ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

孫惣谷(まぐそだに)の御供所(ごくうしょ)を探索しに行って来ました 2/2

2015年01月30日 | ハイキング/奥多摩

2014/12/13  今日は本当は梯子坂ノクビレ経由で天祖山へ登り、下山するつもりでした。でも、ここでこの時間ですから、とっくに諦めています。このあたりの様子を偵察できただけで十分です。

さて、林道が鉱山内の作業現場を通るようになったので、巻いている山道を通らなければなりません。


▲登り初めは枯葉がたくさん積もっていて、ただでさえ弱そうな路肩の境目がはっきりせずに、歩きにくい高巻き道でした。ジグザグに高度を上げてきた高巻き道も次第に落ち着いてきます。11:37ころ。


▲林相も植林となり、傾斜も緩やかになりました。昨夜の雪もうっすらと残るようになりました。11:48ころ。


▲モノレール軌道も出てきました。ウトウノ頭の長沢背稜側にもモノレール軌道があるようなことを最近ネットで読んだことがあります。それに繋がっている軌道なのでしょうか? 12:04ころ。


▲こういう標識はだれが取り付けてくれているのでしょう? 一般登山道でないわりには丁寧な標識です。12:06ころ。


▲途中、間違えて構内の敷地へ降りてしまいました。ごめんなさい。
モノレールのスタート地点の倉庫がありました。
軌道の陰に沿って雪が融けずに残っていました。日なたの雪が融ける間、うまい具合に日陰であり続けたのでしょうね。12:15ころ。


▲後ろがモノレールのスタート地点にある建物です。水松(アララギ)沢にかかる木橋をS子が渡ります。12:17ころ。


▲この水は孫惣谷本流の水だといいます。左の小尾根をトンネルでくぐらせてこのアララギ沢へ流しているようです。12:20ころ。


▲アララギ沢でもキチンと標識等が出てきます。
今日は時間的にも天祖山を回って歩く時間はありませんから、ここまでとします。12:24ころ。

 
▲少し上まで山道の様子を見てきました。山道はアララギ沢を渡って、左岸斜面を登って行っています。このままでは天祖山方面とは逆ですからこの上流で再び渡り返すのでしょう。いつかまた行ってみたいと思います。12:49ころ。


▲先ほどの場所から戻ってきました。アララギ沢に支流のゴンエ窪が出合っています。アララギ沢もいつか遡行してみようと思います。12:50ころ。


▲休憩し、昼食を食べていた場所に戻ってきました。S子がいます。12:51ころ。


▲先ほどは間違えて構内敷地へ入ってしまいましたから、今回は間違えずに林道まで戻ります。13:03ころ。


▲採掘現場はアララギ沢との出合をさらに孫惣谷上流へと侵入していっています。13:16ころ。


▲中央の尾根は孫惣谷(左俣)とアララギ沢(右俣)とを分ける中間尾根。右側のどれかが水松(アララギ)山なのでしょう。13:21ころ。


▲高巻き道を引き戻り、林道すぐ上の小さな祠まで来ました。この祠と御供所とは関係あるのでしょうか? 13:45ころ。


▲林道に戻って来ました。13:46ころ。


▲林道の上方向を眺めました。つながっている林道を仕事が休みの日くらい歩かせてくれれば楽なのですがね。先ほどの休憩地点は中央より少し右の谷間にあります。13:47ころ。


▲鉱山現場の光景は映画のセットのようでもあり、地球外の惑星の風景のようでもあります。13:53ころ。


▲燕岩には面白そうなルートがたくさん取れそうです。ただし、僕には到底登れないルートですけれど・・・・ 14:02ころ。


▲奥多摩工業株式会社の氷川鉱山天祖事務所です。14:12ころ。


▲左から八丁山、伊勢山、鷹ノ巣山だと思います。14:26ころ。


▲篶坂ノ丸へ至るオロセ尾根の登り口です。14:38ころ。


▲八丁橋に到着。15:07ころ。


▲東日原バス停です。心づもりしていたバスよりも1本早いバスに乗れました。15:57ころ。

下山後はいつものように天益で打ち上げ。Kさんと久し振りにお会いすることが出来ました。


孫惣谷(まぐそだに)の御供所(ごくうしょ)を探索しに行って来ました 1/2

2015年01月28日 | ハイキング/奥多摩

多摩川には数多くの支流があります。なかでも奥多摩駅の前で分かれている日原川は、大きな支流のひとつ。その日原川の主要な支流の多くには林道が延びています。
川乗林道、倉沢林道、小川谷林道、日原林道(これは本流ですが)などです。僕はそれぞれの林道沿いのいろいろな沢や尾根を幾度も訪れました。

でも、孫惣谷林道だけは記憶に残っている範囲ではたったの3回しかありません。
1回目は記憶にないほど遠い昔です。どんなルートを歩いたのかも覚えていません。石灰岩採掘現場には大きなトンネルが掘られていて、そのトンネルが所々で外から見えるように窓があいていて、トンネルの中をトラックが通っているのを見たのです。他の山での印象と混沌と融合してしまっているのかもしれませんが、御供所を通り(そのまま林道を歩けたように思います)、梯子坂ノクビレを通り、天祖山へ登ったように思えるのです。夢想の中で作り上げられた記憶なのかもしれませんが・・・・
2回目は20数年前のことでしょう。S子とM田さんと3人で小川谷の支流、鳥居谷を遡行し、ウトウノ頭へ至り、ウトウ沢を下降しました。孫惣谷林道を歩いて帰ったのです。
3回目は2008年11月のこと。S子とW島さんと3人で孫惣谷林道を途中まで行き、オロセ尾根を登り、篶坂ノ丸経由で材木小屋尾根を下降したのです。

で、孫惣谷林道の奥をちゃんと歩いてみたいと前から思っていたのです。それで今回、まずは御供所付近までは、と思い、S子と出かけることにしました。

2014/12/13  寒い朝でした。翌日が衆議院選挙の投票日ですから、登山者は少ないだろうと思っていましたが、とても多くいます。若い人たちが多いですね。中高年の登山者の中には、冬眠する方が多いようなのですが、若者はさすがに元気で、冬眠はしないのでしょう。

臨時バスが出るほど多くはありませんでしたけれど、冬に東日原行バスが満員になることは珍しいことです。


▲東日原バス停を降り立つと、目の前の石尾根の北斜面に白いものが見えます。霜なのか、雪なのか? どちらなのでしょう? 9:07ころ。


▲稲村岩です。毎回おなじみの景色ですが、今日は岩の左のコルにお月さんが見えたので撮りました。9:09ころ。


▲小川谷橋です。この橋を渡ると、右へは小川谷林道、左へは日原林道となります。9:32ころ。


▲日原林道を歩いていると、途中の水溜りが凍っていました。山ですから当たり前のことでしょうが、町から来ると新鮮に感じられます。9:57ころ。


▲八丁橋に着きました。これを渡って、孫惣谷林道が始まります。10:05ころ。


▲孫惣谷林道は最初どんどん高度を上げていきます。10:21ころ。


▲道端の枯葉に白いものは見えます。霜かな?と思っていたのですが・・・・ 10:47ころ。


▲左には谷を渡る導管が山腹から出て来ています。前方には建物も。そろそろ鉱山の領域でしょうか? 10:50ころ。


▲十兵小屋(十兵衛)窪でしょうか? 10:55ころ。


▲対岸を見ると、斜面が白くなっています。霜なのか昨晩雪が降ったのか、分かりかねますね。10:58ころ。


▲あれこれ思っているうちに林道脇に出てきたのがこれ。雪です! やっぱり昨晩、少しだけ雪が降ったようですね。11:00ころ。


▲この鉱山の事務所でしょうね。11:02ころ。


▲焼小屋窪かな? 11:05ころ。


▲焼小屋窪の様子です。短い沢のはずですが、これだけ見ると、登ってみても良さそうです。11:06ころ。


▲燕岩でしょうか? 11:13ころ。


▲ウトウ沢だと思いますが、出合付近の林道が一部凍結していました。11:19ころ。


▲ウトウ沢です。この沢を下降したことがあります。11:20ころ。


▲石灰岩の採掘現場が見えてきました。11:20ころ。


▲これを自然破壊と見るのか、人類文明の必要要件と肯定するのか、考え方は多様でしょうけれど、僕自身の生活の一部であることは否定できません。11:21ころ。


▲このあたりの孫惣谷の水はどこへ行ったのでしょう? 11:26ころ。


▲今回の目的のひとつは御供所の場所や様子を確認することです。
ここから先は構内立ち入り禁止なので登山者は林道を進むことが出来なくなります。ここまでは御供所はありませんでした。11:27ころ。


▲この看板のところから登山者用の高巻き道へと入ります。11:28ころ。


▲こんな感じでスタート。あまり整備はされていない山道のようです。11:29ころ。


青春18きっぷで初めての山陰旅 4/4―――出雲大社を訪れる

2015年01月26日 | 帰省の途中旅

2014/12/26  いよいよ今回の帰省途中旅の第一目的の出雲大社です。僕自身は二十代の頃だったと思いますが、訪れたことがあります。巨大な木造建築に畏怖するような思いを抱いたことを記憶しています。
S子は来たことがありませんし、僕ももう一度見てみたいので、来ることにしたのです。


▲一畑電車が出雲大社前駅に近づくと、車窓から虹が見えました。14:35ころ。


▲出雲大社前駅のホームからの撮影だったと思います。ますます明瞭に、ますます大きく見えるようになりました。14:37ころ。


▲駅舎を出て右、北へと神門通りを歩きます。さすがに一直線に出雲大社へとつながる道路です。雰囲気があります。14:43ころ。


▲出雲大社の参道入口です。二の鳥居(勢溜の大鳥居)に虹がかかっていました。14:50ころ。


▲参道がずうっと先まで下っています。このような下る参道はめったにないのだそうです。14:53ころ。


▲途中、素鵞(そが)川に架かる祓橋を渡ると、写真の松の参道になります。昔は殿様や貴族のみに許されていたというど真ん中の参道を僕もS子も歩きます。14:56ころ。


▲平成12年に発掘された神殿を支える巨大な柱跡から、巨木3本を束ねた高さ48mもの柱だったことが推測されています。「平成の大遷宮」の記念事業として、そんな巨大な柱を人力で立ててみたのがこれ。高さ自体は17mだそうですが、1本の木の直径は80cm、重さは4tあるのだそうです。14:58ころ。


▲左の大波の上には幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)が黄金に光り、右向うには若かりし頃の大国主大神がいます。神話の一場面を表したのだそうです。15:01ころ。


▲拝殿です。現在の建物は昭和34年(1959年)に総ヒノキ造りで再建されたもの。15:03ころ。


▲本殿は二重に取り囲まれているような形状です。その外側の門がこの八足門。これより中へは入れませんでした。15:05ころ。


▲御本殿の周りを歩いてみました。平成の大遷宮が無事に終了し、新しくなっているのでしょうが、遠目にはよく分かりません。でも、古色蒼然のままの方がいいわけですから・・・・ 15:11ころ。


▲御本殿の真後ろです。写真から受ける印象よりもずっと巨大です。15:16ころ。
▲御本殿の西側です。後方に山を抱いて立っているのですね。山の名は鶴山、亀山、八雲山なのだそうです。15:22ころ。


▲神社につきもののこんな風景もあります。日本一の縁結びの神様ですからね。15:22ころ。


▲南西側から出雲大社を眺めると、こんな感じ。15:22ころ。


▲出雲大社の西に建つ、神楽殿です。昭和56年(1981年)に造営され、祭典、祈願、結婚式などが行われます。写真右に見える白く太いポールは国旗掲揚台です。高さは47mあり、ここに掲げられる日章旗は畳75枚分、重さは50kg、日本最大だそうです。15:23ころ。


▲二の鳥居まで戻って来ました。写真中央、神門通りの先に一の鳥居が見えていますね。15:30ころ。

出雲大社参詣中に僕とS子はほんの些細なことで小さな小さな諍いを起こしました。その緊張感は10分とは続かなかったのですが、縁結びの神様のちょっとした悪戯だったのかもしれません。

出雲市に予約していたホテルのチェックイン予定時間には入れそうにありませんから、遅れる旨を電話。
再び一畑電車に乗り、電鉄出雲市駅へ向かいました。ホテルにチェックインし、しばらくのんびりしてから、街へ夕食に出ます。

地元の食材を使った料理を食べ、地元のお酒が飲める居酒屋さんを探します。高すぎず、ちょっとは高級感があって、お客さんはたくさん入っているけれどうるさ過ぎない、そんな都合のいいお店を探すのです。
まあ、そんな店が運よく見つかるわけもありませんから、実際は早めに適当なお店で手を打つわけですけれどね。

それで入った居酒屋さんが地酒と地元食材を看板でうたっているお店。でも、ちょっと変わっていて沖縄風の傾向もあるようです。


▲「ぼべ」という貝の料理だというので、注文しました。僕もS子も食べたことのない料理や食材を食べるのが大好きで、とりあえずすぐに注文します。
出てきたのは小皿にたくさんのっかった小さな貝。貝殻が2~3cmしかありません。中の身はさらに小さい! ヨメガカサ(嫁が笠)という名の貝らしく、島根県地方ではボベサラ(皿)とかベベガイと呼んだりするようですね。19:26ころ。


▲松江の夜に続いて今晩も「ノドグロ」。今夜は煮物です。確かにおいしい魚ですね。19:27ころ。


▲「あご」とはトビウオのことだというくらいなら知っていましたから、「あご野焼」とメニューにあるのを見て、トビウオの焼き魚だろうと当然思います。野焼き風に大胆に焼き上げたものだろうか? くらいに想像していました。
で、出てきたのがこの写真の代物・・・・??
ひょっとしたら注文していなかった料理を間違って運んだのかもしれないとまで考えて、お店の人に尋ねてみました。「これがあご野焼なんですか?」と。答えは「そうですよ。トビウオで作った蒲鉾です」。「へぇ~っ!」てなもんです。
島根県など山陰の郷土料理なのだそうです。美味しい! 僕はトビウオが大好きですから、これも美味しく感じます。
写真はいつものことですが、料理がなくなる直前に気づいて撮ったので、残り少なくなってしまっています。20:02ころ。


▲小エビと十六島海苔のサラダ(確か、こんな感じの料理名でした)です。これまた、どんなサラダだろうと期待していたのですが、出てきたのを見てがっかり・・・・。野菜の上に海苔が乗っていて、その上にちょこんと干し小エビが乗っかっているだけ。
でも、まずまず美味しかったのです。
東京へ戻ってからネットで調べると、十六島海苔を「うっぷるいのり」と読むのですね! 
島根県出雲市の平田町の日本海側で採れる極上の岩ノリなのだそうです。冬にしか採取しないので、希少なものなのだそうです。素晴らしい逸品の料理だったのですね! 知らなかった・・・・
ちなみに、「うっぷるい」とは変な地名ですよね。アイヌ語説や朝鮮語説があるのだとか。かつては於豆振(おつふるひ)と言われていたそうです。20:02ころ。

他に何を食べたのか、どんな地酒を飲んだのかは忘れてしまいました。島豆腐のチャンプルーを食べたようにも思いますね。他にもいろいろ。
いい居酒屋さんでした。


青春18きっぷで初めての山陰旅 3/4―――小泉八雲の繊細さに驚く

2015年01月23日 | 帰省の途中旅

2014/12/26  まったく下調べをしていなかった松江城がとっても素晴らしいお城でしたので、思いのほか時間を喰ってしまいました。松江城が現存天守だったことも知らなかったのですから。

松江にはいろいろと訪ねてみたい場所があるようなのですが、絞りに絞って、もうひとつだけチョイスしました。それが小泉八雲旧居です。小泉八雲の記念館も隣りにあるのですが、そちらは泣く泣くカット。記念館や博物館は観るものが多く、説明もしっかりと読まないと気が済みませんし、時間が際限なくかかりそうですから。
それにどちらかひとつと言われれば、小泉八雲が生活していた実際の場所に触れることの方が小泉八雲に対する理解が直截的で身近なのではないかと思ったからです。


▲ここはまだ松江城内です。城山稲荷神社がありました。11:32ころ。


▲鳥居をくぐると両サイドに狛犬ならぬ狛狐がいました。雰囲気のある稲荷神社なので散策してみたかったのですが、何しろ時間が・・・・ 11:32ころ。

帰京してから、ネットで調べてみると、この稲荷神社には2000体?もの狐がいるとか。中には小泉八雲お気に入りの狐もいるそうで、今度松江城を訪れることがあれば、ぜひぜひ散策してみたいと思いました。


▲松江城はお堀が比較的昔のまま残っているお城でもあります。お城の防衛線としてのお堀の意義は当然あるのでしょうが、それ以上にこの水の風景が街並みと溶け合って風情を醸し出しています。写真の右側は内堀、橋は新橋です。11:37ころ。


▲遊覧船が通りかかりました。でも、お客さんは乗っていません。宣伝のデモンストレーションでしょうか? 11:38ころ。


▲松江城の北、内堀沿いに小泉八雲旧居はありました。

1890年4月、39歳の時に来日したパトリック・ラフカディオ・ハーンは、同年9月から島根県で英語教師として働きました。松江での生活は1年数ヶ月でしかありませんでしたけれど、松江での生活はその後の彼に多大な影響を与えたようです。そればかりか、生涯の伴侶、小泉セツとも出会うのです。 


▲この館は旧松江藩士、根岸家の武家屋敷でした。ちょうど空いていたのをハーン(小泉八雲)が借りたのです。松江での生活も10ヶ月ほど経っていて、小泉八雲は庭付きの武士の屋敷に住みたいと願っていたのだそうです。
ここはセツとの新婚生活の場でもありましたから、小泉八雲にとっては特別な館であったに違いありません。


▲小泉八雲はここの庭がいたくお気に入りだったようです。南と西側の庭です。写真左端にちょっと写っているサルスベリも、好きだったそうです。11:43ころ。

小泉八雲は彼の著書『日本の庭園』の中で、次のように表現しています。庭としては決して広くもなく、とりわけ優れてもいない、この可愛らしい小庭園をここまでよく見て、愛おしく表現するとは!
少し引用が長くなりますが、どのような庭か想像してみてください。

『苔の厚く蒸した大きな岩があり、水を容れて置く妙な格好の石鉢があり、年月の為め緑になった石燈籠があり、また、城の屋根の尖った角に見るような―――その鼻を地に着け、その尾を空に立てた、理想化した海豚の、大きな石の魚の―――シャチホコが一つある。古木がそれに植わっている微細画式の小山があり、花の灌木が蔭を与えている。川土手のような、緑の長い傾斜地があり、小島のような緑の饅頭山がある。青々とした斯ういう高みは総て皆、その表面が絹の如く滑らかな、そして川の紆余曲折をまねている、淡黄色な砂の地面から高まって居る。・・・・・・が、その砂地は、まさしく小川を横に渡る踏石のように、次から次とやや不規則な距離に置いてある、荒く削ったままの平たい幾列かの石を伝って、種々な方向に横ぎることができる。全体の感銘は、ある眠くなるような物寂しい気持の好い処にある、ある静かな流れ川の岸の感銘である』


▲玄関を入り、左の部屋へ進み、ひとつ前の写真の庭に面した角部屋は来客の控えの間だと思われます。その部屋から北を向くとこの写真のような間取りになっています。手前は床の間のある座敷のようです。座敷の先はプライベートな生活空間のようですね。11:44ころ。


▲小泉八雲は身長およそ160cm、背は低かったのですが、目がかなり悪く、このような高い机を使用していたのだそうです。11:48ころ。


▲北側の庭には小さな池があります。彼はこの庭園も深く愛おしんでいたようです。まるで広大で高名な庭園を愛でるような調子で著書の『日本の庭園』の中で描いています。11:48ころ。

また長くなりますが、その文章を引用します。

『北側の第二の庭は自分の好きな庭である。大きな草木は何一つない。青い小石が敷いてあって、小池が一つ―――珍奇な植物がその縁にあり、小さな島が一つその中にあって、その島には小さな山がいくつかあり、高さは殆んど一尺にも足らぬが、恐らくは一世紀以上の年を経たのも、その中にはある一寸法師的な、桃と松と躑躅がある小型の湖水が一つ―――その中心を占めている。ではあるがこの作品は、そう見せようと計画されていたようにして見ると、目に少しも小型なものとは見えぬ、それを見渡す客間の或る一角から見ると、石を投げれば届くほどの遠さに、向うに真の島のある、真の湖岸の景である。・・・・・・
 この池の緑の其処此処に、そして殆ど水と水平に、その上に立つことも座ることも出来、その湖沼住者を窺うことも、その水中植物を世話することもできる、平たい大きな石が置いてある。池には、その輝かしい緑の葉面が、水の表に油の如く浮いて居る美しい睡蓮があり、また二種類の、一つは淡紅い花をつけるもの、一つは純白の花をつけるものと、多くの蓮がある。岸に沿うて、三稜鏡的菫色の花を咲かす菖蒲が生えて居り、それからまた装飾的な種々な、草や羊歯や苔がある。が、この池は蓮池で、蓮がその最も大なる妙趣となって居るのである。葉が始めて解れる時から最後の花が落つる時まで、その驚くべき生長の一々の相(すがた)を見るのは楽しみである。殊に雨降りの日には蓮は観察に値する。その盃形の大きな葉が、池の上高く揺れつつ雨を受けて暫くの間それを保つ。が、葉の中の水が或る一定の水平に達すると、屹度茎が曲ってポチャリと高い音を立てて水を零す。・・・・・・』


▲右に床の間が見えています。座敷です。机のある部屋とその向こう隣りの部屋は普段の生活空間だそうです。座敷の裏側の部屋もそうですね。
小泉八雲と妻・セツとの暮らしはどんなだったのでしょう? 公開されているこの屋敷は一部だけですから、台所やお風呂なども公開して欲しいものです。11:53ころ。


▲小泉八雲の書斎にも床の間がありました。11:53ころ。


▲書斎から居間と控えの間を振り返って見ました。右の窓からは西の庭、左の窓からは南の庭が見えます。11:54ころ。

S子と二人でこの旧居を見ている間、他に二人だけが訪れて来ましたが、その二人もすぐに出て、静かに見ることができました。
来日して1年目、美しい庭のある格式高い武家屋敷に住み、人生の伴侶も得た小泉八雲はどのような心境だったのでしょう。アイルランド人の父とギリシャ人の母、幼くして両親は離婚し、親の愛薄く育った小泉八雲です。人生で初めて心落ち着く安楽の地を得たのではないでしょうか。この館を訪れて、僕はそんな印象を持ちました。

正午になっていましたから、昼食を食べようと、旧居近くの松江堀川地ビール館へ行きました。


▲宍道湖ですからシジミは外せませんよね。しじみ飯セット520円です。12:17ころ。
▲松江地ビールの歴史は知りませんが、小泉八雲にちなんで「ビアへるん」と命名されています。確か、ペールエールを頼んだんだと思います。12:17ころ。


▲S子が頼んだのは「堀川三色そば」920円。出雲地方はそば処としても有名なのです。出雲そばは更科そばではなく、甘皮ごと石臼で挽いた風味豊かなそばなのだそうです。12:19ころ。


▲地ビール館の外観です。レストランは二階、一階はお土産物などが売られています。12:40ころ。


▲地ビール館のすぐ横は堀川めぐり遊覧船の乗船場になっていました。12:46ころ。

いよいよこれから今回の途中旅、メインイベントです。出雲大社へ行くのです。松江ですっかり時間を喰ってしまいました。出雲大社へは一畑電車を使って行くのです。JRではありませんから青春18きっぷは使えませんし、すぐ近くですからもし使えても使う必要もありません。

一畑電車の松江しんじ湖温泉駅へ歩きます。時間があったので、駅の周りをブラブラしてみましたが、何もありませんでした。


▲木をふんだんに使った新しい車両のようです。ネットで調べると、5000系の「出雲大社号」なのだそうです。木は島根県産の木材なのだとか。2014年7月から運航されたようですね。素晴らしい車両です。13:28ころ。


▲4人がけの座席シートはこんな感じです。13:29ころ。


▲2人がけの座席シートでミカンを食べてくつろぎます。13:39ころ。


▲電車は宍道湖沿いを走ります。宍道湖の様々な姿も眺めながらの電車旅。13:58ころ。


▲途中、一畑口駅を出ると、不思議な現象が出現しました。これまで2人がけ座席の窓から見えていた宍道湖が反対側の4人がけ座席の窓から見えるようになったのです。
しばし頭が混乱していましたが、「そうかっ!」と納得できたのです。一畑口駅に出入りする線路は漢字の「人」のようなルートを描いているのです。駅は二つの線が交わる先端にあって、入って来るときと出て行くときの先頭車両がスウィッチバックのように入れ替わるのです。
写真はそういうわけで、宍道湖が見える座席に移ったときのものです。テーブルが広がるようになっています。14:22ころ。

途中の川跡駅で乗り換えて、出雲大社前駅へ向かいます。窓の外にはのどかな田園風景が続いていました。


青春18きっぷで初めての山陰旅 2/4―――松江城は素晴らしかった!

2015年01月06日 | 帰省の途中旅

2014/12/26  泊まったホテルは無料の朝食サービスがありましたから、8時過ぎにそれをいただき、のんびりとチェックアウトしました。

とりあえず、宍道湖へ向かいます。

途中、10月に催される松江のお祭り『鼕(どう)行列』の伝承館があり、その映像説明を見ることが出来ました。鼕(どう)と呼ばれる大太鼓を山車屋台に据え付けて、それを打ち鳴らしながら練り歩くお祭りのようです。


▲宍道湖湖岸に出ました。本当は昨夕、ここに来る予定だったのです。日本一夕日が美しいスポットとして有名です。でも、天気が・・・・。
嫁ヶ島も見えていますね。9:57ころ。


▲これが嫁ヶ島です。150mあり、松が植えられています。島には弁財天が祭られていて、鳥居もあるそうです。9:59ころ。


▲アオサギとトンビとカラスの奇妙な顔合わせ。10:01ころ。


▲宍道湖沖合にはたくさんの船が浮かんでいました。シジミ漁の船でしょうか? 10:08ころ。


▲さすがに島根県です。こんなところがありました。時間があればじっくり見てみたかったですが・・・・ 10:24ころ。


▲松江城の天守閣が見えてきました。10:26ころ。


▲岸清一氏の銅像が建っていました。と言ってもピンとこないでしょうが、代々木のあの「岸記念体育館」の岸氏だと言えば、「ああ、あの岸さんか」と分かる方もいることでしょう。この松江市出身だそうです。10:28ころ。


▲お堀の美しいお城は好きです。10:29ころ。


▲入城近し、です。この広場は馬溜跡。出陣の際などに、馬が並び揃う場所なのでしょうか? 中央に見えているのは井戸跡です。10:34ころ。


▲階段は新しいものでした。でも、お城らしい雰囲気がありますね。10:36ころ。


▲一ノ門だと思いますが、ここが観光客にとっての入場口になっています。入城料は560円でした。10:42ころ。


▲天守閣。10:46ころ。

松江城は平山城で、全国に現存する12天守のひとつなのだそうです。天守閣の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目なのだとか。
昭和10年に国宝に指定されたのですが、昭和25年の文化財保護法制定により重要文化財に改称されました。ですから、国宝に再指定してもらおうとの運動も起きているそうです。


▲6層の天守閣の最上層からの眺めです。宍道湖が見えています。11:10ころ。


▲僕自身はさほどお城に興味があるわけではないのですが、そんな人間から見ても、現存天守閣は訪れて感動します。何に感動するかというと、高層の木造建築物を支えている柱などですね。急な階段も好きです。
ちなみにこの写真の柱は包板という技法のようです。柱の周りに板を張って鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留めているのです。割れ隠しなどの体裁を整える意味があったようです。11:14ころ。


▲そしてこの床。美しい! 11:16ころ。


▲こんなところにも妙に感動しますよね。11:18ころ。


▲城の壁が黒いお城は古いお城です。漆喰ではなく板塀ですが、松本城もそうでした。姫路城のような白いお城も綺麗ですが、黒いお城の方が僕は好きです。11:23ころ。

お城巡りももっと時間をかければ見るべきものはたくさんあるようですが、今日はほかにも行ってみたい場所があるので、これにて終了。