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ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

沢井駅から岩茸石山(惣岳山は割愛)へ登り、名坂峠から下山しました

2016年03月31日 | ハイキング/奥多摩

2016/3/21  世間も僕も三連休! S子とのんびりと雪山で幕営を楽しんでくる予定でした。

ところが、10日ほど前から咳が止まりません。とりわけ、夜布団に入ると酷くなります。咳ゆえに1~2時間も布団の中で寝付けない日が続いていました。数日前、前回の山行後にやっと病院へ。お医者さんは「風邪でしょう」とか「インフルエンザかもしれません。検査してみますか?」などと適当なことを言います。「熱もないですし、疲労感もありません。山に登ってもぜんぜん疲れませんし」と言っても、「体力のある人はそういうこともあるんです」とかおっしゃる。
自分の体のことは自分がいちばんよく分かりますから、風邪でもないし、ましてやインフルエンザであろうはずがありません。

とは言え、雪山のテントの中、シュラフにくるまれてゴホゴホ咳をし続けるのも嫌です。そんなこんなで結局、日帰りのハイキングとなりました。
前回が青梅丘陵ハイキングコースで最高標高494mでしたから、それよりも少し標高の高い、高水三山の岩茸石山793.0mへ登ることとしました。
せっかくですから、あまり登山者の利用しないコースを登りと下りに選びます。


▲沢井駅から惣岳山へ登るコースを選びました。昭文社の地図では赤の破線コースです。登山口がよく分からないので、とりあえずは登山口近くにある青渭神社を目指します。9:23ころ。


▲線路沿いに進むと、青渭橋が現われました。9:36ころ。


▲お地蔵様が祀ってあります。お花や鏡餅やお茶、お賽銭に千羽鶴、そして何の意味があるのか丸い河原の石がたくさん、供えてあります。9:46ころ。



▲青渭神社です。東京の多摩地方にある神社で、稲城市と調布市、そして青梅市にあります。どうも水神らしく、稲城市の青渭神社は多摩川の氾濫原、調布市の社地内には水の湧く大池があります。青梅市の青渭神社は惣岳山の山頂にあるものが大元で、山頂近くには真名井の霊泉があるのです。この写真の青渭神社は里宮として造られたようですね。
ところで、昭文社の地図の神社の位置がちょっと納得がいきません。もう2ミリほど左だと思うのですが。それはともかく、神社からは山沿いの道路を沢井駅へ戻るように歩きました。9:50ころ。


▲途中、ミツマタの花が咲いていました。9:58ころ。


▲標識のようなものがまったく見当たりませんから、家の外に出ていた一家に聞いてみました。登山口はすぐそこでした。写真中央部に標識のポールが小さく見えています。10:02ころ。


▲標識のポールのところから山道が始まります。10:03ころ。


▲スミレです。毎度のことですが、何スミレかは不明です。10:05ころ。


▲エイザンスミレ。10:07ころ。


▲この赤の破線ルートは分かりやすいしっかりした山道です。道標もときおり出て来ますし。10:15ころ。


▲送電鉄塔がふたつ並んでいます。標高420m付近かと思います。10:23ころ。


▲巨木が何本か倒れていました。風の吹き抜ける場所なんでしょうか? 10:55ころ。


▲標高600mあたりだと思いますけれど、南東から北西に走る尾根筋に出ました。すぐに新しめの社がありました。札に「皇紀二千六百年紀念」と書かれています。10:59ころ。


▲なだらかな尾根道が続きます。11:25ころ。


▲珍しい表示が貼ってありました。共有山と言うのは村や集落などが共同で所有している山のことです。入会山、入会地などとも言います。中風呂という地名は地図で見ても載っていませんでした。ただ、沢井駅と御嶽駅との中間あたりに中風呂踏切という名前の踏切があるそうです。おそらく、そのあたりの集落のことでしょうね。
また、その共有山のことをカイト(垣内)山とか仲間山、モヤイ(催合)山、総持山、込山、村山などと呼ぶそうです。他にもなんとなんと! 惣山(そうやま)とも呼ぶそうですから、ここを登った山が惣岳山と言うのも、何かしら共有山との関連があるのではないでしょうか? 11:47ころ。


▲その惣岳山へ登る登山道は今回はパスしました。写真の左上が惣岳山山頂なのですが、そこを巻くコースを歩いています。右に見えているピークが目指す岩茸石山793.0m。11:56ころ。


▲左上から惣岳山からの登山者たちが降りて来ました。高水三山のメインコースになりますから、ここからは登山者がひっきりなしに通ります。11:58ころ。


▲アップダウンのあまりない尾根道を歩き、岩茸石山の直下になると今度は岩場の急登になります。12:25ころ。


▲岩茸石山山頂広場です。登山者がたくさんいます。12:35ころ。


▲中央は川苔山1363.3m、左端は本仁田山1224.5mだと思います。12:36ころ。


▲岩茸石(いわたけいし)山793.0mでの記念撮影。12:37ころ。


▲左端は川苔山です。中央の少し右には棒ノ折山969mや黒山842.3mが見えるはずなのですが。12:40ころ。


▲山頂はあまりにも人が多いので、ゆっくりと休む気分にはなれません。そそくさと退散し、名坂峠へ向かいました。12:43ころ。


▲名坂峠です。十字路にはなっていますが、あまり峠っぽくない地形です。12:52ころ。


▲アブラチャンだと思うのですが・・・・ 13:25ころ。


▲名坂峠から大丹波に下る山道沿いはずうっと植林が続きます。13:42ころ。


▲山道の橋なのに、ガードレールが付いています。何故必要なのでしょう? 13:53ころ。


▲この橋もガードレール付きですが、橋を渡ると舗装道路になりますから、許すとしましょう。14:02ころ。


▲のんびりと歩き続け、川井駅に到着です。その直前に登り電車が行ってしまったのは残念でした。14:56ころ。

この冬、山を歩くことがいつもより少なかったので、山体力も低下気味だったS子ですが、次第に戻りつつあるようです。もちろん寄る年波にはなかなか勝ち目はなさそうですから山体力が戻ると言っても程度ものですが、その時その時でいちばん楽しめるだけの体力をつけておけばいいのだと思います。それは僕も同じですが・・・・


青梅丘陵ハイキングコースに春を探しに行きましたが・・・・

2016年03月26日 | ハイキング/奥多摩

2016/3/16  報告です。前夜に某山の会の例会を見学させてもらいました。HPがあって、会員募集をしていて、沢登りを楽しんでいる会を探していたのです。それに、あまり沢登りの難度が高くても困ります。奥多摩や丹沢で日帰りの沢を楽しむ程度が僕にはちょうどですから。

そして、絶対に外せない条件があります。それは会員の年齢が僕よりも若いこと。実は僕が長年所属していた山岳会では一人二人の例外はありましたけれど、常に僕が一番の若手だったのです。若いということは体力があって当然、荷物も一番重くて当然、頑張って当然、当たり前のようにそう思われていました。それが心地よい時代もありましたけれど、自分自身がそれなりの年齢になっても僕より若いメンバーが現われずに、やはり同様の期待をされるのは辛いものです。いつしか「労わってもらえるような山行がした~い!」と切望するようになったというわけ。

例会に参加させてもらったその山岳会はとても居心地の良さそうな会でした。二次会にも誘っていただき、帰宅したのは深夜遅くになっていたのです。

そんなことがあっては、翌朝は超遅い出発にならざるを得ませんよね。


▲軍畑駅をスタートしてすぐ、道路脇の石垣に今年初めてのスミレを見つけました。僕の大好きな花です。10代のころから自分に娘が出来たなら菫子と名付けようと決めていたくらいです。
今日は山に春を見つけたいと思ってきたわけですけれど、ここはまだ里。でも、スミレは別格です。10:14ころ。


▲車道脇に不動尊がありました。平成五年に寄付を40万円ほど募って新築したと書いてあります。材木一式は製材会社が寄付したようになっていますから、この不動尊のおられる小さなお堂を新築したということなんでしょうね。中央や左の像は不動尊らしいですけれど、右の像も不動尊なのでしょうか? 10:29ころ。


▲不動尊のお堂に並んでお地蔵様でしょうか? お堂に並んでいます。右の丸い石はどうしたのでしょう? 10:30ころ。


▲高水山への道と途中で分かれ、さらに進むと榎峠です。道がカーブする場所から右へ登山道が始まります。10:46ころ。


▲登山道を入ってすぐ左に石碑が立っていました。『榎峠開鑿工事紀念碑』とあり、壱円から拾五円までの寄付者の名前が刻まれています。ほとんどが三田村の人々のようです。ネットで調べるとどうやら明治33年の工事のよう。当時は丹沢の大山詣のために秩父方面の人々がこの榎峠を通ったようですね。この石碑の右側に峠越えの旧道が通っていました。こちらの方が本当の榎峠のようです。10:48ころ。


▲低くて里に近い山ですから、ずうっと植林が続きます。僕もS子もまだ花粉症を強くは発症していませんから大丈夫ですけれど、花粉症の人が歩くには辛い山道なのでしょうね。11:00ころ。


▲小さなアップダウンが続きます。11:18ころ。


▲雷電山494m。地元では雷電山で雷が鳴ると雨が降るという言伝えがあるそうですが、それが山の名前の由来なのでしょうか? 11:26ころ。

雷電山山頂で小休止。


▲北を眺めると、奥多摩工業の採石場がありました。11:26ころ。

山頂で少し休憩し、再び歩き始めてから17分ほどで辛垣(からかい)山への分岐になりました。このコースを以前歩いた際には、通らなかったので今回は辛垣山コースを歩くことにしました。


▲これまでもそうだったのですが、この山域には石灰岩が多くあります。石灰岩の礫も多く転がっていましたし、写真よりも大きな石灰岩の岩も多く見られます。12:12ころ。


▲辛垣山457mのピークは目立たない山頂らしくない場所です。それよりもこの写真の少し凹んだ場所の方が特徴的。「辛垣城址」との説明看板も立っていました。
どうやら大正時代末期までこの一帯で石灰岩採掘が行われていたらしく、その影響で山頂付近の地形も若干変わってしまったようですね。
それはともかくとして、中世にこの青梅地方を治めていた豪族三田氏が建てた山城跡なのです。1563年に八王子の滝山城主・北条氏照に滅ぼされたそうです。12:21ころ。


▲辛垣城址を後にし、再び本コースに合流しました。12:31ころ。


▲峠のような場所に着きました。南へ降りると二俣尾駅、北へは成木8丁目の正沢へ降りるようです。小さな石の祠があって、その前にはたくさんの小石が積み上げられています。何のためなのでしょうか? カップ酒の瓶と塩が盛られた小皿が2セット供えられていました。12:33ころ。


▲この峠はネットで調べると、どうやら名郷峠と呼ぶそうなのですが、道標の下にはこのようなペットボトルに入れられた水が置いてあります。「御神水」とありますから、神様に供える水、石の祠の前に置かれたカップ酒の瓶の中にはこの御神水が入ってるのだと思います。12:34ころ。


▲送電鉄塔を過ぎ、見晴らしのいいピークに到着しました。ベンチもあったので、ここで小休止。12:54ころ。


▲このハイキングコースは青梅丘陵トレールランニングが行われるコースでもあるようです。そのせいでしょうか、平日にもかかわらず数多くのランナーと出会いました。写真中央、向うから走ってくるのもランナーです。13:24ころ。


▲途中、見晴らしの良い場所がありました。誰が設置したのか、眺められる山々の山名を表示してありました。それを参考に幾つかの山名を示してみます。東(右)側からです。奥武蔵の山々が眺められるというのは当然ですが、日和田山までもが見えるとは新鮮ですね。空気が澄んでいたら、越上山の右側に男体山も見えるのだそうです。13:34ころ。


▲左側にも奥武蔵の山並みが続きます。秩父市の武甲山も見えるとは驚きですね。13:39ころ。


▲キブシです。13:45ころ。


▲倒木更新というのでしょうか? 倒木に生えた苔の上に杉でしょうか、針葉樹の芽生えとドングリの芽が並んでいました。どちらが生き残るのでしょう? 13:53ころ。


▲三方山で一本立てようと考えていましたが、どうやら登山道とは少し離れたピークだったようで、休憩できませんでした。S子は少し疲れてきたようで、ベンチが出て来たこのピークで久し振りの休憩です。14:07ころ。


▲変ですねぇ? 変でしょ! この木の根っこ、生きている根っこです。コンクリの路側とこの木の根っこの位置関係はどうやって成立したのでしょう!? 分かる人、教えてください。14:40ころ。


▲青梅市の中心街の街並みが近づいて来ました。14:47ころ。


▲こうやって拡大写真を見ると、なかなかに美しい花です。でも、実際は小さくて地味な花。僕はこんな花にこそ魅力を感じてしまいます。スゲの仲間ですが、名前の同定は難しくて分かりません。カヤツリグサ科だそうです。14:52ころ。


▲今年はあまり馬酔木(あせび)の花を見ていません。14:58ころ。


▲青梅市中心街です。15:08ころ。


▲山道がいつの間にか舗装道路になっています。15:42ころ。


▲青梅駅に降りずに、そのまま前に進みました。一度は見てみたかった青梅鉄道公園が。いろんな種類の蒸気機関車の実物が展示されています。鉄オタではないので、外観を見ただけで満足。15:46ころ。


▲勝沼山乗願寺が途中にありました。解説板を読むと、1300年に三田氏によって開山されたとも言われる由緒あるお寺のようです。15:59ころ。


▲勝沼公会堂がありました。レトロな感じの雰囲気のいい建物です。昭和初期に建てられた木造洋館で、地域の方々が維持、管理に努められているのだそうです。16:02ころ。

ここからは東青梅駅へはすぐです。まだ時間的に早いですし、昨晩のおかずがたくさん残っていたこともあって、通例になっている居酒屋での打ち上げはせずに、家へ帰りました。

最低限、週に1回くらいは山を歩いておきたいのですが、なかなか実現していません。山へ行く間隔が空いてしまうと、山へ行くこと自体が億劫に感じられることすらあります。S子と二人だけだと、どうしても相手の体調や気分などを気にかけすぎてしまいます。山へ行けば楽しく感じることは確実なので、とにかく出かけることが大切ですね。


大垂水峠をスタートし、城山から高尾山を歩きました。春のかけらがちょこっとだけ見つかりました。

2016年03月08日 | ハイキング/中央線沿線の山

2016/2/28  H樹さんはS子の姉妹の旦那さん。もともとは山屋さんだったのですが、ながらく山を離れ、オートキャンパーになっていました。それが最近、また山に戻って来たのです。
と言うわけで、前日に電話をして、もし山へ行くのなら僕たちも連れて行ってくださいと、お願いしたというわけです。

ここのところのH樹さんのホームグラウンドは高尾山山域。自宅からは京王線1本で高尾山口終点へ行くことができ、金も時間もかからず、それにコースが多いので通っているのだそうです。週一のペースだとか。最近の僕たちよりはずうっと歩いていますね。


▲高尾山口の駅前からバスに乗り、大垂水峠で下車しました。この峠は東京都と神奈川県の県境です。登山者の大部分がここで下車しました。10:25ころ。


▲ほとんどの登山者は一丁平付近へ登るコースへ向かったようです。僕たちはその登山口よりも少し先、城山へ向かうコースへ行きました。ここが登山口です。10:34ころ。


▲右の沢は案内川(あんないがわ)の源流です。案内川は多摩川の支流、浅川のさらに支流の支流。多摩川の源流域であることを考えれば、この辺りも奥多摩と呼んでもいいのかもしれませんが、何故か多摩川源流であることは考慮されずに、誰もそうは考えません。10:39ころ。


▲沢から離れて、尾根へ向かいます。写真の先に見えている尾根がそれですが、その尾根が東京都と神奈川県の県境なのです。10:47ころ。


▲県境尾根に上がっています。高尾山山域の中でも登山者の少ないエリアなんでしょうね。11:05ころ。


▲メインの登山道へ合流する直前。11:28ころ。


▲登山者の連なるメイン街道へ合流し、電波塔の見える城山山頂がもうすぐです。11:30ころ。


▲城山山頂です。ここの広場には小屋があるのです。人が多い! 写真の中央あたりのテーブルでひと休みしました。11:31ころ。


▲少し食べ、トイレに行き、再スタートです。都心方面は霞んでいて、景色は全然見えません。11:58ころ。


▲もう一度山頂を振り返って、パチリ。昔来たことがありますが、冬にこんなに人が多いなんて、考えられません! 11:58ころ。


▲城山と高尾山の間のメインロードはヤマザクラの花でも有名です。写真に見えるテーブルは花見のためでもあるのでしょうね。12:09ころ。


▲一丁平です。トイレが見えます。その先のテーブルで昼食としました。12:17ころ。

H樹さんからクラムチャウダーとビーフシチューをもらいました。フリーズドライ製品で、なかなか美味でした。彼はトレーニングも兼ねて水を3リットル担いできていますから、バーナーでお湯をたっぷりと沸かしてくれました。


▲食べたものの写真は撮り忘れました。H樹さんとS子。これから出発です。12:51ころ。


▲モミジ台への登り階段です。昔はこんな木の階段などほとんどなくて、登山者がどこでも自由に歩いていました。でも、登山者の数がすごく増えて来ましたから、このように整備して歩いて良い場所を限定することも必要になってきますね。13:14ころ。


▲モミジ台の細田屋さんです。ソバやなめこ汁やお汁粉、甘酒やかん酒などを売っていました。13:21ころ。


▲高尾山への最後の登り。石段になっています13:24ころ。


▲高尾山山頂の展望台。今日は霞んでいて、富士山は見えません。空気が澄んでいたら、この写真の中央あたりに見えると思うのですが。13:30ころ。


▲山頂と言うより、観光地ですね。人は多いし、自動販売機もありますし・・・・ 13:30ころ。


▲山頂は人が多すぎるのでスルーしました。大きなトイレがあるところからメインロードを外れます。13:36ころ。


▲3号路を進みます。あまり標高を変えずにくねくねと山腹を回り込むように歩きます。13:58ころ。


▲ですからこのような木橋をいくつも渡ります。14:04ころ。


▲山に入ってから僕はずうっと春の兆しを探し続けていました。春の花をです。でも、まったく見つかりません。でもついに見つかりました。枯葉にうずもれるような感じで、小さな小さな花がひっそりと咲いていました。
ムラサキの仲間だとは分かりますけれど、正式名は不明です。図鑑やネットで調べました。おそらくヤマルリソウだと思います。ムラサキ科ですね。
本来は茎も立って花もたくさん咲くのですが、葉も越冬用のロゼッタになっていますしね。14:08ころ。


▲同じような木の橋が幾つも続きます。14:19ころ。


▲三叉路へ出ました。ここから下へ降りる登山道は、高尾山では上級者向けなのだそうです。観光客では確かに少し危なそうな登山道ですね。でも、まあ普通の山道。14:33ころ。


▲こんな感じの登山道です。前のめりにつんのめったら大怪我するでしょうね。外人さんグループも歩いていました。14:47ころ。


▲山道から出ると、こんな水場とお地蔵さんがありました。14:54ころ。


▲東京高尾病院があります。14:55ころ。


▲洗心地蔵尊と呼ぶようですね。この写真中央少し右に7体の像が体を寄せ合うように並んでいますよね。この7体は七福神なのです。この場所に地蔵尊がある理由、それに交じって七福神もある理由は調べても分かりませんでした。15:02ころ。


▲京王高尾山口駅に到着しました。朝は気付きませんでしたけれど、駅が新しくなったんですね。木材がふんだんに使われた駅に変貌していました。新しい国立競技場のデザインを考えたあの隈研吾氏が設計した駅なのだそうです。15:13ころ。

H樹さんと山を歩いたのは実に15年ぶりのことでした。前はさほど山を歩かれていない時期でしたから、足は衰えているなという印象だったのですが、今回は「最近は週1くらいで歩いているかな」とのことですから、山の脚力は前回とは見違えるようにしっかりしていました。
これからも時々僕たちと山で付き合っていただきたいと思っています。