打たれているリングボルトを利用して、横に数メートル、ザイルを張りました。途中の2ヶ所でカラビナの掛け替えをするようにセットしました。そこでカラビナの掛け替えの方法と意味を説明します。固定されたザイルにフリクションノット等をセットして登る(移動する)際に必要となるのがカラビナの掛け替えです。シビアな状況でのカラビナの掛け替えでは、片手でザイルが一瞬たりともカラビナから外れることなくすり替えるように掛け替えをする方法もあります。これは家で何度も何度も練習しておかないと難しいですね。また、ヨーロッパアルプスでのヴィア・フェラータのように人間側のセルフビレイ的なものを2つにしておく手もあります。逆に、固定された支点側のプロテクション的なものを2つセットしておく手もあるでしょう。

でも、今回はいちばんいい加減な方法、落ちるはずのない場所でのいい加減な方法を練習しました。本来的にはこんなやり方では駄目だというやり方です。でも、沢なのでは実際上はこんな風にやっていることがほとんどだと思います。(でも、プロテクション的なものを2つにした方がいいのだと思います)

 

▲16:06。僕は終了点にいます。上ではザイルを固定しています。途中、だいだい色で囲んだ箇所カラビナの掛け替えをします。いま哲さんが登って来ています。下ではK野さんがザイルを引いて、哲さんのフリクションノットが動き易いようにしてあげています。

 

▲16:06。哲さんが最初のカラビナの掛け替えを実行中。安定した足場なので、カラビナを外して(本当は駄目なんですが)、自分のフリクションノットの下方に移し替えているのです。(やっぱり、ヌンチャクを2つセットするのを基本にしようかな) 2番目のカラビナ掛け替えも行なって、岩場の上に上がり、歩いて元の場所に戻ってもらいます。

 

▲16:13。続いてO崎さん。最初のカラビナ掛け替えもやって、2つ目のカラビナ掛け替えをやるべくトラバース中です。

 

このカラビナ掛け替えも2回ずつやってもらいました。そして、最後にザイルの末端でK野さんに上がって来てもらって終了。

ちょうどいい時間になったので、この日のトレーニングも終了です。岩場が濡れていたせいで、いつもあまりやらない種類のトレーニングをいろいろとすることが出来ました。これはこれで充実したトレーニングになったと思います。

 

下山途中、あのパーティーがまだ東屋で何かトレーニングをしていました。熱心ですね。人数もこちらの倍以上いたので、時間はかかるんだと思います。

 

入ろうと思っていた居酒屋さんは地元客で一杯でした。2軒目はこの日は品揃えが乏しく、3軒目に入りました。それから延々3時間以上。哲さんが場を盛り上げるのが上手で、しかも4人ともアルコールに弱くなくて、飲み続け、喋り続けました。僕は近いのでいいのですが、3人は遠いですから、僕が気を回してあげて、早くお開きにしなければ駄目だったんですがね。僕も気分が良くなると、そんな配慮も吹っ飛んでしまいますからね。


10年ぶりのシダクラ尾根。新鮮な感覚で感動できました

2022年06月09日 | ハイキング/奥多摩

YYDでは常時新入会員を募集しています。入会を検討している人のために時々体験山行を実施しています。体験山行だからと言って、易しいハイキングと思ったら大間違い。登山体験がさほど多くない人もいるのですが、そんな人にとってはかなりハードな山行を計画しています。YYDの常日頃の山行と比べれば、易しい方かもしれませんけれどね。

ちなみに僕の場合の体験山行は奥多摩のヤケト尾根(日陰名栗山北尾根)でした。僕はこの尾根を何回か登ったことがありましたし、積雪期にも登ったことがありましたから、問題はありませんでした。さらにもう1回、僕は体験山行に参加しました。丹沢の広沢寺での岩トレです。ここでも数多く岩トレしたことがありましたから、問題はありません。直後に僕は入会を決めました。

 

この日の山行にも体験山行参加者が5名もいました。YYDメンバーは5名、珍しく大所帯の山行になりました。

と同時に、この日の山行は地図読み山行でもありました。地図読みを練習する山行です。皆が地形図を手に常に現在地を確認しながら歩くのです。YYDでは最近とりわけ読図に熱心なメンバーが増えています。好ましい傾向だと思います。かく言う僕自身は読図は自己流でいい加減なんですけれどね。

 

2022年6月5日(日) シダクラ尾根~御前山~陣馬尾根

▲8:37。奥多摩駅発8時35分の丹波行きに乗る予定でした。でも、登山客が多くて、臨時バスが出て、この時刻に惣岳バス停に到着です。

 

▲8:40。S原さんが体験山行参加者に解けない靴紐の結び方を教えてあげています。僕も昔誰かから教えてもらったことがありますが、使わないまま忘れてしまいました。

 

▲8:48。惣岳バス停のすぐ横に下にある集落へ降りる道があります。

 

▲8:57。シダクラ橋を渡ります。

 

▲9:01。シダクラ橋を渡ると、左下へ降りる山道へ入り、下に見えているシダクラ沢を対岸に渡ります。シダクラ尾根シダクラ沢右岸尾根なんです。右岸とか左岸とかの呼び方は下流方向を見て、右側が右岸、左側を左岸と呼びます。

 

昔、多摩川土手を散歩していたら、確か橋脚に貼ってあったプレートだったと思いますけれど、左岸なはずなのに右岸と記されていました。ちょうど偶然に国の河川保全を担っている公務員さんが原付バイクに乗って調査中でした。彼にその間違いを指摘したら、その後そのプレートの記述が訂正されていましたね。

 

▲9:12。シダクラ尾根に取り付くと、しっかりした仕事道が付いていました。その山道を利用して、左へ回り込むようにしながら登って行きます。でも、あまり標高を上げないので、途中で山の斜面を直登していきました。写真の明るい広場はどうやらワラビ畑のようですね。

 

▲9:13。3人は右に見える送電鉄塔へ向かいました。そちらの方がシダクラ尾根のメインの尾根でしょうね。7人は直進しています。

 

▲9:22。立派な仕事道が現われて、そこで7人と3人が合流しました。

 

▲9:52。メンバーの内のひとりの軽登山靴の底が剥げたようです。応急処置として、ガムテープとかテーピング用のテープでぐるぐる巻きにします。他のメンバーはホッとひと息ですね。

 

▲9:59。杉の植林ですが、間伐材の切り口がまだ新しかったですね。今年や去年の作業のようですから、仕事道もしっかりしていたんでしょうね。山の仕事道は使わなくなって何年も経つと、荒廃してしまいます。

 

▲10:05。急登ですが、ジグザグに仕事道が付いていますから、思いの外が出来ます。

 

▲10:07。シダクラ尾根には岩場があちこちにあります。石灰岩だと思います。

 

▲10:08。仕事道があるので、本当にに歩けますね。

 

▲10:14。シダクラ尾根の主稜線に出たのですが、そのまま登らずに、ちょっと戻りました。810m標高点を確認するためです。

 

▲10:28。多分、810m標高点での地図での確認作業だと思います。

 

▲10:42。しばらく行くと、広葉樹林になりました。やっぱり杉の植林よりは気持ちよくなりますね。その代わり、仕事道は無くなりますけど。

 

▲10:45。岩場も時々出現します。やはり石灰岩ぽいですね。

 

▲10:49。地形図を読む限り、というほどではありませんが、少しだけ傾斜の緩む場所ではありますね。

 

▲11:14。広葉樹と岩場、バリエーションルートとしては申し分のないセットです。この日は一日中曇りの天気予報だったのですが(しかも午後3時くらいからは雨)、陽射しも時折あって、いい方向へ予報が外れてくれています。

 

▲11:16。また現在位置の確認をしていますね。急登一方のこんな尾根では写真のような傾斜が緩んだ地点が良いアクセントになりますね。地図上での確認が取り易いポイントです。

 

▲11:36。心地の良い広葉樹林帯の急登が続きます。こんな山の斜面を登っているとアドレナリンが出るのか、ハイカーズハイになりますね。幸福感が溢れます。

 

▲11:39。途中、見事な巨樹が生えていました。樹種は分かりませんが、葉っぱの形などからすると、トチノキでしょうか?

 

▲11:41。ベンチがあるということは、ここは体験の森でしょうね。アセビの広場かな?

 

▲11:49。また岩場が出て来ました。僕はこの岩場を直登しようと思ったのですが、上部で岩場がどうなっているのか分からなかったので、止めました。どうやら問題なくその先へ行けたようですね。

 

▲12:01。傾斜の緩む箇所も増えて来ました。もうすぐ惣岳山のようですね。

 

▲12:10。惣岳山1348.5m山頂です。

 

▲12:26。御前山1405.0mへ向かいます。こんな階段あったかな?

 

▲12:28。バイケイソウが群生してますね。以前はこんな所に生えていたかな? 鹿が食べない毒草なので増えたのかもしれません。そう言えば、御前山周辺のカタクリが激減している原因も鹿の食害によるものだと思われます。何も鹿が悪いわけではありません。悪いのは人間で、地球温暖化の余波で奥多摩の冬を死なずに越せる鹿が増えたので、鹿がカタクリの葉を食べているのでしょうね。鹿の天敵だったニホンオオカミが滅亡したのも、人間の仕業ですしね。

 

▲12:29。御前山1405.0m山頂です。

 

ここでしばし休憩です。山頂には別パーティーもいて、何故か300ccほどの水入りのペットボトルを大量に持っていました。要る人にはあげますよ、と言うことだったのでYYDのメンバーがたくさん貰っていました。

 

▲12:56。御前山からは再び先ほどの惣岳山へ戻って来ました

 

▲13:08。惣岳山からは小河内峠へ向かいます。写真中央の樹はホオノキのようで、白くて大きな花を咲かせていました。

 

▲13:18。ヤマツツジの咲き残りですね。

 

▲13:33。この日は小河内峠1040mまでは行かずに、途中から登山道ではない支尾根を下降します。1200m標高点の少し南西の1160m付近から南へ下ります。

 

▲13:44。この尾根を下っている人はいるようで、赤テープもけっこう付いていました。1100m付近だと思いますけれど、ここで尾根が二手に分かれますから、地図で確認しているところです。

 

▲13:56。登山道と合流しました。970m付近です。一般的にこの陣馬尾根登山道は小河内峠から出ていますが、尾根としてはこの日歩いた尾根こそが正しく陣馬尾根だと言えるようですね。

 

▲13:56。バス停まであと2.2kmです。この時点で(本当はもっと前からですが)藤倉バス停発14時39分のバスは諦めました。

 

▲14:04。「陣馬尾根 中ノ平遺跡    都道二〇五号線    コノ付近全体 縦穴式住居跡 約七~八千年前ト推定  桧原村教育委員会 外 考古学者ニテ判明 土器ガ出土シ出土品ハ桧原村郷土資料館ニ有リ    発見者 矢沢 小林    発掘協力 八株 小泉 新築(?)他    第一回発掘 昭和三十五年    第二回発掘 昭和四十九年    建  矢沢 十四代目 小林忠利」

この付近は大昔は海岸線の近くだったのでしょうね。

 

▲14:25。先ほどのも小林忠利さんが建てたものでしたね。周辺にお地蔵さんらしきものは見当たりませんでした。荷付場の読み方や意味を調べたのですが、分かりませんでした。僕の想像ですが、里から牛か馬で運んできた荷をここで付け直す作業をしたのかな? と想像しました。

 

戦国時代以前から古甲州道があったようですね。秋川沿いから檜原村、小菅村を通って大菩薩峠を越える道だったようです。檜原村の中心部は確か浅間尾根を通っていたんだと思います。谷底に沿って歩くのは危険ですからね。大菩薩峠へは牛ノ寝通りを通ったのかな、などと想像したくなりますね。

また、甲州裏街道(青梅街道)1606年に開設されたんだとか。数馬の切通しが出来ると、古甲州道よりは甲州裏街道の方が多用されたようですね。となると、北秋川沿いの集落からも陣馬尾根を越えて小河内村に出て、甲州裏街道を利用した方が便利なこともあったのかもしれませんね。

 

▲14:36。山腹に点在する民家にとって、このモノレールは必需品ですよね。モノレール軌道の下を山道がくぐります。こんなモノレールに乗りたければ、檜原村の重要文化財である小林家住宅に行くために乗ることが出来ますよ。

 

▲14:54。もう、ほぼ里に降りて来ましたね。

 

▲14:58。春日神社と御神木の巨樹です。杉でしょうかね? 雰囲気のある神社でした。

 

▲15:07。藤倉バス停に着きました。これから1時間半ほど待たないとバスは来ません。

 

▲16:12。いろいろな話題も尽きて、ザイルを使ってのミニ講習会が始まりました。半マスト結びでの懸垂下降とか、30mザイルで30mを懸垂下降するにはどんな方法があるのか等々。

 

▲16:13。こちらではストレッチ講習会でしょうか?

 

▲16:19。バスはけっこう早くから来ていて、待機していました。左の建物は公衆トイレです。

 

シダクラ尾根は過去に幾度か登っています。いちばん最近では2012年9月に登っていますね。

シダクラ尾根を登りましたが、久し振りに日没後下山となってしまいました・・・・反省

でも、ほとんどシダクラ尾根のことは忘れてしまっていたみたいで、この日のシダクラ尾根を新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。


YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました

2022年06月02日 | 沢登り/多摩川日原川水系

鷹ノ巣谷へはもう10回以上は入渓していると思います。でも、遡行回数だけではなく、僕にとって鷹ノ巣谷が特別なのは、鷹ノ巣谷が僕が沢登りをした最初の沢だった、ということなんです。

本当のところは、鷹ノ巣谷の前にカロ―川谷に入ってはいます。普通のハイキングの格好で入り、裸足になってナメ滝を登り、次の滝を高巻こうとしましたが、危険と判断してそこで終了しました。

その直後から本屋さんで「僕がやろうとしている、沢沿いに山へ登る行為は一体何なのか?」知ろうと思い、本を探しました。そして、それが沢登りだということを知ったわけです。沢登りの解説本を1冊、沢のルート図集を1冊購入しました。ルート図集の方は、当時はそれしか販売されていなかったと思います。そのルート図集は『東京周辺の沢』(昭和54年5月10日 初版発行 草文社)でした。

そして、1980年5月3日、僕は単独で鷹ノ巣谷へ行きました。地下足袋に草鞋、それだけの装備でした。ハーネスもヘルメットも、もちろんザイルなんて使い方が分かりませんから、持っていません。シュリンゲとカラビナは1つずつ持っていたかもしれません。解説本で投げ縄のことが書かれていましたから、それ用に持っていたかと思います。今は投げ縄なんてしませんが、当時は幾度か実践した記憶があります。

高巻ける滝はすべて巻いて、大滝も右から高巻きました。大滝はその後、滝の右斜面が崩れましたから、巻きづらくなりましたが、当時は比較的楽に高巻けたのです。さらに、上流では金左小屋窪に入り、水が消えてからは猛烈な笹藪漕ぎになりました(その後、増えた鹿の影響で笹藪は消滅しました)。この深くて長い笹藪漕ぎで凄く不安になったことを今でも覚えています。このまま永遠にこの笹藪から脱出できないのではないかとの恐怖に囚われたのです。もちろん、登れば必ず稜線に飛び出します。稜線に出た瞬間、僕の眼前に富士山の姿が飛び込んで来ました。感動しました。

それで、僕は沢登りの虜になってしまったわけです。

以下、沢登りを初めてやり始めた1980年の遡行記録です。

5月3日 鷹ノ巣谷

5月5日 鷹ノ巣谷

夏    川苔谷逆川

9月15日 水根沢谷

9月21日 盆堀川棡葉窪

10月10日 盆堀川千ガ沢石津窪

10月26日 海沢

ほとんどは単独行ですが、山に一緒に行っていた友人(沢登りは未経験)を誘ったこともありました。沢登りの危険性が全然分かっていなかったからです。

 

僕の鷹ノ巣谷思い出話はここまでとして、YYDのY山さんが鷹ノ巣谷の計画を出しました。大滝までの往復です。Y山さんの山行には出来るだけ参加したいと思っています。それに今回は怪我が快復したS藤さんの復帰山行でもあります。お祝いの気持ちを込めて参加したいと思いました。

 

2022年5月29日(日) 鷹ノ巣谷/大滝までを往復

▲9:43。日原川の本流に鷹ノ巣谷が右から出合っています。

 

▲9:51。沢装備を準備して出発です。

 

▲9:59。先頭を行くのはN坂さん。続いて、前の週に長尾谷で一緒だったK田さんが続きます。

 

▲10:05。みんな水線通しに攻めてますね。僕はと言うと、濡れるのがあまり好きではありませんから、ひとり水線から離れて遡行しています。

 

▲10:23。この日は都心は真夏日、奥多摩町も真夏日の暑さ。陽射しも暖かです。でも、沢の中は別天地で涼しいですね。

 

▲10:29。この日のリーダーのY山さん。凄い勢いで流れる滝にも突っ込んでいきました。

 

▲10:34。K藤さんがへつりにチャレンジしています。失敗してもドボンするだけですから、危険はありません。でも、みんなドボンせずに突破してました。

 

▲10:43。K田さんはどこもすべてチャレンジします。

 

▲僕もK田さんに続きましたが、この先で右から高巻いたような記憶が微かにありますね。みんなが辿ってないルートを辿ろうと思う気持ちもあったりしますしね。この写真に写っているのは僕です。(撮影:Y山)

▲10:52。上の2枚の写真の最上部かなと思います。Y山さんが念のためにザイルを出しているみたいですね。

 

▲11:02。沢らしい光景が続きます。

 

▲11:09。A宮さんもどんどん水の中に入って行きます。僕は水から離れて高みの見物。

 

▲11:12。シャワーを浴びるのが好きなんでしょうね。僕はさほど好きではありませんけどね。すぐ左にはY山さんも待機して、順番を待っています。

 

▲11:21。ここは僕も水線通しに行ったような記憶があります。でも、さほど濡れずに突破できました。

 

▲11:49。S藤さんが触っている岩の下から登るのですが、N坂さんがリードして、ザイルをセットしました。それほど難しい岩場ではありません。この写真でこれから水流を渡るのですが、水の勢いが強い時は足が弾かれ流されそうで怖いのです。1ヶ所のプロテクションの箇所でザイルの向きが変わるので、そこではカラビナの掛け替えをしなければなりません。それを外してしまうと、以降の人が万が一落下した場合、滝の流れの中に振られて落ちてしまいます。長尾谷の時もそうでしたが、このような状況で共通の判断が出来るメンバーが増えなければ駄目ですね。そのためには、実戦経験を数多く積むことはもちろんですが、他人事ではなく自分事として考え体得していかなければ、何回経験しても頭の上を素通りしていくだけだと思います。

 

▲11:54。支沢に美しい滝がかかっていました。2日前に雨がたくさん降ったので水量が多いせいなのでしょうね。

 

▲12:15。こんなところあったかな? と思いました。残置シュリンゲが何本もぶら下がっています。N坂さんがリードして、他のメンバーはザイルで確保されて登りました。僕も残置シュリンゲは使わずに登ろうとしましたが、やっぱり残置シュリンゲに頼ってしまいました。

 

▲N坂さんの確保の様子。(撮影:Y山)

 

▲僕が最後だったのかな? これから登り始める僕。(撮影:Y山)

 

▲12:41。大滝が見えて来ました。

 

▲12:45。この日の鷹ノ巣谷は平水よりも少し水量が多いですから、大滝も美しく飛沫が舞い上がっています。

 

▲12:53。この滝をリードするのはA宮さん。

 

▲12:56。大滝自体は1段20mですが、登攀する右壁には途中に広いテラスがあって2段になっています。土が流されてしまったようで、そのテラスには水が溜まって釜のようになっていました。A宮さんは順調に登攀していきます。写真では姿がよく見えませんけれど、もうすぐ上に抜けるところです。

 

▲13:23。他のメンバーは固定されたザイルにフリクションノットで登って行きました。

 

▲13:23。ラストの僕は途中のテラスで大滝の飛沫をパチリ。

 

▲13:38。大滝の上でこの日初めての休憩。

 

▲僕は対岸にひとり渡って休憩。(撮影:Y山)

 

▲13:49。いつもはさらに上流へ遡行し、稜線まで詰め上げるのですが、この日はこの大滝から下降する計画です。早速、懸垂下降です。順番を待つ間もちゃんとセルフビレイを取って待ちます。

 

▲13:58。K藤さんが懸垂下降します。

 

▲14:04。S藤さんも懸垂下降します。

 

▲14:16。僕はこの日初めてルベルソ5を使った正式な懸垂下降を実践してみました。赤いシュリンゲを使ってルベルソ5の設置位置を体から離れた場所に置き、体のすぐそばにマッシャ―結びでフリクションノットを作るのです。

 

ATCでの懸垂下降は慣れているのですが、正式な方法ではありませんでした。つまり、フリクションノットを使っていなかったのです。懸垂下降の途中で何事かが発生した場合、体がそれ以上下がらないように仮固定しなければならないことがあります。8環での懸垂下降なら簡単に仮固定が出来ます。ATCで懸垂下降していた際に、「どうやって仮固定するんだろう?」と疑問に感じていましたが、常にフリクションノットをセットしておくのですね。これなら何時でも両手を離すことが出来ます(もちろん正式固定もしなければなりませんが)。

ところが、です。

実際にこれで懸垂下降してみると、体がまったく下がって行きません。マッシャー結びが固すぎて、制動が効きすぎるのです。そのマッシャー結びの部分にザイルへの重みが全部かかってしまうので、ルベルソ5には僕の体重が1kgもかからなくなります。結果的にまったく体が下降していかないのです。

ですから、力づくでマッシャー結びを下げていかなければなりません。ゆっくりゆっくりしか、下降できませんでした。

たっぷり時間がかかって下まで降りると、僕はY山さんに聞いてみました。「マッシャーが効きすぎて動かないんですよ。どこが駄目なんでしょうかね?」。Y山さんは「マッシャーが巻き過ぎなんじゃないでしょうかね?」と言います。天覧山あたりで繰り返し練習して、適切なフリクションノットを見出さなければならないようですね。

ブログを書きながら思ったことがあります。ルベルソ5をセットしている赤いシュリンゲとマッシャー結びの黄色のシュリンゲが同じ安全環付カラビナにセットしてあることが間違いかなと思いました。マッシャー結びに遊びがないんですよね。遊びがないと緩む余地も乏しいのかもしれません。これも試してみたいですね。

この日は、それ以降の懸垂下降ではマッシャー結びはセットせずに懸垂下降しました。

 

▲14:24。大滝ともサヨウナラですね。

 

▲14:46。大滝に続く2ヶ所目の懸垂下降です。K藤さんですね。

 

▲14:56。登りでは滝を直登したんだと思いますが、高巻きで下ります。

 

▲15:23。3ヶ所目の懸垂下降。S藤さんですね。

 

▲16:07。4ヶ所目の懸垂下降は木にセットしました。S藤さんとK藤さんかな。

 

▲16:13。最後にA宮さんが懸垂下降していますね。

 

3回目の懸垂下降まではY山さんと僕とでセットしたザイルを回収し、束ねました。1度ならともかく、2度目3度目ともなると、Y山さんと僕とは苦笑いを交わすようになります。この日の女性メンバーには沢屋として自立してもらいたいとの願いがありますから、ルートファインディング、滝のリード、懸垂下降のセット等々、Y山さんは彼女たちにほとんどを任せているのです。僕もそれは分かっていますから、邪魔をせずに口出しも控えています。(まあ、高齢者ですから連れて行ってくれて、一緒に遡行させてくれるだけで感謝ですけどね)

ですから、4回目の懸垂下降のセット回収には僕は関わらないことにしたのです。

 

▲16:24。小滝をクライムダウンし、釜の脇をへつり(トラバースし)ました。

 

▲16:51。日原川本流の流れが見えて来ました。鷹ノ巣谷出合です。木橋が見えていますね。以前は渡れましたけれど、今はほぼ垂直に傾いています。

 

▲16:53。巳ノ戸橋を渡ります。この橋は日原川に架かっています。巳ノ戸沢は鷹ノ巣谷の支流でここからは離れた場所にあります。どうしてこれが巳ノ戸橋なのか、不思議ですね。個人的には鷹ノ巣橋がいいと思いますけどね。

 

▲16:59。中日原の集落に出て来ました。先頭を歩くのはK田さん。

 

▲17:07。東日原バス停に到着です。右の薄黄色の建物はトイレです。以前に比べると、とっても綺麗になっていました。

 

▲17:07。日原川の下流側を眺めると、谷の隙間に遠くの山が見えています。地図で確認すると、どうやら本仁田山1224.5mのようですね。奥多摩駅の裏山です。

 

上の写真で本仁田山の右、日原川に落ち込んでいる尾根(カラ沢尾根)に白っぽい岩場が見えますよね。緑の木々の中に埋もれているように見えますが、この岩場は尾根を形成している岩峰なんです。地元ではトゲ山と呼ばれているのですが、奥多摩の山岳救助隊員の間ではまってろ岩峰と呼ばれているそうなんです。この岩峰でそれ以上降りられなくなった登山者(遭難者)に、日原から拡声器で「いま救けに行くからそこを絶対に動くな。そこでまってろ~と呼びかけるからなんだそうです。

何故、登山者がこんな岩峰の上で立ち往生してしまうかと言うと、石尾根を奥多摩駅へ下る予定の登山者が石尾根上の城山で道を間違えて、カラ沢尾根に入ってしまうんだそうです。そして、この岩峰まで来るのですが、ここからの下り方が分からない。日原の集落からはこの岩峰にいる登山者が見えるので、駐在さんに通報するという訳です。

でも、今はほとんどそんな登山者はいません。山岳救助隊が城山のカラ沢尾根入口に「通行禁止」のロープを張ったからです。

カラ沢尾根への取付はちょっと複雑です。日原集落から対岸へ橋で渡り、カラ沢を過ぎて、東隣りのタル沢尾根の山道に入ります。カラ沢出合のすぐそばにある直登不可の滝の上流にその山道は続いています。カラ沢を渡り、渡った場所から斜面を登ればカラ沢尾根に出ます。記憶だけを頼りに書きましたから、不正確あるいは間違っているかもしれません。

 

17時30分のバスに乗りました。前の週の長尾谷の時と同じバスですね。この日はS藤さんの復帰祝いでもあるので、彼女の希望や都合に合わせることになっているみたいです。18時14分の電車に乗るとのことなので、僕は天益に挨拶だけしに行きました。

 

▲18:06。電車の中ではA宮さんが撮影した動画を見せていました。今は本当に性能がいいですから、コンパクトなデジカメくらいの大きさでも凄く精緻な動画が撮れるんでしょうね。詳しくは分かりませんが、カメラをスマホに接続して、スマホ画面で観ているのかな?

 

青梅駅で乗り換え、河辺駅で下車。駅前の河辺温泉 梅の湯でお風呂に入りました。僕はここは初めてですね。ここまで戻って来たら、家に帰った方が早いですしね。8時に全員がお風呂から出て来て、館内の立派な居酒屋さんで集合。楽しいひと時を過ごしました。