ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

NZ旅№10―――山を去り、都会に戻りました

2014年06月19日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/18  旅をしていても、毎日が印象深い日であるわけではありません。この日はいったい何をしていたんだろう? どんな気持ちの日だったんだろう? どんな会話があったんだろう? そのような印象に欠ける日がどうしても出て来ます。
11月18日はまさしくそんな日。今回のNZ旅のメインイベントを成し遂げて、高揚感を経て心理状態は抜殻みたいなもの。肉体的にも疲労感が漫然と心身を支配しているのです。脚の筋肉も強張っていて、歩くと少し痛いですし。

テカポ湖を何時くらいに出発したのでしょうか? 朝食は? 昼食は? 半年以上前のことだから覚えていないのではないようです。帰国直後でも覚えていなかったでしょう。

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▲途中、車を停めて、川岸を散策しました。カンタベリー平原を流れる川です。13:45ころ。

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▲この日は写真もほとんど撮っていません。もうここはクライストチャーチの今宵の宿です。ハートランド・ホテル・コッツウォルドのランドリールームですね。終了までに結構時間がかかったので、抜け出してホテルの周辺を散歩していました。17:38ころ。

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▲ホテルの近くのわりと庶民的なイタリア料理店に入りました。19:04ころ。
ニュージーランドのレストランはアルコール持ち込みが可能な店が多いようです。ここもそうだったようで、記念に持ち帰ったレシートが手元にあるのですが、MAIN DIVIDE CHARDONNAY をスーパーで購入していますね。18$です。ワイン名がMAIN DIVIDE なので買ったのでしょう。もう1本くらいは持ちこんだと思います。
レシートを見ると写真の料理名も分かります。Pasta Ripiena、Quattro Stagioni、Risotto Ligure、Spaghetti Roberto と読みとれます。
どのイタリア語がどの料理かは容易に分かると思います。ただ、Quattro Stagioni だけは消去法でしか分かりませんよね。Quattro Stagioni とは「四季」のことだそうです。転じて、Pizza Quattro Stagioni はピザの円形の生地を4等分し、それぞれに異なる具材をのせて焼いたものなのだそうです。写真を見ると、異なる具材を4分割してのせているようには見えませんが、4種類の具材がのっているのでしょうね。

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▲せっかくですから、藤井さんと華世ちゃんにもご登場していただきます。感謝をこめて。

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▲ハートランド・ホテル・コッツウォルドの僕たちの部屋です。ここはリビングルーム、左の入口を入るとベッドルーム、写真の左にはトイレと浴室があるのです。広~い! 21:08ころ。

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▲ベッドルームの様子。21:10ころ。

旅の中でこういう日は大切です。「無用の用」とはちょっと違いますけれど、無為と有為(うい)が分かち難いのです。
いいな~ぁ。こんなスケジュールに急かされない日があるのは。時間がたっぷりとあるのが、旅ではいちばんの贅沢ですよね。


第10回山行μ――阿蘇の烏帽子岳をリベンジ登頂! ミヤマキリシマが満開でした!

2014年06月18日 | ハイキング/山行μや山行χ

昨年の7月7日に烏帽子岳に西麓の湯の谷温泉から登りました。でも、草千里に着いた時には雨。そこからバスで下山するしかありませんでした。
今回はそのリベンジです。ただ、同じコースからではつまらないですから、反対側の草千里東端からのルートを選択しました。
前回の記録は http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/d/20130720 を読んでみてください。

2014/5/21  豊肥本線の平成駅8:48の列車に乗ると、阿蘇駅に10:08到着。バスが10:15発ですから、連絡は最高でした。

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▲阿蘇駅前から阿蘇の中央火口丘が見渡せます。上の写真の右から杵島岳と往生岳が重なり合い、左端には中岳と高岳が見えています。下の写真の中央も同じですが、僕には中岳と高岳の区別はよく分かりませんね。いちばん左のゴツゴツした山は根子岳。この山には是非登ってみたいものです。10:15ころ。
往生岳以外は阿蘇五岳なのですが、もうひとつの阿蘇五岳である烏帽子岳は見えていません。その烏帽子岳が今日のターゲット。

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▲草千里の火山博物館のバス停のひとつ先で下車します。ヘリポート前バス停です。一面ガスに覆われていて、杵島岳も烏帽子岳もまったく見えません。10:58ころ。
二人をバス停に残して、僕は登山口を探しに行きました。

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▲バス停から200mほど草千里側へ戻ったところに登山口らしき道がありました。道路がカーブするあたりです。でも、標識などは全然ありません。上方を見上げてもガスがかかっているので、尾根の続き具合など目視での確認は出来ません。とはいえ、地図と照らし合わせると、この辺りの尾根沿いに登山道が付いているはず。11:03ころ。

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▲道はすぐに踏み跡程度になりましたが、高度を上げることなく続いていました。11:07ころ。

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▲踏み跡は山へ登ることなくずうっと先まで続いているようです。いくらなんでもこの道ではありません。11:08ころ。
とりあえずここで小休止。

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▲少し休んで、地図を見直したりしました。少しだけ元に戻り、写真のこの設備(何のためのものでしょう?)あたりから登ってみることにしました。この辺りが登山道が付いているはずの尾根の末端だからです。11:24ころ。

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▲十数分間は藪漕ぎでした。僕とS子にとっては慣れた藪漕ぎですからさほど大変ではなかったのですが、Mちゃんにとっては初体験! 灌木がまだらに生えた場所で登山道のないところを歩いたことはあるMちゃんですが、灌木を腕力で押し分けながら、体を木の隙間をくぐらせるようにしながらの本格的藪漕ぎは初めてです。
途中「もう帰ろ~ぉ!」と泣きも入りましたが、「すぐに登山道に出るから」と、なだめすかして引っ張ったというわけ。登山道がどこにあるのか定かではないせいで藪漕ぎしているわけですから、「すぐにある」と言うのは嘘八百ですけれど、まあ、一時間もこんな藪漕ぎが続くはずもないですしね。藪がうるさいだけで、危険はありませんし。
写真は藪漕ぎから脱出して登って来たMちゃんとS子。11:40ころ。
後ろにはバスで通った道路が見えています。

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▲登山道かどうかは分かりませんが、尾根沿いのしっかりした山道が出て来ました。11:42ころ。

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▲思いがけない出会いでした! ミヤマキリシマです! 11:48ころ。
かつて、九重山の大船山や阿蘇の仙酔尾根で季節外れのミヤマキリシマを僅かだけ見たことはありましたけれど、本当の旬の季節にこんなに満開のミヤマキリシマを見るのは初めてです。

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▲ハルリンドウも咲いていました。小さな可愛らしい花。11:51ころ。

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▲マイヅルソウです。小さくて可憐な花を舞う鶴に例えたのかと思いきや、そうではないそうです。葉の葉脈模様が舞う鶴のようなのだそうです。11:52ころ。

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▲ミヤマキリシマの中を登るMちゃんとS子。11:54ころ。

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▲再び、ハルリンドウです。ハルリンドウは1本の茎にひとつの花が咲くそうです。よく似ているフデリンドウは1本の茎に複数の花を付けますから、混みあった状況で咲くそうです。11:58ころ。

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▲ガスに覆われ、ミヤマキリシマに囲まれ、二人は登り続けます。12:03ころ。

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▲標識が初めて出現しました。昭文社の地図には出ていませんが、草千里からの登山道もあるようですね。12:05ころ。

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▲イワカガミも咲いていました。綺麗な淡いピンクです。マイヅルソウの葉っぱもありますね。12:19ころ。

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▲両サイドには途切れることなくミヤマキリシマが咲き誇っていました。12:21ころ。

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▲葉も茎も艶やかで美しいですね。12:29ころ。

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▲山頂から草千里が薄っすらと見えました。ふたつの池も確認出来ますし、火山博物館の建物も見えています。12:36ころ。

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▲草千里は2万7千年前の大噴火の噴火口だったのですね。詳しくは写真をクリックして拡大し、説明板を読んで下さい。12:37ころ。

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▲今日は小コッフェルとバーナーを持って来ていますから、お湯を沸かしてカップヌードルを食べるつもりです。12:52ころ。
ところで、これまで写真の顔を塗りつぶしたりして、個人が特定できないように、プライバシーを守る努力はして来ました。顔を塗り潰す色を色見本の中から選んでいたのです。ところが、写真画面の中から色を選択できることを今回初めて知ったのです。
このコッフェルにはマジックで僕の名前が書いてあったのですが、それを消す作業を加えています。初めて知った方法でやっているのですが、まったく分かりませんよね。
知っている方にとっては、笑ってしまうようなことでしょうけれど、僕にとっては進歩の大発見でした。

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▲もうひとつ説明板がありました。南側の外輪山はガスで見ることが出来ません。13:11ころ。

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▲烏帽子岳1337.2mでの記念写真。S子とMちゃん。13:12ころ。

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▲下り初めは急下降です。Mちゃんは何度も滑ります。そこを僕が待ち構えて、パチリ! 13:23ころ。

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▲ミヤマキリシマはところどころに咲いていますが、この下る道で優勢なのはススキ。
この辺りは山の高い傾斜地なので放牧地ではないと思います。春先の野焼きはしないでしょうから、ススキが思いきり伸びるのですね。昔なら屋根を葺くススキを採る茅場だったのかもしれません。13:26ころ。

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▲下る山道の左側はとても急な斜面でした。ミヤマキリシマがポツポツと咲いています。13:34ころ。

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▲草千里の端が見えました。池のひとつと火山博物館が見えています。13:36ころ。
少し前から「おかしいな?」と思い始めていました。昭文社の地図の通りだと、ずう~っと草千里が見えていても良さそうなのに、全然見えないからです。
おそらく正しい登山道は池と博物館手前に見えている尾根にあるのだと思います。そして、池に近づいた辺りで左へ方向転換し、垂玉温泉へと向かうのです。今日僕たちが歩いているこの尾根は烏帽子岳の西尾根なのだと思います。途中に1046m標高点を持っている尾根でしょう。
でも、しっかりした山道がありますし、登山道へ合流する方向へ延びていますから、大丈夫だと判断したのです。

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▲だいぶん下って来ました。振り返ると、烏帽子岳山頂付近のガスも消えかかっています。僕たちが下って来たのは、中央の顕著な谷も見えますから、烏帽子岳の西尾根に違いありません。14:12ころ。

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▲フジのような花が地面にたくさん落ちていたので、辺りを探すと、背丈の低い藤の花が咲いていました。高い灌木がないせいか、フジの木自体も低いようです。14:18ころ。

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▲正式な登山道へ出ました。右へ行くと、草千里の縁を経て烏帽子岳へ至るのです。左へ行くと、垂玉温泉。14:18ころ。
その後、じっくりと地図を見直しました。結論は昭文社の地図に記されている烏帽子岳から草千里の縁へ下る登山道は間違っています。二万五千図に記された登山道の方が正しいのだと思います。
つまり、こうです。烏帽子岳は小さな双耳峰のようになっていて、すぐ近くなのですがピークがふたつあるのです。二万五千図ではそのうち北東側のピークからまずは北へ、そしてすぐに北西へ登山道が出ています。一方、昭文社の地図では南西側のピークからまずは西へ、そして徐々に北を向くように登山道が記されているのです。その赤い線は昭文社の地図上でもあきらかに烏帽子岳の西尾根と外れており、急な谷筋に付けられた登山道のようです。
実際に昭文社に記されたコースに近い道を今回は歩きましたから、その間違いは確認できました。でも、二万五千図のコースを歩いたわけではありませんから、そちらが正しいとの確認は出来ていません。とは言えおそらく、二万五千図の方が正しいでしょうね。
一般的には、昭文社の地図の方が最新の登山道の状況を正確に反映していることの方が多いので、どちらかと言えば昭文社の地図を信頼することが多いのですが(二万五千図では地形の確認が主なので)、こういうことがあると、やはり帰省時の登山でも地形図は必携ですかね?
※最近になって昭文社の2014年版を見直してみました。烏帽子岳からの登山道は正しく訂正されていました。ちなみに、僕が持っていたのは2006年版。
今回はこの西尾根にしっかりした山道が付いており、見通しもきいてどの辺りに行くかが分かっていたので、安心感はあったのですが、そうでなければもう一度山頂へ登り返して、草千里へ至る山道を探すことになったと思います。

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▲僕はこういう花を見ると、なんの疑いもなくナルコユリ(鳴子百合)だと考えるのですが、調べてみると、アマドコロなのかもしれません。ふたつの花の違いはなかなか区別しづらいのだそうです。14:53ころ。
鳴子というのは時代劇などで侵入者の存在を知らせるあのカタカタと音がするやつです。2枚の板きれを一組に、それらを長い紐に幾つも吊るしておくのです。その板をこの白い花に見立てて、似ているのでそんな名前がついたのです。
アマドコロは茎や根に甘みがあるのだそうですね。

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▲途中、林道を横切りました。小さな池があったりします。15:06ころ。

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▲牧場の柵の外に咲いていた花です。茎が角張っています。キク科の花だとは分かるのですが・・・・ 15:15ころ。

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▲ウツギの仲間だということは分かるのですが、何ウツギでしょう? おそらくハコネウツギなのではないかと思います。15:16ころ。

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▲山道は牧場の柵の脇を通っています。阿蘇の赤牛が寝そべっていました。15:19ころ。

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▲マムシグサにしては全体が緑色なので、アオマムシグサなのだと思います。15:21ころ。

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▲こんな牧場脇を歩いています。御竈門(おかまど)山1152.5mも見えていました。15:22ころ。

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▲垂玉温泉側の登山口。15:46ころ。
垂玉温泉からタクシーを呼んで最寄駅まで行くことにしました。

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▲垂玉温泉の山口旅館です。15:48ころ。

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▲金龍の滝というのだそうです。写真の中央下に茶色の小滝が見えますが、ここが垂玉温泉の源泉。塀で囲まれたところは露天風呂なのでしょうか。15:50ころ。

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▲垂玉温泉の由来が書いてあります。関心のある方は写真をクリックし、拡大してから読んでみてくださいね。16:02ころ。

垂玉温泉でタクシーの電話番号を教えてもらおうとしました。すると、すぐに電話して呼んで下さいます。心遣い有難うございます。そんな訳で地元の美味しい牛乳を1本購入して飲みました。

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▲タクシーが連れて来てくれた駅がこれ。駅名は『阿蘇下田城ふれあい温泉駅』です。切符売り場も改札口も待合室も何にもありません。このホームに入って来るための入口もないのです。
「どこから入るのかって?」
この写真の建物の脇から自由に入れるのです。16:23ころ。
ちなみにお隣の駅の名前は『南阿蘇水の生まれる里 白水高原駅』なのです。鉄道の駅名としては最長なんだとか。

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▲この建物の裏側にホームがあるのです。この建物が駅舎と言えるのかどうか分かりませんが、ひとつ確かなことは中央の入口から入ってもホームには通じていないこと。この建物の手前と向こう側のどちらかの脇を回って行けばホームに入れるのです。16:23ころ。

途中、立野駅と肥後大津駅で乗り換え、平成駅ではMちゃんのママに車で出迎えていただきました。
昨年5月に亡くなった母の法事のおかげで、この時季の九州の山に登ることが出来ました。気候もちょうど良く、花も咲いているので、山歩きにはいい季節ですね。


尾瀬の春山最終日――戸倉で温泉と下山の打ち上げ

2014年06月07日 | 雪山/尾瀬

2014/5/5  前の晩に聴いた天気予報では、今日はお昼ころから雨になるかも、といった具合でした。夜中に見上げた星空は、前夜以上に満天の星でしたし、朝に明るくなってからも高曇りで、雨の降りだすような気配はありません。
悪天予報を信じて、下山を1日早めたわけですから、こんな時の心境は複雑です。基本的な想いとしては、予報通り雨が降って欲しい、というもの。でも、下山中はもちろんですが、自宅に辿り着くまでは雨は降って欲しくないというのも本音です。
最悪なのは今日はもちろんのこと、明日も天気が良くて、「最初の予定通り行動出来たじゃん!」となってしまうこと。
「天気よ、悪くなれなれ!」と「雨だけは降るなよ!」の気持ちが同居しているのです。

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▲朝食を食べ、テントの撤収も終わって、出発です。8:19ころ。
今日は下山だけですから、基本はのんびりでいいのですが、途中で雨に降られたくはありませんし、少しだけ急いだのでこの時間です。

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▲初日に渡ることの出来た猫又川左俣に架かるスノーブリッジがこれ。まだまだ大丈夫。8:24ころ。

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▲来る時にはなかったテントが張ってありました。スキーを楽しんでいるようですね。8:28ころ。

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▲柳平で小休止です。来た方角を振り返ると、ススヶ峰にはまだ雲がかかっていませんでした。8:55ころ。

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▲柳平から尾瀬ヶ原に抜けるあたりで谷幅が狭くなっている箇所があります。9:08ころ。

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▲ミズバショウが咲いていました。一昨日はひとつも咲いていなかったのです。雪解け直後なので、まだまだ純白の艶やかさからはほど遠いですが。9:25ころ。

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▲尾瀬ヶ原から燧ケ岳を望みます。でも、雲に覆われて見えません。9:37ころ。

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▲ススヶ峰方面はまだ雲には覆われていません。9:44ころ。
この辺りの雪面は雪解けによって凸凹具合が激しくて、小さなS子は歩き辛そうでした。時々、こけてましたね。

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▲至仏山です。山頂に雲がかかっています。そんな様子を見ると、何故かホッとしますね。9:45ころ。
こんな状況なのに、至仏山への登山を開始している登山者もいます。何が楽しくてこんな悪天の山に登るのでしょうね。

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▲またミズバショウです。GWに尾瀬ヶ原でミズバショウを見たのは初めてのことです。10:30ころ。

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▲山ノ鼻から鳩待峠へ向かいます。途中の雪解けも一昨日より進んだ気がしました。11:23ころ。

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▲鳩待峠の入山口に着きました。11:45ころ。
見ると、戸倉行きのマイクロバスが待ってます。出発は11:50、ひと足先に着いていた僕は3人分の切符を買って、S子と小嶋さんの到着を待ちました。

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▲戸倉のバス停の切符売り場です。重いザックを右の待ち合い場所に置いて、いざ温泉へ! 12:14ころ。

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▲尾瀬ぷらり館へ向かいます。入浴料は500円。12:28ころ。
しかし、いまお客さんが大勢入っている、との理由で断られました。さすがに公の施設のようですから、商売っ気がないですね。で、勧められた温泉へ。

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▲バス停切符売場からも見えていましたが、ここ。「関所の湯 湯元 ホテル玉城屋」です。12:35ころ。

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▲正面に回るとこんな感じです。12:36ころ。

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▲お風呂はこんな感じ。尾瀬ぷらり館より広いのです。確か一人700円だったかと。12:41ころ。

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▲お風呂に入ってさっぱりした後は、打ち上げです。下山祝い! ここのところ戸倉で入るお店はこの「健太」さん。13:44ころ。

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▲またしても美味しかった山菜天麩羅は残りわずかですね。このヤマメの塩焼きも絶品! 14:26ころ。
他にもいろいろ食べたはずなんですが・・・・

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▲残りわずかになってしまったお漬物。これが一番の美味しさだったかも。行者ニンニクとフキノトウと茄子ですね。また行きたくなるお店です。14:27ころ。

沼田駅行きバスの時間直前まで「健太」さんでねばっていました。高崎駅でK嶋さんとは別れます。僕とS子は八高線で帰路に。
今年のGWは終わりました。

この間、結局ずう~っと雨は降りませんでした。
山の稜線は雲の中でしょうから、霧雨は降り続いていたに違いないとは思うのですが、「ひょっとしたら平ヶ岳へ行けたかもしれないなぁ」と考えないでもありません。
ところが、翌日からのニュースです。北アルプスでは5日の日にも遭難事故が相次いだのです。多くの登山者が悪天候故に早めの下山をした中で、登山続行した登山者たちが遭難したようです。
やっぱり慎重な行動をとって良かったようです。体力も若いころに比べると格段に低下していますから、なおさら慎重にすべきですね。


尾瀬の春山2日目――大白沢池までをピストン

2014年06月05日 | 雪山/尾瀬

前の晩のことですが、ラジオの天気予報で「5日の天気は全国的に雨でしょう」と流れました。5日があまり良い天気でないことは来る前から分かってはいましたが、「全国的に雨」だとは! これを聴いて、即、今後の計画を次のように変更しました。
5日の日は大白沢池から平ヶ岳までのピストンをする予定だったのですが、それを中止。そうなるとベースを大白沢池に上げておく必然性がなくなります。つまり、4日の日に初日の幕営地から空身で大白沢池までのピストンをし、5日にはひと足早く下山する。
大白沢池で幕営出来ないのは残念ですが、体力面ではもっとも楽になる計画への変更で、どこかホッとしている自分もいます。

2014/5/4  そんな経緯があってのこの日の朝でした。夜中にテントの外に出た際、見上げた夜空に星が煌めいていましたから、好天予想はありましたけれど、どうやら最高の朝です!

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▲朝食をとり、ザックのパッキングをし、テントの戸締り(と言っても、ジッパーを閉めるだけです)をして、出発です。8:08ころ。

テントを撤収する必要がないわけですから、もっと早く出発出来たはずなのですが、これには訳があります。
実は今回3人ともアイゼンを持って来ませんでした。気温は平年よりも高めの予報でしたので、ワカンは持って来たのですが、アイゼンは不要だろうと踏んだのです。軽量化の一環でした。
気温がやや高めだとは言っても、朝方は冷え込みますから、雪の斜面は硬くなっています。そこへ陽が当たって少し柔らかくなるのを待っていたというわけ。
今日は荷が軽いですから問題ありませんでしたけれど、重荷を背負って歩くとしたら、やはりアイゼンを付けていた方が良かったと感じました。重荷では少しのバランスの崩れが重大になるからです。
どんな状況になるか分かりませんから、雪山では装備から絶対にアイゼンを外してはいけませんね。反省・・・・・・

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▲テントの前のこれから登る斜面がこれ。8:08ころ。
陽も当たって来て、徐々に柔らかくなって来ています。でも、まだ硬いところも・・・・

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▲この支尾根は猫又川右俣と左俣の中間尾根の1534m標高点の西尾根です。8:10ころ。

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▲左右に延びているのが中間尾根。誰も考えること出来ることは同じだと見えて、登山者の足跡が数人分確認出来ました。8:12ころ。

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▲K嶋さんです。ザックが軽くて本当に楽。後ろに至仏山が見えています。8:15ころ。

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▲中間尾根に二人がもうすぐ到着します。8:25ころ。

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▲広葉樹を見上げると、あれは熊棚でしょうか? 多分そうですね。周囲の枝を折り畳んだベッドになっています。8:32ころ。

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▲シカの足跡。暖かくはなって来ていますが、この時季なにを食べているのでしょう? 8:35ころ。

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▲至仏山、そして、左下に見えているのは猫又川右俣です。その源流域にあるのが外田代ですね。8:39ころ。

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▲大きな針葉樹が生えています。気を付けないと日陰の斜面は所々まだ凍っています。8:51ころ。

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▲なだらかな山がふたつ並んでいますね。右は背中アブリ山1811.1m、左があの西丸震也氏が命名したカッパ山1822mです。2008年にこのカッパ山に登りましたが、その名前の通り、山頂には丸い河童の皿(湿原)があるのです。9:20ころ。

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▲途中の平坦地にテントが張ってありました。9:30ころ。

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▲右の山がカッパ山。左にぴょこんと尖っている山が景鶴山2004mです。景鶴山には数回登っています。僕が今いる稜線の下に見えている白い平坦地は湿原です。ここは外田代の北方に少し離れてありますが、外田代に含まれるのか、それとも別の名前を持っているのかは知りません。9:35ころ。

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▲右に至仏山、左端に背中アブリ山。背中アブリ山山頂の少し右、遠くなだらかな山並の中に白く棚引く部分が見えますね。それはおそらくアヤメ平でしょう。昨年のGW初日の幕営地です。10:09ころ。
これまではほぼ至仏山を背中に感じながら登って来たのですが、この写真では左後方になっています。少し左へトラバース気味に歩いているからです。辿っているコースを説明しますね。

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▲星印は初日の天場です。黒矢印の尾根が中間尾根。中間尾根を北上すると、大白沢山につながる尾根が左右に分かれます。計画では右コース、青い矢印のコースを辿るつもりでした。大白沢山南東部の屏風のように広がった岩壁帯近くを歩くのが魅力的だったからです。でも、地図から判断する限り左コース、赤い矢印のコースの方が傾斜が緩いことは明らかです。ただ、青矢印コースの方が分かり易い尾根コースでルートファインディングは易しそうです。
結局どちらを選んだかというと、ひとつ前の写真でも分かるように、赤矢印コース。理由は単純です。先行者のトレースがみんな左に行っていたからです。それに、現場で見る限りでは地図で見る以上に右コースは傾斜が急だったのです。まあもちろん、困難さが増すほどの傾斜ではないのですが。

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▲左後には至仏山、その右手前には岳ヶ倉山1816.1m。この稜線も2008年に歩きましたね。10:11ころ。

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▲だいぶん標高が上がって、外田代の白い雪原や写真左遠方のアヤメ平も先ほどよりよく見えるようになりました。10:30ころ。

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▲大白沢山1942.0mです。大きな岩壁も見えています。10:32ころ。

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▲望遠で狙ってみました。後方は至仏山。10:33ころ。

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▲明瞭な尾根にいったん乗って、少し休憩をとりました。再度歩きはじめ、さらにトラバースします。11:07ころ。

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▲至仏山の右に黒い三角の笠ヶ岳2057.5mが見えています。その笠ヶ岳の少し左に小さな黒い三角形が見えますが、これは小笠1950m。11:07ころ。

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▲目をすぐ近くの西に転ずると、中央に赤倉岳1959.0mがみえます。ここは2011年に今回と同じメンバーで目指した山ですが、赤倉岳直前の雪庇の状況が悪く、断念しました。ちなみに、この山は岳人選定のマイナー12名山なのです。
その左のもっこりした白い山はススヶ峰1953m。この山にも何度も来ましたね。11:15ころ。

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▲主稜線に到着しました。大白沢山の裏側に広がる山々も見えます。この写真で見えている山々は会津駒ヶ岳2133mなどだと思います。そして、目指す大白沢池はこの雪の斜面を下ったところにあるはずなのです。11:20ころ。

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▲下って行くとすぐに大白沢池は姿を現しました。11:27ころ。

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▲雪解けは着実に進んでいます。池の上の雪原には幾本もの亀裂が入っていました。11:29ころ。

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▲大白沢池の南池畔に二人が立っています。その後ろは大白沢山。11:31ころ。

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▲こんな亀裂があちらこちらに走っていました。11:32ころ。

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▲大白沢池のもう少し北へ歩いて行ってみました。二万五千図の「大白沢池」と書いてある「白」の字のあたりです。眼下にはアサユウ沢なのでしょうか、その支流なのでしょうか、名前は知りませんが、谷が広がっていて、遠くの山並みを見せてくれています。
写真中央の大きな山体は平ヶ岳2141m、その左の同様になだらかな山は白沢山1952.8mでしょう。11:44ころ。
最初のプランでは大白沢池を出発してこの写真の左から中央の平ヶ岳までを歩く予定だったのです。

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▲山座同定は出来そうにありませんけれど、会津駒ヶ岳およびその周辺の山々なのでしょう。11:45ころ。

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▲池で待っていた二人に合流し、しばしの休憩。それから、池を後にし、来た道を帰りました。12:15ころ。

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▲稜線に戻り、少し北西側に上がると、これまで見えなかった風景も見えて来ました。
中央に燧ケ岳2356m、右のゴツゴツした山が景鶴山2004mです。そして、眼下に見えているのが大白沢池ですね。12:32ころ。

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▲ここからは平ヶ岳もよく見えました。12:36ころ。

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▲同じルートをのんびりと下って行きます。でも、時々スッテン! 登山靴の底に雪団子がくっ付いて滑り易くなるのです。こまめに落とさなければなりません。13:26ころ。

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▲何度もスッテンすると開き直って楽しむに限ります。13:27ころ。

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▲立派な木の脇を下って行きます。13:28ころ。

この後、いったんルートミスしました。足跡やスキー跡もあるのですが、表面の雪はその日のうちに雪解けも進むので、すぐに不明瞭になります。数時間前に歩いた登ったという記憶に安心しきっていたせいでしょう。適当に方向を決めて下って行きました。でも、見覚えのない岩場とかが斜面上方に見えたりします。何かおかしい、間違ったかも・・・・と感じ始めたころ、外田代の北に続く湿原の北端の湿原が、右下に見えて来たのです。本当は左下に見えなければならないはず。
ここでやっと地形図を確認する始末。もっと手前で常に確認すべきでした。
ルートを修正し、正しいルートに戻り、再び下降スタート。

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▲この赤布は僕が付けた赤布。朝、登る際に付けて来ました。赤布を回収すると、ここから中間尾根を離れ、西方向へ支尾根を下るのです。15:02ころ。

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▲この支尾根は二人には少し急な斜面。ビビりながら下っています。僕はと言えば、二人の真下に位置するよう心がけています。滑って来たら止めてやろうと。でも、これくらいの傾斜では実際に滑ってもすぐに止まるものです。15:12ころ。

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▲帰着です! My Home! My Tent! 15:15ころ。

ここをベースにしての大白沢池ハイキングもなかなか楽しい山行でした。こんな感じの楽ちん春山ハイキングを計画したくなりました。
いやいや! もっと肉体を鍛えて、準備山行もバッチリ実行して、ハードな春山山行を実施すべし! そんな心の声も聞こえます。
どちらにせよ、安全で楽しい山行をやるぞ!

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▲僕はさっそく水汲みへ。これだけに汲んで7リットル以上はあると思います。15:38ころ。

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▲ここが今回の水場。左の針葉樹の根元あたりです。

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▲根元を覗いて見ると、こんな風。枝を掴んで川岸の石ころの上に立ち、水を汲むのです。

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▲登山靴を履いてする仕事をひと通り済ませ、いよいよ僕もテントの中へ。15:53ころ。

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▲K嶋さんがもって来てくれた美味しいおつまみ。サラミは絶品でした。16:23ころ。
お酒ですが確か、K嶋さんはバーボンを持って来てくれました。結局、僕とS子がほとんど飲むことになってしまうのに、持って来てくれて感謝ですね。僕とS子は『三岳』です。

『三岳』は僕とS子の日常の晩酌用焼酎です。比較的低価格で購入できる店が近所に偶然あったものですから。以前は博多のデパートや屋久島の酒屋さんなどから購入したことがありましたが、芋焼酎のブーム到来でそれも困難になってしまいました。
『三岳』との出会いは思い出深いものがあります。屋久島が世界自然遺産に登録される1993年12月以前のことですから、20数年前です。屋久島にS子と二人で訪れ、北の海岸から南の海岸まで縦走したことがありました。初日のみ民宿で、あと4泊はテントでした。テント4泊目は平内海中温泉のそばの林の中でしたが、引潮を見計らって夜中に入った露天風呂で、同じ温泉に入っていた方から勧められたのが『三岳』でした。衝撃的な旨さでした。今の『三岳』は少し上品になってしまっています。その時僕が飲んだ『三岳』は実に芋っぽい甘い焼酎。素朴極まりないものでした。
それに参って、帰京後、入手方法を探したというわけです。

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▲今日は料理を撮り忘れませんでした。体力や気分に余裕があったからでしょうね。
これは定番の高野豆腐。17:30ころ。

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▲もうひと品は豚汁。野菜たっぷりの豚汁でした。17:30ころ。

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▲湯気で写真がうまく撮れませんが、これは出来あがった豚汁。18:22ころ。

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▲就寝。右からK嶋さん、S子、僕。僕は夏用シュラフ+シュラフカバー、K嶋さんも僕と同じですが、上下にダウンの服で武装しています。S子は3シーズン用シュラフ。僕にとってはさほど寒くはありませんでした。よく眠れました。20:39ころ。

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▲テントの天井を初公開! 1回きりしか使ったことはないのですが、インナーテントを留める輪になった紐がところどころにあるのです。それを活用して、紐を張っています。乾かしたいものなどを掛けておくのです。天辺にあるのはLEDランタン。K嶋さんのです。20:40ころ。

これで、今回の山行のメインイベントは終了です。本当なら、大白沢池に泊まることと平ヶ岳登頂がメインだったのですが、天候に対しては謙虚な判断をするしかありません。
今になって思い起こすと、今回名前のあるピークにはひとつも登頂していないのですね。僕は元来「沢や」ですから、ピークハンターではありません。ピークに登頂しなくても充実感を持てますし、楽しいのです。
「今年のGWにはどこを登ったの?」と聞かれたら、「大白沢池へ行ったよ」と答えます。
大白沢池を知らない人からしてみれば、「池なの? それって登山?」ってなものでしょうが、僕自身は「なかなか玄人好みの山行だぜ」と、一人ほくそ笑む、そんな感じですね。