ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

久し振りの長尾谷。易しい沢というイメージでしたが、今の僕にとってはタフな沢でした

2022年05月26日 | 沢登り/多摩川日原川水系

沢登りの復帰第2戦多摩川日原川倉沢谷の支流、長尾谷です。僕の沢登り感覚、そして沢登りに必要な体力を取り戻すための沢としては最適な沢のひとつだと思ったからです。沢のガイドブックでは「水平距離1800m、標高差600m、遡行時間2時間30分」となっていました。ちなみに、シダクラ沢「2000m、700m、3時間20分」ですから、シダクラ沢の方が長くて高くて傾斜も強いことが分かります。

ところが、沢登りの難易は数字通りにはいかないのが面白い所です。今の僕には長尾谷の方がシダクラ沢よりもずっとタフな沢と感じられました。ですから、復帰第2戦の沢としては良い選択だったと言えるでしょうね。

 

2022年5月22日(日) 倉沢谷長尾谷~棒杭尾根

▲9:39。奥多摩駅発8時35分の東日原行バスに乗って、倉沢バス停下車。そこから倉沢林道を歩きます。奥の方では林道や林道脇の山の斜面が崩れたりしています。まだ、徒歩では危険と言うほどではありませんが、そのうち危険レベルにまで崩れて、通行禁止になるかもしれません。写真は最初の林道陥没現場です。

 

▲9:49。長尾谷に沿った林道に入りました。

 

▲10:32。林道の終点から沢沿いの山道を進んで沢に下り、遡行準備をしました。そして、のんびりと出発。元気者が先を歩いて、僕は最後尾から付いて行きます。

 

▲10:40。長尾谷には大きな岩がゴロゴロと転がっていますね。

 

▲10:45。2条の滝です。先頭がどうしていいか迷っているようだったので、行ってみると、左端に残置のロープが設置してありました。

 

▲10:48。その残置ロープを使って登ります。

 

▲10:55。僕はすぐに高巻いてしまいましたけれど、S藤さんとK田さんは直登にチャレンジしています。

 

▲10:59。曇りがちだった空も光が溢れることの方が多くなって来ました。

 

▲11:00。鹿の骨がありました。この冬くらいに死んだのでしょうか?

 

▲11:02。両サイドが岩場のゴルジュですね。沢らしい気分の高揚する風景です。

 

▲11:08。頭の上に木橋が架けられていました。横板が隙間だらけですから、使われてはいないようですね。渡るのなら這いつくばって渡らないと怖いですよね。

 

▲11:25。ゴルジュも好きですけれど、少し広々としたこんな風景もいいですね。木漏れ日が素敵です。

 

▲11:31。S藤さんとK田さんはずっと滝の直登にチャレンジし続けています。K田さんはYYDでは僕に次いでの年長者。ここ最近は家庭の事情で山に行けなかった日々が続いていたはずなのに、足取りはしっかりしていますし、滝の登攀もS藤さんより達者です。凄いですね!

 

▲11:41。相変わらず大きな岩がゴロゴロしています。

 

▲11:44。こんな岩滝も出て来ました。

 

▲11:47。何人もが雨宿りや泊りが出来そうな岩屋もあります。

 

▲11:51。写真ではよく分かりませんが、透明感抜群の光景だったので撮りました。光が当たって白く輝いている場所は水の下の石ころが透けて見えています。

 

▲11:57。S藤さんがを渡って滝の直登にチャレンジしました。

 

▲12:05。20mほどの岩峰です。里の近くにあれば、登攀対象になりそうですね。

 

▲12:11。こんな山奥にがありました。

 

▲12:44。S藤さんがチャレンジ中。少し苦労して登ると、K田さんがあっさりと登ってしまいます。S上さんもちょっとだけ苦労しながら登り切りました。

 

▲13:01。この滝は直登が難しいので高巻きます。8mm×30mのザイルを持っていましたが、ギリギリの長さでしたね。反対側(右岸)の方が小さく高巻けそうでしたが、泥と枯葉が載っていて嫌らしそうでしたから、左岸を高巻くことにしました。こちらの方が灌木や木の根があって安全に感じたからです。ザイルの末端を固定しているので、僕は写真を撮りました。ザイルをく塗っています。先頭はS藤さん。ただ、こちら(上)のザイルの固定に信頼感が持てないので、僕もザイルの末端を持つことにしました。S藤さんが上がって来たら、彼にザイルを腰絡みで持ってもらうことにしました。

 

▲13:04。S藤さんがフリクションノット(多分プルージック)で登って来ます。

 

▲13:13。T原さんも登って来ます。後方のS上さんの場所でザイルは直角に向きを変えています。しっかりした木でプロテクションを取ってあります。その木のプロテクションでカラビナの掛け替えをしなければならないのですが・・・・

 

今回の遡行で1点だけ今後へ向けてのYYDへの注文が見つかりました。今回はここで1回だけ高巻き時にザイルを出して、固定し、プルージック(フリクションノット)での高巻きをしてもらったのです。 プルージック結びは出来たのですが、途中、直角に向きを変える場所でのカラビナの掛け替え方法がよく分からなかったようなのです。 僕は滝の上に来ていますから、詳細の指示は声が届きません。 カラビナの掛け替えの意味がよく分かっていないとは、僕も予想外でした。

状況にもよります。 片手で、一瞬たりともザイルからカラビナが離れないように操作する方法もあります。 ヨーロッパのヴィア・フェラータ(鉄の道)のように人間側のセルフビレイを2本セットしておく方法もあります。 プロテクション側を2つセットしておく方法もあります。 でも、今回はしっかりした木にセットし、その場所も比較的安定していましたから、一瞬カラビナを外して、プルージック結びの後方に移し替えても大して危険ではない場所です。 その、一番簡単でいい加減なカラビナ掛け替えがすぐには理解できていなかったのです。 僕が滝の上にいますから、滝の下にいる5人の中で、一人でも指示を出せるメンバーがいて欲しかったな、と思いました。

 

▲13:21。ラストはK田さんにお願いしました。ザイルの末端で来てもらいます。K田さんの後方の木で取ったプロテクションを外すと、危険な状況になります。万が一滑り落ちると、滝の下まで落ちてしまいます。ここまでの沢での歩き方を見て、K田さんが一番安心できそうに思えましたから、ラストに指名しました。

 

▲13:32。二股です。水量はほんの少し左の方が多いと思いますが、右の方が沢床が低く、本流だと思います。標高1050mほどの地点でしょう。左に入ってもいいのですが、蕎麦粒山近くに突き上げたい気持ちが強いので、右を選びました。

 

▲13:50。稜線が近づいて来て、空も広がって来ました。天気予報は曇りでしたが、綺麗な青空が広がっています。

 

▲13:56。ヒメレンゲだと思います。あちこちにたくさん咲いていました。

 

▲14:11。水も完全に消え、枯葉のラッセルをしながら急登を喘ぎます。

 

▲14:29。沢形も消えそうなので、左の支尾根に移ることにしました。手(と言うよりも指)も使わないと登れないほどの急登で、爪が泥で真っ黒になってしまいました。

 

▲14:40。僕とK田さんが最後尾です。この二人がYYDの1番と2番の年長者なんです。これくらいの急登を駆け上がるくらいの山体力を取り戻したいものです。

 

▲15:01。稜線に到着しました! 装備を解除します。達成感と言うか、安心感と言うか、もうこれ以上、急登を詰める必要がない解放感に満ち溢れています。ここから上へちょっと登ると蕎麦粒山1472.8mです。すぐ近くなんですが、誰も頂上まで行こう、とは言いません。

 

▲15:25。蕎麦粒山には登らずに下山開始です。4時台のバスは無理そうなので、5時台のバス目指して、それなりに急ぎます。

 

▲15:31。登山道の標識が出て来ました。今日初めての標識なので、何故かホッとしますね。

 

▲15:31。奥多摩ビジターセンターの登山道道路状況一覧表には次のように書かれています。 「蕎麦粒山南分岐から踊平北までの巻き道」「通行止」。 ただ、「尾根筋の登山道をご利用ください」となっていますね。 詰めの最終局面で、その巻き道に出会ったのですが、最近歩かれていないでしょうから、登山道だとの確信が持てませんでした。 その結果、稜線まで詰め上げたのですが、僕とK田さんの老体には堪えましたね。

 

▲15:35。いつも思うことですが、登山道ってなんと歩き易くて楽なんでしょう!

 

▲15:57。この日は棒杭(ぼうくな)尾根を下降します。蕎麦粒山から南へ派生している鳥屋戸尾根を下ってもいいのですが、この尾根は下りでは迷いやすいのと、死亡事故も起きているザレ場があるので、嫌なのです。ヨコスズ尾根まで行くと遠回りですから、棒杭尾根になります。便利な尾根なので、僕はよく使いますね。倉沢林道が荒れている旨の注意書きがぶら下がっていました。

 

▲15:59。この巨樹は何の樹でしょう? この付近はシロヤシオミツバツツジが綺麗なのですが、今年はもう花の時季は終わったようですね。ミツバツツジは葉っぱも茂っていましたし、シロヤシオの花が地面に落ちていました。

 

この棒杭尾根を僕は地図も見ずにいつも適当に仕事道っぽいところを拾いながら降りて行きます。でも、T橋さんとT原さんはきちんと地図読みしながら下降していました。でも、植林地帯で道を失ったみたいだったので、僕は先頭へ行って、これまた適当に方向を定めて進んで行きました。すると、しっかりした仕事道に出て、林道まで僕が先導。

 

▲16:47。林道へ出て来ました。皆ホッとします。

 

▲16:54。魚留橋に出て来ました。ここまでは林道も荒れていました。ここからは1ヶ所の陥没だけで、他は問題のない林道です。17時36分のバス目指して、急ぎます。

 

▲17:23。思いの外、早くバス停に到着しました。

 

倉沢バス停から天益に電話が繋がりました。「早ければ5時には着きます」と言ってあったので、「今バス停に着きました。奥多摩駅には6時前になります」と伝えました。T橋さんは家庭の事情でそのまま帰りましたが、5人は天益のカウンターに座って、楽しい反省会。K田さんが結構いじられていましたね。愛すべきお人柄です。とりわけネパールへの新婚旅行がいじられていましたね。その内容は秘密ですけどね。

 

ところで、僕はこの長尾谷へは1990年5月初めて入渓しています。 当時はこの沢の遡行図も記録も見つからず、地形図だけを持っての入渓でした。 1981年発行の『日本登山体系4 東京近郊の山』にも文章による記述さえありません。 1960年発行の『奥多摩の山と谷』にも隣りの塩地谷の遡行図は出ていましたが、長尾谷の情報は一切ありません。 (もっともこの本のコピーを戦前から沢登りをしていた大先輩から頂いたのはずっと後になってからでしたが)  長尾谷の遡行図が一般に広まったのは1996年『奥多摩・大菩薩・高尾の谷123ルート』が発行されてからです。 ただ、以前所属していた山岳会の30周年記念出版として1991年に発行した記念誌の中に僕が書いた長尾谷の遡行図は掲載されています。 東京の大きな書店や図書館にも置いてもらえましたから、目にした沢屋さんもいたと思います。 もちろん、昔から長尾谷は沢屋さんに遡行されてはいたと思います。 さまざまな山岳会の年報等を探せば、その記録も出て来るでしょう。 でも、現在と違ってネットもありませんから、そんな情報はなかなか目にすることが出来ないんです。 ただ逆に、探検冒険的喜びがたくさん残されていた時代とも言えますね。

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つづら岩も3年半ぶりです。ダブルザイルの練習をしました

2022年05月21日 | 岩登りトレーニング

つづら岩は奥多摩の大岳山1266.5mから南東に延びる馬頭刈(まずかり)尾根上にある岩場です。メインの南面は高さ40m、幅60mあります。

つづら岩は僕にとってはとても思い出深い岩場なんです。僕は27歳の時、沢登りのルート図集と沢登りの解説本だけを頼りに単独で沢登りを始めました。ザイルはもちろん、ヘルメットもハーネスもなく、地下足袋と草鞋だけでやってました。通い慣れた奥多摩の、ルート図があって、ザイルがなくても高巻いたりして遡行できる沢ばかりを登ったのです。奥多摩の沢でルート図に載っている沢は当時はまだ少ししかありませんでした。さらに、ザイル不要の易しい沢となると、本数は限られます。そんな沢を僕は季節を変えたりしながら何回も訪れたのです。3年間ほどそんなことをしていると、さすがに詰まらなくなって来て、他の沢にも行きたくなります。でも、そのためにはザイルを使用する岩登りが出来なくてはなりません。

『山と渓谷』の会員募集欄を通じて、2つの沢登り専門の山岳会に申し込みの手紙を送りました。でも、なしのつぶて。当時は少しでも先鋭的な山岳会では30歳を越えているとロートル扱いでお呼びでなかったんですよね。

そこで僕は方針を転換しました。つづら岩のことを思い出したのです。馬頭刈尾根を歩いた時に、つづら岩で岩登りの練習をしている人たちを見たことがあったのです。「そうだ! あそこに行けば岩登りをしている人とコネが出来るはずだ」と考えたのです。早速実行しました。軍道の登山口から歩き始めると、最初に東面の岩場に出会います。そこでは学生のような若者たちが大勢練習していました。「こんな若造に叱られながら訓練させられるのは嫌だな」と思い、そこから離れました。南面に行くと、中高年のおばさんが居ました。ザイルを操作しています。そのザイルの先、10mくらい上の岩場には男性がいて、登っています。つまり、その女性はそこでリードしている男性を確保していたんですね。僕は興味津々ですから、じっとそこで見続けました。当然、彼女はそんな僕に気付きますよね。「岩登りに興味があるんですか?」と声を掛けて来ます。「ええ」と僕は応えます。「じゃあ、電話番号を言いますから連絡してください」と言って、彼女は電話番号をその場で言うんです。僕はメモをして、その場を離れました。これほど年配の人になら、怒られたりしても我慢できるかな、と思ったのです。今から思うと、教えてくれる人を選ぶ基準が変ですね。

それはともかく、その夜すぐに電話して、次の週だったか、天覧山に連れて行ってもらいました。さらに翌週は日和田、少しあいて鹿沼の岩場。その鹿沼の岩場で僕のお師匠さんになる二人に出会ったんです。その帰路、その山岳会に入会することを決めました。

 

つづら岩の思い出話はほどほどにして、この日はダブルザイルの練習をしに来たんです。僕とS﨑君とK野さん、その3人です。もちろん、3人でもダブルザイルの練習は出来ますけれど、リードする人は1ルート1人になってしまいます。つるべ登攀することは出来ません。ですから、もう一人S上さんを誘いました。S上さんは岩トレが久し振りなので、易しい岩の練習をします。これで2人と2人になります。S上さんはダブルザイルの練習はしませんから、途中でメンバーチェンジするつもりでした。

 

2022年5月15日(日) つづら岩で岩トレ

▲8:48。この日はK野さんがシェアカーを借りて来てくれました。千足(せんぞく)の駐車場に停めて、つづら岩へ向かいます。途中、天狗滝があります。滝の左上の岩場も登攀対象ですが、僕は登ったことがありません。(撮影:K野)

 

▲9:28。続いて現われる滝は綾滝です。この日は水量が多かったのでそうは見えませんが、通常の水量の時は水の流れが綾をなすように流れ落ちているのです。(撮影:K野)

 

綾滝からの登山道は急登です。昔はクライマーだけが使っている単なる踏み跡でした。急登箇所のザレは3歩進むと2歩ずり下がるような場所でした。「沢の詰めのザレ場登りの練習だ!」と言っていたものです。でも、何時からだったか、このコースが『関東ふれあいの道』に組み込まれることになったのです。つづら岩や綾滝や天狗滝があったせいでしょうね。それで、登山道が整備され、山肌は道型に削り取られ、階段も付けられました。

とは言え、急登であるのは変わりません。僕は喘ぎ喘ぎ皆の後を追いかけました。

やっと、つづら岩に到着すると、皆はすぐに装備の準備をし始めますが、僕はゆったりと食べたり飲んだり。ここまで登って来ただけで満足状態ですね。

 

S﨑・K野パーティーとS上・僕パーティーに分けることにしました。この時はまだ、途中でS﨑・僕パーティーとK野・S上パーティーにメンバーチェンジしようと考えていましたね。

 

▲11:02。K野さんが左の一般ルートを登り始めました。本では4級になっていますが、僕は4級+あると感じています。

 

▲11:04。K野さんが今いるこの辺りが難しいんです。バランスを崩しやすく、体がドアスイングして右に流れてしまい易いですね。K野さんもしばらく苦労していましたが、突破していきました。

 

▲11:29。フォロウするS﨑君です。彼は4級+のオンサイト能力があったのですが、3月に10数年ぶりにクライミングを再開したばかりですし、体重も増えましたから、4級+レベルには苦労しています。ここでも1度、ザイルにぶら下がりました。

 

▲11:32。この辺りは3級です。左に確保しているK野さんが写っています。K野さんの右にいるクライマーは腕力ルート5級+をフォロウするようですね。

 

▲11:47。S﨑君が2ピッチ目をリードします。今いる場所から左上のフェースに出て登ります。3級の易しいフェースなんですが、ピンが少なくて、探しても見つかりません。そんな不安感が恐怖感に繋がりそうなフェースです。

 

ふたりの順調な練習風景を確認して、僕もやっとやる気が起きました。S上さんは久し振りの岩トレですから、易しい岩場のつづら岩東面へ行くことにしました。

 

▲12:13。つづら岩東面15mほどの高さの岩場です。左側面から見上げると尖った岩峰に見えるので、マッターホルン状岩峰とも称されています。4級+や5級-のルートもあるのですが、僕が登るルートはもちろん3級。写真は僕のリード後、フォロウしてくるS上さんです。

 

▲12:58。2本目は南面に移動して来ました。右端のルートです。このルートは4級-になっていますけれど、その日の自分の状態で凄く難しく感じる日もあります。この日は4級くらいに感じたかな? 僕のリードしている写真は滅多にありませんよね。K野さんが撮ってくれていました。(撮影:K野)

 

▲13:13。僕は途中のテラスで区切って、S上さんの確保をしています。S﨑・K野パーティーは2本目のルートにチャレンジ中。右の一般ルートです。1ピッチ目3級なんですが、難しい4級+のコースから登り始めたようです。ただ、S﨑君にはまだ難しくて、A0になってしまったと、後で聞きました。写真は1ピッチ目の終了点でK野さんの確保態勢に入っているS﨑君。

 

▲13:15。S上さんがフォロウして来ました。今いる辺りがこのルートの核心部です。頭上の木を掴んで登って来ました。写真に写っているザイルですが、細いでしょ! K野さんのザイルなんですが、8.2mmなんです。でも、しかし、シングルザイルなんですね! もちろん、ダブルザイルとしても使用できます。60mあります。

 

▲13:25。最初は今いるテラスから右の踏み跡に移って、歩いて下ろうと思っていたんですが、S上さんがブランクを感じさせない登りを見せているので、2ピッチ目を登ることにしました。もちろん、僕のリードで。登っている途中で、S﨑君を再び撮りました。

 

▲13:25。先ほどのテラスで僕を確保してくれているS上さんです。

 

▲13:42。今、S上さんがいる場所の少し下に確保できるボルトが何本か打たれていたのですが、下がるのも嫌ですから、上まで登って来ました。途中にも確保支点がありましたけれど、完全な安全場所まで登って来て、確保することにしました。写真では分かりませんが、足だけでも歩けそうなくらいの傾斜なんです。そうそう、2ピッチ目のグレードですがよく分かりませんね。難しくはないのですが、不安感や緊張感や怖さはありますね。ピンが少なくて、それがなかなか見つからないんですよね。ホールドだらけではあるのですが、本当にしっかりと使えるホールドはすぐには見つからないんです。そして、けっこう立っていて、90度の垂壁なんですね。3級+くらいでしょうけれど、感覚的には4級ありますね。

 

▲13:54。あれれれれ!? なんで? なんで? K野さんが僕の左、先ほど僕が出て来た場所の少し上(僕に近い方)に現われました! 右の一般ルートは反対側、僕のずっと右に登って来るはずなんです。それにK野さんが登って来たルートは5級くらいあるはずですから、S﨑君は大丈夫かな? と心配です。K野さんは「かなり必死で、軽く酸欠状態で登った」と言ってました。よくリードしましたよね。

 

▲13:56。右側を見ると、こんな感じです。K野さんは本当ならこの写真の岩場の中央付近を登らなければならなかったのです。

 

▲14:01。確保するK野さんの下にS﨑君の白いヘルメットが見えて来ました。

 

▲14:03。S﨑君もよくフォロウしましたよね。

 

▲14:32。4人で懸垂下降することにしました。K野さんがセットします。50mのダブルザイルを2本繋ぎます。2つに分割して、下方に投げたのですが、途中の木に引っ掛かってしまったようです。ちょうど引っ掛かっているところにテラスがあったようですが、その引っ掛かりを外すのに苦労しています。どんな感じで引っ掛かっているのか、上から見ても分かりませんから、K野さんに任せるしかありません。なかなか外れないみたいです。辛抱強く岩場の上で待っていると、2本のザイルの結び目が見えました。それで、K野さんに大声で声を掛けました。「その結び目を解いて、1本ずつ引き抜きな!」。しばらくすると、木の枝に絡まっていたザイルがほどけました。これで安心です。K野さんもいろいろな体験をして、次第に立派なクライマーになっていくでしょうね。こんな場所では束ねたザイルを持ったままで、下降するにつれ、ザイルも出していくような方法を身に付けておいた方がいいのでしょうね。

 

▲15:03。続いて、僕が下降しました。次はS上さんです。S上さんにとってもこれほど長い懸垂下降は初めてではないでしょうか。地面の上のザイルの長さを見ると、この懸垂下降は40m以上あるようです。(撮影:K野)

 

▲15:04。地面に降り立つS上さん。K野さんが念のためにザイルを持ってくれています。

 

本当なら、ここでメンバーチェンジして、僕もダブルザイルの練習をすべきだったのでしょうが、わざわざ練習しなくても、問題はなさそうです。S上さんが「オケラルート3級を登りたい」と言うので、4人で登ることにしました。

 

▲15:20。リードするのはK野さん。3級となっていますが、今いるところからしばらく、ちょっと嫌らしいムーブが続きます。4級あるといっても可笑しくないと思いますね。4人が繋がって登るので、K野さんが今使っているザイルは8.2mm×60mのシングルザイルです。この先でK野さんは穴の中、トンネルの中、煙突の中に潜り込んでいきます。そこからK野さんの悲鳴が聞こえてきました。「頭が通らないよ~っ!」。

 

▲15:34。K野さんは無事にリードし、2番手で登るのはS﨑君。そのS﨑君はダブルザイルを1本引いて登ります。

 

▲15:55。3人目はS上さん。彼女が穴から抜け出すところです。(撮影:K野)

 

▲16:04。これが穴の入り口。

 

▲16:06。穴に入ったところ。ここからオケラ気分をたっぷり味わうことが出来ます。オケラ気分と言われても、オケラは土の中でこんなに苦しまないでしょうけれどね。

 

▲16:07。上を見上げるとこんな感じ。ここから穴が狭くなります。ヘルメットが周囲を擦ってガリガリ鳴ります。ホールドがあるわけでも、スタンスがあるわけでもないのですが、体全体が挟まっていて落ちる不安はありません。上へ登れないのでは、という不安はありますけどね。

 

▲16:09。出口が近づいて来ました。体格がでっかい人、太った人には通り抜けられないでしょうね。

 

▲16:19。2ピッチ目は僕がリードしました。リードと言っても、3級-もないでしょうね。2級でしょう。高度があるので念のためにザイルで確保はします。2番目にS上さん、続いてS﨑君、最後にK野さんが登って来ます。この写真の頃から時折ポツ、ポツと小さな雨粒が落ちて来ました。

 

この日はオケラルートで終了です。小雨が降り始めましたし、僕たちが最後のクライマーです。下山するまで雨は降り続きましたが、雨具を着るほどではありませんでした。

H島でシェアカーを返却し、4人でレストラン『ネパールキッチン』へ。 首都カトマンズの場末のレストランの雰囲気を湛える僕お気に入りのお店です。 いつ行っても、やる気が感じられません。 この日はとりわけやる気がないようで、メニューすらないとのこと。「ネパールご飯しかありません」と言います。 ネパール女性で、日本語も少ししか通じません。 ネパール体験のある(僕もあるんですが)S﨑君がいろいろと聞いてくれて、いろいろと食べることが出来ました 。

チキンカレー(汁はなし)、大根のアツァール、モモ、白ご飯、ダルスープ。3人は生ビール、僕はククリラムのオンザロック。山やネパールの話が弾んで、楽しく、 美味しく、食べたり飲んだりして時が過ぎていきました。

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3年半のブランクを越えて、易しいシダクラ沢を遡行しました

2022年05月19日 | 沢登り/多摩川本流

僕は自分のことを沢屋だと思っています。レベルは最盛期でもせいぜい中級の下ほどだったと思いますが、沢の風景が大好きです。そんな僕が訳あって3年半もの間、沢登りをしませんでした。

登山自体も充実していませんでしたから、山体力も低下の一途を辿っていました。クライミング練習だけは細々と継続していましたが、沢を歩く感覚や滝を登る能力もかなり落ちていることが想像できます。

山体力もまだまだ復活にはほど遠いレベルですが、最低限度までは戻って来たかと思います。ですから、沢登りも再開することにしました。選んだ沢は当然すごく易しい沢ですし、これまで何度も遡行したことのある沢です。10回近く行ったことがあるかもしれません。それがシダクラ沢でした。多摩川本流の奥多摩湖の少し下流にある支流です。山で言えば、御前山と惣岳山の北面の沢。ザイルを出すような滝もない、小滝登りと沢歩きの沢です。

 

そもそもGWの5月6日に沢登りに行くようになった理由ですが、僕の山仲間のY根君が遠くから関東の実家に帰省するので、同じ山仲間も誘って山へ行こうという話になったのです。集まった仲間は皆、強い(強かった)連中ばかりなのですが、沢登りは全員ブランクがあります。Y根君とS﨑君は10年ほどのブランクがあるでしょうか? YYDのK野さんは僕と同じ3年半のブランクです。まあ、ブランクはありますけれど、僕以外の3人は全員40代です。体力等には不安がありません。

 

2022年5月6日(金) シダクラ沢~清八新道

▲8:59。奥多摩駅から奥多摩湖方面へのバスに乗って、惣岳バス停で下車します。バス停横から下の集落への道が通っています。(撮影:K野)

 

▲9:09。シダクラ橋です。古い橋なので、一度に2人以上は通らないようにとのことです。(撮影:K野)

 

▲9:40。シダクラ橋を渡ると、谷底へ下る山道が左に付いています。それを下った場所で、遡行準備。準備も終わって、いよいよ遡行開始です。左からS﨑君、K野さん、Y根君。K野さんが一番若いのですが、昔から呼び慣れてしまっているので、S﨑君とY根君には君付けで許してもらいたいと思います。

 

▲9:40。スタート地点から見えている滝です。直登しても易しいのですが、いきなり濡れるのも嫌ですから、登ったことはありません。いつも左(右岸)から大きく巻きます。

 

▲9:45。のんびりと歩き始めます。沢登りの魅力はもちろん水の景色の美しさが第一ですけれど、森の美しさもひけを取りません。とりわけ春は最高です。

 

▲9:52。小滝ですけれど、美しさはそれぞれに唯一です。

 

▲9:56。取水堰です。ここで取水した水を何に利用しているのでしょうね?

 

▲10:00。本当の初心者ならザイルを出してあげた方がいい高さがあります。でも、この日のメンバーはクライミング能力は十分持ち合わせているので、ザイルは出しません。Y根君は5.13クライマーですし、K野さんも5級のリード能力があると思います。

 

▲10:41。途中、カツラの大木が生えていました。ハ-ト形の葉が特徴で、落葉が甘い香りを放つそうです。カツラという名前も「香出(かづ)る」が由来とも言われています。

 

▲10:46。K野さんが果敢に滝を登攀します。右側は上部が嫌らしそうです。ちょっと苦労していました。

 

▲10:47。他のメンバーは滝の左を登りました。それでも、落ち口の岩が丸くて嫌な感じです。僕が登っていますね。(撮影:K野)

 

▲10:47。S﨑君も慎重に登って来ます。

 

▲11:06。元気者のK野さんはいろんな箇所でチャレンジします。他の3人は易しいところから登りました。

 

▲11:11。平凡な流れですが、とても美しいですよね。

 

▲11:13。大岩と巨樹の間を抜けて行きます。

 

▲11:49。二俣で休憩です。スタートしてから2回目の休憩です。このメンバーですし、全員が沢登り久し振りですから、のんびりと休み休み進みました。

 

▲11:55。炭焼き釜の跡が残っていました。

 

▲11:58。まだまだ小滝がたくさん出て来ます。

 

▲12:06。大岩がゴロンと転がっていますね。

 

▲12:11。少し水量が減って来ましたね。上流の雰囲気になって来ました。

 

▲12:15。巨樹が生えていました。沢の流れのすぐ横に、この木1本だけが凄い存在感で聳え立っていました。何の木でしょう? の木でしょうか?

 

▲12:29。水量もかなり減りました。陽光も沢床に入るからでしょうか? の育ちもいいように感じます。上も下も右も左も、に包まれています。

 

▲12:30。沢の流れが珍しい造形を作っていました。こんな流れを作るのは珍しいですね。

 

▲12:33。水流が消えました。まったく無くなったわけではなくて、岩や土の下を流れているのでしょうけれどね。

 

▲12:40。まだ沢形は残っていますが、詰めです。急登です。

 

▲12:57。支尾根の急登を登り続けます。(撮影:K野)

 

▲13:08。支尾根の詰めが思いのほか長いので、途中で1回休憩しました。全員、沢登りの詰めも久し振りなので、大変そうです。

 

▲13:45。中でもS﨑君がいちばん大変そうでしたね。沢登りの詰めはとっても良いトレーニングになることを再認識できました。

 

▲14:02。大ダワ尾根の登山道に出ました。ここで沢装備を解除します。予想よりも惣岳山から低い場所に出ました。これまで僕が辿ったコースでは、シダクラ尾根の最上部に出ることが多かったですね。二股は右に入りますが、その奥の二俣では左に入っていました。今回はそこを右に入ってみたのです。

 

▲14:15。バイケイソウの群生地です。6月頃から花が咲くようですね。花の色は緑白色となっています。以前見た時のここのバイケイソウは黄緑色の花でした。昔よりも群生地が広がっているような気もします。がある草なので、シカは食べないのでしょう。マルバダケブキもそうですが、シカが食べない草が奥多摩では増える傾向がありますね。

 

▲14:22。ニリンソウかな? ニリンソウにしては小さい感じです。

 

▲14:23。ミツバツチグリかな? まったく自信はありませんけど。

 

カタクリの花を期待していたのですけれど、ひとつも見ることが出来ませんでした。ひと昔以上前にはこの辺りたくさんのカタクリの花が咲いていたのですがね。花が咲いた後の葉も見られないので、カタクリ自体が減ってしまったみたいです。残念です。10年以上(もっとかな)昔のこと、大ダワ尾根の支尾根を歩いたことがありますが、途中で足の踏み場もないほどにカタクリの花が咲き乱れていた場所がありました。登山道では劇的に消滅していったとしても、人の入らない山のどこかでまだたくさんのカタクリが生きていることでしょうね。

 

▲14:34。惣岳山1348.5mです。三角点ではないはずですから、この小数点の標高はどこが調べたのでしょう? (撮影:K野)

 

いつもなら、大ダワ尾根を出たところからそのまま下山してしまいます。でも、この日は惣岳山まで登って来ました。これから小河内峠を経由して、清八新道を下降するからです。

 

▲15:15。小河内峠へ向かう登山道の途中で、K野さんが木の根に足を引っ掛けてしまって、少し捻ってしまったようです。その場で少し休憩しました。

 

▲15:25。小河内峠です。清八新道はこの峠から下っていきます。

 

▲15:36。清八新道上部はこのくらいの傾斜で下っていっています。

 

▲15:37。でも、傾斜の緩い巻き道(右)もあります。

 

清八新道から奥多摩湖へ至る山道は3通りあります。この尾根の半分より少し下ったあたりから右へ下っている山道が最も近道です。さらに下って、664m標高点の手前から右に山道がなだらかに下っています。でも、注意深く探さないと、見落としがちです。僕が好きな山道はこの尾根の末端まで辿るコースです。最後は山道は消えていますが、湖畔道へそのまま下ればOKです。この日も時間的余裕があれば、末端まで行きたかったのですが、バス時刻が迫っていたので、近道を下りました。

 

▲15:58。近道を下ってきました。僕とS﨑君です。白い髭はともかく、額が後退していますね。齢が齢ですから仕方ありませんね。(撮影:K野)

 

▲16:01。沢を渡る橋に出て来ました。

 

▲16:04。山道も終わって、林道に出ました。

 

▲16:18。林道が続きます。バスの時刻が近づいているので、僕は急いで歩きました。本気で歩けば僕がいちばん遅いはずですから、意識して速く歩きました。バスの時刻は16:48ですから、大丈夫そうですけれどね。

 

▲16:22。奥多摩湖に午後の陽射しが反射しています。

 

▲16:25。ウツギだと思います。卯の花ですね。卯の花が咲くころを称して卯月と言うのですが、旧暦の卯月は新暦では5月ころです。

 

▲16:28。林道を出て来ました。このゲートが奥多摩湖南岸を通っている湖岸周遊道路の東側のスタート地点になっています。西の終点は山のふるさと村ですが、湖岸の遊歩道は麦山の浮橋まで通っています。この遊歩道はほとんどアップダウンはありませんけれど、けっこう長いです。途中には休憩する場所やトイレも整備されています。

 

▲16:35。小河内ダム上から撮りました。遠い山並みの左端、この写真から外れたあたりが小河内峠です。中央右の高く見える山は月夜見山1147.0mだと思います。

 

▲16:40。奥多摩湖バス停始発の臨時バスが来ました。これに乗って奥多摩駅へ向かいました。

 

4人で天益へ行きました。前もって予約しておいて、バス停からも「これからバスに乗りますね」と連絡を入れておきました。久し振りに4人という人数で天益さんのお世話になりました。Y根君が遠い実家まで帰らなければなりませんから、その電車の時刻まで楽しい時間を過ごしました。

 

3年半ぶりに沢登りをしました。不安定な岩の上を歩くことにまだ不安感があります。滝の登攀にもまだ自信が持てません。年齢や視力の衰えもありますから、以前と同じように跳んで歩くようにはならないでしょうけれど、沢登りを繰り返す中でもっと安心して歩けるようにはなりたいと思っています。

長くて急登の詰めは思っていたよりにこなせました。でも、最後の詰めは山の脚力アップのためにはこれ以上ないトレーニングになりますね。今後、沢登りを続けて実行すれば、普通に山歩きする以上に山体力も復活すると思いました。

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YYDの仲間と秩父の釜ノ沢五峰と品刕(しなしゅう)を歩きました。何とか迷惑をかけずに歩けるレベルになったかな、と思いました

2022年05月14日 | ハイキング/秩父

GWがやって来ました。僕のGWの過ごし方ですが、尾瀬周辺の春山に行くことが多かったですね。2泊3日から4泊5日くらいの日程が多かったと思います。何回も(10回くらい?)行ったので、様々なピークに行きました。主だったピークをほぼ西から並べてみると、笠ヶ岳、至仏山、日崎山、ススヶ峰、赤倉岳(未達)、大白沢山、大白沢池、カッパ山、外田代、白沢山、平ヶ岳、景鶴山、与作岳、笹山、アヤメ平、皿伏山、大清水平、鬼怒沼山、黒岩山、赤安山、小淵沢田代、尾瀬沼、・・・・

まだ行ってない場所もたくさんあります。春山の燧ケ岳も登ってみたいですね。赤倉岳も雪庇の状態が悪くて直前で断念しました。いつか行ってみたいですね。

 

ここ数年は訳あってGWとしての山行は行なえていません。今年も同様です。雪山とも幕営とも遠ざかっていますから、泊りの春山は無理な状況です。前提となる山体力に自信が戻って来ていませんしね。

そういう中、西丹沢の畦ヶ丸を二人で歩いたYYDのT原さんが面白い計画を出しました。秩父市街地の西の山地、釜ノ沢五峰~品刕(しなしゅう)です。前半の釜ノ沢五峰はハイキング、後半は地図読み山行なんだとか。最高地点は644mと、低山徘徊の山行ですけれど、面白そうです。実は僕は品刕を登ったことがあります。30年くらい前のことですから、もうすっかり忘れてしまっています。名前というか、その漢字が珍しいので覚えていました。

 

2022年5月3日(火) 釜ノ沢五峰~品刕~柴原山~高根山

▲8:51。長若山荘前まで西武秩父駅からタクシーで来ました。本当は8時20分のバスに乗って、長若中学校前で下車し、ここまで40分くらいかけて歩く予定でした。ところが、ちょっとしたアクシデントがあってバスに乗れなかったんです。結果的には早く登山口に到着できました。

 

▲8:58。長若山荘の横に釜ノ沢五峰の登山口があります。

 

▲9:08。最初は沢沿いの登山道を進みます。時に分かりにくい山道になりますが、早めに支尾根に上がれば大丈夫。

 

▲9:23。この日は雲ひとつない無風快晴の上天気です! ここが釜ノ沢の一の峰。岩峰なんですね。右に落ちないように気を付けなければなりません。

 

▲9:23。に見えたり、に見えたりしますが、一の峰です。

 

▲9:35。二の峰山頂です。東から南方面が見晴らせます。武甲山はもちろん、奥多摩の山々も見えています。

 

▲9:36。「あれっ? 二の峰を知らないうちに通り過ぎちゃったみたいだ」と思いました。でも、ここは二の峰です。

 

▲9:38。二の峰からの下りにはが付けられていました。

 

▲9:46。素晴らしい青空が広がっています。暑くも感じませんし、最高のハイキング日和です。三の峰直下ですね。

 

▲9:47。三の峰山頂です。ここも周囲の見晴らしが最高でした。

 

▲9:48。三の峰です。秩父鉄道南側の山々が見えているのですが、どれがどの山なんだか僕には分かりません。

 

▲9:52。三の峰からの下りもが付いています。最後尾を歩かせてもらってる僕ですが、ここで足を滑らせてしまいました。鎖を持っていたので事なきを得ましたが、右側に振られてしまいました。若いころのように、ヒョイヒョイと跳ぶように跳ねるように歩くことはもう無理ですね。

 

▲9:56。すぐに四の峰に着きました。三までとは違って岩峰ではありません。ピークとは思えないような木に囲まれた場所です。

 

▲10:07。ここも地味な山頂ですね。五の峰です。やっぱり木に囲まれた山頂です。

 

▲10:08。五の峰です。

 

▲10:11。565m標高点(多分)で大休止。K野さんがザックからドローンを取り出しました。ビックリですね! 

 

▲10:19。頭上の樹々の隙間から上空へ昇って行きます。カメラも付いていて、周囲360度の景色も見ることが出来ます。凄い時代になって来たものです。

 

▲10:23。元のところまでドローンが帰って来ます。

 

▲10:41。布沢集落のそばを通っている送電線だと思います。でも、この鉄塔ちょっと変ですよね。電線が付いていません。

 

▲10:44。北西方向を見ると、二子山1165.8mの双耳峰が見えました。二子山の左には両神山も見えていました。

 

▲10:44。秩父市の後方に聳える武甲山1304mも見えます。左半分は削られてしまっていますね。

 

▲10:54。心地よい木漏れ日の中を歩きます。

 

▲10:56。明るいピークが眼の前です。

 

▲10:58。東京都と埼玉県秩父市の県境の山々なんですが、山名同定はまったく出来ません。このあたりの山々ももっと歩きたいですね。

 

▲11:07。クマの爪痕なんでしょうか?

 

▲11:07。これは鹿の角痕なのかな? よく分かりません。下から上へこそぎ上げているようですよね。

 

▲11:18。少し古い標識ですね。

 

▲11:20。何スミレなんだろう?

 

▲11:24。金精神社です。金精神社由来によると「この神社は栃木、群馬両県境にある奥日光の金精峠上に鎮座されている金精神社の御分霊を勧請し(中略)コンセイダイミョウジンを御神体としてお祀りし縁結び、子孫繁栄、招福除災の守護神として・・・・」、平成になって建立されたようですね。

 

▲11:26。文殊峠には舗装された道路が来ています。僕たちは写真中央の階段を上っていく予定です。

 

▲11:31。登って行くと長若天体観測所がありました。この日のスタート地点だった長若山荘のご主人が建設した私設観測所ですが、公開もしているそうですね。360度ほぼ全天が観測でき、周囲には民家の灯りもほとんどないので、理想的な観測場所になっているようです。

 

▲11:31。中央には両神山1723.3m、その右には二子山が見えていますね。

 

▲11:33。両神山の反対側も空を遮るものはありませんね。武甲山が見えています。

 

ここまでがこの日の行程の前半です。山道もしっかり付いているハイキングですね。この日の行程の3分の1ほどの距離を歩いたことになります。休憩込みで2時間半ほどかかっています。コ-スタイムは2時間10分くらいですが、YYDペースとしては少しのんびり歩き過ぎたかもしれませんね。ここからは踏み跡もあるかないかの地図読み山行となります。地図と睨めっこしながらの緊張した歩きになると思います。

 

▲11:45。天文台から早速の道なき道です。適当に降りて行きました。

 

▲11:50。小ピークに立つたびに地形図を見て、現在位置をチェックします。全員が読図し、互いに現在位置を言い合います。僕も同じです。方角や小ピークから派生している小尾根の本数や方向などを確認します。

 

11:57。岩っぽい尾根も出て来ます。

 

▲12:02。さっきの天文台が見えました。

 

▲12:13。林道が出て来ました。この尾根まで延びて来た林道のようですね。品刕まであと僅かのようです。

 

▲12:16。ここを登り切ったピークが品刕でしょうか?

 

▲12:19。品刕639.1m山頂です。昭文社のMAPや僕の持っている2万5千図には639.0mと記されているのですが、電子国土Webには639.1mとなっています。何故なんでしょうね? それにしても、この先へ進むのが「荒川方面」というのは大雑把でいいですね。

 

▲12:21。品刕山頂で記念撮影。左からK野さん、T原さん、K取さん、僕、T橋さん。男性3人は僕ともよく付き合ってくださる面々です。改めて言いたいと思います。YYDでは僕は最年長。若い方々とご一緒できるだけでも心強いですけれど、自分自身の山体力維持にもとても敏感になります。

 

▲12:37。11時くらいからはほぼ南へと歩いています。支尾根も数多くありますが、引き込まれそうな支尾根はありませんでした。この辺りは主尾根を歩いていればまずは大丈夫ですね。

 

▲12:45。この辺りだけ伐採されていました。でも、伐採された杉の木は運び出されてはいませんね。

 

▲12:46。このピークが644m標高点なんですね。この日の最高地点です。柴原山という山名なんですね。東の麓に柴原という集落があり、柴原温泉が湧いています。

 

▲13:10。山道のようですね。この付近から時折出て来ました。

 

▲13:11。山道が出て来る理由はこれでしょうか? 送電鉄塔の巡視路が整備されているからだと思います。そればかりではなくて、麓の神社から聞こえて来る祭りの太鼓の音や秩父鉄道を走るSLの汽笛の音などがよく聞こえます。里も近い里山なんですね。ただ、この日はそのような山道は無視して、地形上の尾根通しに歩きましたから、ほとんど山道は歩きませんでした。

 

▲13:25。送電鉄塔が現われました。ここを通過してから、少しずつ方向を東向きに変えて行きます。

 

▲13:30。ここは山道(巡視道)でしょうね。でも、この山道はすぐに巻き道になってしまいますから、離れてしまいます。多分、この山道沿いに南へ下っていくとすぐに下山できるのではないでしょうか。

 

▲13:52。81号は僕たちも次に目指す鉄塔だと思います。尾根もほとんど東に向いています。巡視路ともしばらく付いたり離れたりです。

 

▲13:56。新緑が輝いていますね。改めてその美しさに感嘆します。しばらく、巡視路を歩いて来たようです。

 

▲14:03。巡視路から離れ、尾根を進むと、写真のような巨岩に行く手を阻まれました。右からは行けませんから、左から通過します。

 

▲14:05。左からの巻きも岩場になっています。

 

▲14:06。巨岩の上にはが祀ってありました。

 

▲14:06。麓の集落がよく見えますね。写真中央に秩父鉄道を走る車両が見えています。

 

▲14:08。祠の祀られている巨岩から降り、振り返って見ました。

 

▲14:11。送電鉄塔が現われました。標高は530mくらいですね。写真の電線を見てもらうとわかりますが、ここで送電線の向きが変わりました。僕たちは次のピークまで東へ進み、そのピークから南東の尾根を下ります。

 

▲14:30。南東方向へ進んでいます。ここを登ったピークは高根山521mだと思います。

 

▲14:50。里の音がどんどん大きくなります。読図していますから、この先もう間違えそうな箇所もありませんし、山の緑を味わいながらの下山気分になっていますね。

 

▲15:08。標高440m付近だと思います。最後の休憩を取りました。K野さんが再びドローンを出しました。電線にひっからないかと心配しながら見ていました。

 

▲ドローンが撮った僕たちの写真です。(K野さん撮影)

 

▲15:15。この日最後の送電鉄塔です。標高は400mほどですね。

 

▲15:20。奥社です。三社合殿(さんしゃあいどの)とも言うのだそうです。その三社とは高根社、天神地祇(てんじんちき)、八百萬神(やおろずのかみ)なのだそうです。「孝徳天皇の大化四年(648年)、日照り続きで作物が枯れそうになったとき雨乞いをしたら、たちまち雨に恵まれたので神恩に感謝して高根山の中腹に祭ったという」。やたらと古いですね。

 

▲15:27。小野原稲荷神社。標高は340mくらいです。無事に下山しました。この神社はひとつ前の奥社に由来するようです。この地に神社が建てられたのは天正十八年(1590年)で、鉢形北条の家臣が村民を勧誘して造営したそうです。鳥居の模様が綺麗ですね。波のように見えます。

 

▲15:35。武州日野駅へ向けて歩きます。だんだんと速足になりました。

 

▲15:49。武州日野駅に到着です。

 

▲15:51。電車が入って来ました。秩父市街地の御花畑駅まで乗ります。

 

▲15:57。車内は2019年のラグビーワールドカップの広告で満たされていました。この車内ではまだあの時の熱気が続いていますね。ジャッカル!!! オフロードパス!!!

 

居酒屋さんが開く時間までもう少しあるので、秩父市にはさよならして、飯能まで行きました。そこで地元の人たちが入るような居酒屋さんへ行きました。ただし、男4人だけで。この日の紅一点だったK取さんは帰りました。その理由ですが、彼女は医療関係の仕事をしていて、職場のルールがあるのだそうです。そのルールとは食事を共にする席は4人まで、というものなんだそうです。ですから、5人一緒だとルール違反になっちゃうんですね。残念!

 

この日の山行は、前半はのんびりハイキングでしたから、ゆっくりペースで歩いてくれました。後半は読図山行で、度々地図を見るために立ち止まります。僕の現状の山体力でも大丈夫なペースでした。

今後のことですが、標高差のあるロングコースでも大丈夫な山体力を付けなければならないと思います。急には出来ることではありませんから、これまで通り地道に山体力をアップさせる努力を続けようと思います。

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YYDのT原さんと西丹沢の畦ヶ丸のバリエーションを歩きました

2022年05月08日 | ハイキング/丹沢

ほんの少しずつですが、自分の山体力が復活しつつあることを実感し始めています。もちろん数年前までの山体力に比べるとまだまだですが、YYDの仲間に迷惑をかけない程度には復活しているかもしれません。

ただ、この山行を行なった4月9日ころはまだそこまでの実感はありませんでした。

僕にとっては頑張るレベルの山行を繰り返すことで、山体力の復活も前進する、そんな思いもありました。ですから、T原さんが計画した西丹沢の山行に思い切って申し込むことにしたのです。T原さんはYYDの中でも健脚と知られる強い山屋です。しかも、今回はT原さんと僕の二人だけ。鍛えられることを覚悟して臨みました。

でも、それは杞憂で、僕との距離がほんの少し開くたびに、 1秒とか2秒ほど僕に意識させない程度に立ち止まってくれるんです。僕との距離が開かないように気遣いしてくれていました。

今回のコースの全体的な印象ですが、アップダウンや急登や痩せ尾根の多い緊張感のある楽しいコースでした。 地図読みを要求される箇所も随所にあって、そんな楽しさも満載です。 ザイルを出すほどでもありませんが、危険を感じる場所も数多くあります。 そんな場所で落下すれば、大怪我は免れません。 対処法も知っておく必要がありそうですし、単独で事故を起こすと、発見してもらえそうにないなぁとも感じました。

 

2022年4月9日(土) 

権現山~畦ヶ丸~善六山~シャチクボの頭~焼山

▲7:33。新松田駅前で並んで待っていると、こんなクラシックなバスが停まりました。行先が違うので乗りませんが、乗ってみたくなりますね。後ろに見えるさかなや道場は下山後の反省会で入ったお店です。駅前にハノイ食堂がまだあったのには驚きましたね。僕がずっと昔に西丹沢の沢登りやアイスクライミングでここに来ていた頃は、他に寿司屋さんと焼肉屋さんがあっただけだったので、このハノイ食堂にいつも入っていたものです。懐かしいですね。

 

▲9:16。バスの終点にある西丹沢ビジターセンターです。ここでゆっくり出発の準備をしました。

 

▲9:18。ミツマタの花が咲いていました。周辺にはたくさんのミツマタが植えられています。

 

▲9:20。川の本流にかかる吊り橋を渡ります。

 

▲9:22。渡ってすぐの左斜面を登って行きます。踏み跡すらありませんでしたが、どんどん登って行きます。

 

▲9:28。小さな尾根が近づいて来ました。標高600m付近かと思われます。

 

▲9:50。歩き始めからおよそ30分、最初の休憩をとりました。

 

▲10:08。山道がある訳ではありませんが、微かに踏み跡もあります。でも、たとえ踏み跡がなくても歩き易さには変わりなさそうですね。

 

▲10:20。丹沢にはこのような崩壊地がよくあります。

 

▲10:43。新緑前の広葉樹林ですから、陽射しがたっぷり注がれています。雲ひとつない快晴ですし、本当に気持ちの良い山歩きですね。

 

▲10:49。権現山1138m山頂です。これって椅子なんでしょうか?

 

▲10:50。権現山の南側が開けて遠くまで見えました。丹沢湖が見えています。

 

▲11:20。権現山からは下棚沢出合付近へ続く破線の山道があるようです。でも、あまりこれまでと変わりなく思えます。

 

▲11:32。尾根の両サイドが崩落しています。ちょっと緊張しますね。

 

▲12:20。小さなアップダウンはありますが、基本登って行けばいいだけなので、ルートファインディングは問題ありません。権現山から畦ヶ丸までの尾根にはこの写真のようななだらかな尾根が多かったですね。この写真は畦ヶ丸直前です。

 

▲12:27。白い部分は大きな崩壊地です。急斜面ですから、落ちるとアウトですね。

 

▲12:35。畦ヶ丸1292.6m山頂に到着です。山頂のテーブルでも休憩しました。

 

▲13:04。畦ヶ丸からは北東方向へしばらく一般登山道を歩きます。右の柵は鹿柵でしょうか?

 

▲13:33。一般登山道ですから階段もあれば梯子だってあります。

 

▲13:37。善六ノタワに着きました。標高は1040mほどでしょうか。一般登山道はここまでで、ここから登山道を外れます。

 

▲13:44。善六ノタワからは登山道は山腹を巻いて、すぐ先の支尾根を下っています。僕たちはタワ(峠)から前方の尾根を登って行きました。

 

▲13:48。広々とした気持ちのいい尾根が続きます。

 

▲13:50。善六山1119mからはこの日歩いた権現山が真南に見えていました。

 

▲13:50。南西方向には畦ヶ丸も見えました。

 

▲14:26。分かり易い尾根を歩くと、シャチクボの頭1033mに到着します。

 

▲14:31。シャチクボの頭からは地図読みを慎重に行なう必要があります。次の目標の849m標高点は東南東方向なので、その方向へ下降したくなります。でも、地形図をよく見ると、標高差30mくらい北北東へ下ってから東南東に向きを変えるんです。T原さんが正確に地図を読んでくれました。

 

▲14:34。ヤドリギがたくさん寄生しているこの木の下に登山者がひとりいました。写真を撮っていたようです。一般登山道以外ではこの日唯一の登山者でした。

 

▲14:39。尾根は少しずつ南東方向へ向きを変えました。痩せ尾根になります。

 

▲14:53。849m標高点に着きました。焼山という山名なんですね。

 

善六山に続いて、焼山でも休憩しました。T原さんが「バスは15時40分ですね。その次は17時台かな」と言います。ここからは下降ばかりですけれど、距離的にも、ルートファインディングにも時間がかかりそうです。僕は「17時過ぎのバスでいいんじゃないの」と答えました。時間に急かされるようにして下るのは危なそうですし・・・・

そんな風に考えていたので、ここでの休憩もたっぷりと10分ほど取りました。

 

▲15:11。ほぼ南に尾根は続きます。2度ほど尾根が分かれて、そのたびに正しい選択をしなければなりません。3度目の選択時には広くて平らなピークに出ます。そこからは南西方向へ下ります。ルートを間違えずに順調に下降できていましたから、15時40分のバスに間に合いそうだとの気持ちが強くなって来ました。

 

▲15:20。この写真ではよく分かりませんが、この斜面はザレの急斜面です。滑り降りるようにして下降しました。時々残置されたロープも出て来ます。結果的には、この斜面の下降がスピーディーだったので、バスに間に合ったんだと思います。

 

▲15:29。広い登山道に降りて来ました。時間的にも余裕がありますね。

 

▲15:34。朝に渡った吊り橋を渡り返します。ビジターセンターが見えていますね。

 

▲15:36。余裕でバスにも間に合いました。

 

バスで新松田駅に戻りました。1枚目の写真に写っている居酒屋さんで男ふたりの反省会をしました。男二人っきりの反省会ですから、山の話以外に盛り上がる話題もないだろうな、と思いました。でも、意外にも話題は私生活にまで及び、楽しいひと時を過ごせました。

翌日は筋肉痛でした。それほど酷くはありませんが、脚、腰、肩回りの筋肉痛でした。11月から山行し始めましたが、初めての筋肉痛でした。

一ヶ月後の今から思えば、この山行が山体力が復活し始める転機の山行だったような気がしますね。もちろんそれ以前の山行が基礎や準備になっている訳ですが、この山行が僕にとっては大きな自信を与えてくれた山行でした。ですから、この翌週六ッ石山での『標準コースタイムで歩く』シリーズの成果に繋がったのだと思います。

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