ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

黒島 ――― 黒島へ渡りましたが、天候がよくなくて

2018年04月26日 | 島旅

2017/3/29  民宿を後にして、硫黄島港へ向かいいました。


▲この家が硫黄島唯一のお店です。中央のガラス戸が開いていれば営業中。もちろん、昼間しか開いていません。このお店があったせいで、僕たちの硫黄島での食生活がとっても豊かになりました。12:59ころ。


▲ほぼ定刻通りフェリーみしまが入港して来ました。13:18ころ。


▲今日もジャンベでお迎えしてくれますが、春休みのせいでしょうか? 人数が少ないですね。13:21ころ。


▲島の男衆の手でフェリーに乗降用の通路が設置されます。13:23ころ。


▲おーらんぽクッキーは長命草(ぼたんぼうふう)の入った硫黄島で作られているクッキーです。13:35ころ。


▲定刻の出港です。今日は少し寂しい見送りでしたが、硫黄島は本当に楽しく過ごせる島でした。13:40ころ。


▲恋人岬への途中にある岬橋が見えます。13:43ころ。


▲恋人岬ですね。13:45ころ。


▲硫黄岳は硫黄島そのものですね。右後方には竹島も見えています。13:47ころ。


▲恋人岬は中央あたりで、手前に岬が伸びています。左は空港がある島の西部ですね。13:47ころ。


▲硫黄島の全体が見えるようになりました。右端が恋人岬でしょうか? 硫黄岳、手前に重なって稲村岳、左には矢筈山が見えてます。13:52ころ。


▲船内のラウンジで休憩するS子。14:11ころ。


▲低く垂れこめる雲の中から黒島が見えてきました。14:29ころ。


▲黒島の大里集落も見えるようになりました。14:40ころ。


▲大里港が見えてきました。14:43ころ。


▲入港です。14:47ころ。


▲最初の細いロープが岸壁に届きました。何か銃のようなもので発射して届かせたように思います。この細いロープを手繰り寄せて、太いロープをくくりつけます。14:49ころ。


▲お客さんが出て行った後の二等船室。14:54ころ。


大里健康広場にテントを張ってもいい許可を前もって電話をしていただいていましたから、港でその場所を確認して、登って来ました。大里港には僕たちが乗ってきた村営船の「みしま」の姿がまだ見えます。本来ならもう出港していて黒島反対側の片泊港へ向かっているはず。海が少し荒れていますから、片泊港へは行かないのでしょうか? 15:45ころ。


▲この健康広場には現在新しい体育館が建設中です。左の変わった建物は平等大慧会妙塔。私有地なので立ち入らないようにと、注意されました。写真中央に僕たちの黄色いテントが見えます。15:45ころ。


▲健康広場を歩き回って、テントが張れそうな場所を探しましたが、この広場の土地は水捌けが悪いようで、今日までの雨が芝の上に浮いていました。風当たりも強そうでしたから、結局、建物の横に張ることに。工事現場のすぐ横ですから、作業している方の許可もいただきました。
左の建物はもともとあったもので、三島村役場からはトイレと水道を利用する許可をいただいている建物です。16:29ころ。


▲夕食の素材は玉ねぎとニンジン、ジャガイモと魚肉ソーセージ。熊本で揃えていたオリーブオイル、しょうゆ、マヨネーズ、塩を使います。19:13ころ。


▲S子も手伝ってくれます。19:25ころ。


ソーセージ野菜炒めの出来上がり。19:29ころ。


▲ソーセージ野菜炒めを食べ終わってから、高野豆腐を作りました。軽くて、美味しい、山料理の定番のひとつ。20:15ころ。

何時くらいからだったかは忘れましたが、それまでも時々小雨で降っていたのが、もう少し強く降り続くようになりました。
今回使っている4人用テントは30年以上使い続けている骨董品です。竹島でも雨の中、天井から雨粒がしみ出してきて、その対応に苦慮しました。ですから、天井からの雨粒への対応は、さほど強い雨ではありませんでしたから、何とかなります。

ところが、ふと気づきました。床に水が溜まっています。すぐに外を確認すると、テントを張った敷地が水溜りになっているじゃないですか!
決断は早かったですね。迷いはありませんでした。ここ健康広場は水捌けが悪い土地です。朝まで水溜りの中でテントを張り続けることは無理でしょう。
撤収です!


▲テントの横にあった立派な建物は鍵が掛かっていませんでしたから、僕たちは急遽そこへ避難。ここは水回りの設備等が充実していますから、ここが「三島村特産品加工センター」なのでしょうか? この隣りの建物も確か特産品のシフォンケーキなどを作っている場所のようですし。22:26ころ。

2017/3/30 夜中じゅう、雨は降り続いていました。でも、部屋の中ですから快適に眠れました。
テントの中にいる時からいろいろと考えてはいたのですが、天気予報ではまだ2、3日雨の日が続くようです。今日からの黒島での計画を一体どうしたものでしょうか?


▲結論は乗船。朝に出港する「フェリーみしま」に乗って帰ることにしたのです。7:02ころ。


▲健康広場はこんな様子。さほど大雨でなかったにもかかわらず、これだけの水溜りがあります。水が溜まっていない草地も踏めば水がたっぷりとしみ出してきます。緊急避難的に建物の中に移動しましたけれど、いつまでも建物の中に居続けられません。かといって、水浸しの場所でテントを張り続けることも無理。雨では山に登ることも出来ません。
今日のフェリーで戻ることは致し方のない判断だと思います。7:10ころ。


▲途中の宮向川。水が流れています! 竹島でも、硫黄島でも、水が流れている川は見ませんでした。この島は樹々の森に覆われた山がありますから、川に水が流れているんですね。沢登りも出来るのかな~ぁ? 7:14ころ。


▲港の待合室です。鹿児島までの乗船券を購入します。7:33ころ。


▲フェリーは通常なら8:30に入港するのですが、昨晩は天候やら波の状況やらの影響でしょうか、黒島の反対側にある片泊港へは行かず、この港に停泊していました。7:37ころ。


▲大里港待合所です。7:40ころ。


▲島の人でしょうか? 7:41ころ。


▲フェリーには少し早めに乗船できました。港では島を離れる人の見送りセレモニーが簡素に執り行われていました。一人は島の学校の先生のようでした。あと、男子生徒と女子生徒が見送られていました。おそらく、鹿児島本土の高校に入学するのだと思います。これは小さな島に生まれた子供たちの宿命です。寂しいことかもしれませんが、考えようによっては子供の自立にとってとても有意義なことだと思います。8:27ころ。


▲島の人にとって、紙テープの端と端には特別な感情が往きかっているのでしょうね? 白い横断幕には『あしたよなあ ありがとう お元気で』と。
「あしたよなあ」の意味を調べましたが、ここ三島村の島とかで使われている言葉らしいことは分かりましたが、詳しく意味までは分かりませんでした。8:41ころ。


▲島の中学校を卒業した(に違いない)二人は船の甲板からいつまでも島を眺め続けていました。8:51ころ。


鹿児島港に入港するころには薄日が差す天気になっていました。14:02ころ。

港からは天文館まで歩き、高速バスに乗って熊本に帰りました。

今回の三島村(竹島、硫黄島、黒島)への島旅はとっても楽しめました。
竹島は本当に竹ばかりの何にもない島でしたけれど、島旅の基本を味あわせてくれた島でした。島は観光地であるとは限りません。何もない、そのこと自体を楽しめるか否かが自分自身に対して問われます。
その反対に、硫黄島はいろんなものがある島でした。自然も多様で、歴史もあり、温泉も素晴らしいのがあって、風景が素晴らしい! もっともっと注目されていい島だと思います。でも、あまり観光客が増えてほしくない、そう思うのも僕の正直な気分ですね。
黒島は残念なことに悪天候のせいで、すぐに離れてしまいましたけれど、再び訪れる理由を残してくれましたから、有難いと思います。天場が雨に弱いですから、対策を考えなければなりませんね。黒島の山にはいつか必ず登ってみたい。

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硫黄島4~5日目 ――― 硫黄島最後の夜は民宿で過ごしました

2018年01月16日 | 島旅

2017/3/28  硫黄島での僕たちが泊まる民宿は「マリンハウス 孔雀の里」です。
今晩の宿泊客は僕たちだけのようです。夕食までの間、お風呂をいただき、洗濯機で洗濯をしたりしました。のんびりと過ごします。


▲美味しい手作り料理でした。18:53ころ。


▲島の山菜、ツワブキの入っている料理。18:56ころ。


▲葉っぱの天ぷらは同じく島の山菜であるボタンボウフウだったと思います。さっぱりと美味しい味。18:57ころ。


▲トカラ列島でもこの「伊佐錦 黒」が多く出回っていました。遠慮なく何杯も飲みました。
でも翌日、支払いの際にはこの焼酎の料金が入っていませんでした。「焼酎呑みましたよ」と言うと、女将さんは「お酒なんかいいのよ。お酒でお金なんていただけないわ」と。
一般的には、お酒で儲けを出すのが普通なんでしょうけれど・・・・。こんな驚きが島旅の良さでしょうか? 19:10ころ。

2017/3/29  部屋で、布団で、ぬくぬくと過ごし、朝も遅くまで寝ていました。
朝食もたっぷりといただき、こんな日が続いたら、太ってしまいそうです。まだ出航までは時間がありますから、集落を散歩することにしました。


ガジュマルの木がありました。10:01ころ。


▲どこまでが幹で、どこからが気根なんでしょうか? 幹も一本しかないんでしょうか? それとも複数の幹が束になっているのでしょうか? 不思議な木です。10:01ころ。


ツワブキの花が咲いていました。10:03ころ。


▲集落の西の端を歩いていると、舗装道路だったのがこんな道に変わってきました。10:15ころ。


▲途中、高さ10数メートルありそうな岩峰があります。整備すればクライミング出来そうです。10:16ころ。


▲道がちょっと藪っぽくなってきました。でも、しっかりとしていて、ガードレールまで付いていますね。10:21ころ。


▲ジグザグに登って行く道になりました。10:25ころ。


▲小広くて、舗装もされているしっかりした道になりました。10:30ころ。


▲恋人岬に行ったときの道路に出ました。赤い自動車が見えますが、そこに登り着いたのです。10:33ころ。


▲手前から来たのですが、向こうへ行くと恋人岬、右へ行くと飛行場や大浦港へ行くのです。フェリーの時間のこともありますし、近くて僕もまだ行っていない飛行場へ行くことにしました。10:34ころ。


▲NTT硫黄島無線中継所の塔です。10:37ころ。


▲左から矢筈山、硫黄岳、稲村岳。10:37ころ。


▲牧場の施設のようです。10:42ころ。


薩摩硫黄島飛行場です。鹿児島空港からチャーター便が飛んで来るようですね。10:45ころ。


▲トカラ列島でも目にしたマルバサツキだと思います。10:47ころ。


▲オオジシバリに似ています。10:48ころ。


▲キク科の花なんでしょうが、よく分かりません。10:54ころ。


▲さっきの道まで戻って来ました。作業中だった親子に聞いてみたのですが、僕たちが登ってきた道路は津波などが襲来した際の避難ルートなんだそうです。昔の道をこんな形で今も残して活かしているのですね。10:57ころ。


▲集落がよく見える場所ですね。でも、ほとんどの家は森に隠れて見えません。恋人岬に続く鬼界カルデラのカルデラ壁が見えますね。11:02ころ。


▲スミレは難しくて、名前はよく分かりません。11:10ころ。


▲島の墓地でクジャクと出会いました。硫黄島の初日に白いクジャクを見ましたが、ついに写真に収めることは出来ませんでした。11:18ころ。


▲S子はまだ見ていませんでしたから、安徳天皇御陵に立ち寄りました。11:20ころ。


▲昨夜の宿『マリンハウス 孔雀の里』。11:48ころ。


▲民宿の洗面所の様子。中央の洗濯機を僕たちも使いました。11:49ころ。


▲これも昨日入ったお風呂場です。11:50ころ。


▲泊まった部屋です。フェリーの出航時刻まで1時間半ほどですから、そろそろ出なければなりません。11:51ころ。

竹島には申し訳ない気持ちになりますが、硫黄島の方が圧倒的に訪れて面白い島でした。温泉もありますし、山もあり、予期していなかった歴史もあります。施設も充実していて、快適でした。
小さいながらお店もありますあら、とても助かりますね。三島村のどれかひとつだけの島を訪れるなら、硫黄島がお勧めですね。

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硫黄島4日目 ――― 硫黄岳に大接近して来ました(下山後は・・・・)

2017年12月18日 | 島旅

2017/3/28  硫黄島で必ず訪ねてみたかったのは東温泉と硫黄岳です。今日、硫黄岳に登ることが出来ました。山頂までは登ることは出来ませんでしたけれど、噴煙を間近で眺めることが出来て感動しました。


▲硫黄岳からの帰り道、舗装道路上にジョウビタキがいました。何やらつついています。食べるものでもあったのでしょうか。12:03ころ。


冒険ランドいおうじまにも寄りました。往きとは反対側の西側の入り口からです。小さなツリーハウス(でも、樹に架かっているわけではありません。キャンプ場のロッジみたいなウッディハウスです)にそれぞれ付いている外のテーブルで昼食をとりました。12:39ころ。


▲幾つかある炊事棟の中はこんな感じです。12:40ころ。


▲シャワー棟は閉まっていましたから中は分かりません。12:45ころ。


▲トイレは使えました。12:46ころ。


▲これはテントでしょう。フレームだけはそのままなんですね。12:48ころ。


▲冒険ランドいおうじまともこれでさよならですね。また来たいと思いました。12:50ころ。


▲「硫黄大権現宮」と書かれています。13:07ころ。


▲お宮の松の木にクジャクが止まっていました。13:08ころ。


▲これが神社本殿なのですが、その横の説明看板にはこの硫黄大権現宮が熊野神社と呼ばれている由来が記されていました。13:10ころ。

以下、その説明の詳略を。
1177年の鹿ヶ谷事件で硫黄島に流された成経、康頼、俊寛のうち、成経と康頼ふたりは帰洛を一心に祈り、紀州熊野三所権現をここに勧請して祭った。後に安徳天皇が居住されてからは三種の神器が祭られるようになる。島津氏の崇敬も受け、修理の費用も島津家が持っていたと言う。


▲港のそばに着くと、ちょうどフェリーが到着したところでした。13:22ころ。


▲テントに戻って来ました。13:32ころ。


▲さあ、これからテントの撤収! 拾ってきた板やジャンベスクールの裏から借りてきたブロックなどをもとあった場所に返しておかなければなりません。14:31ころ。


▲テントのそばにジョウビタキが来ました。15:03ころ。


▲ジョウビタキが近くにいる中、テントの撤収終了! 15:17ころ。


▲すぐ目の前の枝にジョウビタキが止まりました。15:18ころ。


▲天場から今晩泊まる民宿へ移動です。15:22ころ。

明日には黒島へ移動しますから、実質、今日が硫黄島最後の日です。行きたかったところへ行け、期待以上のものに出会った硫黄島の旅でした。

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硫黄島4日目 ――― 硫黄岳に大接近して来ました

2017年12月15日 | 島旅

sati2017/3/28  今日もいい天気が続いています。S子の足腰の状態も戻ってきたようです。
今日は硫黄島でのハイライトのひとつ、硫黄岳登山。噴気を常に噴出させている活火山ですから、どこまで登れるのでしょうね? 

 
▲みしまジャンベスクールには病院で見るようなこんなトイレもあります。車椅子の人でも楽に使えるトイレです。テント暮らしでこんなに綺麗なトイレを使えるなんて、実に快適でした。6:43ころ。


▲右のなだらかな稲村岳の西の麓にみしまジャンベスクールはあります。ちなみに左の山は矢筈山。6:48ころ。

こんな小さくて人も少ない島に何故こんなに立派なジャンベの学校があるのか? これまで不思議に感じておられた方も多いことでしょう。

少し長くなりますが、三島村のHPからの引用を読んでください。
1994年夏、三島村は遠く西アフリカからやってきた伝統打楽器「ジャンベ」のリズムに包まれました。
「日本の小さな村の子どもたちと交流したい」との思いだけではるばるやって来たのは、ギニア共和国の国立舞踊団でトップ奏者として活躍していたジャンベフォラ(ジャンベの神様)のママディ・ケイタとそのグループ″セワ・カン″のメンバーでした。初めて触れる異国の太鼓に19人のみしまっ子たちは戸惑い、しかし陽気なリズムと、ママディたちの「うまく叩く必要はないんだよ。楽しんで叩くことができれば、聞いているみんなも幸せになれるんだよ」という言葉に励まされ、演奏する喜びを感じるようになっていきました。練習を積んだ19人の子どもたちは、その夏、ママディと共に広島、岡山、奄美大島と演奏旅行に出かけ、拍手喝采を浴びました。
こうして三島村とジャンベ、ママディ・ケイタは出会い、以来毎夏、三島村にはママディと子どもたちの楽しい歌声とジャンベのリズムが響いています。これが縁で、みしまっ子たちはギニア共和国を訪問し、ヨーロッパ公演を行うなど、活躍の場を世界に広げています。さらに2004年には、ママディプロデュースの「みしまジャンベスクール」が開校し、アジア初のジャンベ講師も誕生しました。2005年に開催された「愛・地球博」の「ギニア・ナショナルデー」では、ギニア共和国から訪れた奏者らとみしまっ子のセッションも行われ、会場を沸かせました。
今や三島村は、ギニア共和国の伝統芸能を真摯に継承する国内唯一の村として、ギニア共和国との友好的な関係を築き上げています。

もうひとつ、以下のHPも参考にしてください。
https://www.ttmjp.net/


▲朝食はちゃんぽん。S子は小食ですから、1個を二人で分けて食べます。具も豊富です。7:54ころ。


▲戸締りもきちんと済ませて、出発! 9:05ころ。


▲稲村岳西麓を進みます。目の前の矢筈山も縦走できれば楽しそうなんですがね。山道情報はありません。9:18ころ。


▲400mほど先に稲村岳への登山口があるようです。初耳です。その後、気をつけながら歩きましたが、分かりませんでした。帰宅後、ネットで調べると、やっぱりあるようですね。いつか登りたいです。9:20ころ。


▲S子がのぞき込んでいる石の祠は何でしょうか? 回りには何の説明看板などありません。でも、歩いて少し手前に「徳躰神社」との説明看板がありました。後になって調べてみると、どうやらこれが徳躰神社のようですね。すぐ横に説明は置いてもらいたいですよね。9:26ころ。

その看板の説明をここに記します。
「徳躰(とくたい)神社
祭神は軽野大臣(かるのおとど)と伝えられている。軽野大臣は、初期の遣唐使として中国に渡ったが唐の皇帝の怒りにふれて毒薬を飲まされ、言葉の言えない灯台鬼にされてしまった。
後年、その子春衡も遣唐使として中国に渡ったが、祝宴のとき、頭に燭台をのせて立っている灯台鬼が、春衡に歩み寄り、目に一杯涙をためながら、こっそり我が指を噛んで傷つけ、その血で、床に、
「燈し火の影恥かしき身なれども 子を思う やみの悲しかりけり」
と書いた。この歌を読んだ春衡は、ハッと驚き、これこそ帰らぬ父の姿よと思い、唐亭に無理にお願いをしてその灯台鬼となっている父を貰い、日本めざして帰国の途についた。
途中船は嵐にあい、硫黄島坂元に漂着した。村里に出て弱った父の看護をしたいと思い、ここまで連れてきたが、衰弱のあまり大臣は息絶えたのでここに葬り、その霊を徳躰神社として祭り、石祠を建てた。  三島村教育委員会」

硫黄島は今でこそ普通の人からすると、ただの離島に過ぎません。でも、かつては中国との交通の要衝に浮かぶ大切なよく知られた島だったのでしょうね。


▲冒険ランドいおうじまの上の方に出ました。9:33ころ。


▲やっぱり稲村岳へ登る山道があるんでしょうか? でも、見つかりませんでした。9:36ころ。


▲稲村岳遊歩道はしっかりしたいい道です。9:38ころ。


▲ここは「岳之神(たけんかん)」と呼ばれている場所。蔵王権現が祀られているようです。さらにはこの神社が稲村岳登山口だったようです。この鳥居の先に稲村岳への登山道があったのかもしれませんね。探してみればよかったなぁ。9:45ころ。


▲寄進されたもののようです。9:48ころ。


▲これはなんでしょうかね? 9:50ころ。


▲硫黄岳へ登る道に入りました。前方の山腹には細い噴煙がたくさん上がっているのが見えます。10:03ころ。


▲気象庁福岡管区気象台の火山観測施設が設置されていました。10:04ころ。


▲たぶんシェルターでしょうね。10:07ころ。


▲舗装道路ですけれど、車は進入禁止となっています。10:10ころ。


▲沢筋は溶岩などの流路になってるのでしょう。山側の岩(溶岩?)の圧迫感はかなりのものです。10:18ころ。


▲稲村岳との間に流れ落ちていくようですね。この稲村岳も3900~3200年前には火山活動をしていたそうです。専門的なことは分かりませんが、玄武岩質のスコリア、溶岩流からなる成層火山なのだそうです。10:21ころ。


▲さらにその先では、海中で温泉が湧いているようです。10:27ころ。


▲舗装された道を南東面をぐるりと回り込むと、大きな爆裂火口(?)が目の前に出現! 鬼界カルデラ形成後に噴出した流紋岩質の円錐火山。現在もなお活発に活動中。気象庁の火山活動度はレベル2です。10:36ころ。


▲西方向を眺めると、矢筈山が見えます。矢筈山の手前の急斜面こそが鬼界カルデラの北縁の外輪山です。それは南は恋人岬へ連なっています。北から東へは再び竹島でその姿を現しているのです。10:44ころ。


▲どこまで近づけるのでしょうか? 10:48ころ。


▲実際に近くで見ると、迫力満点。本当の火口はこの向こう側にあるようですから、これは何と呼べばいいのでしょうね。10:51ころ。


▲あそこはどうなってるんだろう? とか想像しながら覗き込みました。10:55ころ。


▲ここが展望台です。この先も行こうと思えば行けそうなんですけれど、レベル2ということは火口周辺規制ということですから、自主規制。10:56ころ。


▲雄大です! 10:59ころ。


▲温泉が海にたくさん流れ出てますね。手前(左)の方向に東温泉があるはずです。11:05ころ。


▲手前が見えるようになりました。温泉の色が違ってきましたね。東温泉の色ですね。11:06ころ。


▲海がこんなに色が変わるほど温泉が湧き出している場所を、僕はこの硫黄島しか知りません。すごい! としか言えません。11:07ころ。


▲同じ道を引き返します。矢筈山が前方に。11:27ころ。


▲先ほどの橋の上方にあの火口が。11:34ころ。


▲帰路、あの建造物に寄ってみました。「薩摩硫黄島噴石・遮熱シェルター」とあります。平成28年度地方創生加速化交付金事業で今年3月に完成したようですね。11:47ころ。


▲シェルターですから当然入ることも出来ます。中には懐中電灯やランタンなどがありました。11:49ころ。


▲ランタンも見えています。火山が爆発すれば、火山弾、火山灰のほか、有毒ガスや高熱の大気も押し寄せてくることでしょう。それらから守る仕組みになっているのでしょう。11:52ころ。

硫黄島が火山の島だということがよく分かりました。トカラ列島の中之島や諏訪之瀬島の火山もなかなかでしたが、中之島は活動レベルが低く、下降を周遊できますし、諏訪之瀬島は硫黄岳と同じレベル2ですけれど、直接火口や噴煙等を見るのが難しいので、実感することが困難です。

火山の島を実感できる数少ないひとつだと思いました。

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硫黄島3日目 ――― 恋人岬なのにS子はいませんでした

2017年09月21日 | 島旅

2017/3/27  今日は硫黄島の3日目。島旅初日からは6日も経ちました。
自覚は出来ないような疲労が知らず知らずに蓄積されているようです。

と言うわけで、S子は今日は休息日。腰や膝に疲れが溜まって、少し痛みもあるようです。

 
▲昨日、お店のおばさんに教わったツワブキとボタンボウフウの下処理をしています。ツワブキは若い茎を摘んで皮を剥いてさっと茹でます。ボタンボウフウも同様。9:07ころ。


▲ちょっと遅い朝ご飯はアルファ米の松茸御飯を雑炊っぽくして食べました。あく抜きしたツワブキとボタンボウフウをきざんで加えます。ボタンボウフウは長命草とも呼ばれている山菜だそうですね。癖もなく美味しいです。9:51ころ。


▲午前中をのんびりゴロゴロと過ごしてから、僕ひとりで島歩きに出かけました。僕たちの黄色いテントが見えています。13:12ころ。


▲昨日は4kmや4.1km先の坂本温泉と平家城展望台に行きました。今日は3km先の恋人岬展望台へ行きます。13:17ころ。


▲三島小・中学校。けっこう広いグランドです。13:24ころ。


▲平家滅亡の地、壇ノ浦で時子に抱かれて入水した、当時8歳の安徳天皇。でも実は、この子供は替え玉で安徳天皇ご自身は別の地で生き延びたという説があります。そんな説の中でも有力なのがここ硫黄島。この島は壇ノ浦の8年前には無念の思いを抱いたまま亡くなった俊寛も暮らした島。京の人々からも少しは知られた島だったのでしょう。
安徳天皇はこの島で結婚し、子ももうけ、66歳の天寿を全うしたのだそうです。周りには従臣たちのお墓も祭ってあります。13:27ころ。


▲少し離れた場所に櫛笥(くしげの)局のお墓があります。櫛笥局は平資盛の娘と言われ、安徳天皇との間に子ももうけたそうです。島には子孫と言われる人もおり、ご子孫は昭和期には「天皇さん」と呼ばれていたそうです。13:30ころ。


▲こちらは島の庶民の墓所。本土のお墓とさほど変わりませんね。13:33ころ。


▲僕は高校生のころ、鹿児島県大隅半島のとある小さな村でお葬式に参列したことがありました。当時その村ではまだ土葬が行われており、前もって掘られてあった穴に棺桶ごと埋めて、埋めた上に家のような、社のようなものを置いたことを覚えています。写真のこんな家です。
そんなことを思い出しながら、「この島では土葬をしているのでは?」と思ったりしています。13:34ころ。


▲ツバキの畑の苔が綺麗ですね。13:39ころ。


▲学校と安徳天皇御陵の先のY字路で左へ行きます。道路は左にカーブし、登り坂になっています。その登り坂の法面はコンクリで固めてありました。港あたりから白く輝く壁がとっても目立っていましたから、何だろうと思っていました。13:47ころ。


▲標高70~80mくらいからの眺望です。いかにも南の島らしく、町並みも樹々に埋め尽くされているようです。これから行こうとしている、恋人岬が港の先に見えています。13:49ころ。


▲右に分かれる道がありました。右に行けば、薩摩硫黄島飛行場です。見えている塔は何の塔でしょうか? 13:55ころ。


▲竹島で出会ったヤツガシラに硫黄島でも会いました。この時期、鹿児島や沖縄の島々を伝って、南へ渡っていくようです。13:59ころ。


▲NTTドコモの硫黄島基地局。トカラ列島でもそうでしたが、携帯電話はNTTしか使えません。14:07ころ。


▲観光地にありがちですね。14:09ころ。


▲下からいつも見えていた橋がこれ。岬橋と呼ぶそうですね。14:11ころ。


▲橋から港や集落を俯瞰しました。硫黄岳や稲村岳も手に取るように見えます。でも、いちばん目立つのは港の海の色ですよね。坂本温泉でも海に白濁した温泉水が流れ込んでいましたけれど、ここも同様です。この港のある長浜の海底から鉄分を多く含んだ温泉が湧いているのです。異様ではありますが、美しくもある光景ですね。14:12ころ。


▲みしまジャンベスクールの建物が見えます。そのすぐ左に黄色い点が見えていますけれど、僕たちのテントです。14:13ころ。


▲硫黄岳と稲村岳の南海岸ではあちらこちらで茶褐色や白濁色の温泉水が湧いているのですね。14:14ころ。


▲岬橋から少し進んだ場所から、硫黄岳、稲村岳、矢筈山を撮影しました。山の向こう側の見えない部分も含めると、この景色で硫黄島の9割近くの面積になります。14:17ころ。


ボタンボウフウはあちこちに生えていました。少し緑の薄い若い葉の部分を摘んで食べます。14:22ころ。


恋人岬に到着しました。広場になっています。空気が澄んだ日には屋久島、口永良部島、種子島も望めるそうです。14:27ころ。


▲「しあわせのかね」があります。恋人って本当にこんなものが好きなんですかねぇ? 14:28ころ。


▲硫黄島のほぼすべての住民はこの写真に見える集落に住んでいます。14:32ころ。


▲恋人岬から戻る途中、振り返って見ました。垂直の崖が続いています。この崖は鬼界カルデラの縁になる崖。鬼界カルデラというのは竹島と硫黄島の南海底にあるのですが、過去1万年間で地球上最大規模の噴火を起こした火山なのだそうです。日本では最も新しい超巨大噴火の痕跡なので、多くの研究者が調査をしているそうです。14:48ころ。


▲日差しが強くなって、海の色が鮮やかに見えるようになったので、撮影してみました。実際に見ると、もっと色合いの違いが凄いですよ。14:49ころ。


▲三島村総合体育館と三島開発総合センターが見えますね。左の体育館とさらに左の崖との間に以前はキャンプ場がありました。まあ、確かに落石の危険性はゼロだとは言い切れない場所ですね。
手前の浜が長浜浦。温泉が湧き出しているようです。14:51ころ。


▲紫の濃いスミレ。葉も長いので、正真正銘のただの「スミレ」かなぁとも思うのですが、まるで自信が持てません。葉の形が同じ長い葉でも違うような。14:55ころ。


▲帰り道でも会いました。さっきのヤツガシラなんでしょうね。15:09ころ。


▲坂道を下って、集落のそばに来ました。ツバキ畑の苔が綺麗です。15:22ころ。


▲硫黄島小学校・中学校のモットーは「あかるく、かしこく、たくましく」。15:32ころ。


▲硫黄島駐在所。僕がお巡りさんならこんな島に赴任したいものです。15:35ころ。


▲硫黄島郵便局。島唯一の金融機関でもあります。今回、郵貯の通帳を持って来ています。念のために印鑑も。(でも、結局使わずに済みました。買い物もほとんどしませんでしたし、民宿も予定以上泊まることはなかったですから) 15:36ころ。


▲港の壁には子供たちによるものでしょうか? 島の絵が描いてあります。クジャク、海ガメ、ツバキ、東温泉、ジャンベ、・・・・ 15:39ころ。

テントへ戻り、退屈して待っていたS子と合流。しばらくして、お店へ買い物しに出かけました。


▲冷凍の豚バラスライスを買ってきました。レンジで解凍できませんから、こんな感じで。17:27ころ。


▲芋焼酎「さつま島美人」の瓶を購入。左の紙パックに移し替え、瓶はお店に引き取っていただきました。17:27ころ。


▲トマトもありますね。緑の葉はボタンボウフウ。右下はジャガイモ、ニンジン、玉ネギ。18:18ころ。


▲こんな煮物っぽい料理になりました。美味しかったですよ。18:39ころ。

今日はS子の出番がないですね。腰とか膝とかは昼間休んでましたから、大丈夫になったようです。島旅は島の舗装道路を一日中歩くことがほとんどですから、膝や腰への負担は山登り以上なのです。まだ三島村の竹島にしろ、硫黄島にしろ本土と同様の舗装ですから、まだ弾力があって足腰には優しいのですが、トカラ列島ではセメントで固めただけのようなカチコチの道路でしたから、負担はかなりでしたね。

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