ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

三頭沢右岸尾根は取り付き手前で通行禁止! 奥多摩湖南岸遊歩道も留浦の浮橋の先は通行禁止!

2015年12月22日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/17  ネットにも全然情報が載っていませんし、誰も知らないと思いますが、僕が気になっている沢があります。三頭沢です。でも、都民の森あたりから流れ出ている三頭沢のことではありません。それでも、奥多摩好きな人なら三頭山周辺の沢だろうとは思うでしょうけれど、詳しくどこにある沢だと知っている人はまずいないでしょう。
2006年5月14日にこの三頭沢右岸尾根を下降して、出合付近を一瞬眺めたことがあります。日没が迫っていて急いでいたでしょうから、じっくりとは見なかったのですが、それでも「遡行価値がありそうかも」と感じたことだけは記憶しています。
宮内敏雄氏の『奥多摩』にも「想像するほどの水量もないにせよ、玉川と異って武蔵の沢らしく多少の悪場を持つ、三頭山を繞る沢では数馬三頭に亜ぐ興味を呈している」と書かれています。この「数馬三頭」は都民の森を流れる三頭沢のことですね。
ですからもう一度、出合付近だけですけれど、ゆっくり眺めてみよう、沢床への下降方法も確認してみよう、などと思い、今日のこのルートを計画したのです。


▲奥多摩駅発7:38のバスもあるのですが、のんびりの出発が大好きで、その次のバスになってしまいました。小菅方面行は便が少ないのです。金風呂(かなぶろ)で下車します。バス停横には立派なトイレも出来ていて、洗面所からは温かいお湯が出て来ました。11:15ころ。


▲バス停横に小菅川へと降りている道があります。多分この道を行けばいいのでしょう。11:17ころ。


▲ありました。金風呂橋です。11:19ころ。


▲写真中央から左下方へ延びている尾根が三頭沢右岸尾根だと思います。11:20ころ。


▲地形図で見る限り、小さな沢で、水流があるとも思われませんでしたが、けっこう流れています。しかも、滝となって。11:26ころ。


▲その小沢手前に、「立入禁止」の看板が。木の橋も崩れ落ちています。11:27ころ。


▲「立入禁止」等の看板を見ると、そこへ侵入したくなるのが山屋のサガ。当然のごとく無視します。すみません。11:27ころ。


▲崩落した木橋もすぐ右を歩けば大丈夫。11:28ころ。


▲今写真を撮っている地点から10mくらい先まで行きました。山道が完全に消失しています。山の斜面が崩れていました。その先もあまり良い状態でなさそうでしたから引き返すことにしました。20mロープも持っていますから、行って行けないことはないのですが、S子に無理をさせることになりますから、ここで断念。高巻くのも嫌らしそうでしたし、河原はちょうどこの真下辺りから水流が岸を洗っていて、徒渉になるのは確実です。夏ならそうするでしょうけれどね。
計画段階で逆コースを辿ってこちらへ降りることも考えました。でも、帰りのバスがほとんどないので、こちらから登ることにしました。逆コースにしなくてよかったと思いますね。11:37ころ。


▲それで、来た道を引き返すことに。この辺りは昔、民家とか人里とかがあったのでしょう。この石にはかすかに文字が彫られています。お墓でしょうか? 11:41ころ。


▲ずっと手前にもこんな看板があったのですね。気が付きませんでした。まあ、気付いていても進んでいますけどね。11:48ころ。

さあて、計画を変更しなければなりません。金風呂から余沢まで進み、林道を大寺山へ登ることも出来ます。でも、あまり触手が動きません。
では、深山橋まで戻り、奥多摩湖南岸遊歩道を鴨沢まで歩くのはどうでしょう。こちらは登山ではありませんが、鴨沢方面の奥多摩湖南岸遊歩道はまだ歩いたことがありませんし、一度は歩いてみたいと思っていたコースです。


▲深山橋に向かって車道を歩き始めました。前方に標識がありますが、東京都と山梨県の境界です。写真中央の尾根が今日登る予定だった三頭沢右岸尾根。12:05ころ。


▲この付近はもう小菅川とは呼べなくなり、奥多摩湖のバックウォーターです。写真中央の尾根は三頭沢右岸尾根だと思います。12:21ころ。


▲手前に三頭橋、向うに深山橋。写真中央の山は981m標高点。麦山から尾根通しに登ったことがありますけれど、山頂直下はかなりの急登でした。12:39ころ。


▲深山橋たもとのそば屋「陣屋」から奥多摩湖南岸遊歩道がスタート。12:45ころ。


▲すぐに大寺山への登山道が分かれます。タイヤで作られた階段が特徴的。僕たちは右の遊歩道を進みます。12:47ころ。


▲こんな感じ。左下には奥多摩湖。12:50ころ。


▲立派な橋も出て来ます。12:50ころ。


▲太い蔓の木が出て来ました。藤の蔓でしょうか? 12:53ころ。

途中、風の弱い場所で休憩しました。今日は冷たい風が吹いているのです。


▲しっかり整備された遊歩道だと思っていましたが、あらあら! 木の橋が壊れています。右下に降りて渡りましたが、僕はちょっと滑ってしまいました。13:26ころ。


▲幹にも負けない立派な根が張っています。見事ですね。13:35ころ。


▲あれれれ!? 立入禁止の看板が! 13:38ころ。


▲少し先にもこの看板が。さらに先にもあり、柵もありました。ここまでやられると、さすがに侵入するのは気が咎めますね。13:38ころ。


▲で、留浦の浮橋を渡ることにしました。遊歩道を鴨沢まで行けたとしても、この浮橋だけは歩いてみたいと思っていました。今回、初めてこの浮橋を歩きます。13:39ころ。


▲向うの集落が留浦(とずら)。13:42ころ。


▲麦山の浮橋よりも心もち短いでしょうか? 13:43ころ。


▲後を振り返ると、こんな景色。本当はこの右側へずっと歩いて行きたかったのです。13:45ころ。


▲まだ左右には浮体が付いています。水面がこんなに上昇することはないと思うのですけれど。13:46ころ。


▲車道に出て来ました。13:52ころ。


▲13:54発のバスが到着します。乗客は僕たち二人だけでした。13:56ころ。

今日は出発が僕たちにとっても遅かったですし、当然コースも短く計画していました。それが、二度にわたる「通行禁止」との遭遇でさらに短くなってしまいました。こんな日は無理しない方が無難です。とっとと帰ることにしました。
とはいえ、奥多摩駅前の「天益」には今年最後の挨拶をして来たかったのですが、店がまだ閉まっていて、残念! ではと言うことで、実のところお腹もあまり空いていませんし、家へ帰ることにしました。最寄り駅に到着してもまだ居酒屋さんはオープンする時刻ではありません。家へ帰り、S子が簡単に夕食を作って打ち上げ。


好天に誘われ、城山から臼杵山を歩いて来ました 2/2 ――― 臼杵神社参拝後、下山は日没との競争

2015年12月13日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/1  最初の計画ではここ臼杵山から市道山まで行き、ヨメトリ坂を下ることになっていました。でも内心では無理だろうと考えていました。コースタイムと同じ時間で歩いたとしても、下山が軽く日没時刻をオーバーしてしまうからです。
ですから、臼杵山から元郷へ下山する決定は当然のこと。これで日没前に下山できます。


▲我が家のある方角、東方面を望遠で撮ってみました。実はこの写真の中に我が家はもちろん、サマーランドの観覧車や新宿副都心の高層ビル群、そしてスカイツリーも薄ぼんやりと写っているのです。15:09ころ。


▲山頂でしばしのんびり過ごし、下山開始です。15:20ころ。


▲臼杵山へ来るときには巻き道を通りました。元郷への分岐は尾根筋なので、巻き道に入ってはいけません。15:24ころ。


▲臼杵神社です。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。古事記、日本書紀にも登場する神様で、もともとは穀物の神様ですが、今では農業や商業など幅広い神様になっています。中央の木の祠よりもその左の石の小さな祠が古いのだそうです。15:25ころ。


▲オイヌサマです。狐っぽいですが、狼のはず。15:25ころ。


▲対の片方のオイヌサマ。前の写真のと合わせて一対のオイヌサマは近年供えたものです。15:26ころ。


▲この阿形のオイヌサマは古いものです。奥多摩や秩父地方に広がる狼信仰の表われ。この地域では狼にまつわる様々な言い伝えが残っているのだそうです。明治時代までは密度濃くオオカミが棲息していた地域なのです。向う側にも吽形のオイヌサマがあるのですが、割れてしまって原型が不明です。15:26ころ。

この狛犬を猫だとする説があるようですが、姿は似ても似つきませんよね。祭られている倉稲魂命は養蚕の神様でもあるようですから、お蚕様に害を及ぼすネズミを退治してくれる猫になぞらえたのかもしれません。
宮内敏雄氏も『奥多摩』の中で「お猫さんで有名な臼杵山だ。(中略)お蚕を養うお百姓が毎年二月初午の日にのぼって守り神たる瀬戸物の猫の像をお借りするのである。お礼には来年二つにして納めるのだ」と書いています。古いオイヌサマは石で造られていますから、瀬戸物の猫ではありません。
吉野梅郷の裏山に琴平神社がありますが、そこも養蚕の神様で猫の像(招き猫でしたが)がたくさん奉納されていました。


▲その琴平神社の奉納された猫の像がこれです。招き猫のようですね。興味ある方は今年9月の山行記録も参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/0f5b39b112ef796105ed739c30e0c5ed

さ~て、昭文社の地図ではこの臼杵神社(臼杵山北峰)から元郷までのコースタイムが50分です。日没時刻は16:30くらいですから日没前には下山できる計算ですね。

ついでのどうでもいい話ですが、いま臼杵山の山頂とされているのは、先ほどの三角点842.1mのあるピークですが、以前はそこのことは鹿ン丸と呼んだようです。臼杵山は神社のある方のピークだったようですね。


▲陽は西にずいぶん傾いています。山座同定は難しいですね。笹尾根や中央線沿線の山が見えているのだと思うのですが・・・・ 15:28ころ。


▲急な下りが続きます。枯葉が積もっていますから、滑り易いことこの上なしです。S子が尻もちをつきました。15:32ころ。

続いてとある施設が出現しました。
無断撮影禁止、インターネット・SNS・ブログ・出版等への掲載禁止とあちらこちらに「これでもか」と看板を出しまくって、脅しをかけています。少々カチンと来ましたから、載せて書いてやろうかと思ったりもしましたが、大人げないので止めておきます。
でも、国土地理院の二万五千図にテロなどの保安対策も考慮して送電線を載せたくなかったのが、反対にあった結果、従来通り載せることになった例もあります。いろいろな電波関連の施設が上記のような禁止対応はしていないのに、この施設だけやたらに過敏なのはなぜなのでしょう? 理解に苦しみます。
家に帰って、ネットを見てみたら他の人のブログにはたくさん掲載されていました。


▲北側を望むと馬頭刈尾根が見えています。左端が大岳山。つづら岩も見えていますね。15:40ころ。


▲つづら岩のところを望遠で写し、さらにPC上で拡大しました。つづら岩の南面だと思います。15:41ころ。


▲東側を望みました。空はまだ明るいですけれど、山は徐々に暗くなってきています。15:41ころ。


▲枯葉がたくさん積もっていて、その下にあるものが分かりませんから、木の根や転び石を踏んだりして転びやすいのです。僕は一度も転びませんでしたが、S子は幾度か転びました。16:03ころ。


▲太陽が山の端に沈みそうです。臼杵神社からすでに40分くらい経過しています。下山のコースタイムは50分ですから本当は里まであとわずかな距離になっていなければなりません。でも、まだまだです。暗くなっての下山になることはもう覚悟していました。16:11ころ。


▲薄暮の中下り、暗い中わずかに見える道型頼りに下り、とうとう懐中電灯を出して下りました。やっと見覚えのあるこの柵まで降りて来ました。17:13ころ。

元郷のバス停には17:15ころの到着です。コースタイム50分のところ100分かかりました。最初は枯葉が積もって滑り易かったので時間がかかったのだと思います。暗くなってからは時間がかかっても仕方がないでしょうね。それにしても予想外に下山に時間がかかってしまいました。
反省。


▲元郷バス停で16:51のバスには間に合うと思っていました。それが駄目でも、17:07には。結局、それにも間に合わず、17:57のバスに乗ることになりました。次のバスまで長く待たなければなりませんから、ふたつ先のバス停まで歩きました。ここは和田向のバス停です。17:49ころ。


▲毎度の音羽鮨で下山の打ち上げ。そして武蔵五日市駅へ向かいます。駅は綺麗にライトアップされていました。20:19ころ。

駅の店に入って、山へ入る直前、戸倉にあった野崎酒造の日本酒「喜正 純米酒」の一升瓶を買いました。「喜正」は「水が違うな」と感じさせてくれる日本酒です。言葉では表現し辛いですが、飲んでみると明瞭に分かります。
その後です。びっくりしたのは。店から出て、S子がいる方へ行くと、S子が誰か大柄な男性と話しています。僕は一瞬どなただか分かりませんでした。でも、すぐにT石先生だとピンと来ました。S子が右膝の大怪我をした時のリハビリの先生です。優しくてとても親身になってくださる先生でした。T石先生とは不思議なご縁があると言うのか、これまでもいろんな場所で偶然お会いしました。福生でお会いしたのはまだ理解できますが、なんと羽田でもお会いしたのです。ビックリ! この先生とは長いお付き合いになればいいなぁと思います。


好天に誘われ、城山から臼杵山を歩いて来ました 1/2 ――― グミ尾根の名前の由来は?

2015年12月08日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/1  とりわけ、どこへ行きたいとか、どんなことをしたいとかはありませんでした。でも「明日はとっても天気が良さそう」「仕事も休みだ」。「だったら、山を歩きに行こう」。
こんな成り行きで山へ行くことになりました。こんなこともあります。
否、むか~し、こちらへ引っ越してきたのは、こんなことが可能になるためだったような気もします。朝目覚めたら、天気がすごく良かった。じゃあ、山でも歩いて来るか。そんな山歩きが出来るのも、山のすぐ近くに住んでいるからこそです。

登山は「早立ち早降り」が原則だとは重々承知なのですが、朝は遅くまでゆっくりと寝てから出発したいもの。それで、駅から歩いて登れる山を選びました。


▲武蔵五日市駅で下車。奥多摩駅に比べるとずうっと近いのです。すると、駅を出てすぐ、こんなものが。一瞬、マイクロバスだと信じてしまったのですが、よ~く見ると、飲み物の自動販売機でした。9:28ころ。


▲五日市の町の中心街を歩きます。向うに見えているのが最初に登る城山。9:47ころ。


▲野崎酒造の煙突が見えて来ます。この付近の集落では湧水が多く、それが酒造りに関係しているのだと思います。10:08ころ。


▲野酒造から光厳寺へ急勾配の車道を登って来ました。お寺の外には有名な「光厳寺の大桜」があります。写真のがそれで、幹回り5.33mで推定樹齢400年のヤマザクラです。ごつごつした幹の様子はサクラの幹とは思えないような歴史と風格に満ちています。10:20ころ。


▲十四世紀に足利尊氏が創建したと伝えられる由緒あるお寺。背後に見える山が城山です。10:36ころ。


▲お寺の左側に登山道が付いています。そこを辿り、尾根筋に出るところ。10:45ころ。


▲尾根を登って行きます。ところどころけっこう急です。11:00ころ。


▲急な岩場も出て来ました。山頂にはかつて山城があっただけあって、敵が攻めにくい地形ですね。11:07ころ。


▲ますます攻めにくく、天然の要害です。現代ですから、鉄パイプの柵が付けられています。11:08ころ。


▲最後にもうひとつ、岩場を登ります。11:09ころ。


▲岩場の急登を抜けると、なだらかな痩せ尾根。11:09ころ。


▲山頂に着きました。そこから眺める五日市の街並み。見晴らしの良い場所なので、敵の来襲もすぐに察知できたでしょう。11:11ころ。


▲ここが城山434.1m山頂。山城の本丸があった場所です。人がたくさんいたので、遠慮して先で休憩することにしました。11:15ころ。


▲標高380mあたりで尾根を横切っている送電線。その下で休憩しました。新所沢線なのでしょうか? すぐ下にもうひとつ送電線の鉄塔が立っています。新秩父線と言うらしい。11:28ころ。


▲僕は初めて知ったのですが、標高391mの標高点は盆堀山と呼ぶようです。盆堀集落の裏山だからでしょうか? 12:06ころ。


▲小さな祠がありました。周りを納屋のような建物で守られています。大切にされているのですね。12:13ころ。


▲小さなアップダウンが続きます。12:26ころ。


▲すぐ先の引っ込んだところが荷田子峠で、さらにグミ尾根が続いています。臼杵山は手前の山に隠れて見えていないと思います。12:38ころ。


▲ススキが陽の光で輝いていました。12:42ころ。

写真はありませんが、荷田子峠を12:49ころに通過しました。


▲ネットでいろいろ調べてみましたが、ミヤマシキミ(深山樒)かと思います。12:51ころ。


▲臼杵山へは西へ西へと少し南向き加減で向かいますから、午後の陽射しを正面に受けながらの歩きです。まぶしくはありますが、いかにも冬の低山歩きという風情。12:54ころ。


▲「戸倉山茱莄御前」と書かれた石碑がありました。13:41ころ。
調べてみましたが、なかなか意味するところが分かりません。「戸倉山」がそもそも分かりません。戸倉山と呼ばれる山はこの辺りにはありませんし、戸倉集落は城山の麓あたりですから、城山の方が戸倉山と呼ぶにふさわしいでしょう。
それに「茱莄」というのも「グミ」と読んでいいのでしょうか? 「シュユ」とも読むようですし。漢字自体もこの石碑の「茱莄」もあれば「茱萸」もあります。茱莄(茱萸)は元来「赤い実」ということのようですが、この漢字が日本に来てからは「グミ」の意だったり、「ゴシュユ」だったり、「サンショウの仲間」だったりするようです。
それに、グミ尾根と言われていますから「戸倉山の茱莄御前」とばかり思っていますけれど、「戸倉の山茱莄(サンシュユ)御前」かもしれません。「山茱莄」という言葉は古くからあるようです。
「御前」も「茱莄という名前の高貴な女性」などとの説明があったりしますが、いつの時代のどんな女性だったかなどの説明はありません。そもそも「御前」は女性に限って使用する言葉ではないようですから、男性の可能性も捨てきれないでしょう。
さらに、本題とは少々外れますが、ネットで調べた限りでは「グミ尾根」は臼杵山から荷田子峠までとなっています。僕にはこれは実に奇妙に思えます。臼杵山から北東へ延びる尾根が荷田子峠でふたつの支尾根に分かれるというのなら理解できなくもありませんが、この尾根は城山まで明瞭にひとつの尾根として存在しています。臼杵山から城山までがグミ尾根だとしか考えられませんね。

ああだこうだと考えを巡らしましたけれど、結局何も分かりません。


▲秋川を挟んで北向かいの山々を眺めました。右から馬頭刈(まずかり)山884.0m、鶴脚山916m、大岳山1266.5mです。13:46ころ。


▲大岳山の左には御前山1405.0mも見えます。13:46ころ。


▲先ほどから重機の音がときおりうるさく聞こえていました。採石場があるからです。眼下に望める尾根筋に出て来ました。この採石場は棡葉(ゆずりは)窪出合の向かいにある採石場です。谷の底には大きな建物もあるはずなのですが、見えていません。ずいぶん上部にまで採石現場が拡大しているのですね。14:12ころ。


▲伐採地にかかりました。まだ細い苗でしたけれど、広葉樹の苗が植えられていましたから、もう植林はしないようですね。14:19ころ。


▲南東方面を望みました。中央に刈寄(かりよせ)山687.0mが見えます。その手前の顕著な尾根は高萱(たかかや)尾根。刈寄山から左へ下がり、また上がっている尾根がありますが、篠八窪尾根です。下がったコル状の場所は採石場で篠八窪尾根は完登できない尾根なのです。採石場の向こうの尾根は舟子尾根でしょう。14:24ころ。


▲広葉樹の葉は半分以上散っています。カサコソと音を立てながら歩くのは心地よいものです。14:34ころ。


▲山頂への急登が続きます。14:44ころ。


▲臼杵山842.1m山頂。14:57ころ。

武蔵五日市駅から歩き始め、ここまで5時間30分で歩きました。コースタイムは4時間30分くらいでしょうから、休憩込みの時間としてはS子もよく歩いたと言えるでしょうね。

自宅周辺のカエデやイチョウが色づき始めています。奥多摩の紅葉はすでに終了の感がありますけれど、低山ならばまだその余韻が味わえるだろうと期待していました。期待通り、枝に残る紅や黄色の葉を陽光当たる中で見ることが出来ました。これで秋もいよいよ終わりでしょうね。


倉沢谷の源流・塩地谷でテント生活を楽しみました 2/2 ――― 朝は霧雨、昼まで天場でまったり

2015年12月01日 | ハイキング/奥多摩

2015/11/22  朝は何時に目が覚めたのでしょうか? 5時は過ぎていたと思います。でも、まだ外は真っ暗です。それにあまり気温も下がっていません。すごく寒い朝でしたら、シュラフの中にいるよりも、外に出て焚火を熾し、暖を取る方を選びますね。
再びうつらうつらしていたようです。気が付くと、外がほんの少し白んでいるようです。日の出の時間は6:30前後ですから、6時ころでしょうか? 起きることにしました。


▲昨晩、焚火の上に載せておいた石をどけ、散らばせておいた燃え差しを集めて、残りの新聞紙を下に置いて火を付けました。消し炭に熱が伝わるとすぐに赤く熾きがはぜ始めます。昨晩以上に焚火の熱が有り難く感じる瞬間です。6:27ころ。


▲我が家の朝はコーヒーで始まります。家では豆をミルで挽くのですが、山では写真ので十分贅沢。冷たい空気中にコーヒーの香りが広がります。6:37ころ。


▲珍しく、S子もテントから早く出て来ました。7:03ころ。


▲テントを出た時から薄っすらと霧はかかっていました。それがほんの少し濃くなって、ほんのわずかな弱い霧雨になってきました。長く外にいると、服の外側に微小な雨粒が纏わり付きます。焚火の暖には後ろ髪引かれますが、タープの下へ入ることにしました。タープの下では朝食の続き。ポテトサラダ240gとパンがいろいろ。飲み物はコーヒーや紅茶。7:40ころ。


▲時々外に出ては焚き木をくべたりしました。霧雨が止めば、焚火のそばにいたいからです。霧雨は強くなることはありません。しばらく止むこともあります。でも、今日これからの天候が回復傾向にあるとは思えません。良くてこの状況が続くだけでしょう。8:31ころ。

今日は昨日の山道をさらに上に進んでいき、一杯水周辺へ至る予定でした。でも、高度を上げるにつれ霧も濃くなるでしょうし、霧雨も降ることでしょう。今回の山行のいちばん大きな目的は焚火生活でしたから、その点では十分満足出来ています。今日はここから下山することに決定しました。


▲天場から上流を眺めるとこんな感じ。8:31ころ。


▲昨日もここから写真を撮っていますね。焚火の煙が感じいいです。8:33ころ。


▲十分過ぎるほど、まったりと過ごしました。微細な霧雨もほとんど感じなくなりましたから、テントとタープを撤収することにしました。タープはびしょ濡れです。11:04ころ。


▲焚火の消化は完璧に行わなければなりません。燃え差しは沢の中に捨てます。水を10リットルほどかけたでしょうか? 煙が立たないようになるまでかけました。風で火の勢いが増さないよう、石で覆っておきます。ここまでやれば大丈夫。11:41ころ。


▲出発です。昨日の男の人が降りて行った山道を辿ります。11:44ころ。


▲振り返ってみたところ。焚火の跡はある程度仕方がありませんが、その他は幕営の痕跡を残さないようにします。写真中央少し右の枯葉の地面が少し白っぽいところがテントを張っていた場所。他の地面は濡れています。11:45ころ。


▲この山道はしばらく山腹を巻くように付いています。11:52ころ。


▲石垣で補強されている箇所も多いですから、最近でもよく利用されているのでしょう。11:55ころ。


▲標高890m付近のなだらかな尾根に出て来ました。写真の左側からこの尾根に出て来たのです。尾根沿いに上へも山道が付いていますが、僕たちは下へ。12:07ころ。


▲先ほどのなだらかな尾根から離れ、山道を下ります。この辺りはずうっと植林ばかり。12:17ころ。


▲林道へ出ました。12:34ころ。


▲長尾谷沿いの林道を下ります。12:38ころ。


▲倉沢鍾乳洞のある岩峰が見えました。12:51ころ。


▲この写真の山の斜面に生えていた杉の木がほとんど全て倒れていました。そのせいでしょう。これまで気が付かなかった大きな滝が目に留まるようになっていました。何10mあるのでしょうか! 12:52ころ。


▲昨日と同じ道、倉沢林道をバス停に向かいます。13:16ころ。


▲バス停が見えて来ました。バスの時刻を14時台からしか調べていなかったので、ひょっとしたら13時台のバスに間に合うかもと、期待しながら歩いたのですが、ほんのわずか遅れてしまいました。残念! 次のバスまでは1時間以上待っていなくてはいけません。13:42ころ。

お昼を食べずに林道を歩き続けていました。倉沢バス停で、温かくて甘いコーヒーを飲みながら、パンを食べます。周囲の景色を眺めたり、林道脇の切通しの岩場でトラバースをチャレンジしたりして、時間を潰しました。思いのほか、すぐにバスが来る時刻になりました。

奥多摩駅前の天益では僕と同姓のH氏が先客で来られていました。ここでは顔馴染みです。山で遭難した方を探す警備犬についてのお話を色々と聞かせてくれました。地面などに残っている残存臭を辿りながら足取りを追跡して行く警察犬と違って、遭難者はどこにいるか分かりませんから、空気中に漂うわずかな臭いをキャッチするのです。中越地震の際、崩壊地から男の子を見つけ出した時のあの犬が警備犬ですね。警備犬にハーネスを付けるとか、警備犬と警察犬も兼ねているので警備犬の任務をするときには、首に鈴をつけることで任務が違うのだということを自覚させるとか、様々教えてもらったのですが、少ししか覚えていません。しかも、正しく覚えているかどうか・・・・ 
そのうち、若い山ガールがふたり入って来ました。しかも、そのうち一人は、版画家だと言っていました、僕と同姓。なんと! 天益のカウンター席に同姓人間が4人も並んだのです!