ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

盆堀林道から今熊山へ、腰のリハビリと野の花観賞2/2 ――― 予定通り歩き、腰も大丈夫でした

2015年05月25日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/5  この盆堀林道は盆堀川沿いに源頭の刈寄山まで延びています。ほとんどが舗装もされていて、ときおり自動車やバイク、自転車も通り、里に近い林道。ただ、日陰も多いのでこの時季でも割と涼しく歩くことができました。


▲林道歩きはここで終了。登山道へ入ります。13:05ころ。


▲刈寄山へ向かう途中で、こんな風景が! 植林の杉の木が枯れているばかりか、幹の上部が折れてしまっています。この前後にも同様の光景が広がっていました。原因は何なのでしょうか? 13:16ころ。


▲刈寄山山頂です。13:29ころ。


▲手前の尾根は舟子尾根でしょうか? その向こうに五日市の街並みが見えています。13:34ころ。

山頂には東屋があります。そこでまたしばし休憩。


▲ヤマツツジ。14:05ころ。


▲チゴユリ(稚児百合)です。稚児と称するほどですから小さな花ですが、大きく写すと立派な花に見えますね。花言葉は「恥ずかしがりや」だそう。14:21ころ。


▲里山ですから、スギなどの植林が多いのですが、意外に広葉樹林も広がっていました。気持ちのいい美しい森です。14:28ころ。


▲そんな佳い森にあまり見ることのない花が咲いていました。ギンラン(銀蘭)です! 葉の形からすると、ササバギンラン(笹葉銀蘭)でしょうか? 14:29ころ。


▲南隣りの入山尾根。ここにも採石場があります。この尾根も何年か前に歩いたことがあります。14:53ころ。


▲今熊神社の参道でしょう。15:10ころ。


▲今熊開運稲荷社。境内社だそうです。15:11ころ。


▲今熊山505mの山頂に鎮座する今熊神社。昭和17年この地の本殿が焼失し、昭和51年になって麓に本殿は再建されました。山頂には今コンクリートの神社が建てられています。15:13ころ。

僕は全然知らなかったのですが、今熊神社は「呼ばわり山」として有名なのだとか。安閑天皇が熊野本宮を勧請し、この地で今熊野宮と称したそうなのですが、その妃が行方不明となった際に祈りを奉げると無事戻ったのだそうです。そんな言い伝えから「尋ね人」や「失くし物」捜しに霊験があるとされました。


▲山頂から東側を望みました。左側に圏央道や東京サマーランドの観覧車が見えています。空気が澄んでいたら、東京スカイツリーも見えるそうです。15:32ころ。


▲山頂を離れ、下山開始です。最初はこんな参道のような山道でした。15:39ころ。


▲この鉄塔の送電線もそうですが、すぐ近くの新多摩変電所に行っています。南の神奈川県とつながっている送電線です。15:48ころ。


▲金剛ノ滝へと下り始めると、山道の傾斜は次第に急になります。16:00ころ。


▲下に降りました。この奥に金剛ノ滝があります。16:20ころ。


▲狭隘な谷に付いた山道を辿っていきます。16:23ころ。


▲金剛ノ滝直前の滝と右にトンネルが見えています。16:24ころ。


▲トンネル内は真っ暗。フラッシュを焚いて写しました。S子が上がってきています。16:25ころ。


▲トンネルを抜けると目の前に金剛ノ滝。滝の左に金剛像があります。16:27ころ。
そういえば、ずいぶん昔のことですが、この金剛ノ滝上流を遡行したことがあります。ここも逆川という名前ですが、大した滝はなかったような・・・・。以前は沢の左岸に登山道がありましたから、それが横切るところで遡行を終了、登山道を下りました。


▲ナルコユリ(鳴子百合)だと思います。アマドコロかもしれませんが、区別には自信がありません。16:40ころ。


▲金剛ノ滝からは北の小尾根を乗り越えて広徳寺へ降りました。この写真はその小尾根上にて。16:45ころ。


▲今日は時間も遅いので広徳寺へは寄りませんでした。適当に里の風景を楽しみながら駅の方角へ向かうと、小和田橋に至ります。橋の上から眺める川と町の風情もいいものです。夕景に近づきつつあるのでなおさらですね。17:16ころ。


▲阿伎留神社です。創建は不詳ですが平安時代の『延喜式神名帳』に武蔵国多摩郡8座の筆頭として記載されていたそうですから、古社であることだけは間違いありません。「あきる」の音は昔から変わらないそうなのですが、あてる漢字は「秋留」「阿伎瑠」「畦切」などいろいろです。秋川市と五日市町の合併の際、どの漢字にすれば良いのか決定できなかったのでひらがなで「あきる野市」としたのでしょうね。17:22ころ。


▲五日市での馴染みの店がこの『音羽鮨』。鮨、刺身、普通の家庭的な和食から中華料理まで幅広くいただけます。愛飲の芋焼酎『三岳』があるので、ボトルキープしているお店です。17:31ころ。

前回、S子の腰にダメージが来ましたから、今回はそのリハビリや様子見を兼ねての山行でした。歩く距離的には前回とさほど違わないでしょうけれど、急な登りはまったくありません。下りもダメージになるような下りではありませんでした。
結果は、まったく問題がありませんでした。通常の腰の疲労程度です。次のステップへのいい足慣らしになったと思います。かつてのような健脚ぶりが復活するはずもありませんが、普通のハイキングコースを普通に歩けるレベルを長く維持することがS子にとってのチャレンジなのではないでしょうか。

僕も僕のチャレンジを見つけなくては・・・・

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盆堀林道から今熊山へ、腰のリハビリと野の花観賞1/2 ――― 花を愛でながらの林道歩き

2015年05月18日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/5  前回の山行でS子が腰を痛めました。GWには2泊3日くらいで雪の残った春山へ行くつもりでしたが、見送らざるを得ません。珍しく家でぼんやりと過ごすGWです。

とは言え、少し腰の調子が戻って来ると、じっとはしておれません。腰に対する負荷は少なく、でもそれなりの距離は歩きたい。激しい高低差(アップダウン)は腰への負担が大きいからです。と言うわけで、こういうケースでない限り絶対に選ぶはずもない"林道歩き”をすることとなりました。

選んだ林道は盆堀林道。正式には「林道 盆堀線」と呼ぶそうですけれど、盆堀(ぼんぼり)林道でいいでしょう。
この林道は盆堀川の流れ沿いに通っています。今日のような暑そうな日にも少しは涼しいはず。それに歩き始めは標高200mで、徐々に標高を上げ、最後に林道を離れる場所では標高600mになっているのです。そこからすぐのこの日の最高到達点、刈寄山が687.1mですから、アプローチというよりも、登山ルートと言った方が適当です。


▲シャガですね。日陰で地味に咲く花、そんなイメージを抱いている方が多いのかもしれません。でも、見てください。結構明るくて派手な花なんです。9:19ころ。
ネットで調べてみると、学名は Iris Japonica です。アヤメの仲間だというのは分かりますが、Japonica だから日本の固有種かと思いきや、中国原産なのだそうです。
また、三倍体だとかで、種子ができないそうです。ですから、日本中のシャガはすべて同一の遺伝子を持っているわけですね。当然、自然に繁殖したのではなく、人為的に繁殖地が広がったんだとか。身近なシャガにも不思議がたくさんあるのですね。


▲ハルジオン(春紫苑)だと思います。9:22
これも改めて調べてみて、「ハルジオン」だと分かりました。つまり、「ハルジョン」とか「ハルシオン」とかではないのです。僕もあやふやにしか覚えていなかったものですから。
似た花でヒメジョオン(姫女苑)がありますが、これも僕は「ヒメジオン」、「ヒメジョン」などと呼んでみたり、いい加減だったのです。
それにしても非常に似た花なのに、どうして微妙に異なる呼び方にしたのでしょう? 「ハルジオン」と「ヒメジオン」。あるいは「ハルジョオン」と「ヒメジョオン」。こんな風にすっきりと命名できなかったんでしょうか?
ヒメジョオンが明治時代に日本に入って来た時、本当はヒメシオン(姫紫苑)と命名したかったのだそうですが、すでに同名の花があったんだそうです。そこで、シ(紫)をジョ(女)に代えた「ヒメジョオン」にしたのだとか。「ハルシオン」さんに名前を譲ってもらえば良かったのに。


▲ジシバリ(地縛り)だと思います。僕はジシバリで覚えていますが、正式和名はイワニガナ(岩苦菜)と言うのだそうです。9:34ころ。


▲頭上に送電線が近づいて来たころ、道路の左に山道の入り口が現われます。篠八窪尾根の末端です。9:35ころ。
ずいぶん昔、大怪我をしたS子のリハビリ山行を繰り返していた時に、この尾根をここから登ったことがあります。この入り口には看板が掛かっていて「ここから刈寄山へは登れません」と書いてあるのです。僕はこの看板の文句は登山者を登らせないようにするための脅し文句に違いないと確信、「登れるんだ」「山道が続いているんだ」と考えたのです。
でも、本当に登れませんでした。途中で尾根が消えているのです! 本当です! 
上部に採石場があって、数百メートルにわたって尾根がごっそり削り取られてしまっているんです。


▲小宮神社がありました。古来よりこの土地の産土神(うぶすながみ)のようで、道路沿いの鳥居にも「村社」と書いてあります。中世、このあたりを小宮氏が支配し、この神社の北の山頂には戸倉城(小宮城)もあります。古くて、土地に根差した神社なのでしょう。
狛犬のようなものもありますが、獅子ではありませんし、狼にしてはちょっと変です。どう見ても狐ですね。ネットで調べてみると、写真のこの狐は左手で鍵を持っているのだとか。もう一対の狐は宝珠を持っています。9:40ころ。


▲最下流の盆堀集落です。9:42ころ。


▲クサノオウ。9:45ころ。


▲車のことはまったく無知な僕です。でも、いかにもアメ車っぽい車が道路際に廃棄してありました。ポンティアック(PONTIAC)と書いてあります。ネットで調べてみると、GMの車でスターチーフ(Star Chief)の Secand generation に似ています。1955~1957年の車のようです。9:47ころ。

 
▲ノリウツギだと思います。糊空木と書き、むかし和紙を漉く際の糊としてこの木の樹液を利用したのだそうです。9:48ころ。


▲慰霊塔が立っていました。「天正十八年」とあるので古そうです。調べると、1590年とのこと。僕が読める漢字を並べてみると「天正十八年戸倉〇〇 合戦盆堀〇戦没者 慰霊塔 黙〇〇書」とあります。
どうやら豊臣秀吉が小田原攻めの際、1590年に八王子城攻めをし落城させています。それに伴って戸倉城も廃城となったそうですから、その戦役での死亡者の慰霊塔なのでしょう。9:52ころ。


▲竹の秋! 竹の葉は秋ではなく、晩春に色が黄色に変わり、落葉します。それが「竹の秋」。春の季語です。9:55ころ。


▲馬頭観世音の碑がありました。でも、馬の絵は現代的! 9:59ころ。


▲普通の馬頭観音? 9:59ころ。


▲上流の盆堀集落。これより先には民家はありません。10:05ころ。


▲ヤマフジ。10:11ころ。


▲採石場です。10:17ころ。
この対岸に棡葉窪(ゆずりはくぼ)があります。小さいけれどまとまった佳い沢です。


▲沢へ降りて、小休止。20分くらいして出発です。10:43ころ。


▲ちょっと変なスミレが咲いていました。小さな花が葉の上にちょこんと乗っかるような感じで咲いています。ただ、よく見ると花の柄が実は長くて、葉の柄同様に伸びているのですね。
ネットや植物図鑑で調べましたけれど、スミレはやっぱり難しい! 名前は分かりませんでした。10:47ころ。


▲盆堀林道はこんな感じ。思いのほか涼しく歩けます。11:17ころ。


▲ウツギです。茎が中空になっているので「空木」。「うつぎ」の「う」をとって「うのはな」つまり「卯の花」はウツギの花のことです。卯の花が咲くころなので、旧暦4月を卯月と言うのだそうです。日本人の季節感と密着した花だったんですね。11:19ころ。


▲林道山側の金網にこんな花が咲いていました。これもいろいろ調べましたが、手掛かりすら掴めません。11:24ころ。


▲クサイチゴ(草苺)です。草とありますが、落葉小低木なのだそうです。キイチゴなどと違って、つける実の数は少ないですけれど、ぼくは好きです。11:29ころ。


▲身近にもよく見るカキドオシ(垣通し)。小さな花ですが、浴衣美人の風情を湛えた美しさがありますね。11:47ころ。


▲ミヤマキケマン(深山黄華鬘)。「深山」とありますが、さほど深山で咲いているわけではありません。「華鬘」とは仏堂の荘厳具で、サンスクリット語では「花輪」のことだそうです。仏教発祥のインドでは生花を飾ったり、花輪として人に贈ったりする習慣がありますが、その花飾りを恒久化した装具がケマンです。11:48ころ。

林道も徐々に向きを変えていきますし、空の雲もどんどん消えていきましたから、林道への日当たりもよくなってきました。日陰を探して、しばしの休息。


▲ムラサキケマン(紫華鬘)。12:39ころ。


▲標高は上がりましたけれど、陽射しも強くなり、隠れる日陰もなくなりました。12:43ころ。


▲タンポポです。西洋タンポポ。12:44ころ。


▲刈寄山687.1mが前方左に見えて来ています。12:58ころ。

このあたりでほぼ林道は終わりです。後半は別として、日陰も多くありましたし、涼しく歩けました。季節や天候、日陰のでき方等を考慮すれば、林道歩きも楽しいかも、とちょっとだけ感じましたね。

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槍ヶ岳落雷事故報告書

2015年05月14日 | 山のこと あれこれ

ブログ人のサービス停止を受けて、昨年、gooブログに移りました。
その影響かと思いますが、このO橋君の記事が読まれにくくなったようです。これから槍ヶ岳登山を計画される方も増えてくる時期になります。落雷事故対策としてはとても有益な事例報告です。この記事を読んで雷事故から自分の身を守るための参考にして欲しいと思います。
効果があるかどうかは不明ですが、再度、2015/5/14にトップへ掲載します。

2012/8/25  O橋君から8月18日に発生した槍ヶ岳での落雷死亡事故に関する報告書が送られて来ました。多くの登山者が目を通しておいた方が良い報告書になっていると思いますので、ここに転載します。

O橋君も快く転載を許可してくれました。以下、O橋君の報告です。

O橋です.

残暑の厳しい中,いかがお過ごしでしょうか.

先日,162045で西穂高口から槍穂を抜けて折立まで縦走してきました.

そのなかで,すでにニュース等でご存知の方もいらっしゃるかと思いますが,18の槍ヶ岳落雷事故に目と鼻の先で遭遇することとなりました.

事故の一部始終を見ていた方に話を聞くことができましたので,当時のO橋の行動とともにご報告します.

ニュースサイト参照↓

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/yama/CK2012081902000187.html

http://www.yarigatake.co.jp/view/2012/08/post-270.html

    前日(17)からの状況

17朝天気晴れ.午前中からガス多くなり,12:30に奥穂で雷鳴が鳴り始める.13:00から小雨.

13:30 穂高岳山荘着.15:00頃から本格的な雷雨.低気圧の通過に伴って下界では記録的な豪雨だった模様.明日は停滞の可能性濃厚と決め込むが,山の天気は午前中くもり,午後雨との予報なのでとりあえず朝の天気で見極めることにする.

夜も時折強い雨となるが,夜半頃にはやむ.

 

 ◆ 当日(18)のO橋の行動

3:30 晴れていて星が見える.日の出まで待って天気を見極めることにする.

5:00 雲ほぼなし.午前中に大キレットを通過することとし,穂高岳山荘を出発する.

10:20 南岳小屋着.ここまで問題無し.ガスが出始める.

10:30 南岳小屋発.天狗原分岐付近からガス濃くなる.

11:20 中岳直下の雪渓の麓で雨が降り始める.すぐに強くなりレインスーツを着る.

11:30~強い雨.雨の降り始め方からして前線の雨と予想する(積乱雲の場合,一度雨が弱くなってから本降りとなる)が,あまりにも雨が強いので積乱雲の可能性を考え始める.雷鳴が一発でも鳴ったら即ビバークと決める.

11:50 中岳頂上直下20mで一発目の雷鳴.まだ遠い.20mほど下り,ハイマツの窪みでツェルトビバークする.次第に雷鳴,雨足強くなる.豪雨.

12:20までのあいだに直近での雷(雷光雷鳴差0.5秒以内)3回.地上に落ちているというよりは雲の中を横に走っている.

12:20 やや雷鳴遠のく感じがあるが直後にまた直近に一発.

12:50 雨弱くなり,雷鳴遠のく.10分間は近くで雷鳴がならなくなるまで待つことにする.

13:05 まだ雷鳴残るが間隔は次第に長くなっている.

13:07 横の登山道を人の歩く音がする.5名ほどのパーティ.そのあと2パーティほど続く.まだ早すぎると思い,しばらく待つ.

13:15 ほぼ雷鳴落ち着く.雲も高くなっているので行動再開.中岳頂上を足早に通り過ぎる.なんと先ほどの3パーティが頂上で写真を撮るなど休憩している.こんな危険個所で滞在するとは….

14:10 槍ヶ岳山荘着.笠ヶ岳,蝶が岳方面から遠雷が聞こえる状況.山荘前で事故の一報を聞く.穂先に登ろうとしている人がいるが山荘の人に止められる.

 

 ◆ 落雷事故の状況

・事故者を含むパーティ(6人)が登り始めたのは雷のピークが過ぎて遠雷になっていたころ

・登るのを目撃した山荘関係者が拡声器で降りるように促すが,聞こえていないのかそのまま登る.

・事故時刻は13:10.降りてくる最中だった.

・落ちたのは1発のみ雲も高くガスも晴れて遠雷になっていた状況.

・直撃だったかどうか不明.(ニュースによると落雷の影響で転落し,頭を打った模様)

・落雷後現場が慌ただしくなり,4人が穂先から降りてくるが2人降りてこず.

1名心肺停止であるとの情報.

15:2015:30 雲の合間を縫って防災ヘリにより降ろされる.病院で死亡確認.

 

 ◆ 考察

前日から大気の状況は不安定で,当日午後からはいつにも増して雨雲の危険性があることは予想可能であった.ただし昼前から降り始めたのは少し意外であった.通常の積乱雲の雨の降り方と違い,急に豪雨になったこと,降りはじめから20分で1発目の雷鳴,それからごくわずかで雷のピークになったことを考えると,積乱雲の発達は非常に早かった.ただし今回の事故はピークを過ぎたあとで起こっており,積乱雲の発達の早さは直接の原因ではない.事故が起こった13:10はちょうど中岳直下でも遠雷になったころであったが,雷は雷鳴の聞こえる場所ではどこでも落ちる可能性があることを考えると,あの時間帯に北アルプスの避雷針とも言える槍の穂先に登ったのはあまりにも軽率と言える.

一方で,O橋も僅かに遅くではあるが同時間帯に中岳山頂を通過しており,事故リスクとしてはほぼ同じ状況下にあったかもしれない.もう少し長くビバークすべきだったのは反省点である.

今回の件で,被害者はもちろんのこと,たいていの登山者は雷に対しての警戒心が低すぎるとあらためて感じた.私がビバークしていた横を通り過ぎた人たちも,行動再開が早く,中岳頂上の危険地帯で休憩するなど遠雷がなっているにもかかわらず,「雷はもう通り過ぎていて安全である」と思っていたようだ.

被害者が登り始めた頃も,山荘関係者以外に止めるものはいなかったようであった(周囲の登山者の間で,登っても大丈夫な雰囲気になっていたらしい).

また,事故後,O橋が山荘に到着したころにも雷が鳴っているにもかかわらず穂先に登ろうとしている人が何人もいた.このような登山者と一緒に集団意識的に行動すると,知らず知らずのうちに事故リスクの高い行動をしてしまうだろう.

O橋K和

R0011372_2

▲事故後、1時間ほどの状況。一時的に青空が見え始めている。(撮影:O橋 以下も同じ)

R0011374_2

▲東鎌尾根での落雷事故(別件)の救助作業を切り上げて上がって来た防災ヘリ。

R0011379

▲蝶ヶ岳方面にかかっている巨大な積乱雲。防災ヘリが救助中であるが、何度も雷光が走っていた。

                   *   *   *   *   *

僕にとって記憶に新しく、忘れられない落雷事故は奥多摩の本仁田山で起きたものです。「こんな所に落ちちゃうの!?」と驚くような場所で、ベテランの実力ある登山者が亡くなりました。

この事故を重く受け止めて、それまで以上に雷には神経を尖らせようと思うようになりました。

以下に奥多摩本仁田山落雷事故の報告書も載せておきます。併せて読んで下さい。

http://unryo.cliff.jp/top/jiko.pdf

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サス沢右岸尾根を登り、清八新道下降 2/2 ――― 雷に追いつかれないように

2015年05月06日 | ハイキング/奥多摩

2015/4/25  サス沢右岸尾根(仮称)を登り終え、大ブナ尾根の一般登山道へ出ました。
今日は関東地方の山沿いの地域には雷注意報が発令されています。奥多摩町も同様です。サス沢右岸尾根を登っている最中もそうだったのですが、「雷鳴が聞こえたら、即下山しよう」とS子と確認し合っていました。予報では午後に大気の状態が不安定になるとのことでしたから、まだ大丈夫だとは思っていましたが、晴れ間は出ているのに、思いのほか空気が冷たいので、心配だったのです。

一般登山道へ出ると、下山は楽になります。その点は少し安心できます。


▲一般登山道です。新緑はちょうど芽吹き始めたばかりのよう。12:14ころ。


▲大ブナ尾根の上部から惣岳山~御前山に至る尾根筋はカタクリが多いことで有名です。この日もたくさんの登山者がカタクリ観賞に来ていました。
登山道に合流してから、なかなかカタクリが目に入ってこないので「おかしいなぁ」と思い始めたころにあったのがこの写真のカタクリたち。左のひとつはともかく他は皆枯れ始めています。「来る時期が遅かったかな~ぁ?」と感じていました。12:23ころ。


▲スミレは種類が多いので、名前の同定は諦めているのですが、N澤さんからの指摘もあり、シコクスミレかなぁと思っています。カタクリが枯れているので、スミレを撮ってみました。12:26ころ。


▲と思っていたら、綺麗に咲いているカタクリに出会うことができました。12:27ころ。


▲この大ブナ尾根は急登続く尾根なのですが、ときにはなだらかな箇所もあります。芽吹き始めの茫とした柔らかな色合いが大好きです。12:32ころ。


▲スミレ(シコクスミレ?)は小さい花ですが、拡大すると豪華な花ですね。12:43ころ。


▲昔から何故かここにはこの草が群生しています。この草は尾瀬などでも広く見られ、高山植物としても知られているコバイケイソウ。毒草ですから、シカも食べません。ですからなおさら増えるのでしょうね。12:50ころ。

他にもこのあたりではトリカブトやハシリドコロがたくさん生えていました。みんな毒草です。奥多摩ではシカの食べない毒草がどこでも増えています。


▲カタクリの花を低いアングルから覗きこんで写しました。花の奥に模様が見えて来ました。12:53ころ。


▲ニリンソウに似ています。でも、見慣れているニリンソウとは少し違うようです。キンポウゲ科イチリンソウ属であることは間違いないと思うのですが・・・・ 12:54ころ。


▲カタクリを観賞するのならここまでキチンと見てあげなくては! 花の中にもうひとつ花が咲いているのです! 12:56ころ。


▲惣岳山1348.5mです。13:08ころ。

そろそろゆっくりと昼食にしたいころです。まあ、ここまでも時々小休止はしてきていますが。
でも、この山頂では休憩は取りませんでした。山頂に人が大人数いたのも理由のひとつですが、それ以上に天候の心配をしていたからです。まだ雨は降っていませんが、空模様が下降気味なのは明らかです。ただの雨なら構わないのです。ですが、今日は雷注意報が出ています。午後から山地では要注意なのです。
ここまでも、雷が鳴ったら即下山、と考えてここまで来ました。でも、ここから小河内峠までは稜線ですから途中で下山と言うわけにはいきません。
それで、小河内峠まで急いで進むことにしたのです。


▲惣岳山の西側もまだカタクリが咲いていました。あの白い花と一緒に。13:14ころ。


▲ヤマエンゴサクだと思います。実物を見ると、写真以上に森の妖精のような可愛らしく繊細な花です。13:18ころ。


▲ミツバツツジです。この時季、楽しみにしている花のひとつ。登山道沿いには虫食いの花しかありませんでした。悪しからず。13:32ころ。


▲何を写した写真か分かりますか? 僕自身も最初は分かりませんでした。写真の中央部がわずかに窪んでいるようなので、その窪んだ部分の湿気が強いんだろうと考えていました。
でも、違いました。写真中央地面が緑色なのが分かるでしょうか? 他の部分は枯葉で覆われていますよね。その緑色の部分は柵で囲まれていました。
つまりこうです。山ではときおり見かけるのですが、シカの食害の影響を見るために、シカが入れない土地を作ってあるのです。
シカが春になって伸びてきた木や草の芽を食べていることが分かります。13:51ころ。


▲小河内峠へ急ぎます。針葉樹の植林と広葉樹の自然林とのコントラスト! 13:53ころ。


▲小河内峠到着! 峠では山桜が満開でした。13:58ころ。

心配していた雷を聞くことなくここまで来ました。ひと安心です。ここからは清八新道を下降しますから、ここでゆっくり食事しながらの休憩。


▲清八新道は僕がよく利用するルートのひとつ。14:23ころ。

小河内峠をスタートしてすぐ、南の方の空で雷が鳴りました。次第に大きな音で鳴るようになりました。ゴロゴロ、ガラガラ、バチバチ、鳴り続けています。
助かりました。清八新道にいるから安全と言うことはありませんが、さっきまでいた稜線にいるよりはずっと安全です。いろんな登山者と行き交いました。あまり山慣れていないような登山者もいました。いちばん心配したのは、僕たちよりもずっと高齢な夫婦(多分)です。小河内峠から惣岳山へ向かっていました。13時台の遅い時間にまだ惣岳山に着いていないのです。しかも、その歩みはとても遅い。S子よりももっと遅いんです。
雷の轟く中、稜線を数多くの登山者が歩いています。登山者めがけて雷が落ちないことを祈るだけです。


▲ほぼ尾根沿いに下ります。14:34ころ。


▲下るに連れて新緑がだんだんに濃くなっていきます。14:41ころ。


▲奥多摩湖南岸の遊歩道へ出て来ました。15:06ころ。

実はこの直前でS子が滑りました。お尻をつく程度の軽いものだったのですが、その弾みで足が攣ったのです。僕にも経験がありますが、滑りそうになった際に、ウッと足の筋肉に尋常ではない力を入れて踏ん張りますよね。その影響で足が攣ってしまうんです。僕にも経験があります。
しばし足を休め、立って足を動かすことができるようになると、とりあえず歩き始めます。筋肉がほぐれてくるといいのですが、なかなか思い通りにはいきません。この日も、なかなか痛みは引かなかったようです。でも、ゆっくりですが普通には歩けるように。


▲雷が鳴り始めてからずうっと小雨は降り続いていました。林の中を歩いていると、木の下では傘を差す必要のない程度でした。でも、この時間は少し本降りに近い。傘を差して歩きます。右に見える湖面にも雨の輪がたくさん拡がっていました。15:23ころ。


▲水窪沢を渡る橋が現われました。S子の前には清八新道から降りてきたもう1本の山道が見えています。15:34ころ。


▲ヤマブキに雨粒が転がっていますね。15:42ころ。


▲広々とした奥多摩湖畔の林道に出て来ました。15:53ころ。

雷はしばし休む時間帯もありましたが、だいたいずうっと轟き続けていました。
山での雷は恐怖そのもの、自らの命は運任せとなってしまいます。


▲小雨にけぶる奥多摩湖。15:56ころ。


▲小河内ダムの上を通って、バス停に急ぎます。16:07ころ。


▲小河内ダムの上から多摩川下流を眺めました。今日登ったサス沢右岸尾根(仮称)が見えています。稜線はうっすらとしか判別できませんが、白い矢印で示した尾根がそれです。16:10ころ。

バスの時間は16:22です。S子の足には攣った後遺症の痛みが残っていましたが、余裕で間に合いました。
『天益』へ行くと、お客さんでいっぱいです。朝のあの多さを見ていますから、予想していたこととは言え、残念! 他の店に入る気はしません。『みやき』だけ覗いてみましたが、やっぱり満員。諦めて電車に乗り、地元で打ち上げました。

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サス沢右岸尾根を登り、清八新道下降 1/2 ――― まずはカタクリの様子を見て来ました

2015年05月04日 | ハイキング/奥多摩

2015/4/25  2002年4月にサス沢右岸尾根(仮称)を初めて登っています。その時の印象が強烈で、再びこの時季に登ってみることにしました。
何故ならば、この尾根の上部で足の置場もないほどにカタクリの葉が密集して点在していたからです!

それにしてもこの日も電車の中の登山者の多いこと! 山が新緑の美しい時季であるのもその原因としてあるのでしょうけれど、僕が思うにもっと別の原因がありそうなのです。
それはJRがこの春変更したダイヤによるもの。僕は奥多摩駅発8:35のバスに乗るのですが、このバスに乗るためにちょうど良い電車がこの春からホリデー快速になったのです。ホリデー快速は新宿始発ですから利用者が増えるという訳。
この日も奥多摩湖方面行の臨時バスが2台も出ました。


▲板小屋バス停で下車。初めて降りるバス停です。ネットで調べていたら、写真の道があって、下に降りてむかし道へつながっていることが分かりました。そうするとこのバス停が一番近道なんです。奥多摩へ長年通っていても知らないことは無限にありますね。8:44ころ。


▲むかし道に出ます。8:49ころ。


▲クサノオウ。毒草ですが、薬草としても用いられていたようです。名前も毒草・薬草に由来しているようで、
1.黄色の液を出すので「草の黄」
2.皮膚疾患に効くので「瘡(くさ)の王」
3.内臓の病気にも有効なので、薬草の王様という意味を込めて「草の王」
などの説があるようです。
薬効があると言っても、毒性の方が強いそうですから、あくまでも毒草です。8:50ころ。

今歩いている道は「奥多摩むかし道」と言って、現在の車道ができる前はメインの生活道として利用されていた旧青梅街道。ウォーキングとしては実に心地よいルートで、春の新緑の頃は最高ですね。僕とS子はその一部だけを今歩いているわけですけれど、それでも途中には「馬の水飲み場」や「牛頭観音像」、「むし歯地蔵尊」、「川合玉堂先生の歌碑」などを見ながら散歩できるのです。


▲ジュウニヒトエですね。花が美しいのはもちろんですけれど、ネーミングが最高! 8:58ころ。


▲道所(どうどこ)橋を渡ります。9:01ころ。


▲橋を渡ってすぐの広場でしばし休憩し、朝食を食べました。電車も満員でしたから、何も食べていなかったのです。広場の、柿の木でしょうか、枝にコゲラがとまってジジジ・・・・と鳴きながら、コツコツと木をたたいていました。
所用もすまして、いざ出発! 最初からいきなりの急登です。9:36ころ。


▲途中、小さな送電鉄塔を通りました。地形図を見ると小河内ダムと海沢の発電所とをつなげている送電線のようです。鉄塔の下では2、3人でワラビ採りをしていましたが、さほど採れる場所ではないようでした。9:45ころ。


▲さらに急登が続きます。9:53ころ。


▲広葉樹が現われると、春の山は明るく艶やかに見えて来ます。10:11ころ。


▲足もとの土の上には白や薄いピンクの山桜の花びらがたくさん散りばめられています。見上げる空間には満開の山桜の木。でも、逆光だったり、白い空と重なったりで、写真では上手く撮れません。やっと、隣りの尾根の森を背景に撮ることができたのがこれ。10:15ころ。


▲木の間から小河内ダムが見えていました。10:19ころ。


▲すごく急な尾根です。振り返ると、林立する杉の幾何学模様が綺麗でした。10:22ころ。


▲杉の木の間から薄っすらと左からの尾根が見えています。その尾根に合流するよな感じで少しずつ左上しながら這い上がって行きました。10:57ころ。


▲真横から見ると、この尾根の急傾斜が分かるでしょう。11:01ころ。


▲スミレが咲いていました。名前は分かりません。植林とは言え、写真に写っている落ち葉を見ても分かるように、カラマツですから、春先の陽が当たるのですね。だからスミレも咲くのでしょう。11:11ころ。


▲左の尾根へ向かってトラバースしているところです。下の方は杉林ですが、このあたりはカラマツ林ですね。11:13ころ。


▲左の尾根へ出ました。ちょっとだけホッとする傾斜です。11:16ころ。


▲カラマツの新緑。11:17ころ。


▲図鑑やネットで調べても、これが何だか判明しませんでした。シャクナゲなどの仲間と似ているような気もするのですが。柔らかい薄茶色のは何なんでしょう? 11:22ころ。


▲852mの標高点を過ぎると、植生が少し変化したようです。ツガでしょうか? 針葉樹の巨木も現われます。11:26ころ。


▲馬酔木(あせび)が咲いていました。今年になって山で見た最初の馬酔木の花です。今年は裏年なんでしょうか? ここの馬酔木の木以外、花は咲いていませんでした。11:33ころ。


▲一般登山道が通っている隣りの尾根が見えています。ピークはサス沢山940.0mでしょうか? 11:44ころ。


▲むかしこの尾根を登った際に、足の踏み場もないほどにカタクリの葉がびっしりとあったことを記憶していたのです。でも、そんな光景に今日はまったく出くわしません。「記憶違いだったかな?」と少々自信を失いかけてきたころに、出ました! カタクリの葉です! まだ一葉なので花は付けていませんが、たくさん生えています。11:52ころ。


▲この葉は前の葉より小さいので2、3年目のものでしょうか? 11:52ころ。


▲花をつけているカタクリもありました。でも、標高が低いせいでしょうか、枯れてしまった花の方がたくさんありました。12:02ころ。

カタクリの花が7~8年たたないと咲かないことは知っていました。花が咲かない年は一枚葉で、二枚葉になると花が咲くこと、そんなことまでは知っていました。今回ネットで調べてみて、いろいろと知らないことばかりだったことが分かりました。
例えば、1年目の葉が棒状だということ。
カタクリは当然のことながら多年草ですけれど、その寿命は予想外に長いこと。平均寿命が40~50年だとも書かれています。本当でしょうか? 俄かには信じられない!
それにカタクリの生息域を広げる役割を担っているのがアリだということも。アリを引き付ける物質がカタクリの種から出ていて、アリが別の場所まで運ぶのだとか。

本当に不思議なことばっかり!

コメント
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