ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

沢登りでは今年初めて北秋川の白岩沢でザイルを使用しました

2012年05月30日 | 沢登り/多摩川北秋川水系

2012/5/27  S子の足の調子も先週の沢では問題がありませんでした。というわけで、先週よりは5割増しの長さの沢を目指します。北秋川最奥の白岩(しらや)沢です。ネットで調べても2、3件しかヒットしない、情報がほとんどない沢です。『奥多摩』の著者・宮内敏雄さんも「目星い滝もない沢である」としか記していません。

でも、昔からとても気になる沢で、いつか行ってみたいと思っていました。北秋川の源流は月夜見沢だと言われていますが、入渓点の落合橋から眺めると白岩沢の方が本流に思えて仕方がないのです。白岩沢は沢と接して沢のほぼ中間まで立派な道路がひっついていますから、遡行対象はその上流部だけになってしまいます。出合から遡行可能な月夜見沢に比べるとちょっと残念ですけれど、気楽に楽しめる距離なのでまあいいこととしましょう。

公共交通機関でのアプローチは武蔵五日市駅からのバスですが、これが6:32と9:27しかありません。いつもはもっと仲間がいますし、タクシーを利用して8時前後に駅をスタートするのですが、今日は二人だけなのでそうもいきません。本当は6:32発のバスで行きたいのですが、前夜用事があって帰宅が10時過ぎになり、それから夕食を食べたりしたので、9:27のバスにしたという次第。終点藤倉までは50分近くかかります。

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▲藤倉バス停は惣角沢へ少し入った道路にありますから、北秋川本流に戻ってから上流へ向かって歩きます。以前、そこらへんを間違えてタイムロスしたことがありました。月夜見沢遡行のスタート地点になる落合橋を過ぎたら、白岩沢です。道路から眺める限り、単なる沢歩きにしかならない渓相です。さらに進むと、右へ登って行く道路が別れる地点に着きました。10:53ころ。写真は振り返ってみた様子です。

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▲やがて土の林道になりました。11:00ころ。

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▲さらに山道に変わります。11:02ころ。

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▲山道が沢から離れそうになったので、沢へ下りました。標高720mあたりです。今日は遅いスタートになったので、いつもほどはのんびりと出来ません。11:10ころ。

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▲早い昼食と装備の装着で30分以上はかかります。まずまず佳い雰囲気の沢です。期待を抱きながら歩いていますから、こんな滝の連続に出遭うと喜びも一入ですね。11:55ころ。最初に見た感じでは3段の滝かなと思いましたが、実際に進んで見ると下が2段の滝で上の滝とは離れていました。2段の滝は1mと2mです。2m滝は流れの右の岩が脆くて直登出来ません。左を小さく巻くのですが、これも少々いやらしかったです。

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▲上流に見えていた滝がこれです。5m。12:04ころ。岩をチェックしてみましたが、すぐ下の滝のようにボロボロと岩が剥がれるようなことはありません。流れの右を登ることにします。S子にはザイルを出すこととし、僕がザイルを引きながら登ります。見た目でⅢ級-くらいだろうと思いました。実際に登ってみてもそのくらいなのですが、若干の岩の脆さと落ち口の滑り易さとがあって、主観的にはⅢ+くらいはあるでしょうか?

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▲S子のフォロウです。ザイルは8ミリ×30m。12:19ころ。今年初めて沢でのザイル使用です。ザイルを使うと少し充実感が生まれますね。

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▲ザイルセットの方法に満点の正解はないと思っています。この5m滝では、いちばん近くにあった大きな木の幹に支点を取り、まずは長めに伸ばしてセルフビレイを取りました。セルフビレイ側(左)のザイルの途中にフォロワー用の確保支点を作って確保します。

大きな木を支点にしていますから、ボディビレイにこだわらなくてもいいと思います。それに、セカンドのビレイですし。

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▲この辺りの山林も里に近い訳ですから、ご多分にもれず植林帯が多くあります。したがって、倒木もあり、沢も荒れます。倒木がうるさい箇所ではこの写真のように仕事道がすぐそばにあったりして、利用させてもらいました。12:33ころ。

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▲標高770m付近で北からの大神宮ノ沢を合わせてから再び滝が連続するようになります。12:38ころ。

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▲5m滝です。流れのすぐ右を登りました。12:39ころ。

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▲続いて現れた滝です。6mほどでしょうか。12:42ころ。

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▲上の写真4枚のナメは12:44~12:49ころのもの。ナメが連続していて、白岩沢でいちばん美しい流れだと思います。

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▲ここは標高825m付近の二俣です。12:52ころ。右に見えている流れは狢岩(むじなや)沢、左が本流の呼び名を変えて仏岩沢です。ここでしばらく小休止です。

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▲まだ佳い渓相は続くようです。ナメ小滝が現れます。13:07ころ。

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▲ホウ!ホウ!ホウ! と、文字にし難い歓声が僕の唇から弾き出ました。大滝の出現です。この滝の存在だけはネットで知っていましたから、まさに期待通りの姿です。13:09ころ。

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▲大滝前衛の小滝です。13:11ころ。大滝の真下まで進みましたが、結局戻ることになりました。この小滝群の下降もちょっとだけいやらしい。

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▲大滝です。13:14ころ。15mはあると思います。大滝が登攀出来そうなら、登攀するつもりで来たので、ハーケンとハンマーも持って来ています。流れの左がルートになるのでしょうが、案の定、ハーケンの姿なんかまったく見えません。

少し遠目から眺めた時には、登れそうに見えていました。すぐそばまで来てよ~く見ても、やっぱり登れそうに見えます。ところが、周囲の地層を見ると、奥に高く、手前に低くなっているようです。つまり、逆層です。

オ、オ、オ、と、今度はシビアな目で再び岩を眺めました。小テラスに見えていた場所が今度は外傾し安定して留まれない場所に見えて来ます。少し離れて、再度見直すと、上部の小テラスらしき場所もヤバそうな場所に見えて来ました。

この滝を登るのならば、ハーケンももっとたくさん持って来なければ駄目でしょう。ザイルも9ミリザイルが必要のようです。

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▲大滝の登攀はあっさりと諦め、高巻きを開始しました。小滝を3つほど下降し、左岸に取り付いて高巻きます。写真は高巻きし終えて、沢床に戻るところ。13:31ころ。

沢の流れが途絶えている個所が、大滝の落ち口です。

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▲大滝の上流では植林帯が沢に接近するようになりました。倒木も多くなり、沢身を歩けなくなることも多くなります。13:38ころ。

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▲作業小屋も現れたりします。14:09ころ。

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▲巨大な岩が出現しました。水流は岩の左側ですが、沢とは関係なく、ただゴロンと存在しています。14:15ころ。

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▲この大岩を右から越して、裏側の大岩の姿にまた驚かせられました。14:21ころ。波のように水平な重なり合う模様や、人が入り込んで座禅修行でも出来そうな穴が開いています。

家に帰って宮内敏雄さんの『奥多摩』を読むと、出ていました。この岩は仏岩と呼ばれているのだそうです。「仏岩は沢の真中にある巨岩で、俚人がこの岩の上で小石を何気なく蹴転がしたら、斜面を上部に転がったなどの怪譚があるのである」

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▲ウツギです。14:25ころ。茎の芯が中空になっているので空木(うつぎ)と呼ばれるのだそうです。また、旧暦の卯月(4月)に咲くので「卯の花」とも呼ばれます。

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▲チゴユリ(稚児百合)です。花言葉は「恥ずかしがりや」「純潔」だとか。14:31ころ。

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▲沢の倒木やボサも増えてきて、沢底を歩くメリットが少なくなってきました。左岸の急登を登ることにしました。14:45ころ。

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▲倉掛尾根に沿って走る風張林道に飛び出しました。15:04ころ。この先に風張峠があります。予定通りの場所に出たので満足です。

利用できるバスの本数が少ないですから、最悪でも16:00までにはここに到着するつもりでした。休憩時間も少なめに歩きましたから、余裕の到着。

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▲最初はマイヅルソウ(舞鶴草)かなと考えていたのですが、マイヅルソウは葉の形がハート形でそれこそ鶴が舞うような形だとのこと。

これはユキザサ(雪笹)なのだそうです。葉っぱが笹の葉のようですね。15:57ころ。

                       *  *  *  *  *

都民の森からのバスが16:45に出ます。まだまだ時間的には余裕。でも、ゆっくり歩き過ぎたのか16:30頃になっても建物が見えて来ません。すると、大きな音量で放送が聞こえてきて、閉園時刻が16:30であることと、バスの発車時刻が16:40!!だと言うじゃありませんか!?

建物も見えて来て、16:45なら余裕だと思っていたのに、この放送です。ゆっくりと歩いていたのでは間に合いません。急ぎ足で、最後になると僕だけ先行して走ってバス停に向かいました。

本当に罪作りな放送ですよね。やっぱり16:45じゃあないですか! 最後に少しだけですが走って損をしました。

                       *  *  *  *  *

武蔵五日市駅へ直行するバスだったので、打ち上げはH島でしました。九州の料理と酒が出る店です。少~し高いのですが、気に入っている店です。ここには奄美大島の黒糖焼酎ではお勧めかつ稀少な「長雲」が置いてあるのです。ロックで飲むと、黒糖独特の素朴で甘いような香りと味が広がります。この日は数量限定でキビナゴのから揚げもあり、美味しく頂きました。

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塩地谷の支流、茅尻沢を歩きました

2012年05月22日 | 沢登り/多摩川日原川水系

2012/5/20  山仲間もそれぞれにみんな多忙みたいで、久し振りに単独山行になってしまうのかと思いましたが、どうにかS子を誘いだして、奥多摩へ行くことにしました。S子はちょっと足の調子がいまいちで不安を抱えながらの参加になります。

そうでなくても、S子は今年初めての沢登りなので、足慣らしの沢、沢歩き程度の沢、短くてなだらかな沢、そんな幾つかの条件を満たした沢を探さなくてはなりません。2万5千図からそんな条件を満たせそうな沢を探し出した結果が倉沢谷の塩地谷茅尻沢でした。

選んでみると自画自賛になりますけれど、幾つかの高ポイントがあります。まずは林道歩きからスタートすることです。急登の山道で始まるのではなく、ほとんど歩かずにいきなり遡行がスタートする訳でもありません。林道歩きがS子にとっては良いウォーミングアップになるでしょう。また、塩地谷は広葉樹林の多い沢だったと記憶していますから、その支流も美しいに違いありません。もちろん、短くて傾斜も緩やかな沢です。

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▲いつもの電車、バスを乗り継いで、倉沢橋に到着したのは9時少し前。のんびりと、途中で用を足しながら林道を歩き、魚留橋到着が10時前でした。

写真は魚留橋から眺めた魚留ノ滝です。

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▲魚留橋は手前に大きな穴が開いて通行止めになっています。

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▲魚留橋のすぐ手前に茅尻沢出合へ続く山道入口があります。過去にこの山道を歩いたことはあるはずですが、記憶は薄れています。思いの外、高くまで一挙に登って行きました。

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▲山道を歩くと、見慣れた光景が現れました。塩地谷を遡行する時、地蔵ノ滝を高巻くのですが、その高巻きでこの山道を使うのです。さらに進み、写真のような桟道が現れます。10:17ころ。

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▲最後に現れた桟道は傾いていました。僕は山側に左足を降ろして、右足だけを桟道の橋に置いて通過しました。S子は山側を巻きました。10:35ころ。

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▲茅尻沢に架かる橋です。ここで遡行準備してもいいのですが、この先に気持ちのいい広場があるのでそこまで行くことに。10:36ころ。

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▲今日の行程は短いので、急ぐ旅ではありません。この広場ではゆっくりと休憩をとりました。来た道とは反対側の左岸にも石垣で整備された山道が上に向かって続いています。いつか歩いてみたいものです。

この広場には小屋が建っていたようです。この周辺で山仕事をする人たちの基地のような小屋だったのでしょうか? 11:31ころ。

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▲いよいよ本日の遡行スタートです。出合からの茅尻沢はとっても期待を持たせてくれています。11:39ころ。

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▲出合の小滝1。11:40ころ。

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▲出合の小滝2。11:42ころ。

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▲さっき通った茅尻沢の橋です。橋の下流の連続する小滝が結果的には本日のハイライトでしたから、この橋から遡行しなくて大正解でした。11:47ころ。

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▲沢の両サイドには広葉樹の森が広がっていて、渓に転がる石には苔が生しています。樹々の葉はまだ育ち切っていませんし、分厚い黒々とした濃い緑にはなっていません。黄緑の薄い葉を透かしても光が渓にたっぷりと届きます。11:52ころ。

一年の中でも沢が最も緑輝く季節です。

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▲せっかく輝く緑を堪能しようと思っていたのに、無粋な構築物の廃墟が出現しました。山葵田跡です。ならばと、実利を期待しましたが、相当前に廃田となったのでしょう、残り山葵は1本もありませんでした。12:04ころ。

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▲山葵田跡に加えて、倒木も出て来ました。泣きっ面に蜂、です。12:09ころ。

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▲後方の明るいあたりが二俣です。地形図から判断して、左俣の方が僅かに傾斜が緩く、右岸の尾根にも逃げることが可能なので、左俣を選びました。12:37ころ。

But,左俣からは水が消えてしまいました。右俣には水が流れているのに! 伏流しているはずなので、必ず再び水流が現れると信じていたのですが、駄目でした。

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▲ずう~っとこんな感じです。12:42ころ。植林も途絶えることはありませんでした。

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▲沢の中で白くて大きな花がポツンと咲いていました。花の盛りは過ぎていましたが、それでも美しい花です。周辺を見渡してもこの花の仲間はいませんでした。寂しげに咲いています。12:50前後。

自宅に戻ってから、花の名前を調べました。S子が「芍薬みたいだね」と言っていましたから、それをヒントに、山芍薬だと分かりました。

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▲沢の傾斜が少しきつくなり、沢型もはっきりとしなくなって来ました。ちょうどそんな時、写真の山道が現れました。石垣のしっかりした山道。下流の左岸でも斜面の上の方に見えていました。この山道を使わせてもらうことにします。13:05ころ。

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▲この山道がジグザグに上がって行きます。とうとう左岸の支尾根(幕岩尾根と呼ぶ人もいるようです)に到着です。13:38ころ。

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▲この支尾根(幕岩尾根)でもさっきの山道がしっかりと続いています。ほぼずっと支尾根の南側を巻くように付けられています。13:43ころ。

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▲山道から登山道へ出て来るところです。おそらくこの山道は茅尻沢沿いに出合付近まで続いているのでしょう。13:48ころ。

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▲多分、今年最後のミツバツツジでしょう。14:31ころ。

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▲スミレの花は種類が多くて名前を見つけるのは至難の業です。このスミレも小さなスミレですが、まったく分かりません。おそらく、フモトスミレのような気がするのですが、自信はありません。分かる方いたら、教えて下さい。

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▲こんな感じの黄色い花はいっぱいありますよね? 僕が知っている名前はキジムシロとミツバツチグリだけなので、どちらかに違いないと思っていました。写真の花は葉っぱが三つ葉のように3枚だけなので、キジムシロではないようです。でも、ネットで調べた花とどこか違います。そうです。花弁の中心部の色が濃い黄色になっているのです。さらに調べると、分かりました。この花の名前はツルキンバイ。

雉筵、三葉土栗、蔓金梅。三つの中ではツルキンバイがいちばん綺麗な名前ですよね。

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▲廃校になった小学校に降りました。15:44ころ。普通はここには降りて来ません。もう少し左が下山口になっています。昭文社の地図では東日原のバス停近くに降りて来る登山道と、もうひとつ、中日原バス停近くに降りて来る登山道が記入されています。以前から、この中日原への道を降りたかったのですが、途中には標識は全くありません。そこで今回、目星をつけた山道を降りてみたわけです。正解でした。標識がない理由は分かりませんが、登山道はしっかりと残っていました。

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▲この花は里でもよく見かけます。セリバヒエンソウです。芹葉飛燕草。

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▲1994年に廃校になった日原小学校の校歌が彫られていました。15:50ころ。

稲村岩が呼んでいる  日原川が呼んでいる  きょうだいわれら手をつなぎ

杉の若木のすくすくと  まっすぐにのびよ日原の子  日原日原心のふるさと

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▲東日原のバス停は思ったほどの人ではありませんでした。15:59ころ。15時台のバスがないので、この16時台のバスにあわせてゆっくりと下山したのです。臨時バスも出て、ほぼ全員が席に座って奥多摩駅へ向かえました。

天益はすいていましたが、餃子はすでに売り切れていました。残念! 奥多摩町は今日が町長選です。山岳救助隊のお巡りさんたちも今夜は多忙なのだそうです。座敷には誰もお客さんが入っていませんが、夜8時からの予約が入っているのだとか。多分、選挙戦が終了して、祝勝会なのでしょうか? それとも・・・・

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他人のブログに僕の姿が!

2012年05月16日 | 山のこと あれこれ

子供の日に行った八丁山~お伊勢山をネットで検索して調べていたら、ななな何と!僕の姿を発見しました。それがこれ!

http://tokyo-tozan.com/tozan/8cyo/5.php

鞘口のクビレでの写真です。写真キャプションには「ここで初めて人に会いました。」とあります。手前の僕と、隣りのS子です。

http://tokyo-tozan.com/tozan/8cyo/6.php

こちらでは「山頂の様子。」というキャプションの付いた写真ですね。

びっくりしました。それにしても、偶然のこととはいえよく僕の目に触れたものです。この山行は2010年11月7日の山行。その山行の様子は僕もLMCの山行ブログに載せていますから、よければ見て下さいね。開いたページの左上から「Date」をクリックし、「November 2010」の右端を選んで下さい。

http://teizan4.blogspot.jp/?view=flipcard#!/2010/11/blog-post.html

それにしても、このブログの主の写真の使用枚数は半端じゃないですねぇ。

コメント (1)
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蛇と倒木と山鳥と――今年の沢初めは

2012年05月16日 | 沢登り/相模川鶴川水系

2012/5/13    沢登りの醍醐味の一つは、地形図さえあればどこでも沢を登路として登れること。まあ当然のことながらその人自身の沢登りの総合力には左右されるのですが、基本的にはそうなんです。

今回は今年最初の沢登りですから、いきなり困難な沢へは行きたくありません。メンバーもK美さんと二人だけ。そんなことなど諸々あって、中央線沿線の駅からアプローチ出来て、下山後は武蔵五日市駅へと行ける沢を探しました。武蔵五日市駅へ行くのは、そのあとでS子も合流して打ち上げをするからです。

その条件を満たす沢は鶴川左岸の支流になります。つまり、笹尾根に突き上げる沢なのですが、ガイドブックに紹介されている沢は大群沢(カナヤマ窪)と小焼沢くらい。大群沢は以前S子と遡行したことがありますが、シーズン初めにはちょっと登攀的すぎます。小焼沢は知りませんが、易しそうでもアプローチが遠すぎる気がします。

そこで決めた沢が笹尾根の土俵岳と小棡峠の間を源頭とする沢。棡原の大垣外(おおがいと)集落へと流下している沢です。どんな沢だろうとネットで片っ端から調べました。でも、まったく何にもヒットしません。ゼロです。沢の名前すら発見できません! ただひとつ見つかった情報が「不動の滝」があるということ、だけ。

鶴川は相模川の支流ですから「奥多摩」山域ではありません。でも、やっぱり最後の頼みの綱は宮内敏雄さんの『奥多摩』。奥多摩ファンにとってはバイブルのような名著です。本文中に沢名は出て来ませんが、地図を見てみると、やった~~~ぁ!!出ています。

その名前が「下川」。宮内さんだって絶対ではないので、間違いもあり得ますし、時代が変わると呼び名も変わることだってあるでしょう。なにしろ、宮内さんは昭和20年3月に中国で戦病死(享年28歳)された方ですから。

でも、唯一の情報ですから、それに縋るしかありませんよね。ですから、この日の沢名は「下川」で決まりです。

ついでながら、宮内さんの本では土俵岳は笹平ノ峰、小棡峠は大立峠となっていました。

笹尾根の北面側よりも南面側の傾斜は強いですから、手強い滝があるかもしれません。念のためにハンマーとハーケンも持って来ています。

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▲上野原駅から飯尾行きバスに乗り、大垣外下車。すぐ近くにこの標識がありました。8:42ころ。途中、おじさんに道を聞いて、さらに進むと、再び標識が出て来ます。そこからは鉄の階段を下って沢に降り立ちました。

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▲これが不動の滝。お堂があり、紙垂(しで)が外れている注連縄も見える。8:56ころ。3段の滝で、10m前後あるでしょう。直登も出来そうでしたが、シャワークライムになりそうなのと、宗教的な場のようでしたから、右から高巻きました。

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▲不動の滝の左上にはこのようなお不動様の像が置かれています。8:58ころ。

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▲不動の滝を近くで眺めると・・・・ 8:59ころ。

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▲不動の滝の下で装備を整え、高巻くと、倒木はあるものの、それなりの渓相が続きました。2m滝も現れ、この先への期待も膨らみます。9:42ころ。

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▲2m滝のすぐ先で林道が沢を横断する場所に来ました。9:52ころ。地形図では標高475mになっています。ここで高度計の数字を合わせたので、先ほどの不動の滝の標高が判明しました。440m前後だと思われます。林道の下をくぐると、すぐに1.5mの小滝も出て来ます。

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▲K美さんが蛇を発見! 1m以上もあろうかという長細~い蛇でした。9:56ころ。黒くてまっすぐのは蛇ではありませんよ。パイプです。蛇は写真中央にいます。

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▲だんだん倒木が目立って来ました。でも、これくらいならくぐったり跨いだりして、割と楽に通過できるので苦にはなりません。10:06ころ。

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▲時折、こんな小滝が現れますから、癒されます。10:10ころ。

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▲標高540mあたりでは4段8mほどの滝が現れました。10:15ころ。この下川は倒木さえ少なければ、なかなかに佳い沢です。

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▲その4段8m滝の2段目だと思います。こんな場所にも倒木が・・・・。10:20ころ。

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▲実にいい感じの沢の流れですよね。でも、写真に写っていない周辺は倒木だらけなんです。10:29ころ。大雨でも来て、倒木全部を流し去ってくれないかなぁ!

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▲二俣です。標高は585m。ここの右岸に林道の終点がありました。10:37ころ。最初から左俣を予定していましたが、右俣の藪や倒木は凄そうでした。まあ、左俣も大差ないのですが・・・・。左俣にしたもうひとつの理由は、途中から尾根へ逃げる際、傾斜が右俣からよりは緩くて逃げやすそうだったからです。

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▲この前に引き続きジゴクノカマノフタです。地獄の釜の蓋。何度聞いても強烈なネーミングですね。下川は南面の沢で、所々日当りがいい場所があったので、こんな花も咲いていました。ジゴクノカマノフタの群生地でした。10:48ころ。

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▲肉眼では明瞭に認識出来ていたのですが、こうやって写真に撮ると何だかよく分からないですね。逆に、肉眼ではこんな水模様は感じなかったのに、本当に綺麗な水模様がカメラには写り込むのですね。それはともかく、うつしたものはまたまた蛇です。小さな薄茶色の蛇で、僕たちから逃れるように水の中へ潜り込んで、じっと動かなくなってしまいました。10:51ころ。

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▲左俣に入っても、倒木は続きます。11:12ころ。

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▲ここで大休止。11:24ころ。何やら山葵田の跡のような石垣があったりしました。白い布は作業小屋だったのでしょうか?

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▲倒木もなく、広葉樹の森に囲まれた、人の手の入っていない、原初の沢源流を極めて僅かではあっても期待している愚かな僕がいました。当然のことながら、その期待は虚しく、現実はこの写真のような状況が続くだけです。12:13ころ。標高800mの上あたりでは水も涸れ、沢登りもジ・エンド。

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▲でも、山の自然は何かしらの感動や驚きを僕たちに残してくれるものです。おそらく、標高850m前後あたりだったと思いますが、沢沿いから離れ、左の尾根へ逃げることにしました。

その時です。ヤマドリがバタバタバタバタと大きな羽音で足元付近から飛び立って行きました。僕はヤマドリの飛んでいった方向に目を向けていたので気付かなかったのですが、K美さんが叫びます! ヤマドリの巣があったのです。しかも、8個もの卵が産みつけられていました。

昔、小さな雛をたくさん抱えた親ヤマドリと突然遭遇したことがありました。雛たちはピーピーピーと四方八方へ逃げまどいました。親ヤマドリはあまり遠くまで離れず、僕のそばにいます。雛たちのことが心配で離れるに離れられないのでしょう。申し訳ない気持ちがいっぱいで、早々にその場を立ち去りました。

この日も、そんな気持ちです。「突然現れてごめんね」です。まさか、人間様がこんな所に来るなんて、ヤマドリには想像できませんよね。ちゃんと、抱卵しに戻って来てくれますように。そう祈りながらその場を立ち去りました。12:17ころ。

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▲ヤマドリの巣を離れ、植林の斜面を登って行きます。久し振りの沢の詰めに、前脛骨筋が悲鳴を上げ始めていました。筋トレをここ数年間さぼっていますから、筋力が低下しているのでしょうね。

すぐ先になだらかな尾根筋が見えていましたから、「あそこまで」と頑張りました。実際には攣ったりしなかったですけれど、攣りそうに感じること自体が、僕にはショックでした。そんなことはほとんどなかったことなので・・・・。

稜線直下に写真のような立派な山道がありました。この山道を進みます。12:33ころ。

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▲さきほどの山道がず~っと続いていました。K美さんが「笹尾根では?」と言うので、稜線に出ると、一般登山道が走っています。山道を北上していたつもりなのに、いつの間にか東へと進んでいました。小棡峠南の1046標高点のどのくらい東に来たのだか不明です。

まあ、それでも土俵岳を過ぎたわけではないので、どこを下降しても丹田沢には違いありません。笹尾根を少し東へ西へ歩いて確認し、適当な場所から沢の下降をスタートさせました。その下降地点が上の写真です。12:59ころ。

おそらく、丹田沢の左俣(コカンバ沢)のさらに右俣を下降したのだと推測しています。

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▲下降し始めてすぐ、13:04ころ、群生していました。大きなしそ科の綺麗な花です。名前を調べると、ラショウモンカヅラ(羅生門蔓)のようです。その昔、渡辺綱(頼光)が鬼退治をし、切り落とした鬼女の腕にこの花の姿が似ているので、この名前が付いたとか。退治した場所が京の羅生門だったのだそうです。

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▲丹田沢源流ですが、しばらくこのような土の斜面が続きました。下草が生えないので、表土が流されたのでしょうか? これも鹿害の影響なのでしょうか? 13:10ころ。

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▲丹田沢、おそらくはコカンバ沢右俣の源流~上流はなだらかな流れが続きました。ほとんどが植林地ですが、傾斜が緩いので倒木などがさほど沢底に集まることもないようです。沢沿いにはかすかな踏み跡が続いていました。僕たちもその踏み跡を利用させてもらいます。多分、山仕事用の仕事道でしょう。

仕事道沿いに、ニリンソウがポツポツと続いていました。清楚ですね。13:38ころ。

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▲仕事道は下流に行くにしたがって明瞭な道になって来ます。沢の下降では「沢身から離れず、流れの中を下る」などというこだわりは僕にはありません。あまりにも沢から離れてしまうのであれば、山道利用も止めるかもしれませんが、安全とスピード第一です。

そんな風に下って行っていたのですが、突然前方に林道が見えたのです。13:53ころ。こんな林道は地形図にも昭文社の地図にも載っていません。

本来ならば林道を見過ごして、そのまま沢の下降を続けるべきなのでしょうが、林道を使えば14時台のバスに間に合うかもしれない、そんな新たな期待が心に湧いて来たのです。そのバスを逃すと、1時間半後になってしまうのです。

結局、林道を利用することにしました。林道はキハダ沢出合の上部を横断しているようです。キハダ沢を渡り、さらに笹尾根の北へ延びる支尾根を越えて、笛吹へ向かいました。

057                              ▲笛吹きバス停です。14:29ころに到着。バスは10分もたたずに来ました。

臨時バスが出たようで、2台並んで来ました。武蔵五日市駅からS子に電話をして、H島駅で合流。打ち上げをしました。先々週見つけたお店は社員研修で休みでしたので、「庄屋」へ。

ひとしきり、今年のGWの話しでまずは盛り上がります。K美さんの旦那さんは槍ヶ岳フリークで、フルマラソンばかりか富士登山マラソンへも参加する凄い人です。山を歩くスピードも半端ではなく、二人で歩いたこともありますが、まったく追いつけません。

そんな旦那さんはGWすぐに出発し、槍ヶ岳へ登ったのです。28日に中崎尾根を奥丸山付近まで進み、幕営。翌29日に槍ヶ岳をピストンし、そのまま下山したそうです。

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雪の平ヶ岳を諦めて、新緑の奥多摩へ。八丁尾根から鷹ノ巣尾根を登りました

2012年05月10日 | ハイキング/奥多摩

2012/5/5  今年のGW後半は天候に翻弄され続けました。最初、5月2~5日の3泊4日(6日は予備日)で尾瀬の鳩待峠から平ヶ岳を計画していました。メンバーの都合で3~6日(予備日なし)となったのは致し方ありませんが、そのうち、3日の悪天候が確定的となり、4~6日で平ヶ岳となりました。まあ、2泊3日でも平ヶ岳へは十分行くことが可能です。

でもさらに、天気予報は悪化の一途をたどります。ついに4日スタートも諦めざるを得なくなり、つまり、平ヶ岳は断念。代わりに、鳩待峠~アヤメ平~尾瀬沼を計画しました。5~6日の天気はまずまずの予報が続いていたのですが、近づくにつれ、6日の天気が「晴、時々曇り、大気は不安定」から「晴のち雨、雷雨あり」へと変わって行きました。しかも、5日の尾瀬付近山岳部の天気も芳しくありません。

とうとう5日だけの日帰りハイキングに落ち着いてしまいました。

今回、1年振り以上に一緒に山へ行けることになったY根君も本当は北アルプス槍ヶ岳へ行く予定だったのです。4月28日の土曜日に出発していれば可能だったのかもしれませんが、1日出発が遅れたために、悪天候につかまることとなり、結局出発しなかったのだそうです。

知り合いの山岳ガイド氏も穂高岳は中止、剱岳も伊豆でのクライミングへと変更せざるを得なかったのだそうです。

それほどにたくさんの山仲間を悩ませ、山行中止に追い込んだ悪天候であったにもかかわらず、北アルプスでは多くの登山者が気象遭難で亡くなりました。こんな予報の中、3000m級の山岳へ出かける感覚が僕には理解できません。

結局僕たちは5月5日の子供の日に奥多摩の新緑ハイキングへと出かけたのです。

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▲中央の岩峰が稲村岩。その右の小さなピークが八丁山で、尾根は巳ノ戸尾根です。今日はこの尾根を歩きます。9:39ころ。

僕がこの尾根を初めて歩いたのは2001年6月のこと。その後、所謂“バリエーション・ルート”とやらのブームでよく歩かれるようになっているようです。

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▲昔の人はこんな山奥でも暮らしていたのですね。家の敷地の土台が残っていました。10:11ころ。

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▲家の跡地にはかつての生活の痕跡が。釜、甕、ストーブ・・・・

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▲先ほどの家の住人でしょうか? 慶応二年の文字が・・・・

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▲熊カメラが2台設置されていました。カメラを覗き込んだY根君は映ってしまったのでしょうか? 11:05ころ。

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▲今日はGW唯一の快晴。陽光が思いのほか強く、気温はちょうどの暖かさです。鮮やかに輝く新緑は1年の中でいちばん美しい季節だと思います。11:18ころ。

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▲ちょっとした岩場が現れました。こういう岩場からは樹々に邪魔されないパノラマを見ることができますし、ピリッとしたスパイスになりますから、大歓迎です。11:35ころ。

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▲さらに岩稜は続きます。右も左も急斜面ですから、嬉しい緊張も続きます。11:37ころ。

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▲八丁山山頂の山名標識。11:47ころ。11年前に訪れた際にはまったく無かった赤テープの目印が多数付けられていました。一本尾根なのに、なぜ必要なのか僕には理解不能です。

地形図片手に不安や新しい出会いへの期待を胸に歩いたものでした。そんな最初の時と同じ感動を味わえる山はそこにはありません。所謂“バリエーション・ルート”を歩くブームのせいで、奥多摩にはそのような感動は期待すら出来なくなっているのが現状です。

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▲ミツバツツジがちょうど満開でした。ヤマザクラもところどころで咲いています。11:58ころ。

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▲八丁山の先では、ときおり痩せ尾根が現れました。12:12ころ。

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▲お伊勢山山頂の山名標識。この奥多摩とは縁がなさそうなお伊勢山という名前の由来ですが、宮内敏雄氏の『奥多摩』には次のように記されています。「伐採の斧始めに最初に伐った木材を、伊勢神宮にお納めする――感謝の意味を罩めたあの床しい風習があったからである」

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▲鞘口のクビレに到着。昔はここを一般登山道が通っていたのです。右は巳ノ戸ノ大クビレ、左は日原へと行けたのです。

僕は何度も利用したことがあります。石尾根を雲取山方面から下って来てこの登山道を利用すると、バス停まで早く、楽に着くことができたのです。沢登りをするようになると、巳ノ戸谷の源流部からも鞘口のクビレに出ることが容易でした。この登山道をよく利用したものです。

ところが、どれほど前のことだったでしょうか? 20年前後以前だとは思いますが、S子とM田さんとで巳ノ戸谷遡行後、いつものように鞘口のクビレへ向かいました。すると、途中の斜面が大きく崩壊しています。目の前で落石がしょっちゅう発生しています。上方に目を光らせながら、その合間を縫うように、ハンマーで足場を掘りながら突破しました。それ以降、鞘口のクビレ~巳ノ戸ノ大クビレ間の登山道は危険で通行禁止になっています。

鞘口のクビレ~日原間は巳ノ戸沢(巳ノ戸谷とは別。巳ノ戸尾根と鷹ノ巣尾根と稲村岩尾根に囲まれた沢のこと)左岸をほとんど通っていますが、途中少しだけ不明瞭になる他は問題なく歩ける山道です。

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▲鷹ノ巣尾根を登ります。S子とK嶋さんの両横にあるのは枯死した笹です。鹿が主に餌の乏しい冬の時期に笹の葉を食べ、枯らしてしまったのです。鹿が増えすぎた結果でしょう。

11年前に初めてこの尾根を歩いた時は、まだ笹が青々と茂っていました。獣道を選びながら、腰をかがめて歩きました。2箇所ばかりにまだ温かい熊の糞があって、すごく緊張したことを覚えています。

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▲ヒルメシクイノタワに到着しました。13:58ころ。本当はこれから鷹ノ巣山へ登って、榧ノ木尾根~ノボリ尾根を下降するつもりだったのですが、のんびりと歩き過ぎました。ここから稲村岩尾根を下ることにします。

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▲「これってなんの写真?」と怪訝に思っておられるでしょ? この写真をクリックして拡大して見て下さい。どこかに何か動物が写っていますよ。本当はその全身が中央に写っていたはずなのですが、シャッターを押す寸前に逃げてしまったのです。でも、体のほんの一部だけが写っていました。15:27ころ。

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▲下山して、東日原のバス停から写した新緑です。16:48ころ。GW後半ではただ1日の快晴でした。ヤマザクラも咲いていますね。

17:20過ぎのバスに乗って、奥多摩駅の「天益」へと直行しました。結局、今年のGWは2回とも「天益」でした。今回はゆっくりと座敷で過ごすことができました。隣りのテーブルでは山岳救助隊の方々がくつろいで飲んでいます。今年のGWは目立った事故もなく終了したよう。マーフィーは救助隊の中の一人の胡坐の上でリラックスしていました。珍しいことです。

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