ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

二日目は登りの標高差770m、下りは1330m!―――2日目の前飛竜長尾根

2013年10月23日 | ハイキング/奥秩父

2013/10/14  携帯のアラームを5時にセットしていましたが、その少し前に目覚めました。腰は夜中同様まだ痛いですが、行動に差し支えるような痛みではありません。
起きてまずやるべきことは、焚火を熾すことです。

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▲昨夜の焚火ですが、大きな燃えている木をどかし、熾き炭の上に幾つも石を載せておきました。水をかけたりして、消してはいません。風で火が舞っても困るので、石を載せて押さえこんでおくのです。その石を再びどけた状況がこの写真。5:12ころ。

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▲S子はまだツエルトの中。S子は山でゆっくり、僕は家でのんびり。5:13ころ。

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▲新聞紙、細い木の枝、少し太い枝、昨夜の燃え残りの木、その順序で重ねます。そして、新聞紙に火を付けたのがこれ。5:21ころ。

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▲1分もたたずにこの状態に。ほとんど新聞紙が燃えている火ですが、この火が細い枝へはもちろん、下の消し炭や昨夜の燃え残りの木にすぐ伝わるのです。5:21ころ。

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▲空が少しずつ白んで来ました。焚火も安定して燃え続けています。5:37ころ。

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▲今朝はそれほど寒くありませんでした。とは言え、焚火があると本当に有り難いものです。5:49ころ。

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▲S子も起きて、寝具の片づけ等をしてくれています。6:05ころ。

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▲タープも片づけてしまいました。6:40ころ。

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▲朝食はまたしてもフリーズドライのお粥。美味しいですよ。6:51ころ。

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▲おかずはこのおさかなハンバーグ。これもイトーヨーカ堂での買い物ですね。6:53と7:01ころ。

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▲どうしてこんな時間になってしまったのかは不明ですが、泊まり場に太陽の陽が届き始めた頃、ようやくの出発。8:29ころ。
ここに泊まったのです。人が泊まったことが分からないようにするのがエチケット。焚火の灰だけは残りますが、それも石で覆っておきますから、分からないでしょう。もちろん、消火は大量の水をかけて念入りに。

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▲ここが長尾根の取り付き。わりとしっかりした踏み跡も付いています。8:43ころ。

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▲長尾根にもハナイグチが。でも、今日は採りません。8:56ころ。

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▲しばらくすると、尾根の傾斜はなだらかになりました。広葉樹の落葉にはまだ早いので、景色を望むことは出来ません。9:25ころ。

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▲岩場が現われました。時間に余裕があれば、この岩の直登を楽しみながら進んでもいいのですが、先が長いので確かな巻き道を選択します。9:33ころ。

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▲左からの巻き道もほんの少しは嫌らしい感じがありました。9:36ころ。

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▲またしても急登です。10:11ころ。

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▲この長尾根の下草や笹原も鹿に喰い尽されています。邪魔な枯れ笹をぽきぽきと折りながら進みます。尖った先端が目に刺さらないようにくれぐれも注意! 11:03ころ。

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▲再び大岩が稜線上に現われます。でも、最初のよりは小さく、同じく左から巻きますが容易です。11:37ころ。

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▲枯れた笹原の中を進み続けます。高度は上がり、すぐに主稜線(ミサカ尾根)に着きそうなのですが、それがなかなか。11:56ころ。

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▲ひとつ前の写真を撮った場所から、上方を撮影した写真です。ここを境に笹が枯れていません。背丈の低い笹に代わっていますから、鹿はこの小笹を好まないのでしょうか? それとも、笹は食料が無くなった冬に仕方なく食べる栄養価の低い食事だそうですから、冬になると小笹が雪の下に埋もれてしまって食べられないのでしょうか? 11:56ころ。

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▲小笹茂る中、まだまだ急登は続きます。12:39ころ。

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▲シャクナゲが多くなって来ました。12:58ころ。

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▲長尾根を登りきりました。12:59ころ。
長尾根取り付きからここまでの標高差はちょうど700m。それを4時間16分で登りました。休憩を3回はしたと思いますから、実質かかった時間は3時間45分くらいでしょう。標高差300mを1時間半以上かかったことになります。一般登山道ではありませんから、S子にとってこれくらいの時間がかかっても仕方のないことでしょう。

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▲登山道は稜線の反対側へわずかに下ったところにあります。S子の下1mもないあたり。写真の右上には長尾根取り付きを示している赤布がありました。13:02ころ。

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▲予報では今日も晴天のはずでしたが、山は里に先行して今日から下り坂です。飛竜山や雲取山方面も雲に覆われていました。13:10ころ。

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▲これから下山するミサカ尾根と昨日登った天平尾根が見えています。13:16ころ。

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▲登山道に出たら、すぐにあると思っていた前飛竜がやっと現れました。13:18ころ。
ここへは10数年前に単独で岩岳尾根を歩いた際に寄ったことがあります。その時は飛竜山へ行き、三条ダルミで幕営しました。テントの周りでは一晩中たくさんの鹿が鳴いていたのを記憶しています。

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▲どのピークが熊倉山1624.0mなのでしょうか? 13:42ころ。
熊倉山から丹波バス停までコースタイムが2時間10分です。16時30分のバスに間に合うためには「14時くらいには熊倉山に着きたい」と、そんな計算をしながら歩いているころでしょう。

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▲幾つかのピークに裏切られながら、やっと本物の熊倉山到着です。僕たちが仮に「ユイさん」と呼んでいる方の山名標識がかかっていました。ユイさんの山名標識はなかなかに心のこもった素晴らしいものです。14:35ころ。
前飛竜からここまで1時間17分(休憩込み)もかかってしまいました。S子にとって急な下りは鬼門です。でも、時間をかけて慎重に下るのは大切なことです。
16時30分のバスは諦めました。次は最終バスの18時20分です。間に合わない心配はありませんから、明るいうちに里に降りられればOKです。

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▲熊倉山からの尾根はたおやかな尾根でした。14:53ころ。

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▲サヲウラ峠です。15:16ころ。

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▲サヲウラ峠から丹波山村へ降りて来ました。17:00ころ。
この登山道は天平尾根の平坦さが信じられないほどの急下降です。幾度かここを降りていますけれど、毎回「二度と来ないぞ!」と思うほどの単調で長い急下降なのです。ジグザグ、ジグザグ、ジグザグと単調な森の景色の中を下り続ける。登るとしても登りたくない斜面ですね。
急傾斜だけあって、かなり上部から丹波山村の人家は見えていました。ひょっとしたら16:30のバスに間に合うのではと、期待をしてしまうほどに村が近く見えたりもしたのです。でも、やはりしっかりと時間は経過しました。

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▲丹波山村も野生動物による畑作物の被害が深刻なのか、畑の周囲を頑丈な金網の柵ですべて囲っていました。猿とかが乗り越えて来ないように、上部には電流も流しています。その電気を賄うためでしょうか、太陽光パネルがところどころに設置してありますし、蓄電設備もあります。2、3箇所にはゲートもあって、動物が入れないように、しっかりと開け閉めします。
写真はその最後で、すぐに道路に出るところ。17:06ころ。

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▲丹波バス停です。17:26ころ。
待ち時間がたっぷりあるので、喫茶店でもないかと見まわしますが、そんな店がある気配はゼロ。酒屋さんがあったので、小さな缶ビールとオレンジジュースを購入。ささやかに下山を祝いました。
汗をかいたアンダーウェアを着替えてさっぱりとします。S子も着替えようとトイレへ行ったのですが、しばらくすると僕を呼ぶのです。脱ごうとしているウェアが引っ掛かって脱げないと言うのです。よく調べてみると、二枚のウェア同士が何かに引っ掛かって、一枚ずつでは脱げなくなっています。何か金具みたいなものが二枚のウェアの間で引っ掛かっているのでしょう。その場所を見つけ、小さな金具は何なんだろうと見た瞬間、びっくり! 生きています! 動いています! 虫です! ダニです! 頑丈な脚で二枚のウェアにしがみ付いていたのですね。まだS子に噛み付く前でした。あと一枚侵入すれば噛み付くことができたのにね。残念なダニ君! でも、S子にとってはギリギリセーフ! 
家に帰ってからネットで調べましたが、写真を撮る余裕もありませんでしたし、正確にはダニの名前は分かりません。それでも記憶を辿って判断するに、たぶんフタトゲチマダニではなかったでしょうか? マダニの仲間なのは確実です。大きさも5㎜ほどはありましたし、赤褐色の硬そうな背中でした。ダニはトイレの水流に吸い込まれて行きました。

こんな騒動もあって、思いの外、時間は早く過ぎ、バスの客に。最初は僕たち二人だけ、鴨沢などのメジャーな下山口で数人の登山者を乗せながら、奥多摩駅到着。
ところが、天益に灯りがついていません! そうです! 今日は月曜日、天益のお休みの日なんです。休日でも月曜日はお休みなんですね。
というわけで、すぐに電車に乗り、地元駅前の居酒屋チェーンで打ち上げ。

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無性に焚火をしたくなって、山の中へ入りました―――1日目のデンデエロ

2013年10月20日 | ハイキング/奥秩父

2013/10/13  ブログのタイトルにもあるように、僕は焚火が大好きです。でも、ここのところ長い沢へは行っていませんから、沢中での焚火が実現していません。ですから、今回は強引に普通の山歩きですけれど焚火ができそうなコースを選んでみました。

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▲それは山梨県丹波山村のすぐ北側にある天平(でんでえろ)尾根から登るコースです。奥多摩駅から丹波行バスは9時台からしかありませんから、登山口の親川には10時過ぎに到着します。バス停から少し戻り、ここがその登山口。S子が前方を歩き始めています。10:19ころ。

この写真の左下には多摩川本流が流れています。呼び名は少しだけ訛って丹波(たば)川と変わってはいますけれど。丹波山村ではこの本流を親川と呼び、写真手前に出合を持つ後山川を子川と呼んでいたのだそうです。子川に架かる親川橋やバス停留所の名前にそんな地元の伝統が残っているのですね。

ところで、「でんでえろ」とは奇妙な地名です。昔からその名前ゆえにこの尾根をいつか歩いてみたいと考えていました。
調べてみると、一般的な説としては、その漢字からも想像できるように、尾根が幅広く平らなことからきているという説です。なにしろ、4000mもの尾根が続く間にわずか400mしか標高が上がらないのです。“でんでえろ”の“でん”は“段”の意、“でえろ”は“平ら”の訛った言い方だろうと言うのです。実際にこの尾根を歩いて見ると、なおさらその説が説得力を持って来ます。
もうひとつの説は、“蓮台野(れんだいの)”が訛ったのではないかと言う説。蓮台野とは埋葬の地や霊魂の集まる場所を意味するのだそうです。全国に広がっている地名らしく、ただ、地方に行けば発音が訛る傾向があるのだとか。丹波山集落の裏山に、逝きし人の魂が昇り、穏やかで平らな地に住み続けていると想像すると幸せな気持ちにもなります。

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▲登山口からジグザグの急登を登り、尾根に出たところで休憩。再スタートして間もなく、廃屋が現われます。旧高畑集落です。ここに住んでいた方は如何なる理由で住まいを後にせざるを得なかったのでしょうか? 辛い想いがあったのではないでしょうか? そんな想像をしながら見つめました。11:23ころ。

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▲遠い水場から引いて来ているホースの水は、今でも立派に使えるようです。11:26ころ。

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▲日当りの好い広場もあります。家が建っていたのでしょうか? それとも畑が広がっていたのでしょうか? 向かいの尾根は鴨沢から雲取山への登り尾根でしょう。11:26ころ。

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▲少し離れてもう一軒の家が建っていました。廃屋と呼ぶには気が引ける、まだ手直しすれば十分に住めそうな家です。窓ガラスも割れていませんし、玄関脇のストーブも煙突は新品のようで錆び付いていません。このストーブは家の外に設置されていますから、お風呂を沸かすためのストーブだったんでしょうか? 11:29ころ。

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▲続いて、三軒目の廃屋がありました。この家は完全に崩壊しています。11:35ころ。
この先、徒歩15分ほどの小沢に水場がありました。水はその沢から引いていたのでしょう?

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▲その水場の数分先には別の廃屋がありました。石垣だけで家は見当たりませんから、廃村と呼ぶべきでしょうか。これが旧後山集落なのでしょう? 11:56ころ。

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▲廃村通過後は、登山道が少しずつなだらかに両側も広がって来ました。広葉樹林になり、足元には大量のドングリの実や栗のイガが散見されるようになります。12:53ころ。

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▲突然、野球でも出来そうな広場が出現しました。13:00ころ。
今回、保之瀬天平(ほうのせでんでえろ)のピーク(と言ってもすごく平ららしい)には立ち寄りませんでした。登山道から外れているからです。しかし、この広場の方が特徴的ですから、こちらの方を保之瀬天平と呼んだ方がしっくりくる気もしますね。
鹿たちがここで遊んでいるからでしょうか、地面はぼこぼこになっています。苔が生えたりしていますから、雨が降ると湿地のような泥濘になるのかもしれません。

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▲今度は赤松の林が続くようになりました。あのキノコがないかと鼻をヒクヒクさせますが、応答なし。もしあるようなら、立入禁止になってしまいますよね。13:05ころ。

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▲登山道からはわずかに外れて、丹波天平の山頂がありました。といっても、この周辺でどこが一番高いかなどほとんど分かりません。それほど平らな場所が広がっています。13:41ころ。

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▲先ほどの赤松林に続いて、落葉松林が続くようになりましたから、ハナイグチを探しながら歩いていました。登山道脇で見つけたのがこれです。この先でも見つかりましたから、まあまあの収穫でした。13:54ころ。

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▲枯れた笹の残骸です。ここまでの写真にも森の下草がほとんど写っていません。本来の健康な森には下草や小灌木がたくさん育っているはずなのです。これが鹿害の実態。笹は餌の少ない冬季に鹿の貴重な餌となります。個体数の増加によって、笹もこんなになるまで食べ尽くされてしまったのです。14:40ころ。

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▲サヲウラ峠に到着しました。14:42ころ。
昭文社の地図にはサオラ峠とありますが、地元の標識はサヲウラで統一してありました。これも珍しい地名ですが、これはどうやら「竿裏峠」でほぼ決まりのようです。ウラと言うのは、奥多摩でも日向沢ノ峰(うら)と言うように沢を詰め上げた場所のこと。それがサヲウラ峠の場合は竹竿(棹)を立てたその先端を急角度で見上げるような上に見えるということで、丹波山村から見上げる位置にあるサヲウラ峠を呼ぶには最適なネーミングです。

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▲サヲウラ峠にはこんな祠が祀られていました。その由来を説明した札も立っています。神様(大山祇中川大人之命)になってしまわれた中川金治翁とはどんなに偉い人物だったのでしょう。14:45ころ。

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▲説明の立札に「富士山が一望できる景勝の地」とあったので、探してみると、ありました! 見えました! 富士山です! 理屈抜きに嬉しくなるのは何故でしょう? 14:47ころ。

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▲サヲウラ峠からは三條の湯へと山腹をトラバースしている登山道へ入ります。大きな木の多い素晴らしい森です。もちろん、相変わらず下草は繁茂していませんが・・・・ 15:00ころ。

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▲登山道から見上げる位置にあった樹に白いものが見えたので、確認しに這い上がって行ってみました。すると、このヤマブシタケ。両手で抱えるほどのサイズ。美しい! 15:04ころ。
名前も食べられるキノコだということも知っていましたが、ハナイグチもあることですし、採らないでおきました。帰宅後調べてみると、特に美味なキノコではないようですね。

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▲語りかけて来るような巨樹がときおり現われます。15:20ころ。

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▲辿り着いた今宵の宿がここ。沢沿いの平坦地です。16:17ころ。
20分ほど探し回った末に見つけた最高の場所!

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▲こんな風にタープを張ります。ひとつ前の写真と同じ位置から撮っていますが、タープを張るだけで泊まり場らしく一変しますよね。16:40ころ。
今回、テントではなくタープにしたのには理由があります。テントの場合、最低でも90㎝×180㎝のほぼ完全に平坦な地面が必要です。そこには頭だけのぞかせた石や太い木の根や尖った笹や木の切り株があってはいけません。でも、タープなら大丈夫。各自が寝やすい場所を見つけ出せばいいのです。最適な寝場所がお互いに1m離れた場所にあっても一向に構わないのです。

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▲日暮れが近かったので、急いで火を熾しました。17:51ころ。
火熾しの各段階の写真を撮る余裕はありませんでしたが、概ねこんな感じです。
まずは大きな木をそろえて地面に敷きます。次に、新聞紙を2、3枚柔らかく丸めて敷き、その上を出来るだけたくさんの乾いた細い木の枝で覆います。さらに鉛筆くらいの枝も載せておき、新聞紙に火をつけ、その火の熱が内部にこもるような要領で少しずつ上に燃料の枝を継ぎ足していくのです。そのうち、太い枝を載せ、それに火が付いたら、ほぼ安心。
今回は二人ですから小さめのビリーカンを持って来ました。写真下に写っている缶がそれ。焚火の脇に置いているだけで、中の水はすぐに沸点近くまで温度上昇します。

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▲甘いコーヒーを飲んだり、屋久島の芋焼酎「三岳」を飲み始めたりしていました。その後、ぼちぼち夕食(と言うよりも酒の肴)を作り始めます。作るといっても、今回も前回の谷川連峰同様、時短食品。フリーズドライやレトルト食品ですが・・・・
一番手は今日採集したハナイグチ料理。本当はみそ汁の具にするのが一番なのですが、今日はないので、スープパスタに混ぜます。17:58ころ。

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▲出来あがったハナイグチ入りスープパスタ。イグチのぬめりが美味! 18:19ころ。

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▲続いて登場のレトルト二品。近所のイトーヨーカ堂で購入しました。タケノコの方はこのままでも食べられるのですが、寒い山中ですから、少しだけ温めてからいただきました。18:43ころ。
タケノコの値段が118円だと見えていますね。

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▲続いて同じくイトーヨーカ堂の豚の角煮。山で食べるには贅沢品です。19:29ころ。

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▲夜の泊まり場はこんな感じ。僕はS子の左隣りに座っています。19:33ころ。

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▲焚火の火はいろんな姿を見せてくれます。見飽きることはありません。19:41ころ。

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▲山は寒くなりましたから、活動する虫も少なくなりました。火にもヘッドライトの灯りにも寄ってくる虫はあまりいません。そんな中、僕のズボンへとやって来たのはザトウムシ(座頭虫)。クモに似ていますが、クモではありません。19:51ころ。

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▲ちょっとだけ仲の良いところを見せておきましょう。二人の足の間にある蓋付き二重マグカップは優れもので、なかなか冷めません。焼酎のお湯割りが入っています。20:41ころ。

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▲焼酎を舐めながら、じっと熾き火を眺める。20:46ころ。

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▲S子がツエルトも張ってくれと言います。通常の張り方はしにくい場所なので、こんな感じに、ツエルトを被るだけといった風です。まあ、これだけでも狭い空間が密閉されますから暖かくはなるはず。21:33ころ。

夜中の1時台だったでしょうか、目が覚め、腰のあたりが痛いことに気付きました。どうやら、寝る前に触って地面の平ら具合を確認しただけでは分からなかった微妙な膨らみが腰付近にあるようです。それを避けようとすると、S子を押すことになり、S子がツエルトから押し出されかねません。僕もツエルトの中で寝ていますから、そこから出て、もっと寝心地の良い場所へ移動すればいいのでしょうが、今さら移るのが面倒なのと、ツエルトの中の暖かさがやっぱり有り難いのです。これからどんどん気温が下がって来るだろうと予測できるので、なおさらです。

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