ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

境集落から小中沢中流へ至る山道を探索 2/2 ――― 林道並みの山道が遺っていました

2015年06月28日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/13  2年前に遡行した小中沢の未遡行部分を遡行するため、そこへ至るアプローチの山道を探索しに行きました。国土地理院のネット上の地形図ではすでにこの道は無きものになっています。それでも、「多分まだ残っているさ」と、軽く考えて来てみましたが、やっぱり簡単にはいきません。完全に道を失ってしまいました。


▲僕がいま、自分の現在位置だと考えている場所です。矢印で示されたあたり。すぐそばにわずかに沢状の地形があり、なだらかな尾根状部分も西方に見えています。
斜面の踏み跡っぽい場所を登り、右手のなだらかな地形に目を光らせました。


▲写真をクリックすると拡大されます。


▲すると、沢状地形の先にこんなところが見えました。山道です! 幅広の山道です! 11:13ころ。


▲疑い深かったS子もこんな感じの歩き易さが何分も続くと、これが山道だと信じてくれました。11:18ころ。


▲ススキの原が終わっても、この山道は続いています。しかもこの広さ! 林道並み! 11:28ころ。

と思っていたら、すぐにこの幅広山道は消滅・・・・ ガッカリ・・・・


▲とはいえ、沢の水音が聞こえています。小中沢です。適当なところから沢めがけて下降しました。11:36ころ。


▲S子の後ろの小中沢を渡り、こちら岸の広い場所で休憩しました。11:41ころ。

この場所は記憶にあります。2年前はこのあたりで遡行終了し、三ノ木戸(さぬきど)へ上がったのです。

境集落を離れ小中沢中流につながっているはずの破線の山道は廃道になっていました。一部分はまだ残っていましたが、あまり利用価値はなさそうです。この場所へ来て、ここからさらに上流を遡行するためには三ノ木戸林道を利用した方が短時間で来れますし、確実です。
それが分かっただけでも、大いなる収穫ですね。


▲休憩後、今度は反対側(小中沢左岸)を登って行きます。写真の真ん中あたりに左右にモノレール軌道が見えています。さっきの軌道とはつながっているのでしょうか? さらに境集落とはつながっているのでしょうか? 12:11ころ。


▲モノレール軌道も登って行っています。このあたりはまだ山道は明瞭ではありませんでしたが、歩き易いので、とにかく上へ行きました。12:19ころ。


▲大きな岩場がありました。少し道もはっきりしてきます。12:21ころ。


▲山道を右へ辿り、山の斜面を回り込むように登って行くと、三ノ木戸集落の廃屋が次々見えて来ます。12:37ころ。


▲集落から人の姿がなくなると、神様はどうなるのでしょう? 12:37ころ。


▲山道を登っていると、上方からモノレールが動く音が聞こえて来ました。そして、このモノレール操車場に着き、レールに手をかざすと姿は見えませんがモノレールが遠ざかる音が手のひらを震わせます。12:39ころ。


▲本当はここから石尾根へ登り、石尾根を下りながら今度は寺地集落への山道を探索するつもりでした。でもこの看板です。「この先、歩道崩壊のため通行できません。2014.7.7」
通行できないことはないと思いますが、境集落から小中沢中流までの山道探索ができたので、正直な気持ち、とりあえずの満足感を得てしまっていたのです。
ですから、今日はこれで終了。です。12:39ころ。


▲ここ三ノ木戸林道終点は見晴らしの良い場所です。おそらくですが、写真中央の2本杉とその左の1本杉の間あたり、ハンノ木尾根下部を越えて来たのだと思います。12:42ころ。


▲スイカズラ。「吸い葛」の意味だそうで、甘い香り同様、花を口にくわえて蜜を吸うところから名前が付いたとか。英語でもhoneysuckleと呼び、口にくわえて蜜を吸っていたらしい。12:49ころ。


▲鋸山と鍋割山の中間にあるピークは天地山でしょうね。12:51ころ。


▲三ノ木戸林道終点。いつも車はこんなに停めてありませんが、今日は大勢で山仕事にでも来たのでしょうか? 13:01ころ。


▲小中沢を挟んで対岸の尾根から見えていた三ノ木戸集落の建物がこれです。立派な茅葺き屋根の屋敷。下から見上げるようにしか見えませんから、その大きさを写せませんが、とっても大きな屋敷です。13:02ころ。


▲三ノ木戸林道を歩いていると、境橋が見えました。橋の右端でバスから下車し、その手前に見える道に入って来たのです。そして草地に沿って右に上がって行ったという訳。13:15ころ。


▲ニガイチゴが林道脇にありました。さっそく二人でつまんで頬張ります。わずかに苦みがあるのですが、さほど気にはなりません。13:17ころ。


▲林道から離れ、山道に入ります。13:40ころ。


▲再び林道に出て、町に入りました。対岸にマタタビが白く点々と広がっていました。マタタビの綺麗な花が咲くころです。14:06ころ。


▲奥多摩の集落(大氷川)が見えて来ました。14:09ころ。

天益へ直行します。暖簾はまだかかっていません。でも、女将さんもご主人もおられます。
第一声は「こんなに早くもう降りて来たの?」です。こんなに早く降りてきたことはありませんから、びっくりされても当然ですよね。お二人ともまだお昼を食べておられなかったようで、お二人の昼食用のソーメンの御相伴にあずかりました。
他のお客さんは来ません。お店が開いていないのですから当然です。お二人の昼食が終わり、暖簾が垂らされます。それでもまだ時間が早いので、なかなかお客さんは来ません。
やっと常連さんの登山グループが来て、僕とS子はそろそろおいとま。

地図読みはそんなに上手い方ではないのですが、今日は運良く上出来でした。時々はこんな地図読み山行もあると楽しいですね。

この道を歩いてしばらくは、二度とこの道を歩くことはないだろうと思っていました。でも、徐々に考え方感じ方が変化しつつあります。今回は山道を探しながら歩きましたから、時間がかかったのは当然! これからはルートファインディングに迷うことはないのですから、時間もさほどかからないでしょう。
振り返ってみても、歩き辛い箇所は電信柱沿いの、しかも、自然林の部分だけなのですから、他はルートさえ正しく選べば歩きにくくはないはずです。
三ノ木戸林道経由より、短時間で行けるでしょう。距離もずっと短いのです。と言うわけで、近々、ルートを忘れないうちに小中沢上流部遡行のためにこのルートを活用しようと思います。
本当かな?

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境集落から小中沢中流へ至る山道を探索 1/2 ――― 途中で山道は消え失せ・・・・

2015年06月24日 | ハイキング/奥多摩

2015/6/13  2年前の6月6日にS子と二人で小中沢を遡行しています。その年最初の沢登りだったこともあり、中流で遡行をやめ、三ノ木戸(さぬきど)へ出ました。その際の記録は
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/f2e591be8b0a57eb05c109c4f78fcca5
を参照してください。

小中沢の未遡行の部分を遡行してみたいと思っていたのですが、そのためには下流から一気に源流まで遡行するか、或いは中流まで山道を利用して入り、そこから遡行するかのどちらかです。


▲2万5千図を見ると、バス停のある境橋から小中沢の中流目指して山道が延びているではありませんか! これを利用しない手はありません。
ただし、ネットで国土地理院の2万5千図を見ると、この山道はもう出ていません。ハンノ木尾根の六ッ石山へつながる山道はまだ書かれている(写真中央のの左右に延びている破線の山道)のですが、途中で分かれ、小中沢、三ノ木戸へつながる山道は書かれていないのです。
実際に行って調べるほかありません!


▲写真をクリックすると拡大されます。

習慣となっている最寄り駅7時台の奥多摩行に乗車します。でも、今年から土日はそれがホリデー快速になりましたから、登山客で溢れています。奥多摩駅から乗るバスも臨時便を出さねばならないほどで、とても混みます。
僕もこの年齢になってくると、登山客で満員の電車やバスに運ばれて登山口に着く、そんなアプローチがだんだんと嫌になってきています。若いころは登山そのものに対しても攻撃的な精神でしたから、何とも感じなかったのですが、今では家を出てから登山口に立つまでも、山歩き同様、ゆったりとした時間に浸っていたいのです。
と言うわけで、今後は1時間以上早い電車で来ようかなぁと考えたりしています。


▲境橋バス停で下車し、境集落へ向かいました。この道は奥多摩むかし道です。8:40ころ。


▲2万5千図を見ながら六ッ石山へ続く山道への入り口を探しました。古いですが、標識がありました。8:44ころ。


▲2万5千図でも上の方に建物記号がありますから、この道は生活道路だったようです。8:45ころ。


▲廃屋です。手入れすればまだ住めそう。9:04ころ。

この先で休憩しました。電車でもバスでも立ちっぱなしでしたから。


▲左右の土地は以前は畑だったのでしょう。S子がくぐっているのはモノレール軌道。境集落が始点です。9:33ころ。


▲またも廃屋です。9:41ころ。


▲モノレールの駅なんでしょう。廃屋の住人が使っていたのでしょうね。9:42ころ。


▲標識があると少し安心します。9:45ころ。


▲植林の中ジグザグに登って行きました。まだ生活道なのでしょう。幅広のしっかりした山道です。9:53ころ。


▲この日僕が歩いた中ではいちばん高い場所に建っていた家です。もちろん廃屋。ここを過ぎると、山道は狭くなり、路肩も弱い普通の山道になりました。10:01ころ。


▲2万5千図の575m標高点の西の小尾根上に出たようです。10:01ころ。


▲尾根からは西へと(六ッ石山へと)山道が延びていました。でも、東へは獣道程度の踏み跡しかありません。先ほどの廃屋付近から山道があったようです。地形図でもそのようですし、僕もチラリと確認していました。でも、廃道化しているようなので、ここまで来ました。どうせ下でこの尾根と合流しますから、この尾根を下降することにしたのです。実際に下降すると、写真程度の状況。楽勝で下れます。10:06ころ。


▲尾根筋のわずか下に小さな祠が並んでいました。今では誰もお世話をしていない祠のようです。昔はこの辺りまで日常の生活圏だったのでしょう。10:09ころ。


▲最近は整備された普通の登山道を歩くことが多かったので、S子も久し振りの感覚に戸惑っているようです。10:11ころ。


▲確信は持てませんが、2万5千図で破線の山道が北西に延び始める地点がここのようです。電信柱があり、かすかな踏み跡と電線の延びている方向が一致していました。10:14ころ。


▲写真中央、かすかに山道らしきものがあること、分かるでしょうか? この道を進みます。10:21ころ。


▲その消えそうな山道は電線にほぼ沿っています。次の電信柱が見えています。その電線の下に消え入りそうな山道があるのです。でも実際は、10人中9人までは「道なんて全然ない!」と叫ぶでしょうね。
この写真では確認しようがないでしょうけれど、右に見えるススキの穂のちょっと左に三ノ木戸集落の一軒の大きな屋敷が写っています。そこまで行きたいのです。10:27ころ。


▲誰もここに道が通っているとは思わないっでしょう。10:33ころ。


▲植林に入りました。下草がない分、歩き易いですね。電信柱もしっかりとあります。それに沿って歩いて来たのですから。10:35ころ。


▲ぬた場がありました。動物の足跡らしきものも見えます。10:38ころ。


▲誰かが山仕事している音が少し離れた上部から聞こえて来ています。写真の岩の下は雨宿りくらいなら出来そうな岩屋になっています。この付近までは電信柱に沿って歩いて来ましたけれど、電信柱は僕の行こうとしている方向よりも右下へと向かっているようです。2万5千図では多分このあたりから少し標高を上げながら山道は通っているはずです。この岩を巻くように歩き、どこらへんで標高を上げようかと考えていました。10:43ころ。


▲ヤマゴボウだと思います。普通よく目にする「ヤマゴボウ」と呼んでいるのは「ヨウシュヤマゴボウ」のようですね。ヨウシュヤマゴボウは帰化植物で花の房は垂れています。このヤマゴボウは花の房が立っています。
御存知だとは思いますが、商品としての「ヤマゴボウ」はアザミの仲間の根だそうです。ちなみに、ヤマゴボウは有毒植物。10:43ころ。


▲また、モノレール軌道が現われました。境集落からつながっているレールでしょうか? 少しずつ標高を上げています。10:47ころ。

それらしき道なき道(僕でも道だとは思えません)を進んでみました。案の定、どうしようもなく行き詰ります。地形図を読み直し、周りの地形を眺め直し、もう少し標高を上げるべきだと判断しました。


▲で、道なき道を・・・・ 道なんて全然ないぞ~っ! 枯れた笹薮を漕いで標高を上げていきます。10:53ころ。

僕にとっては久し振りの地図読み山行です。高度計を持って来ていたのですが、高度を合わせ損ねたようで、信頼できません。
同じ地図読み山行でも沢筋を進んだり、尾根を歩いたりするのならば、地形が分かりやすいので比較的地図読みも楽なんです。でも、今日のように昔の山道、ほぼ廃道になった山道を探しながら歩くのは非常に難しい。山腹を巻くように山道が付いている箇所などでは、10m離れてしまうだけで分からなくなってしまいます。
だいたいの現在位置は分かっているつもりです(本当はその分かっているつもりが、いちばん危ういのですが)。目の前の支尾根状のなだらかな箇所の左端あたりに山道があったのではないか? そう考えました。もし、そこに山道がなかったならば、小さな尾根をそのまま突き上げてハンノ木尾根に出るしかないな、と考え始めてもいました。

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第13回山行μ・阿蘇の南外輪山・大矢野岳を歩く 2/2 ――― 下山後の車道歩きは辛かったようですね

2015年06月21日 | ハイキング/山行μや山行χ

2015/5/27  地蔵峠から駒返峠までは森の美しい山道でした。僕の大好きなコースになりそうです。でも、本当に大変なのはここからの下山です。僕は自分で計画したわけですから、そのことはよく知っています。でも、S子もMちゃんも知りません。全然知らないかというと、そうでもなく、ちょっとは知らせているのです。「下山は道路歩きが長いよ」って。時間と疲労度次第では「タクシーを呼ぶかも」と告げてもいます。でも、二人とも聞き流しているでしょうね。
実のところ、尾根の登山道がこれほど心地よく歩けるコースだとは知りませんでしたから、本当はもっと疲労するだろうと考えていたのです。車道歩きの途中で、タクシーを呼ぶことになるだろうなと。
でも、さほど疲労しませんでした。時間的にもタクシーを呼ばなくても充分間に合いそうです。
駒返峠で僕はそんな風にこれからのことを考えていました。二人には黙っていましたが。


▲駒返峠にもお地蔵さまが一体まつってありました。顔だけがどこか浮いた感じのあるお地蔵様です。12:49ころ。


▲先ほど見た標識では地蔵峠と駒返峠の距離は7.2kmのはずでした。でもこの標識では6.8km。こういう標識を作成する方はそのような計算はしないのでしょうか? 僕たちはここから下山です。中松駅へ向かいます。12:50ころ。


▲峠で少し休憩して、下山開始。これまでのなだらかな尾根道とはガラリと変わって、岩がゴロゴロした歩きにくい山道です。13:18ころ。


▲森の姿も変貌しました。自然林だった森が植林の森になっています。あ~あ! がっかり。13:46ころ。


▲林道が見えて来ました。もう林道歩きになるのでしょうか? 13:54ころ。


▲黄色い逆さ藤のような目立つ花が林道脇の林の上に見えました。足もとにはその黄色い花がたくさん落ちています。ネットで調べてもなかなかヒットしません。
そこで、僕が学生時代に購入した『新改訂学生版 牧野日本植物図鑑』の登場です。そんな本をまだ持っていて、時々それで調べるのです。見つかりました! 「じゃけついばら」です!
さっそくネットで確認すると、同じです。昔は図鑑で「これと似てるな」と思っても、写真で確認する方法がほとんどなかったので、わざわざ図書館に行くなどして、画像を探さなければなりませんでした。手間がかかり、なかなか同定できなかったのですが、今はネットで画像を十分過ぎるほど確認できるので、実に助かりますね。
ジャケツイバラはマメ科でつる性の落葉低木なのだそうです。マメ科なのですが、花の形はマメ科の花っぽくないですね。13:55ころ。


▲林道に出ましたが、その林道を横切るように、すぐ再び山道に入りました。でも、相変わらずの植林続き。13:58ころ。


▲小さな沢の流れを渡りました。14:12ころ。


▲森は消え、牧草地のような原が山の斜面には広がっています。右上には岩の砦のような岩山が。14:15ころ。


▲ノアザミでしょうか? 14:16ころ。


▲モンシロチョウ? 14:20ころ。


▲赤い虫こぶが葉っぱに並んでいました。昆虫の影響で出来るようですね。14:21ころ。


▲この一帯は柵で囲まれており、道路にはこのようなゲートが設置されています。やっぱり放牧地なのですね。14:28ころ。


▲ゲートにはこのように人が通行するための出入り口が付いていました。14:30ころ。


▲駒返峠登山口に到着しました。水場もあり、飲んでみましたが特別美味しい水ではありませんでした。14:31ころ。


▲水場の上には馬頭観世音菩薩と山の神が祀ってありました。両方とも先ほどの砦のような岩場のある城山839.3mの岩場の下に祀ってあったそうです。いろいろと紆余曲折があり、現在のこの場所に移って来たのだそうです。14:31ころ。


▲登山口にはこんな説明板もありました。中世の山城・駒返城がこの上にあったようです。でも、放牧地で入ることは出来ません。「矢部浜の館北大手の城跡。阿蘇家家臣久木野備前守在城と伝える。天正年間島津氏の侵攻により落城」。14:32ころ。

駒返峠からこの登山口までのコースタイムは40分。でも、僕たちは75分もかかりました。
駒返峠から中松駅まではコースタイム2時間くらいです。汽車の時間までは駒返峠出発時からは3時間10分ほどありましたから、ゆっくりと歩いたという訳。


▲阿蘇五岳です。と言いたいところですが、杵島岳は中央少し左の笠っぽい姿の烏帽子岳の真後ろになって見えていないと思います。14:40ころ。


▲阿蘇四岳の形も少しずつ変わってきます。15:18ころ。


▲外輪山の方向を望みました。大矢野岳は写真左側の高い山でしょうか? 初めて歩いただけではよく分かりません。15:36ころ。


▲後方の外輪山に大矢野岳や駒返峠も見えているはずですが、僕にはよく分かりませんね。
ただ、二人ともこの車道歩きに不満が爆発しそうになっています(笑)。すでに1時間以上車道を歩いています。舗装道路は山道と比べると、非常に硬く、足裏への衝撃も強く重いのです。疲労の蓄積も格段に大きいですから、僕も舗装道路歩きは大嫌いです。
僕自身は何度も地図を見て、今どこら辺を歩いていて、あとどのくらい歩けばいいのかを、だいたい理解しているので我慢も出来るのですが、二人にもある程度伝えているとはいえ、明確なイメージに乏しいでしょう。「いつまで歩かなくちゃぁいけないの!?」と思いながら歩くと、疲れも倍になりますからね。15:46ころ。


▲白川を祗園橋で渡り南阿蘇鉄道の線路をくぐり、すぐに右折しました。そこからも結構歩きましたが、無事に中松駅到着。「中松駅」の看板より「そば」屋さんの看板の方が大きくて目立ちますから、最初はそば屋さんかなと思いました。15:55ころ。


▲1番ホーム(駅舎側のホーム)に来るとばかり思っていましたが、線路を渡った2番線ホームに入線。慌てて走って、無事乗車しました。16:27ころ。


▲乗ってすぐの二人。16:27ころ。

立野駅と肥後大津駅で乗り換え、平成駅に着いたのが17:33。Mちゃんのママが車で迎えに来てくれました。この次の列車に乗ると、19:22の到着になります。予定通りの帰宅です。大人だけの山行ならある程度の遅れは許容範囲ですが、子供がいるとそうはいきませんよね。大人としての責任がありますから。Mちゃんの登山力が上がるにつれ、時間も長く、距離も遠くなるでしょうから、そのあたりの問題は出てくることでしょう。

今回の山行ではMちゃんも結構筋肉痛になったらしいです。筋肉痛と言っても大人のそれとは全然違うでしょうけれど、これまでの山行ではなかったこと。少しは山行レベルが上がったということでしょう。

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第13回山行μ・阿蘇の南外輪山・大矢野岳を歩く 1/2 ――― 素晴らしい森が地蔵峠から駒返峠まで続く

2015年06月16日 | ハイキング/山行μや山行χ

2015/5/27  おふくろの三回忌で熊本に帰りました。しばらくは5月に熊本へ行くこともなくなるでしょう。登山の観点からはいい季節だったのですが、それもまあ仕方がありません。

5月とはいえ、九州はすでに暑い季節ですから、ある程度は標高の高い山を選ばなければなりません。交通の便がいいのは阿蘇周辺なのですが、阿蘇中岳の火山活動が活発です。少し心配ではありましたが、噴火警戒レベルは火口周辺規制の「2」なので、外輪山なら余裕で大丈夫でしょう。


▲「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」です。8:26ころ。

Mちゃんの登山力が上がってきています。歩く距離もだんだん長くなってきています。今回のコースもガイドブックによれば5時間30分くらいのコースタイムですから、歩き始めを早くしなければなりません。これまでは家を8時台に出発することも多かったのですが、今日は阿蘇のこの駅にすでに到着しています。家を6時台には出発したのです。
そういう面でもMちゃんの登山力は向上していますね。早起きができるようになったのです!
登山は早い出発と早い下山が基本ですから、このくらいのスタートが普通になっていくことでしょう。
地方の路線ですし、次の列車に乗ると、なんと! 1時間30分も後になってしまいます。必然的にこのスケジュールになるという訳。


▲阿蘇下田城駅からここ地蔵峠登山口にはタクシーで来ました。運転手さんが阿蘇の噴火の様子をいろいろと教えてくれました。僕は四六時中阿蘇の火口からは噴煙が上がっていて、風向き次第では降灰があるものと考えていました。でも、そうじゃなくて、爆発があったときだけ降灰もあるのだそうです。それに爆発も最近はほとんどないのだとか。ひと安心です。8:58ころ。


▲いつものことですが、スミレの同定はお手上げ! ハズレを介さず言ってみますが、ツボスミレかな? とても小さな花でした。9:09ころ。


▲地蔵峠1086mです。峠というより広場のような場所でした。9:10ころ。


▲地蔵峠の名の由来となった地蔵尊です。この峠を行き交う人々の道中安全を祈ったり、遭難者の霊魂の安らかなることを願ったりする地蔵尊だったのでしょう。9:11ころ。
九州電力の名前の入った前掛けが見えますが、これにも戦後の物語があるそうです。
昭和二十二年三月、九州電力浜町保線所員が地獄温泉での療養を終えてこの峠にかかった折、天候急変。その所員と息子さんの二人が遭難死してしまったのです。その後輩所員がここを通るたびに、このお地蔵様へ花や線香を手向け、先輩の冥福を祈っていたのだそうです。この姿に接した当時の熊本支店長さんが地蔵尊を祭る御堂の建立を呼びかけ、自らも地蔵尊一体を寄進し、昭和三十年に完成したのだとか。


▲赤い実でもなっていたら一発で分かるのですが。どうやらグミのようです。こんな花なんですね。9:13ころ


▲振り返ってみました。左端のピークは冠ヶ岳1154.3mでしょうか? 9:27ころ。


▲ニガナかその仲間だと思います。9:29ころ。


▲ハルリンドウだと思います。9:31ころ。


▲阿蘇五岳がよく見えます。
右から根子岳1433m、高岳1592.3m、中岳1506m、烏帽子岳1337.2m、杵島岳1270m。中岳山頂は高岳に近いところにありますが、中岳と言われてイメージするのはやっぱり大きな火口ですよね。僕はまだ根子岳には登ったことがありません。9:39ころ。


▲タニウツギです。9:42ころ。


▲大矢岳山頂には立派な山名標識が立っています。裏側にはKENGO.NODAと作成者名が記されていました。な、な、な、なんと! その本人が僕たちと前後して歩いておられたのです。中高年の身軽そうな方でした。9:43ころ。


▲また振り返ってみました。左のピークは冠ヶ岳でしょうが、右のピークは? 9:44ころ。


▲この辺りまでは九州の山に多い、日当たりガンガンの山道でした。S子が歩いています。その前方には小さくMちゃんが。9:50ころ。


▲群生してはいませんし、数も多くはありませんでしたが、ミヤマキリシマがところどころで咲いていました。9:51ころ。


▲この木は何でしょうね。関東ならばアセビ林なんでしょうけれど。森の木陰の中を歩く涼しい山道になってきました。10:16ころ。


▲迫力のある木、人に語りかけてくる何ものかを抱いている木。そんな木のある森は佳い森です。10:24ころ。


▲大矢野岳1236m山頂で記念撮影。この山名標識も先ほどの方の製作。10:27ころ。


▲心地の良い日陰の山道がずうっと続いています。10:40ころ。


▲ブナの木も生えています。九州でもブナが生きているんですね。10:51ころ。

アップダウンもほとんどない、豊かな森の中を汗をかくこともなく歩く山道が続きました。


▲ブナの巨樹も姿を現わしてくれました。11:45ころ。


▲同じような山道が続きます。11:51ころ。


▲九州自然歩道になっているのですね。地蔵峠から5.5km、駒返峠まで1.7kmの地点です。11:57ころ。


▲背丈の低い笹の広がる森もあります。12:05ころ。


▲その後、笹の背丈が人の背を越えるようになり、目の前に峠の広場が近づいてきました。駒返峠です。12:48ころ。

地蔵峠から駒返峠までコースタイムは3時間30分(昭文社の山と高原地図では3時間)です。それを休憩込みで3時間40分ほどで歩きました。ほぼコースタイム通りだと言ってよいでしょう。Mちゃんのペースは大人のペースと遜色ありません。実際のところ、このペースはS子のペースであって、Mちゃんのペースはもっと速いのかもしれませんね。

それにしても、このコースは素晴らしい森のコースでした。夏でも涼しい山道でした。森の綺麗な山道は僕の好きなコースです。この先も素晴らしい森が続くのでしょうか。清水峠、高森峠、黒岩峠などへも行ってみたいものです。

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時坂峠から浅間嶺、いにしえの生活道を歩く 2/2 ――― アップダウンの少ない歩き易い尾根道でした

2015年06月10日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/15  S子のリハビリ山行として歩いたこのコースでしたが、とても歩きやすい登山道だったこともあったのでしょう、S子には何の問題もありませんでした。いいことです。


▲浅間嶺を出てからも尾根の北側に登山道がついていましたから、同じように新緑の森も続いていて、日陰の心地よい山道です。12:53ころ。


▲木の名前を調べるのは、僕には難しすぎます。この写真の木も名前は分かりません。でも、この特徴的な木の生え方は何でしょう? おそらくある時期にこのあたりの木が皆伐され、ほったらかしにされていたのでしょう。ひこばえが切株からたくさん芽生え、それでこんな形の木になったのでしょう。13:01ころ。


▲嵯峨源氏の流れをくむ渡辺綱(わたなべのつな)が羅生門(羅城門)で切り落としたとされる鬼女の腕に、この花を見立てたのだそうです。腕の形や色に見立てたのでしょうか? それとも、その妖艶さや奇怪さに見立てたのでしょうか? 僕には後者のように感じられます。でも、よく見ると、とても艶やかで綺麗な花ですよね。そんなラショウモンカズラの群生地が登山道脇にありました。13:04ころ。


▲すぐに植林の伐採地がありました。またスギ等を植林するのでしょうか? 13:12ころ。


▲コバノガマズミでしょうか? 13:26ころ。


▲登山道のずっと下に何やら小さな水たまりが見えました。写真は望遠で撮ったものです。こんな尾根の近くに水があるとは! 動物にとっては貴重な水場なのではと思います。13:30ころ。


▲これまで登山道は尾根の北側についていたのですが、このあたりからはほぼ尾根に通るようになりました。13:39ころ。


▲浅間石宮。浅の字は薄くなって読めませんね。13:48ころ。


▲これが浅間石宮のようです。なにやら由緒があるのでしょうが、分かりません。13:48ころ。


▲ついに浅間尾根の南側斜面に登山道が付くようになりました。でも、日陰が多いのでそれほど暑くならず、助かります。13:51ころ。


▲この斜面の上に一本松930.2mの山頂があるのでしょう。もともとはこの付近に周囲から目立つ一本杉でも生えていたのでしょうか? でも、この標柱のカッコの中は「一本桧」と読めるような気もするのですが・・・・ 13:57ころ。


▲ガクウツギだと思います。14:34ころ。


▲広葉樹林の森になると、気分も良くなりますね。コナラでしょうか? 巨木も見えていますね。14:35ころ。


▲何てこともない道端の岩に「サル石」と名前が付いていました。この看板の下の行にある通り「昔ここは、檜原村本宿と数馬を結ぶ重要産業道路」だった訳ですから、こんな岩にも名前を付けて、目印にしていたのでしょう。
サルの手形はよく探しても見つかりませんでした。14:37ころ。


▲これは馬頭観音でしょうか? 14:45ころ。


▲ミツバツチグリだと思います。14:47ころ。


▲右の文字が「馬頭供養」と読めますから、馬頭観音ですね。どんな方がお供え物をしたのでしょう。14:49ころ。


▲時間的に数馬峠(藤原峠)を回ると少し余裕が持てなくなりますから、数馬分岐で浅間尾根から離れることにしました。でも、しばらくは広葉樹林のなだらかな登山道です。14:55ころ。


▲山道から舗装された車道に出て来ました。15:17ころ。


▲民家やバス道路が見えて来ました。15:34ころ。


▲浅間尾根登山口バス停がすぐ近くだったのですが、時間があったので、ひとつ先のバス停まで歩くことにしました。途中の道路から下流を眺めました。次のバス停はどこでしょう? しばらくはありそうでないですよね。15:46ころ。


▲「数馬下」バス停に到着です。少し待ってバスが来ました。15:51ころ。

今回の山行でS子の腰は大丈夫でした。一週間もすると、熊本に行かなければなりません。二週間ほど滞在する予定です。東京に戻ってきたら、今度は易しい沢登りをしたいと思っています。

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