ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

勝峰(かっぽ)山からの金比羅尾根を一人で久し振りに歩いて来ました

2023年09月20日 | ハイキング/奥多摩

どうと言うこともない武蔵五日市駅の裏の里山ですが、僕にとっては随分と昔から慣れ親しんだエリアなんです。YYDメンバーにも歩いてみて欲しいエリアですね。

 

2023年3月2日 勝峰山~梵天山~金比羅尾根

▲9:45。駅から適当に歩いていたら、三内(さんない)川を越え、このまいまい坂を通る道に来ました。以前から名前は知っていましたけれど、通るのは初めてです。

 

入口にこのまいまい坂の解説板がありました。少し長くなりますが、解説をここに記しておこうと思います。

「古道まいまい坂        所在地 あきる野市小机

 青梅から五日市への昔道を青梅道といいます。青梅から二ツ塚を経て日の出町・大久野の幸神を過ぎ、グミノキ峠であきる野市に入り三内川を渡り、五日市・東入野にいたる道筋です。明治末期から大正にかけて、現在の秋川街道の道筋になるまでこの道が主要な道として利用されていました。道沿いの小机「福寿院」、小倉「徳蔵寺」の創建がいずれも室町期であることからもこの道が昔道(古道)であることを物語っています。

 まいまい坂は、小机平から急坂をくだり、三内川に到る坂道のことをいいます。まいまい(かたつむり)の殻に似て曲がりくねっていることから「まいまい坂」と名づけられたと伝わります。

 慶応二年(1866年)六月、埼玉旧名栗村正覚寺で蜂起した十数万人の「武州世直し」一揆勢の一部隊は、この坂を経由し五日市をめざしました。五日市側では、まいまい坂を防御線とし鉄砲と竹やりで武装した約九百余名の農兵隊を小倉台地上に配置し一揆勢を待ちうけました。

 六月十七日未明、ほら貝を吹き鳴らし突入する一揆勢に対して、農兵隊は、鉄砲隊の一斉射撃と竹やり部隊により攻撃。二時間に及ぶ戦闘で一揆勢は、二人の死者、けが人二十一人、召し取り者二十一人を出し敗走しました。

 青梅古道の一部であり、歴史的な景観が残る、まいまい坂の環境保全することを目的に平成二十三年、小机自治会有志により「古道まいまい坂の会」を結成。道の補修、間伐、花木の植栽など、景観の整備と保全する活動を行っています。この説明板も活動の一環として設置しました。

 平成二十一年度には、景観上保全すべき自然環境の場所として「あきる野百景」に認定されました。

平成二十四年七月二十九日 設置

            小机自治会 古道まいまい坂の会」

 

▲9:48。まいまい坂の途中には休憩用のベンチも置かれています。

 

▲9:54。まいまい坂を登って出たところです。ここらあたりのことを小机平と呼ぶのだろうと思います。写真で山がくびれたところがぐみの木峠でしょうか? この写真の左右に広がる尾根筋があきる野市と日の出町の境になっています。

 

▲10:00。ぐみの木峠に登る道です。

 

▲10:02。ここがぐみの木峠でしょうね。今回まず驚いたのは山道が整備され標識がたくさん設置されていたこと。昔からもちろん踏み跡はしっかりとありましたが(里山ですからね)、標識と言っても勝峰山への分岐にかまぼこ板くらいの標識がぶら下がっているくらいでした。

 

▲10:05。 それがどうやら地元の日の出山の会が整備したようで、立派な登山道に変身していました。

 

▲10:21。山名もきちんと表記されるようになりました。

 

▲10:22。この山頂には山里を見おろし守るようにお地蔵様が置かれていますから、地蔵山と呼ぶのは自然ですよね。

 

▲10:40。整備されたおかげで良かったのは山名や尾根の名前が分かったことですね。この山はためぐそ山っていうそうですけれど、昔からそう称されているのなら、如何にも素朴な山人のネーミングですね。タヌキのためぐその場所になっていたんでしょうね。

 

▲10:46。NPO法人の道標も立派ですね。

 

▲10:49。ここからだけしばらく、山道の雰囲気が少し違います。暗い林の中ではなくて、明るい茅の道です。

 

▲10:54。立派な東屋が建っていました。「どうぞご自由にお休みください」と書かれていました。

 

▲11:17。ここは深沢集落の裏山の460m標高点なのでしょう。

 

▲11:17。立派な道標が連続して立っていますね。

 

▲11:17。日の出山の会も負けじと。

 

▲11:26。ここまで歩いて来た尾根が幸神尾根。ここから左へ分かれる尾根をろんでん尾根と呼ぶようです。

 

▲11:30。そして、右へ分かれる尾根のことは勝峰尾根と呼ぶようですね。

 

尾根の名前は新しく3つ知ることが出来ました。

1つ目は幸神(さちがみ)尾根:これは幸神地区が尾根の突端なので納得できますね。

2つ目は勝峰(かっぽ)尾根:これも幸神尾根との分岐から東の勝峰山へ延びる尾根の名前ですから納得です。

3つ目はろんでん尾根:幸神尾根から西へ真藤の峰と梵天山を経て金比羅尾根と合流するまでの尾根の名前です。この「ろんでん尾根」の名称の由来はよく分かりませんね。「ろんでん」と言う地名は見当たりませんし。ただひとつ、僕が推測するのはこの辺りの地元では「梵天」を「ろんでん」と発音していたのではないか? と言うことくらいでしょうかね。まったく分かりません。

 

▲11:40。勝峰山454.4mに到着すると、見かけたことのなかった妙なものがありました。幸せの鐘です。どこだったか、奥多摩の別の場所でも見たことがありますが、観光地でもないのにこのようなものを設置するのは違和感がありますね。僕は嫌いです。

 

ここに設置するに至った理由が書かれていました。それもここに書き残しておきます。

「この鐘は平成24年11月13日に、皇太子殿下が日の出山に登頂されたことを記念して製作され、半年後の平成25年4月13日の日の出山開きの日に、日の出山山頂に設置されました。しかし、日の出山山頂は国立公園特別保護区域のため常設できず、日の出三山の展望地で三山縦走の出発地の勝峰山に設置しました。」

ちょっと間抜けな笑っちゃう説明ですね。正直で、好きです。

日の出三山なるものを初めて知りました。調べてみると、日の出山、麻生山、勝峰山の三山なんですね。日の出町を代表する3つの山なのだそうです。

 

この鐘の鳴らし方の説明も書かれていました。必要ないかと思いましたが、一応書き留めておきます。他にあった鐘とは鳴らす時の心の持ち様が異なっていたような。

3つのお願いごとをしながら3回鐘を鳴らしましょう。

ひとつ:「幸せ」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

ふたつ:「平和」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

みっつ:「希望」を願いながら鐘を鳴らしましょう。

   皆さまに幸せが

       訪れますように!

            勝峰山エリアプロジェクト

 

▲11:43。すでに書きましたけれど、僕は昔に幾度か勝峰山山頂で花見の宴会を催しています。山桜の巨木が10本くらい山頂を取り囲んでいるのです。前の山岳会で呑兵衛たちを引き連れて勝峰山に登ったことがありました。今回と同じコースで登ったのですが、小さなアップダウンが繰り返されて、「まだか、まだか」と呑兵衛たちは文句タラタラ。やっとのことで勝峰山に着いたものの、山桜はあまり咲いていませんでした。でも、美味しい料理と旨い酒で機嫌はすぐに回復しました。そうやって辿り着いた山頂での宴会ですから魅力的だったのですが、今は林道がすぐ近くまで来ています。山頂も山桜の前に柵が出来たり、ベンチが設置されたり、ましてや幸せの鐘なるものが設置されたりなどして、残念至極です。満開の時季には花見客が大勢来るんだろうな。僕たちだけのお花見の場所がまたひとつ消えました。

 

でも是非、山桜の咲くころに訪れてみてください。山頂だけではなく、このコース上には大きな山桜の木が所々に生えています。また、幸神尾根南西麓の深沢地区は興味深い地域です。見事な巨樹があったり、広いアジサイ園があったりします。小さな美術館もあります。最も注目すべきは歴史的にも貴重な五日市憲法が生まれた土地だということ。田舎なのに先進的思想を取り込んだ憲法草案を地元の有志達が創り上げていたのです。深沢地区から幸神尾根やろんでん尾根、金比羅尾根に至る山道もたくさんあります。

 

▲11:54。山頂でお昼ごはんにしました。毎度のミルクチャイと、パンはカレーパンのようですね。

 

▲12:03。山頂から西を望むと、大岳山や御岳山、日の出山が見えました。手前の尾根が金比羅尾根だと思います。

 

天候も最初は上着を脱いで歩きたくなるほどでしたが、勝峰山を過ぎてからは曇りとなり北風も強くなりました。

 

▲12:27。ろんでん尾根もよく整備された山道です。

 

▲12:50。この送電鉄塔がろんでん尾根のほぼ中央ですね。

 

▲13:14。梵天山の手前にちょっとざれた急登があって、残置ロープもあります。

 

▲13:18。梵天山607mです。

 

▲13:35。このピークは631.7mですね。白岩山とされていますが、白岩山自体はこのピークから北に延びている尾根上のおよそ650m峰だと思います。なので、この山名標識にも誰かが「違う」と書き加えているのでしょう。その白岩山へは柵で遮られて行くことは出来ません。

 

▲13:41。金比羅尾根の登山道に合流しました。幸神方面から歩いて来たのです。

 

▲13:57。途中の暖かな斜面で休憩しました。

 

▲14:31。この写真の場所の少し先、金比羅山あたりからは雹だか霰だかのような音をたててが落ちて来ました。雨具を着る羽目になってしまいました。まあ、小雨ではありましたけれど。

 

▲15:00。琴平神社の裏にある大岩群。僕はこの辺りが金比羅山だと思っています。昭文社の登山地図では、ここから300mほど北西の468m標高点を金比羅山としています。しかし、この変哲もない山頂には金比羅山と称するような神秘的雰囲気は皆無です。2万5千図では曖昧な場所に文字を配しています。

 

昭和15年東京瓦斯山岳会によって編纂された『秋川の山々』という書籍があります。そこには金比羅山のことが次のように記されています。

「山頂には岩に根を張り、また岩を割って生えてゐる赤松の林と杉の植林を背景として、金比羅宮が祀られて居り、前の平みは芝生となって、金比羅公園と云ふ名にふさわしい。」

 

▲15:03。大岩群の南端にはこのが祀られています。これが金比羅宮なのでしょうか?

 

▲15:04。大岩群の前の広場には琴平神社が建っています。

 

▲15:27。金比羅公園を歩き降りて、五日市の里に出て来ました。

 

▲15:51。そして、武蔵五日市駅へ。スタートとゴールが同じ、左回りの周回コースでした。

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