ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

竹島2日目 ――― 雨の一日でしたから、ずっとテントの中で停滞していました

2017年05月22日 | 島旅

2017/03/23  今回の島旅には東京からラジオを持ってくるのを忘れてしまいました。ですから、熊本で小さくて安価なラジオを購入。安物ですから音量も小さくて、音質も当然悪いのですが、聴き取ることだけは出来ました。
そのラジオからの情報で今日の天気が悪いことは分かっていましたから、前日から今日は停滞と決めています。

朝起きると、当然のごとく雨。S子はよく寝ていますから、僕だけで温かいコーヒーを飲んだり・・・・


▲朝も遅くなり、ぼちぼち活動し始めました。体育館の玄関側(テントからなら反対側)の外に水道があります。山とは違って、食器洗いの洗剤とスポンジも持って来ています。10:06ころ。


▲ブランチは天ぷらそば。天ぷらと言っても天かすだけですが。意外と美味しかったです。10:48ころ。


コーンクリームもこんな場所で食べるとすごく美味しいですね。10:58ころ。


▲食後は寝るしかありません。降ったり止んだりの小雨だった雨も本降りになって来ました。11:31ころ。


▲テントの中で寝ていると、顔に水滴がポツポツと落ちて来ました。どこからなのかを探すと、テントの入り口のファスナー最上部あたりです。さらにその上でテント本体とフライトが雨のせいでベッタリとくっ付いていて、濡れたフライから雨がテント本体にしみ出して来ているのです。それがファスナー最上部あたりの縫い目からポタリポタリと落ちてきていると言うわけ。
これを解決するためにはテント本体とフライトの接触面を可能な限り小さくしなければなりません。そのための処置がこの写真です。このテントの中には上の方にテープシュリンゲが渡してあります。濡れた服を掛けたりすることが多いのですが、そのシュリンゲを内側に引っ張ってテント本体の布を少し内側になるようにしたのです。効果はてきめん。水滴は落ちなくなりました。11:33ころ。


▲ラジオを聴きながら雨のテント生活をぼ~っと過ごしていました。そんな中、ちょっとテントの床を見てみると、雨水が上がって来ています。この下の地面に雨水がたまっているのでしょう。でも、大量に水が溜まっているわけではなさそうですから、銀マットの下に濡れても困らないもの、例えばガスカートリッジなどを置いて、水が銀マットの上には上がってこないようにしました。12:50ころ。


▲遅い昼食を食べることにしました。全然動いていませんから豚骨ラーメンを二人でひとつ作りました。煮干しも入れます。14:36ころ。


▲体育館のトイレです。綺麗ですね。17:19ころ。


▲奥のドアは体育館の中とつながっています。17:20ころ。


▲テントの全部の引綱をしっかりと張り直しました。フライが風になびいてパタパタとうるさいというのもありますが、フライがテント本体と接触して、テント内部にまで雨水が浸み込むのを防ぐためです。17:23ころ。


▲魚肉ソーセージを細かく切って、炒めます。17:38ころ。


▲「ひじき豆」とソーセージを混ぜました。なかなかいけます。17:59ころ。


▲しばらくして、高野豆腐を作りました。出汁付きですから軽くて簡単です。山にもよく持っていくメニューです。左の器の中はサラミ。19:11ころ。


▲焼酎のお湯割りを飲みながら、おかずをつまみます。19:19ころ。

雨で停滞する日はとにかくのんびり、何も考えず、ストレスを溜めずに過ごすことが大切。

このテントは30年以上使い続けている年季ものですから、悪天の中ではあちこちで不具合が発生しますね。そのひとつひとつに対応策をほどこせる状況にありましたから、幸運でした。


竹島1日目 ――― 東風泊とオンボ崎まで歩きました

2017年05月19日 | 島旅

た2017/03/22  オンボ崎のキャンプ場にテントを張るという当初の予定がいきなり覆るという、驚きいっぱいの島旅の洗礼を初日に浴びました。これがあるので島旅は楽しいです!
オンボ崎よりもずっと近い体育館のある運動場へ向かって出発!


▲フェリーが港の岸壁を離れていきます。これから回転して、港外に出て次の島、硫黄島へ向かいます。12:47ころ。


▲ここへは集落を抜け、30分ほどで到着しました。凸凹が少なく、草が生えて柔らかく、強い風が遮られそうな場所を探しました。そして、ここへの入り口は写真の右奥なのですが、そちらからは奥まったあまり人目にさらされない場所を選んだのです。14:12ころ。


▲テントの中から見える風景はこんな感じ。とりあえずお湯などを沸かし、コーヒーでも飲みましょうか。14:48ころ。


▲ちょっと休んでから、夕方の散歩に出かけることとしました。体育館の後ろに隠れるようにテントを張っています。15:27ころ。


▲クサイチゴだと思います。でも、花が異常に大きい! 僕の知っている花よりも、ふたまわりほど大きいのです。5~6cmほどありました。15:34ころ。


▲こういう小さな島で大きな問題になるのはゴミ処理でしょう。トカラの島々でもそうでした。おそらく竹島でも同じでしょう。この写真の施設はゴミ焼却設備だと思います。15:41ころ。


▲この設備のすぐ横では穴を掘ってありました。燃やせないゴミはここに埋めるのでしょうか? 15:41ころ。


▲設備と穴のさらに海側斜面にはゴミの混じった土砂が捨ててありました。15:42ころ。


▲キケマンも咲いていました。15:45ころ。


東風泊に来てしまいました。目の前の岬がオンボ崎なんですが、一本道を間違えてここに来てしまったのです。オンボ崎に南側を遮られていますから、南風や東風の強い時にはここへ逃げ込み、風が収まるまで停泊していたのでしょう。すぐ近くに島影が見えていますが、次に訪れる硫黄島です。15:55ころ。


▲小さな船ならここへ入ればとても安全? でも、手前に岩礁があるから入れないかも。15:59ころ。


▲S子はここまで降りるのを怖がって、上で眺めていました。16:00ころ。


▲スミレは難しくて、同定は難しいです。たくさん咲いていました。白い花もありました。16:12ころ。


▲道路脇に咲いていたのですが、誰も通りませんから、寝そべって花をマクロ撮影しました。16:14ころ。


▲白い花がこれ。でも、ここ以外では見ませんでした。16:18ころ。


籠(こもり)港です。しけの時の漁船の避難港として利用されています。
説明板には次のように記されていました。
「古くから港として使われ、白雉四年(六五三年)には遣唐使大山下高田首根麻呂らの船が難破、百二十人のうち五人を残して全員が溺死している。応永三四年(一四二七年)には博多の船が悪鬼納(沖縄)からの帰途、暴風雨にあい籠港に入ろうとしたが沈没、全員助からなかった。戦国時代、永禄九年(一五六六年)には大隅の弥寝重長が竹島に兵を渡し、籠港から屋久島の一湊や口永良部島を攻めている。この港は、前にある平瀬から陸にかけて、竹とカヤの大網で作った「つり橋」をかけて行き来していた。この橋がモッコの形をしていたので、籠の「モッコ橋」と呼ばれていた。この橋は一四~一五メートルの長さでしたが下を見ると目もくらむような高さで、しかも、ゆらゆらゆれる橋であった。島の人々は重い荷物を背負って橋を渡り、竹の根にすがって急な坂路をのぼり下りしていた。昭和三一年七月二六日、四百段の階段が作られ、人々は安心して登り降りできるようになった。なお、現在でも海が荒れると定期船みしまは、この沖にまわりハシケで人や物の積み下ろしをしている。 三島村教育委員会」
今でも利用されているとは思えませんけれどね。16:30ころ。


▲竹島は本当に「竹ばかり、竹しかない」島です。集落などを除くと、ほとんどこんな感じの道路が延々と続きます。16:36ころ。


▲ところどころ広い範囲で竹が枯れています。寿命なのでしょうか? 潮風などの理由でしょうか? 16:45ころ。


▲元キャンプ場でしょうか? 17:03ころ。

目の前の建物に「キャンプ場の利用方法」が書かれていました。その説明板にはオンボ崎のことを「雲母崎」と書かれています。「雲母」を「オンボ」と読むのですね。


▲炊事棟ですね。薪などを燃やせるようになっていました。右側には水道の蛇口が3つ並んでいますが、ひねっても水は出て来ませんでした。17:05ころ。


▲板敷きのテント台が幾つか設置されています。中央は炊事棟。その向こう側には薄っすらと隣りの島、硫黄島が見えています。17:06ころ。


▲すぐ近くの丘のてっぺんに向かって踏み跡が付いていました。それを辿ってみます。17:11ころ。


▲途中、ふたつほどアスレチックのような器具がありました。これもそのひとつ。下から登ってこれるようになっています。17:12ころ。


▲ここは島の西の端です。このてっぺんから東側を眺めました。島中が竹で覆われていますね。写真の左奥の岬あたりに先ほどの東風泊があります。17:15ころ。


▲てっぺんには半分以上壊れている展望台がありました。遠くには硫黄島、眼下にはオンボ崎の元キャンプ場が見えます。17:17ころ。


▲キャンプ場に戻って来ました。これは元トイレ。17:27ころ。


▲今日は船の中でコンビニで購入した朝食を食べただけ。さすがに空腹が募って来ました。行動食のお菓子を食べます。キャンプ場にはこんなテーブルもありました。使えなくなってしまったのは残念ですね。17:32ころ。


▲元キャンプ場の脇から舗装された遊歩道のような道が海岸へ降りて行っています。硫黄島がすぐ目の前ですね。17:43ころ。


▲その岸壁で男性二人が釣竿を垂れていました。17:43ころ。


▲オンボ崎からテントに戻って来ました。約3時間の散歩。18:23ころ。


▲帰り道の途中でツワブキを採って来ました。18:27ころ。


▲ツワブキはアクが強いので、まずは煮ます。
でも、どういう理由かは分かりませんが、同じ時間煮ても硬いままのツワブキがありました。硬いのは捨て、軟らかいのだけを使いました。19:01ころ。

トカラ列島を旅した時にも、ツワブキはよく食べました。トカラのツワブキの方が茎も異常に太く、軟らかく、味もよかったように思います。とは言え、竹島のツワブキも関東で見かけるツワブキに比べるとかなり太いですね。


Roi Thai のイエロウカレースープが今晩のメインディッシュです。冷蔵保存が必要な食糧は持って来れませんから、肉の代用品として魚肉ソーセージを持って来ました。魚肉ソーセージも何年ぶりでしょう。普段はあまり食べませんが、なかなかいけますね。19:24ころ。

今回、3つの島で必要な食糧は熊本で購入し持って来ています。ただ、乾燥食品やインスタント麺などがメインになりますから、野菜や魚や肉は島で現地調達できるかどうか、それが島での食生活が豊かなものになるか否かの境目になるのです。


▲イエロウカレースープが出来ました。ソーセージの他にクルミも入っていますね。ツワブキも少しだけですが入っています。19:44ころ。


▲今回の目玉となる持ち物がこのLEDランタン。何日間もテント暮らしが続きますから、どれくらい使い続けられるでしょうか? テントの中ではこれだけで十分に明るいです。20:00ころ。


▲続いて、麻婆春雨を作りました。20:42ころ。


▲酒のつまみはこの3種類。干しぶどう、煮干し、クルミです。クルミはカレーに、煮干しはラーメンに入れたりもしました。20:47ころ。


▲島旅最初の晩をまったりと過ごすS子。今日は朝早く起きましたし、馴れない船旅、島に到着してからも忙しく歩き回っていました。けっこう疲れたことと思います。20:55ころ。

僕とS子の島旅はテントに泊まって、後は島中を歩くだけです。トカラでの島旅ではそれにプラスして島の人々との触れ合いが物凄く濃密なものでした。さて、この竹島ではどうなのでしょう?


熊本から鹿児島港へ行き、朝の三島村行きフェリーに乗船。竹島港で上陸しました

2017年05月01日 | 島旅

2017/3/22  いよいよ島旅のスタートです。
僕が初めて島を旅したのは2007年のこと。もちろん、屋久島や小豆島、瀬戸内海のいろいろな小さな島、佐渡島などには訪れたことがあります。つまり、僕にとっての「島旅」とは、小さな島に何日も滞在して、のんびりと過ごす、そんな「島旅」をスタートさせたのが2007年。
それはトカラ列島でした。
第1回トカラの旅 2月26日~3月12日
第2回トカラの旅 4月9日~19日
第3回トカラの旅 5月11日~24日
島の様子が分かりませんでしたし、想像もつきませんでしたから、トカラ列島有人七島を二島、二島、三島に分けて旅したわけです。ひとつの島に三日から数日滞在しました。原則その島最後の日には民宿に一泊しますが、他はすべてテント泊です。

トカラ列島の島旅は本当に素晴らしいものでした。島の方々の人情にたくさんたくさん触れることが出来ました。他にも温泉が素晴らしく、地元の食べ物も素晴らしく、珍しい生き物にもたくさん出会いました。悲しい戦争の歴史も初めて知らされました。

10年ものブランクになりましたけれど、島旅を再び実践したい欲求がむくむくと湧き上がって来たのです。それで選んだ島が鹿児島県三島村の竹島、硫黄島、黒島だったのです。


▲熊本の最寄駅から始発電車に乗りました。僕のザックは右のふたつ。大きい方ですが、テントや二人分のシュラフ等が嵩むのでさほど重くはありません。小さいザックの方は意外と重たいのですよ。6:22ころ。


▲新八代から新幹線に乗りました。6:52ころ。


▲鹿児島中央駅(僕にとっては西鹿児島駅ですね)からはタクシーで鹿児島港へ向かいました。三島へ向かうフェリーはトカラ列島へのフェリーの隣りですから、僕にとっては馴染みの場所。ドルフィンポートと呼ばれる食堂等が集合した建物がすぐ近くにあります。そこで朝食を食べようと思っていたのですが、まだ早すぎたのでしょう、どの店も開いていませんでした。近所をブラブラ歩き回って探したのですが、やっぱりどこも閉まっています。結局、コンビニで購入することに。
今日は霞んでいますね。向うに桜島が見えているのですが、存在感が薄いですね。8:42ころ。


▲「みしま旅客待合所」に荷物を置いていたのですが、そろそろ乗船できるかもしれませんから戻りました。8:44ころ。


▲ここで船のチケットを購入します。一人3600円。8:45ころ。


▲すでに乗船が始まっていましたからすぐに船に向かいました。ところが、僕に待ったが! ザックが大き過ぎるというのです。乗船客が多くて大きなザックを船室には置くスペースがないそうなのです。フェリーに荷物を載せる手続きをしなければなりません。今回僕たちが降りる島名(竹島)と僕の名前をガムテープにマジックで書いて貼るだけ。435円でした。
それからフェリーに乗りました。S子も前を歩いていますね。ところで、中央の車ですが、お弁当を販売していました。ここで買えばよかったですね。桜島も薄ぼんやりと見えています。8:55ころ。


▲乗船客は左から乗ります。右からは誰が乗るのでしょう? お弁当を売っている車は行ってしまいました。今いる車ではパンを売っています。9:12ころ。


出航は9:30です。定刻スタートです。9:33ころ。


▲鹿児島港です。市街地の背後には西郷隆盛終焉の地、城山が見えています。9:37ころ。


▲昔、毎日桜島を眺めて暮らしていました。毎日毎日眺めても見飽きることはありませんでした。日によって桜島は違う色になります。灰色、・・・・。今日の色は何でしょうね? 何と表現すればいいんでしょうね? 無色、かな? 少し遠ざかると、空や海に溶け込んで消えてしまう桜島でした。9:37ころ。


▲船室の中央にはこんなスペースもあります。ちょうどWBCをしていましたが、途中で電波が届かなくなってしまいました。10:01ころ。


▲確かに、二等船室も人で溢れていましたから、僕たちはこのスペースで過ごしました。10:01ころ。


▲トイレも清潔で立派です。10:02ころ。


▲二等船室です。満員でした。10:02ころ。


▲最上階のデッキです。風さえ気にしなければ、心地よい場所ですね。10:34ころ。


▲今日は晴れてはいるのですが、薄雲が空を覆っています。大気も霞みまくっています。ずうっと開聞岳を探していたのですが、こんなに接近してやっとその姿を認めることが出来ました。高速艇も同時に収めようと思ったのですが、はみ出してしまいました。11:03ころ。


竹島です! 12:17ころ。


▲竹島港に入りました。島の周囲はずっとこんな崖で囲まれているようです。12:26ころ。


▲港の施設や待つ人々の姿がのぞめます。12:27ころ。


▲二階の売店前から島へ降ります。12:30ころ。


▲広々とした港の広場です。港で待っていた人はもちろんですが、降りた人たちも島の人が多いみたいです。あちこちで挨拶や世間話が花開いています。12:33ころ。


▲船から荷物が降ろされると、荷物の受取人の名前が呼ばれたり、探したり、賑やかです。島の人たちは自分たちの生活に必要な品物をフェリーを通じて手に入れているようです。竹島には店はないようですから。12:38ころ。


▲預けていた僕のザックです。12:42ころ。

これからオンボ崎のキャンプ場まで大きなザックを背負って、小さいけれど重いザックも前に抱えて、1時間以上の距離を歩かなければなりません。ただその前に、島の役場の人に挨拶をしておく必要があります。トカラの旅の際は、大概の島にはキャンプ場がありませんでしたから、役場の人を探し出して、テントを張っていい場所を教えてもらわなければならなかったのです。竹島にはキャンプ場があると分かっていましたし、しかも無料だということも分かっていましたが、役場の人に話しておくことは大切なことだと、トカラ列島の旅で得た大切な教訓だったのです。

島の人に聞くと、役場の人はすぐに分かりました。そして挨拶。そしてキャンプ場にテントを張りますと、話します。
ところが、え~~っ! 役場の人から驚きの情報! オンボ崎のキャンプ場はもうない! と。
「代わりに体育館のある運動場にテントを張っていいよ」と。水もあるし、トイレもあるとのこと。


島旅は驚きがいっぱい! 下船直後に驚かされて、港を離れることになりました。これだから、島旅は楽しいのです。12:45ころ。

でも、ほっとしている自分もいます。オンボ崎まで歩かなくてもよくなりました。オンボ崎は集落から遠く外れた島のいちばん外れですが、体育館は集落のすぐそばですから。