ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

行こう行こうと思っていて、なかなか行けなかった熊本市内の山、二ノ岳~三ノ岳を子供たちと歩いて来ました

2017年02月18日 | ハイキング/山行μや山行χ

2016/12/30  MちゃんやK君との山登りですが、今年2016年の夏は出来ませんでした。天候のせいとかではありません。4月の熊本地震の影響で豊肥本線が寸断され阿蘇へ行くことが困難になっていたからです。暑い夏ですから、ある程度の標高の高い山へ行きたいわけですけれど、電車やバスで行けるのは阿蘇くらいのものですから。それにまだ、山登りに行こう云々と素直に言い出しにくいような心情が僕自身の中にあったことも確かでした。
でも、今回は是非とも行こうと思っていました。足も強くなっているMちゃんに満足してもらおうとすると、K君には大変になってしまいます。K君に合わせるしかありません。
そこで前々から行きたいと思っていた熊本市内の山、二ノ岳、三ノ岳を登ってみることにしました。


▲いろいろと調べてみたのですが、登山口近くへ行くバスが見つかりません。どうもないようです。と言うことで、JR上熊本駅からタクシーで野出の登山口へと向かいました。このガソリンスタンドが登山口の目印。右の坂道を上がって行きます。10:13ころ。


▲すぐに山へ向かっている道になります。10:18ころ。


▲山道になりました。K君はさっそく杖になる枝を見つけます。10:21ころ。


▲K君、バテポーズ! でも、まだまだ元気。Mちゃんは腕組みしながら歩きます。多分、楽勝過ぎて物足りないのでしょう。10:27ころ。


▲「ホット一息えびね坂」。えびねが自生しているのでしょうか? 10:35ころ。


▲林道を横切りました。10:40ころ。


▲Mちゃんは相変わらず淡々と歩を進めています。10:45ころ。


▲こんなことが書かれていると、挑戦したくなりますよね。10:49ころ。


▲ここが胸突八丁の坂だとは思えません。さほどの急登でもありません。僕もK君も2分ほどで登ってしまいました。10:51ころ。


▲九州の山ですから、冬でも緑の葉がたくさん茂っています。照葉樹林の森です。10:55ころ。


▲すぐ先が山頂らしい雰囲気です。最後の岩場を乗り越えました。11:03ころ。


二ノ岳685.4m山頂には家族連れのパーティーがいました。三ノ岳方面から来て、同じコースを引き返すようです。11:04ころ。


▲右の平野は玉名市です。唐入川が見えています。有明海の向こうには島原の雲仙岳が。11:05ころ。


▲阿蘇山方向を眺めました。震源地はもう少し右でしょうか? 穏やかに広がる町を見ていると、あんなに被害の大きな地震が起きたとは信じられません。11:07ころ。


▲山頂では大休止しました。11:07ころ。


▲山頂標識に温度計が設置されていました。5℃です。11:24ころ。


▲北を眺めると、これから行く三ノ岳が見えています。すぐ近くですね。ここよりもずいぶん低く見えますが、たった4m低いだけなんです。11:25ころ。


▲さあて、そろそろ出発です。11:34ころ。


▲S子も調子は良さそうですね。11:46ころ。


▲三ノ塔を見据えながら進んで行きます。11:58ころ。


▲再び林道に出ました。12:04ころ。


▲どこまで林道を歩くのでしょう? のんびりと進みます。Mちゃんはずっと先頭で歩いていますが、しょっちゅう立ち止まっては、待ってくれています。12:07ころ。


▲やっと林道から離れることが出来ました。右に三ノ岳への山道がありました。12:10ころ。


▲階段が続きます。12:14ころ。


▲大きな岩がゴロゴロしていました。12:33ころ。


▲山頂のようです。12:34ころ。


三ノ岳681.3m山頂です。向うに見えているのは二ノ岳。12:36ころ。


二ノ岳から約1時間でした。右遠くには雲仙岳も見えています。12:37ころ。

ここでも大休止。バーナーでお湯を温め直しました。


▲同じ温度計がここにもありました。7℃です。13:21ころ。


▲マッチ棒のようなものは地衣類のコナアカミゴケでしょうか? 平べったいのはウメノキゴケとかゴンゲンゴケとかでしょうか? 地衣類は難しくて分かりませんね。13:23ころ。


▲山頂のすぐ裏手には立派な祠がありました。おじさんが掃除をしていました。わざわざここまで登ってくるのですね。13:25ころ。


▲こんな仏様? も山道端にありました。13:26ころ。


▲下って行くとすぐに道路が出て来ます。13:30ころ。


三岳観音社の入り口がありました。今回は中へは寄らず、通過です。13:34ころ。


▲鉄塔が現れました。13:35ころ。


▲また、林道歩きです。Mちゃんはずうっと先を歩いています。13:39ころ。


▲途中、右へ山道が出て来たので、そちらへ入りました。13:41ころ。


奇妙な赤い実が落ちていました。赤い実の周りに小さな赤い実がたくさん引っ付いています。13:57ころ。


▲今の山道は近道だったのかもしれません。また林道歩きです。13:59ころ。


▲里の家並みが見えました。14:00ころ。


▲どれが正しい道なのか、分かりにくい道路が続きます。勘を働かせながら進みました。そんな時、白い日本犬が僕たちと一緒に歩いてくれました。どこまでも一緒に歩いてくれます。14:22ころ。

その犬は長いこと一緒に歩いてくれた後、ふっと別の道に入り、戻って行きました。賢そうな犬でした。


▲左右に果樹園の広がる山里の道路です。14:24ころ。


▲さっきの奇妙な赤い実と同じ実がなっています! 調べると、どうやらサネカヅラというようです。照葉樹林で多く見るつる性の植物です。14:35ころ。


▲道の両側にはミカン畑が広がっています。14:46ころ。


▲カキの実が木にたくさん残ってます。渋柿なんでしょう。14:54ころ。


▲熊本県の分厚い道路地図を購入して、それを見ながら歩いて来ました。31号線に出て、そこを渡り、写真のビニールハウスの通りに出ました。そこで、ビニールハウスで働いていたおじさんに植木駅への行き方を教えてもらいました。31号線は渡らなくてよかったようです。15:57ころ。

山から下山して、里へ出てから2時間近く歩いています。本当は途中でタクシーを呼ぶつもりだったのです。でも、もしタクシーを呼んでも「どこそこへ来てください。そこで待っています」と明確に言えるような、分かりやすい場所がなかったのです。電話を掛けそびれているうちに、植木駅まで歩いた方が近い場所まで来てしまっていました。


植木駅に到着しました。16:17ころ。

僕とS子は歩き慣れているのでいいのですが、MちゃんとK君はよく文句も言わずに歩き通したと思います。K君は前もこんなだったような・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第14回山行μ+第2回山行χ・5年ぶりに雁回山を再訪しました 2/2 ――― 下山してから最後に苦難が

2016年02月02日 | ハイキング/山行μや山行χ

2016/1/3  雁回山(木原山)314.4mの山頂からは5年前と同じ城南コースを下ります。

 
▲山頂からまたしばらく林道を歩きます。なにやら工事中のようで、キャタピラの跡がありました。ここからは左の道へ下ります。右へは宇城市に下山できますが、途中で松橋コースと東阿高コーストに分かれるようですね。11:45ころ。


▲最後のキャタピラ跡とも別れ、ひたすら下降です。K君は動きが速いせいか、写真で撮るとこんな風にぶれてばかりです。11:56ころ。


▲雁回山には九十九谷あると謂われているそうです。まあ、沢屋の感覚からすると谷というほどのものではないのですが、確かに低い山にしては山に襞がたくさんあるようにも感じますね。そんな谷のひとつがこれ。木の橋が架かっています。12:10ころ。

この九十九谷に関しては面白い民話が伝わっているようです。調べていたら目にしました。
http://www.nik-net.co.jp/arekore/minwa/minwa_07_01.htm
読んでみてください。


▲のんびりと降りて来て、途中で休憩。身長ではほぼ同じになったS子とMちゃんですが、背中はまだS子の方が大きく広いですね。12:33ころ。


▲九州の山には竹が多く生えています。先ほどからときどき見かけましたが、今度は太い竹が多くなりました。竹の節をたたきながら歩きます。節の長さで音程が違ってくるのです。12:51ころ。


▲人の手が入って、整備されている竹林ですね。人里近くになりました。12:59ころ。


▲舗装道路に出ました。13:03ころ。


▲写真の中央の山が雁回山山頂だと思います。13:10ころ。


▲ホトケノザがもう咲いていました。熊本はやっぱり南の国なんですね。13:14ころ。


▲御領貝塚です。この貝塚は縄文時代後期のもので、この時代のものとしては九州最大なのだとか。そして、淡水産のシジミが90%以上を占め、この辺りが次第に陸地化し、海から遠くなったことが分かるのだそうです。13:16ころ。


▲これはみんなシジミなんでしょうね。古代のゴミ捨て場。昔からゴミは決められた場所に捨てたんですね。偉い! 13:16ころ。


▲竹下水神という神社のようです。5年前はここでタクシーを呼びました。今日も本当はタクシーを呼ぶつもりだったのです。夜、親戚会が行われる予定だったからです。僕の親戚の面々、と言っても、僕のいとこの子供や孫たち、せいぜい僕よりもずうっと若いいとこが来るくらいの集まりですから、当然僕が最年長なのですが、めったに会えないメンバーばかりですから、楽しみにしていたのです。でも、急遽中止になってしまいました。そのことは午前中にメールで知らされていましたから、いつも以上にのんびりと歩いていたわけです。
急いで帰る必要がなくなっていましたから、無性に駅まで歩きたくなって、子供たちにもここからひと頑張りしてもらうことにしたのです。
Mちゃんが立っている後ろの木はイチョウです。たくさん乳(ち)が垂れていて、相当に古いイチョウの木ですね。13:35ころ。


▲神社の前に土俵が作ってありました。MちゃんとK君がさっそく相撲を取ります。5歳も違いますから、K君がかないっこありませんが、そこは男の子、投げ飛ばされても向かっていきます。13:37ころ


▲神社を離れ、県道(多分)38号線を宇土駅へ向かって行きました。浜戸川にはカモでしょうか、水鳥がたくさんいました。100羽以上は軽くいたと思います。13:42ころ。


▲「足が痛い」と言っていたのに、K君は元気に走って行きます。Mちゃんがいろいろと難題を吹っ掛けたりしますが、面白がって言われた通りのことを実行するのです。14:14ころ。


▲でも、そのうち本格的に足が痛くなってきたようです。ザックは僕が持ち、K君にはS子が付いて歩くようになりました。舗装道路を歩くのは足には本当に負担が大きいのです。タクシーが通りかかればすぐにでも止めようと思ってはいたのですが・・・・ 15:04ころ。


▲宇土駅前のバス停です。全員けっこう疲れましたが、頑張って歩きとおしました。2時間くらい車道歩きをしたんですね。子供たちはよく頑張ったと思います。15:40ころ。

ところで、僕も若干ですが子供たちに申し訳なかったなぁと思ったものですから、駅までの途中で喫茶店のような店があったら入って甘いものでも食べよう! と約束したんです。でも、喫茶店どころか店らしい店もありません。「じゃあ、家の近くの喫茶店でね?」とMちゃんが言います。「いいよ」と応じました。
ところが、家の近くの喫茶店はまだ開いていません。
それでどうしたかと言いますと、翌日街へ連れて行くことになったのです。当初の予定では翌日はMちゃんを連れて少し難しい山へ登ることにしていました。「明日は足が痛くて、山になんか登れない」とMちゃんが言います。もっともな発言です。
K君は学童保育(東京での言い方ですが)が始まります。それにあまりスイーツには関心がないみたいですし・・・・ と言うわけで、翌日の行動計画も変更となった今日の山行でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第14回山行μ+第2回山行χ・5年ぶりに雁回山を再訪しました 1/2 ――― 今回の登りは宇土コース

2016年01月28日 | ハイキング/山行μや山行χ

2016/1/3  伊勢神宮、閑谷学校と回りながら熊本に到着した僕ですが、なんと! 右下奥の歯茎が腫れて、痛いのと口がわずかしか開かなくなって、登山どころではない状況に陥ってしまました。他の土地のことは知りませんが、熊本は凄いところで、普通の内科にしろ、歯医者だって、一年365日年中無休の病院があるのです! 助かりました。初診の際は車に乗せて行ってもらいましたが、家から自転車でも20分くらいの場所でしたから、2回目からは自分だけで行きました。
痛み止めの薬ももらい、まさか飲む羽目になるとは思いませんでしたが、結局、もらった5錠のうち3錠も飲んでしまうことに。よく効くんですね。
原因は旅行中の歯磨きがいい加減になってしまったことにあります。僕の歯の健康状態は毎日の丁寧な歯磨きによってやっと保たれているんだと、心底思い知らされました。

こんなアクシデントがあったせいで、12月中はMちゃんやK君を山に連れて行ってあげることは出来ませんでした。K君も山へ行けることを楽しみにしてくれているようですから、本当はK君レベルの山とMちゃんレベルの山との2回の山行をしたかったのです。
でも、日程的に1回しか無理です。Mちゃんには我慢してもらって、易しい山行を計画し、MちゃんとK君ふたりを連れて行ってあげることにしました。

公共の交通機関を使っての山行ですから、行ける山域はかなり限られてしまいます。そういう訳もあって、今回も以前行ったことのある雁回山を選びました。まったく同じコースではつまらないですから、幾つも登るコースがあるうちの宇土ルートから登ることにしたのです。
前回登ったのは5年前ですから、Mちゃんが小学1年生の時です。K君も小学1年生ですから、ちょうどいいのかもしれませんね。


▲5年前にはバスで川尻駅まで行き、JRで宇土駅へ、そこからタクシーで登山口へ向かいました。でも、今回調べていたら、宇土方面へ行くバスが近くのバス停から出ていることが分かったのです。しかも、今日登る登山口のすぐそばまで行くバスもあることが分かりました。
終点の宇土市スポーツセンターで下車しました。乗って来たバスが去って行きます。バスだけで来れるとは超ラッキー! 8:56ころ。

そうそう、ラッキーと言えば、もうひとつ超ラッキーなことが。なんと! 家のすぐそばに新しくセブン・イレブンが出来ていたのです。その日の行動食をすぐに手に入れることが可能です!


▲すぐに「雁回山遊歩道コース図」なる看板も出現しました。5年前は一般的な富合コースからでしたが、今日はその反対側の宇土コース。下山は5年前と同じ城南コースです。他にも西から順に如来寺コース、雁回公園コース、松橋コース、東阿高コースなどとあるのですね。9:02ころ。


▲住宅街の中を進んで行くと、途中には道標も設置されていて、迷うことはありません。いよいよ山もよく見えるようになりました。あれが雁回山です。9:12ころ。


▲人家もなくなってきました。9:19ころ。


▲「宇土八十八ヵ所 第十九番札所」と書かれた木札がありますから、お寺なんでしょうね。9:29ころ。


▲先ほどのお寺? の右から山道に入りました。K君はさっそく杖を探してきました。K君にとっては大き過ぎる段差がありますが、ものともしませんね。9:35ころ。


▲山道のロープが張ってありました。ロープが必要なほど急ではありませんが、緩やかでもありません。9:38ころ。

歩き始めからそうですが、Mちゃんはトップでどんどん進んで行きます。僕の姿が見えなくなるような先までは行かないようにと、言ってありますから、はぐれることはありませんがMちゃんにとっては遅すぎるスピード。


▲ロープに続いて立派な柵も出現しました。S子はMちゃんとともに行き、K君は彼なりのペースで、僕は最後尾をしめています。9:42ころ。


▲K君は階段が好きではありません。でも、泣き言ひとつ呟かずに、否、楽しそうに登って行きます。9:48ころ。


▲急登が続いて、さすがのK君も休憩を要求。先頭のMちゃんに「平らな場所があったら休憩するぞ!」と声をかけました。真ん中のMちゃんがうなだれた格好をしていますが、本人全然疲れていません。10:00ころ。


▲ヤブツバキでしょうか。10:16ころ。


▲山頂が近そうな雰囲気になってきました。K君は俄然スピードアップします。10:23ころ。


▲ウッディーな建物が見えて来ました。休憩所です。手前の入り口ふたつは男女のトイレ。10:25ころ。


▲第一展望所です。柵の間からK君がこちらを覗いています。雁回山山頂ではありませんが、こちらももう一つの山頂です。10:29ころ。


▲展望所の上はこんな感じ。10:30ころ。


▲360度のパノラマが広がっていました。これは八代の方でしょうか? 10:31ころ。


▲中央の山は宇土半島の山並みだと思います。右奥に見える山は島原半島の雲仙普賢岳でしょう。10:31ころ。


▲中央少し左に見える山は熊本市のシンボル金峰山のはずです。手前や右には熊本の市街が広がっているのです。10:32ころ。


▲さらに右へとパーンすると、熊本市街地だとはわかりますが、詳しくは分かりません。10:33ころ。


▲ちょっと先に見えているなだらかな山頂がおそらく雁回山の本当のピークなんでしょう。でも、展望所のあるこのピークの方が山頂らしい雰囲気は持っていますね。11:08ころ。


▲展望所で昼食を済ませ、本当の山頂へ向かいます。展望所の階段を降りるS子。11:10ころ。


▲林道脇で白い花が咲いていました。サザンカだとは思いますけれど、すごく小さいのです。その時に反対側から歩いて来た物知りっぽいおじさんもサザンカかなあ、と言っていました。11:25ころ。


▲展望所と雁回山山頂とはこんな感じの林道でつながっています。11:31ころ。


▲雁回山(木原山)314.4mの山頂です。MちゃんはS子の身長に追いついちゃいましたねぇ! 早いものです。K君もすぐに僕を追い抜くんでしょうね。11:37ころ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第13回山行μ・阿蘇の南外輪山・大矢野岳を歩く 2/2 ――― 下山後の車道歩きは辛かったようですね

2015年06月21日 | ハイキング/山行μや山行χ

2015/5/27  地蔵峠から駒返峠までは森の美しい山道でした。僕の大好きなコースになりそうです。でも、本当に大変なのはここからの下山です。僕は自分で計画したわけですから、そのことはよく知っています。でも、S子もMちゃんも知りません。全然知らないかというと、そうでもなく、ちょっとは知らせているのです。「下山は道路歩きが長いよ」って。時間と疲労度次第では「タクシーを呼ぶかも」と告げてもいます。でも、二人とも聞き流しているでしょうね。
実のところ、尾根の登山道がこれほど心地よく歩けるコースだとは知りませんでしたから、本当はもっと疲労するだろうと考えていたのです。車道歩きの途中で、タクシーを呼ぶことになるだろうなと。
でも、さほど疲労しませんでした。時間的にもタクシーを呼ばなくても充分間に合いそうです。
駒返峠で僕はそんな風にこれからのことを考えていました。二人には黙っていましたが。


▲駒返峠にもお地蔵さまが一体まつってありました。顔だけがどこか浮いた感じのあるお地蔵様です。12:49ころ。


▲先ほど見た標識では地蔵峠と駒返峠の距離は7.2kmのはずでした。でもこの標識では6.8km。こういう標識を作成する方はそのような計算はしないのでしょうか? 僕たちはここから下山です。中松駅へ向かいます。12:50ころ。


▲峠で少し休憩して、下山開始。これまでのなだらかな尾根道とはガラリと変わって、岩がゴロゴロした歩きにくい山道です。13:18ころ。


▲森の姿も変貌しました。自然林だった森が植林の森になっています。あ~あ! がっかり。13:46ころ。


▲林道が見えて来ました。もう林道歩きになるのでしょうか? 13:54ころ。


▲黄色い逆さ藤のような目立つ花が林道脇の林の上に見えました。足もとにはその黄色い花がたくさん落ちています。ネットで調べてもなかなかヒットしません。
そこで、僕が学生時代に購入した『新改訂学生版 牧野日本植物図鑑』の登場です。そんな本をまだ持っていて、時々それで調べるのです。見つかりました! 「じゃけついばら」です!
さっそくネットで確認すると、同じです。昔は図鑑で「これと似てるな」と思っても、写真で確認する方法がほとんどなかったので、わざわざ図書館に行くなどして、画像を探さなければなりませんでした。手間がかかり、なかなか同定できなかったのですが、今はネットで画像を十分過ぎるほど確認できるので、実に助かりますね。
ジャケツイバラはマメ科でつる性の落葉低木なのだそうです。マメ科なのですが、花の形はマメ科の花っぽくないですね。13:55ころ。


▲林道に出ましたが、その林道を横切るように、すぐ再び山道に入りました。でも、相変わらずの植林続き。13:58ころ。


▲小さな沢の流れを渡りました。14:12ころ。


▲森は消え、牧草地のような原が山の斜面には広がっています。右上には岩の砦のような岩山が。14:15ころ。


▲ノアザミでしょうか? 14:16ころ。


▲モンシロチョウ? 14:20ころ。


▲赤い虫こぶが葉っぱに並んでいました。昆虫の影響で出来るようですね。14:21ころ。


▲この一帯は柵で囲まれており、道路にはこのようなゲートが設置されています。やっぱり放牧地なのですね。14:28ころ。


▲ゲートにはこのように人が通行するための出入り口が付いていました。14:30ころ。


▲駒返峠登山口に到着しました。水場もあり、飲んでみましたが特別美味しい水ではありませんでした。14:31ころ。


▲水場の上には馬頭観世音菩薩と山の神が祀ってありました。両方とも先ほどの砦のような岩場のある城山839.3mの岩場の下に祀ってあったそうです。いろいろと紆余曲折があり、現在のこの場所に移って来たのだそうです。14:31ころ。


▲登山口にはこんな説明板もありました。中世の山城・駒返城がこの上にあったようです。でも、放牧地で入ることは出来ません。「矢部浜の館北大手の城跡。阿蘇家家臣久木野備前守在城と伝える。天正年間島津氏の侵攻により落城」。14:32ころ。

駒返峠からこの登山口までのコースタイムは40分。でも、僕たちは75分もかかりました。
駒返峠から中松駅まではコースタイム2時間くらいです。汽車の時間までは駒返峠出発時からは3時間10分ほどありましたから、ゆっくりと歩いたという訳。


▲阿蘇五岳です。と言いたいところですが、杵島岳は中央少し左の笠っぽい姿の烏帽子岳の真後ろになって見えていないと思います。14:40ころ。


▲阿蘇四岳の形も少しずつ変わってきます。15:18ころ。


▲外輪山の方向を望みました。大矢野岳は写真左側の高い山でしょうか? 初めて歩いただけではよく分かりません。15:36ころ。


▲後方の外輪山に大矢野岳や駒返峠も見えているはずですが、僕にはよく分かりませんね。
ただ、二人ともこの車道歩きに不満が爆発しそうになっています(笑)。すでに1時間以上車道を歩いています。舗装道路は山道と比べると、非常に硬く、足裏への衝撃も強く重いのです。疲労の蓄積も格段に大きいですから、僕も舗装道路歩きは大嫌いです。
僕自身は何度も地図を見て、今どこら辺を歩いていて、あとどのくらい歩けばいいのかを、だいたい理解しているので我慢も出来るのですが、二人にもある程度伝えているとはいえ、明確なイメージに乏しいでしょう。「いつまで歩かなくちゃぁいけないの!?」と思いながら歩くと、疲れも倍になりますからね。15:46ころ。


▲白川を祗園橋で渡り南阿蘇鉄道の線路をくぐり、すぐに右折しました。そこからも結構歩きましたが、無事に中松駅到着。「中松駅」の看板より「そば」屋さんの看板の方が大きくて目立ちますから、最初はそば屋さんかなと思いました。15:55ころ。


▲1番ホーム(駅舎側のホーム)に来るとばかり思っていましたが、線路を渡った2番線ホームに入線。慌てて走って、無事乗車しました。16:27ころ。


▲乗ってすぐの二人。16:27ころ。

立野駅と肥後大津駅で乗り換え、平成駅に着いたのが17:33。Mちゃんのママが車で迎えに来てくれました。この次の列車に乗ると、19:22の到着になります。予定通りの帰宅です。大人だけの山行ならある程度の遅れは許容範囲ですが、子供がいるとそうはいきませんよね。大人としての責任がありますから。Mちゃんの登山力が上がるにつれ、時間も長く、距離も遠くなるでしょうから、そのあたりの問題は出てくることでしょう。

今回の山行ではMちゃんも結構筋肉痛になったらしいです。筋肉痛と言っても大人のそれとは全然違うでしょうけれど、これまでの山行ではなかったこと。少しは山行レベルが上がったということでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第13回山行μ・阿蘇の南外輪山・大矢野岳を歩く 1/2 ――― 素晴らしい森が地蔵峠から駒返峠まで続く

2015年06月16日 | ハイキング/山行μや山行χ

2015/5/27  おふくろの三回忌で熊本に帰りました。しばらくは5月に熊本へ行くこともなくなるでしょう。登山の観点からはいい季節だったのですが、それもまあ仕方がありません。

5月とはいえ、九州はすでに暑い季節ですから、ある程度は標高の高い山を選ばなければなりません。交通の便がいいのは阿蘇周辺なのですが、阿蘇中岳の火山活動が活発です。少し心配ではありましたが、噴火警戒レベルは火口周辺規制の「2」なので、外輪山なら余裕で大丈夫でしょう。


▲「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」です。8:26ころ。

Mちゃんの登山力が上がってきています。歩く距離もだんだん長くなってきています。今回のコースもガイドブックによれば5時間30分くらいのコースタイムですから、歩き始めを早くしなければなりません。これまでは家を8時台に出発することも多かったのですが、今日は阿蘇のこの駅にすでに到着しています。家を6時台には出発したのです。
そういう面でもMちゃんの登山力は向上していますね。早起きができるようになったのです!
登山は早い出発と早い下山が基本ですから、このくらいのスタートが普通になっていくことでしょう。
地方の路線ですし、次の列車に乗ると、なんと! 1時間30分も後になってしまいます。必然的にこのスケジュールになるという訳。


▲阿蘇下田城駅からここ地蔵峠登山口にはタクシーで来ました。運転手さんが阿蘇の噴火の様子をいろいろと教えてくれました。僕は四六時中阿蘇の火口からは噴煙が上がっていて、風向き次第では降灰があるものと考えていました。でも、そうじゃなくて、爆発があったときだけ降灰もあるのだそうです。それに爆発も最近はほとんどないのだとか。ひと安心です。8:58ころ。


▲いつものことですが、スミレの同定はお手上げ! ハズレを介さず言ってみますが、ツボスミレかな? とても小さな花でした。9:09ころ。


▲地蔵峠1086mです。峠というより広場のような場所でした。9:10ころ。


▲地蔵峠の名の由来となった地蔵尊です。この峠を行き交う人々の道中安全を祈ったり、遭難者の霊魂の安らかなることを願ったりする地蔵尊だったのでしょう。9:11ころ。
九州電力の名前の入った前掛けが見えますが、これにも戦後の物語があるそうです。
昭和二十二年三月、九州電力浜町保線所員が地獄温泉での療養を終えてこの峠にかかった折、天候急変。その所員と息子さんの二人が遭難死してしまったのです。その後輩所員がここを通るたびに、このお地蔵様へ花や線香を手向け、先輩の冥福を祈っていたのだそうです。この姿に接した当時の熊本支店長さんが地蔵尊を祭る御堂の建立を呼びかけ、自らも地蔵尊一体を寄進し、昭和三十年に完成したのだとか。


▲赤い実でもなっていたら一発で分かるのですが。どうやらグミのようです。こんな花なんですね。9:13ころ


▲振り返ってみました。左端のピークは冠ヶ岳1154.3mでしょうか? 9:27ころ。


▲ニガナかその仲間だと思います。9:29ころ。


▲ハルリンドウだと思います。9:31ころ。


▲阿蘇五岳がよく見えます。
右から根子岳1433m、高岳1592.3m、中岳1506m、烏帽子岳1337.2m、杵島岳1270m。中岳山頂は高岳に近いところにありますが、中岳と言われてイメージするのはやっぱり大きな火口ですよね。僕はまだ根子岳には登ったことがありません。9:39ころ。


▲タニウツギです。9:42ころ。


▲大矢岳山頂には立派な山名標識が立っています。裏側にはKENGO.NODAと作成者名が記されていました。な、な、な、なんと! その本人が僕たちと前後して歩いておられたのです。中高年の身軽そうな方でした。9:43ころ。


▲また振り返ってみました。左のピークは冠ヶ岳でしょうが、右のピークは? 9:44ころ。


▲この辺りまでは九州の山に多い、日当たりガンガンの山道でした。S子が歩いています。その前方には小さくMちゃんが。9:50ころ。


▲群生してはいませんし、数も多くはありませんでしたが、ミヤマキリシマがところどころで咲いていました。9:51ころ。


▲この木は何でしょうね。関東ならばアセビ林なんでしょうけれど。森の木陰の中を歩く涼しい山道になってきました。10:16ころ。


▲迫力のある木、人に語りかけてくる何ものかを抱いている木。そんな木のある森は佳い森です。10:24ころ。


▲大矢野岳1236m山頂で記念撮影。この山名標識も先ほどの方の製作。10:27ころ。


▲心地の良い日陰の山道がずうっと続いています。10:40ころ。


▲ブナの木も生えています。九州でもブナが生きているんですね。10:51ころ。

アップダウンもほとんどない、豊かな森の中を汗をかくこともなく歩く山道が続きました。


▲ブナの巨樹も姿を現わしてくれました。11:45ころ。


▲同じような山道が続きます。11:51ころ。


▲九州自然歩道になっているのですね。地蔵峠から5.5km、駒返峠まで1.7kmの地点です。11:57ころ。


▲背丈の低い笹の広がる森もあります。12:05ころ。


▲その後、笹の背丈が人の背を越えるようになり、目の前に峠の広場が近づいてきました。駒返峠です。12:48ころ。

地蔵峠から駒返峠までコースタイムは3時間30分(昭文社の山と高原地図では3時間)です。それを休憩込みで3時間40分ほどで歩きました。ほぼコースタイム通りだと言ってよいでしょう。Mちゃんのペースは大人のペースと遜色ありません。実際のところ、このペースはS子のペースであって、Mちゃんのペースはもっと速いのかもしれませんね。

それにしても、このコースは素晴らしい森のコースでした。夏でも涼しい山道でした。森の綺麗な山道は僕の好きなコースです。この先も素晴らしい森が続くのでしょうか。清水峠、高森峠、黒岩峠などへも行ってみたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする