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ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

雪の六ツ石山には到達しませんでしたから、途中のハンノキ尾根を下降しました

2016年02月25日 | 雪山/奥多摩

2016/2/11  前回山へ行ってからも、チャンスを自ら逃してしまっていました。晴れているのに、S子がちょっと調子が悪いからとかの理由で、単独で行こうと思えば行けるにもかかわらず、なんとなく行かなかったりしたのです。2月に入ると、今度は仕事が意外と忙しくて、やっと建国記念日の祝日に出かけることが出来ました。
この季節になると、冬眠してしまう(山へ行かなくなる)人がいますけれど、そんな人々の気持ちが分かるようになってしまいました。それではいけませんね。

奥多摩にはまだ雪が残っているでしょうから、雪の上を歩きたく思って、六ツ石山へ登ることにしました。


▲またしても遅い出発(反省)。水根のバス停です。次のバス停が奥多摩湖。9:50ころ。


▲舗装道路を登って行くと、後ろの風景が広がって来ます。奥多摩湖と小河内ダム。写真の左には大ブナ尾根と清八新道の尾根が見えます。中央少し右の笠型のピークは月夜見山だと思います。その右のどれかが三頭山だと思うのですが。10:10ころ。


▲杉林の中に産土(うぶすな)神社が見えて来ました。山の安全や土地の平安を司る大山祇命(おおやまづみのみこと)が祀られているそうです。10:28ころ。


▲産土神社の建物の中を覗くと、祠が安置されていました。この祠が神社本体なのでしょうか? 脇にも小さな祠が祀られています。愛宕神(防火)、稲荷神(豊作)、金山彦社(山の資源)、疱瘡神(厄病除け)も合祀されているそうです。10:31ころ。


▲登山者によく踏まれていますし、南面の登山道ですから所々凍っていました。S子も滑らないよう注意しながら歩きます。10:58ころ。


▲ずうっと杉林の雪道が続きました。久し振りに陽の当たる平らな場所がありましたから、ここで休憩にしました。11:08ころ。


▲植林が終わり、広葉落葉樹林が現われました。地面に陽がたっぷり届きますから、雪が融けてしまっています。11:40ころ。

広葉樹林はすぐに終わり、また杉の植林になります。雪も出て来ました。


▲これが「風ノ神土」だと思います。不思議な名前ですし、宮内敏雄氏の本やネットでも調べてみましたが、正体が分かりません。11:53ころ。


▲標高も高くなってきましたから、雪もけっこう残っています。12:04ころ。

途中、雪の消えた暖かい斜面で休憩しました。上から降りて来る登山者もいました。


▲落葉した広葉樹林では雪は消えていますね。南面なのでなおさらです。12:54ころ。


▲右に延びる尾根が見えています。南斜面の雪は解けていますが、尾根筋には雪が残っていますね。あの尾根がハンノキ尾根です。13:02ころ。

今日は最初から決めていたのですが、六ツ石山山頂に14時までに到着(もっと厳密に言えば、山頂を14時までに出発)出来ないようならば、山頂には向かわず下山することにしていました。コースタイムではあと1時間以上かかりますし、休憩もいれるとS子の足ではあと2時間以上かかりそうです。と言うわけで、今日の六ツ石山は断念。それでハンノキ尾根を下降することにしました。

ハンノキ尾根をこれまで2回くらい登ったことがあると思います。ただ、雪のあるハンノキ尾根を、しかも下降するのは初めてですけれど、大丈夫でしょう。


▲ここがトオノクボと呼ばれる地点なんでしょうか? 僕たちは右から登って来ました。後ろへ行けば六ツ石山です。これから前方のハンノキ尾根を下ります。先へと二人分の足跡が続いていました。二人パーティーが登って来たようです。トレースがあることは心強いですね。13:05ころ。


▲トオノクボから六ツ石山方向を眺めました。標高は1300mほどあるので、広葉樹林ですが、完全に南斜面でないかぎり雪は融けないようですね。13:05ころ。


▲ハンノキ尾根の下降開始です。13:09ころ。


▲天気も最高ですし、雪も綺麗に積もっていて楽しい雪山散歩ですね。13:12ころ。


▲植林が出現すると、明るさが減ります。13:22ころ。


▲何かしらの電波の反射板らしきものが現われました。S子の後ろの白い板です。その反射板の左下方向には小河内ダムがあり、見通せるように植林は刈り払われていました。13:43ころ。


▲ここまでほぼ尾根沿いに下ってきましたが、山腹を巻くように山道が付いています。写真左上方にピークがあるのですが、そこが1041m標高点ではないかと思います。14:02ころ。


▲山腹を回り込み、再び尾根筋に出て来ました。そこで休憩しましたが、南には御前山が見えていました。14:30ころ。


▲尾根筋から山道が外れます。846.1mのイソツネ山へは向かわずにその北斜面に山道はあります。そこへ雪ですから山道がどこを通っているのか分からなくなってしまいました。2人パーティーの足跡も自信なさげで、そのうち僕もその足跡を見失ってしまいました。14:46ころ。


▲この辺りは萱場なんでしょうか? カヤと言うのか、ススキなのか、そんな枯草の上に雪が積もっていますから、思いのほか足が深く潜ります。歩きにくくもあります。尾根自体は左上方なんですが、山道はこちらにあるはずです。15:09ころ。


▲小屋がありましたから、そのそばには必ず山道があるはずと、小屋まで来ました。この小屋の右下には柵が続いていて、その柵沿いに進んでみました。15:10ころ。


▲東を眺めると、山並みが広がっています。右から大岳山、御岳山、大塚山、城山、高水三山などが見えていると思います。15:15ころ。


▲柵沿いの踏み跡が下に向かうようになりました。足跡もしっかりと付いています。S子の右側にはこの土地の所有者でしょうか、家が建っています。15:21ころ。


▲柵の中からモノレールの軌道が現われ、山道もレール沿いに付くようになりました。15:25ころ。


▲レールからも離れ、山道は下に続いています。けっこう多くの人が歩いているようです。15:33ころ。


▲だんだん里が近い雰囲気になってきました。雪道もしっかりと踏まれていて、安心感が増してきます。15:42ころ。


▲見覚えのある廃屋が現われました。15:47ころ。

去年の6月13日にもこの道を歩いています。その時は小中沢へと降りて行きましたから、今日歩いたハンンキ尾根は通っていないのですが、7ヶ月後に戻って来ましたね! 去年の記録は下記を参考にしてください。

http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/ad52c20992cf47faad573532a512a93b


▲境集落が見えて来ました。廃線になった鉄道の高架も見えています。16:18ころ。


▲境集落の道路に出ました。16:24ころ。

境橋のバス停に向かうと、すぐにバスが来ました。奥多摩駅前の天益へ入ります。しばらくすると、Kさん来店。ずいぶん前に遭難された方の捜索活動をされてきたとか。すでに引退なさったのに、凄いですね。いろいろな話題を楽しみ、一度列車に乗り遅れ、再び天益に戻って来て、次の電車で帰宅。


惣岳山で奥多摩の雪山低山歩きを楽しんで来ました

2016年02月15日 | 雪山/奥多摩

2016/1/24  最近山を登る回数が減っています。良くありません。休みの日に運悪く天候が悪かったりするのは仕方ありませんけれど、快晴なのに何かと理由をつけて行かないことがあります。S子の体調がいまいちだとか(そんな時は単独で思い切り歩いてくればいいのです)、前の日遅く(と言っても夜7時くらいですが)帰ったので、翌朝早起きして山へ出かけるのは辛いとか。
まだまだ登山にチャレンジしていかなければ駄目だと考えていますから、僕は決めました。山岳会へ入ろうと。山岳会に限らず、山の仲間(S子以外の)がいると、山行計画が早めに決まります。そこへ向かって精神的肉体的な準備を作って行くのです。
前日になって、否、前夜になって「明日どこ行こうかな?」と考えるのはあんまりですよね。誰でも朝はゆっくりしたいです。しかも翌朝ならなおさら。

そんな僕の愚痴ともつかぬことはさておき、山へ行くことを決めました。山と山の間隔が空いてしまうと、毎回のように「とりあえずは足慣らしに」ということになってしまいます。でも、今回は同じ足慣らしとはいえ、奥多摩に雪が降ってから初めてなので、短時間のハイキングコースとは言え、雪があるはず。楽しみです。


▲軍畑駅で下車。10:04ころ。

軍畑で降りるということは、対岸の三室山に登ったり、高水山の常福院方面へ行くのが普通でしょう。でも、今回は僕もまだ歩いたことのないヤナクボ沢沿いの道から惣岳山に登ることにしました。駅からは西へ向かいます。


▲ロウバイの花が咲いていました。10:08ころ。

駅の西にある最初の踏切を渡ります。


▲紅梅も咲いていました。10:11ころ。


▲ヤナクボ沢に沿った車道に合流すると、日陰にはまだ融けていない雪が現われます。10:27ころ。

林道の看板が出て来ましたが、それには谷久保(やくぼ)林道となっています。「やなくぼ」とも読めるでしょうから、ヤナクボ沢で統一しておきます。


▲未舗装の林道になると、両サイドの山も迫って来ますから、雪が増えて来ました。10:44ころ。


▲シカの足跡もくっきりと残っています。10:44ころ。


▲堰堤上の水溜りの表面が凍っていました。11:00ころ。


▲林道の終点に到着しました。見づらいと思いますが、矢印が上を指していて、「尾根ニ出ル」と書いてあります。昭文社の地図ではもっと上流まで黒の破線が付けられていますが、その山道は消えてしまっているのでしょう。この道標に従って、ここから尾根へ直上することにしました。11:23ころ。


▲踏み跡らしき仕事道も発見できません。ひたすら登って行きます。下には林道が見えていますね。11:31ころ。


▲尾根がすぐ近くに見えて来ました。11:52ころ。


▲尾根です。11:59ころ。


▲北斜面が見事に伐採された場所に出ました。12:11ころ。


▲高水山759mが見えているはずなのですが、どのピークでしょう? 中央のだとは思うのですが・・・・ 12:12ころ。


▲雪を踏むとこれくらいは潜ります。20cmは積もっているでしょうね。12:15ころ。


▲トレースは付いていますから体力的にも精神的にも楽です。12:19ころ。


▲614m標高点はもう過ぎたと思います。思いのほか一般登山道までは長かったですね。12:33ころ。


▲湧き水の上に建つお社です。今日は水が溜まっていました。12:55ころ。


▲惣岳山山頂に到着です! 建物は青渭神社。大国主命が祀られています。13:04ころ。


▲S子の記念撮影。惣岳山山頂756m。13:06ころ。


▲下山です。御嶽駅への人気ルートを下りますから、雪道は踏み固められて滑り易い! 13:30ころ。


▲来るときに見た湧き水のあるお社です。13:34ころ。


▲「しめつりの御神木」を過ぎ、のんびりと下って行きます。13:56ころ。


▲丹縄方面へ降りる山道もあるんですね。14:29ころ。


▲JR古里線と新秩父線のふたつの鉄塔を越え、412m標高点を過ぎたところだと思います。15:03ころ。


▲多摩川第三線の鉄塔をくぐると、御岳の町はもうすぐです。15:15ころ。


▲青梅線の線路です。15:25ころ。

御嶽駅に着くと、上りの電車がすぐに来ました。最寄りの駅で下車すると、二人で打ち上げ。


大雪のあと、初めて奥多摩の天益へ行きました

2014年03月15日 | 雪山/奥多摩

2014/3/8  U田くんからの有り難い申し出で一緒に奥多摩を歩くことになりました。先々週の土日は仕事、先週は天気が良くありませんでした。奥多摩駅までも先々週にやっと運行再開されましたから、僕としてはこの日が大雪後の最初のチャンスだったのです。

U田君からは「気楽なハイキング」の要望でしたけれど、20代の若者、しかもアルパインクライマーとして成長しつつある山屋ですから、「普通のハイキング」でも「気楽な」はずです。
前回も武蔵五日市近くの標高500m前後の低山でしたから、いきなり1000数百mの山では心配です。残雪の状況が分かっていません。まずは1000mくらいの山を選びました。

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▲そこで選んだのが鋸山1109mです。奥多摩駅から昭和橋を渡ってすぐ右が登山口。8:47ころ。

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▲この長く続く階段の様子が心配でした。積雪後しばらくは雪の急斜面になっていたことでしょう。でも、今日はすでに普通の石の階段に戻っています。9:06ころ。

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▲この尾根はいつも通るので、ここに五重の塔があることはもちろん知っています。でも、詳しいことは良く知りませんでした。近づいて見てみると、「戦没者奉祠靖國の塔」とあります。町が建てるとも考えられませんし、誰が建てたのでしょう? 9:15ころ。

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▲おそらくは1m近くは積もっていたはずの雪も、駅周辺にはほとんど残っていませんでした。山へ入っても、地面が見えている場所が多くあります。でもやっと、雪山らしい雰囲気が残る場所が多くなって来ました。9:46ころ。

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▲右の二体は大天狗と小天狗だそうです。この場所の直前に通過した愛宕山507mの麓の登計(とけ)集落にある天聖(てんせい)神社の奥社にあたるのが左の祠だとか。詳細はよく知りませんが・・・・ 9:59ころ。

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▲奥多摩駅から直接歩いて取り付ける尾根道ですから、すでにかなりの登山者が歩いているようでした。しかも、北斜面で日陰になっていることが多いでしょうから、雪に潜ることもなく歩き易い状態です。無雪期とさほど違わないスピードで歩くことができます。10:26ころ。

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▲途中の鎖場です。先行するU田君。10:28ころ。

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▲奥多摩では全域に鹿が棲んでいますね。幾日か前の足跡だと思います。10:51ころ。

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▲先々週に来ることが出来ていれば、もっと素晴らしい光景だったでしょうね。11:04ころ。

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▲尾根の左に見えるこのピークは天地山981mです。天地山~鋸山~鋸尾根下降も考えたのですが、天地山直下の下降や鋸尾根自体の下降もまだ心配だったので止しました。11:05ころ。

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▲雪は思いの外締まっています。トレース上のボコボコした場所ではなく、左右の平らな雪の上を歩いた方が楽だったりしました。11:14ころ。

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▲天地山からの合流点だと思います。11:29ころ。

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▲鋸山1109m山頂到着です。11:41ころ。
およそ3時間かかりました。コースタイムは2時間20分です。途中で休憩もしましたから、まずまずでしょう。

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▲積雪量を山頂標識横で測ってみました。およそ40cmでした。11:44ころ。

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▲山頂を12:07ころ後にし、大岳山方向へ進みました。そして、この標識のある場所で、折り返します。12:19ころ。

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▲鋸山南面をトラバースし、大ダワへ向かう途中には雪が消えてしまっている箇所もありました。南側は植林なのに、なぜここだけ雪が消えるのでしょうか? 12:30ころ。

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▲大ダワです。12:31ころ。
奥多摩にはここの他、川苔山や雲取山の近くにも大ダワと呼ばれる地名があります。
ところで、よく見ると屋根にソーラーパネルが乗っかっているんですね。でも、夏用のトイレですから、今は使えないのです。

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▲U田君がストックを使っているとは初めて知りました。以前は馬鹿にしていたらしいのですが、荷物が重い時に使ってみた際、その効果のほどに驚いて手放せなくなったそうです。確かに、それはもっともだと、僕も思います。12:42ころ。

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▲踏み跡はあったのですが、その踏み跡が途中から北面の藪の中に入って行きました。12:57ころ。

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▲その踏み跡も途中でなぜだか消えてしまい、尾根へと藪の中を急登しました。中央に登って来るU田君が。13:04ころ。

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▲登山道に合流すると、少し登って鞘口山1142mです。13:12ころ。

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▲鞘口山山頂で小休止、そこからはその北尾根を下降することに。その尾根の名称は昔調べたのですが、分かりませんでした。どこか忘れましたけれど「山彦尾根」とありましたが、どうも胡散臭い名前ですよね。平成17年に発行された松浦隆康氏の『静かなる尾根歩き』 では「江戸小屋尾根」としてありますが、根拠はあるのでしょうか? それとも氏の仮称なのでしょうか? 仮称だとしても、まあ適当な呼び名だとは思いますね。13:36ころ。

鞘口山から尾根の下降になりますから、尻制動用のミニ橇を出してみました。前回と違って、雪は腐っていませんから、よく滑るのですが、木が多くてぶつかりそうで怖いのです。それに、数人のトレースがあったのですが、スノーシューの跡と思われる大きなへこみが続いていて、それにはまると止まってしまうのです。で、使用は断念。

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▲右が開けた場所からは今日登って来た鋸尾根がよく見えます。最高地点が鋸山です。13:53ころ。

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▲ちょっと小休止。14:21ころ。
江戸小屋山は鞘口山のすぐ北にあるなだらかなピークです。970mちょっとの標高。いつも、気付かずに通過してしまいますが、今日もそうでした。

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▲九竜山は標高が942mということになっているのですが、二万五千図では954m標高点が顕著なピークです。なぜ、954mではないのでしょうか? 調べてもその理由は分かりません。14:39ころ。

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▲西斜面が伐採で開けた場所に出ました。ここからは平らに台形の山頂があるように見えますが、六ツ石山1478.8m周辺の尾根がちょうどこのように見えるのだと思います。どこが六ツ石山山頂かはよく分かりませんね。14:57ころ。

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▲僅か左にパーンすると奥多摩湖が見えています。小河内ダムもちょうど真正面に見えました。その後方には倉戸山1169.3mや榧ノ木山1485mも。左後方にうっすらと見えている山の嶺は大菩薩なのでしょうか? 左手前の集落は栃寄なのでしょう。14:58ころ。

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▲1年半前にもこの尾根を歩いていますが、こんな標識には気付きませんでした。この尾根も一般登山道並みに山道が踏まれるようになるのでしょうか。15:03ころ。

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▲奥多摩駅がある氷川の町に向かってどんどん急下降が続きます。15:16ころ。

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▲雪の上に1m半ほど燃えた切り株が突き出ていました。この木に落雷して燃えたのでしょうか? 15:19ころ。

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▲送電鉄塔がありました。小河内ダムから続いているようで、標高は515mあたりです。15:24ころ。

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▲林道へ下る梯子。15:27ころ。

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▲やたら親切な道標です。ルートを探して迷うのも登山の楽しみなのですが・・・・ 15:28ころ。

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▲前回は林道からもそのまま尾根を忠実に藪を下降したのですが、こんなに丁寧な道標があるのですね。これでは勝手なコースを歩くことは難しいですね。15:29ころ。

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▲真下に奥多摩病院が見えて来ました。向こうには氷川の集落が。氷川屏風岩も見えています。左のピークは本仁田山でしょう。本仁田山から右に延びている尾根が花折戸尾根です。15:32ころ。

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▲ジグザグに山道が付けられています。のどかなフィナーレ。15:34ころ。

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▲看板に「新四国奥多摩霊場八十五番札所 弘法大師」と書かれてあります。永年、奥多摩を歩いていてもそんな札所巡りがあるとは知りませんでした。15:39ころ。
ネットで調べてみると、「奥多摩霊場新四国八十八札所」と呼ばれる八十八ヶ所の札所巡りが1934年に作られたのだそうです。奥多摩霊場との名前ですが、奥多摩にあるのはその一部に過ぎず、東京都西部から埼玉県にかけて広く分散しています。

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▲先ほどの八十五番札所とあったお寺がこの慈眼寺。今日はこのお寺のお墓にお参りしてから帰ります。僕が奥多摩でいつもお世話になった方がここのお墓で眠っているからです。しかも、お二人も。15:43ころ。

バスも通過してしまったすぐ後でしたから、奥多摩駅までは歩いて行きました。まあ、それほど遠くはありません。
久し振りの天益です。山屋さんは僕たちだけでしたけれど、地元の方々で賑わっていました。さらにそこへ、Kさんが。このあと、鳩ノ巣でプロのガイドさんたちとの飲み会があるとかで、足早に出ていかれました。飲んだ後はまた奥多摩へ戻って来るのだとか。知っている人は知っているのですが、奥多摩湖方面にあるとある人物の家で今は寝泊まりしているのだとか。

地元の方々の話しを聞いたり、U田君と話しをしたり、2時間以上天益にいました。いつもよりは少し多く飲みましたね。若くて伸び盛りのU田君が付き合ってくれたのも嬉しいことですし、大雪のあと久し振りの天益も嬉しかったからでしょう。
翌日は日曜日で、ゆっくり出来ますから、遠くから出て来てくれているU田君にちょっとは気兼ねなく時間を費やせることもありますね。
電車で帰る途中、僕が先に降りるのですが、ぐっすり寝ているU田君を起こすに忍びなくお別れの挨拶が出来なかったことが残念です。「今日はありがとう」と。


奥多摩の低山へ――久し振りの単独登山で雪山ハイキング

2014年02月28日 | 雪山/奥多摩

2014/2/21  前日までは青梅線も御岳駅までしか開通していませんでしたし、御岳山ケーブルカーも22日土曜日から再運行の予定でした。ですから、前回の10日同様、武蔵五日市駅から直接歩いて取り付ける尾根を選びます。
それが深沢北尾根。前回の金比羅尾根の北隣りの尾根で、日の出町とあきる野市の境界線になっています。武蔵五日市駅北口をほぼ北方向へ進み、小机という辺りから取り付くのです。この尾根には無雪期、とりわけ山桜の咲くころには幾度も歩いたことがありました。お花見をよくしたものです。
今日はS子の体調がいまいちなので久し振りの単独登山。

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▲里山がすぐ間近にある武蔵五日市の街には道路脇の雪がまだたくさん残っています。
前方の尾根が深沢北尾根のはず。7:55ころ。

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▲前回の反省を踏まえ、今日は二万五千図はもちろんですが、高度計も持参しました。町場の標高点、208mと224mの2箇所で合わせました。
写真は二万五千図の小机にある224m標高点から100mほどの小さな峠です。ここから左の山へ取り付きます。8:09ころ。

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▲向こうに見える山は戸倉三山なのでしょうか? 8:42ころ。

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▲標高は300m前後、バレンタイン豪雪から1週間もたっているのに、まだこの積雪です。登山靴だけの壺足ではやたらと深く潜ります。8:44ころ。

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▲と言うわけで、ワカン装着。こんな奥多摩の低山でワカンをつけるとは! 8:52ころ。

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▲鹿の足跡が随所で見られました。8:54ころ。

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▲ワカンの締め具合が緩かったようです。左足の踵が赤紐の上に乗っかてしまっています。締め直しました。8:59ころ。

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▲お地蔵さんです。麓の町の方角を向いていますが、何を守ってくださっているのでしょう? 9:20ころ。
この深沢北尾根は小さなピークがたくさん現れる尾根なのですが、注意深く見ていないと地図を読み間違い易い所のようです。案の定、僕も間違えました。
この地点での高度計は340mを示していました。東から登って来て、北西方向へ少し下る場所なのですが、そんな場所は327m標高点の西、390m地点しかないと判断したのです。高度が50m違っていますが、その違いはおおよそ5hPaの違いでしかありませんから、「少し気圧が上がって来たのかな?」と考えました。
自宅で守屋氏の『奥多摩東部登山詳細図』を見ると、お地蔵さんの位置は327m標高点の200mほど南東の小ピーク(標高は330mに近いはず)にあるとのこと。この地点も東から登って来て、北西方向へ少し下っているのです。
ここで390m地点まで登って来ていると間違えましたから、その後、深沢山460mや勝峰山への分岐などになかなか到着しないことを不思議に思うことになったわけです。

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▲再びの鹿の足跡。9:26ころ。

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▲これは鹿の仕業だと思います。足跡がたくさんありましたから。雪をどかして、餌となるものでも探していたのでしょうか? 9:27ころ。

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▲右のなだらかなピークが勝峰山454.4mだと思います。9:35ころ。

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▲見晴らしのいい尾根に出て来ました。矢印のあたりに武蔵五日市駅があるのだと思います。9:55ころ。

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▲写真の向こうに左右に延びている尾根が入山尾根だと思います。雪で白く見える箇所は土砂の採掘現場だったように思います。9:55ころ。

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▲二万五千図で調べると、こんなふうだと思います。金比羅尾根は正しいと思います。金比羅山はほぼこの矢印辺り、刈寄山687.0mは多分これかなぁっと・・・・・・ 9:56ころ。

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▲見たことのない東屋が現われました。10:00ころ。

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▲ここでちょっと休憩です。快適な場所。「多宝美徳山荘 平成25年十月建設」「どうぞご自由にお休み下さい 光」と書いてありました。10:17ころ。
高度計は395mを示していましたから、先ほどの誤差を考慮すると、実際の標高は430~440mくらいだろうと考えました。それくらいの標高で、周辺の地形がだいたい合う地点を探すと、460m標高点である深沢山のすぐ近くだろうと予想したわけです。でも実際は、まだまだずっと手前の標高が390mあたりの地点だったわけです。

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▲ワカンをしていても膝近くまで潜ることしばしばでした。10:21ころ。
降雪後、1週間もたっていますから、融けて凍ってを繰り返し、雪はザラメ状になっています。しかも今日の高温で、雪は腐っているのです。

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▲妖しい空気を醸し出している合体木がありました。根元のあたりと地上3mあたりで、幹同士がくっ付いています。左の木はケヤキでしょうか? 10:28ころ。

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▲これが深沢山460mだと思って撮ったのでしょうね。でも、まだまだ先です。10:42ころ。

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▲もうこの頃には完全に読図が間違っていたことに気付いていますね。進めど進めど、勝峰山の分岐は出て来ませんから。歩いて来た道を振り返って、撮ってみました。11:16ころ。

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▲ついに出て来ました。勝峰山との分岐です。読図で分かるのではなくて、こんな標識に教えられるのは恥ずかしいことですが、まあ、良しとしましょう。11:28ころ。

ここで今日の今後のプランを再検討しました。次の二つの選択肢があります。
①このまま来た道を引き返す。
②勝峰山経由で幸神へ下山する。
この時点で、予定通り金比羅尾根へ向かうプランは諦めざるを得ませんでした。小机からここまで3時間ですから、金比羅尾根に3時半くらいには合流出来、途中暗くなっても先週通ったばかりの尾根なので問題なく下山できるとは思ったのですが、S子には「明るいうちには下山するから」と約束して家を出ましたし、さすがに2週続けて日没後下山はまずいですから。
①は絶対に嫌ですから②しかないと、ほぼ決まりかけていたのですが、このコースは無雪期に歩いたことがありますし、勝峰山からの下りはあまり楽しくなさそうな記憶があります。ここから真藤ノ峰543mや梵天山607m方面へもまだ1回しか歩いたことはなかったと記憶していますので、そちらへの未練もおおいにあるのです。
二万五千図を見つめていると、あるルートが浮かんで来ました。それは真藤ノ峰の手前(東)にある送電線の記号です。尾根上に鉄塔が立っているのも見えています。その送電線は南へ向かっていて、南に派生している支尾根上を通っています。とてもなだらかな尾根です。
送電線は常時保守管理が必要ですから、必ず点検員が通える作業道があるのです。いま見えている鉄塔を保守管理するには、どこへ作業道をつけるのが安全で楽なのかを考えれば、自ずとそのコースが決まって来ます。その支尾根には作業道があるはずだ。そうでなくとも、なだらかなので楽に下山できるはず。と、予想したのです。
③真藤ノ峰の少し東にある南へ降りるなだらかな支尾根を下る。
このアイデアを採用することに決めました。

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▲少し進むと、右下に採石場のような光景が広がります。おそらく太平洋セメント(旧・日本セメント)の石灰岩採掘現場なのでしょう。11:52ころ。
一番左の矢印で示している鉄塔が目指す鉄塔です。その鉄塔の後方に真藤ノ峰があります。梵天山や631.7m三角点も重なって見えているのだと思います。
鉄塔から右へ、麻生山794mと日の出山902.0m・・・・だと思います。

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▲麻生山と日の出山を望遠で捉えました。11:52ころ。

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▲この辺りは日当りがいいのでしょうか? 山道から雪がほとんど消えていました。12:01ころ。

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▲旧い社名の看板がありました。12:09ころ。

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▲ワカンでもやはり30cmくらいは潜ってしまいます。12:27ころ。

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▲448m標高点を過ぎた460m地点あたりで休憩しました。そのあたりの雪は30cmくらいだろうと予想していましたが、ピッケルを刺してみると御覧の通り。50cmはあります。13:02ころ。

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▲現われました! 鉄塔です! 新所沢線の17号鉄塔なんですね。13:21ころ。

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▲これがその鉄塔。13:25ころ。
ここの鉄塔がある地点の標高はおよそ500m。高度計は550mを示していましたから、500mに修正しました。
ですから、当日は前半の読図ミスを気付かないままだったわけです。お地蔵さんのところで高度計に50mの誤差が出ているな、と認識していたのと同じ誤差がここでも確認されたわけですから。おそらく、午後になって気圧が数hPa上昇したのでしょう。

057
▲鉄塔の下は日当りがいいはずなのに、意外と雪の量が多いのです。70cmは積もっていますね。13:30ころ。

058
▲今日はこのお尻の下に引いて滑る橇(そり)を持って来ました。昨シーズンも雪山幕営の際に持って行ったのですが、大きなザックがこの橇からはみ出して雪面にどっかと乗って、滑るどころではありませんでした。今日は日帰りのザックなので、この鉄塔からの下りの尾根で試してみたかったのです。13:35ころ。
結果どうだったかですが、駄目でした。
傾斜が緩すぎたというのもありますが、それ以上に雪が腐り過ぎていました。橇にお尻を載せると、そのまま雪の中に沈んでいってしまうのです。1mも進みませんでした。

063
▲尾根を下って行くとすぐに、次の鉄塔が現われました。新所沢線16号です。13:51ころ。

067
▲標高は470mくらいに下がりましたが、積雪はまだ御覧の通り。50cm以上あります。13:56ころ。

069
▲16号鉄塔の真下から見上げました。今日は一日中、快晴! 14:00ころ。

070
▲15号鉄塔への下降路があることを示した道標です。15号は谷を挟んで反対側に立っていますから、ここから里にいったん降りてから再び登らなくてはなりません。まあ、今日の僕は里に降りればそれでいいのです。予想通り作業道がありましたから、これで安心。14:01ころ。

071
▲雪があっても明瞭に分かる作業道が続いています。14:05ころ。

072
▲もっと分かり易い作業道になりました。14:10ころ。

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▲谷の底の様子が見えて来ました。集落のさらに奥の林道の除雪作業をしているようです。14:29ころ。

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▲この小屋の右側の尾根を下って来たのです。土木会社の置き場になっていました。14:36ころ。

084
▲深沢家屋敷跡です。この屋敷跡にどれほどの歴史的だったり文化的だったりする価値があるのか、僕はまったく知りませんでした。家に帰ってネットで調べてみました。なんと! ここはすごい場所なんですね! ここの土蔵であの五日市憲法草稿が発見されたのだそうです。憲法問題が姦しいこの頃ですが、五日市憲法の理想も僕たち日本人は忘れないようにしないといけないと思います。いつか再び、ここを訪れたいものです。14:52ころ。

085
▲これはいったい何なのでしょう? 僕にはお地蔵さんのように見えるのですが・・・・ 14:55ころ。

086
▲またありました。14:56ころ。

087
▲雪に埋まって、頭だけ出しています。14:58ころ。
「小さな美術館」という名前の美術館があるようです。これもネットで調べてみました。
http://art-avenue.jp/avenue19.html で見て下さい。ここも訪れてみたいですね。

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▲今日唯一のポートレートです。胴体がずんぐりと見えますが、道路の丸いミラーに映しているので、膨らんでいるのだと思います(本当だよ)。14:59ころ。

089
▲この道路沿いにはいろいろな見どころがあるのですね! 14:59ころ。
これを参考にして下さい。
http://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000001/1642/RangerNewsVol.36.pdf

090
▲本当にいろいろな見どころがありますね。東京一の大樫が大岩を抱くように生えているのだそうです。15:00ころ。
以下を参照してください。 http://juneberryp.exblog.jp/11977893/ 

094
▲武蔵五日市駅に近づいて来ました。今日は無風快晴の暖かい一日でした。猫も日向ぼっこしながら心地良さそうです。15:42ころ。

095
▲この猫もゆったりとしています。「にゃお~~っん」と呼びかけると、こちらを向いてくれました。15:46

15:50ころに駅に到着しました。15:57の電車に乗って帰宅。家には余裕で5時前には着きました。
ただ、山から下りて街が近くなってきたところで、携帯をonにすると、仕事がらみの連絡が入っていました。帰宅してしばらくはそれでバタバタ。目処が立ってから、やっとお風呂に入り、汗を流すことができました。

今回は単独でしたから、歩くスピード自体はS子と一緒の時よりも速いはずです。でも、前回と違ってトレースがありませんでしたから、その分、遅くなっています。結果的にはさほど変わらないか、今回の方が遅いのかもしれません。
それはともかく、やっぱり安全な時間帯に下山しておくことの当り前の重要性を感じた山行でした。


奥多摩の低山が完璧雪山に変貌! 冬山遭難に接近遭遇した金比羅尾根ハイキング?

2014年02月20日 | 雪山/奥多摩

2014/2/10  建国記念日の祝日を絡めて、最初は大菩薩連嶺北部をのんびりと2泊3日で歩く予定でした。東京からもチラッと見える大菩薩は白く見えていましたし、K松さんからも大菩薩でのラッセル情報を聞いていましたから、雪山を楽しめるはずだと分かっていたからです。
9~11日の予定でしたが、8日の記録的な大雪です。大雪直後の9日はあまりにも不確定要素が多すぎましたし、S子にも話してはいなかったのですが、僕の体調がいまいちでした。

と言うわけで、予定変更。10~11日の1泊2日で奥多摩の鷹ノ巣山へ行こうと決めました。日原までバスで行き、稲村岩尾根を登り、鷹ノ巣山避難小屋に泊まる計画です。9日の夕方バス会社に電話すると、「明日の早朝に道路状況を確認して運行するかどうかを決めます」とのこと。9日はまだ全面的に運行は中止されていたのです。
バス道路ですし、奥多摩町民の生活道路ですから、優先的に除雪が進み、バスも運行されるようになるはずと予想していました。しかし、10日早朝確認したところ、同じく「全面運休」。
まあ、少しはホッとした気持ちがあったのも事実です。大雪がもたらした影響の大きさが次第に僕にも実感され始めていましたし、ほんの少しの体調不良もありましたので、重荷を背負ってあの稲村岩尾根の標高差1200mもの急登を歩くのは辛いなぁと、容易に想像できたからです。

最終的にどう決めたかと言うと、10日と11日の両日とも日帰りで奥多摩の雪山を楽しもう!ということ。で、まず初日は武蔵五日市駅から金比羅尾根を経て、日の出山~御岳山というコースです。これなら朝はバスを使わなくても、駅から歩けばいいわけですし、御岳山のケーブルカーは雪の影響を受けにくそうなので動いているはずですし、下に降りればバスが不通でも御岳駅までは近いと考えたわけです。

★遭難要素その1  下山後、御岳登山鉄道のホームページを調べてみると、2月8日の15:15の便から運行を中止し、11日の14:45の便が再開するまで約3日間停止していたのですね。動いているはずなどと、自分勝手な判断は決してしてはいけませんでした。

001
▲武蔵五日市駅に9時少し前に到着しました。バス会社の方が通りかかったので聞いてみましたが、こちら方面のバスも今日は全面運休だそうです。
五日市の町もご覧の通りです。9:14ころ。

003
▲五日市小学校と五日市中学校の間をすり抜けるように進み、登山口へと向かいます。要所には標識があります。ただ、この標識は民家の敷地内に設置されていました。9:26ころ。

005
▲少し町のはずれになって来ました。9:31ころ。

このあと、車道の終点まで来てしまい、間違いに気がつき、少し引き返しました。薬師堂の先へと行ってしまったのです。

006
▲薬師堂の駅寄りの三差路にこの標識がありました。さっき通った時には気が付かなかったのです。金比羅山へ向かいます。9:47ころ。

008
▲まだ舗装はされているのでしょうが、山へと登って行く細い道路になりました。雪も全面に残っているので、スパッツを装着します。10:07ころ。

015
▲途中の東屋で休憩しました。五日市の街の眺めです。10:59ころ。

017
▲琴平神社の鳥居。前の階段も雪に埋まってしまっています。11:09ころ。

018
▲琴平神社。11:10ころ。

昭文社の山と高原地図に載っているコースタイムとの比較をしてみたいと思います。歩いていた時間だけを厳密に抽出するのは無理ですから、休憩その他の時間も含めての比較です。
【武蔵五日市駅~琴平神社】→217%
コンビニで行動食を購入したり、街中で3回もS子が滑って転んで、お尻を打ったり、道に迷ったり、スパッツを装着したり、休憩して行動食を食べたりと、様々なことに時間を費やしましたから、ラッセルもしていないのにコースタイムの2倍以上かかってしまいました。
この記録を書いていて思い出しましたけれど、コンビニのおじさんが「昨日も金比羅尾根に入るって言ってた人がいたよ」と教えてくれました。皆、考えることは同じです。

020
▲金比羅山468mです。11:11ころ。
でも、疑問点があります。神社から徒歩1分のこの地点が金比羅山なんでしょうか? 二万五千図で見る限り、神社から468m標高点までは直線距離でも300mほどありますから、この山名標識のある地点はその標高点ではありえません。神社のすぐそばの小ピークは450m前後でしょう。
それでは一体、金比羅山は神社の近くのここなのでしょうか? それとも468m標高点なのでしょうか?

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▲大きな岩のそばを登山道が通っています。11:17ころ。

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▲この雰囲気は奥多摩の低山ではありえないものです! 奥多摩の山へは30数年通っていますが、標高500mもない山でこれほどの雪が積もるとは! 11:22ころ。

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▲アイゼンを装着した登山靴の足跡です。しかも、12本爪。念のために本格的なアイゼンを持って来るのは分かりますけれど、ただの雪の山道でアイゼンを装着して歩く人の気持ちが理解不能です。アイゼンを付けると歩きにくくて僕は嫌いですし。(この日、僕は念のために4本爪アイゼンを持って来ました。ピッケルもありますしね。)11:34ころ。

凍ってもいない普通の雪道でアイゼンを装着する人が案外いるのですが、どうしてなんでしょう? そのようにすべきと教えるガイドでもいるのでしょうか? そう書かれている教則本でもあるのでしょうか? フラットフットにせよ、キックステップにせよ、アイゼンなしで歩ける限界を理解するよう、登山靴だけで歩くことを練習したものなんですが・・・・

031
▲コンビニで聞かされた通り、たくさんの登山者の足跡がありました。五日市へ下っている足跡がいちばん上部にに残っていますから、昨日の午後にでも下って来た登山者たちもいたのでしょう。そんな中、犬の足跡が・・・・ 11:51ころ。

034
▲あきる野市深沢方面へ続く尾根への分岐です。二万五千図では送電線が近くを横切っていて、573m標高点があります。12:48ころ。

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▲雪山です。これが奥多摩の低山なんて・・・・ 13:32ころ。

042
▲東から北方面の風景がひらけて来ました。歩いている最中は写真右のなだらかなピークのことを勝峰山(かつほやま)だとばかり思っていましたが、帰宅後、二万五千図で確認しなおしてみると、真藤ノ峰543mなんですね。左のやはりなだらかなピークは梵天山607mだと思います。14:00ころ。

当日、どのあたりで判断を下したか定かではありませんが、僕の記憶ではこの辺りの前後だったのではないかと思います。何の判断かと言うと、このまま予定通り進むか、それとも来た道を引き返すかの進退判断です。この辺りが琴平神社と麻生山分岐とのほぼ中間地点だと予測したからです。
昭文社の地図ではその間のコースタイムが2時間ですから、半分地点で1時間と仮定してみました。すると、武蔵五日市駅からここまでコースタイム2時間のところ、5時間かかっています。
【武蔵五日市駅~この地点】→250%
【琴平神社~この地点】→283%

★遭難要素その2  当日は珍しく二万五千図を所持していませんでした。ですから、現在位置の確認がおろそかになっています。ここでも、琴平神社と麻生山分岐とのほぼ半分と考えていますが、現場での自分の感じ方では半分よりは先に進んでいるだろうと、思っていました。次の次の写真の幸神への分岐がすぐ近いはずと考えていたのです。
ですから、ここからなら麻生山に3時、日の出山に4時、御岳山に5時ころ到着といった、今から考えると超甘すぎの超楽天的な予測になっていたのでした。
明日は祝日ですし、ツエルトもバーナー、コッフェルもありますから、万が一フォースト・ビバークになっても大丈夫という楽観や、来た道を引き返すのだけは面白くもないので嫌だという気持ちが、ここでの判断を前進する方向へと引っ張ったのだと思います。
まあただ、薄明るいうちに下山するのなら、ここで引き返すのが最終判断ポイントであったのは確かなのです。その判断だけはしっかりと行い、S子にも「こうこうこういう状況だけれどもどうする?」と確認をしているのです。

045
▲勝峰山はS子の後方の山のどれかでしょう。天気は相変わらず最高で、風もなく穏やかな日です。14:05ころ。

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▲日の出町幸神方面への分岐です。途中、先ほどの梵天山、真藤ノ峰、勝峰山(厳密に言えばこの山だけは寄り道ですが)などを通ります。631.9m三角点の少し南西地点です。14:55ころ。
ここまで予想外に時間がかかりました。内心「御岳山に5時は絶対、6時にだって着くのは無理だな」と分かって来ていました。「まあ、7時になっても大丈夫だろう。ケーブルカーは動いているはず」と思っていたのです。

★遭難要素その3  御岳山ケーブルカーがこの日、運行していなかったことは前のところで書きましたが、それとは別に「7時台までは動いているはず」と信じていました。夏なら、夜の7時でも薄明るいですしね。ところが、調べてみると、最終は18:30なのです。これを逃すと、御岳山駅からケーブルの下の車道を1時間くらいかけて歩いて降りなければなりません。多分、凍っている箇所も多いでしょうから、暗い中、嫌な下りになったことでしょう。
本当は、ここからでも引き返した方が結果論から言うと、安全かつずいぶん早く下山出来たはずです。でも、当事者の感覚では琴平神社よりも御岳山の方がずっと近いと感じる場所だったのは確かです。

051
▲樹皮模様が美しい木がありました。名前は分かりません。調べましたが、確定できませんでした。イヌシデとかアカメガシワなのかと思いますけれど・・・・ 15:04ころ。

052
▲コル状の場所に来ました。人のせいではないと思いますが、ここだけ雪が付かずに地面が見えている箇所がありました。風が強くて、雪が積もらなかったのでしょうか? 15:06ころ。

053
▲山での積雪は30~40cmくらいだろうと、高を括っていました。でも、御覧の通り、僕の膝の上、50cmはあります。15:09ころ。
御岳登山鉄道のHPでは滝本駅50cm、御岳山駅70cmと書かれていました。
雲取山荘のHPにも、8日は60cm積もったと書かれています。

057
▲斜面の山側ではS子の腰辺りの積雪量です。15:11ころ。

058
▲麻生山794mです。15:13ころ。
この頃には、眼前に見えているこの距離が思いのほか遠いことが分かって来ていました。

059
▲S子はこれくらいの斜面でも結構怖がります。僕などは滑落してもすぐに止まるし、雪だから痛くもないし、と思うのですが・・・・ 15:15ころ。

066
▲今日初めての鹿の足跡です。16:08ころ。

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▲麻生山の巻き道を抜けて、麻生山への分岐に着きました。16:54ころ。

070
▲すぐそばに立つ標識。ここは白岩の滝へ下る分岐にもなっています。16:54ころ。

白岩の滝へと下山している足跡があれば、そちらへ降りる選択肢もあったのですが、足跡がないのでその選択はしませんでした。何故なら、もうすぐ日没で暗くなりますから、トレースがない状態で突入していくのは危険だからです。
このころには「御岳に着いてもケーブルカーには乗れそうにないなぁ」と考えていました。ただ、人里ですから安心です。S子がバテ切ってしまったり、どこか痛めたりしないかということだけは心配していましたが。

★遭難要素その4  本来ならば下山していなければならない時間に、まだ山中をうろついている、そんな失敗の最大原因が何か? この頃になると僕自身の中で自覚され始めていました。それは我々二人の歩くペースに対する過信です。ここまで僕の計算よりも何割増しもの時間がかかっています。
でも、今さら急いで歩いても危ないだけですから、S子には自分のペースで確実に歩みを進めることのみを促します。心強いことに、S子も全然不安感は抱いていないようです。16年前の大雪の奥多摩で夜中じゅうラッセルし、フォースト・ビバークした経験も、S子とはありますから、その時と比べれば、今日はトレースもありますし。まだ時間も早いのですから。

【武蔵五日市駅~白岩の滝への分岐】→263%
トレースで思い出しましたが、途中までたくさんあった足跡がどの辺からだったかワカンを付けた一人だけの足跡になっていました。昨日登った多くの登山者が、金比羅尾根を登ったものの時間切れで途中から引き返したようですね。

077
▲まだ薄暮が続いています。帰宅後調べてみると、この頃の日没時刻は17:20ころのようです。17:12ころ。

081
▲だいぶん暗くなって来ましたが、まだヘッドランプなしで歩けます。17:28ころ。

085
▲青梅の街灯りでしょうか。風もなく、月明かりと雪明りでまだヘッドライトなしで歩けています。心地の良いナイトハイクを楽しむ心境になっていました。17:47ころ。

092
▲登山道の四つ辻に出ました。養沢鍾乳洞へのトレースはもちろんありません。日の出山を巻いている御岳へ直接出るルートも誰も歩いていません。ワカンの主は日の出山方面へ向かっています(から来ていた?)。18:19ころ。
このトレースの状況を見て、僕には新しいアイデアが浮かびました。それは、登山者たちはどうやら御岳山からは来ていない(へは行っていない)ようだ。ということは、つるつる温泉への登山道にトレースがあるかもしれない、と。
この新たな可能性には少し心が浮き立つようでした。わりと早めに里へ下山できるかもしれないからです。下山してタクシーを呼べば、意外と早く帰宅できそうだ、と。

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▲日の出山直下の三差路に出て来ました。三つ沢や松尾、つるつる温泉へ下る登山道がある分岐です。僕の予想通り、つるつる温泉へと向かっている足跡が複数付いています。これで、里への下山はほぼ大丈夫です。18:37ころ。
たしか、この辺りでヘッドライトを装着しました。

【武蔵五日市駅~つるつる温泉への分岐】→275%

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▲S子の頭にはヘッドライトが付けてあります。18:41ころ。

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▲地図にはない分岐が出て来ました。平井川の源頭に出て、林道を下って行くルートです。通常の登山道はつるつる温泉と指されている方向。どちらからも下山できそうなので、歩いている登山者の多いルートを選ぶことにしました。それで、平井川の源へ。18:46ころ。

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▲立派なトレースがあります。ヘッドライトを点灯させているS子。18:54ころ。

104
▲源頭の急斜面は終了し、林道に到着しました。何やら看板も立っています。「タバコの投げオキ 火事の元」でしょうか? 19:08

108
▲日の出山直下でつるつる温泉へ向かっていた登山道が林道へ合流しました。20:03ころ。

【武蔵五日市駅~日の出山からの合流点】→271%

109a
▲普段もこの奥の林道への通行は禁止されているようです。20:06ころ。

110
▲人里っぽくなってきました。掲示板の屋根に積もっている雪はこの時でも50cmくらいありそうです。20:08ころ。

113
▲民家も1軒2軒と出て来ました。その家の車は雪に埋もれてしまっていて、出せそうにありません。道路の除雪をしないと、車を出せないほどに雪が積もっています。登山者だけでなく、住人もここを歩いているのでしょう。20:13ころ。

117
▲少し進むと道路が除雪されていました。でも、登山者には有難迷惑で、凍っていて滑り易くなっているのです。端っこの雪の上を歩きます。20:38ころ。

118
▲とうとうバス道路に出ました。これでタクシーを呼べば駅に着くことができます。除雪もされていますから、大丈夫でしょう! 20:47ころ。

【武蔵五日市駅~都道184号線】→257%

★遭難要素その5  最終的にここまで昭文社の地図のコースタイムと比較して2.57倍の時間がかかっています。ラッセルになると、無雪期のコースタイムの2倍3倍4倍、それよりもずっとかかることがあることは普通です。
二人での歩くスピードをコースタイムの2倍以内と予想していました。ですから、当初は御岳集落に夕刻5時、次第に6時、7時となりましたが、それでも2倍をさほど越えていません。
57%も越えていますから、予定よりも2時間半~3時間オーバーしていることになります。遅くとも薄暮には下山できる予定が、こんなに遅くなってしまいました。
14:00ころに行なった判断で、コースタイムの2.5~3倍かかるとの現状認識をして、引き返す判断が正解だったと思います。

とにかくタクシーを呼ばなくてはなりません。檜原村の横川タクシーだけは携帯に登録してあるので電話してみました。しかし、案の定、日の出町は営業エリア外なので無理だとのこと。京王タクシーの電話番号を調べて電話しますが、誰も出てくれません。

松尾バス停に着き、タクシーをここで待てればいいのですが、肝心のタクシー会社と連絡が付かないのです。仕方なく、次のバス停へと歩き続けます。

どの辺りだったのでしょうか? 小型のブルドーザーなのでしょうか? 除雪をしている重機がいました。その除雪車は奥から駅方向へと除雪を進めているようです。駅方向の道路にはまだ雪がたっぷり残っているのです。除雪車に乗っているおじさんにこの先のことを尋ねてみました。「タクシーはここまで迎えに来てくれますかねぇ?」と。答えは「難しいと思うよ。ここから30分くらい歩くと、また道路が除雪してあるからそこなら迎えに来てくれるかも」と教えて下さいました。でも、ちょっとガッカリ。「雪があると言っても、けっこう踏み固められているので、来てくれると思うけどなぁ」と個人的には思ったりします。

寒さのせいでしょうか? 電波が弱いせいでしょうか? すぐに電池が切れそうになる携帯で、何度も呼びだそうとしますが、つながりません。S子の携帯も動員して、かけますが駄目です。肝要の里を過ぎ、どこまで歩いたでしょう? 「最終電車に間に合うだろうか?」と内心不安に思い始めていたころです。

先ほどの除雪車が近づいて来ました。そして、僕に声をかけるではありませんか。どうやら「乗らないか」と言ってくれているようです。僕とS子を乗せてくれたのです。
近くの事務所まで乗せてくれました。途中、除雪車の中から「夫婦の登山者を救助して来たから、今から連れていくよ」と事務所に電話するのです。もちろん冗談ですが、「ストーブをつけといてね」とも言ってくださいます。有り難い心遣いです。
事務所ではストーブのそばに座らせていただき、お菓子や温かい飲み物までいただきました。冷えていた肉体とともに心まで温かくなります。
しかも、乗せてくれた方(どうやら社長さんのようです)の息子さんに「駅まで乗せていってあげなさい」と言ってくれています。まだここは、歩けば駅まですごく遠い場所なのです。
本当に感謝の念しかありません。
息子さんに自家用車で武蔵五日市駅まで送っていただき、無事に23:04の電車で帰宅することができました。
後日、しっかりとお礼をさせていただいたことは申し上げるまでもありません。

都道に出てからのS子はそれまでの山道と同じほどのスピードでしか歩けない状態でした。今日一日の蓄積された疲労やそれから来る足腰の痛みもあったのでしょう。里に降りて来た安心から来る緊張感の緩みもあるのでしょう。とにかく、歩くスピードは時速2kmくらいだったと思います。都道に出た地点から駅までは8~9kmあるようですから、3時間以上はかかったでしょう。23:53の終電に間に合わない可能性大でした。

ですから、この除雪をしておられた方のご厚意は感謝してもしきれません。

自宅に戻ったのが夜中ですから、当然のことながら翌日は休息。山へは行きませんでした。それにしても、僕自身、雪の奥多摩を30年以上歩いていますけれど、こんな低山でこれほどの積雪があったのは初めての体験です。
こんな近くで雪山を楽しめることは実に有り難いことです。いつもの年の奥多摩の冬山といった固定観念を捨てて、本格的雪山に対するのと同等の心構えを持って山行を行なわなければならないと反省しました。