ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

ウェストンの槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートの解明―――初日はグダグダのんびり 1/4

2014年08月25日 | ハードハイク/北アルプス

まずは次の写真を見て下さい。

083

今回の山行で横尾のコルに立った際、目に飛び込んで来た槍ヶ岳です。
全ての始まりは20年近く昔に初めて横尾本谷右俣を遡行し、横尾のコルに立って抱いた印象が出発点なのです。どんな印象を抱いたかというと、「このまま山腹をトラバースすれば、槍ヶ岳への近道になりそうだ」というもの。
そのことは今回山行を共にしてくれたK松さんにもすぐに語った記憶があり、いつの日か歩いてみようと、漠然と考え始めていたのです。

その後、ウェストンの著作に接する機会があり、彼の槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートが僕が辿ろうとしているルートと同じではないかと思い始めました。
つまり、個人的な思い入れルートという意味合いだけではなく、ウェストンが辿ったルートを再トレースするという、大袈裟に言えば歴史的意義も加わったのですね。

という訳で、この地図をご覧ください。

005a

最初の写真は横尾のコルから撮ったものでしたが、槍ヶ岳の左に見えている雪渓は大喰カールですね。そして、地図の赤線はウェストンが辿ったと僕の推測するコースです。
「大喰峠」という名称は公式には存在しません。ウェストンが著作の中でも述べていますが、彼が個人的に命名した地名なのです。

僕が彼の記述を読んで推測したコースなのですが、誰が読んでもそのように考えられるに違いないはずなのですけれど、実際にはそうではありませんでした。
例えば、手元にある僕の本で『ヤマケイアルペンガイド 上高地・槍・穂高』(2000年発行 山と渓谷社)には次のように書かれています。
「日本アルプス探険期にあっては、かのウエストンとその一行がこの谷に入り、天狗原を経由して槍ヶ岳に登ったという歴史的な意義を持つ登路である」
微妙にぼかして書いてありますが、厳密に言えば天狗原は経由していません。どこまでが天狗原かはよく知りませんが、百歩譲ったとしても、「経由」したのではなく、「かすめ通る」くらいにしか言えないと思います。
また、『現代登山全集2 槍 穂高 上高地』(昭和36年初版発行、東京創元新社)には、
「横尾谷をつめ雪渓にでて(中略)現在の横尾尾根天狗池鞍部(横尾のコルのこと)あたりに立ったものであろう。一行はこの鞍部を越えて槍沢に下り、(中略)こうしてウェストンはいまの天狗池鞍部に立って、穂高連峰の一角ははじめて踏まれたのである。したがってこの鞍部はウェストン乗越と称されてもしかるべきところなのである。ウェストンは(中略)この乗越に『大喰峠と命名、高度約一万フィート』と記している」と記されています。書いているのは山崎安治氏です。
横尾のコルは約2700m、フィート換算すると8858フィートぐらいです。ウェストンの高度表記は比較的正確ですから、彼なら「高度約9000フィート」と記録するはずです。
同じ本の中で山川淳氏の担当している各コース説明にも次のように記されています。
「梓川からでも、ほとんどとられていないが、ウェストンの選んだコースがある。横尾から涸沢へ行く路をとり、丸木橋を渡らずにそのまま本谷右俣をつめる。横尾尾根の鞍部を乗り越すと天狗池で、ここから槍へは肩の小屋の穂苅氏のつけた路がある」
穂苅三寿雄氏が槍沢小屋を開設したのは1917年、肩の小屋(現・槍ヶ岳山荘)を開設したのが1926年のことですから、両小屋ともウェストンが日本を去った後のことです。ウェストンが日本滞在中にはまだその路はなかったはずです。

どういう理由があるのかは知りませんが、ウェストンが辿った槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートは、横尾のコルから天狗池経由のコースであると、一般的には考えられているのです。
それじゃあということで、ウェストンが100年以上も昔に歩いたルートはいったいどこなのか? それを解明する山旅をスタートさせることになったのです。

2014/8/12  前夜発のさわやか信州号で上高地着5:30ころ。メンバーは僕とY根君とO橋君。K松さんは前日入山し、徳沢で待っています。

ところが、上高地はあいにくの雨。
ここのところ連日雨であったことも考慮して、早々に予定変更しました。つまり、初日の横尾本谷右俣黄金平泊を中止、横尾泊とし、二日目に空身で予定のコースを歩ききる。そう変更したのです。
徳沢ではK松さんと無事合流。結局、雨が小降りになるまで徳沢で停滞しました。

001a
▲横尾の天場に着き、しばらく避難小屋の軒の下で雨宿りしていると、雨も止んでくれました。テントを設営し、のんびりタイムです。13:40ころ。
右のゴアライトはK松さんのテントで1~2人用。K松さんはこの山行終了後も一人残る予定です。左の赤いフライのテントがO橋君ので、2人用。

003
▲おつまみを出しあって、飲み始めてはいました。なんと! あれほど軽量化をお願いしていたのに、O橋君は缶ビールを6缶も持って来ていました。
おつまみだけでは寂しくなったので、夕食も作り始めました。僕が作ったのはスープ。クノールのオニオンコンソメカップスープです。ただし、ひと工夫加えます。細かく切ったモロヘイヤとサイコロ状に切ったベーコンを入れたのです。なかなかいけましたよ。
写真は相変わらず撮り忘れて、ぎりぎりセーフ! 14:51ころ。

004
▲そしてびっくりなのが、O橋君のメインの肉料理! ぶ厚い豚肉ステーキです! しかも、美味しく焼き上げるために鉄製の重たいフライパンも持参。15:03ころ。
う~う~っ! 酒が進む~っ! 
ワインかブランデーが欲しい~っ! と思ったら、ビール党のK松さんがブランデーを持って来ていました。ラッキー!

006
▲両面焼き色が付いたら、ナイフで切り分けて、いただきま~す! 15:07ころ。

007
▲付け合わせのポテト&オニオンもあるとは! 本格的! 15:18ころ。

009
▲ここらでちょっと周囲のロケーション説明を。まずは屏風岩。15:45ころ。

010
▲屏風ノ頭の左側には穂高や明神の山々が。15:49ころ。

011a
▲その穂高や明神の山々ですが、おそらくこんな感じの同定で正しいのかと思います。

ところで、ウェストンも1912年8月19日、この辺りで幕営しています。
「夜になってキャンプを張り、マツの木の楽しい焚火のそばで夕食をとる。きれいな三日月が蝶ヶ岳の上から昇り、背後に威圧するようにそそり立つ穂高の尖峰と岩壁が月光に映えている」
ちなみに、ウェストンの文章はこれからもたくさん引用します。それを赤字で記しますが、引用文献は以下の通り。
『日本アルプス 登山と探検』(岡村精一訳 平凡社ライブラリー)
『日本アルプス再訪』(水野勉訳 平凡社ライブラリー)
『日本アルプス登攀日記』(三井嘉雄訳 東洋文庫)
ただし、上記三冊のうちのどれなのかは記載を省きます。悪しからず。

013
▲僕たちの宴会は続きます。なんと! O橋君の豚肉ステーキはまだありました。
しかも、ただの豚肉ではなくて、麹と蜂蜜をまぶして一晩寝かせるという下ごしらえまでしてあるのです。15:52ころ。

014a
▲ここでメンバー紹介を。16:00ころ。
右から、まずはO橋君。最新の僕のザイルパートナー。すでに僕を乗り越えていってしまった感がジワジワ。多忙なのでなかなかザイルを組めていませんが・・・・
真ん中は、Y根君。超超多忙なアルパインクライマー。年に数回山に行ければいい方だとか。フリーもコンスタントに続けられれば5.12は行くと思うのですが・・・・ 彼にも軽量化の徹底を告げていたにもかかわらず、何もかもを念のために持参。極めつけは8×30mザイルをと言っておいたのに、ダブルザイルを2本も!(さすがにこれは気付かずに2本入れてしまったみたいですが)
左がK松さん。僕たちの中では超鉄人。上高地起点で北鎌尾根を10数時間で上高地に戻ったり、同じく上高地起点で槍ヶ岳~北穂高岳~奥穂高岳~前穂高岳ピストン~西穂高岳~上高地を24時間で歩ききったりするのです! 槍ヶ岳が大好きで、これまで88回登頂。そのうち22回は北鎌尾根から! 他にも富士登山駅伝の山頂往復6区を走ったり、富士登山競走を走ったりと、話題の尽きない人物です。

そして今回、偶然でしょうが、メンバーの年齢構成が絶妙でした。アラサー、アラフォー、アラフィフ、アラカンとほぼ10歳違いで揃ったのです。まあ、誰がどれでとは言いませんが。

019_2 020
▲僕たちのテントから10mと離れていない草むらで、サルが食事をしています。なにやら草を食べているようですね。16:48ころ。

021
▲主食はY根君の担当。五目寿司です。山では酸味がある方が食が進み易いですね。16:53ころ。

023
▲五目寿司の完成品。17:05ころ。

027
▲屏風岩の上空に赤く染まった雲が浮かびます。明日の好天が約束されているようです。18:52ころ。

明朝は3時起床。4時前には出発するつもりです。
おやすみなさい。

続きは http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/17fc3f259613d5024803bd324ddbd40d


白沢川支流の笹畑川を目指したのですが・・・・

2014年08月11日 | 沢登り/多摩川小菅川水系

2014/8/3  小菅川の支流の白沢川にはこれまで大白沢と奈良倉沢に入りました。ネットで調べてもまったく情報のない沢。地形図で見る限りでは困難さがなさそうな沢だとは言え、心地の良い緊張感を抱きながら遡行でき、沢自体もそれなりに綺麗でしたから満足できたのでした。
そして今日、この白沢川水系で最後の良さそうな沢、笹畑川に行くことにしたのです。前のふたつの沢に比べると、短いですし、林道も奥まで延びています。遡行部分は短そうです。でも、地形図で見る限りでは本流の流水域には広葉樹記号しかありません。これは期待できそうです!

001
▲奥多摩駅で7:25発の小菅行きバスに乗り、余沢下車。向山(オマキ平)登山口には綺麗な公衆トイレがあって、いつも利用させてもらっています。8:30ころ。

003
▲車道脇の側壁には苔がびっしりと生えていて、イワタバコもたくさん群生していました。まだ山ではありませんが、綺麗なので写真に撮りました。8:32ころ。

004
▲多摩川源流大学です。道路沿いに新しく洒落た塀が出来ていました。ヘルメットやライフジャケットがたくさん干してありました。8:49ころ。

005
▲S子の少し先に左へ分かれる道が降りています。笹畑川出合があります。8:59ころ。006
▲笹畑川橋です。出合は橋の右下。9:01ころ。
この橋の上で高度計を650mに合わせました。

010
▲舗装された林道もすぐに砂利道に。9:12ころ。

011
▲途中、登山口もありました。9:16ころ。

013
▲この上流が水道水源地であるお知らせの看板です。この類の看板があると、いつも以上に心引き締まります。川を汚してはいけません。9:23ころ。

016
▲林道の勾配が急になったからでしょうか? 再び、舗装された林道になりました。9:28ころ。

017
▲右の斜面が崩れています。林道に土砂が堆積しています。でも、ここが林道の終点。ここから左下の沢へ下りました。9:29ころ。

降りたすぐのところで、朝食、そして、沢装備。高度計は765mを示しています。
ここは沢の分岐でもあります。本流は右でしょう。左の方が沢床は低いのですが、右の方が見た目で大きく、本流の印象がするからです。
ただ、地形図では流れの分岐点は標高750mと785m、このどちらかなのですが、笹畑川橋で高度計を合わせて30分しかたっていないのに、何故15mや20mもの誤差が発生したのでしょう? 気圧が変化したのでしょうか?
750m分岐だとすると、右の方が左の倍くらいの水量はあるはずです。
785m分岐だとすれば、右の水量はかなり少ないはず。
実際は、右も左も変わらないくらいの水量でしたから、この分岐は750m地点に違いないと考えたわけです。それだと、右が本流っぽいとの第一印象とも合致します。
僕たちが進むべき沢は右! 決定です!

019
▲で、その右の沢がこれなんです! 10:11ころ。
分岐のすぐ上で水は伏流になっています。この巨大な堰堤を4つほど乗り越えれば、本来の渓流があるに違いないと、信じるしかありません。
この景色を見た瞬間は、僕もうめき声を発しましたが、とにもかくにも越えてみるしかない、と腹を括ったのです。

020
▲最初の堰堤にはすぐ右からも左からも取り付きようがありません。手前から大きく巻く必要がありそうです。まずは沢筋から離れます。S子の後ろの流れ沿いで休憩していたのです。水量は実に少ない! 10:17ころ。  

022
▲少し上がった場所から眺めた堰堤群。2段目も巻きにくそうです。10:27ころ。

024
▲4つの堰堤を大高巻きするべくまずはとにかく一直線に高度を上げています。ザレた斜面を灌木やその根を掴みながら登っています。10:40ころ。

025
▲ずいぶん上がってから、その先に崩壊地らしき雰囲気を感じ取りました。林道の終点に崩れた土砂が堆積していましたが、その崩壊の最上部が登っていく右手から回り込んで、これから進む上方にあるようなのです。左斜面もザレたままですし、このまま大高巻きすることにメリットが感じられなくなりました。
という訳で、スタート地点へ戻ることとし、斜面をズルズルと下ることも危険で嫌ですから、懸垂下降をすることに。
1ピッチ目のS子です。10:53ころ。

026
▲2ピッチ目。11:01ころ。

027
▲3ピッチ目。30mザイルですから、10数メートルずつしか下れません。11:09ころ。

028
▲4ピッチ目。11:17ころ。
5ピッチ目もありましたが、ブッシュの中ですから撮りませんでした。最後はクライムダウン。

後で気付いたのですが、各ピッチの時間間隔がぴったし8分になっているのですね。

029
▲4つの堰堤の大高巻きを諦めましたから、本流の遡行は今日はなしです。ですから、標高750mから左へ分岐している支沢を見てみることにしました。
時間的にも稜線までは無理かもしれませんが、少しは沢歩きの雰囲気に浸ってみたいですからね。
左へ入るとすぐにヒキガエルがお出迎え。11:49ころ。

030
▲左への支沢もすぐに堰堤が出現します。高巻くS子。写真では右上に堰堤が見えますね。11:52ころ。

035
▲とりあえずこちらの方がずう~っと沢らしいですね! 12:06ころ。

この時間からの遡行は時間的にも厳しそうなので、少しだけ行って遅くとも2時ころまでには朝に歩いた林道へ戻ってくるつもりです。ですから、この辺りで休憩しました。のんびりと。

036
▲再び歩きはじめると、大きな岩壁が近づいて来ました。数10mはあります。12:31ころ。

039
▲すると、その岩壁基部に滝もあるではありませんか! 左岸に支流もあって、上流には小滝も見えています。12:34ころ。

ここで全てが理解出来ました。僕の現在位置把握が間違っていたことが。朝食をとっていた、あの分岐は標高750mではなく、785mだということが。ですから、右は支流で左が本流。今いるこの流れこそが本流なのです!

042
▲滝を小さく右から巻き、滝の上に出て、またまた小休止。ここで地形図や高度の確認。そして、上記の結論に至った訳です。
上流を写していますが、ワサビ田跡の石組が見えます。12:55ころ。

044
▲滝の上流を僕一人で少しだけ偵察して来ました。カメラを忘れたので、写真はありません。右からの支流があり、滝も見上げるような位置に見えています。
S子を心配させるのも可哀想なので、あまり上までは行きませんでした。戻って来て、沢を下り始めます。13:06ころ。

今度は堰堤を右岸から巻いておりました。
あの分岐で高度計を今度は785mに合わせます。
林道を戻り、笹畑川橋で高度計を確認すると、650mを指していました。やっぱり、あの分岐は標高785mで正しいようです。
でも、朝は何故765mを指したのでしょうか?

046
▲途中、萩の花が咲いていました。今年初めての萩です。より詳しい種類は分かりませんが、こんな清楚な萩の方が好きです。14:19ころ。

049
▲ヤマユリです。綺麗な花ですが、S子の好みではないようです。確かに少しでか過ぎる。14:34ころ。

乗るバスの時刻は余沢バス停で15:55。時間はたっぷりあります。暇なので歩くことにしました。バス停を3つくらい通過したと思います。山梨県から東京都に入って最初のバス停で乗ることにしました。

天益に寄りましたが、お客さんが少なく、こんな日もあるんだなと。少ないと言っても、座敷にいないだけで、カウンターはほぼ満員でしたが。

今回は地図読みの失敗で、遡行することが出来ませんでした。
ですから、いつかまた笹畑川に来ます。どんな沢なのか楽しみですね。


月夜見沢上流を初めて遡行しました

2014年08月06日 | 沢登り/多摩川北秋川水系

2014/7/24  月夜見沢へは幾度となく入ったことがあります。最初にこの沢を遡行したのは1983年5月15日のようですから(昭和54年5月発行の『東京周辺の沢』草文社の初版本を持っているのですが、その月夜見沢のページにその日付がメモされていました)、10回近くは入ったことでしょう。
しかし、不思議なことにそのすべてで二俣から上流は右俣のヒイラギ沢しか遡行していないのです。という訳で、左俣の月夜見沢本流をS子と二人で遡行してみることにしました。

001
▲武蔵五日市駅で7:43発の藤倉行バスに乗りました。50分ほどで終点の藤倉です。写真のここが藤倉バス停。8:57ころ。
すぐ近くには公衆トイレもあります。

002
▲バス停の横を流れる沢は惣岳沢ですから、いったん本流の北秋川に戻り、上流へ進み、この落合橋を渡らなくてはなりません。橋を渡ると、右へ月夜見沢林道が分かれています。9:11ころ。

003
▲林道上ではヒキガエルが出迎えていてくれました。9:37ころ。

004
▲月夜見沢林道は舗装された歩き易い林道でした。前半は急な登りが多いですが、後半は平坦で、下りも出て来るほどになります。かつてはこの工事の影響で、月夜見沢へ大量の土砂が流れ込み、沢登りが詰まらなくなった時期もあったのです。9:37ころ。

006
▲林道終点です。ここで泊まって火を燃やしたのでしょう。燃えカスが散乱していました。綺麗に使用して欲しいものですね。9:53ころ。
この先が二俣ですから、山道を探しましたが、草が生い茂っていて見つかりません。少し手前に、河原へ降りられる場所がありましたので、そこへ戻りました。

008
▲その河原がここ。沢装備を身に付けます。10:24ころ。

010 012
▲これです! これ! 名前が分からなかったあの花が開いています。10:34ころ。
ちなみに以前、矢沢と落沢でまだつぼみだった時の花はこちら。

028
▲これは矢沢で。

043
▲これは落沢で。

花の名前はギンバイソウ。銀梅草です。昔の分類ではユキノシタ科、最新の分類ではアジサイ科に属するようですね。

011
▲そのギンバイソウに虫が付いていました。帰って調べると、ヨツスジハナカミキリのようです。しかも、交尾中。背中に乗っかっている(下)のが♂でしょう。写真をクリックして拡大して見て下さい。オスのお尻から交尾器が伸びていて♀と繋がっています。メスは花の花粉を食べるのに一生懸命なんだそうです。

013
▲月夜見沢もこの辺りでは沢というよりも普通の川といった感じです。河畔には木が生い茂り、岸は草で覆われています。最近のS子は沢登りでは現地調達の木の棒が必需品です。10:42ころ。

016
▲切り取って写し込むと、こんな美しい光景も多くあるのです。10:49ころ。

019
▲流木もそれなりに多かったのですが、沢岸がこんな状況になっていたのですね。10:59ころ。

020
▲二俣です。右がヒイラギ沢で小河内峠へ突き上げています。これまではいつも右へ入っていたのですが、今日は本流の左へ行きます。11:00ころ。

025
▲一段と流木や倒木が多くなって来ました。11:12ころ。

028_2
▲それでも水は澄みわたっています。11:15ころ。

032
▲沢そのものはなかなか良い造形なのですが・・・・ 11:19ころ。

039
▲しばらく楽しいゴルジュが続いています。11:24ころ。

040
▲2mほどの小滝なのですが、Ⅳ級くらいのムーブはありそうです。S子は濡れるのを嫌がりますから・・・・ 11:28ころ。

042
▲右岸を高巻きました。11:31ころ。

044
▲ここより下流の方では、まだ蕾でした。ところが、ここは咲いています。確かに日当りの好い岩場ではあるのですが、不思議です。今年初めてのイワタバコの花。11:38ころ。

047
▲S子は怖がりで、こんな木の上を歩くのも嫌がります。11:41ころ。

049a
▲体重の軽いS子はこの程度の水流でも足をさらわれてしまいます。結局、もう一歩下がって太い木の折れている辺りから渡りました。11:45ころ。

052
▲ゴルジュはまだ続いています。11:53ころ。

054
▲こんな風にくぐったり跨いだりを続けると、けっこう疲れるものです。腰や背中の筋肉が疲れますね。11:59ころ。

055
▲ゴルジュなのに左右の山から倒木が落ち込んで来ています。原因は何なのでしょうか? 11:59ころ。

056
▲綺麗なゴルジュのはずなんですが、灌木の枝や木っ端、山から落ちて来ている角張った石などが散乱しています。後方では山肌が崩れていますね。12:02ころ。

060
▲少し落ち着いた風情になって来ました。12:19ころ。

061a
▲雰囲気のいいところでお昼休みをとって、再スタートしたら、またこんなことに。12:47ころ。

065
▲沢岸の岩場でヤマユリが咲いていました。12:52ころ。

066
▲沢岸の山肌が崩壊しています。原因がよく分かりません。強いて言えば、鹿害のような気もします。低灌木や下草が食べられて少なくなっていますから、植物による土壌の保持力が低下しているのではないでしょうか? 12:53ころ。

067
▲アワムシの巣? でしょうか? シロオビアワフキという名のヨコバイに近い昆虫の幼虫が入っているのだとか。12:54ころ。

071
▲ここも崩れてますね~ぇ。13:11ころ。

076
▲時折は沢らしい雰囲気の良い場所も現われるのですが・・・・ 13:29ころ。

080
▲まずまずの雰囲気ですね。13:36ころ。

082
▲そう思っていたらこの惨状! 13:39ころ。

088
▲再び良い雰囲気が続き、この沢、最大のナメが現われました! 今日の白眉です! 14:00ころ。

091
▲10mほどの長さのある上段のナメです。美しい! 14:01ころ。

098
▲流木の詰まったゴルジュです。14:07ころ。

099
▲深い水のなかを歩くか? それとも、怖い丸太の上を歩くか? S子にとっては厳しい選択でした。14:08ころ。

103
▲源流のはずなのに、まだまだ水量がありますね。14:16ころ。

105
▲苔生した景色になりました。14:18ころ。

108
▲しばらく見かけなかった木の橋が現われました。仕事道も沢沿いに通っているのが見えます。時間も押して来ていますから、利用することにしました。14:29ころ。

111
▲沢沿いにこのような仕事道が続いています。14:47ころ。

119
▲山道が沢から離れて行くと沢筋を歩きますが、またその道が沢沿いに戻って来ています。ですから、結局またこの山道を利用することに。それほど新しい仕事道ではないようですから、架けられた木の橋もこの写真の橋のように真ん中で折れていたりします。15:09ころ。

124
▲しばらく山道も不明瞭で、沢筋を歩いていましたが、再び立派な木の橋が! しかし、この仕事道は沢沿いではなく、左上方へ沢から離れていくようです。
高度計を見ると、標高970mくらい。どうやらこの仕事道はこの沢筋と並行して東にある尾根へ上がっているようです。
結局、ここから沢を離れ、尾根へ向かうことにしました。15:29ころ。

127
▲仕事道は尾根を巻いてもっと東へ行っていました。写真のこの尾根が僕たちが登るべき尾根。なだらかな尾根です。15:41ころ。

129
▲途中、イグチが生えていました。かなり傘が開いていましたので、採集はしませんでしたが、以前食べたことがあるイグチの仲間だと思います。15:51ころ。
家のキノコ図鑑で調べると、アカヤマドリのようです。そうなら、美味しいキノコのようですね。

131
▲気になる植物があったので、写真に撮りました。花は咲き終わっていましたが。15:55ころ。
家にある学生時代に購入した『新改訂学生版 牧野日本植物図鑑』で調べます。だいたいいつも、この本であたりをつけ、ネットで確認するのです。
今回はスムースに発見! イチヤクソウでした。昔はイチヤクソウ科に分類されていたそうですが、今はツツジ科イチヤクソウ属なのだそうです。常緑の多年草なのに、ツツジ科なんですね。

134
▲1160mほどのピークを越えて、風張峠に出て来ました。16:13ころ。
この道路は奥多摩周遊道路ではなく、藤倉とつながっている風張林道なのです。道路上で寛いで、装備解除しました。

135a
▲左のゲートで閉ざされている先の道が風張林道。S子が歩いているのが奥多摩周遊道路です。16:49ころ。
本当はこの写真の写っていない右にある駐車場から山のふるさと村へ下山する登山道入り口あったのですが、気付かずに北へ歩いています。10分はタイムロスしました。

137
▲正しい登山道へ入れましたが、昭文社の地図とは変わってしまったルートもあります。17:05ころ。

139
▲先日の落沢遡行後に歩いた奥多摩周遊道路に出ました。17:56ころ。

140a
▲山のふるさと村に到着です。18:16ころ。

このころはまだ18:43のバスに間に合うのではと考えていました。でも、ここからバス停までは40分近くかかっていたのですね。
山のふるさと村を通過したあたりから、S子の調子が悪くなりました。腰に痛みが走ったのです。ともかくまずはゆっくり休み、19:16のバスに気持ちを切り替え、S子のザックも僕が持って、ゆっくりと歩きました。

142
▲麦山の浮橋からの奥多摩湖の夕景。19:03ころ。
登山としては良くないことなのですが、個人的には早い時間の下山よりも夕景色を味わいながらの下山の方が好きです。山里が夕焼けに染まる中、バス停や駅へ急ぐ。大好きです。

143
▲小河内神社バス停到着です。19:10ころ。

天益へも遅い時間の到着です。今日は何も言われませんでしたけれど、遅い下山を叱られても仕方ありませんね。反省。
前回の落沢に比べると、今日の月夜見沢上流部は水平距離が倍くらいありますから、S子にとってはいきなりのジャンプアップだったのかもしれません。それに、倒木を跨いだりくぐったりする動作が延々と続くのはけっこう疲れるものですから。
腰に痛みが走ったのも、そんな負担が大きかったからでしょう。腰の痛み自体は2、3日で和らいだようです。

月夜見沢上流部があまり遡行されていない理由ですが、ヒイラギ沢で小河内峠へ向かった方が奥多摩湖方面に降りるにしても檜原村へ降りるにしても近いからだと思います。それに、本流が思いの外長く時間がかかるからでしょうね。月夜見沢の下流部を楽しんだ後ですから、早く下山したい気持ちが働くのでしょう。