ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

黒島 ――― 黒島へ渡りましたが、天候がよくなくて

2018年04月26日 | 島旅

2017/3/29  民宿を後にして、硫黄島港へ向かいいました。


▲この家が硫黄島唯一のお店です。中央のガラス戸が開いていれば営業中。もちろん、昼間しか開いていません。このお店があったせいで、僕たちの硫黄島での食生活がとっても豊かになりました。12:59ころ。


▲ほぼ定刻通りフェリーみしまが入港して来ました。13:18ころ。


▲今日もジャンベでお迎えしてくれますが、春休みのせいでしょうか? 人数が少ないですね。13:21ころ。


▲島の男衆の手でフェリーに乗降用の通路が設置されます。13:23ころ。


▲おーらんぽクッキーは長命草(ぼたんぼうふう)の入った硫黄島で作られているクッキーです。13:35ころ。


▲定刻の出港です。今日は少し寂しい見送りでしたが、硫黄島は本当に楽しく過ごせる島でした。13:40ころ。


▲恋人岬への途中にある岬橋が見えます。13:43ころ。


▲恋人岬ですね。13:45ころ。


▲硫黄岳は硫黄島そのものですね。右後方には竹島も見えています。13:47ころ。


▲恋人岬は中央あたりで、手前に岬が伸びています。左は空港がある島の西部ですね。13:47ころ。


▲硫黄島の全体が見えるようになりました。右端が恋人岬でしょうか? 硫黄岳、手前に重なって稲村岳、左には矢筈山が見えてます。13:52ころ。


▲船内のラウンジで休憩するS子。14:11ころ。


▲低く垂れこめる雲の中から黒島が見えてきました。14:29ころ。


▲黒島の大里集落も見えるようになりました。14:40ころ。


▲大里港が見えてきました。14:43ころ。


▲入港です。14:47ころ。


▲最初の細いロープが岸壁に届きました。何か銃のようなもので発射して届かせたように思います。この細いロープを手繰り寄せて、太いロープをくくりつけます。14:49ころ。


▲お客さんが出て行った後の二等船室。14:54ころ。


大里健康広場にテントを張ってもいい許可を前もって電話をしていただいていましたから、港でその場所を確認して、登って来ました。大里港には僕たちが乗ってきた村営船の「みしま」の姿がまだ見えます。本来ならもう出港していて黒島反対側の片泊港へ向かっているはず。海が少し荒れていますから、片泊港へは行かないのでしょうか? 15:45ころ。


▲この健康広場には現在新しい体育館が建設中です。左の変わった建物は平等大慧会妙塔。私有地なので立ち入らないようにと、注意されました。写真中央に僕たちの黄色いテントが見えます。15:45ころ。


▲健康広場を歩き回って、テントが張れそうな場所を探しましたが、この広場の土地は水捌けが悪いようで、今日までの雨が芝の上に浮いていました。風当たりも強そうでしたから、結局、建物の横に張ることに。工事現場のすぐ横ですから、作業している方の許可もいただきました。
左の建物はもともとあったもので、三島村役場からはトイレと水道を利用する許可をいただいている建物です。16:29ころ。


▲夕食の素材は玉ねぎとニンジン、ジャガイモと魚肉ソーセージ。熊本で揃えていたオリーブオイル、しょうゆ、マヨネーズ、塩を使います。19:13ころ。


▲S子も手伝ってくれます。19:25ころ。


ソーセージ野菜炒めの出来上がり。19:29ころ。


▲ソーセージ野菜炒めを食べ終わってから、高野豆腐を作りました。軽くて、美味しい、山料理の定番のひとつ。20:15ころ。

何時くらいからだったかは忘れましたが、それまでも時々小雨で降っていたのが、もう少し強く降り続くようになりました。
今回使っている4人用テントは30年以上使い続けている骨董品です。竹島でも雨の中、天井から雨粒がしみ出してきて、その対応に苦慮しました。ですから、天井からの雨粒への対応は、さほど強い雨ではありませんでしたから、何とかなります。

ところが、ふと気づきました。床に水が溜まっています。すぐに外を確認すると、テントを張った敷地が水溜りになっているじゃないですか!
決断は早かったですね。迷いはありませんでした。ここ健康広場は水捌けが悪い土地です。朝まで水溜りの中でテントを張り続けることは無理でしょう。
撤収です!


▲テントの横にあった立派な建物は鍵が掛かっていませんでしたから、僕たちは急遽そこへ避難。ここは水回りの設備等が充実していますから、ここが「三島村特産品加工センター」なのでしょうか? この隣りの建物も確か特産品のシフォンケーキなどを作っている場所のようですし。22:26ころ。

2017/3/30 夜中じゅう、雨は降り続いていました。でも、部屋の中ですから快適に眠れました。
テントの中にいる時からいろいろと考えてはいたのですが、天気予報ではまだ2、3日雨の日が続くようです。今日からの黒島での計画を一体どうしたものでしょうか?


▲結論は乗船。朝に出港する「フェリーみしま」に乗って帰ることにしたのです。7:02ころ。


▲健康広場はこんな様子。さほど大雨でなかったにもかかわらず、これだけの水溜りがあります。水が溜まっていない草地も踏めば水がたっぷりとしみ出してきます。緊急避難的に建物の中に移動しましたけれど、いつまでも建物の中に居続けられません。かといって、水浸しの場所でテントを張り続けることも無理。雨では山に登ることも出来ません。
今日のフェリーで戻ることは致し方のない判断だと思います。7:10ころ。


▲途中の宮向川。水が流れています! 竹島でも、硫黄島でも、水が流れている川は見ませんでした。この島は樹々の森に覆われた山がありますから、川に水が流れているんですね。沢登りも出来るのかな~ぁ? 7:14ころ。


▲港の待合室です。鹿児島までの乗船券を購入します。7:33ころ。


▲フェリーは通常なら8:30に入港するのですが、昨晩は天候やら波の状況やらの影響でしょうか、黒島の反対側にある片泊港へは行かず、この港に停泊していました。7:37ころ。


▲大里港待合所です。7:40ころ。


▲島の人でしょうか? 7:41ころ。


▲フェリーには少し早めに乗船できました。港では島を離れる人の見送りセレモニーが簡素に執り行われていました。一人は島の学校の先生のようでした。あと、男子生徒と女子生徒が見送られていました。おそらく、鹿児島本土の高校に入学するのだと思います。これは小さな島に生まれた子供たちの宿命です。寂しいことかもしれませんが、考えようによっては子供の自立にとってとても有意義なことだと思います。8:27ころ。


▲島の人にとって、紙テープの端と端には特別な感情が往きかっているのでしょうね? 白い横断幕には『あしたよなあ ありがとう お元気で』と。
「あしたよなあ」の意味を調べましたが、ここ三島村の島とかで使われている言葉らしいことは分かりましたが、詳しく意味までは分かりませんでした。8:41ころ。


▲島の中学校を卒業した(に違いない)二人は船の甲板からいつまでも島を眺め続けていました。8:51ころ。


鹿児島港に入港するころには薄日が差す天気になっていました。14:02ころ。

港からは天文館まで歩き、高速バスに乗って熊本に帰りました。

今回の三島村(竹島、硫黄島、黒島)への島旅はとっても楽しめました。
竹島は本当に竹ばかりの何にもない島でしたけれど、島旅の基本を味あわせてくれた島でした。島は観光地であるとは限りません。何もない、そのこと自体を楽しめるか否かが自分自身に対して問われます。
その反対に、硫黄島はいろんなものがある島でした。自然も多様で、歴史もあり、温泉も素晴らしいのがあって、風景が素晴らしい! もっともっと注目されていい島だと思います。でも、あまり観光客が増えてほしくない、そう思うのも僕の正直な気分ですね。
黒島は残念なことに悪天候のせいで、すぐに離れてしまいましたけれど、再び訪れる理由を残してくれましたから、有難いと思います。天場が雨に弱いですから、対策を考えなければなりませんね。黒島の山にはいつか必ず登ってみたい。