ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

久し振りの山仲間との低山ハイキング―――弁天山~小峰公園~金剛ノ滝~広徳寺

2013年02月23日 | ハイキング/奥多摩

2013/2/17  K井さんにせよW島さんにしてもどれだけ振りの山行でしょう? 数ヶ月とかではない、何年振りとかの山行なのです。
K井さんは時折雪国から上京して来ますから、その機会を得ての計画でした。W島さんとはこれくらいの軽いハイキングなら一緒に行けるのではと誘ってみました。山の仲間とは街で会うよりも山行を共にする方が心通じ合えるものです。

K井さんはしっかりした登山靴を雪国の方の自宅に置いてあるとのことですから、まだ雪の残った山を計画することだけは出来ません。そういったこともあって、この低山ハイクとなった訳です。
計画し、実行が決まった後で分かったことですが、K井さんとK嶋さんはかつてこのコースの8割方同じコースを逆コースで歩いたことがあるのだとか。僕とS子はもちろん歩いたことがありますから、コースに新鮮味はありませんが、それはそれで冬枯れの低山ハイクを堪能することにしました。

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▲ここが登山口です。10:14ころ。
ホリデー快速あきがわ3号での遅い出発、武蔵増戸駅には9:17着。駅から写真の鳥居までは20分のコースタイムですから、倍以上経過しています。道を間違え、ずいぶん西の方へずれてしまったようです。山には尾根や沢やピークなどの目立った地形がありますが、平地にはそれがありません。街中のルートファインディングは本当に難しいですね。

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▲すぐ目の前を歩いているのはW島さん。その前に地元の人が犬の散歩に来ています。右の尾根には他のパーティーが。他にも数パーティーと会いましたが、弁天山周辺のルートをあっちへこっちへと歩いているようです。10:19ころ。

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▲弁天山(292m)山頂から都心が見えました。真ん中にスカイツリーが立っています。手前には高速道路も。イオンモールや遠く筑波山もうっすらと見えました。10:33ころ。

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▲城山(330m)山頂の説明版です。写真をクリックし、拡大して説明も読んでみて下さい。10:53ころ。

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▲地図を見れば当然のこととは理解出来るのですが、僕個人の地理感覚では、大岳山がここから見えることに驚いてしまいます。
大岳山はどこから見てもこの形ですね。左の尾根は馬頭刈尾根です。11:30ころ。
いったん里に降りて来ました。

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▲小峰ビジターセンターです。11:38ころ。
自然が勉強できる展示があります。触ってもいいハチの巣が置いてありましたが、軽くて軟らかい和紙のようなのがあるかと思うと、硬い木製のようなハチの巣もあって面白く感じました。

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▲小峰公園の立派な東屋で休憩しました。左からK井さん、K嶋さん、S子、W島さんです。
休憩も終了し、再出発です。12:19ころ。

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▲東屋の前の尾根は春になると桜並木が美しい桜尾根です。今日はまだ桜の季節ではありませんし、桜が咲いている時季にこの尾根を歩いたこともあるので、もうひとつの尾根、里山尾根を歩くことにします。12:19ころ。

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▲里山尾根の急な登りにさしかかりました。階段です。僕は百数十段だろうと予想を立てましたが、K井さんは「108段だと思うわ」との予想。で、数えました。S子も数えたのですが、S子は230何段とか。僕は結構正確だと自負しているのですが、何と! 216段! 108段×2なのです! ま、ここはその数値の意味深さから216段を正解とさせて下さい。K井さんが半分正解ですね。12:34ころ。

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▲小峰公園を出ると、アップダウンの少ない尾根道を歩きます。写真のような感じ。ただ、左下の里には巨大な変電所が続いています。12:51ころ。

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▲なだらかな尾根道から標識に従って左へ降りると沢(逆川)が90度カーブする堰堤の上の広場に出ます。広場の奥は陽当たりが悪いようで、雪が残っていました。
その雪のある上流へ踏み跡を辿ります。13:26ころ。

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▲最初は伏流していた沢の流れも上流で現われて来ます。写真のような立派な木橋も架けられています。13:29ころ。

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▲トンネルです。手掘り風の実に趣きのある小さなトンネルです。調べてみると、このトンネルを掘ったのは修験者なのだとか。その真偽には確信が持てませんが、そうでありそうな雰囲気はありますね。それだけでもワクワクして楽しいのですが、トンネルを抜けた先に・・・・ 13:30ころ。

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▲トンネルを抜けると、そこは金剛の滝の前なのです。落差14m(他に10m、12m、18mなどと諸説あり! 誰か正確に測ってよ!)なのだそうです。実はこの滝は雄滝で、トンネルの左にあった小さな滝が雌滝なのだとか。13:31ころ。
写真左端に石像が見えるでしょうか。この像がこの滝の名前の由来になっているのです。
宮内敏雄さんの『奥多摩』には次のように記されています。
「遠い神代に、天上からお降りになった素盞鳴尊が、この逆川上流の棚沢に参られて、金剛滝で沐浴せられ、折から現われた大蛇を御成敗になられて出雲ノ国にむかわれたので、一に大蛇(おろち)谷などとの俚称のある逆川・・・・」

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▲この像なのですが、金剛像なのでしょうが、仁王像や不動明王とどう違うのか同じなのかまったく知りません。難しいですね。13:32ころ。

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▲金剛の滝見物を終えて、再びトンネルを潜って元へと戻ります。トンネルの右には石段があり、写真の左上の梯子のような階段へと続いています。13:36ころ。
実はこの階段、以前は今熊山や刈寄山へ通ずる登山道でした。僕は何度もこの急階段を通ったことがあるのです。逆川を遡行した時も、この登山道を下降しています。ちなみに金剛の滝は恐れ多くて登攀していませんし、その上流にはたいした滝はありません。高くても4~5mの滝が4つほどあるだけで、後は小滝ばかりです。ただ、ずう~っと倒木が多い沢でした。今でもそうなのでしょうか。1993年9月のことです。
最近では舟子尾根を下降した際、この梯子状階段を降りました。舟子尾根ですが、最下部ではT字状に尾根が分岐するのです。一般的には左へと下って行くのですが、そちらへ下れることは分かっているので、右へのルートを選んだのです。すると、どんどん急になり懸垂下降しないと下れないような斜面になってしまいました。と言う訳で、昔あった登山道とこの階段を思い出した訳です。もう一度登りなおし、少しなだらかになった山の斜面を昔の登山道めがけてトラバース。どんぴしゃで飛び出しました。階段もあったという訳です。

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▲帰りの道すがら、S子が水面を指差します。足元にも碧い空が続いていました。13:39ころ。

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▲元の尾根へ戻り、今度は反対側の広徳寺へと下ります。陽ざしが暖かい。13:54ころ。

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▲五日市の町に来ると寄ってみたくなるのがこの広徳寺です。とても雰囲気のある、良いお寺だと思っています。写真は総門と山門。14:05ころ。

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▲山門を過ぎると対に聳える銀杏が並んでいます。長寿の銀杏に特徴の乳(ち)が多く垂れ下がっています。14:10ころ。

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▲本堂です。趣きのある素晴らしい本堂だと思います。14:10ころ。

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▲本堂前から振り返ると、山門と銀杏が見えます。14:11ころ。

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▲タラヨウです。確かに立派なタラヨウで、都内では最大なのだそうですが、そもそもどうしてここに生えているのでしょうね? 14:13ころ。

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▲何故にタラヨウの葉に願い事を書きつけるのでしょうね? 14:15ころ。

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▲広徳寺境内からは少し外れますが、広徳寺のカヤがこれ。なかなかの貫録です。14:18ころ。

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▲広徳寺を後にして、武蔵五日市駅方面へ向かいます。途中、秋川を渡りましたが、シラサギ(多分ダイサギなのだと思います)とカモ(コガモかな?)がいました。14:33ころ。

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▲阿伎留神社です。10世紀に記された『延喜式神名帳』にはすでに載っていた古刹。五日市の町も古いのです。14:39ころ。
僕は五日市の街歩きが好きです。とりわけ春が大好き。歴史と風情のある街だと思っています。

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▲五日市での僕の馴染みの店がこの『音羽鮨』。でも今日は早く来過ぎたみたいです。ちょうど昼休み中。残念! 14:53ころ。
夕方は16:00からのようでした。それで拝島まで行くことに。駅近くの居酒屋チェーンで打ち上げをしました。


大菩薩南部を歩きました/二日目

2013年02月19日 | 雪山/大菩薩

2013/2/11  S子と二人での山の朝は滅茶苦茶のんびりです。日常の朝よりずっとのんびり。どうやらS子は家で忙しい分、山ではゆっくり目覚めてあくせくしないことを楽しんでいるようなのです。
まあ、僕もそれで別に構いませんし、山で迎える朝を堪能することは大好きですから、いいことだと思います。もちろん、S子と一緒でも朝早い出発がどうしても必要な状況では、テキパキと行動しますよ。日の出前の暗い中起き出すこともあります。
今日は6時起床。8時くらいには出発したいなぁと考えています。

起床して最初に気になっていたことは、ポリタンの中の水です。夜中、トイレで起きた際に確認しましたが、凍っていませんでした。テントの中に入れておいた方がいいだろうな、と思っていたのですが、大丈夫そうです。結局、一部凍ってはいるようで、ジャリジャリと音はしますが、そのまま使えます。
避難小屋とはいえ、風が吹き込まないだけで、気温自体は外とさほど変わりません。寒い! テントの中をバーナーでまず暖め、お湯を沸かし熱い飲み物で体の中も温めました。

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▲避難小屋から少し下った場所に水場はあります。凍ってしまって使えないのではと心配していましたが、大丈夫でした。6:50ころ。昨日は2リットルほどの水を汲みました。今朝は1.6リットルほど。

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▲避難小屋内の様子です。右の窓からは朝日が入り込み、左の窓からは夕陽が望めました。
布団もありますが、この時期は布団も冷たくて、多分ここの蒲団だけでは寒いでしょう。
朝、寒暖計の存在に気付き、朝日が差し込んで来てから温度を見ました。-4℃でした。最低温度は-10℃ほどにはなっていたのではないでしょうか? 7:01ころ。

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▲朝食は棒ラーメンです。2人前持って来ましたが、昨晩のご飯が少し余っているので、1束だけ。野菜も入った美味しいラーメンでした。7:09ころ。

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▲スープを余らせておいて、そこへ昨晩の余ったご飯を投入。雑炊として食べます。7:33ころ。

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▲どこでどう時間を食ってしまったのか、避難小屋を出発することになったのは、なんと! 9:18ころ。

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▲避難小屋の近くには広場があり、林道がここまで通じています。写真の建物はトイレです。でも、冬季は使用不可。9:19ころ。

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▲湯ノ沢峠を南下すると、すぐにこのような門が出て来ます。左右には柵も続いていますから、おそらく鹿害から守るための鹿柵でしょう。9:27ころ。

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▲草原に出ました。後ろを振り返って撮影。この草原は夏になると素晴らしいお花畑になるのだそうです。いつか愛でてみたいものです。9:35ころ。

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▲湯ノ沢峠のお花畑を囲っていた鹿柵だったようです。反対側にも同様の門がありました。シカだけでなく人間もお花畑を荒らす悪者のようですね。9:38ころ。
前方の山は大蔵高丸。

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▲大蔵高丸に着きました。10:08ころ。振り返ると、昨日登った白谷丸や黒岳も見えています。

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▲大蔵高丸は秀麗富岳十二景のひとつなのだそうです。広々とした広がりの中に富士山が静かに佇んでいます。10:11ころ。

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▲マハイバ丸も秀麗富岳十二景ですが、そもそもピークがあまり明瞭ではありませんでした。富士山が綺麗に見える場所もあるのですが、そこがピークかと言うと、う~ん? まあ、ずう~っと同じような富士山が見えているので、ここもあそこもとピークを数えなくてもここら辺の山からの眺めという括りでいいのではないでしょうか? ほんの僅かしか離れていないピークですし。10:53ころ。
そんなことよりもハマイバ丸が「破魔射場丸」と書くということを知ったことの方が「へえ~っ」でした。そもそも山頂を「丸」と呼ぶのは朝鮮からの渡来人が付けたというのが有力説だそうです。朝鮮の古語では山のことを「モリ」と言い、現代朝鮮語では「マル」と言うのだとか。この地域には多くの渡来人が住み着いており、「~丸」といった山名が多いのだそうです。確かに。
ところで破魔射場ですが、一説にはこの辺りから破魔矢を射たのではと言う説があるのだそうです。それも浜立山に向かって。浜立山は滝子山南西にあるピークですが、それは「破魔を立てる山」なのだとか。個人的にはちょっと出来過ぎた説だと思いますね。
他にもいくつか説があって、それぞれに「そうかもしれないなぁ」と思わせてくれる説で、面白く思いました。

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▲破魔射場丸山頂の少し南側からの富士山です。確かに山々の重なりがアクセントになって綺麗な眺めですね。左のピークが滝子山で、目の前の大谷ヶ丸の左ピークの先に浜立山があるはずだと思うのですが、山に隠れて見えそうにありません。先ほどの説が正しいとすれば、浜立山は大谷ヶ丸のことだったとした方がいいのではないでしょうか? 10:59ころ。

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▲昨日もそうでしたけれど、南面の日差しをたっぷりと浴びている山の斜面からは雪がほとんど消えてしまっています。こんな感じです。11:07ころ。

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▲木の地面に近いあたりの樹皮が剥がされていました。多分、シカが食べた痕だと思います。こんな状態だと、この木は枯れてしまうことでしょう。若い木の芽を食べてしまうことと併せて、シカが増え過ぎたことによって森が失われていくのです。11:28ころ。

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▲これも南面です。山道は泥の道になってしまっています。S子も腰が引けた様子で下っています。S子は一度も泥の上では尻餅をつきませんでしたけれど、僕は一度滑りました。お尻がドロドロ! 11:47ころ。

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▲すぐそばの北面斜面はご覧の状態。雪山です。11:49ころ。

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▲この石は「天下石」というのだそうです。 名前の由来は調べてもぜんぜん載っていませんでした。11:58ころ。

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▲米背負(こめしょい)峠です。12:26ころ。昔の人はこの峠を米を背負って行き来したのでしょうかね? 12:26ころ。
避難小屋からこの峠まで休憩込みで約3時間かかりました。無雪期のコースタイムは2時間弱です。大鹿山から景徳院へ下山することも考えてはいたのですが、これでは無理です。景徳院に5時ころ到着となります。何かひとつ遅れる事情が加わると、山中で日が暮れてしまいます。
ここは最初からの予定通り、峠から大蔵沢大鹿林道へ下ることとしました。
それにしてもここは風が強い! そのせいでしょうか? 下山道を少し先まで偵察して見ると、雪の下が凍っています。僕はピッケルを出し、S子にはアイゼンを装着させました。

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▲S子のアイゼンです。12:45ころ。

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▲後に峠が見えています。最初はこんな感じのトラバースが続きます。S子はトラバースが大の苦手! 山側にストックを突きながら、慎重に進みます。12:50ころ。

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▲僕のピッケルの右、雪が無い部分は氷です。ツルツルで雪に隠れているので、アイゼンをしていない僕は何度も滑りました。12:59ころ。

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▲米背負沢沿いに登山道は続いています。13:02ころ。
標識や赤紐の類が多いのでよく探せば登山道を見失うことはないと思います。でも、今回は一人の先行者の足跡があったので、大助かりでした。このコースを熟知している登山者のようで、結局、一回だけしかルートを外す間違いはおかしていませんでした。

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▲米背負沢の方が昨日の焼山沢よりも標高は低いにもかかわらず、この谷の方が冷え込んでいるようです。その証拠に沢の凍り方が激しいようです。水面が凍りついていました。13:26ころ。

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▲山道が終了し、林道が現われました。ここはちょうど南向きにポッコリと囲まれたような地形で、太陽の熱がたまっていました。これまでの谷間の寒さが嘘のような暖かさ。13:58ころ。
しばらくのんびりと時を過ごしました。

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▲先ほどの暖かな休憩場所はこの写真右奥のあたり、数10メートルしか離れていません。再出発してすぐに、林道はこんな雪道状態。14:24ころ。

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▲長く南からの日差しが当たる箇所は雪が融けてしまいます。14:29ころ。

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▲でも、また雪道に。14:39ころ。

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▲この鳥の名前は? 15:10ころ。

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▲林道終点が近づいて来ました。このトンネルの手前から左へ登る山道もあるようなのですが、分かりづらそうなのでやめました。近道なのですが・・・・ 15:24ころ。

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▲S子の後方にゲートが見えています。15:42ころ。

ここからすぐに一般車道に出ました。天目トンネルの南側出口です。携帯で昨日のタクシー会社に電話しますが、繋がりません。1本立っていたアンテナもしばらくすると圏外に表示が変わってしまいました。仕方なく甲斐大和駅へ向かって歩き出しますが、 時々携帯をかけてみるものの、やっぱりつながりません。一瞬、先方の声が聞こえるのですが、すぐにかき消されてしまうのです。日川渓谷レジャーセンターを過ぎたあたりでやっとつながりました。

駅前の食堂では猪鍋を食べました。量もたっぷりで、猪特有の臭みもなく、満足。お酒は地酒の清酒笹一。お燗してもらって体の中まで温かくなりました。


大菩薩南部を歩きました/一日目

2013年02月13日 | 雪山/大菩薩

2013/2/10  僕もS子も本格的な雪山モードに変わっていかなければと、ほんの少しハードな山行を計画しました。とは言え、実に微小なレベルアップでしかなく、こんな感じで今年の雪山は大丈夫だろうかと、心配になってしまいます。

一泊二日でS子と雪山へ行く予定でした。日本海側は悪天候が予想されていましたから、長野県南部もしくは山梨県が対象エリアになります。結局、大菩薩南部の山域へと落ち着きました。

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▲自宅を出たのが8時過ぎという遅さだったので、今日は湯ノ沢避難小屋まで歩くだけだろうと考えていました。焼山沢真木林道のほとんどが冬期通行止めになるからです。無雪期でも2時間かかりますから、雪と重荷で3時間以上はかかるでしょう。避難小屋に着くのが2時か3時にはなると読んでいました。
ところが、です。タクシーの運転手さんは「登山口まで行けますよ」と事も無げに言い放つじゃぁないですか! 「知ってる人は入っちゃうんですよ。私も会社には内緒ですけどね」と、ゲートを開けて、どんどん林道を登って行きます。林道には雪もありません。「上の方で作業しているんで、除雪したようですよ」と運転手さん。
と言う訳で、写真の場所は湯ノ沢峠登山口です。避難小屋までは無雪期で45分の場所。11:30ころ。
左に写っている男性は真面目にゲート手前で車を降りて歩いて来たようです。途中で抜かされ、白谷丸付近で再会しましたが、日帰り登山者でした。

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▲最初は除雪されていない林道を進みます。11:47ころ。

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▲途中から焼山沢沿いの登山道を歩くようになります。12:00ころ。
けっこう登山者が入っているようで、トレースはしっかりと付いていました。

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▲沢の水があちらこちらで凍っていました。その造形も美しく、こういう時、もっとカメラが上手になりたいと思いますね。12:04ころ。

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▲緊張しながら沢を何度か渡り返し、峠が近くなってきました。12:35ころ。

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▲避難小屋に到着しました。手前のザックは我々のですが、その他、5つのザックが置いてありました。この5人は今夜泊まるんでしょうか? 気になります。12:51ころ。
この5人はその後帰って来て、日帰りのパーティーだと分かりました。ホッ。
今日早朝登って来て、空身で白谷丸と大蔵高丸の南北二山を登頂したとのこと。

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▲不用な中身は避難小屋にデポして、軽くなったザックを背負って北方の白谷丸と黒岳へ登ることにしました。写真の場所は避難小屋からすぐの湯ノ沢峠です。13:27ころ。

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▲富士山がよく見えます。富士山の手前が三ツ峠山、さらにその手前が大蔵高丸から滝子山までの大菩薩南部です。14:16ころ。

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▲同じ場所からの南アルプスです。中央少し右が白峰三山だと思います。歩いているのはS子。14:16ころ。

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▲左に見えるのは八ヶ岳、右の白い山頂は金峰山でしょうか? 14:16ころ。

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▲白谷丸も近づいて来ました。相変わらず、富士山も良く見えます。14:27ころ。

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▲白谷丸山頂です。山頂自体は何の特徴もありません。ただ、今朝の霧氷がまだ残っていました。避難小屋の5人の中高年男性グループが言っていましたが、白谷丸での霧氷が本当に綺麗だったそうです。14:31ころ。

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▲「やまなしの森林100選 黒岳の広葉樹林」なのだそうです。どういう経緯で選出されているのかは調べても不明でしたが、いい感じの森林であることは確かですね。14:39ころ。

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▲黒岳(1987.5m)到着です。山頂からの見晴らしはほとんどありません。15:01ころ。

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▲陽も傾いて来て寒くなったので、S子はヤッケを着込みました。この黒岳から避難小屋へ戻ります。15:18ころ。

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▲この辺り、シカの足跡が縦横に残っていました。15:32ころ。

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▲白谷丸も過ぎ、雪が融けかかっている南向き斜面をあるいていると、こんなダケカンバが。16:00ころ。

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▲南向き斜面の大部分の雪は融けてしまっていました。でも、あまり陽が当たらない場所の気温はやっぱり氷点下なのでしょうね。たくさんの氷柱が出来ていました。多分、陽に融かされた雪の水が滴り落ちて来て、ここで凍ったのでしょう。16:15ころ。

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▲避難小屋に戻りましたが、登山者は一人もいません。もうこの時間からなら数人ほどのパーティーは来ないだろうと、小屋内にテントを張りました。さらに、小屋の蛍光灯も点けます。そうです。この避難小屋は電気で灯りが点く珍しい避難小屋なんです。19:10ころ。

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▲二人だけなので、家にある賞味期限が過ぎてしまったり、近づいて来ている食料中心に献立を決めました。でも、このウインナーだけは新規購入品ですよ。お湯で少し湯がいていただきました。19:06ころ。

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▲だいぶ食べてしまいましたけれど、食器の中はラフテーです。何故だか家にあったレトルト食品。美味でした。ウインナーを湯がいたお湯で温めました。
コッフェルの上に乗っかってるのはこの晩のアルコール。先日浅草で買った電気ブランです。19:50ころ。
少し酔っていい気分だったせいでしょうか、この晩の主食を撮り忘れました。カレーライスです。ご飯はアルファ米。カレーは江崎グリコのカレーポット、ビーフカレーとインド風チキンカレーです。このカレーはなかなかの逸品で重量は一人前たったの30数グラム。熱湯をかけるだけで30秒で出来あがるフリーズドドライ製品なんです!
発泡スチロール製の容器がかさばるので、袋から出し、2個の容器を重ねて持って来ました。賞味期限ぎりぎりだったのは、以前買っておいたのですが、なかなか山に持って行くチャンスがなくて、そのままだったからです。家でも味見して食べたのですが、まだ2個残っています。

ところで、この日の山歩きですが、S子は「全部の荷物を背負って、北へと縦走し、途中でテントを張れば?」 と意見していました。でも、僕もそうしたいのはやまやまでしたが、幾つかの理由で断念したのです。その理由とは、
①山行計画書と異なることはしたくなかった。
②北へ行くほど標高はわずかに上がり、積雪も増えることが予想できるので、確実に時間的余裕を持って大菩薩峠に着ける確信が持てなかった。
③避難小屋泊まりと言うこともあって僕のシュラフは夏用シュラフだった。(S子は3シーズン用)
④電車の中で気付いたのですが、テントの中に敷く銀マットを忘れていた。
この4つの中でも、①と②が理由としては重大ですね。でも、一番身近な理由としては、夏用シュラフでは超寒そう! というのとか、銀マットなしで雪山テントの経験がないので、どんな感じになるのかが不安だったことも大きいですね。
避難小屋の敷布団をお借りしてエアマットの下に敷いたのですが、まだ雪山泊まりに慣れていない身では夏用シュラフは実に寒かったですね。我慢は出来る寒さでしたから、ほとんど寝付けなかったですけれど、疲労は取れました。トイレに起きた際、小屋の毛布を足へ掛けたのですが、まったく効果はありません。寒さでほとんど眠れなかったのは久し振りのことだと思います。
テントのすぐそばを小動物が駆けて行く音を幾度か聞きました。何の動物なんでしょうね?


お師匠さんのこと――お墓参りから浅草へ

2013年02月05日 | お師匠さんのこと

2013/2/3  僕の山のお師匠さん、O原さんが亡くなりました。2012年12月1日のことです。
四十九日も過ぎたので、そろそろお墓参りに行こうと思いました。上野の※★寺だということしか知りませんでしたから、まずはお寺を、そしてお墓を探さなければなりません。
お寺は簡単に見つかったのですが、都心のお寺です。お寺の倍以上の背丈のビルに三方を囲まれて、まさに埋没しています。え?え?えっ? 墓地がない! 「ロッカーのようなお墓なんだろうか?」とも一瞬思ったりもしました。
とにかくお寺の人に聞いてみようと、玄関のチャイムを鳴らします。
お寺の女将さんらしき人当たりの良い女性が出て来てくれました。O原さんの名を告げると、「先日、皆さんで来られましたよ。10名ほどでしたけれど、皆さんきちっとされた方ばかりで」と、すぐに分かって下さいました。
墓地は道路を挟んで反対側にあるのだそうです。昔は同じ敷地だったそうですが、道路を造る際にお寺とお墓が分断されてしまったんだとか。
さっそくお墓に連れて行って下さいました。女将さんがO原さんのことをいろいろと話して下さいます。髪のこと、ケアハウスのこと、最後の頃の手紙では文字から力が無くなって来ていたこと、等々。O原さんの紳士の面がよく感じられる話ばかりです。

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▲いったんお寺に戻り、しきみ(樒or梻)とお線香を購入しました。
O原さんが亡くなるころ、僕もS子も風邪気味で、S子はインフルエンザにも罹っていましたから、入院中のO原さんに会うことを避けていました。一度でも数多く会っておればと、今でも心残りです。

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▲墓地もビルに囲まれています。

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滅多に都心へ出て来ることのない僕とS子ですから、上野に出たついでに浅草へ行くことにしました。S子は行ったことがあるそうですが、僕は初めて。歩いて、浅草へ向かいます。
途中、合羽橋の通りを見つけ、左折。いろんな店を冷やかしながら歩きます。でも、S子は僕とは違って、木のお椀と小さめのボウルを購入していました。
山からは何度も見たことのあるスカイツリーもすぐ近くに見えています。

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▲伝法院通りから浅草寺に入りました。宝蔵門と五重塔です。

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▲仲見世です。いろんな店があって面白いですね。S子は調子のいい店の主人に乗せられて、小さなバッグを買っていました。まあ、そんなに悪い買い物ではなかったようですが。

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▲かの有名な雷門。浅草寺界隈はなかなか風情のある、独特なエリアではありました。

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▲せっかくなので、綺麗なライトで彩られたスカイツリーを見ることにしました。隅田川にかかる吾妻橋から川沿いの遊歩道を歩きました。

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▲本当は神谷バーで食べていければ最高だったのですが、お客さんで満員で割り込む隙もなさそう。また来ることもあるので、今日は諦めることにしました。その代わり、売店で電気ブランを購入。
他の店も高そうなので、地元まで戻ることに。地元の居酒屋チェーンで腹いっぱい飲み食いしました。


晴れているのに、岩の一部がびしょ濡れ???

2013年02月04日 | 岩登りトレーニング

2013/2/2  土曜日なのですが、夜に用事が入っていたので本当は山へ行く予定ではありませんでした。でも、気温が4月並みに上昇するとの予報が出て、S子と二人で暖かい日和田へ行くことにしました。家を出たのも10時ころですから、まあ、のんびりですよね。

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▲高麗駅から日和田まで歩いて、準備をして、1本目のリードを僕がしました。そして、写真はフォロウするS子。時刻は11:55ころです。もうお昼時ですよね。
まずはいちばん易しいルートから。先週の異常な少なさとは比べ物になりませんが、今日もクライマーは少ないですね。

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▲2本目も男岩南面中央の易しいルートを登りました。その後、懸垂下降しているS子です。登ったルートは幸子のすぐ左のへっこんだところ。
一面曇っていた空も、急に晴れ渡り、快晴です。気温も急上昇しています。12:43ころ。

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▲3本目は男岩南面左下の垂直なフェースから左端を直上するルート。写真ではS子が垂壁を抜けたあたりです。13:06ころ。

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▲4本目からはS子がリードしました。まずは僕の1本目と同じルート。最上部は左端から回り込みました。14:03と14:08ころ。

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▲男岩西面を懸垂下降。今日も本当にクライマーが少ない! 14:36ころ。

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▲5本目は僕の3本目と同じルートをS子がリードすることになりました。S子には少し難しいかなとも思ったのですが、カチッとしたホールドがあるので大丈夫だと思ったのです。
しかし、結果は写真の通り。数メートルの垂壁途中から右へと逃げてしまっています。15:01ころ。
でも、S子の登攀力不足ではありません。何と! 垂壁上半分がびしょ濡れなんです! さっき2時間ほど前に僕がリードしていた時には乾いていました。でも、今はびしょ濡れ!? フォロウしてみると、湿っているといった程度ではありませんでした。垂壁上半分にだけバケツ一杯の水をぶちまけたかのように濡れていました。
日和田でこんなことは初めてです。考えられることと言えば、気温の急上昇によって岩場内部の氷が融けて浸み出して来た。それくらいでしょうね。何とも不思議な現象です。

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▲いったん右に逃げたので、中央のクラックへと登りました。楽勝ですね。15:10ころ。

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▲6本目もS子のリードです。他のクライマーも次々と帰り始め、男岩南面にはザイルが1本もなくなりました。
というわけで、こんな時にしか登れないルートを登ってもらいます。つまり、男岩南面の右下から左上へと対角線上に斜上するルートです。登っているクライマーが大勢いる時は(一人でも同様ですけれど)迷惑極まりないルートですね。
右下のフェースから中央凹角へトラバースするあたりが意外と厭らしかったですよ。そんなトラバースは普段はまずやらないので、新たな発見でした。15:45ころ。

本日はこれで終了。ゆっくりと片づけをして、日和田の岩場の東にある尾根を経由して高麗駅へと下山しました。帰宅すると、夜の用事へと出かけ、夕食は9:30ころからでした。