ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

東京都と埼玉県の境界尾根を小沢峠~黒山~棒ノ折山と歩きました 2/2 ――― 日没と競争して少し急ぎました。すると、大変な事態に!

2017年01月13日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/19  馬乗馬場(まのりばんば)を予想よりもずいぶん遅く通過することになりましたから、この先のこと、林道に出る百軒茶屋に日没後の、せめて薄暮の時刻に到着したいということが最大の目標になりました。
とは言え、あまり急ぎ過ぎると、足を怪我したりしかねません。ゆっくりと急がねばなりません。

 
▲低山とは言え、標高が800mほどを越えて来ると、一日中日陰の地面では霜柱が残っていました。14:37ころ。


▲ここを登って行けば、この目の前のピークが黒山だろうかと、期待が膨らみます。でも、そんな期待は幾度も裏切られるのです。14:39ころ。


▲落葉広葉樹の尾根道は冬の低山歩きを実に悦び多いものにしてくれます。14:43ころ。


▲こんな痩せ尾根も出て来ました。午後の斜光も強まり、僕の内心の、まだ焦りとも言えないほどのものが、ほんの少しだけ膨らみ始めます。14:49ころ。


▲青空も今日は一日中綺麗でした。14:50ころ。


▲黒山842.3mに到着しました。14:53ころ。

馬乗馬場から20分かかりませんでした。30分はかかると思っていましたから、ちょっとだけですが、先行きに明るさも見えてくる気もしました。


▲本当ならば、ここでもゆっくりと休憩をとりたかったのですが、すぐに出発しました。14:59ころ。


▲前方に見えている山が、おそらく左の山が棒ノ折山でしょう。あそこまで行けば、あとは下山だけ。15:04ころ。


▲ごく普通の尾根筋に慰霊碑がありました。碑の右下には「トレイルランナー 高橋香 ここに眠る 2007年5月12日 享年40歳」とあります。この方(男性)はその世界では有名なトレイルランナーだったようです。2006年のトランス・アルプス・ジャパン・レース(北アルプス、中央アルプス、南アルプスをつなげて、日本海から太平洋までの420kmを走るレース)を完走したことで、一躍有名になったのだとか。東京トレイル・ラン100kmに出場している際に、この地で心不全により死亡されたとのこと。
僕はトレイルランはしませんから、理解できない部分の方が多いのですけれど、この人のような優秀でまだ若い人が病気で亡くなるのは残念で仕方がありません。何とか防ぐ手段を講じて欲しいですね。15:25ころ。


▲権次入(ごんじり)峠です。そそくさと通過します。黒山から権次入峠までのコースタイム30分とぴったし同じ時間で到着しました。15:29ころ。


▲植林の中の急登を休まず登りました。15:34ころ。


▲棒ノ折山山頂です。北側の奥武蔵の峰々がよく見えました。15:42ころ。


▲空気が澄んでいたら、関東北縁の群馬や栃木の山々も見えるようです。今日はそこまでは見えませんでした。15:42ころ。


▲手前には名栗村の山々が見えているはずなのですが、山座同定は難しいですね。15:42ころ。


▲S子も到着しました。山頂は霜柱が融けて、泥だらけになっていました。権次入峠からコースタイムは20分になっていますが、14分で歩くことが出来ました。15:43ころ。


▲棒ノ折山969m山頂で記念写真。15:46ころ。


▲山頂の東屋で小休止後、再出発。林道までのコースタイムは50分ですから、何とか薄暮ギリギリで林道へ出ることが出来そうです。15:58ころ。


▲植林の急降下が続きます。16:14ころ。


▲太陽は山の端には沈んでしまいました。でも、まだ明るいです。16:22ころ。

16:30ころだったでしょうか? S子の足が久し振りに攣りました。落葉で少し分かりにくくなっている急下降の登山道を過ぎたばかりあたりです。帰宅後、地形図で確認すると、棒ノ折山からのちょうど中間点あたりです。これまでも幾度となくS子の足の攣りは経験していますから、しばらくじっと休憩していると、再び歩くことができるよう回復します。そんな風に見守っていました。
でも、今回はいつもと違っていました。猛烈に痛がるのです。もだえ苦しんで、痛がるのです。地面に座っていたのですが、寝転がって痛がります。本人もどう対処すればいいのか分かりません。「どうすればいいの!」「なんとかして!」と唸りますが、僕には何ともしようがありません。
待つしかないのです。

だいぶん経って、痛みも少し収まって、3回ほど20mずつくらいS子をおんぶして下山してみました。


▲おんぶしては、座りやすい場所に降ろします。S子のザックは僕のザックの中に一緒に詰めています。まだ時々攣るみたいですが、さっきほどの痛さではないようです。攣ってすぐに、青い上着の下にダウンのライトジャケットを着こみました。黒っぽく見えているのがそれです。これだけでも、体へのダメージがかなり軽減できるはず。17:35ころ。

それからすぐに「自分で歩く」と言うので、そうしてみました。ゆっくりですが、歩けるようです。登山道もほぼ明瞭ですから、時間はかかっても確実に下山は出来そうです。


▲奥茶屋の林道へ出て来ました。これで一安心です。18:56ころ。

何事もなければ、2時間以上は前に到着していたはずです。まあ、ツエルトも持っていますし、バーナーもありますから、暖は取れます。最悪、ビバークすることになっても大丈夫とは思っていましたから、精神的には安定していました。


▲百軒茶屋あたりです。19:01ころ。


▲途中の民家だと思いますが、イルミネーションが綺麗です。19:19ころ。

実はこの大丹波の集落ではイルミネーションのイベントが催されていたのです。S子には黙っていて、日没とほぼ同時刻に下山したならば、このイルミネーションを楽しみながら駅までの道を歩くことが出来ると、考えていたのです。

奥多摩大丹波イルミネーション2016 ←←←オフィシャルサイトはこちらです。


▲民家自体がまばらですから、イルミネーションはあってもところどころまばらにしか出て来ません。でも、こんな山里にイルミネーションがあること自体、いい意味で違和感たっぷり、人もほとんどいませんから、殺風景ですが、メルヘンチックです。19:34ころ。


▲それなりに大仕掛けなんですが、そうは見えないところが、山里たる所以。周りの空間が大き過ぎるのでしょう。19:56ころ。


▲恐らくここが「光のお花畑」と名付けられたエリアなのでしょう。この中を散策できればいいのでしょうけれど、立ち入れないようでした。狭く見えますけれど、広いのですよ。20:00ころ。


▲民家の方々も協力しているのですね。20:02ころ。

S子も足の攣りが再度起こることなく、普通に歩くことが出来ました。少しはこのイルミネーションを楽しんでもらえたことと思います。
でも、大きな疑問がひとつ。ここ大丹波の集落はこのイベントを催して観光客が少しは訪れたとして、どれくらい経済的利益を見込んでいたのでしょう。まだイルミネーションは輝いていても、店はどの一軒も開いていませんでしたし。


▲川井駅に到着しました。20:33ころ。


▲川井駅の待合室です。20:33ころ。

二人とも気持ちは落ち込んでいません。山歩きを続けていると、このようなことも起きる可能性はあるのです。ひとつひとつ無事に解決し、通過・経験して行くことが登山の醍醐味の一部でもあります。でもまあ、S子の体力も低下する一方でしょう。(まあ、僕もでしょうが)今後は、よりゆとりを持った計画を立てる必要があるのだろうと、反省もしています。


東京都と埼玉県の境界尾根を小沢峠~黒山~棒ノ折山と歩きました 1/2 ――― 冬の低山歩きをのんびりと楽しみ過ぎたようです

2017年01月04日 | ハイキング/奥多摩

2016/12/19  今回歩こうとしている小沢峠~黒山~棒ノ折山は、その前半部分を僕はまだ歩いたことがありません。山歩きを始めた大昔に、黒山や権次入峠あたりを歩いたことはあります。でも、黒山より東の尾根は僕にとっては未踏の地。そんな理由と、本当はもうひとつ、後でお教えしますが、理由があってこのコースにしたのです。

小沢峠には上成木から歩き始めるのですが、東青梅駅から上成木行きのバスは7:40の他は10:53しかありません。躊躇なしに後者を選択。 


▲バスが来ました。東青梅駅北口バス停10:53発上成木行きです。ほんの少し遅れてますね。10:56ころ。


▲終点の上成木バス停で下車。ここは高水山への登山口でもあります。11:31ころ。


▲左に見えるのは小沢トンネルです。登山口は右の道。11:38ころ。


▲舗装道路を少し進むと、左に標識が現われ、山道になりました。11:40ころ。


▲山道はすぐに林道へ出ます。林道が二手に分かれ、右を選びましたが、小沢峠の下を右へと遠ざかります。上に林道が見えたので、斜面を登りその林道を右へ進むと、すぐに小沢峠でした。どうやら、最初に分かれた林道の左を選んだ方が良かったようです。写真のすぐ前方が小沢峠。11:51ころ。


▲小沢峠になかなか凝った作りの小さな祠がありました。瓦や板塀、土台の石組などがそれと分かるように作られています。11:53ころ。


▲ここ小沢峠から東の境界尾根には成木尾根と名前が付いているようです。けっこうハイカーも歩いているようですね。11:54ころ。


▲僕たちは西へ向かいます。11:55ころ。


▲こんな木の階段が出現! アスレチック遊具のようです。歩き辛いことこの上なしですが、遊びだと思って僕は歩きました。S子は振り向きもせず、土の上を歩きます。11:57ころ。


▲カンアオイ。根元の土を少しどかすと、花が二つ現われました。12:02ころ。

カンアオイ(寒葵)はギフチョウの食草だということはよく知られていますけれど、花粉媒介者が何者なのかは分かっていないのだそうです。半分土に埋もれたように咲いている花ですから、風媒花ではないでしょうし、通常の昆虫も難しそうです。ですから、珍しい仮説だけがあります。それはカタツムリやナメクジが媒介するのではと言う説。他にもワラジムシやヤスデではないかと言う説などがあるそうですが、真実は分かっていないようですね。


▲植林を抜け出すと、ちょっと低山らしい山道になりました。12:05ころ。


▲植林の中の急登です。12:17ころ。


▲八幡様を祀ったのでしょうか? 裏面には明治43年建立と彫られていました。濱名氏が作ったもののようです。12:23ころ。

ここで最初の休憩。


▲ベンチが出て来ました。ここで休めば良かったですね。12:49ころ。


▲ここにもリアルな祠がありました。12:50ころ。


▲熊野三社大権現と書かれています。熊野三社とは熊野本宮大社、速玉大社、那智大社のことですから、そこに祀られている神のことです。碑の横には「寛政十一巳未四月建立」と彫られています。江戸時代のものとしては素人目にも少し新しい感じがしますが、それはともかく、どういう思いでこの碑を置いたのでしょう? 12:51ころ。


▲石灰岩がゴロゴロした急登になりました。12:56ころ。


▲植林の中を参道のように山道が続きます。左の樹々は太いのが並んでいました。13:08ころ。


▲冬の低山歩きは落葉広葉樹の林に限りますね。13:09ころ。


▲高水山759mや岩茸石山793.0mが見えているはずなのですが、同定は写真だけでは難しいですね。13:15ころ。


▲ススキの中を歩きます。雰囲気最高ですが、すぐに終了。13:15ころ。


▲石灰岩がゴロゴロしている横を歩きました。13:25ころ。


▲標高690mの長久保山とありました。小沢峠と黒山のちょうど中間あたりに689mの標高点がありますから、きっとこの長久保山のことでしょう。旧名は「大クラ屋根ノ頭」とあります。13:36ころ。


▲まだまだ植林は続きますね。杉のようです。1本だけ松が生えていて、松ぼっくりがたくさん落ちていました。13:49ころ。


▲珍しく北の方角が開けていました。先に見えている山は棒ノ折山方面でしょうか? 13:55ころ。


▲枯葉の斜面をカサコソと登ります。13:59ころ。


▲このベンチで休憩しました。これから出発です。14:22ころ。

小沢峠から黒山までのコースタイムは2時間なのですが、もうすでに2時間以上経過しています。休憩もたっぷりしていますから、まだ到着しないのは当然なのですが、せめて馬乗馬場にくらいは着いていて欲しい。
このころから「少しだけ急がなければ」と思い始めていました。


▲林道が出て来ました。馬乗馬場が近づいた証拠です。14:28ころ。


▲馬乗馬場です。「まのりばんば」と読むようですね。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄で坂東武者の鑑と称された畠山重忠の軍勢が鎌倉幕府への道の途中、ここで馬を休ませたのだそうです。14:34ころ。


▲馬乗馬場を振り返りました。今では植林でその広々とした様子は分かりませんけれど、かなりの広さで平らな地面が広がっています。14:36ころ。

馬乗馬場を確認できましたから、現在位置が分かりました。そのことはいいのですが、あと、黒山、棒ノ折山を経て、奥茶屋の林道へ出るまで、コースタイムで2時間以上かかることが確実だということも同時に明らかになったのです。つまり、林道へたどり着くのはいちばん早くても16時4、50分ころ。つまり、日没後ということです。S子の足で、コースタイムと同じ時間で下山できるとも思えませんから、暗い山道を下山しなければならないことを、覚悟しなければならないようです。
ここまで、ちょっと甘く見過ぎていたようです。馬乗馬場へは14時には到着すべきでした。反省。