ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

YYDのK野さんは1年8ヶ月ぶりの岩登りトレーニングで3本の4級+ルートをリードしました!

2022年01月25日 | 岩登りトレーニング

YYDのY山さんが家族の都合で1ヶ月間ほど出かけられなくなりましたから、その間できるだけ僕の方で岩トレを計画することにしました。という訳で、1月23日の日曜日日和田での岩トレをすることにしたんです。参加者は一人K野さん。

もう少し晴れ間が出るかな、と思ったのですが、 一日中ほぼ曇り続きで、岩はけっこう冷たい状況が長かったですね。 とは言え、岩の冷たさとは裏腹にK野さんのクライミングは熱気を帯びていました。

彼にとっては1年8ヶ月ぶりの岩トレです。失われているかもしれない、そのクライミング感覚を取り戻せればいいな、くらいに僕は考えていました。 ところが、1本2本彼にリードしてもらうと、その感覚は衰えておらず、 コロナ自粛中によほど体幹を鍛えていたんだなということが分かります。

トータルで彼は5本のルートをリードしました。

・男岩南面中央ルート 3級+~4級-

・男岩南面左端ルート(下部の垂壁から) 4級

・男岩西面クラックルート 4級+

・男岩南面3段フェース 4級+~5級-

・男岩南面右端カンテ~フレーク 4級+

 

▲10:28。1本目男岩南面の中央ルート3級+~4級-です。晴れてさえいれば、この時間になると南面の上半分には陽が当たっているのですが、曇っていますから、なかなか岩は温まって来ません。

 

▲10:31。僕としては1年8ヶ月ぶりなので、南面の左側の易しいルートを登って欲しかったのですが、彼は中央のクラック目指して進みました。プロテクションの取り方の感覚は戻っていないみたいですね。ヌンチャクが短か過ぎて、ザイルが岩を擦っていますね。

 

▲10:36。最上部のクラックも問題なく越えてしまいました。

 

ところが、上に到着してから問題発生! どうやらヌンチャクだかカラビナだかシュリンゲだか、何かが足りなくなって確保支点が構築できないそうなんです。本番ならそれでも何とかしてセカンドの確保をせざるを得ませんけれど、ゲレンデですからそのまま歩いて下りて来ることにしたようです。

そして、このルートを再びリードしました。そして、僕もフォロウ。今日の僕はすべてフォロウです。

 

▲11:36。2本目男岩南面左端ルート(下部の垂壁から)4級。いま下部垂壁を登っているところ。もう少し左を登ります。このルートはこの垂壁部分が核心部ですね。

 

▲11:43。最上部は被ってはいますが、ガバだらけで易しいです。やっぱり1ヶ所ヌンチャクが短くてザイルが岩を擦っていますね。

 

▲12:09。3本目男岩西面クラックルート4級+。このルートは最下部も核心部で4級+あります。日陰で暗くていい写真が撮れなかったというのもありますが、緊張する場面ですから僕も確保に集中しているんです。写真の左上にV字の切れ込んだクラックがありますが、そこに入り込むような感じで登って行きます。K野さんは少し右過ぎる場所にいますから、この後左へと登って行きました。

▲12:13。ちょっとボケた写真しか撮れませんでした。V字のクラックを抜けて行きます。彼は自分でも言っていましたが、かなり強引に登って行きました。クラックの奥にしっかりとしたホールドが続いていて、レイバックのような体勢で登ればさほど力は要りません。

 

▲13:04。4本目男岩南面3段フェース4級+~5級-です。年末にY山さんが初リードして一人前のクライマーとしてのスタート台に片足を載せたと評価されたルートです。彼が今いる辺りも決して易しくはないのですが、安定した足取りで登って行きます。

 

▲13:05。核心部のプロテクションを取り、これから越えて行くところです。僕はK野さんがここで苦労すると予想していましたが、あっさりと越えて行きました。凄い!

 

▲13:08。2段目も楽に越えて行き、今3段目。ここもしっかりと越えて行きました。

 

▲13:43。5本目男岩南面右端カンテ~フレーク4級+。下部はカンテに沿って登るルートを取ってもらいました。彼は今いる場所で苦労していました。結局、カンテと言うよりフェースの右端を登って行きました。陰になっているもう少し右を登れば楽なんですけどね。この後は、黄色の矢印のルートを登ります。

 

▲13:52。このルートの最上部に着きました。フレーク状の岩でプロテクションを取りました。その下のプロテクションはもう少し長く取った方がいいですね。これでは上に行く時ザイルが重くなります。フレークというのは写真の白っぽい岩のように薄片状の岩のこと。実際には薄片ではなくてもそのように見える岩の場合、そう呼ぶことが多いですね。

 

▲13:57。左のフレーク状岩と右の岩の間のクラックを抜けて行きます。ここはいろいろな登り方が出来るようですね。どうやって登れば楽なのか、考えてしまいます。僕はフォロウした際に、ここで足を滑らせてザイルにぶら下がってしまいました。

 

K野さんが3本の4級+をリードしました。 最初の2本は厳密にはレッドポイントでしょうが、ちょっとトップロープで登ったことがあるだけですし、 随分昔の2年近く前のことですから、実質的にオンサイトに近いと思います。 3本目のフレークは完璧オンサイトですね。

K野さんは一人前のクライマーのスタート台に立っていますね。 今後、一人前のクライマーとしての歩を進んでくれることを期待しています。

 

最後は女岩で2ヶ所にトップロープを張って遊びました。

 

▲14:39。最初は女岩南面右端。 ここは短いですし、あまり登ることもないのですが、僕自身が久し振りにやってみたかったんです。 狭い範囲で左から3級+、4級+、5級+(多分)を登れます。 高さはそれぞれ4mくらい。 僕は5級+のルートが登れていなかったんです。 でも、K野さんがそこを頭上のホールドを掴んで登ったのを見て、それを参考にすると、僕も登れてしまいました。 こんなことが起こるのも、クライミング(これはボルダリングっぽいですけど)の楽しみ方ですね。写真は5級+のルートを登っているK野さん。

 

▲15:20。最後に張ったのは女岩西面の中央ルート5.10dです。 ここは僕もトップロープですらちゃんと登れたことはありません。 若いころでも1テンか2テンはかかっていました。(テンはテンションのことでザイルにぶら下がってしまうこと) 二人とも(特にK野さんはリードをしたので)指や腕が疲労していますから、ぶら下がりまくりです。 最初の核心部にやっと到達できる程度でした。写真の箇所はまだ易しい下部です。

 

▲15:22。この写真辺りが最初の核心部。ここからレイバックの姿勢になって登ります。僕もK野さんもそのレイバックになった辺りまでしか登れませんでした。

 

でも、平山ユージの動画なんかを見ると、あまりに手数少なくスイスイと登ってしまうので、 僕も彼の真似をして登れば、出来るんじゃないかと錯覚してしまいますね。

平山ユージがこの女岩西面中央ルート5.10dをリードする動画を載せますね。

https://www.youtube.com/watch?v=Zye0gL3GW90

平山ユージにとってはこの程度のルートは超簡単なルートですから、意識的にゆっくりと登っていると思いますね。観客の皆さんにじっくりと登り方を見せてあげるために。核心部の難しい箇所もわざと難しい場所だと分かるように苦労しているように登って見せているんだと思います。本気になったら数秒とか10秒ほどで登れてしまうはずです。

 

結局、日和田の岩場に最後までいたのは僕たちでした。 麓のうどん屋さんの玄関先で10分ほどは待ちましたが、入って打ち上げ。 とは言え、埼玉県はアルコールは提供できないんですね(涙)。 でも、食べなれたおいしい料理をいただき、最後に腰の強いうどんも食べました。 アルコールはなくても、岩トレで疲労した肉体と満腹感で、酔っているのと同様の気怠い心地よさに浸れました。

K野さんとY山さん、YYDの今後が楽しみですね。


『標準コースタイムで歩く』シリーズ№1――― 116% 青梅丘陵を歩いてみました

2022年01月22日 | ハイキング/奥多摩

前回のゴンザス尾根のブログの最後に書きましたけれど、僕の山体力復活山行の進行度を可視化、具体化、数値化することにしました。すぐに理屈っぽい表現に走ってしまいますけれど、簡単に言うと、標準コースタイムで歩けるようになろう! ということです。昭文社の山と高原地図に載っているコースタイムを基準にしたいと思います。ですから、今後は出来るだけコースタイムが表示されている一般登山道を歩くことにします。破線や破線すら無いコースはしばらくお預けにしたいと思います。まあ、絶対という訳ではありませんけどね。

標高差のあるコースを選んだ方が、脚の筋肉への負荷が大きいでしょうから、最初は奥多摩湖そばの水根から六ッ石山を登って、石尾根を奥多摩駅へ下ろうと思っていたのですが、天気予報でがちらつくかもと言っていたので、青梅丘陵に変更しました。やっぱり早く軽登山靴を新調しなければ駄目ですね。

急登や急な下りで遅くなると思っていますから、なだらかな青梅丘陵程度ならコースタイムとほとんど違わずに歩けるだろうと、高をくくっていました。ところがどっこい、タイトルにもあるように116%! この数値はもちろん休憩時間を除いた歩くのにかかった時間だけです。休憩時間も込みなら、131%!

取り敢えずの目標は100%に近づけること。昔はS子と二人で歩いていても、休憩込みで100%くらいでした。沢登りでも遡行図に出ている参考タイム(コースタイムとは違って、そのパーティーがかかった時間)と同じくらいの時間でS子と二人では遡行できていました。僕たちはせいぜい中級の下レベルの沢までしか行っていませんが、徒○行山岳会のN瀬さんの遡行タイムが圧倒的に速いと思ったくらいですね。

 

2022年1月20日(木)

あっ、そうそう。23日の日曜日が日和田での岩トレなので、いつもなら天覧山ひとり岩トレの木曜日ですが、歩くことにしました。しかも、短いコースなので朝食もゆっくりと食べて、遅い出発です。

 

▲10:28。軍畑(いくさばた)駅です。左のトイレも使わせてもらいました。最近はどの駅にも綺麗なトイレが設置されるようになりましたね。こちらから歩くと、全体としてはゆっくり下るようになるのですが、青梅駅に降りた方が帰りの電車が多いですから便利なんです。

 

▲10:40。車道を北へ歩いて行きます。ここは高水三山との分かれ道。この日は真っすぐ進みます。

 

▲10:51。榎峠です。トラックの右が登山口。

 

▲11:11。雷電山まではこのような階段の登山道が多いですね。

 

▲11:23。青梅丘陵の最高地点、雷電山494m。ここで14分間の休憩を取りました。

 

▲11:43。山頂から階段の登山道を下ると、北側の山腹を巻くようになります。杉の植林が美しいですね。

 

▲11:44。峠でも何でもない場所の尾根が不自然に無くなっています。雷電山から続く尾根の途中です。左へ進むと辛垣(からかい)城址があるのですが、これはどう見ても堀切だと思われます。

 

▲11:59。前の写真の場所はこの地図の左上から外れた場所にあります。北斜面から南斜面に回ってきています。いつもは辛垣城址のある尾根沿いに歩くことが多いのですが、そちらのコースタイムは載っていませんから、この写真の赤い線のコースを歩きました。

 

▲12:06。上の地図にも右下に出ていますが、名郷峠387mです。右下の大きめのペットボトルに御神水が入っているというのは理解できるのですが、祠の前の小石の山は何なんでしょうね?

 

▲12:12。送電鉄塔がありました。標高410mほどですね。空はまだ薄曇りです。

 

▲12:14。下から高齢の男性が登って来ました。「何駅から来られたんですか?」と聞くと、「風を避けて、すぐ下でお昼にしてたんですよ」と。そうですね。陽射しがないので、弱い風でもとても寒く感じます。

 

▲12:24。狭い範囲ですが、高い木がない場所がありました。網で囲まれていて、写真のように書かれていました。「植栽地(幼木)保護 シカ害防止ネット設置中 (公財)東京都農林水産振興財団 花粉対策室」

 

▲12:39。三方山454.3m山頂です。榎峠から三方山までのコースタイムが1時間になっています。でも、僕は90分かかりました。150%です。雷電山から62分かかっていますから、雷電山~三方山が60分で、榎峠~雷電山のコースタイムの記載漏れではないかと勘ぐってしまいます。でも、そうじゃないんでしょう。昔の僕なら60分で楽に歩けていたんでしょうね。ここは眺望もなく寒そうなので、すぐに離れました。

 

▲12:50。枯れススキの綺麗な場所に出ました。空も雲が消え始め、青空が広がって来ています。

 

▲12:53。ススキの間の道を進むと、山道が下り始めます。山道はしっかりしていますが、これまでとはちょっと雰囲気が変わりました。これまでよりもあまり踏まれていない山道のようなんです。少し違和感を感じながらも下っていきました。

 

▲12:54。すぐに林道終点に出ました。間違った道を降りたことに気付きました。ここですぐにさっきのススキの場所まで戻ればよかったのですが、山腹を巻いても青梅丘陵のメインルートに合流できるはずと思って、この林道を歩くことにしたんです。

 

▲12:59。立派な林道が続いていました。でも、進むにつれ可笑しなことに気付きました。三方山の少し先からは登山道は南向きに進むようになるのですが、この林道は北に向かったり西に向かったりしているのです。完全に真反対! 戻ることにしました。

 

▲13:05。林道脇に暖かそうな場所があったので、休憩することにしました。道を間違えたりした際には、立ち止まって食べたり飲んだりすると落ち着きます。この時は戻りさえすればいいことなので、何も問題はないのですが、念のために地図も見ておきたかったですし、お腹も空いていましたしね。このザックは貰い物です。ザイルもとめられますし、ちょうどいいサイズなんですが、天蓋のチャックが壊れています。何年間もそのままで使い続けているんですよね。

 

▲13:17。元のルートに戻る途中、麓の風景が見えました。本当なら青梅市街地が見えるはずですが、山並みが続いています。やっぱり青梅丘陵の北側が見えているようですね。

 

▲13:21。林道終点に戻って来ました。写真の右端から登り返します。

 

▲13:22。林道終点から続く山道です。右へと上がっていく道を僕は戻ります。その左の山道を真っすぐに進む山道は成木や黒沢へ続いているようですね。

 

▲13:25。枯れススキの場所に戻って来ました。

 

▲13:25。向こうに見える山が三方山ですね。

 

▲13:26。この広場に左から入って来て、そのままススキが光っている左の道に入ってしまったんです。右端の標識にはまったく気付きませんでした。

 

▲13:27。印の現在位置から破線のコースに入ってしまったようです。三方山の漢字がここでは三芳山になっていますね。この方が感じはいいのですが、ほとんどで三方山となっています。

 

▲13:32。青空が広がって陽射しが嬉しくなって来ました。

 

▲13:46。杉の植林がまだ多いですね。この辺りはずっと南に向かって登山道を歩きます。ですから、この時間は右前方に太陽があるんですね。

 

▲14:03。この辺りからの青梅丘陵のコースは写真のような林道がほとんどになります。

 

▲14:06。縞模様が綺麗でした。

 

▲14:08。暖かな散歩道。青梅市民にとっては本当に散歩道なんですよ。普段着でザックもなしで歩いている人や、犬の散歩で歩いている人もよく見かけます。

 

▲14:09。矢倉台に到着しました。解説板を載せておきます。「市指定史跡 物見櫓(矢倉台) 青梅地方、かつての杣保(そまのほ)に拠点を置いた豪族三田氏は、代々、市内東青梅の勝沼城に居住していたが、北条氏照の八王子滝山入城による、多摩地方の情勢の変化をうけ、永禄年間(1558~1569)の初め頃、二俣尾の辛垣(からかい)山に城を築いたといわれる。物見櫓(矢倉台)は、この辛垣城(別名西城)から南東約3キロメートルに位置し、戦略上重要な物見の場所であったという。「武蔵名勝図絵」には「柵跡、ここは二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、この山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台ともいう」と書かれている。昭和46年11月3日指定 青梅市教育委員会」。確かに、ここから青梅の市街地がよく見渡せます。

 

▲14:19。写真中央上部にトイレが見えます。矢倉台で休憩したかったのですが、小用のため、ここまで我慢しました。何度も歩いていますから、ここにトイレのあることを知ってしまっていますからね。

 

▲14:22。です。ずっと昔から、桜の咲く時季に来てみたいと思い続けているのですが、一度も実現していません。近々、散歩気分で来てみたいですね。

 

▲14:23。第4休憩所です。ここで休憩しました。

 

▲14:35。第4休憩所から見える青梅市街地。手前には多摩川が見えていますね。

 

▲14:55。太陽聖髪塔です。どういう施設なんでしょうね? 

 

▲14:59。叢雨(むらさめ)橋の袂にこんな看板がありました。去年設置されたようですね。都立青梅総合高等学校は都立高校では唯一広大な演習林を持つ高校で、この叢雨橋の北側斜面に平成30年、「森林レンジャー」の授業を選択する生徒6名が紫陽花の苗を植栽したのが始まりだそうです。5月上旬から7月下旬までは一般公開もしているそうです。紫陽花観賞してみたいですね。

 

▲15:07。第1休憩所まで来ました。

 

▲15:14。青梅丘陵入り口です。永山丘陵とも呼ばれているようですが、その理由は調べてみても分かりませんでした。永山という地名もありません。青梅駅の裏に永山公園があるくらいですね。

 

▲15:17。青梅鉄道公園です。入ったことはありません。庭には明治時代からの貴重な蒸気機関車などの実物もたくさん置かれているそうです。室内には様々な模型もあるとか。入場料は100円だそうですから、いつか入ってみようかな。

 

▲15:19。鉄道公園のすぐ隣りには桜見本園があります。車道を歩くのも無粋なので、この公園内を降りて来ました。

 

▲15:26。青梅駅のホームに電車が停まっていました。この位置は上りのホームです。この電車に乗れるかもしれませんから、少し急ぎました。15時30分出発で、ギリギリ間に合いました。


2ヶ月前とまったく同じコースを歩いてみました。山体力が少しは増して、速く歩けるはずです。結果は?

2022年01月18日 | ハイキング/奥多摩

2022年1月16日(日)

3年間のブランクを克服すべく登山を再開して7回目、2ヶ月間が経過しました。どこを登ろかな? と考えましたが、この2ヶ月間でどの程度山体力が戻って来ているか、知りたい気持ちが生じました。

ですから、2ヶ月前に最初に歩いたコース、ゴンザス尾根~本仁田(ほにた)山~大休場尾根、を歩くことにしました。乗る電車も同じにします。

 

▲9:22。関東地方の冬は晴天続きです。日本海側の方々に申し訳ない気持ちになりそうですね。降り立った奥多摩駅の上にも快晴の青空が広がっています。

 

▲9:42。左にアパート、右に神社があります。ゴンザス尾根の登山口。階段を上って、アパートの裏手で上着を2枚脱ぎました。

 

▲9:57。前回はここで朝食タイムでしたが、この日は家でしっかりと朝食を食べて来ましたから、そのまま通過です。

 

▲10:03。登山道の脇に「NHK施設に至る」の杭が数多くあります。この場所で山道を鋭角に曲がりました。

 

▲10:15。杉の植林の中にしっかりした登山道が続きます。

 

▲10:29。これがNHKの施設だと思いますが、何の表示もありません。

 

▲10:38。送電鉄塔が出て来ました。標高700m付近ですね。ちなみに登山口の標高は350mくらいですね。

 

▲10:48。鉄塔の下で大休止です。風もなくポカポカと気持ちのいい休憩。コップの中身はミルクチャイ(インスタントですが)。中央に見える山は大岳山1266.4mでしょうか?

 

▲11:15。写真中央の山は六ッ石山1478.8mだと思います。石尾根がほぼ一直線に六ッ石山の後方に連なっているはずですね。その右、遠方の山はどこなんでしょう? 天祖山1723.2mかな? 全然確信はありませんが。

 

▲11:23。この日登る最高地点の本仁田山1224.5mが中央に見えますね。その左下の山頂が平らな山は平石山1075mだと思います。

 

▲11:27。木の名前を幹だけ見て分かるようになれば格好いいな、と思うのですが、難しいですね。図鑑を見ての独学は大変そうだし、僕の周りには詳しい人はいませんし・・・・。この幹は小楢か楢か、だろうなくらいは分かりますけどね。幹が3本出ていますから、炭焼きなどで切られた切り株から芽生えたひこばえが育ったものでしょうね。

 

▲11:29。ゴンザス尾根は急登の尾根ですが、時々なだらかな尾根も出て来ます。

 

▲11:36。両側とも急な斜面になって来ましたね。馬酔木の木が増えて来ました。

 

▲11:37。馬酔木のです。

 

▲11:42。岩場も多く出て来ます。

 

▲11:55。写真の左から石尾根が右に続いています。その先、写真中央少し右の山、雲取山2017.1mじゃないかなと思うのですが。

 

▲11:57。尾根上に大きな岩が立ちはだかりました。直登も出来そうでしたが、右側から巻きました。

 

▲12:04。花折戸尾根に合流です。

 

▲12:09。合流地点からはしばらくはなだらかな山道が続きます。

 

▲12:10。筑摩山1040m山頂です。ここでは休憩せず、もう少し先の暖かそうな場所で休憩するつもりです。

 

▲12:11。河原の石ですね。歩荷で運んだのでしょう。僕は歩荷訓練は嫌いです。雪山や長期山行になれば、どうせ荷物は重くなりますからね。泊りの沢で歩荷訓練っぽいことはしたことがありますよ。アルコールを多めに持ったり、肉や生野菜をたっぷり持ったりしました。

 

▲12:14。馬酔木(あせび)の林の隙間を歩きます。

 

▲12:16。10日前の雪が残っていました。

 

▲12:17。タヌキの溜め糞でしょうか?

 

▲12:30。前回目を付けていた暖かそうな場所で2回目の大休止。インスタントカフェオレと石窯パン。パンにはハム、レタス、マヨネーズなどがサンドされています。この日は軽登山靴です。

 

▲12:42。見上げると輝くような青空! 唐松の木かな?

 

▲12:42。枯葉も暖かいですね。

 

▲12:44。大休止を終えて、また歩き始めます。休んでいた場所はここです。船底地形のような場所です。山の斜面を吹き上がってくる風がない場所なので、その分暖かいですね。

 

▲12:51。本仁田山が近づいて来ましたね。

 

▲13:00。本仁田山への最後の急登が続きます。

 

▲13:05。枯葉で踏み跡が消えてしまっています。歩きやすい場所をひたすら登ります。

 

▲13:10。大休場(おおやすんば)尾根の登山道に出ました。ちょっと登ると本仁田山ですから、山頂を踏むことにします。

 

▲13:16。本仁田山山頂です。山頂には男性が2人いました。僕に「髪の長いバングラディッシュ人に会いませんでしたか?」と聞きます。「花折戸尾根から来たので、会ってないですよ。どうしたんですか?」「疲れたから先に行ってって言われたんですよ」。他にもいろいろ話したのですが、最後に「携帯で連絡は取りあえてるんですけどね」と言います。それなら大丈夫そうですね。いくら「疲れているから先に行って」と言われても、弱ってる仲間を一人置いて先に行くなんてね。日本語もあまり得意でない外国人、しかも山のないバングラディッシュ人ですから、急登の大休場尾根は拷問のようなものだと思いますよ。

 

途中で高齢の男性に会いました。「バングラディッシュの方に会いませんでしたか?」と聞くと、「誰にも会いませんでしたよ」と言うんです。ちょっと不思議な気がしましたけれど・・・・

 

▲13:26。それからすぐに、バングラディッシュの青年に会いました。まだ元気は残っている感じでしたね。「二人が山頂で待ってるよ」「あと15分か20分で山頂に着くから、頑張って」と言いました。写真の中央に黒い服の彼が写っています。

 

▲13:49。降りて来た登山道を振り返って撮りました。岩場の危険な登山道です。

 

▲14:04。ここからは大休場尾根を離れて、右へ下ります。

 

▲14:36。安寺沢の登山口に降りて来ました。

 

▲15:03。氷川の町が見えて来ました。中央の建物は奥多摩町役場。右の山は愛宕山507m、その左のピラミダルな山は天地山981mだと思います。

 

▲15:06。奥多摩駅に戻って来ました。天益に顔を出し、挨拶だけして帰りました。

 

2ヶ月前と今回とかかった時間を比較してみました。詳細は別にして、登山口のスタート時刻と奥多摩駅のゴールした時刻を記せば結果は明瞭だと思います。

          登山口 → 奥多摩駅

2ヶ月前  9時47分 → 15時10分

今回    9時42分 → 15時06分

一目瞭然ですね。2ヶ月前と今回とはまったく変化がありません。同じです。より詳細に、休憩時間を引いた行動時間を比べてもまったく同じでした。

このような結果が出たからと言って、2ヶ月前とまったく成長が見られないのか、と言うとそれは違うと思います。下山直後にしても、翌日や二日後の体の疲労は小さくなっているように思います。歩いている最中の、息の上がり具合も今回の方が明らかに息は上がっていないように感じました。筋肉や心肺機能は山歩きに慣れてきています。

山を歩くスピードはもう少し別の要素に影響を受けているのではないでしょうか? 脚の筋力自体がパワーアップしなければならないのかもしれません。筋トレでもそうだと思いますが、一定の成果を出すには数ヶ月間、最低でも3ヶ月間は必要だと思います。僕は高齢者ですから、もう少しかかるかもしてません。

 

今回の結果を受けて、僕は今後の新しい目標を設定しました。それは「標準コースタイムで歩く」です。標準コースタイムは昭文社の山と高原地図を基準にすることとします。まずはそれを目標とし、クリアしたいですね。


湯久保尾根から御前山を目指しましたが、僕はまだ歩くスピードが遅くて、御前山山頂はパスしました

2022年01月17日 | ハイキング/奥多摩

2022年1月8日(土)

前回、僕のために高水三山を計画してくれたT橋さんが湯久保尾根から御前山1405.0mを計画しました。ブランク以降では僕にとっては最長、最大標高差のプランなので、参加させてもらっていいものかどうかちょっと悩みました。T橋さんに聞いてみると、参加を歓迎するとのことでしたから、有難く参加させてもらうことにしました。

本当はもうひと方、女性が参加するはずだったのですが、直前で参加できなくなり、T橋さんと僕だけになりました。結局、その女性にまで迷惑をかけなくて済みましたから、僕の心の負担は少しだけは減りました。T橋さんは「僕は山頂には拘らないタイプなので」と言ってくれますし、「自分の歩くペースなんてないんですよ。ゆっくり歩くのも好きだし、少し速く歩くのもいいし」とも言ってくれます。実に優しい人ですね。

 

山行全体を通して、T橋さんに甘えているような状態になってしまいましたけれど、僕個人的には反省だらけですね。まだまだ山体力は衰えたままです。この日歩いたコースの標準コースタイムは4時間40分なのですが、僕は7時間20分(休憩込み)かかりました。何回もの長い休憩を差し引いてても、かかった時間は標準コースタイムの3割増しほどだと思います。僕もS子も歩くのはさほど速い方ではありませんでしたけれど、普通でも標準コースタイムの9割くらいの時間では歩いていました。

まずは、標準コースタイムで歩けるようになること、これが当面の目標だなと、感じられる山行になりました。

 

    *   *   *   *   *   *   *   *   *   

 

この日の山行でいちばん気になったのは、前々日に降った雪のことでした。これまで奥多摩の山には積雪はなかったと思いますから、前々日の雪がどの程度かが問題です。関東地方でも南岸部に多く降り、都心で積雪9cmだったようですが、少し北のさいたま市では1cmと報道されていました。僕が住むあたりでも、ほとんど積雪はありませんでしたし、気象庁のHPで御前山付近をチェックしていましたが、1mm未満の降雨(降雪ですが)が半日も続いていないようでした。

あまり降っていないな、とは分かったものの、主観的にはやはり心配です。まずは、登山靴。いつものハイキング用の軽登山靴にするか、それとも雪山用の本格登山靴にするかですね。軽登山靴は少しくらいの雪には大丈夫なのですが、もうだいぶん踵が擦り減っていて、いつ穴が開いても可笑しくない状態なんです。いつも、万が一のために運動靴も予備に持って行っているくらいなんですね。少しだけだとしても、雪の中で穴が開いたりしたら嫌ですからね。本格登山靴にしました。スパッツも持って行こうかと考えましたが、これは却下。雪を触っても大丈夫な雪山用手袋は念のために持って行くことにしました。そして、大切なアイゼン。北面を下降しますから、あった方がいいですよね。4本爪のアイゼンがあるはずなんですが、探し回っても見つかりません。仕方なくピッケルを持って行くことにしました。

 

▲9:19。武蔵五日市駅からバスで小沢バス停まで来ました。写真の右に見えている橋を渡ります。

 

▲9:22。昨年オープンした「檜原 森のおもちゃ美術館」です。ここは1984年に廃校となった旧北檜原小学校の跡地なのだそうです。

 

▲9:23。こんなツリーハウスもありました。美術館の内部の楽しさが伝わって来るようですね。

 

ただ、この美術館敷地(昔の小学校の運動場だと思います)に入って来たものの、御前山への登山口が分かりません。登山口はここよりもう少し集落を北へ向かわないとないようですね。そう思って、敷地から出ようとすると、さっきからここにいたおじさんが「御前山に登るの?」と声を掛けてくれました。そして、登山口を教えてくれます。

 

▲9:26。その登山口は美術館の左奥にありました。従来の登山口ではなく、ここからも登れるよ、レベルの登山口だとは思います。

 

▲9:27。でも、想像以上に立派な歩き易い登山道が続いていました。

 

▲9:33。そんな立派な登山道(と言うよりも遊歩道)がある理由が分かったような気がします。斜面にはたくさんの桜の樹が植えてあったのです。春になると、ここでお花見が出来るようですね。

 

▲9:38。桜の樹々の隙間からは麓の小沢集落が見渡せます。北側の風景だと思いますが、遠くに見えるピークは鋸山1109mなんでしょうか? まったく自信はありませんが。

 

▲9:47。尾根筋に出ると、桜の樹は減りますが、代わりにツツジやシャクナゲの若木が増えて来ました。何年か後には見事に花を咲かせるんでしょうね。

 

▲9:47。尾根筋も遊歩道のように整備されていますね。

 

▲9:49。伊勢清峯神社。この鳥居をくぐって、尾根沿いに進んだ方が良かったのでしょうかね?

 

▲9:58。神社から左の山道を進むと、この舗装道路に出てしまいました。

 

▲10:14。そのまま舗装道路を進みました。写真では左下から歩いて来たことになります。まっすぐに進んでも尾根筋には出ませんから、ここからは今いる道路を登ることにしたのです。

 

▲10:19。地形図にも建物記号がたくさんあったのですが、最初に出て来たのがこの別荘風建物。

 

▲10:24。これも別荘かな?

 

▲10:54。舗装道路が一旦途切れたところで、休憩することにしました。前の家には人が住んでいて、姿も見えましたし、犬も吠えていました。T橋さんは仕事の電話がかかって来て、長く話していました。大変ですね。

 

▲10:56。右の道にの後ろ姿が見えますが、この犬はさっき休憩した場所にいた犬です。僕たちを道案内するように、前を歩いてくれます。ここでもどちらへ行こうかと考えましたが、犬が右へ行くので、僕たちも右へ。

 

▲10:59。途中、柚子の果樹園がありました。

 

▲11:02。さっきの犬がここまで連れて来てくれました。犬にとってはお隣りさんですね。

 

▲11:04。その家のすぐそばにこの標識がありました。

 

▲11:13。再び山道を歩きます。

 

▲11:21。標高780m付近、地形図にある岩記号の場所にこの鑾野御前(すずのごぜん)神社があります。高さ15m以上はありそうな石灰岩の巨岩の元に小さなが祀られていました。

 

▲11:22。祠の前には狼の狛犬が。いかにも狼にぴったしな雰囲気の場所です。

 

▲11:22。祠のすぐ下には壊れた狛犬が4体置いてあります。

 

▲11:47。鑾野御前神社からは山腹の登山道を歩きました。そして、ここで尾根に合流です。写真の右に928m標高点があるのだと思います。

 

▲11:48。尾根に出ると立派な標識がありました。本来は右側から928m標高点を経て、ここに出て来るはずだったのだと思います。伊勢清峯神社の鳥居をくぐって尾根沿いに歩くのだと思います。

 

▲12:05。ずっと手入れの行き届いた杉の植林が続いています。

 

▲12:24。久し振りに広葉樹の森になると、明るくて暖かいので嬉しくなりますね。ひこばえのような幹の生え方をしている木が多いので、昔炭焼き用に切られたのでしょうね。

 

▲13:01。前々日に降った雪が現われました。日陰にたったこの程度の雪です。本格登山靴を履いて来るまでもなかったですね。

 

▲13:04。船底地形のような場所がありました。ここで再度休憩することにしました。20分間ほど休みました。

 

▲14:06。休憩後もたんたんと登って行くと、主稜線に到着しました。ここの標高は1340mくらいですね。ブランク後としては最高地点です。ここから左へ行くと御前山1405.0m山頂なんですが、T橋さんは山頂には寄らず、このまま向こう側へ下ることを決断しました。僕の歩みが遅いことと、ここから北面になるので登山道が凍結している可能性もあるからでしょう。的確な判断だと思います。それにしても気遣いが有難いですね。早く山体力を元に戻したいです!

 

▲14:09。御前山避難小屋です。中には男性2人がいて、食事を作っているようでした。今晩はここに泊まるようですね。一般的に避難小屋は緊急時に利用するだけで、泊り前提での利用は出来ないことになっているのですが、僕は昔奥多摩の避難小屋の管理者(東京都の公園課とかだったかな?)に問い合わせたことがあります。すると意外なことに、「どんどん自由に泊まって大丈夫ですよ」との返答でした。泊まった痕跡を残さないように、綺麗に掃除をして帰ることは当然ですけどね。避難小屋の維持管理をしてくださっているボランティアのような方々もいらっしゃるようですし。

 

▲14:33。避難小屋の横の水場はまだしっかりと流れていました。でも、そのすぐ下ではこんな感じで凍っています。もっと冷え続けると、水場の水も止まってしまうでしょうね。

 

▲15:02。下りの山道は北面ですからずうっとこんな感じでした。雪はこの程度しか降らなかったのですね。雪は融ける間もなかったでしょうから、凍結しているような場所もほとんどありませんでした。T橋さんはそのまま下りますが、僕はピッケルを出しました。僕にとってはピッケルを杖代わりに使えて良かったですね。

 

▲15:14。だいぶん下まで降りて来ました。写真の中央に巨木が写っていますが、カツラの木です。

 

▲15:19。林道が見えて来ました。この林道は歩かずにすぐに横断して山道を歩きました。それにしても真っ白な林道ですね。

 

▲15:31。再び林道が現われ、今度はその林道を歩きます。雪はぜんぜん積もってはいないのですが、黒い道路を雪のペンキで塗ったようになっています。

 

▲15:43。向こう側に西日を浴びた石尾根が見えました。T橋さんが「御前山がある尾根の名前はないんだろうか?」と言います。確かにそうですね。奥多摩三山と称される大岳山、御前山、三頭山と続く大きな尾根です。少し調べてみましたが、分かりませんでした。

 

▲16:41。境橋に到着です。橋の上にバス停があります。

 

▲16:42。月が出ていました。ちょうど日没時刻頃の下山でした。

 

20分ほど待ってバスが来ました。奥多摩駅に着くと、僕は天益へ行きました。T橋さんは拡大するオミクロン株のこともあって、そのまま帰宅することに。T橋さんのお客さんに高齢者が多いので心配なんだそうです。

この日の天益は地元のお客さんばかりだったようです。そんなお客さん達の会話を聞きながら、お任せで出してくれる料理をちびちびと食べ、飲みます。会話をする相手がいなくても、聞いているだけ座っているだけで幸せな気分になれる馴染みの店が天益なんですね。


三が日に陣馬山に登りました。穏やかな日和でのんびりと、下山後は陣馬の湯にも浸かりました

2022年01月12日 | ハイキング/中央線沿線の山

新年の初山行を楽しく無事に歩いて来ました。

僕自身の山体力復活山行としては第5弾になりますけれど、 前回の日の出山山行で山体力の復活は長期戦になることを自覚しましたから、 今回の陣馬山からは復活などと気負わずに、ただただ数多く山行を積み重ねることとしました。

陣馬山にはこれまで何回も登頂していますけれど、この日ほど長閑な気分で歩けたのは初めてかもしれませんね。 無風快晴で、ポカポカと暖かく、急登もなくなだらかな登山道を散歩のような気楽さで歩きました。

みさきさんとも久し振りで、歩いていても休んでいても、楽しい語らいが止まることはありませんでした。 山仲間と山の話や会の皆さんの話題を語らうのは楽しいことです。 山仲間の新しい命の誕生や幸せな出会いと境遇の変化を知ることは本当に嬉しくこちらまで幸せな気分に浸れます。 下山後にはお風呂にも入れ、高尾駅では反省会もしっかりと楽しめました。(※みさきさんは本名をそのまま出すことを希望されました)

 

▲9:03。藤野駅に降り立つのなんて幾年ぶりなんでしょう? 記憶にありません。この日僕を誘ってくれたのはみさきさん。

 

▲9:26。山里の車道を歩いて行きます。

 

▲9:40。陣馬山登山口の標識が出て来ました。ここから山道に入り一ノ尾尾根を登ります。

 

▲10:20。無風快晴。青空が美しく、枯葉を踏んで歩いて行きます。

 

▲10:53。僕が立ち止まって、写真を撮ろうとすると、みさきさんも立ち止まってくれます。

 

▲11:19。植林も多いですが、里に近い山なのに、広葉樹林も多いですね。

 

▲11:42。陽ざしがポカポカと暖かいのですが、実は気温は低いんです。登山道の土は霜柱でカチカチの場所も多くありました。でも、融けて泥にはなっていません。

 

▲11:58。この階段を登り切ったら山頂です。登山口から山頂までコースタイムは1時間40分ほどですが、僕たちは休憩込みで2時間20分かけて歩きました。かなりたっぷりと休憩しましたからね。

 

▲12:04。陣馬山855m山頂の白馬モニュメントの前で記念撮影。(※みさきさんには「顔を溶かさないで」と言われています)

 

▲12:06。富士山も見えました! 手前の山々は丹沢や道志の山でしょうか。

 

▲13:13。今日は三が日ですし、陣馬山山頂は登山者で混み合っていると想像していましたが、意外なほど少ないですね。いつもなら山頂に何十人、何百人といるんですけどね。この白馬のモニュメントは1960年代に京王電鉄が陣馬山を観光地として売り出すために製作したのだそうです。

 

▲13:15。北西方向の山並みです。手前の山々は東京都と神奈川県の県境の山々。左から生籐山、連行峰、醍醐丸などだと思われます。薄く見えているのは奥多摩の山で、写真中央より少し右に見えている山は大岳山ですね。ここ陣馬山も県境の山なんですね。僕はもう完全に神奈川県の山だと思っていました。

 

▲13:15。西側の山々です。写真中央の顕著なピークが権現山のようですね。じゃあ、その左は扇山かな? 権現山の右奥の山々は大菩薩嶺だそうです。左端は御坂の山々なんでしょうかね? 山座同定は難しいです。

 

陣馬山山頂のベンチに座って、1時間20分もの間、食べて飲んで喋っていました。ほとんど喋っていましたね。みさきさんは人との繋がりを本当に大切にする人のようで、山の仲間からの年賀状を2枚、見せてくれました。山岳会の仲間同士で結婚した夫婦に授かった新しい生命の姿を見せてもらいました。それなりの年齢での結婚だったので、本当に良かったなぁと思いました。また、僕も一緒に沢へ行ったことのある女性が、不思議なご縁に巡り合ってとんとん拍子で結婚に至った話も教えてもらいました。人が幸せになっていく姿を知ることは嬉しいことですね。

 

▲13:22。さあ、大休止もここまでにして、午後の行動開始です。

 

▲13:39。なだらかな山道が続きます。

 

▲13:47。今日はここ奈良子峠から奈良子尾根を下ります。

 

▲14:04。陽が西に傾いて来ましたが、まだポカポカ陽気は続いています。この10分後くらいに、一度林道を横切りました。

 

▲14:25。急な下りはありません。なだらかに下ります。5分後には登山口に降り立ちました。陣渓園まではすぐでした。

 

▲15:26。陣渓園でお風呂に入らせてもらいました。男湯も女湯も僕たちだけでした。ゆったりと体を温めました。

 

▲15:30。僕もかなりゆっくりと入ったつもりでしたが、僕の方が5分ほど早かったみたいです。温かなお茶のサービスです。このソファでものんびりしてしまいました。

 

▲16:04。重い腰を上げて、陣渓園をあとにしました。藤野駅に着くと、ちょうど上り電車がホームに入って来て、慌てて階段を上り下りして、走って飛び乗りました。

 

高尾駅で下車して、YYDのメンバーもよく使うお店に入りました。みさきさんはほぼ下戸ですけど梅酒を頼み、僕は土佐の酔鯨を飲みました。ここでも、山の話、山岳会の話などを楽しく続けました。

 

     *   *   *  *  *  *   *   *   *

 

山行翌日、とりわけ酷い筋肉痛はありませんでしたけれど、 腰、腹、背中、脚、腕、肩、胸、、、万遍なく疲労していることが分かります。 今後も、多様な山行を数多く重ねていきたいと思っています。 僕がYYDに入会した2016年から2018年ころの山体力の7、8割には戻そうと思っています。 相当な努力が必要でしょうけれどね。 山体力さえ戻ってくれば、まだまだ僕にも実践したい山行が幾つもあります。 そんな山行を共に実行してくれる山仲間に迷惑をかけないレベルにまで戻したいと思っています。

楽しいのは勿論ですが、本当に尊い新年山行を行なうことが出来ました。このブログでは書けない哀しさや涙、そこにそっと寄り添う喜びや幸せがあります。山という舞台を共有することで、同じ時と場所を過ごすことが出来る幸せを感じます。いつかその舞台に立てなくなる日も来るでしょう。もう立てなくなった人のことも深く思いながら、山を共に出来る一瞬一瞬を大切に喜ぼうと思います。