ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

二人でのんびりマイペーストレーニング

2012年10月29日 | 岩登りトレーニング

2012/10/27  S子と二人で日和田へ行きました。土曜日の朝食をいつも通り自宅で食し、8時過ぎて家を出て、高麗駅に9:30ころに着きます。高麗駅でやたら多くの人々が下車しましたが、クライマーらしき姿は見えません。「空いていればいいな~ぁ」との期待が高まります。
今日の目的のひとつは半年振り以上のS子のクライミング感覚を取り戻すこと。易しい3級から登って、4級+程度までのクライミングが出来ればいいと思っています。

岩場への山道もいつもよりゆっくりと歩みを進めました。岩場からの声が聞こえ始め、岩場の様子が見え始めると、あわわわわ~~~ってなもんです! 人が多い。多~い! 中高年の大パーティーが来ている感じです。どこもかしこもトップロープのザイルが下がっています。

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▲男岩南面の右端の外にあるルートが空いていました。傾斜の緩い3級ルート。人気のないルートですから、いつも空いています。S子がフォロウで登って来ます。今日はリードはすべて僕、S子はフォロウです。10:48ころ。

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▲このルートの確保支点はこの3本の木です。右端と左端の木は確保者である僕のセルフビレイ。真ん中の木がS子を確保しているエイト環用です。簡単なルートなので、チョン掛けで確保しています。

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▲男岩南面の状況。4級+の「南面右ルート」は空いていますが、3級ルートには全部ザイルが垂れ下がっています。トップロープにセットしてありますから、そのルートに割り込んで登ることはなかなか出来ません。時々は他のクライマーにも譲って欲しいものです。
結局、左に人が二人写っていますが、その間からスタートして、右上するように間隙を縫って登ることにしました。10:58ころ。

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▲男岩の登攀終了点での確保システムです。右の二つがセルフビレイ。左のATCでS子を確保しています。11:14ころ。

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▲男岩西面もこんな感じです。ザイルの簾! 11:28ころ。

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▲懸垂下降で降りてくるS子。その左にはトップロープで登っている3人が………。この混雑ぶり! 11:29ころ。

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▲3ルート目は男岩南面の「クラック」ルートを凹角から登攀しました。ゲレンデのガイドブックでは4級+とか、デシマル表記では5.5とかになっていますが、そんなに難しくはありません。3級+~4級-、デシマルでは5.2~5.3くらいだと思います。
S子も快適にフォロウして来ました。11:51ころ。

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▲お昼時となり、大グループも昼食タイム。セットしてあるトップロープもそのままですが、誰も登ってはいません。この間を利用して、一番混雑しているルートを登ることにしました。男岩南面の「左ルート」です。3級+になっていますが、最上部は直上しましたから、4級-はあるでしょう。写真は登って来るS子です。他パーティーのザイルを潜りながらの登攀です。12:18ころ。

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▲僕たちもお昼休みをとり、昼食後の1本目(通算5本目)がこのルート。男岩西面の松の木ハングの右下から 男岩南面の「左ルート」上部へ回り込むルート。4級-~4級はあるかと思います。僕がリードし、フォロウで登るS子が下で待機しています。13:40ころ。

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▲二人とも登り終えると、男岩西面を懸垂下降で降りました。写真は下降途中のS子。上空には青空も見えますが、この日の基本は曇り。一瞬だけでしたが、小雨もポツンと落ちて来るような天気でした。14:03ころ。

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▲6本目のルートを登攀中のS子の写真は撮れませんでした。僕の確保地点からは見えないからです。この写真はそのルートを登攀後、懸垂下降しているS子。ひとつ前の写真と同じですね。14:30ころ。
登攀したルートは、S子の右下で登攀中のクライマーの足元にある凹角を登り、そのクライマーの1m少し左までトラバースしてから上がっていくルート。特にルート名はありません。グレードはトラバース付近が少し難しく、4級-はあるでしょう。ただ、微妙なルートファインディングを間違えると、やたら難しくなります。
この日は外人さんたちも来ていて、左端に写っているのは彼らです。

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▲この日最後の7本目は男岩南面「右ルート」です。3段フェースになっていて、その3段目を乗り越えようとしているS子です。14:58ころ。
ガイドブックでは4級+になっています。確かに十分それくらいのグレードはありますね。デシマルでは5.6となっていますが、そんなに難しくはありません。4級+ですから5.4が妥当です。しかも、『日本100岩場②』(山と渓谷社)では「右のカンテまたはレッジへのマントル」と解説してありますが、右のカンテを使用すると、とても易しくなってしまいます。1、2、3段目の乗っこしすべてでカンテを使わないことを僕はルールとしています。このルートを登攀し始めたころ、そういったルールを聞いたものですから。
S子もずっと以前にはこのルートを当然のようにカンテを使わずにリード出来ていました。ただ、正直な話し、3段目の乗っこしでもカンテを使わないのはけっこう難しく、そこまですると5級-くらいあるかもしれません。写真でもS子の右手はカンテを掴んでいますから、僕的にはルール違反です。でも、身長の低いS子には届かないホールドまで手を伸ばさなくてはなりません。まあそれでも、そのホールド手前のより小さなホールドで体を引き上げることは可能ですが。

この日はこれで終了。僕としては普段よりは1時間以上早い切り上げですが、今日の目的は達したので満足です。大パーティーも帰っていたので、岩場は静かになっていました。
帰路は電車運が悪く乗り換えでたっぷり待たされました。

H島へ帰り着き、駅近くの九州料理の店で二人だけの打ち上げです。席に着くなり、店の人から「今日はどこの沢ですか?」と聞かれました。「今日は岩登りのトレーニングなんですよ」。
飲む焼酎は奄美大島の黒糖焼酎「長雲」。寒くなって来たのでお湯割りです。料理はもつ鍋。これでは完全に冬モードですね。S崎君たちのパーティーがこの店に来たことも話してくれましたから、僕とS崎君との関係も理解してくれていたようです。地元にこういう店があることは有り難いことです。
S子もまだまだ登れるようですし、なによりも「登ることが楽しい」と語ります。ゲレンデへ行く機会を増やし、さらにレベルの高いルートを登攀し、3級くらいのルートのリードにも慣れていって欲しいと思います。


O橋君の見事な卒業試験!

2012年10月24日 | 岩登りトレーニング

多忙な日々が続き、年末に向け超多忙になるらしい、そんなO橋君から「日曜日行けるかもしれません」とのメールが入りました。ぽっかりと暇な時間が取れたのでしょう。
僕の遊びに付き合ってくれる相手がいるということは、有り難いことです。O橋君の希望を聞くと、「越沢バットレスはどうですか?」と来ましたよ。「いいんじゃないかな」と、二つ返事で快諾です。
首都圏の日帰りできるゲレンデの中で、越沢バットレスは本番感覚を味わえる貴重なゲレンデです。何回訪れても、その岩壁の前に立って見上げると、毎回同じような威圧感を受けて身がすくむ思いがします。実際登攀しても、怖さは同じように感じますし、慣れる感じはありません。
そして、これは僕だけの勝手な思い込み、決め込みなのでしょうが、越沢バットレスに特別の地位を与えているのです。それは、『越沢バットレスの右ルートと第2スラブルートをリード出来れば一人前』という卒業試験的な役割です。これまでも8年くらい前から、Y根君、S崎君、H原君、H田君、H門君、A野さん、U田君などがその課題をクリアするのに立ち会って来ました。そのメンバーたちとの関わり方は様々でしたけれど、クリアしていく様を同時体験できるのは嬉しいものです。

2012/10/21  そしていよいよ今日はO橋君の卒業試験の日。前回の三ツ峠での様子を見ていますから、合格は約束された形式的な試験のようではありますが。
鳩ノ巣駅には少し遅めの9:32着の電車です。ゆっくりと歩みを進めます。雲仙橋の下に見えるはずの雲仙スラブは木の葉が広がったせいで見えなくなっていました。山道に入り、古里駅からの山道と合流し、しばらく行くと、迂回路との工事看板が出ています。なんと! 新しく林道が出来ています。すぐに再び山道に戻り、いつものように沢へ向かって下って行きます。沢沿いの広場に数件の建物が建っています。ずいぶん昔からありますが、いったい何をしているのか分かりません。いつころからだったか、柵のようなものが出来、簡単な戸が出来、戸で山道がふさがれ、通り辛くなりました。
柵を乗り越えて下へ向かうと、向こうに年輩の男の人がいます。僕たちを見て怒っています。「人の敷地へ勝手に入っちゃ駄目だろう!」と、そんな感じのようです。四半世紀にわたって、1年か2年に1回くらいの割でここを通っていましたけれど、人の姿を見たのも初めてです。まあひたすら謝るしか手はありませんよね。
「いつくらいからここを通っているんだい?」と聞くので、「20年以上前からでしょうか」と答えました。すると、少し表情が変わって、それなら仕方がないか、と言った雰囲気が少し感じられました。それもそのはずで、昔はみんなここを通っていたのですから。ゲレンデのガイド本にもここを通るように説明してありましたし。
でもこれからは、ここの敷地に入らないで通れる山道が出来ない限りは、越沢バットレスキャンプ場経由で入った方がいいのかもしれませんね。
※ネットで調べてみると、何をしているのか分からなかった施設の名前は「ガーデンキャンプ場」と言うのだそうです。でも、誰かがキャンプしているのを見たことはありません。そして、もっとびっくりしたのは、越沢バットレスキャンプ場が昨年に閉鎖されていたということ。しばらくは山道等の維持は行なって下さるようですが、岩場へのアプローチはどうなっていくのでしょうね。………さらにネットで調べると、ガーデンキャンプ場の敷地に入り込まないような山道があるらしいとのこと。今度行って見て来ようと思います。

アプローチの説明が長くなりました。いよいよ岩場の基部に到着です。

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▲岩場全景です。まだ一部にしか陽が当たっていません。10:36ころ。

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▲越沢バットレスでいちばん易しいルートをまずは最初に登攀します。「右ルート」です。その1ピッチ目。3級+くらいでしょうか。今日はO橋君がリードです。10:53ころ。

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▲右ルートの2ピッチ目。4級かと思いますが、意外といやらしい。細かなルートファインディングに迷うルートです。11:21ころ。

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▲右ルート3ピッチ目の出だしです。右に見える1本目のプロテクションをそのまま上へ登って行ってもいいかと思います。O橋君は左へトラバースしましたけれど、これが意外と嫌な感じでした。11:46ころ。
この3ピッチ目の核心部はここでは有名な「右の滑り台」なのですが、僕が確保している位置からは見え辛いのと、写真撮影どころではないという理由で、写していません。
「滑り台」という名前のごとく、ツルツルのスラブで、ホールドも細かい。4級+ということですが、個人的には5級-くらいには感じます。

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▲僕が確保していると、その右側を他のクライマーたちが懸垂下降で降りて行きます。11:50ころ。

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▲僕たちも登攀後ここを懸垂下降します。2本の50mザイルを結んで使用し、50mの高さを懸垂下降するのです。途中、半分以上、3分の2くらいは空中懸垂になります。下降器も手で持てなくなるくらい熱くなりますし、万が一のためにも革手袋は必要ですね。
写真の下降者はO橋君。12:25ころ。ザイルの末端まで下降すると、さらに少しのクライムダウンをしなければなりませんから、越沢バットレス右端は高さ60m近くあります。

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▲お昼になったのでひと休み、昼食です。陽が岩場に当たり、ちょっと暑いくらいです。12:36ころ。
「右ルート」はこの岩場の右端のギリギリ写っていない場所です。

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▲午後の課題は「第2スラブルート」です。その1ピッチ目を登攀中のO橋君です。中央に写っています。13:14ころ。
このピッチも意外と難しく、4級+あるように感じます。

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▲2ピッチ目は2級から始まって、3級くらいのところを登ります。易しいピッチなので、スピードアップも考慮して、僕がリード。写っているのがO橋君です。13:44ころ。
高度感が徐々に快感になって来ます!

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▲僕と交替してリードスタートするO橋君。上を向いて写真を撮ると、傾斜がどれほどか分かりにくくなるけれど、こうして真横を撮ると、よく分かります。傾斜はこんな感じですね。
写真右下の谷に越沢バットレスキャンプ場が見えています。13:47ころ。

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▲上へ上へと登っていくO橋君。これが第2スラブそのものです。この3ピッチ目はザイルピッチでおよそ40mでした。上の写真から13:52、14:06、14:09ころ。
O橋君はこの3枚の写真の最初あたりで、痛恨のミス。近接するプロテクションを同じザイルから取ったのですが、上下の順番を逆にし、Z型になってしまいました。当然、ザイルの流れは極端に悪くなります。それを直すために少しクライムダウンしなければならなくなりました。
こういった経験は誰もがしながら学ぶものです。僕も本番でやっちゃったことがあります。困難で精神的にゆとりなんて持ちようのない箇所でよくやるんですよね。

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▲第2スラブを僕がフォロウしている時、他のパーティーが「左ルート」5級を登攀していました。写真の右下の凹角状の場所に先ほどまで僕が確保していたテラスが見えています。14:27ころ。
このルートはかなり昔のことですが、リードしたことがあります。フォロウはS子でした。5級とのことですが、5級-くらいに感じた記憶があります。

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▲越沢バットレスの岩場の上にはこの金比羅神社が祀ってあります。14:44ころ。
ですから本当はこの岩場の名前は金比羅岩です。

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▲また同じところからの懸垂下降です。今度はO橋君から下降してもらいました。14:53ころ。

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▲もうこの時点で15時ころです。他のパーティーはそろそろ終了モードです。僕たちはもう少しやろう、ということで、岩場の右下隅のルートを登ることにしました。天狗の肩に登る5級-のハングしたルートです。O橋君は余裕でオンサイトでした。上から15:12、15:16、15:19ころ。

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▲天狗の肩に着くと、「ダブルジェードル」を登攀。5級-です。バランスの取りようが難しいルートです。O橋君はこれもオンサイト! でも、さすがに上部で一回「落ちるかもしれませ~ん!」と緊張のコール。これまでの疲労がさきほどのハングルートで腕や指に来てしまっていたようです。それを乗り越えたのはさすがですね。15:45ころ。

本日の登攀はこれにて終了。懸垂下降で下に戻ったのが16:20ころ。下の広場は16:30ころ。越沢バットレスキャンプ場経由で鳩ノ巣駅に着いたのは17:20ころでした。

鳩ノ巣駅での打ち上げのお店は『玉福』です。このお店が下の道路沿いにあった頃からの付き合い。ここの女将さんはきっぷのいい、実に歯切れのいいしゃべり方をする方ですが、年を重ね、今では病気を抱えた身です。それでも、お店は続けて下さっているので、女将さんが店に出ておられる限りは僕も『玉福』を贔屓にしたいと思っているのです。

ところが、この日はO橋君が早く帰宅せねばなりませんでした。打ち上げなしで帰るのは残念ですが、こういう日もあります。代わりと言ってはなんですが、『玉福』でワンカップ酒と缶ビールを購入して、ささやかな打ち上げを駅舎の中でしました。


崩壊がさらに進む水無川本谷

2012年10月17日 | 沢登り/金目川水無川水系

今回もまたS崎君と男二人の沢登りです。もともと彼にとっての地元の山は丹沢なのですけれど、ほとんど丹沢の沢へは入っていないとのこと。ならば、久し振りに丹沢の沢の代表格でもある“水無川本谷”を登ろうということになりました。
この沢には過去幾度も入渓したことがあります。トレーニングの意味合いで入渓することの多い沢でした。10回ほどは遡行していると思います。なかでも23年前の水無川本谷での出来事はその後の僕の登山に大きな影響を与え続けています。
その出来事はともかく、直近では8年前にY根君と二人で入渓しています。その際は、F8の高巻きで沢床に戻れず、そのまま登山道まで登ってしまいました。ですから、今回はちゃんとF8を高巻いて、その上流も遡行して見たかったのです。

2012/10/14  電車は前回の葛葉川本谷の時と同じ。渋沢駅を8:20の大倉行きバスに乗ります。何度歩いても、戸川林道のアプローチは詰まりません。戸沢を過ぎ、源次郎沢出合を過ぎ、堰堤を左の鎖場から乗り越えて、遡行スタート地点の河原で身支度を整えます。

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▲ここが堰堤の上の河原です。ずっと昔は、ここからの遡行スタートの順番を競うように、林道歩きも急いだものです。それがこの日は、誰も来ません。僕たちだけでした。10:31ころ。

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▲毎度お馴染みのF1です。直登も出来ますが、やっぱり左の鎖場を登りました。いつか直登したいと思います。10:44ころ。

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▲F2です。このすぐ手前にセドの沢の出合があります。10:48ころ。

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▲滝の左に残置のロープなどが設置されているのですが、右の壁の方がそそられます。S崎君がノーザイルで試みましたが、少し厭らしいということで、ザイルを出して登ることに。10:54ころ。フォロウしてみると、3級+~4級-くらいのグレードで、出してくれて正解だと思いました。

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▲丹沢にはサガミジョウロウホトトギスという絶滅危惧種が生育しているのだそうで、すわ! これがそうか? と期待したのですが、サガミジョウロウホトトギスは黄色い花なのだそうです。11:00ころ。
でも、この花は普段よく野山で見かけるヤマジノホトトギスともどこか雰囲気が違っているようです。葉がどこかしらほっそりと繊細です。家に帰って調べても、よく分かりませんでした。確信は全くありませんが、“ホトトギス”ではないでしょうか?

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▲S崎君がこんなことを言いました。「F1、F2、F3、………、F8なんて呼び方ばかりで、どうして滝の名前が付いていないんだろう」と。確かにそうですね。支流には木ノ又大日沢とか金冷シ沢とか、何かしら謂れのありそうな名前が付けられているのですから、滝にもそれなりの固有名詞が付けられていても不思議ではありません。
僕が思うにこれは沢屋の怠慢だったのではないでしょうか? 恐らく、幾つかの滝には由緒ある名前があったはずです。でも、当時の沢屋さんたちにはそんな名前はどうでもよく、ただ機械的にナンバーをふっていったのでしょう。
ちなみにこの滝はF3のようです。11:27ころ。

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▲小滝が続いています。どれがF4だか分かりませんでした。看板も見落としたのでしょう。11:35ころ。

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▲これは正真正銘F5です。以前は右壁を斜めに鎖が付けられていました。その鎖が岩場の小崩壊で切れてしまっていました。上の写真に上半分の鎖が垂れているのが見えます。11:39ころ。
鎖があった頃は鎖につかまってザイルなしでも行けたのですが、(初心者にはザイルを付けてもらったとは思いますが)今日はそういうわけにはいきません。鎖がないとそれなりに難しい滝の登攀となりました。11:48ころ。

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▲F5のすぐ上流で書策新道が横切っています。12:02ころ。

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▲F6には大きなチョックストーンがあります。この右を登るのですが、出口は被さり気味で左手のホールドが見つかりません。結局、残置してあるたくさんのロープを目いっぱい掴んでのA0登攀になってしまいました。12:14ころ。
いつかフリーで越えてみたいものですね。

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▲右岸に付けられていた看板によるとこれがF7です。6mの滝だったようですが、今はありません。山の崩落で埋まってしまったのでしょうか? 13:00ころ。

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▲F7を過ぎ、F8直前で目の前にこの滝が現われます。これを登らなければならないのかと思いきや、沢は右に曲がっていて、この滝が支沢の出合にかかっているのだということが分かるのです。ちょっと奇妙な出合でした。13:15ころ。

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▲F8・25mです。この滝の前に立って、僕の心境は複雑です。23年前までは左岸に比較的安定した巻き道がありました。ちょうど滝の落ち口に出たものです。23年前から左岸の崩壊が始まり、その最初のほんの僅かな崩れが前途ある女性の人生を大きく変えてしまいました。
滝には、沢には、山には、自然には、見えない危険が隠れています。小心になり過ぎることはありませんが、細心でなくてはいけません。謙虚に、あらゆる蓋然性に心を開いていなくてはなりません。13:17ころ。

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▲F8から離れるように右のルンゼを高巻き始めます。13:21ころ。
8年前のY根君と高巻いた際には滝の落ち口へトラバースすることはおろか、沢床へ下りるルートさえ見つからず、上へ上へと追いやられました。そのうち沢床へ下りるより、稜線へ出た方が近くなったので、そのまま稜線の登山道へ飛び出したものです。
でも今回は何と残置ロープが何十メートルと設置されていて、危なっかしいザレて脆いルンゼのトラバース等を助けてくれます。無事に沢床へ下りることが出来ました。

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▲今回F8をちゃんと高巻きたかったのは久し振りにF9を直登したかったからです。右のスラブ状を高巻き気味に登ると2級程度なのですが、水流のすぐ左を登るルートは少しいやらしい。
しかし、F9は滝そのものが崩壊していました。まったく別の滝になってしまっています。写真の滝がF9ですが、滝の前がゴソッと崩れています。まだ崩壊の最中でしょうから、登攀するのは危険でしょう。右から大きく高巻くことにします。13:39ころ。

ここも大高巻きになりました。水無川本谷はF9が最後で、後は詰め登るだけです。僕たちは沢床に戻ることは諦め、そのまま登山道へと向かいました。

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▲鹿道を拾いながら、稜線の登山道へ向かいます。霧雨がザックや衣服を濡らしました。気温も下がっています。14:01ころ。

塔ノ岳山頂には14:14、大倉尾根を下り、大倉へは16:24に着きました。16:38のバスに乗り、渋沢駅ですぐ電車に乗ります。あれ? そうなんです。今日は打ち上げなし。S崎君の翌朝からの仕事の都合で打ち上げが出来ませんでした。
仕方がないので、家へ帰り、S子と打ち上げ!


二日続けて焚火が出来ませんでした

2012年10月13日 | ハイキング/谷川連峰

10月の3連休、S子とどこかを歩いて来ようと考えていました。ところが、土曜日に野暮用が朝と晩に2件も入ってしまい、2日間だけの山歩きをあれやこれや考えていたのですが、なかなか妙案が浮かびません。何故かと言えば、どうしても焚火の出来る幕営地を計画に繰り入れたかったからです。
テントが張れる平坦地と水があり、焚火も出来る流木が豊富な場所は沢沿い。しかも、山麓付近です。そこで1泊すると、翌日には山に登って家へ帰らなければなりません。紅葉とも出逢いたいですから、上越や東北がターゲットです。
いろいろ決めあぐねていたのですが、ふっとあることに気付きました。二人とも火曜日に仕事が入っていなかった。もうこれで決まり。火曜日も加えての2泊3日山行、これなら大丈夫です。

2012/10/7  上越線の後閑駅で9時25分発猿ヶ京行きのバスに乗り込みました。数人の乗客が途中から乗り込んでは降りることを繰り返します。終点ひとつ前の関所跡のバス停まで乗っていたのは我々二人だけでした。それが10:08ごろ。そこから赤谷川沿いに続く車道を延々と歩く二人。まあ、毎度のことです。

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▲道端のアザミの花にハナムグリがとまっていました。11:09ころ。

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▲広大な敷地を擁する高原千葉村を過ぎると、富士新田大橋が出て来ます。本当は橋を渡ると、左へと進まなければならなかったのですが、間違えて右へ行ってしまいました。11:53ころ。

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▲日本の里山の田園風景が広がっています。12:01ころ。

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▲お腹も空いて来ていたので(あ、そうです、さっき道端に落ちていた小振りの柿の実を食べたのですが、甘く柔らかくて2個も食べてしまいました)、こんな旗ヒラヒラのお店が出現すると、入らない訳にはいきません。12:03ころ。

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▲S子の頼んだおすすめランチです。手前の3つの鉢は二人で自由に食べていいピクルスやラッキョウです。12:19ころ。

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▲僕の頼んだギリシャランチ「ムサカ」です。12:20ころ。
店の御主人といろいろ話し、道を間違えたこともすぐに分かりました。こんなお店に入れたのですから、間違えて幸運でした。

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▲川古温泉を通り過ぎると、車止めのゲートがあります。このゲートを通過するのは今回で3回目。これまでは2回とも笹穴沢遡行でした。13:24ころ。

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▲赤谷川を渡る橋が現われます。赤谷川橋です。赤谷林道とは別れ、もうここは渋沢林道です。14:41ころ。

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▲大源太山登山口に立つ標識。15:18ころ。
周辺を探し回りましたが、さほど良い天場はありません。それでも何とかそれなりの場所に決め、テントを張りました。平坦な地面であることはもちろんですが、すぐ近くで焚火が出来ることも大切な条件です。

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▲テントを張り、荷物を整理し、沢の流れそばに焚火の場所を設定し、焚き木を集めます。それだけのことをやってから、やっと火を熾し始めました。写真の焚火のレベルまでにはすぐに達したのです。17:12ころ。
でも、それ以上になかなかなりません。この場所は沢の流れの横だとは言え、森の中ですから、川古温泉辺りからポツポツと降り続いていた雨を溜めている木の葉から風が吹くたびにパラパラと水滴が落ちて来ます。しかも悪いことに、止んでいた雨も小雨ではありますが、再び落ちて来ます。
潔く諦めて、テントの中に入りました。残念!

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▲初日の料理はポトフです。大きなウインナーやジャガイモ、ニンジンなどをたっぷりと入れて、S子が作ってくれました。ママカリのつまみも美味しかったです。19:23ころ。

S子はシュラフにシュラフカバーですが、僕はシュラフカバーだけ。それだけでは寒いので、20年以上前に購入したお気に入りのゼロポイント製とノースケープ製のクロロファイバー冬用アンダーウェアを上下とも着ました。どちらも、特にズボン下は強烈に穴だらけです。お気に入りだったので、手放し難く、今はこういう使い方をしているのです。脚の方が少し寒く感じましたが、標高は900mくらいですし、よく寝ることが出来ました。

2012/10/8  日の出は5時40分くらいですから、起床は5時。でも、S子と二人の時は、どうしてもテキパキと出来ません。のんびり、まったりとしたペースになってしまいます。

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▲朝食はラーメン。しかも、一人分だけ。昨晩残しておいたポトフの具などをたっぷりと使います。6:02ころ。

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▲食事中のS子です。左後方に渋沢が流れ、左手前にその支流が流れています。昨日は濡れていた草も今朝はすでに乾いていました。なかなか快適な天場でした。6:04ころ。

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▲S子と二人だとどうしてこんなに時間がかかるのでしょう? もう、7:48です。ここが登山口。

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▲最初の10数分は植林の中の急登でした。森は広葉樹林に変わっています。それでも、ジグザグの急登であることは変わりません。8:04ころ。

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▲ハナイグチだと思います。本当は採集して、今晩のおかずにしたかったのですが、今日は先が長いので我慢しました。9:25ころ。

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▲水場を示す標識です。9:28ころ。
ここまで途中で一回休憩を取って1時間40分かかっています。一般的なコースタイムは1時間20分ですが、歩き初めですし、荷も重いですから、これくらいかかるのは普通でしょうか。

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▲水場への踏み跡の途中にはイグチ(多分ハナイグチ)がた~くさん生えていました。写真のところには10数本も。9:30ころ。

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▲水場です。水量はわずかですが、涸れた笹の葉を樋にして汲めます。ペットボトル1本に汲んで、平標山ノ家まで飲みました。9:32ころ。

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▲一見、南国のフルーツを彷彿とさせるような実ですよね! 家に帰って調べると、どうやらホオノキの実のようです。9:42ころ。

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▲何の実? ついでにこれも家で調べました。おそらくガマズミでしょう。食べても甘酸っぱくて美味しいらしい。果実酒やジャムにも出来るとか。10:01ころ。

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▲白樺でしょうか? 10:11ころ。

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▲ツキヨタケの実に旨そうに見える群落がありました。これがもし猛毒でなければ、最高のキノコかもしれません。噂ではすごく美味だとか。
割ってみると、元の方が黒いのでツキヨタケだと分かります。10:12ころ。

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▲これはダケカンバなのでしょうか? 快晴のスカイブルーをバックにすると、樹々も輝いて見えます。10:19ころ。

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▲今年は残暑が長く続きましたから、山の紅葉はずいぶん遅れているようです。それでも、これくらいの紅葉は現われ始めました。綺麗です。10:23ころ。

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▲青と白が光り輝いています。10:40ころ。

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▲これもガマズミだと思います。10:47ころ。

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▲黄葉も輝いています。10:52ころ。

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▲黒金山山頂(1684m)です。向こうに見えるのが、平標山。10:53ころ。

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▲ここまでは背後の景色くらいしか見えませんでしたけれど、黒金山からは360度の展望です。写真は左から平標山、仙ノ倉岳、エビス大黒ノ頭。10:54ころ。

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▲紅葉や黄葉も少しは多く見られるようになりました。尾根筋に出ましたから、景色の上半分は常に快晴の空です。11:25ころ。

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▲背後のピークが黒金山です。11:39ころ。

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▲大源太山(1764.1m)山頂へ到着したS子です。11:43ころ。

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▲大源太山から下って来ると、三国峠~平標山の尾根に出ます。その尾根の西には苗場山~佐武流山~白砂山の稜線がよく見えるようになります。写真は苗場山。12:22ころ。
苗場山の広い湿原へ飛び出す沢を遡行する夢もあるのです。

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▲笹穴沢の上流部が見えています。12:31ころ。
120mとも言われている美しい大ナメは見えていないようです。2回遡行した経験がありますが、また行ってみたい沢ですね。

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▲イワカガミが咲いていました。夏に咲く花ですが、今年はそれほどに残暑が続いていたということでしょう。10月なのに見事に咲いていました。12:35ころ。

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▲後方の山はさっきの大源太山です。12:42ころ。

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▲平標山ノ家です。13:06ころ。昔の記憶と比べて、とても立派になっている気がします。この山小屋で川古温泉で別れて以来の人に会いました。それも、たくさん、たくさん、た~くさん!

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▲途中の水場で汲んだ水も無くなっていました。ここの湧水は実に美味しい! またペットボトルに汲みました。13:07ころ。

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▲雪の重みでしょうか? ダケカンバの枝があらぬ方向にのたうっているようです。13:29ころ。

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▲確か9年前の10月にH原君、Y根君と笹穴沢に来た時、平標山周辺のこの木の階段や木道に驚かされました。その時は下るだけでしたが、今回は登りです。山では階段の上りほど嫌なものはありません。リズムが一定なので、かかる負荷の部位も同じになるからなのでしょうか、やたら疲れます。平らな場所ばかりを踏み続けると、足の裏も疲れやすいのです。
まあ、植生保護の上では致し方ないのでしょうが、こんな階段は処刑台への13段階段のようなもの。13:33ころ。

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▲平標山(1983.7m)山頂に到着するS子です。14:08ころ。
今日の歩き初めからここまで休憩込みで6時間20分。コースタイムが4時間30分ですから、少し遅めですね。S子にとっては重荷を背負っていますし、のんびりと焦らずに歩いて来ましたから、仕方のないペースでしょう。
ここから急登の平標新道登り口になる渡渉点まではコースタイム2時間25分です。のんびりペースから普通ペースに変更すれば、3時間あれば十分に下れるはずです。日没が5時15分ころですから、それまでには下れると計算していました。

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▲平標新道の尾根が右にカーブしながら急降下しています。すぐ眼下には湿原の池塘が点在しています。14:22ころ。
平標新道のすぐ向こう隣りの山は積雪期に通っていた山々です。中央が日白山、左に延びる稜線の先に東谷山、右遠方へ延びている尾根の手前からが1581mピーク、タカマタギ、棒立山です。

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▲さきほど上から見えていた湿原の池塘群です。下の写真の向こうに見えている山は仙ノ倉山。池塘にはそれぞれの表情があって、とても個性的です。14:33~14:43ころ。
ところで、あんなにびっしりと敷き詰められていた木道や木の階段はこの平標新道にはほとんどありません。この湿原にもわずかあるだけで、大部分は湿原を踏み荒らしながら歩かなければなりません。この湿原にこそ、木道は必要でしょう。

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▲西ゼンの大ナメです。15:20ころ。
この沢へは一度来たことがあるのです。下流でビバークし、翌日遡行のつもりでした。しかし、朝起きると雨。退却した辛い思い出があります。まだ、行ったことがないので行ってみたいですね。

平標山手前からカメラの電池が残り少なくなっていました。予備を持って来ていないので、これ以降あまり写していません。まあ、そんな余裕もなくなっていたのかもしれませんけど。
平標新道は登ったことは何度もあるのですが、下ったのは初めて。下るには嫌な尾根だと、今回つくづく感じました。急降下ですし、滑り易い箇所も多く、とりわけ右方向に万が一滑り落ちると、絶対に止まりようはありません。すごく神経を遣いました。

矢場ノ頭に到着するころまでは何とか日没までの下山は可能だと計算していました。でも、その先からS子の歩みがどんどん遅くなります。急下降で神経を遣うのは確かなのですが、それ以上に今日ここまでの長丁場の疲労が出て来てしまったようです。それでも、急がせることが一番危険ですから、「ゆっくり、ゆっくり、慎重に」と言い聞かせます。
何とか薄暮の頃までに到着すればと思いましたが、それも叶わず、S子はヘッドランプを出します。とはいえ、僕にとってはまだ灯りがなくても見えます。見えるなら、灯りがない方が全体像はよくつかめるので、ないままで歩く方がいい場合もあるのです。

18時ころ、渡渉点の河原へ降り立ちました。河原の石が多くなると、逆に山道の場所が分かりにくくなります。少し迷いましたが、無事に渡渉。道標横にちょうどテント1張り分の砂地を見つけて、テントを張りました。
とうとう、この日も焚火が出来ませんでした。残念。とはいえ、S子も頑張ってよく歩いてくれました。
夕食は僕が作ります。キャベツをたっぷり入れた焼きビーフン。
空にはたくさんの星が出ています。久し振りにはっきりと天の川も見えました。今晩、そして明日の朝は冷えそうです。放射冷却が激しいでしょう。
僕は着こめる服の全部を着て、シュラフカバーに入りました。

2012/10/9  陽が昇ってからゆっくり起きた朝、吐く息は真っ白。こんな夜が幾晩も続けば、紅葉も進むことでしょう。

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▲S子後方の砂地がテントを張ったスペース。この日は土樽駅12:16発の電車に間に合えばいいだけなので、ゆっくりです。8:11ころ。
この写真を撮った直後、カメラは完全に動かなくなりました。最後の一枚、よく撮れたものです。

林道に出るまでの仙ノ倉谷沿いの登山道も緊張しながら歩きました。昨日、日没直前の頃、西ゼン遡行後のパーティーに追い抜かれましたけれど、真っ暗な中、渡渉したり、この山道を歩いたりは結構大変だったと思います。

林道に出たところで、ビックリ! 吊り橋があった所に、立派な橋が架かっていて、その先へも林道が続いています。去年の12月に完成した橋でした。

林道を何か食べられるものがないかと目を光らせながら歩いていると、ありました! ありました! アケビです。まだ青いのはそのままにしておきますけれど、少し紫がかったのは家で食べようと採りました。

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▲それがこのアケビ。栗は初日にとって、焚火で焼いて食べようと思っていたのです。

林道では続いて本当に見事なアケビが見つかりました。大きな3つの実が付いていて、たった今口をぱっくり開けたような初々しい姿。開けた口の奥には黒い粒々の種をくるんだ白くて柔らかそうな塊があります。ほんのりと上品な甘み。如何にも美味しそうで、実際美味しかったので、携帯電話で写真に撮ることも忘れてすぐに食べてしまいました。お見せできなくて残念です。

水上では温泉に入り、駅前の「きむら」でパイクツ麺を食べました。毎度の習慣なんです。
高崎駅では八高線の連絡が悪く、改札を出て、喫茶店に入って待ちました。
S子との二人山旅はいつもこんな調子です。
最後までのんびり………


沢より盛り上がるヤマビル話! 台風直撃の中、酔っ払いの帰路顛末は?

2012年10月02日 | 沢登り/金目川葛葉川水系

本来、この日の葛葉川本谷はS崎君の会社の後輩お二方と一緒に行く予定でした。でも、やんごとなき所用でしたり、体調不良で、結局、S崎君と二人旅になってしまいました。
S崎君と沢へ行くのは実に久し振りで、調べてみると2008年7月の大雲取谷以来。彼はその後、結婚をし、お子さんも生まれるなどで、山からは遠ざかる生活になっていたのです。
S崎君は仕事柄、自然に対する知識が豊富です。一緒に山に入ると、いろいろなことを教わるので、それも彼と一緒に山へ入る際の楽しみの一つになっています。一般的にはむさ苦しい男二人旅ですが、彼となら楽しく遡行できそうです。

2012/9/30  ザイルは9ミリ×40mと8ミリ×30mの2本。富士形ノ滝で新人に懸垂下降の練習でもしてもらうつもりだったからです。なので、40mの方をS崎君に持ってもらうことに。
S崎君と二人なので、ある程度のスピードで短時間で遡行終了するというのも本日のテーマのひとつになります。でも、二人ともあまりあくせくと歩くタイプではありません。ですから、とりわけスピードアップを意識する訳ではありません。
菩提からの道も久し振りなので、この道でいいのだろうかと少し不安に感じながらのアプローチでした。それも桜沢橋が現われると解消し、多くの人が水を汲む「葛葉ノ泉」で沢支度です。

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▲スタート地点はこんな感じの人工的な沢です。9:49ころ。

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▲でも、すぐに小滝が出て来ます。9:50ころ。

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▲このような小滝が連続して現われます。良いウォーミングアップ! ともに10:02ころ。

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▲初心者がいる場合はこれくらいの高さがあると、念のためにザイルを出すかもしれません。10:14ころ。

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▲こんな滝はどこからでも登れそうです。銘々勝手にルートを決めて登りました。10:18ころ。

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▲2条の滝です。10:19ころ。
ここまでせいぜい5、6mまでの小滝ですが、次々に出て来ます。初心者には本当にいい沢ですね。

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▲板立ノ滝7mです。葛葉川本谷では一番難度の高い滝。10:24ころ。
S崎君は最初、流れの左を見ましたが、ピンがなく岩も逆層なので、難しそうです。次に流れのすぐ右のカンテ状を検討。ピンはありますが、グレードはかなり高そうです。アブミが欲しいルートです。
結局、右の凹角状っぽい通常ルートに落ち着きました。

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▲S崎君がリードしました。久し振りの滝のリードで緊張したでしょうが、見事リード。10:35ころ。
フォロウでは上部のワンムーヴが4級-くらいに感じました。最新のガイドブックでは3級+になっています。
滝の上で最初の休憩を取りました。

ところで、僕は経験ないのですが、板立ノ滝の高巻きは僕たちが登攀したすぐ右の笹藪でした。「でした」と言うのは、以前は濃い笹藪でしたのに今は跡形もないからです。これも鹿の食害なのでしょうか。

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▲ゴルジュの先に林道のガードレールが見えます。11:13ころ。

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▲林道から上流ではこの写真のようなナメ滝が多くなります。11:27ころ。

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▲これが富士形ノ滝10m。11:27ころ。
水流の左壁がリードするには面白そうなのですが、ピンがありません。結局、水流右の2級+~3級-くらいのルートをザイルを出して登りました。
ここで懸垂下降などのトレーニングが出来ればいいなぁと考えていたのです。

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▲S崎君がちょっと難しそうに登っていたので、他に楽そうなルートはあったのですが、僕も続いて登ってみました。瞬間4級-くらいでしょうか? いいバランスのムーヴを探さなくてはなりません。11:56ころ。

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▲アズマヒキガエルも小滝を登っていました。11:59ころ。

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▲上流になると、この写真のように渓流シューズのフリクションで登るナメ滝が幾つか出て来ました。微妙な凹凸を拾いながら登ります。12:04ころ。

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▲写真にはよく写っていませんが、上流の明るくなっている場所が崩壊地になっています。この先を行ってもガレた沢が続くだけでしょうから、そろそろ沢から離れたいと思い始めました。12:25ころ。

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▲すると、すぐ左の斜面に微かな踏み跡があります。ここから沢を離れることにしました。12:26ころ。

普通より早めに沢から離れましたから、三ノ塔から大倉へ降りている登山道へはまだ距離があります。でも、鹿だか人だかの踏み跡を拾いながら、比較的楽に登山道へ到着。
S崎君の超ユニークな弟さんの話などで盛り上がりながら楽しく下山しました。

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▲牛首で林道に飛び出します。13:41ころ。ここからは山道コースもあるのですが、あえて林道を下りました。
この時はS崎君のヤマビル話が秀逸でした。単に面白いのではなく、僕にとっては新しい知識をたくさんもらいました。ヤマビルひとつでも、自然と言うのは実に不思議や神秘や感動や好奇心やらを呼び覚ましてくれるのですね。

風の吊橋を渡り、大倉バス停が見えて来ます。幸運なことにバスがいて、すぐにでも発車しそうな雰囲気。50mほどを走って飛び乗りました。14:38発のバスです。

                 *   *   *   *   *

渋沢の「いろは」には15時ジャストに入りました。S崎君はまずは生ビール、僕は最初から芋焼酎「黒霧島」のお湯割りです。グラスにはまずお湯を入れてから、焼酎を後から注ぎます。

閑話休題。8年以上前のこと、奄美大島へ行った際、名瀬市内の酒屋さんで何杯も何杯も10種類ほどの黒糖焼酎の試飲をさせてもらったことがありました。その時、「お湯に焼酎を注ぐと実にまろやかな味わいになるよ」と、店の御主人が目の前で実験をして飲ませてくれたのです。同じ焼酎、同じ割合で割っているお湯割りなのに、まったく別物のように違っているのです。お湯を先に入れて、そこへ焼酎を注ぐと実に柔らかな舌当たりになる。その時以降、僕はずっとその入れ方です。

その日は台風17号が関東地方を直撃する日でしたから、早めに「いろは」をおいとまする予定でした。店へ入ったのが15時ですから、普段よりはずっと早くではあったのですが、店の女将さんから「もう帰んなさい」と追い出され、結局最後の客になっていました。

自分では分からないのですが、相当酔っていたようです。小田急線の登戸で南武線に乗り換える予定でした。S崎君は相模大野ですでに下車しています。気が付くと、新宿駅でした。驚いて電車から飛び出たのですが、すぐに発車することが分かり、恥ずかしくもあるので、別の車両に再び乗ったのです。
登戸で南武線へ乗り換えたのですが、次に目を覚ますと、何を勘違いしたか、降りなくていい電車から降りてしまいました。南武線に乗り換えたこともその時には忘れていたようですね。その後ももう一回くらいひと悶着あって、やっと拝島駅に到着。夜の9時を過ぎていました。あちらこちらの路線が不通になる中、無事に着いたのは幸運です。
S子からは心配のメールや留守電が雨あられ。電源を切っていたので知りませんでしたが、心配をかけていました。………反省。