ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

勝峰(かっぽ)山からの金比羅尾根を一人で久し振りに歩いて来ました

2023年09月20日 | ハイキング/奥多摩

どうと言うこともない武蔵五日市駅の裏の里山ですが、僕にとっては随分と昔から慣れ親しんだエリアなんです。YYDメンバーにも歩いてみて欲しいエリアですね。

 

2023年3月2日 勝峰山~梵天山~金比羅尾根

▲9:45。駅から適当に歩いていたら、三内(さんない)川を越え、このまいまい坂を通る道に来ました。以前から名前は知っていましたけれど、通るのは初めてです。

 

入口にこのまいまい坂の解説板がありました。少し長くなりますが、解説をここに記しておこうと思います。

「古道まいまい坂        所在地 あきる野市小机

 青梅から五日市への昔道を青梅道といいます。青梅から二ツ塚を経て日の出町・大久野の幸神を過ぎ、グミノキ峠であきる野市に入り三内川を渡り、五日市・東入野にいたる道筋です。明治末期から大正にかけて、現在の秋川街道の道筋になるまでこの道が主要な道として利用されていました。道沿いの小机「福寿院」、小倉「徳蔵寺」の創建がいずれも室町期であることからもこの道が昔道(古道)であることを物語っています。

 まいまい坂は、小机平から急坂をくだり、三内川に到る坂道のことをいいます。まいまい(かたつむり)の殻に似て曲がりくねっていることから「まいまい坂」と名づけられたと伝わります。

 慶応二年(1866年)六月、埼玉旧名栗村正覚寺で蜂起した十数万人の「武州世直し」一揆勢の一部隊は、この坂を経由し五日市をめざしました。五日市側では、まいまい坂を防御線とし鉄砲と竹やりで武装した約九百余名の農兵隊を小倉台地上に配置し一揆勢を待ちうけました。

 六月十七日未明、ほら貝を吹き鳴らし突入する一揆勢に対して、農兵隊は、鉄砲隊の一斉射撃と竹やり部隊により攻撃。二時間に及ぶ戦闘で一揆勢は、二人の死者、けが人二十一人、召し取り者二十一人を出し敗走しました。

 青梅古道の一部であり、歴史的な景観が残る、まいまい坂の環境保全することを目的に平成二十三年、小机自治会有志により「古道まいまい坂の会」を結成。道の補修、間伐、花木の植栽など、景観の整備と保全する活動を行っています。この説明板も活動の一環として設置しました。

 平成二十一年度には、景観上保全すべき自然環境の場所として「あきる野百景」に認定されました。

平成二十四年七月二十九日 設置

            小机自治会 古道まいまい坂の会」

 

▲9:48。まいまい坂の途中には休憩用のベンチも置かれています。

 

▲9:54。まいまい坂を登って出たところです。ここらあたりのことを小机平と呼ぶのだろうと思います。写真で山がくびれたところがぐみの木峠でしょうか? この写真の左右に広がる尾根筋があきる野市と日の出町の境になっています。

 

▲10:00。ぐみの木峠に登る道です。

 

▲10:02。ここがぐみの木峠でしょうね。今回まず驚いたのは山道が整備され標識がたくさん設置されていたこと。昔からもちろん踏み跡はしっかりとありましたが(里山ですからね)、標識と言っても勝峰山への分岐にかまぼこ板くらいの標識がぶら下がっているくらいでした。

 

▲10:05。 それがどうやら地元の日の出山の会が整備したようで、立派な登山道に変身していました。

 

▲10:21。山名もきちんと表記されるようになりました。

 

▲10:22。この山頂には山里を見おろし守るようにお地蔵様が置かれていますから、地蔵山と呼ぶのは自然ですよね。

 

▲10:40。整備されたおかげで良かったのは山名や尾根の名前が分かったことですね。この山はためぐそ山っていうそうですけれど、昔からそう称されているのなら、如何にも素朴な山人のネーミングですね。タヌキのためぐその場所になっていたんでしょうね。

 

▲10:46。NPO法人の道標も立派ですね。

 

▲10:49。ここからだけしばらく、山道の雰囲気が少し違います。暗い林の中ではなくて、明るい茅の道です。

 

▲10:54。立派な東屋が建っていました。「どうぞご自由にお休みください」と書かれていました。

 

▲11:17。ここは深沢集落の裏山の460m標高点なのでしょう。

 

▲11:17。立派な道標が連続して立っていますね。

 

▲11:17。日の出山の会も負けじと。

 

▲11:26。ここまで歩いて来た尾根が幸神尾根。ここから左へ分かれる尾根をろんでん尾根と呼ぶようです。

 

▲11:30。そして、右へ分かれる尾根のことは勝峰尾根と呼ぶようですね。

 

尾根の名前は新しく3つ知ることが出来ました。

1つ目は幸神(さちがみ)尾根:これは幸神地区が尾根の突端なので納得できますね。

2つ目は勝峰(かっぽ)尾根:これも幸神尾根との分岐から東の勝峰山へ延びる尾根の名前ですから納得です。

3つ目はろんでん尾根:幸神尾根から西へ真藤の峰と梵天山を経て金比羅尾根と合流するまでの尾根の名前です。この「ろんでん尾根」の名称の由来はよく分かりませんね。「ろんでん」と言う地名は見当たりませんし。ただひとつ、僕が推測するのはこの辺りの地元では「梵天」を「ろんでん」と発音していたのではないか? と言うことくらいでしょうかね。まったく分かりません。

 

▲11:40。勝峰山454.4mに到着すると、見かけたことのなかった妙なものがありました。幸せの鐘です。どこだったか、奥多摩の別の場所でも見たことがありますが、観光地でもないのにこのようなものを設置するのは違和感がありますね。僕は嫌いです。

 

ここに設置するに至った理由が書かれていました。それもここに書き残しておきます。

「この鐘は平成24年11月13日に、皇太子殿下が日の出山に登頂されたことを記念して製作され、半年後の平成25年4月13日の日の出山開きの日に、日の出山山頂に設置されました。しかし、日の出山山頂は国立公園特別保護区域のため常設できず、日の出三山の展望地で三山縦走の出発地の勝峰山に設置しました。」

ちょっと間抜けな笑っちゃう説明ですね。正直で、好きです。

日の出三山なるものを初めて知りました。調べてみると、日の出山、麻生山、勝峰山の三山なんですね。日の出町を代表する3つの山なのだそうです。

 

この鐘の鳴らし方の説明も書かれていました。必要ないかと思いましたが、一応書き留めておきます。他にあった鐘とは鳴らす時の心の持ち様が異なっていたような。

3つのお願いごとをしながら3回鐘を鳴らしましょう。

ひとつ:「幸せ」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

ふたつ:「平和」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

みっつ:「希望」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

   皆さまに幸せが

       訪れますように!

            勝峰山エリアプロジェクト

 

▲11:43。すでに書きましたけれど、僕は昔に幾度か勝峰山山頂で花見の宴会を催しています。山桜の巨木が10本くらい山頂を取り囲んでいるのです。前の山岳会で呑兵衛たちを引き連れて勝峰山に登ったことがありました。今回と同じコースで登ったのですが、小さなアップダウンが繰り返されて、「まだか、まだか」と呑兵衛たちは文句タラタラ。やっとのことで勝峰山に着いたものの、山桜はあまり咲いていませんでした。でも、美味しい料理と旨い酒で機嫌はすぐに回復しました。そうやって辿り着いた山頂での宴会ですから魅力的だったのですが、今は林道がすぐ近くまで来ています。山頂も山桜の前に柵が出来たり、ベンチが設置されたり、ましてや幸せの鐘なるものが設置されたりなどして、残念至極です。満開の時季には花見客が大勢来るんだろうな。僕たちだけのお花見の場所がまたひとつ消えました。

 

でも是非、山桜の咲くころに訪れてみてください。山頂だけではなく、このコース上には大きな山桜の木が所々に生えています。また、幸神尾根南西麓の深沢地区は興味深い地域です。見事な巨樹があったり、広いアジサイ園があったりします。小さな美術館もあります。最も注目すべきは歴史的にも貴重な五日市憲法が生まれた土地だということ。田舎なのに先進的思想を取り込んだ憲法草案を地元の有志達が創り上げていたのです。深沢地区から幸神尾根やろんでん尾根、金比羅尾根に至る山道もたくさんあります。

 

▲11:54。山頂でお昼ごはんにしました。毎度のミルクチャイと、パンはカレーパンのようですね。

 

▲12:03。山頂から西を望むと、大岳山や御岳山、日の出山が見えました。手前の尾根が金比羅尾根だと思います。

 

天候も最初は上着を脱いで歩きたくなるほどでしたが、勝峰山を過ぎてからは曇りとなり北風も強くなりました。

 

▲12:27。ろんでん尾根もよく整備された山道です。

 

▲12:50。この送電鉄塔がろんでん尾根のほぼ中央ですね。

 

▲13:14。梵天山の手前にちょっとざれた急登があって、残置ロープもあります。

 

▲13:18。梵天山607mです。

 

▲13:35。このピークは631.7mですね。白岩山とされていますが、白岩山自体はこのピークから北に延びている尾根上のおよそ650m峰だと思います。なので、この山名標識にも誰かが「違う」と書き加えているのでしょう。その白岩山へは柵で遮られて行くことは出来ません。

 

▲13:41。金比羅尾根の登山道に合流しました。幸神方面から歩いて来たのです。

 

▲13:57。途中の暖かな斜面で休憩しました。

 

▲14:31。この写真の場所の少し先、金比羅山あたりからは雹だか霰だかのような音をたててが落ちて来ました。雨具を着る羽目になってしまいました。まあ、小雨ではありましたけれど。

 

▲15:00。琴平神社の裏にある大岩群。僕はこの辺りが金比羅山だと思っています。昭文社の登山地図では、ここから300mほど北西の468m標高点を金比羅山としています。しかし、この変哲もない山頂には金比羅山と称するような神秘的雰囲気は皆無です。2万5千図では曖昧な場所に文字を配しています。

 

昭和15年東京瓦斯山岳会によって編纂された『秋川の山々』という書籍があります。そこには金比羅山のことが次のように記されています。

「山頂には岩に根を張り、また岩を割って生えてゐる赤松の林と杉の植林を背景として、金比羅宮が祀られて居り、前の平みは芝生となって、金比羅公園と云ふ名にふさわしい。」

 

▲15:03。大岩群の南端にはこのが祀られています。これが金比羅宮なのでしょうか?

 

▲15:04。大岩群の前の広場には琴平神社が建っています。

 

▲15:27。金比羅公園を歩き降りて、五日市の里に出て来ました。

 

▲15:51。そして、武蔵五日市駅へ。スタートとゴールが同じ、左回りの周回コースでした。


大塚山~御岳山~大岳山~鋸山、奥多摩のゴールデンコースのひとつでしょうね。哲さんがリハビリ山行に誘ってくれました

2023年07月13日 | ハイキング/奥多摩

一日中穏やかで風もない暖かな日でした。何かと問題を抱えたリハビリ中の二人を連れて、リーダーの哲さんは優しさ全開でした。有難うございます。

 

2023年2月5日(日) 大塚山~御岳山~大岳山~鋸山

▲8:13。古里駅を出発します。

 

▲8:17。駅前の多摩川を渡る橋から上流を眺めました。無風快晴です。

 

▲8:29。大塚山経由で御岳山へ登る登山口です。

 

▲8:30。鹿除けの柵でしょうか?

 

▲8:52。植林の中の登山道を登って行きます。

 

▲9:09。途中、林道を横切りました。

 

▲9:40。落ち葉の積もった心地よい登山道です。

 

▲9:56。冬枯れの山は明るくて好きです。

 

▲10:06。大塚山に到着。

 

前半の御嶽神社まではゆっくりペース(僕にとってはそうでもありませんでしたが)の観光気分。御岳集落のこれまで見たことがなかったエリアを見物したり、まさに物見遊山。

 

▲10:41。富士峰園地に寄り道しました。ここへ来るのは、僕は初めてです。よく来る山でも、意外に立ち寄らない場所はあるものですね。産安社(うぶやすしゃ)の隣りに夫婦(みょうと)が並んで立っていました。左のコブのある方が女杉、右が男杉と呼ばれているようです。解説板には次のように書かれていました。「二人手を繋ぎながら通るといっそう円満なり、また、男性は女杉を、女性は男杉をさわりながら木の間を通ると良縁に恵まれる」。

 

▲10:43。産安社の横に育つ巨樹の安産杉。そのどっしりとした相貌が安産を象徴し、数多くの枝は子孫繁栄を示しているのだそうです。他にもお目出度い巨樹がありますから、立ち寄ってお得なエリアですね。哲さん、有難う。

 

▲11:00。樹齢1000年の巨樹、神代ケヤキ。毎回見上げるのですが、迫力がありますね。

 

▲11:11。武蔵御嶽神社。創立は何と紀元前と言われているそうです。天平8年(736)行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現像を安置してから山岳信仰の霊場とされました。

 

▲11:26。奥宮遥拝所から奥の院を眺めます。武蔵御嶽神社の裏手です。

 

▲11:29。武蔵御嶽神社はおいぬ様でも有名です。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折、道に迷った日本武尊を白狼が導いたことから狼が崇められるようになりました。

 

▲11:46。大岳山へ向かう登山道の脇に天狗の腰掛け杉が立っています。今は腰掛け用の枝が高い位置ですけれど、昔はもっと低い枝だったとおぼろげな記憶があります。折れたのだと思います。

 

大岳山に向かう頃からやっと本来のハイキング気分になって来ました。それでも、大岳山から白倉に下山することになるんだろうなぁ、と予想していたのですが、大岳山に到着すると、欲も出て来て、時間的にも日没までには下山できそうだと、予定通り鋸山を目指すことに決定。もしも、時間的に山中で暗くなりそうなら、鋸山から大ダワへ行って、そこから大ダワ林道を下ろうということに。林道ですから、暗くなっても安全です。

 

▲13:01。大岳神社を過ぎ、大岳山を目指します。

 

▲13:12。大岳山1266.5m山頂で記念撮影。左からSS木さん、僕、哲さん。

 

▲13:43。山頂からの景色。右の山はどこなんだろう?

 

▲13:50。鋸山へ向かうと、日陰には雪がほんの少し残っていました。

 

▲14:35。気持ちの良いなだらかな尾根道が続きます。左前方の山は御前山でしょうか?

 

▲15:13。鋸山1109mでちょっとだけ小休止。どうやら日没前には下山できそうと判断し、鋸尾根を下ることにしました。

 

年齢とともに、下りが苦手になって来ている僕のことを哲さんが気にかけてくれて、何度も何度も声を掛けてくれます。鋸尾根は躓いて転んだりすると、何10メートルも転落してしまいそうな箇所だらけですから、僕は凄く時間がかかります。哲さんが何度もほんのちょっとだけ僕に分からないくらい足を止めて待ってくれています。ミスをして怪我をする方がもっと大きな迷惑をかけますから、僕はゆっくり丁寧に手を使いながら一歩一歩進みました。

 

▲16:08。哲さんが指差しているのは、石尾根の六ッ石山でしょうか?

 

▲16:16。木の根模様が美しいですね。

 

▲16:23。愛宕神社のある愛宕山507mよりも手前にあるピーク。雰囲気的にはこちらの方が愛宕山っぽいですね。夕景が迫りつつあります。

 

▲16:23。岩場の上には烏天狗像もあります。

 

▲16:23。烏天狗は2体あります。

 

登山口に降り着いたのは日没時刻の数分後。まだ薄暮が残る時間でした。

 

何故か『天益』は閉まっていました。それで、『村㐂』へ。カウンターでしたから、地元の面白いおじさんたちが・・・・。ただの酔っ払いのお爺さんだと思っていたら、白丸に窯を持つ陶芸家だったり、 40代くらいの若者(奥多摩では)が東京都多摩地域から移り住んだ食堂の料理人だったり。彼は柳小路に店を出していて、店名も『柳小路』だったかな? 冬は店を閉めていて、猟をしているんだそうです。鹿や猪を獲っているんだとか。鹿より猪の方が美味い、って言ってましたね。彼のお店で出すんだと思います。『村㐂』ではイワナ酒を哲さんと二人(SS木さんもほんの少し)で飲んだのですが、彼の店ではカジカ酒を出しているんだとか。これは飲んでみる価値ありだと思いますよ。イワナ酒も美味かったですからね。カジカなら尚更な気がします。陶芸家のお爺ちゃんは電話が掛かって来て帰りましたが、入れ違いでちょっとお洒落なアラカンのおじさまが入って来ました。この人が何者なのかは聞くことは出来ませんでした。

電車の中でも、哲さんは僕の腰痛を心配してくれます。腰痛は筋肉痛ではなくて、神経の痛みだとかなんとか、言ってたように記憶しています。確かにそうだと思います。翌日の晩現在で、脚は全体的に筋肉痛になっていますが、腰はまだそれほどでもありません。哲さんから教わった腰痛予防のストレッチを昨晩もしましたが、今晩も寝る前にしようと思います。


3ヶ月ぶりの山歩き。小手調べに選んだコースはちょうど1年前と同じ青梅丘陵ハイキングコース

2023年01月27日 | ハイキング/奥多摩

ブログへの記載は遅れていますけれど、昨年の10月下旬から腰痛のために山を歩けていません。ただ、山歩きをしていない間はクライミングばかりをやっていましたけれどね。腰痛も完治はしていませんけれど、まずまずの状態なのでそろそろ歩くこともしなければと、距離が短く、登りも少ない、それにコースタイムが分かっているコースを選びました。コースタイムが分かっているというのは、標準コースタイムと比較すると、自分の現況が分かり易いからです。で、選んだコースは青梅丘陵。奇しくも1年前に選んだコースと同じでした。

 

その1年前のブログがこれです。

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№1 ――― 116% 青梅丘陵を歩いてみました

116%という結果が出て、僕自身はかなりのショックを覚えたことを記憶しています。と言うのも、標高の低い、なだらかな山並みですし、本格的な登山者ではないハイカーが多く歩くコースですから、コースタイムもそのような人向けになっているはずだからです。そんなコースの標準コースタイムの16%増しもかかってしまったのです。せめて同じくらいだと思っていたのに。まあ、1年前の思いは別として、今回の記録を残しておきたいと思います。コース内容自体は1年前とほとんど変わりませんから、短くまとめておきたいと思います。

 

2023年1月26日(木) 青梅丘陵

▲10:41。青梅線に遅延が生じていましたが、軍畑駅到着は数分遅れで済みました。平日の遅い時刻ですけれど、ハイカーもそれなりに降りました。

 

▲11:15。榎峠から雷電山への登山道を登ります。ここは写真のような階段が続きます。

 

▲11:33。雷電山山頂で最初の休憩。ミルクチャイとコロッケ。

 

▲11:39。11分の休憩をとりました。雷電山はこの青梅丘陵の最高峰です。他の人の記録を読むと、この標識の先の雷電山南峰も踏んでいるようですね。でも、すぐ近くなのに20mほど低くて、行ってみる価値があるのかな? 南峰と呼ぶほどのピークではなさそうですし。

 

▲11:54。標準コースタイムとの比較があるので、辛垣山へは寄りませんでした。そうでなければ寄り道をした方が面白いです。

 

▲12:06。名郷峠にある祠です。

 

▲12:12。ちょっと前に降ったがここだけに残っていました。霜柱もあちこちにありましたが、まだ凍ったままで泥道にはなっていませんでしたから、問題ありません。

 

▲12:35。三方山454.3mの山頂です。ハイカー二人がお昼を食べていましたし、山頂は日陰なのでこのまま通過しました。山名標識の向こうはそのハイカーの背中です。

 

▲12:52。登山道脇の暖かな場所で2回目の休憩15分間です。ミルクチャイとミンチとタマネギの炒め物が挟んであるパン。

 

▲13:02。2回目の休憩場所です。手前の左側、風もなく、お尻の下の枯葉もホカホカでした。

 

▲13:31。青梅丘陵の東の3分の1ほどは林道を歩きます。ハイカーでもない、普通の散歩する人もたくさんいます。

 

▲13:58。3回目、最後の休憩13分間を第3休憩所でとりました。ミルクチャイとアップルパイのパンです。

 

▲14:22。この日は最後まで風もなく、青空が広がっていました。

 

▲14:39。青梅駅です。ホームに着くと、14:42発の電車がいて、慌てて飛び乗りました。

 

この日はザックの重さも6kg程度で、楽なコースでしたから、問題なく歩けました。下山後、脚の疲労感はありました。夜、布団の中で左足の脹脛下部が攣ったりもしました。でも、翌日は何ともありません。来週くらいには、普通のハイキングコースを歩いてみたいと思います。

標準コースタイムとの比較ですが、ほぼ同じで歩けています。1年前と比べても、86%の時間で歩けていますから、この3ヶ月のブランクで破滅的ダメージは受けていないようですね。


サス沢右岸尾根を登り、真光寺尾根を下りました

2022年12月17日 | ハイキング/奥多摩

この日の山行の目的は長く歩くこと(僕にとっては、ですが)でした。

そして、前の週と同じ場所も歩きますから、山栗の大収穫も期待されていました。しかも、栗の魅力に引き寄せられて、N村さんの奥様ともお会いできるようになったのでした。

月夜見山まで行けなくて、小河内峠から清八新道を下る可能性も高いと考えていましたが、栗拾いにかなりの時間を費やしたにもかかわらず、N村さんが終始いいペースで引っ張ってくれて、予定通り歩き切れました。

山栗も大収穫でした。ブログの最後に僕の収穫分が出て来ますが、N村家はその10倍近くもの収穫だったと思います。二人とも集中して熱心に収穫していました。それに二人ともトングという武器まで持参しているんですからね! サス沢右岸尾根上部から、大ブナ尾根も、月夜見山までの稜線も栗、栗、栗・・・・・  今年はどうやら山栗の当たり年みたいですね。獣がたくさんの山栗を食べた痕もありましたから、嬉しいでしょうね。

N村さんの奥様もとても魅力的な方で、またどこか一緒に山へ行きたいですね。動物も植物も、生き物全般に深い興味を持っておられて、話題も尽きませんでした。体力もあり、危険個所の通過も安心でき、強い山屋さんです。

 

2022年10月2日(日) サス沢右岸尾根~惣岳山~月夜見山~真光寺尾根

▲8:47。板小屋バス停からは少し奥多摩駅側に戻ると、下の奥多摩むかし道に至る坂道があります。今はほとんど使われていないようで、手入れが行き届いていません。何年も経つと、危ない状態になるかもしれません。むかし道に着くと、右へ進みました(勘で決めました)。廃屋が数軒あります。この地域の集落は誰も住んでいないようですね。バス停からの坂道が荒廃するのも道理です。

 

▲9:01。馬の水飲み場や虫歯地蔵が出て来ると、道所(どうどこ)橋も現われます。この吊り橋も古くなって2人ずつしか通れません。多摩川の流れを見下ろすと、少しだけ笹濁り気味でした。橋を渡って、少し上に登った広い場所で休憩しました。昔は家が建っていて、畑もあったような場所です。

 

▲9:26。休憩した場所からはとにかく登ります。植林の中を微かな仕事道があればそれを拾いながら、なければ自分で歩き易い箇所を見つけながら。次第に急登になっていきます。

 

▲9:34。途中、送電鉄塔が現われました。標高は470mほどです。

 

▲9:57。どんどん急登になって来ます。

 

▲10:24。いちばんの急傾斜の場所ではほんの少しは傾斜の緩い左側の尾根に向かいました。

 

▲10:38。植林がなくなり、広葉樹林になってくると、栗探しが始まります。

 

▲10:43。852m標高点あたりでしょうか?

 

▲11:23。足元には栗のイガがたくさん転がっているようになりました。

 

▲11:37。N村夫婦は栗拾いに熱中し始めます。どれくらいの時間、栗拾いをしていたかは計っていませんでしたが、30~50分間くらいだったと思います。

 

▲11:55。その後のコースでも山栗はたくさん落ちていましたけれど、それを拾っていると目的地には到達しません。泣く泣く我慢しながら月夜見山に向かいました。

 

▲12:39。まずは大ブナ尾根を登り切って、惣岳山に到着。

 

▲13:19。続いて、小河内峠を通過。

 

▲13:30。このピークがどうして水窪山と呼ばれているかは僕には納得できません。小河内峠から東に源頭を抱く北面の沢が水窪沢ですから、小河内峠の西側にあるこのピークは水窪沢とは関係ありません。宮内敏雄氏の『奥多摩』にはこの付近の地名として「水ノクボ」と記されており、すぐその東隣り、小河内峠との間には「水ノ越シノタル」との表記もあります。山(ピーク)の名前と言うよりは峠や窪地を示すような地名です。

 

▲13:59。月夜見第2駐車場に出て来ました。ここからは車道を少し右へ進みます。

 

▲14:03。車道脇に月夜見山山頂に至る登山口がありました。

 

▲14:28。2時半までには着きたかった月夜見山1147.0には2時10分に到着。少し休憩して、これから真光寺尾根へ向かいます。

 

▲14:37。月夜見山山頂から北北東に尾根を進みましたが、奥多摩周遊道路の法面で遮られ、降りられるところまで進むとそこはさっき登った第2駐車場からの登山口でした。

 

▲14:43。奥多摩周遊道路を渡ります。真光寺尾根は最初は大仁田尾根(下では大ムソ尾根となる)の方が明瞭ですから、引きずられないようにしなければなりません。 

 

▲15:31。注意深く下って行くと、真光寺尾根の尾根形が明瞭になって来ます。

 

▲15:49。それからは植林が優勢な尾根をただただ下降していきます。途中ある痩せ尾根が良いアクセントになっている程度で、基本、植林の中の下りです。あまり面白みのない尾根ですね。写真は真光寺尾根の最下部近くですね。

 

▲15:53。最後の急な斜面を下ります。法面は数mの高さ、金網で覆われています。

 

▲15:55。月夜見山から1時間20分の下降時間でした。奥多摩湖いこいの路に着く手前がすごく急な傾斜を下りますから、ザイルを出すことも考えていました。でも、なんとか降りることが出来ました。こんな斜面に慣れてないメンバーにはザイルを出して、確保してのロワーダウンや懸垂下降した方がいいでしょうね。

 

▲16:11。いこいの路にはゲートからの距離を示している道標が設置されていて、僕たちは4.6km歩かなくてはなりません。ゲートからもバス停まではかなりの距離があります。ゲートに5時までに到着する目標を立て、N村さんがペースを作ってくれました。

 

▲16:50。奥多摩湖です。月夜見山や降りて来た真光寺尾根も見えていると思うんですが、どこだかは分かりません。

 

▲16:51。いこいの路のゲートに到着しました。4.6kmを1時間弱で歩きました。

 

▲17:01。ゲートには9分早く着きましたから、バス停にも余裕で間に合いました。

 

『天益』は最近は5時くらいには店を閉めてしまうそうです。電話をすると、餃子は全部売り切れてしまったんだとか。「たまには~」とN村さんが言うので、青梅駅まで行き駅前の居酒屋さんへ。お店の料金のせいもあるのでしょうが、今回の反省会はリーズナブルな範囲内で収まりました。奥様がおられるので、N村さんのタガが外れなかったせいではないでしょうか?

真光寺尾根の下降はお勧めできません。行くとしても登りでですね。それでも最下部は滑落しないように注意してください。

 

▲僕が収穫した山栗です。60個ほどありました。N村さん夫婦はふたりで僕の10倍ほど収穫したのではないでしょうか? 1円玉と比べてみると分かるでしょうが、本当に小さな栗です。

 

3合の栗ご飯を作りました。美味しい!

 

栗ご飯を作った際のブログがこちら。

山栗ご飯を作りました - ザイルと焚火と焼酎と (goo.ne.jp)


奥多摩の茅尻沢左岸尾根を久し振りの山仲間と歩いて来ました

2022年09月29日 | ハイキング/奥多摩

山仲間とのLINEのトークの中で、SS木さんが体力が戻りつつある僕と軽い山歩きをしたいと思ってるらしいとの噂を聞きつけました。早速、連絡を取ると、T橋さんとの計画があるらしく、僕も加えてもらうことにしました。(S上さんに教えてもらって、最近LINEを始めたんです)

「老いては子に従え」との諺がありますけれど、高齢者になってからは、若い人に教わることの方が多くなりますね。謙虚で柔軟な精神を持ち続けないと、最新の情報とか生活に必要な手段は得られないみたいですね。

LINEをし始めて分かったこともあります。例えば、「了解しました」「了解」だけで済ましたり、極端な場合は「り」だけで済ましたりする若者の気持ちが理解できますね。LINEのやり取りのことを「トーク」と呼んでいるのを最初は不思議に感じたのですが、やってみると納得できました。「メール」ではなくて、間髪入れずに話し合う感覚なんですね。分かり合える限り、言葉を極限まで省略する。いわゆる若者言葉を大人が短絡的に非難するばかりでは駄目だと思いました。それはそれでひとつの文化、生活上の必要な様式なんですね。ただ、新聞記事のような教科書的文章も書く能力を同時並行で持っておかなければなりませんけれどね。

山のブログからは脱線気味になってしまいましたけれど、今回のこの山行はLINE仲間とのトークの中から生まれた初めての山行だったのです。

 

茅尻沢左岸尾根は倉沢谷流域にあります。本流の遡行はまだ未経験ですけれど、左俣の塩地谷1990年4月15日、右俣の長尾谷1990年5月12日に初遡行しています。当時はまだ、僕の手元にはこの沢の情報が全くなく、地形図だけが頼りの遡行でした。遡行図を記録しながらの沢登りでしたね。その何10年か後茅尻沢も遡行しましたが、塩地谷の支流ですから、短くて小さな沢でした。登攀を楽しめるような滝はありませんし、小滝すらもないような沢でした。

この流域の尾根も幾つか登っています。倉沢のヒノキという巨樹があるのですが、その巨樹の背後に続く倉沢見通し尾根には何度も足を運んだことがあります。ヨコスズ尾根の滝入ノ峰へ突き上げている尾根です。広葉樹の美しい尾根ですね。

倉沢林道の途中に岩場が続いている場所があります。この岩場を幕岩と呼ぶようなんですが、この岩場からヨコスズ尾根の1289m標高点に至る尾根を幕岩尾根と呼ぶようです。この尾根と、幕岩尾根の1200m付近から南東に延びる尾根を登ったことがあります。後は長尾谷に沿った林道の終点からの尾根、棒杭(ぼうくな)尾根がありますが、ここは下降路としてよく使っています。不明瞭な箇所もありますが、ほぼ一般登山道化していますね。

 

2022年9月11日(日) 茅尻沢左岸尾根~天目山

▲9:18。この日のメンバーはSS木さん(左)とT橋さん。倉沢バス停で下車し、林道を進みます。

 

▲9:38。これが幕岩。左の尾根に沿って、幕のように岩場が続いています。

 

倉沢林道は魚留橋で長尾谷方面へ向かいます。魚留橋のすぐ手前に階段が付いていて、塩地谷沿いに続く仕事道があります。その仕事道を利用した方が、この日登る茅尻沢左岸尾根には近いのですが、この日は遠回りのルートから向かいました。

林道終点直前で、僕は用足しをしました。二人にはこの先で待っていてくれるように告げて。でも、その場所は本当に林道終点のほんの僅か手前だったんですね。二人は僕から離れることを優先して林道終点を通り過ぎ、僕は待ってくれていた二人に追いつくことばかり気にしていました。登山口は林道終点付近だったことは知っているのですが、二人と合流した場所も山道としては平らで広めの場所でした。「ここも林道なのかな~ぁ?」とか思いながら先に進むと、もう明らかに山道です。しかも、徐々に登って行っています。ここを登って行っても、この日歩く棒杭尾根に合流できるかも、と最初は期待していましたが、その山道は長尾谷の奥へ奥へと向かうばかり。僕は諦めて、戻ることにしました。

 

▲10:23。ここが林道終点で登山口です。茂った草木に覆われて、山道がまったく見えませんね。僕が用足しをした場所と二人が待っていてくれた場所の中間地点でした。

 

▲10:36。左の植林の中の山道を登って来て、棒杭尾根上に出たところです。

 

▲10:39。棒杭尾根の標高900m付近だと思います。左へ分かれる山道があります。棒杭尾根の山道からは離れて、左の山道に入りました。

 

▲10:42。山道はしばらくほぼ水平に続いています。涸沢を等高線に沿ってくるりと回ります。

 

▲10:46。隣りの塩地谷の左岸上部に来ると、山道は急斜面をジグザグに下って行きます。

 

▲10:49。塩地谷に着きました。水量は少なく、写真中央を右から左へ流れている水もよく見えませんよね。ここは素敵な場所です。1990年の僕の遡行図には「小屋跡」と記されていますから、作業小屋が建っていたんでしょうね。僕のあやふやな記憶で申し訳ありませんが、以前ここに生えている木に分厚く布が巻かれていて、誰か空手修行で山籠りしていたような様子が見られたこともあります。

 

▲11:12。休憩した場所の対岸が茅尻沢左岸尾根です。茅尻沢は休憩場所の少し下流に出合があります。塩地谷を渡ってなだらかな尾根を登ってくと、すぐにしっかりとした山道が現われました。こんな立派な山道があるとは予想していませんでしたから、有難く利用させていただきました。

 

▲11:13。これ以上ないような晴天です。空気もカラッとしていて、快適でした。

 

▲11:18。ホウキタケの仲間、ヒメホウキタケでしょうか?

 

 

▲11:19。イグチの仲間ですね。食べられそうです。

 

▲11:28。ジグザグに山道を登って行きます。

 

▲11:59。標高1200mを過ぎたあたりから次第に尾根の傾斜がきつくなります。すると、山道が左へ回り込むようになりました。途中、写真のような桟(かけはし=桟道)もあります。

 

▲12:06。次第にヨコスズ尾根が近づいて来たようです。

 

▲12:10。あそこがそうかな?

 

▲12:12。道標が見えました。ヨコスズ尾根の登山道です。

 

▲12:33。登山道を一杯水避難小屋へ向かいます。なだらかな登山道です。

 

▲12:55。一杯水避難小屋です。何度も泊まったことがあります。素敵な避難小屋です。

 

▲13:31。一杯水避難小屋で小休止後、小屋の右側から天目山へ向かいました。天目山は別名を三ツドッケと言うくらいですから、三つのピーク(突起)を持っています。中央のピークが天目山1576.0mです。

 

▲13:32。左に見える山は川苔山1363.2mでしょうか? 右近くの山は三ツドッケのひとつだと思います。

 

▲13:47。3つ目のピークも乗り越えて、長沢背稜の登山道に出て来ました。ところで、長沢背稜ってどこまでなんでしょうね? 長沢の背後の稜線は芋ノ木ドッケから水松(あららぎ)山までです。水松山から日向沢ノ峰あたりまでは日原川北稜などと呼んだ方がいいと思いますけれどね。

 

▲14:03。一杯水避難小屋へ戻って来ました。これからヨコスズ尾根を下ります。

 

▲14:07。テングタケの仲間です。たくさん生えていました。

 

▲14:16。登山道は右の山腹を巻いています。ロープが張ってあって、「この先危険! 登るな!」と警告しています。こんなのを見ると、どうした訳だか侵入したくなりますよね。・・・・ それは冗談ですが、この先がこの日登って来た茅尻沢左岸尾根の本当のピーク1388m標高点なんです。途中で左に巻いたので、そのピークは踏んでいません。なので、行ってみようと。

 

▲14:19。ちょっと岩っぽい箇所も出て来ますが、ピークまでは問題ありません。ピークも地味なところで、ただ通過するだけでした。

 

▲14:32。1388m標高点からは南南西へ下るべきでした。地図を確認することなく、登って来た方角と同じ方向へ下ってしまいました。南東方向へ降りたのです。登る時に避けた急斜面に突入してしまいました。コース間違いの場合、それが下りなら急斜面でもどんどん下ってしまうものです。100mくらいは下ってしまったかもしれません。さすがに間違いに気付き、進行方向の右(写真では左)にあるはずのヨコスズ尾根に戻ろうとしました。ここは右に必ずヨコスズ尾根があるので、それで良かったのですが、もっと複雑な地形の場合はきつくても登り返すべきなんです。写真では傾斜は分かりにくいですけれど、木から木へと飛び移るような歩き方をしています。木に掴まらないと、ズルズルと落ちて行ってしまいそうです。

 

▲14:38。森に光が入って来ています。ヨコスズ尾根も近いはず。

 

▲14:41。T橋さんが「尾根に出たよ~っ!」って叫んでいます。

 

▲15:43。滝入ノ峰にも立ち寄らず、どんどん下って行きました。途中で、こんなキノコの様子が。キノコの名前は分かりませんが、キノコのシロのようです。丸くリング状に生えていますからね。

 

▲16:04。山道終了です。

 

▲16:10。東日原バス停に到着しました。あと10分後くらいにバスは発車します。

 

バス停からは天益さんに電話。奥多摩駅に着いたら、寄れることになりました。天益の女将さんがおっしゃるには「もう店を閉めるつもりだった」とのこと。客は我々だけでした。すでにたくさんのお客さんが来られたようで、餃子も我々に出してくれた分しか残っていなかったようでした。有難うございます。

SS木さんとは今年のお正月以来ですね。男二人がゼ~ゼ~ハ~ハ~荒い息で歩いているのに、静かに息も荒げずにすいすい歩いています。強いですね。