ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

復活登山の第3弾は奥多摩の高水三山+下山ルートは地図読みバリエーション

2021年12月28日 | ハイキング/奥多摩

先月下旬に山岳会の山仲間に僕の登山再開を宣言して、最初に誘ってくれたのがT橋さんでした。有難いことです。

日程が合わず、すぐには実現されなかったんですが、やっと12月19日(日)にS森さんも加えて3人で行って来ました。

 

▲9:36。軍畑駅は少し遅めの9時10分着の電車でした。高水三山は奥多摩入門の山として人気がありますから、降車する登山者も多くいます。トイレにも行列が出来るくらい。僕たちもゆっくりと出発し、舗装された道路を登山口へと歩きます。写真の道は左の狭い道へ入ります。大きな道を真っすぐ進むと、榎峠があります。この峠を南東へ向かうのが、青梅市街地へとつながる青梅丘陵です。

 

▲9:46。里の村を進みます。左前方に見えている山が高水山759mでしょうか?

 

▲10:07。舗装道路が終わり、ここから山道です。

 

▲10:08。いきなり巨大な堰堤が出現します。インパクトが強くて、この堰堤のことはよく覚えていました。

 

▲10:27。S森さんが「雪かな? それとも霜柱かな?」と聞きます。霜柱ではなさそうでしたから、「雪かな」と答えましたが、雪ではなさそうですね。その理由は、ここよりもっと標高の高い場所でまったく雪が残っていなかったからです。霜柱ではなさそうなので、なのでしょうね。それにしても、気温の低い日でしたね。

 

▲10:52。植林の中に歩き易い登山道が続きます。

 

▲11:08。これは霜柱ですね。長く成長しています。

 

▲11:10。高水山常福院龍學寺の山門下の階段。ブリキ(?)の国旗は何なんでしょう? 開創は9世紀とのことで、とっても古いですね。

 

▲11:11。日原の大日如来窟で修業した智証大師が高水山でも修行をし、その時に浪切不動尊を感得したんだそうです。それ以降、本尊の浪切白不動明王が深く信仰され、不動堂が建立されました。幾度も山火事で焼失しますが、そのたびに再建され、現在の不動堂は1822年に再建されたものだそうです。

 

▲11:17。不動堂の前には狛犬が・・・・。秩父や奥多摩には狼が祀られていたり、狛犬になっていたりすることがよくありますが、これも狼かな、と思いました。でも、耳が垂れていたりして、どこか狼っぽくありません。ネットで調べてみると、どうやら狼ではなくて日本犬のようですね。なぜ日本犬なのか、理由は明確ではないようです。

 

▲11:19。常福院のすぐ裏です。この斜面では春になるとカタクリの花が咲いていたように記憶しています。

 

▲11:22。遠く左には大岳山1266.5m、手前の山は高水三山のひとつ惣岳山756mです。惣岳山から左に延びている尾根を最後に辿る予定です。

 

▲11:26。高水山山頂759mです。毎回思うんですが、この山頂は全然山頂らしくありません。この標識の向かいには鉄柵で囲まれた鉄塔が建っていて、その存在感の方が大きいんです。

 

▲11:42。高水山759mから岩茸石山793.0mへはなだらかな尾根道が続きます。尾根の北側を通る登山道には霜柱がこんなに。この日は気温が氷点下ですから、融けずにあります。

 

ここまで、短い小休止はありましたが、食事もするほどの休止はしませんでした。それが必要に感じるほどのペースでは歩いていませんでしたし、実際、疲れはなかったからです。

でも、歩き始めて2時間ほど経過していますから、途中の日当りのいい場所で大休止を取りました。僕はパンを食べ、熱い飲み物を飲みます。S森さんから温かな柚子ジュースをいただきました。

美味しかったです。

 

▲12:12。いかにも冬枯れた奥多摩の低山ハイキングですね。無風快晴! 素晴らしい日和です。

 

▲12:14。すぐ北隣りの尾根の向こう側は埼玉県です。T橋さんとS森さん。

 

▲12:18。山頂には長居せずに、すぐに出発です。向こうに見えている中央の山は川苔山1363.3mだと思います。T橋さんは前の週に川苔山左手前の尾根のさらに支尾根から登って、右手前の鉄塔の見える真名井北稜を下るコースを歩いています。

 

▲12:19。岩茸石山からはすぐに急な岩っぽい登山道になります。

 

▲12:41。高水三山、最後の山は惣岳山756mです。登って来た2山とこれから登る1山を眺めながらの山歩きです。

 

▲12:53。惣岳山直下の岩場。

 

▲12:54。惣岳山の北東斜面は伐採されていて、霜で白くなっていました。

 

▲12:58。惣岳山山頂は青渭(あおい)神社の建つ広場です。展望もなく、日当りも良くありません。

 

▲13:03。惣岳山山頂からこの日のメインルートがスタートします。一般登山道から外れるんです。他の登山者が間違えて付いて来ないか心配でした。

 

▲13:06。右端の山が高水山、左の山が岩茸石山です。

 

▲13:09。さらに左にパーンして、岩茸石山から惣岳山への尾根。

 

▲13:28。標高620mほどの小ピークです。向こうに見えるのは高水山。

 

▲13:32。左の斜面には伐採後に杉の植林がされています。

 

▲13:49。手入れの行き届いた植林は林の内部にまで日差しが入って来ます。

 

▲13:54。ここは556m標高点。

 

▲14:02。556m標高点の少し先で尾根が南向きになると、その尾根をそのまま辿らずに、標高500m付近から西へ進路を変えて下降します。ここがこの日最大のルートファインディングポイントです。写真は下降し始めたところ。

 

▲14:11。正しいルートなら標高差20mほど下ると、コルが出て来るはずでした。でも、数10m下降しても、まだまだどんどん尾根が下っていきます。間違いに気付き、登り返すことに。正しいルートのコルが左前方に見えています。S森さんが「このままあっちへトラバースしたら」と言いますが、T橋さんも僕も登り返して、元へ戻ることを選びました。こんな時のトラバースが大変なことが多いことを知っているからです。つまりは、そんな大変だった仕打ちを何度も経験しているということ。

 

もとの尾根に戻ったところで、僕は「休もうよ」と言いました。最初の大休止以降、2時間以上休憩なしです。そんなに疲労感はありませんけれど、復活途上の身ですから、休憩も大切。

 

▲14:33。大休止後すぐに、西へと下りました。踏み跡も少しあって、今度は正解でしょう。

 

▲14:36。すぐにコルも出て来ました。

 

▲14:38。コルから最初の小ピークには[←東光寺]の標識が。東光寺はこの日のゴールの軍畑駅裏側にあるお寺です。

 

▲14:44。コルから2つ目の標高480mほどの小ピークには山名があるようですね。物見山というそうです。

 

▲14:47。物見山からは気持ちのいい尾根の下りが続きました。痩せ尾根だったり、岩っぽかったり、馬酔木が多かったり。

 

▲15:04。標高320m付近でJR古里線の送電鉄塔の下をくぐりました。

▲15:14。鉄塔のすぐ先で、そのまま尾根道を行くか、沢筋へ降りるルートを行くかの選択がありました。どちらでも行けるはずです。沢筋を選びました。写真は沢筋へ少し下ったところから振り返って撮りました。

 

▲15:17。小さな沢が現われ、壊れそうなおっかない木橋を渡ります。

 

▲15:19。伐採された木や枝なのか、最近はほとんど歩かれていないみたいですね。でも、なんとなく山道の痕跡は残っていました。

 

▲15:29。山から里へ出て来ました。

 

▲15:30。朝歩いたのは、下の横断歩道です。向こうには青梅線の高架が見えていますが、この後すぐに下り電車が通って行きました。

 

▲15:36。軍畑駅で30分ほど待ちました。この駅周辺には食事をするところはないようですね。

 

T橋さんのご好意で僕の下車駅で打ち上げることになりました。僕の好きな ネパール料理店に行くことにしました。 カトマンズの場末の食堂のようなやる気のない雰囲気が好きなんです。 いつ行っても、客がいることはまずなくて、客ではなさそうなネパール人がたむろしています。 なんとも形容しがたい、僕にとっては好ましい雰囲気のお店です。

ただ、店のドアを通って中に入ると、ネパール人のおばさんが「今日はない」と。 営業していないようですね。 でも、すぐ隣りに同系列のお店があります。入りたかったお店がレストランなら、隣りの店は居酒屋さん。 お料理はお酒のつまみ風で、味が濃いですね。 つまり、辛い。

ここの写真も撮っておけば面白かったんですが、撮り忘れました。やっぱりお客さんでもなさそうなネパール人が2人いました。彼らは店に飾られている写真のことを説明してくれました。鳥の剥製もあったのですが、ネパールの国鳥なんだとか。帰ってからネットで調べると、ニジキジというキジ科の鳥なんですね。日本の国鳥はキジですから、共通してますね。キジよりもひと回り小さくて、ニジキジとの名前のようにキラキラ光り輝く綺麗な鳥です。

T橋さんが生ビール3杯、S森さんも2杯、僕はククリラムを2杯、 チーズナン(SRさんに食べさせてもらって以来、大好きになりました)、他にも5皿ほど食べて、 トータル6400円!  安い! S森さんはまだご自宅まで遠くて時間がかかるのに、最後まで楽しく付き合ってくださって有難うございます。


日和田での岩トレに参加させてもらいました

2021年12月15日 | 岩登りトレーニング

先週の土曜日、12月11日は僕の所属する山岳会YYDのY山さんが日和田での岩トレを計画していましたから、それに参加しました。前の週の天地山山行が予想以上に肉体へのダメージが大きくて、まだ他のメンバーに迷惑をかけずに山歩き出来るような状態ではなかったからです。

 

参加者は僕の他にはY山さんとA宮さんだけでしたから、最初はちょっと迷いました。初心者のA宮さんを1対1でトレーニングするつもりだと分かるからです。でも、僕は自分が登りたい気持ちはありませんでしたから、邪魔しない程度にお手伝いできればいいやと、そう思って参加することにしたんです。

 

米山さんは千葉市に住んでいるのに、高麗駅集合は何と8時! 早い! よっぽど「僕は1時間遅れで現地集合でいいですか?」と聞こうとしましたが、実は僕はY山さんとは初対面ですから、さすがに最初からそれでは失礼だと思いました。

 

▲9:18。岩場に到着すると、誰も居ません。僕たちと、同じ電車に乗っていた他の数人パーティーだけです。僕は朝食を食べていませんでしたから、途中のコンビニで買いました。それをのんびりと食べてから、スタートです。その時撮った男岩南面の写真がこれ。無人です。

 

▲9:22。男岩南面右端の3級の緩傾斜の岩場で二人のトレーニングは始まっていました。踏み跡を登って二人のところへ行きます。Y山さん(左)のレクチャーが始まっていました。どうやらY山さんがリードして、A宮さんがフォロウしたようですね。

 

▲9:42。Y山さんが先に懸垂下降で降りて行きました。続いて、A宮さんが降ります。下ではY山さんがザイルを手に持って、万が一の場合に備えます。

 

▲9:56。次にトップロープで同じルートを登ったA宮さんが同じザイルに体重を預けて降りる練習をしました。

 

▲10:10。上に見える青いザイルでトップロープ状態で登っているA宮さん。橙色のザイルはリードの真似ごとです。橙色のザイルは誰も確保していません。

 

▲10:22。橙色のザイルでフォロウするY山さんを確保するA宮さん。A宮さんの頭の中は写真のザイルやシュリンゲのようにゴチャゴチャしてるでしょうけれど、何度も経験するとそのうち整理されてきます。

 

▲10:45。橙色のザイルは30mと短いので青いザイルで懸垂下降。

 

▲11:03。A宮さん、もう一度同じことをしました。ただし、今回は橙色のザイルを僕が確保しています。その分、トップロープの青いザイルはあまり張っていません。

 

▲11:31。次はトップロープになっていた青いザイルはなしで、本物のリードをしました。A宮さんの初リード! 見事に出来ました。上での確保もしっかりと出来ました。

 

▲12:05。この岩場での最後のトレーニングは上部で左に抜ける4級-の別ルートをY山さんがリードしました。彼にとってはオンサイトです。さっきまでは、写真でY山さんがいる場所からそのまま上に登りましたが、今度は直角に曲がって左を登ります。

 

▲12:13。そのルートをA宮さんがフォロウ。僕もフォロウしました。

 

▲12:37。続いて、岩場の上の森の斜面で、Y山さんの講習です。沢登りで滝の登攀後、滝の上に確保支点がなかった場合の確保法をA宮さんにレクチャーしています。遠くの木でもいいので、メインザイル等を使って確保支点を作るその方法を伝授していました。二人は滝の落ち口付近に立っているという設定です。

 

▲13:44。昼食後はどこかにトップロープを張って練習することになりました。男岩南面右側の3段フェースルートが空いていましたから、そこにY山さんがザイルをセットしました。このルートは4級+と言われていますが、僕は右手でカンテを使わずに登ることにしていますから、5級-と言っても可笑しくないと思います。写真はY山さんが1段目のフェースを登っているところ。ここが核心部なんですが、なかなか登れません。

 

▲14:20。A宮さんもチャレンジします。先ほどY山さんが掴めなかった右手のホールドを掴めています。なかなかバランスがいいですね。でも、これ以上は進めませんでした。

 

▲15:21。Y山さんの真横まで行って、写真を撮りました。左手で頭の上のまあまあのホールドを掴み、左足を30cmほど上に移動させて、右足は左足と同じくらいの高さに上げます。そうしてから右手を大きく右上に上げてまずまずのホールドを掴むんです。

 

Y山さんもA宮さんも何度もチャレンジしました。右手、左手のホールドが掴めて、右足を上げるところまでクリアできました。その右足で立ち込めれば、1段目のフェースはクリアできます。次回は大丈夫だと思います。

 

僕はと言えば、トップロープですし、2回ほど登らせてもらいました。この日の肘の状態ではリードするのは少し難しいかもしれませんね。登り方の見本を見せてあげることが出来て、ホッとしています。

 

▲15:56。この日はこれで終了です。充実した練習が出来ました。早く4級+のルートをリード出来るようになって欲しいと思います。

 

▲15:57。振り返ると、男岩南面。この日もそれなりに練習している人は多かったですが、みんな早く切り上げたようです。男岩には、もう誰もいません。

 

▲16:07。車道に出る手前です。

 

▲16:22。A宮さんは動物好きなんですね。犬にも猫にもすぐ寄っていきます。

 

この後、Y山さんが電車の時刻を調べると、あと4分で来ることが判明。乗るか乗らないかで一瞬迷いましたが、「乗ろう!」ということで、駅のホームまで走りました! これまで掻いていなかった汗を一気に掻いてしまいました。汗だくです!

 

いつも入るうどん屋さんの入り口で開くまで30分待つか、それとも飯能まで行って、そこで店に入るかの選択でした。結局、飯能まで行くことにし、飯能で時々入ったことのある居酒屋さんに入りました。そこで判明したのは二人ともお酒が飲めないということ。僕だけが地元のお酒「天覧山」を飲むことになりました。申し訳ない・・・・


復活登山の第2弾は奥多摩の天地山から鋸山。山仲間に声をかけてもらって歩いて来ました

2021年12月08日 | ハイキング/奥多摩

12月5日の日曜日、同じ山岳会のK野さんに誘われて、奥多摩の天地山へ行きました。山の仲間というのは実に有難い存在ですね。感謝しかありません。

 

最初の計画では天地山~鋸山~鞘口山~江戸小屋山~九竜山、と言ったコースだったのですが、おそらくそれでは僕が大変だろうと、変更してくれたんだと思います。鋸山から鋸尾根を直接奥多摩駅に下山することになりました。鞘口山を回れば、僕の足ではほぼ確実に日没後の下山になってしまいそうですからね。

 

それにしても山仲間と歩くのは実に1年9ヶ月ぶりのことです。それだけでも、心がウキウキしますね。1年9ヶ月前はSS木さんとS子と3人で歩き、茅ヶ崎ロックに下山し、岩トレしていた仲間に合流したんです。

 

朝も久し振りに早い電車(と言っても以前はこれが普通だったのですが)で奥多摩へ向かいました。電車内は登山者で溢れていて、これも久し振りのことですね。奥多摩駅に着き、駅前広場へ出ると、K野さんとT原さんが声を掛けてくれました。1本前の電車で来たんだそうです。それからW泉さんやS上さんとも合流しました。本当に懐かしく、嬉しいですね。SS木さんも参加する予定だったのですが、今朝起きると微熱があったとのことで、急遽不参加。残念です。 

 

▲8:32。奥多摩駅前の商店街から海沢方面へと出発です。

 

▲8:58。後方に見える尾根は前回僕がひとりで登ったゴンザス尾根です。(K野さん撮影)

 

▲9:07。この日の奥多摩の最低気温はマイナス3度とありました。まだ日陰ではが残っています。

 

▲9:13。前方の山の斜面に建っているのは東京多摩学園。天地山へは学園の前を左へ進みます。

 

▲9:20。学園前を左へ進むと、天地山への標識がありました。この標識がなかったころはこのまま左へ進んで、適当な場所から尾根に取り付いていたと思います。

 

▲9:34。多分、途中で左へ進まずにまっすぐ行った方が良かったんだと思います。確かにそこでは左の方がいいかな、と思えたんですがね。こちらはそのうち踏み跡も消え、完全な藪漕ぎになってしまいました。それだけならいいのですが、棘の多い植物も混ざっていたので、掴むと痛い! 半袖の元気者K野さんはなおさら被害を受けてましたね。

 

▲9:57。藪漕ぎを抜けて、尾根に出ました。そこからは明瞭な踏み跡が付いています。

 

▲10:29。寝転がって居たいような落ち葉の斜面です。

 

▲10:46。クマの爪痕でしょうか?

 

▲11:21。天地山に到着。(W泉さん撮影)

 

松浦隆康氏の『バリエーションルートを楽しむ』(新ハイキング社)にこの天地山にまつわる言い伝えがよく纏められていますから、抜粋して掲載したいと思います。

「『海沢村地誌』には、天地山のことを「割山(さけやま)」とか「天地の割山」と表記されており、割山という名前は、海沢の昇竜伝説と係わりがある。

昔、海沢一帯は沼であり、地底に一匹の竜が棲んでいた。ある時、竜が沼底を揺るがして天に昇り、その時の地鳴りで向雲寺と海沢神社との間で沼が決壊した。天地山は、昇竜によって天地が割れた山という意味を持つ。天に昇った竜は再び地に舞い降りたが、向雲寺裏山の神路山頂で岩に化したという。ちなみに向雲寺の山号は竜岩山である。」

ちなみに、奥多摩の山を愛する者たちにとってのバイブルとも言われている宮内敏雄著『奥多摩』には今の鋸山のことを天地山だとしている。天地山のことは高岩山と呼んでいる。どちらが正しいかの確証はないが、個人的には現在の呼称どおりがいいのではと思います。その理由ですが、今の天地山の方が昇竜伝説の持つ神秘的なイメージに近い感じがするからですね。

 

▲元気者のK野さんは天地山山頂にあった木の枝で懸垂を始めました。何回もやってます。顎もずいぶん高くまで持ち上がっています。(W泉さん撮影)

 

▲他のメンバーもチャレンジしました。僕もやってみましたが、1回だけしたら疲れてしまって、2回目をする気にはなれません。(W泉さん撮影)

 

▲11:27。天地山山頂南西斜面は岩場の急斜面でした。2014年4月にS子とふたりで天地山に来ていますが、ここの下りでS子が大変だった記憶が残っています。もう、こういう山は無理だな、と感じた記憶があります。

 

▲11:32。ロープが付いている箇所もありました。

 

▲12:05。踏み跡通りに辿って来ました。鋸尾根が見えています。登山者の声も聞こえてきます。

 

▲12:10。鋸尾根の登山道へ出て来ました。

 

鋸山(1109m)山頂での記念撮影。

 

▲ここでもK野さんはトレーニング。足をこの位置まで持ち上げられるのは凄いですね! コロナ禍で山へ長い期間行けなかったK野さんですが、筋トレはしっかりやっていたようです。

 

▲13:04。鋸尾根下降中、木の間から天地山が見えました。奥多摩の槍とも呼ばれているそうですが、確かにそうですね。

 

▲13:30。左からK野さん、W泉さん、S上さん、T原さん。後方の山は石尾根だと思います。

 

▲13:42。鋸尾根途中のクサリ場。K野さんは鎖に頼らずにクライムダウンして来ました。

 

▲14:28。愛宕神社の鳥居です。

 

愛宕神社というのは火伏せ(防火)の神様を祀っているんだそうです。修験道の祖とされる役小角が関わっているので、行者たちが修行を重ねる岩山に愛宕神社が祀られることが多かったようです。奥多摩の愛宕山も岩山。元来、麓の地名にもある登計(とけ)山と呼ばれていたようで、登計はトケ→トッケであって、つまりトッキ、突起なんですね。

詳細は忘れましたけれど、僕は昔こんな実話を聞いたことがあります。

「今のむかし道にある白髭神社を火事で焼失させてしまった(放火ではなく過失だったと思います)男がいました。そのまま逃げたのですが、愛宕神社の神様が夢の中に繰り返し出て来て、彼を苦しめたんだそうです。数日後、彼は自首し、心は楽になりました。その火事の跡は今の白髭神社の脇の石灰岩の岩壁に黒く残っています。この事件はそれほど古い時代のことではないようですね。明治時代以降のことだと思います」

 

▲鋸尾根最後に待ち受けている関門がこの188段の階段。みんなにけしかけられてK野さんが階段ダッシュをしました。元気ですね! 降りて来たばかりの階段を、再度上って下って来るのです。さすがのK野さんも疲れたようで、上部で足が止まってましたね。

 

▲14:55。鋸尾根の下山完了です。(K野さん撮影)

 

▲14:56。これから駅へ向かいます。

 

▲14:57。昭和橋上から氷川の町を見る。写真中央上部に見える白い岩場は氷川屏風岩。また行ってみたい岩場ですね。

 

▲15:07。2020年に駅前の公衆トイレを新しくしたんだそうです。綺麗になっていました。左には多機能トイレも設置されていました。

 

みんな天益に行きたかったんですが、鋸尾根の途中から電話を入れた際、今日の天益は予約の客だけで手一杯だということでした。降りて来て店を見ると、すでに終了との札が出ていました。鍵も掛かっています。

 

天益の代わりに『むら㐂』に入ることにしました。カウンターに我々5名が入って独占です。

 

▲左からT原さん、K野さん、僕、S上さん、W泉さん。複数の人と居酒屋さんで飲食を共にするのも1年9ヶ月ぶりです。ちょっと嬉しくてお酒を飲み過ぎたかもしれません。芋焼酎お湯割りを3、4杯、日本酒を1杯飲みました。普段飲む量の数倍飲んでしまいました。山仲間と山の話をする。堪えられない悦びですね。(W泉さん撮影)

 

▲酔っ払いが電車の床で寝落ちしているわけではありません。僕が30代40代の頃は、帰りの車内がトレーニングジム化していたとの話題の一環で片腕腕立て伏せを始めたのはいいのですが、筋力低下の影響か、それとも単なる酔い過ぎか、1度も出来ずにこの有り様。写真に撮られているとは思いませんでしたが。(W泉さん撮影)

 

▲そのW泉さんもチャレンジ。これは誰が撮影したんだろう?

 

もちろん、乗客が増えてくると、僕たちも大人しくしていました。こんな馬鹿なことが出来るのも山仲間だからです。

 

僕にとっての2回目の復活登山。1回目は単独でしたから、自分のペースでゆっくりと歩きました。今回は仲間と一緒なので、そのペースにある程度は無理しない範囲で合わせて歩きます。ですから、自分だけのペースよりもほんの少しですが速くなります。休憩も少なくなります。先頭を歩いていたK野さんは僕のことも考えて少しゆっくりなペースで歩いてくれたんだと思います。彼は2リットルのペットボトル4本に水を入れてザックに入れていました。他にもザイルや金具の登攀器具を入れていましたから、ザックの重さは20kg前後はあったようです。とは言え、特に遅れることなくみんなと一緒に歩けたことは少しだけ自信につながりました。

 

ですが、下山の翌々日から肉体へのダメージが現われ始めました。筋肉痛です。久し振りに腰も痛くなっています。今の僕にとってはハードな山行だったようです。このレベルの山行をして、肉体を傷めつけ、そこから回復し、そんなことを繰り返すことで、山体力が復活していくんだと思います。