ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6 ――― 87% 六ッ石山を独りで歩きましたが、初めて標準コースタイム以下で歩けました

2022年04月20日 | ハイキング/奥多摩

『標準コースタイムで歩く』シリーズも6回目になりました。前回は88%で歩けはしましたが、それはYYDの仲間に必死について歩いた結果でした。小走りで何とかついて歩きました。でも、それは僕にとってはとっても良いトレーニングになりました。それくらいの負荷をかけて歩かないと、脚の筋力アップには繋がらないと思うからです。

でも、今回は自分一人で歩きましたが、標準コースタイム以下で歩くことが出来ました。87%でした。休憩時間を含めてのパーセンテージはピッタシ100%でした。この100%というのは嬉しいですね。と言うのも、以前は普通に自分のペースでとりわけ急ぐ訳でもなく歩くと、だいたい休憩込みでコースタイムくらいで歩けていたと思っていたからです。今回はまだのんびり自分ペースという訳ではなくて、自分としては負荷をかける意味で急いで歩きました。だんだんとこれが普通の自分ののんびりペースになって欲しいと思っています。

今回の六ッ石山の前にも3月27日と4月9日にも山歩きをしています。でも、この2回は一般登山道ではないので、標準コースタイムとの比較は出来ません。その2回の山行記録もブログに書き残したいと思っています。書くのが1ヶ月遅れになる悪循環を断つために、今回は順番通りでなく書きたいと思いました。

 

2022年4月17日(日) 水根~六ッ石山~石尾根~奥多摩駅

▲9:49。奥多摩駅からバスに乗り、水根バス停で下車しました。水根の駐車場にあるトイレに入りましたが、その後ろではが満開でした。ミツバツツジも満開でしたね。

 

▲9:49。水根の駐車場には車がいっぱい停まっていました。樹々の新緑若葉が柔らかく心地よい色合いで実に綺麗ですね。

 

▲10:08。坂の車道の法面にも春の花が。ヤマブキの黄色が輝いていました。ちょうど陽も当たって本当に輝いています。

 

▲10:08。小河内ダムと奥多摩湖。

 

▲10:14。六ッ石山への登山道は最初から杉の植林の中を歩くことになります。

 

▲10:16。ここを歩いたことは何度もありますけれど、いつもこの神社が何故こんな場所にあるのか不思議に思います。産土(うぶすな)神社と言います。

ウィキで調べると、「産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている」と記されています。地縁による共同体意識が強まるので、都市部で盛んになりやすい信仰意識だそうです。でも、ここは山奥の奥多摩です。ちょっと不思議ですね。

 

▲10:40。登山道は植林の中に続きます。けっこうな急登です。一部の登山者が言うには奥多摩三急登のひとつなのだとか。

 

▲10:47。暗い植林を抜け、広葉樹の広がる場所に出ました。ここで最初の休憩とします。いつもと同じコロッケとミルクチャイ。

 

▲10:54。今日の天気予報は曇りのち雨でしたが、青空も少しは広がって、時々陽射しにも恵まれました。僕の休憩中に同じバスに乗っていた単独の登山者が抜いて行きました。植林の中でも、後方に見え続けていました。今の僕は自分ペースよりは速く歩くことで負荷としていますから、こういう登山者の存在はとっても貴重でした。追い付かれないようにと思う気持ちで、自分のペースを上げることが可能になるからです。

 

▲11:01。山にあるこんなのいわれを知りたいと思いますが、手掛かりはありません。どなたが古くて壊れてしまった祠を新しくしているんでしょうね? 山仕事している方々がやってるんでしょうかね?

 

▲11:03。同じバスに乗っていたあの登山者です。僕が休憩した場所より少し先で休憩したようですね。追いかけてスピードアップして登るのも、僕にとっては良い負荷になります。急登が続いた登山道で僕は彼を抜かしました。

 

▲11:18。木の股の部分に洞が空き、そこに雨水が溜まっていました。この水溜りで水浴びする小鳥やここで水分補給する獣たちの姿を想像しました。

 

▲11:21。急な斜面ですね。唐松の林が見えます。この下で東京都水道局の杭を見ました。奥多摩は東京都の水源保水林ですから、水道局が管理しています。ここがそうなのかは知りませんが、水道局が植林する際、唐松を使うことが多いんだそうです。

 

▲11:25。急登が続いた登山道が次第に緩やかになって来ました

 

▲11:29。トオノクボです。この地名の由来とか、漢字ではどう書くのかとか調べてみましたが、まるで分かりません。東にこのトオノクボまで登っているハンノキ(榛の木)尾根があります。ただ、榛の木は低地の湿地や低山の川沿いに生える木だそうですから、何故この名前が付いたのかよく分かりません。

 

▲11:39。広々と平らな尾根すじの防火帯は枯葉で覆い尽くされていました。

 

▲11:52。そんな枯葉の絨毯の上で2度目の休憩を取りました。

 

▲11:58。太い幹の根元に洞が空き、さらに穴もたくさん空いて、不思議なオブジェになっています。

 

▲12:04。なだらかな防火帯の尾根が続き、山頂も近づいてきます。

 

▲12:18。六ッ石山1478.8m山頂到着です。左に見えている登山者は同じバスのあの人かな? と想像しました。ここは休憩しないで通過しました。

 

▲12:21。六ッ石山山頂は雲取山から奥多摩の氷川に続く石尾根の途中ですが、山頂は石尾根から少しだけ外れた場所にあります。この写真の場所で石尾根合流です。

 

▲12:24。幾つもある大きな石の間にがあります。ここが本来の六ッ石山だと、『奥多摩』の著者、宮内敏雄氏は書いています。いま六ッ石山とされているピークは小中沢ノ峰と呼ばれていたそうです。小中沢は僕も遡行したことがありますが、最後はこの1478.8mピークに詰め上がります。六ッ石山の名前の由来も調べましたが、分かりませんでした。ただ、この同じ石尾根にある七ッ石山には平将門にまつわる伝承があるので、六ッ石山も同様だと思います。この2つの山の間には将門馬場もありますし。

 

▲12:27。六ッ石山を過ぎたあたりから霧雨が顔に当たり始めました。雨具を着るほどではありません。ただ、急に気温が下がって来ました。アウターを着て、手袋もはめました。

 

▲12:34。石尾根も防火帯が続いています。

 

▲12:39。再び気温が元に戻って、暑く感じるようになりました。

 

▲12:43。さほど急傾斜でもない防火帯の登山道が淡々と続きます。

 

▲12:55。三ノ木戸(さぬきど)山1177mが前方に見え始めました。名前の由来はよく分かりませんけれど『奥多摩』には同名の集落が山の南麓にあったそうです。今も三ノ木戸林道が通っていて、家屋も数軒ありますね。

 

▲13:02。三ノ木戸山北側を登山道は巻いています。

 

▲13:05。ここは3年前、まだ林道工事中だった時に一度登っています。石尾根北面の十二天尾根から見通尾根にトラバースして、見通尾根にできていたホヤホヤの林道を登って来たらここに着いたのです。今は石尾根を越えて南側に延びていますが、どこへ行ってるんでしょうかね?

 

▲13:26。ここで3度目の休憩を取りました。休憩を終えたころ、登山者が通り過ぎました。

 

▲13:38。登山道の先にさっき通りかかった登山者の姿が見えますね。

 

▲13:42。午後からは青空も消えて、陽射しも無くなりました。新緑の輝きも見られなくなりました。でも、陽に当たって光輝かなくても、新緑の美しさが消えるわけではありません。写真からは伝わりませんが、しっとりとした美しさも格別です。

 

▲13:57。山道の左上に小さな神社(稲荷神社だそうです)がありました。すぐ先にはこの石仏が。調べてみると、中央は大日如来で、「甲子待供養」の銘が見えます。五穀豊穣や蓄財を祈願するものだそうです。右は風神なのだとか。風神の頭の周りのものは袋なんだそうです。僕には雷神の太鼓のように見えましたけれど。僕には真偽のほどは確かめようがありません。石仏に詳しい方のご意見です。左の石は何なんでしょうね?

 

▲14:04。登山道が林道に出ましたね。

 

▲14:12。集落のある場所に出て来ました。左奥に見える山は天地山981mでしょうね。中央少し左側の山は鋸山1109mでしょうか?

 

▲14:19。廃集落沿いの山道を歩いていると、僕の眼の中で不思議な現象が起こりました。濃い紫色の点が視界を横切ったんです。アレッ? と思って、すぐに立ち止まって、足元を注意深く見ると、眼の悪い僕にもだんだんとこのスミレが見えて来ました。ほんのりと薄い、ほとんど白い空色のような小さな小さなスミレが咲いていました。春ですから、スミレが咲いているのを見たいな、と願っていたのは確かなんですが、濃い紫色の点が眼の中に現われるなんて、生まれてこの方、この1回だけなんです。この可憐なスミレが僕を呼んでくれたんでしょうか?

 

▲14:21。羽黒三田神社です。860年に創立と伝わる由緒ある神社です。

 

▲14:28。愛宕山507mが見えますね。

 

▲14:37。この氷川大橋を渡ると南氷川から大氷川となります。

 

奥多摩駅前の天益に顔を出しました。最近は予約を入れないと、なかなか席に付くことが出来ません。地元の人にも登山者にも人気の店です。僕は天益に通い始めて35年にはなるでしょうか。今の女将さんのお母さんの時から贔屓にさせてもらっているお店です。一人だけだと、カウンターの空いている席にねじ込ませて座らせてもらえることもあるので、この日は時間的にも早いですし、期待していました。

カウンターには3名座っていました。6、7人は座れるカウンターです。「御予約席」というプレートも置かれていたので、「大丈夫だろうか?」と一瞬思いましたが、座らせてもらいました。僕と同年配くらいの女性の隣りに座りました。彼女もここの常連さんみたいで、なんと! 茅ヶ崎から来ているんだそうです。そのうち、カウンターは満席になり、この日は1名が地元の方のようでしたが、あとは皆登山者のようでした。いろいろと山の話題が飛び交います。僕は天益のこんな雰囲気が大好きです。地元の人が多い時も、地元の様々な話題を聞くことが出来ます。たまたま店のカウンターに集った者同士が初めて顔を合わせた者同士だったとしても、親しく言葉を交わす、そんな場所なんです。多分、中心にいる女将さんの人徳なんだと思います。

この日は滅多にない出会いも天益でありました。僕の右隣りの席に座った男性。上記ブログの中で何回も出て来る登山者がいますよね。最初のころは同じバスに乗っていた登山者と書かれています。後半は単に登山者としか書かれていません。どうやらこの全ての登山者は同一人物だったようなんです。それが僕の右隣りに座った男性なんです。僕より早く下山しましたから、お風呂に入ってから天益に来たんだそうです。彼が僕のことを覚えていてくれて、最初の急登をお互いに姿を見ながら登ったことや、僕が3度目の休憩する姿を見たこと等、話してくれたんです。六ッ石山山頂で休憩していた登山者が着ていたのと同じ緑色のアウターを着て天益に来ました。58歳だということですが、水根からの最初の急登での僕の登りを誉めてくれました。「速くて追い付けなかった」と。そう言ってもらって、僕はちょっと嬉しかったですね。少しは頑張って来た効果が出て来たのかなと。

今回のコースでは標準コースタイムの87%で歩くことが出来ました。ただ、昭文社のMAPのコースタイムも適当ですから、もっと様々なコースを歩いて、どんな時でもこの程度で歩けるようになっておきたいと思います。

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