ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

谷川連峰縦走初日は謙信ゆかりの道

2013年09月29日 | ハイキング/谷川連峰

2013/9/20  もともと21~23日でどこかへ縦走でもと考えていました。でも、22日に所用が入り、20~21日の二日間に短縮、谷川連峰を歩くことにします。谷川連峰の主だったルートは歩いたことがありますから、今回はまだ歩いたことのない“謙信ゆかりの道”。
自宅を4:30ころには出て、八高線で高崎へ、さらに水上、越後湯沢まで鈍行旅です。10:05の南越後観光バスで大源太キャニオン行きに乗り、終点手前の旭原で下車します。確か昔、大源太川の北沢本谷を遡行した際にはタクシーで林道へ入った記憶がありますから、バスは初めてです。

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▲林道はススキの穂が光り、すでに秋です。大源太山のピラミダルな山容が見事です。10:55ころ。

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▲昭文社の地図には丸木橋とありましたが、この日は影も形もありませんでした。仕方なく、靴を脱いで渡渉します。水は9月というのに超・冷たい! 12:00ころ。

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▲まっすぐ沢沿いの道を進むと大源太山です。今日の僕たちは右へ“謙信ゆかりの道”へと進みます。この“謙信ゆかりの道”は昔から使われていた道のようで、越後と関東をつなぐ蓬峠越えの山道です。謙信の名前が付くのは、謙信が関東攻めをした際に物資や兵が通った道でもあるせいで付いた名前でしょう。
21世紀になってから地元の人が新しく整備した登山道のようです。家に残っていた昔の昭文社の地図、1994年発行の地図にはこの登山道は載っていません。2002年発行の地図には載っていますから、この間に整備されたことは確かでしょう。12:13ころ。

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▲途中で水場がありました。冷たくて美味しい水です。12:43ころ。

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▲この山道自体は傾斜も緩くて登り易い道です。尾根は急峻なのですが、ジグザグに幅広く付けられています。13:26ころ。

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▲山ではよく見る花ですね。たくさん咲いていました。家に帰って名前を調べました。多分「サラシナショウマ」だと思います。13:29ころ。

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▲まだらに紅葉している草の葉がありました。何の葉だかは分かりません。13:34ころ。

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▲ダイモンジソウです。山の中でこんな大きなダイモンジソウの花の房に出会うとは思いもよりませんでした。13:37ころ。

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▲もうすぐ山頂です。14:57ころ。

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▲シシゴヤノ頭山頂です。同行のS子。14:59ころ。
名前の由来をS子と一緒に考えてみましたが、おそらくシシゴヤ沢という、この山頂に突き上げている沢があるので、その沢名から山の名は出来たのだと思います。「シシゴヤ沢が突き上げている山」という意味。その「シシゴヤ」はこれまたおそらく、「しし小屋」でしょう。鹿にしろ猪にしろ肉のことを「シシ」と言うそうですが、狩猟用の小屋が「シシゴヤ沢」の出合付近に建っていたのでしょうね。

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▲中央の顕著な岩っぽい山が大源太山1598m。それと重なるようにすぐ左に遠く見える山は柄沢山1900.3m。柄沢山の左に続いているなだらかで大きな山体が巻機山です。15:01ころ。

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▲紅葉はまだでしたが、ナナカマドの実は赤く色づいていました。15:20ころ。

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▲山頂で小休止し、歩き始めました。すると、つい最近刈払われた様子の登山道が続きます。15:24ころ。

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▲少し進むと、刈払い作業中の人がいました。「ご苦労様です」と言葉をかけて追い抜きました。15:28ころ。
雪が積もる前に刈払うんですね。蓬峠に着いて、小屋の人に聞いたのですが、このおじさんは主稜線の登山道に合流する地点までが受け持ちなのだそうです。

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▲刈払いが済んでない登山道はこんな感じです。15:33ころ。

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▲中央のやや低いところが蓬峠、今晩の泊まり場です。15:35ころ。

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▲大源太山も少し見る角度が違ってくると、雰囲気もだいぶん異なって来ます。15:46ころ。

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▲フジアザミが咲いていました。大きな花で、茎も太く、ぶつかるとこちらが押し返されるように感じるほどです。15:55ころ。

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▲中央のピークがシシゴヤノ頭。ところで、写真の中にS子が写っているのですが、見つかりましたか? 16:17ころ。

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▲主稜線へ飛び出しました。ここからの登山道は刈払い済みです。16:33ころ。

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▲写真中央の引っ込んだあたりに蓬峠があります。その先は明日歩く稜線。16:35ころ。

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▲イワイチョウだと思いますが、ネットで見る写真よりも花びらが丸いようですね。16:39ころ。
2013/10/11に訂正します。ウメバチソウが正しいかと。

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▲蓬峠です。16:42ころ。

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▲天場に到着しました。後ろに小屋も見えています。小屋にも数人の登山客がいましたが、天場には単独行者が二人だけテントを張っていました。16:48ころ。

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▲まずは今夜と明朝の水を確保しに行きます。途中、小屋に寄ってテント代のことを聞いたのですが、なんと! 無料! 理由を聞くと、幕営地の所有者が蓬ヒュッテではないのだそうです。町と相談した結果、無料にしたんだとか。いくら土地所有者ではなくとも、維持管理費くらい徴収してもいいのでは? (無料だと、とたんに強気の発言ですね)
さて、水場ですが、写真で見えている沢の場所なんでしょう。そう思って行ったのですが、沢状地形の直前で水が湧き出ていました。17:16ころ。

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▲とてもいい水場です。冷たくて美味しい水。全部で4.2リットルほど汲みました。多めに汲んだつもりでしたが、結局ちょうどでした。17:22ころ。
あまり水のいらない料理でしたが、そうでなければ、ひとりあたり2.5~3リットルは必要ですね。いつも、沢のそばや雪の中での幕営が多いので、あまり気にしていませんでした。

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▲水場から戻って来ました。テントを張ってから水場へ出かけたのですが、ザック等持ち物の整理はS子がやってくれました。17:36ころ。

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▲夕陽が沈みます。いつも谷底にテントを張ることが多いので、新鮮な感動がありますね。上が17:39ころ、下が17:40ころ。

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▲山行の初日はけっこう疲れるものです。ですから、肉体は空腹よりも休息を強く求めるようです。食欲がさほど湧きません。今晩も結局は大豆の煮物と、高野豆腐だけ。19:42ころ。

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▲中秋の名月の翌晩です。三脚もありませんし、シャッターをバルブにも出来ません。朝日岳の山塊から山にかかる雲を突き抜けて上がって来ました。月光で仄かに輝く雲や空、山や笹原を想像して下さい。19:44ころ。

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奥多摩の家入沢は入渓方法に配慮が必要でした

2013年09月16日 | 沢登り/多摩川日原川水系

2013/9/14  8月の湯場ノ沢以来、一ヶ月以上振りのA野さんとの山行。三連休なんですが、明日、明後日の天候が台風のために良くないとあって、電車は満員。僕たちが乗る東日原行のバスも臨時バスが2台も出るほどでした。
家入(いやいり)沢は僕としては今日で3回目なのですが、印象はあまり良くありません。最初にS子と行った際に沢用のバイルを高巻き最中に落としてしまい、失くしてしまった恨みもあるのかもしれません(笑)。2度目の遡行も以前所属していた山岳会の仲間とだったのですが、印象は薄く、あまり記憶がありません。それにこんなこともあったのです。その時の仲間がその後会山行として計画・実施し、詰めの最後、登山道に飛び出す手前で、人の死体を発見したというのです。そんなこんなで、あまりいい沢だというイメージはなかったのですが、沢登りのガイドブックでは★5つが最高ランクで★★★ですから、まずまずいい沢だという評価なんですね。

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▲過去2回はこの柵を乗り越えて右下に流れる家入沢へ入りました。でも、どこかが変わっているようで、以前と比較して侵入し辛くなっているように感じます。9:31ころ。

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▲そこで、一段下の道路脇から階段を降り、沢に入りました。9:36ころ。

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▲ところが、ちょうどこの写真を撮影した時、下の二人が何やら叫んでいます。9:40ころ。
内容はすぐに分かりました。どうやらこの沢に入ったら駄目だと言われているようです。少しして、右の通路から男性二人が駆け付けて来て、「ここに入ってもらうと困るよ」と言われました。彼らの言うには、僕たちがここを歩くと下流の釣場の池に泥水が流れ込むのだそうです。最悪の場合は魚が死んでしまうとか。それでは仕方がありません。確かに、この辺りの流れの底には細かい泥が堆積していて、歩くとうわ~っと泥が舞い上がっていました。
きちんと謝り、じゃあどこへ転進しようかなどと考えていました。
でも、「もっと上流から入ってよ」と聞こえて来ます。「あそこに鳥居が見えるでしょ、あの日野明神社から山道があるから、それを辿って先から入って」と言っています。あ~あ、良かった!

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▲駐車場わきの日野明神社です。神社の左奥から山道が上へと続いています。9:44ころ。

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▲山道を忠実に登って行くと、この作業小屋に出くわします。このすぐ先で山道が分かれているのですが、右の道を選び、沢の方へ進みました。9:49ころ。

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▲山道を辿ると、この滝の下に出ます。先ほどの場所からは100mくらい上流になるのでしょうか? この滝は左側を高巻きました。9:58ころ。

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▲まずまずの渓相が続きます。10:26ころ。

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▲過去2回の遡行の際には感じたことがなかったのですが、家入沢は森と苔の緑が美しい沢だったのですね。おそらく別の季節に入ったのでしょう。10:29ころ。

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▲岩の上から蔓植物が垂れ下がっていました。名前を調べましたが、まったく分かりません。10:32ころ。

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▲いろいろな形状の小滝が出て来ます。10:41ころ。

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▲家入沢は石灰岩が多い沢。大きな岩がゴロゴロあります。写真の左の岩峰は20m以上ありました。10:46ころ。

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▲2条の滝です。10:52ころ。

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▲滝の直登に果敢にチャレンジします。10:54ころ。

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▲とちのきの実と殻です。沢の中にた~くさん落ちていました。10:57ころ。

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▲岩を積み上げて出来たような滝もありました。11:02ころ。

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▲沢の中央に大きな逆三角形の形をした岩がド~ンとあります。こんな造形は頭で考えて出来るものではありませんよね。11:05ころ。

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▲右に落ちる滝はこんな様子。直登は困難そうなので大岩の左を登ることにしました。11:07ころ。

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▲頭の上にのしかかっているのが、あの逆三角形の大岩です。11:10ころ。

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▲まあるいお饅頭みたいな岩にすだれ状の水が流れ落ちます。この滝は右から巻きました。11:14ころ。

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▲巨岩ゴロゴロの滝です。11:18ころ。

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▲送水パイプが出現しました。どこへ水を送っているのでしょうか? パイプから水が漏れ、噴出しています。11:28ころ。

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▲滝の高巻きです。生きている藤の蔓(多分)があったので助かりました。11:32ころ。

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▲先ほどの送水パイプの取水口です。11:38ころ。

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▲次第に流れる水の量が減って来ました。2度目の休憩を取った後なので、時間が進んでしまっています。12:09ころ。

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▲毎度、渓流のマスコット“ひきがえる”です。小心者のようで、足音に気付き岩の隙間に逃げ込んで行きました。でも、全然隠れきれていません。12:13ころ。

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▲これが最後の滝、8mなのでしょうか? 僕の記憶にある滝とは大分違います。12:28ころ。

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▲高さはありますが易しい滝です。12:32ころ。

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▲パッカリと割れた大岩がゴロンと横たわっています。すでに水流はなく、涸れ沢になっています。12:57ころ。

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▲沢もガレ場の様相を呈して来ました。写真のゴムパイプが出て来たのですが、パイプの中を水が流れる音がしています。パイプに沿って踏み跡があるようなので、気になってそちらへと向かってみました。13:03ころ。

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▲山道は実にしっかりと踏まれた道となり、こんな立派な小屋まで現れました。このパイプは石尾根北面中腹にある林道へつながっているに違いないと推測、興味が湧いたので、この山道を歩くことにしました。13:04ころ。
つまりは、先ほどのパイプの場所で遡行終了。詰めの急登の楽しみが奪われるのは残念ですが、この山道のことが興味津々です。

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▲トリカブトです。花の盛りが過ぎ、ちょっと枯れかけていました。13:09ころ。

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▲トリカブトの横に奇妙な実がなっていました。調べましたが、まったく分かりません。13:10ころ。

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▲ゴムパイプに沿って山道がしっかりと付けられています。13:12ころ。

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▲気持ちのいい広葉樹林がずう~っと続いていました。13:38ころ。

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▲予想した通り、石尾根北面の林道に出ました。この林道終点にはこんな檻のようなものがありました。13:42ころ。
左に都知事から発行された許可証が貼り出されています。ニホンジカ6頭をこの檻で捕獲するのだそうです。捕獲したら、体重等を計測し、機器を装着して後、再び放つのだとか。

この山道の存在は知っておいて損のないものだと思います。家入沢からはゆっくりと歩いて40分で林道に出たのですから。
この林道を進むと、石尾根からの登山道(林道部分ですが)と合流しました。後はいつも通りの登山道です。
途中、雨が強く降ったりもしましたが、氷川に近づくころには雨も止み、氷川の街に入る手前で着替えも済ませて、天益へ向かいました。
朝の登山者の多さがあったものですから、天益の席が空いているか心配でしたが、意外と空いています。どうやら、朝の登山者のほとんどが川乗橋で下車し、川苔山へ向かったんだそうです。登山者の多くが鳩ノ巣駅へ下山したのですね。

天益の座敷では消防署の方たちが宴会を催していました。カウンターの僕たちにまずはお通しを出してくれたのですが、ミョウガの酢の物でした。お通しとしてだけではなく、途中でも追加でたくさん食べさせていただきました。でも、何と! このミョウガ、山野井家の畑で出来たものだったのですね! 山屋としては茗荷冥利に尽きる光栄でした。僕は昔から妙子さんの大ファンですが、おそらく妙子さんが精魂込めて(大袈裟過ぎるかな)作ってくださったんでしょうね!

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北アルプス北穂高岳滝谷ドーム中央稜を登攀しました

2013年09月05日 | 岩登り/北アルプス

2013/8/28~30  O橋君の計画でドーム中央稜の登攀に出かけました。滝谷です。滝谷を訪れるのは23年ぶり。その1990年8月にドーム中央稜を登攀する予定でした。第三尾根を登攀し、ドーム中央稜の取り付きまで来たのですが、先行パーティーが待てど暮らせど1ピッチ目から先に進まないのです。3人パーティーでした。いい加減しびれが切れたころ、雷鳴が聞こえ始めましたから、登攀を諦め、草付を登って登山道から北穂の小屋へと帰ったのです。
それ以来、ドーム中央稜はいつか必ず登ってみたいルートとして心の中に刻まれていたのです。それは一緒に登っていたS子も同じでしたが、S子は1998年2月の大怪我以降、この夢を諦めざるを得なくなりました。そこへこのO橋君の計画です。嬉しい計画でした。

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▲いつもは上高地に早朝着くバスに乗るのですが、O橋君の仕事の関係で今回は正午到着でした。上高地も5年ぶりです。12:24ころ。

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▲明神付近から望む明神岳主稜の峰々です。おそらく薄っすらと雲がかかっている峰が主峰、いちばん左端は五峰だろうと思います。右端の丸いピークは長七ノ頭ですが、その左下のコルにひょうたん池があります。僕は2回ひょうたん池に行ったことがあります。一度は明神岳東稜を登った際、もう一度は“穂高岳お池巡り”の際です。13:12ころ。

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▲新村橋の近くから眺めた前穂東壁です。中央が前穂高岳、右の稜線が前穂北尾根、左の稜線は明神岳主稜だと思います。14:24ころ。

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▲同じ場所からの望遠写真です。中央の雪渓がある谷は奥又白谷。雪渓の左方向に奥又白池があります。奥又白池には3回ほど行ったことがあります。素晴らしい場所で、天空の別天地のようですよ。14:24ころ。
写真の右端に見えるコルはおそらく5・6のコルだと思います。
1996年8月、S子と奥又白池をスタートし、A沢から前穂高岳へ、前穂北尾根を5・6のコルまで下降し、再び奥又白池まで戻って来ました。
2007年8月には、Y根君とS崎君との3人で“穂高お池巡り”をした際に、ひょうたん池からこの写真左の下又白谷~奥又白池~5・6のコルへとトラバースしました。

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▲横尾、本谷橋と通り過ぎ、横尾本谷が望める場所まで来ました。この谷はW.ウェストンが槍ヶ岳に登頂した際の登路でもあります。16:17ころ。

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▲初日のまだ体が山に慣れていないアプローチはけっこう疲れますね。もうすぐ涸沢到着。歩いているのは僕です。(O橋君撮影)

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▲涸沢到着です。左が前穂高岳、右に奥穂高岳があり、間がそれをつなぐ吊尾根です。17:46ころ。

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▲中央が北穂高岳。その右の岩稜は北穂の東稜です。今回、状況次第ではこの岩稜を登るかもしれません。(O橋君撮影)

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▲僕たちのテントの前で寛ぐ小生。(O橋君撮影)

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▲O橋君が持って来てくれた「極食・なすの揚げ煮」です。極食シリーズは現時点での究極のフリーズドドライ食品だと思います。高価なのが玉にきず。実にウマイ! 18:55ころ。
他にも幾つも極食シリーズを食べさせてもらいました。

◆◇◆2日目・ドーム中央稜登攀の日◆◇◆

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▲3時起床4時出発の予定でしたが、日の出の時刻も5時10分くらいですし、結局4時40分ころのスタートとなりました。東の空が美しいブルーに染まっていました。4:37ころ。

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▲奥穂高岳の岩壁がモルゲンロートで、輝いています。5:23ころ。

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▲前穂北尾根です。右端のピークが前穂高岳(1峰)、2峰、3峰と近接してあり、さらに左へ4峰、5峰、6峰と見えています。北尾根上半部のアプローチである5・6のコルへ雪渓が伸びています。5:24ころ。

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▲前穂北尾根の下部です。顕著なピークは8峰でしょうか? その左遠方に富士山が見えました。5:38ころ。

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▲5・6のコルです。左が6峰ですが、タヌキ岩の腹にも朝日があたっています。5:39ころ。
タヌキ岩は6峰左部分の途中の小さな岩峰、大きな腹のタヌキに似ています。

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▲たったの30分しかたっていないのに、モルゲンロートは失せ、普通の岩の色になってしまいます。5:57ころ。

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▲左は奥穂高岳。その右に影をともなって延びているのが西穂に続く稜線です。ジャンダルムと飛騨尾根が見えています。そして中央には涸沢岳、右に延びる支尾根は涸沢岳西尾根でしょう。6:45ころ。

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▲何を想うか、O橋君。6:46ころ。

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▲北穂と奥穂への分岐です。7:03ころ。

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▲今日は実に素晴らしい登攀日和! 遠く槍ヶ岳も微笑んでいます。7:07ころ。

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▲登山道から眺めたドームです。このドームを通り過ぎ、鎖場を越えたあたりから右下に下降します。中央稜はこの写真の真反対ですが、ドームの右のピークに出て来ました。終了後は中央のコル状から手前に下降し、登山道と合流するのです。7:10ころ。

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▲奥穂高岳や涸沢岳とほぼ同じ高度です。このあたりから右へと下降します。7:25ころ。

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▲かすかな踏み跡を拾いながらどんどん下って行きます。7:46ころ。

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▲予想していたよりもずいぶん下まで下りました。第三尾根の懸垂下降点が見つかりました。8:09ころ。

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▲まずは僕が懸垂下降します。(O橋君撮影)
ガイドブックには20mとなっていますけれど、ジャスト25mありました。

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▲続いて、O橋君が懸垂下降して来ます。8:13ころ。

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▲ドーム中央稜取り付きからの景色です。笠ヶ岳は滝谷登攀の際には常に背中から見守ってくれる存在です。8:27ころ。

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▲槍ヶ岳も見えています。8:27ころ。

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▲ドーム中央稜1ピッチ目。上部のチムニーとチョックストーンが見えています。8:28ころ。

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▲ドーム中央稜は全5ピッチ。2ピッチ目と4ピッチ目が核心だと言われています。若者に花を送るという意味合いも込めてO橋君に偶数ピッチをしてもらうつもりではいました。それに加えて、初めての岩場での最初のピッチにも特別の意味合いがあります。僕の滝谷初見参(ういげんざん)はクラック尾根でしたが、お師匠さんパーティーが後ろに控えて、先行させてもらいました。すべてを自分で判断していく経験は何よりも貴重なものでした。ちなみに、この滝谷クラック尾根でS子と初めてザイルを組んだのです。28年前のことです。8:58ころ。

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▲O橋君が最上部のチムニーの中に入って、見えなくなってしまいました。いったい何をしているのか? どうしようとしているのか? さっぱり分かりません。滝谷にはなかなか陽が当たりませんから、じっと確保だけしていると、体がどんどん冷えて来ます。両腕を鳥のようにバタバタさせてみたり、足は貧乏ゆすりのように揺らしてみたり、体温を上げる努力をします。9:06ころ。

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▲やっとチムニーから姿を現し、チムニー左のフェースを登り始めました。9:33ころ。

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▲O橋君から「ビレー解除~ぉ!」のコールが届き、いよいよ僕が続きます。フォロウですから、気楽にスピーディーに登攀。チムニー直下から真上を向いてこの写真をとりました。この時、9:58ころ。O橋君はこの1ピッチを約1時間かけたことになります。
このチムニーはザックを背負っていなかったらチョックストーンの内側の穴を通り抜けることができ、簡単なのだそうです。しかし、実際にそこまで行ってみると分かるのですが、ザックを背負っていては狭すぎて体が通り抜けられないのです! O橋君もいったん少しこのチムニーに入ってみたものの、どうしようもなくなり、ザックを下ろしてハーネスにぶら下げたり、様々トライしたみたいです。
チムニーの中に2ヶ所プロテクションを取ってありましたから、外すためにチムニーの中に入ります。1本取ったところで、それ以上チムニーの中に入るのは不可能だと確信。チムニーに強く挟まってしまっていますから、下に下がることも難しい状況です。すぐ上で確保してくれているO橋君に「少しだけザイルにぶら下がるから、少しだけ下げて」と叫んで、チムニーの外側へ体を移動させました。後は、強引に左のフェースをA0で突破。
と言うのも、この1ピッチ目の登攀中に麓から霧が上がって来て、滝谷を覆ってしまっていたのです。天候が悪化し、途中から雨や雷になるかもしれません。

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▲1ピッチ目終了点から見たチョックストーン(写真中央上)とチムニー。10:14ころ。
結局、すべてを終了してから振り返ると、この1ピッチ目がいちばん困難なピッチでした。チムニー左のフェースを登ることになりますから、グレードはⅤ級です。

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▲2ピッチ目もO橋君のリードです。リッジやカンテのすっきりしたⅤ級のピッチ。10:18ころ。

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▲O橋君撮影の写真ですが、おそらく2ピッチ目のものではないでしょうか? 僕が霧の中から登って来ます。

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▲3ピッチ目はコンテでも大丈夫なピッチ。Ⅰ~Ⅱ級です。正面はフェースですが、少し右に行き、この写真の凹角部分が4ピッチ目の取り付きです。Ⅳ+級。11:20ころ。

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▲5ピッチ目は僕がリードしました。最後の抜け口のハングか核心部です。右に抜けるとⅣ級と書いてありましたが、僕には左のフェース(写真では右)からの方が易しそうに見えました。でも、左はⅤ級だとか。
写真はフォロウするO橋君。12:29ころ。

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▲ドーム中央稜の登攀を終了し、写真上部のドームのコル状部分からクライムダウンし、ほぼ安全な場所まで降りて来ました。12:58ころ。

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▲滝谷側はガスっていましたが、涸沢側へ出て来ると、青空が広がっていました。冷たい風も吹いていません。13:46ころ。
手前の岩尾根は北穂東稜、遠く常念岳も見えています。

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▲涸沢の天場へ帰るO橋君です。明日は荷物を全部背負って、眼前の前穂北尾根を登攀し、岳沢経由で上高地へ下山する予定です。14:57ころ。

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▲涸沢へ戻って来ました。ピストンした北穂南稜。涸沢ベースで滝谷登攀する連中がいることは知っていましたが、けっこうハードでした。16:43ころ。

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▲これも極食です。味がいいですね。長期山行でアクセントを与えてくれる贅沢品だと思いました。これを中心にした食料計画では、ひどく高価な食事になってしまいそうです。18:49ころ。

何時ころからだったでしょうか、雨が降り始めました。風もそれなりに強く、テントのポールが風で大きくたわみます。落石のような轟音も遠くで響いたりもしました。
とりあえず明日の予定はそのままということですが、早朝から晴天になるとは到底思えません。明日はどこも登らず上高地に下山するだけになることでしょう。

◆◇◆3日目・下山の日◆◇◆

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▲3時に目を覚ましましたが、雨。北尾根登攀は即座に中止。5時まで眠ることにします。
朝食後、テントを撤収し下山開始です。ずうっと降っていた雨は出発する頃にはかなり小降りになりました。でも、稜線方向を見上げると、ガスで覆われ何も見えません。7:44ころ。

上高地に着くと、帰りの路線バスの予約をし(順番券が渡されます)、上高地アルペンホテルへ入浴しに行きました。一人500円で14:30まで入浴可能です。バスは新島々で電車に乗り換え、松本へ。
松本で入ったのは『どまんなか』という名の居酒屋でしたが、お魚が新鮮で、いいお店でした。僕の好きな日本酒「〆張鶴」があったので飲みました。

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