ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩の低山へ――久し振りの単独登山で雪山ハイキング

2014年02月28日 | 雪山/奥多摩

2014/2/21  前日までは青梅線も御岳駅までしか開通していませんでしたし、御岳山ケーブルカーも22日土曜日から再運行の予定でした。ですから、前回の10日同様、武蔵五日市駅から直接歩いて取り付ける尾根を選びます。
それが深沢北尾根。前回の金比羅尾根の北隣りの尾根で、日の出町とあきる野市の境界線になっています。武蔵五日市駅北口をほぼ北方向へ進み、小机という辺りから取り付くのです。この尾根には無雪期、とりわけ山桜の咲くころには幾度も歩いたことがありました。お花見をよくしたものです。
今日はS子の体調がいまいちなので久し振りの単独登山。

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▲里山がすぐ間近にある武蔵五日市の街には道路脇の雪がまだたくさん残っています。
前方の尾根が深沢北尾根のはず。7:55ころ。

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▲前回の反省を踏まえ、今日は二万五千図はもちろんですが、高度計も持参しました。町場の標高点、208mと224mの2箇所で合わせました。
写真は二万五千図の小机にある224m標高点から100mほどの小さな峠です。ここから左の山へ取り付きます。8:09ころ。

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▲向こうに見える山は戸倉三山なのでしょうか? 8:42ころ。

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▲標高は300m前後、バレンタイン豪雪から1週間もたっているのに、まだこの積雪です。登山靴だけの壺足ではやたらと深く潜ります。8:44ころ。

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▲と言うわけで、ワカン装着。こんな奥多摩の低山でワカンをつけるとは! 8:52ころ。

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▲鹿の足跡が随所で見られました。8:54ころ。

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▲ワカンの締め具合が緩かったようです。左足の踵が赤紐の上に乗っかてしまっています。締め直しました。8:59ころ。

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▲お地蔵さんです。麓の町の方角を向いていますが、何を守ってくださっているのでしょう? 9:20ころ。
この深沢北尾根は小さなピークがたくさん現れる尾根なのですが、注意深く見ていないと地図を読み間違い易い所のようです。案の定、僕も間違えました。
この地点での高度計は340mを示していました。東から登って来て、北西方向へ少し下る場所なのですが、そんな場所は327m標高点の西、390m地点しかないと判断したのです。高度が50m違っていますが、その違いはおおよそ5hPaの違いでしかありませんから、「少し気圧が上がって来たのかな?」と考えました。
自宅で守屋氏の『奥多摩東部登山詳細図』を見ると、お地蔵さんの位置は327m標高点の200mほど南東の小ピーク(標高は330mに近いはず)にあるとのこと。この地点も東から登って来て、北西方向へ少し下っているのです。
ここで390m地点まで登って来ていると間違えましたから、その後、深沢山460mや勝峰山への分岐などになかなか到着しないことを不思議に思うことになったわけです。

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▲再びの鹿の足跡。9:26ころ。

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▲これは鹿の仕業だと思います。足跡がたくさんありましたから。雪をどかして、餌となるものでも探していたのでしょうか? 9:27ころ。

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▲右のなだらかなピークが勝峰山454.4mだと思います。9:35ころ。

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▲見晴らしのいい尾根に出て来ました。矢印のあたりに武蔵五日市駅があるのだと思います。9:55ころ。

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▲写真の向こうに左右に延びている尾根が入山尾根だと思います。雪で白く見える箇所は土砂の採掘現場だったように思います。9:55ころ。

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▲二万五千図で調べると、こんなふうだと思います。金比羅尾根は正しいと思います。金比羅山はほぼこの矢印辺り、刈寄山687.0mは多分これかなぁっと・・・・・・ 9:56ころ。

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▲見たことのない東屋が現われました。10:00ころ。

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▲ここでちょっと休憩です。快適な場所。「多宝美徳山荘 平成25年十月建設」「どうぞご自由にお休み下さい 光」と書いてありました。10:17ころ。
高度計は395mを示していましたから、先ほどの誤差を考慮すると、実際の標高は430~440mくらいだろうと考えました。それくらいの標高で、周辺の地形がだいたい合う地点を探すと、460m標高点である深沢山のすぐ近くだろうと予想したわけです。でも実際は、まだまだずっと手前の標高が390mあたりの地点だったわけです。

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▲ワカンをしていても膝近くまで潜ることしばしばでした。10:21ころ。
降雪後、1週間もたっていますから、融けて凍ってを繰り返し、雪はザラメ状になっています。しかも今日の高温で、雪は腐っているのです。

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▲妖しい空気を醸し出している合体木がありました。根元のあたりと地上3mあたりで、幹同士がくっ付いています。左の木はケヤキでしょうか? 10:28ころ。

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▲これが深沢山460mだと思って撮ったのでしょうね。でも、まだまだ先です。10:42ころ。

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▲もうこの頃には完全に読図が間違っていたことに気付いていますね。進めど進めど、勝峰山の分岐は出て来ませんから。歩いて来た道を振り返って、撮ってみました。11:16ころ。

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▲ついに出て来ました。勝峰山との分岐です。読図で分かるのではなくて、こんな標識に教えられるのは恥ずかしいことですが、まあ、良しとしましょう。11:28ころ。

ここで今日の今後のプランを再検討しました。次の二つの選択肢があります。
①このまま来た道を引き返す。
②勝峰山経由で幸神へ下山する。
この時点で、予定通り金比羅尾根へ向かうプランは諦めざるを得ませんでした。小机からここまで3時間ですから、金比羅尾根に3時半くらいには合流出来、途中暗くなっても先週通ったばかりの尾根なので問題なく下山できるとは思ったのですが、S子には「明るいうちには下山するから」と約束して家を出ましたし、さすがに2週続けて日没後下山はまずいですから。
①は絶対に嫌ですから②しかないと、ほぼ決まりかけていたのですが、このコースは無雪期に歩いたことがありますし、勝峰山からの下りはあまり楽しくなさそうな記憶があります。ここから真藤ノ峰543mや梵天山607m方面へもまだ1回しか歩いたことはなかったと記憶していますので、そちらへの未練もおおいにあるのです。
二万五千図を見つめていると、あるルートが浮かんで来ました。それは真藤ノ峰の手前(東)にある送電線の記号です。尾根上に鉄塔が立っているのも見えています。その送電線は南へ向かっていて、南に派生している支尾根上を通っています。とてもなだらかな尾根です。
送電線は常時保守管理が必要ですから、必ず点検員が通える作業道があるのです。いま見えている鉄塔を保守管理するには、どこへ作業道をつけるのが安全で楽なのかを考えれば、自ずとそのコースが決まって来ます。その支尾根には作業道があるはずだ。そうでなくとも、なだらかなので楽に下山できるはず。と、予想したのです。
③真藤ノ峰の少し東にある南へ降りるなだらかな支尾根を下る。
このアイデアを採用することに決めました。

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▲少し進むと、右下に採石場のような光景が広がります。おそらく太平洋セメント(旧・日本セメント)の石灰岩採掘現場なのでしょう。11:52ころ。
一番左の矢印で示している鉄塔が目指す鉄塔です。その鉄塔の後方に真藤ノ峰があります。梵天山や631.7m三角点も重なって見えているのだと思います。
鉄塔から右へ、麻生山794mと日の出山902.0m・・・・だと思います。

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▲麻生山と日の出山を望遠で捉えました。11:52ころ。

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▲この辺りは日当りがいいのでしょうか? 山道から雪がほとんど消えていました。12:01ころ。

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▲旧い社名の看板がありました。12:09ころ。

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▲ワカンでもやはり30cmくらいは潜ってしまいます。12:27ころ。

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▲448m標高点を過ぎた460m地点あたりで休憩しました。そのあたりの雪は30cmくらいだろうと予想していましたが、ピッケルを刺してみると御覧の通り。50cmはあります。13:02ころ。

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▲現われました! 鉄塔です! 新所沢線の17号鉄塔なんですね。13:21ころ。

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▲これがその鉄塔。13:25ころ。
ここの鉄塔がある地点の標高はおよそ500m。高度計は550mを示していましたから、500mに修正しました。
ですから、当日は前半の読図ミスを気付かないままだったわけです。お地蔵さんのところで高度計に50mの誤差が出ているな、と認識していたのと同じ誤差がここでも確認されたわけですから。おそらく、午後になって気圧が数hPa上昇したのでしょう。

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▲鉄塔の下は日当りがいいはずなのに、意外と雪の量が多いのです。70cmは積もっていますね。13:30ころ。

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▲今日はこのお尻の下に引いて滑る橇(そり)を持って来ました。昨シーズンも雪山幕営の際に持って行ったのですが、大きなザックがこの橇からはみ出して雪面にどっかと乗って、滑るどころではありませんでした。今日は日帰りのザックなので、この鉄塔からの下りの尾根で試してみたかったのです。13:35ころ。
結果どうだったかですが、駄目でした。
傾斜が緩すぎたというのもありますが、それ以上に雪が腐り過ぎていました。橇にお尻を載せると、そのまま雪の中に沈んでいってしまうのです。1mも進みませんでした。

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▲尾根を下って行くとすぐに、次の鉄塔が現われました。新所沢線16号です。13:51ころ。

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▲標高は470mくらいに下がりましたが、積雪はまだ御覧の通り。50cm以上あります。13:56ころ。

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▲16号鉄塔の真下から見上げました。今日は一日中、快晴! 14:00ころ。

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▲15号鉄塔への下降路があることを示した道標です。15号は谷を挟んで反対側に立っていますから、ここから里にいったん降りてから再び登らなくてはなりません。まあ、今日の僕は里に降りればそれでいいのです。予想通り作業道がありましたから、これで安心。14:01ころ。

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▲雪があっても明瞭に分かる作業道が続いています。14:05ころ。

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▲もっと分かり易い作業道になりました。14:10ころ。

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▲谷の底の様子が見えて来ました。集落のさらに奥の林道の除雪作業をしているようです。14:29ころ。

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▲この小屋の右側の尾根を下って来たのです。土木会社の置き場になっていました。14:36ころ。

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▲深沢家屋敷跡です。この屋敷跡にどれほどの歴史的だったり文化的だったりする価値があるのか、僕はまったく知りませんでした。家に帰ってネットで調べてみました。なんと! ここはすごい場所なんですね! ここの土蔵であの五日市憲法草稿が発見されたのだそうです。憲法問題が姦しいこの頃ですが、五日市憲法の理想も僕たち日本人は忘れないようにしないといけないと思います。いつか再び、ここを訪れたいものです。14:52ころ。

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▲これはいったい何なのでしょう? 僕にはお地蔵さんのように見えるのですが・・・・ 14:55ころ。

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▲またありました。14:56ころ。

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▲雪に埋まって、頭だけ出しています。14:58ころ。
「小さな美術館」という名前の美術館があるようです。これもネットで調べてみました。
http://art-avenue.jp/avenue19.html で見て下さい。ここも訪れてみたいですね。

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▲今日唯一のポートレートです。胴体がずんぐりと見えますが、道路の丸いミラーに映しているので、膨らんでいるのだと思います(本当だよ)。14:59ころ。

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▲この道路沿いにはいろいろな見どころがあるのですね! 14:59ころ。
これを参考にして下さい。
http://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000001/1642/RangerNewsVol.36.pdf

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▲本当にいろいろな見どころがありますね。東京一の大樫が大岩を抱くように生えているのだそうです。15:00ころ。
以下を参照してください。 http://juneberryp.exblog.jp/11977893/ 

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▲武蔵五日市駅に近づいて来ました。今日は無風快晴の暖かい一日でした。猫も日向ぼっこしながら心地良さそうです。15:42ころ。

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▲この猫もゆったりとしています。「にゃお~~っん」と呼びかけると、こちらを向いてくれました。15:46

15:50ころに駅に到着しました。15:57の電車に乗って帰宅。家には余裕で5時前には着きました。
ただ、山から下りて街が近くなってきたところで、携帯をonにすると、仕事がらみの連絡が入っていました。帰宅してしばらくはそれでバタバタ。目処が立ってから、やっとお風呂に入り、汗を流すことができました。

今回は単独でしたから、歩くスピード自体はS子と一緒の時よりも速いはずです。でも、前回と違ってトレースがありませんでしたから、その分、遅くなっています。結果的にはさほど変わらないか、今回の方が遅いのかもしれません。
それはともかく、やっぱり安全な時間帯に下山しておくことの当り前の重要性を感じた山行でした。

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奥多摩の低山が完璧雪山に変貌! 冬山遭難に接近遭遇した金比羅尾根ハイキング?

2014年02月20日 | 雪山/奥多摩

2014/2/10  建国記念日の祝日を絡めて、最初は大菩薩連嶺北部をのんびりと2泊3日で歩く予定でした。東京からもチラッと見える大菩薩は白く見えていましたし、K松さんからも大菩薩でのラッセル情報を聞いていましたから、雪山を楽しめるはずだと分かっていたからです。
9~11日の予定でしたが、8日の記録的な大雪です。大雪直後の9日はあまりにも不確定要素が多すぎましたし、S子にも話してはいなかったのですが、僕の体調がいまいちでした。

と言うわけで、予定変更。10~11日の1泊2日で奥多摩の鷹ノ巣山へ行こうと決めました。日原までバスで行き、稲村岩尾根を登り、鷹ノ巣山避難小屋に泊まる計画です。9日の夕方バス会社に電話すると、「明日の早朝に道路状況を確認して運行するかどうかを決めます」とのこと。9日はまだ全面的に運行は中止されていたのです。
バス道路ですし、奥多摩町民の生活道路ですから、優先的に除雪が進み、バスも運行されるようになるはずと予想していました。しかし、10日早朝確認したところ、同じく「全面運休」。
まあ、少しはホッとした気持ちがあったのも事実です。大雪がもたらした影響の大きさが次第に僕にも実感され始めていましたし、ほんの少しの体調不良もありましたので、重荷を背負ってあの稲村岩尾根の標高差1200mもの急登を歩くのは辛いなぁと、容易に想像できたからです。

最終的にどう決めたかと言うと、10日と11日の両日とも日帰りで奥多摩の雪山を楽しもう!ということ。で、まず初日は武蔵五日市駅から金比羅尾根を経て、日の出山~御岳山というコースです。これなら朝はバスを使わなくても、駅から歩けばいいわけですし、御岳山のケーブルカーは雪の影響を受けにくそうなので動いているはずですし、下に降りればバスが不通でも御岳駅までは近いと考えたわけです。

★遭難要素その1  下山後、御岳登山鉄道のホームページを調べてみると、2月8日の15:15の便から運行を中止し、11日の14:45の便が再開するまで約3日間停止していたのですね。動いているはずなどと、自分勝手な判断は決してしてはいけませんでした。

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▲武蔵五日市駅に9時少し前に到着しました。バス会社の方が通りかかったので聞いてみましたが、こちら方面のバスも今日は全面運休だそうです。
五日市の町もご覧の通りです。9:14ころ。

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▲五日市小学校と五日市中学校の間をすり抜けるように進み、登山口へと向かいます。要所には標識があります。ただ、この標識は民家の敷地内に設置されていました。9:26ころ。

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▲少し町のはずれになって来ました。9:31ころ。

このあと、車道の終点まで来てしまい、間違いに気がつき、少し引き返しました。薬師堂の先へと行ってしまったのです。

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▲薬師堂の駅寄りの三差路にこの標識がありました。さっき通った時には気が付かなかったのです。金比羅山へ向かいます。9:47ころ。

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▲まだ舗装はされているのでしょうが、山へと登って行く細い道路になりました。雪も全面に残っているので、スパッツを装着します。10:07ころ。

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▲途中の東屋で休憩しました。五日市の街の眺めです。10:59ころ。

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▲琴平神社の鳥居。前の階段も雪に埋まってしまっています。11:09ころ。

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▲琴平神社。11:10ころ。

昭文社の山と高原地図に載っているコースタイムとの比較をしてみたいと思います。歩いていた時間だけを厳密に抽出するのは無理ですから、休憩その他の時間も含めての比較です。
【武蔵五日市駅~琴平神社】→217%
コンビニで行動食を購入したり、街中で3回もS子が滑って転んで、お尻を打ったり、道に迷ったり、スパッツを装着したり、休憩して行動食を食べたりと、様々なことに時間を費やしましたから、ラッセルもしていないのにコースタイムの2倍以上かかってしまいました。
この記録を書いていて思い出しましたけれど、コンビニのおじさんが「昨日も金比羅尾根に入るって言ってた人がいたよ」と教えてくれました。皆、考えることは同じです。

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▲金比羅山468mです。11:11ころ。
でも、疑問点があります。神社から徒歩1分のこの地点が金比羅山なんでしょうか? 二万五千図で見る限り、神社から468m標高点までは直線距離でも300mほどありますから、この山名標識のある地点はその標高点ではありえません。神社のすぐそばの小ピークは450m前後でしょう。
それでは一体、金比羅山は神社の近くのここなのでしょうか? それとも468m標高点なのでしょうか?

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▲大きな岩のそばを登山道が通っています。11:17ころ。

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▲この雰囲気は奥多摩の低山ではありえないものです! 奥多摩の山へは30数年通っていますが、標高500mもない山でこれほどの雪が積もるとは! 11:22ころ。

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▲アイゼンを装着した登山靴の足跡です。しかも、12本爪。念のために本格的なアイゼンを持って来るのは分かりますけれど、ただの雪の山道でアイゼンを装着して歩く人の気持ちが理解不能です。アイゼンを付けると歩きにくくて僕は嫌いですし。(この日、僕は念のために4本爪アイゼンを持って来ました。ピッケルもありますしね。)11:34ころ。

凍ってもいない普通の雪道でアイゼンを装着する人が案外いるのですが、どうしてなんでしょう? そのようにすべきと教えるガイドでもいるのでしょうか? そう書かれている教則本でもあるのでしょうか? フラットフットにせよ、キックステップにせよ、アイゼンなしで歩ける限界を理解するよう、登山靴だけで歩くことを練習したものなんですが・・・・

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▲コンビニで聞かされた通り、たくさんの登山者の足跡がありました。五日市へ下っている足跡がいちばん上部にに残っていますから、昨日の午後にでも下って来た登山者たちもいたのでしょう。そんな中、犬の足跡が・・・・ 11:51ころ。

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▲あきる野市深沢方面へ続く尾根への分岐です。二万五千図では送電線が近くを横切っていて、573m標高点があります。12:48ころ。

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▲雪山です。これが奥多摩の低山なんて・・・・ 13:32ころ。

042
▲東から北方面の風景がひらけて来ました。歩いている最中は写真右のなだらかなピークのことを勝峰山(かつほやま)だとばかり思っていましたが、帰宅後、二万五千図で確認しなおしてみると、真藤ノ峰543mなんですね。左のやはりなだらかなピークは梵天山607mだと思います。14:00ころ。

当日、どのあたりで判断を下したか定かではありませんが、僕の記憶ではこの辺りの前後だったのではないかと思います。何の判断かと言うと、このまま予定通り進むか、それとも来た道を引き返すかの進退判断です。この辺りが琴平神社と麻生山分岐とのほぼ中間地点だと予測したからです。
昭文社の地図ではその間のコースタイムが2時間ですから、半分地点で1時間と仮定してみました。すると、武蔵五日市駅からここまでコースタイム2時間のところ、5時間かかっています。
【武蔵五日市駅~この地点】→250%
【琴平神社~この地点】→283%

★遭難要素その2  当日は珍しく二万五千図を所持していませんでした。ですから、現在位置の確認がおろそかになっています。ここでも、琴平神社と麻生山分岐とのほぼ半分と考えていますが、現場での自分の感じ方では半分よりは先に進んでいるだろうと、思っていました。次の次の写真の幸神への分岐がすぐ近いはずと考えていたのです。
ですから、ここからなら麻生山に3時、日の出山に4時、御岳山に5時ころ到着といった、今から考えると超甘すぎの超楽天的な予測になっていたのでした。
明日は祝日ですし、ツエルトもバーナー、コッフェルもありますから、万が一フォースト・ビバークになっても大丈夫という楽観や、来た道を引き返すのだけは面白くもないので嫌だという気持ちが、ここでの判断を前進する方向へと引っ張ったのだと思います。
まあただ、薄明るいうちに下山するのなら、ここで引き返すのが最終判断ポイントであったのは確かなのです。その判断だけはしっかりと行い、S子にも「こうこうこういう状況だけれどもどうする?」と確認をしているのです。

045
▲勝峰山はS子の後方の山のどれかでしょう。天気は相変わらず最高で、風もなく穏やかな日です。14:05ころ。

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▲日の出町幸神方面への分岐です。途中、先ほどの梵天山、真藤ノ峰、勝峰山(厳密に言えばこの山だけは寄り道ですが)などを通ります。631.9m三角点の少し南西地点です。14:55ころ。
ここまで予想外に時間がかかりました。内心「御岳山に5時は絶対、6時にだって着くのは無理だな」と分かって来ていました。「まあ、7時になっても大丈夫だろう。ケーブルカーは動いているはず」と思っていたのです。

★遭難要素その3  御岳山ケーブルカーがこの日、運行していなかったことは前のところで書きましたが、それとは別に「7時台までは動いているはず」と信じていました。夏なら、夜の7時でも薄明るいですしね。ところが、調べてみると、最終は18:30なのです。これを逃すと、御岳山駅からケーブルの下の車道を1時間くらいかけて歩いて降りなければなりません。多分、凍っている箇所も多いでしょうから、暗い中、嫌な下りになったことでしょう。
本当は、ここからでも引き返した方が結果論から言うと、安全かつずいぶん早く下山出来たはずです。でも、当事者の感覚では琴平神社よりも御岳山の方がずっと近いと感じる場所だったのは確かです。

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▲樹皮模様が美しい木がありました。名前は分かりません。調べましたが、確定できませんでした。イヌシデとかアカメガシワなのかと思いますけれど・・・・ 15:04ころ。

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▲コル状の場所に来ました。人のせいではないと思いますが、ここだけ雪が付かずに地面が見えている箇所がありました。風が強くて、雪が積もらなかったのでしょうか? 15:06ころ。

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▲山での積雪は30~40cmくらいだろうと、高を括っていました。でも、御覧の通り、僕の膝の上、50cmはあります。15:09ころ。
御岳登山鉄道のHPでは滝本駅50cm、御岳山駅70cmと書かれていました。
雲取山荘のHPにも、8日は60cm積もったと書かれています。

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▲斜面の山側ではS子の腰辺りの積雪量です。15:11ころ。

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▲麻生山794mです。15:13ころ。
この頃には、眼前に見えているこの距離が思いのほか遠いことが分かって来ていました。

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▲S子はこれくらいの斜面でも結構怖がります。僕などは滑落してもすぐに止まるし、雪だから痛くもないし、と思うのですが・・・・ 15:15ころ。

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▲今日初めての鹿の足跡です。16:08ころ。

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▲麻生山の巻き道を抜けて、麻生山への分岐に着きました。16:54ころ。

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▲すぐそばに立つ標識。ここは白岩の滝へ下る分岐にもなっています。16:54ころ。

白岩の滝へと下山している足跡があれば、そちらへ降りる選択肢もあったのですが、足跡がないのでその選択はしませんでした。何故なら、もうすぐ日没で暗くなりますから、トレースがない状態で突入していくのは危険だからです。
このころには「御岳に着いてもケーブルカーには乗れそうにないなぁ」と考えていました。ただ、人里ですから安心です。S子がバテ切ってしまったり、どこか痛めたりしないかということだけは心配していましたが。

★遭難要素その4  本来ならば下山していなければならない時間に、まだ山中をうろついている、そんな失敗の最大原因が何か? この頃になると僕自身の中で自覚され始めていました。それは我々二人の歩くペースに対する過信です。ここまで僕の計算よりも何割増しもの時間がかかっています。
でも、今さら急いで歩いても危ないだけですから、S子には自分のペースで確実に歩みを進めることのみを促します。心強いことに、S子も全然不安感は抱いていないようです。16年前の大雪の奥多摩で夜中じゅうラッセルし、フォースト・ビバークした経験も、S子とはありますから、その時と比べれば、今日はトレースもありますし。まだ時間も早いのですから。

【武蔵五日市駅~白岩の滝への分岐】→263%
トレースで思い出しましたが、途中までたくさんあった足跡がどの辺からだったかワカンを付けた一人だけの足跡になっていました。昨日登った多くの登山者が、金比羅尾根を登ったものの時間切れで途中から引き返したようですね。

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▲まだ薄暮が続いています。帰宅後調べてみると、この頃の日没時刻は17:20ころのようです。17:12ころ。

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▲だいぶん暗くなって来ましたが、まだヘッドランプなしで歩けます。17:28ころ。

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▲青梅の街灯りでしょうか。風もなく、月明かりと雪明りでまだヘッドライトなしで歩けています。心地の良いナイトハイクを楽しむ心境になっていました。17:47ころ。

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▲登山道の四つ辻に出ました。養沢鍾乳洞へのトレースはもちろんありません。日の出山を巻いている御岳へ直接出るルートも誰も歩いていません。ワカンの主は日の出山方面へ向かっています(から来ていた?)。18:19ころ。
このトレースの状況を見て、僕には新しいアイデアが浮かびました。それは、登山者たちはどうやら御岳山からは来ていない(へは行っていない)ようだ。ということは、つるつる温泉への登山道にトレースがあるかもしれない、と。
この新たな可能性には少し心が浮き立つようでした。わりと早めに里へ下山できるかもしれないからです。下山してタクシーを呼べば、意外と早く帰宅できそうだ、と。

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▲日の出山直下の三差路に出て来ました。三つ沢や松尾、つるつる温泉へ下る登山道がある分岐です。僕の予想通り、つるつる温泉へと向かっている足跡が複数付いています。これで、里への下山はほぼ大丈夫です。18:37ころ。
たしか、この辺りでヘッドライトを装着しました。

【武蔵五日市駅~つるつる温泉への分岐】→275%

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▲S子の頭にはヘッドライトが付けてあります。18:41ころ。

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▲地図にはない分岐が出て来ました。平井川の源頭に出て、林道を下って行くルートです。通常の登山道はつるつる温泉と指されている方向。どちらからも下山できそうなので、歩いている登山者の多いルートを選ぶことにしました。それで、平井川の源へ。18:46ころ。

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▲立派なトレースがあります。ヘッドライトを点灯させているS子。18:54ころ。

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▲源頭の急斜面は終了し、林道に到着しました。何やら看板も立っています。「タバコの投げオキ 火事の元」でしょうか? 19:08

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▲日の出山直下でつるつる温泉へ向かっていた登山道が林道へ合流しました。20:03ころ。

【武蔵五日市駅~日の出山からの合流点】→271%

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▲普段もこの奥の林道への通行は禁止されているようです。20:06ころ。

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▲人里っぽくなってきました。掲示板の屋根に積もっている雪はこの時でも50cmくらいありそうです。20:08ころ。

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▲民家も1軒2軒と出て来ました。その家の車は雪に埋もれてしまっていて、出せそうにありません。道路の除雪をしないと、車を出せないほどに雪が積もっています。登山者だけでなく、住人もここを歩いているのでしょう。20:13ころ。

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▲少し進むと道路が除雪されていました。でも、登山者には有難迷惑で、凍っていて滑り易くなっているのです。端っこの雪の上を歩きます。20:38ころ。

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▲とうとうバス道路に出ました。これでタクシーを呼べば駅に着くことができます。除雪もされていますから、大丈夫でしょう! 20:47ころ。

【武蔵五日市駅~都道184号線】→257%

★遭難要素その5  最終的にここまで昭文社の地図のコースタイムと比較して2.57倍の時間がかかっています。ラッセルになると、無雪期のコースタイムの2倍3倍4倍、それよりもずっとかかることがあることは普通です。
二人での歩くスピードをコースタイムの2倍以内と予想していました。ですから、当初は御岳集落に夕刻5時、次第に6時、7時となりましたが、それでも2倍をさほど越えていません。
57%も越えていますから、予定よりも2時間半~3時間オーバーしていることになります。遅くとも薄暮には下山できる予定が、こんなに遅くなってしまいました。
14:00ころに行なった判断で、コースタイムの2.5~3倍かかるとの現状認識をして、引き返す判断が正解だったと思います。

とにかくタクシーを呼ばなくてはなりません。檜原村の横川タクシーだけは携帯に登録してあるので電話してみました。しかし、案の定、日の出町は営業エリア外なので無理だとのこと。京王タクシーの電話番号を調べて電話しますが、誰も出てくれません。

松尾バス停に着き、タクシーをここで待てればいいのですが、肝心のタクシー会社と連絡が付かないのです。仕方なく、次のバス停へと歩き続けます。

どの辺りだったのでしょうか? 小型のブルドーザーなのでしょうか? 除雪をしている重機がいました。その除雪車は奥から駅方向へと除雪を進めているようです。駅方向の道路にはまだ雪がたっぷり残っているのです。除雪車に乗っているおじさんにこの先のことを尋ねてみました。「タクシーはここまで迎えに来てくれますかねぇ?」と。答えは「難しいと思うよ。ここから30分くらい歩くと、また道路が除雪してあるからそこなら迎えに来てくれるかも」と教えて下さいました。でも、ちょっとガッカリ。「雪があると言っても、けっこう踏み固められているので、来てくれると思うけどなぁ」と個人的には思ったりします。

寒さのせいでしょうか? 電波が弱いせいでしょうか? すぐに電池が切れそうになる携帯で、何度も呼びだそうとしますが、つながりません。S子の携帯も動員して、かけますが駄目です。肝要の里を過ぎ、どこまで歩いたでしょう? 「最終電車に間に合うだろうか?」と内心不安に思い始めていたころです。

先ほどの除雪車が近づいて来ました。そして、僕に声をかけるではありませんか。どうやら「乗らないか」と言ってくれているようです。僕とS子を乗せてくれたのです。
近くの事務所まで乗せてくれました。途中、除雪車の中から「夫婦の登山者を救助して来たから、今から連れていくよ」と事務所に電話するのです。もちろん冗談ですが、「ストーブをつけといてね」とも言ってくださいます。有り難い心遣いです。
事務所ではストーブのそばに座らせていただき、お菓子や温かい飲み物までいただきました。冷えていた肉体とともに心まで温かくなります。
しかも、乗せてくれた方(どうやら社長さんのようです)の息子さんに「駅まで乗せていってあげなさい」と言ってくれています。まだここは、歩けば駅まですごく遠い場所なのです。
本当に感謝の念しかありません。
息子さんに自家用車で武蔵五日市駅まで送っていただき、無事に23:04の電車で帰宅することができました。
後日、しっかりとお礼をさせていただいたことは申し上げるまでもありません。

都道に出てからのS子はそれまでの山道と同じほどのスピードでしか歩けない状態でした。今日一日の蓄積された疲労やそれから来る足腰の痛みもあったのでしょう。里に降りて来た安心から来る緊張感の緩みもあるのでしょう。とにかく、歩くスピードは時速2kmくらいだったと思います。都道に出た地点から駅までは8~9kmあるようですから、3時間以上はかかったでしょう。23:53の終電に間に合わない可能性大でした。

ですから、この除雪をしておられた方のご厚意は感謝してもしきれません。

自宅に戻ったのが夜中ですから、当然のことながら翌日は休息。山へは行きませんでした。それにしても、僕自身、雪の奥多摩を30年以上歩いていますけれど、こんな低山でこれほどの積雪があったのは初めての体験です。
こんな近くで雪山を楽しめることは実に有り難いことです。いつもの年の奥多摩の冬山といった固定観念を捨てて、本格的雪山に対するのと同等の心構えを持って山行を行なわなければならないと反省しました。

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久し振りの山仲間たちと中央線沿線の山、扇山と百蔵山へ

2014年02月09日 | ハイキング/中央線沿線の山

2014/1/25  仕事が多忙でなかなか休みが合わないA野さんと、久し振りに一緒に行ける日が来ました。同時に誘ったK美さんも参加できることになり、一番びっくりしたのはK美さんの旦那さんまでもが来るというのです。K松さん(K美さんの旦那さん)は異常なほど歩くスピードの速い人ですから、僕たちのペースでは苦痛と感じるほど遅いはずなのです。
ところが、こういう奇跡的な日に限って、アンラッキーなことも発生します。S子の具合が悪くなったのです。少し前から目まいが時折り襲い、昨日からは少しひどくなって来たのです。不安な気持ちを抱えたままでは山には入れませんから、この日は病院へ行くことにしました。

四方津の駅で顔を合わせたメンバーはS子の不参加をとても残念がってくれました。

001
▲四方津駅からタクシーで登山口になっている安達野バス停まで行ってもらいます。上の写真がバス停から見た登山口です。9:08ころ。

002
▲この標識を見る限り、誰しも右へ、山の中へ行くと思いますよね。安達野からの登山道は登山地図によるとまずは新田集落のそばを通っているのですから。9:08ころ。
山にはかすかな踏み跡がありました。それを辿って登って行きます。でも、新田集落の方角とは違います。しばらく登りましたが、明瞭な山道になりませんし、方角にも不安があったので、再び同じところまで降りて来ました。
K松夫妻が「こっちだと思う」と、写真の標識では上野原と記してある方向にある一車線の舗装道路へ入って行きます。

その道に入っても、なかなか登山口らしき場所が見つかりません。地元の方の姿が見えたので、登山口を教えていただきました。もう少し先にあるようです。

004
▲何やら立派な門構えのお屋敷がありました。門柱には『旧甲州街道新田宿尾張の殿様定宿家』との看板があります。9:22ころ。
一般的に参勤交代において名古屋から西の藩では東海道を通る藩がほとんどだったそうです。甲州街道を毎回通るのは信州の高遠藩くらいで、参勤交代が他藩と重なる場合に調整のため甲州街道を使うことがあったのだそうです。しかも、隣りの犬目宿が本陣なのに、脇宿の新田宿のこの米山家を定宿としたのには理由があるのだとか・・・・・・・・
その理由は次の次の写真のところで。

005
▲米山家の少し先に山へと向かう小路がありました。9:24ころ。

006
▲分かりますかね? 今日は空全体にうっすらと雲がかかって、霞に覆われているような天気なので。富士山です! 9:25ころ。
米山家からの富士山の眺めが甲州街道随一でしたので、尾張のお殿様がここを気に入ったのだそうです。早朝の赤富士を遙拝してから、出立したのだとか。

011
▲昭文社の地図に山の神と書かれているのがこれでしょうか? 金比羅神社です。9:52ころ。

012
▲麓を見下ろすと、手前には談合坂のサービスエリア、向こうには大野貯水池が見えました。9:55ころ。

013
▲冬晴れの陽射しが暖かい山道を歩きます。10:32ころ。

014
▲やがて、残雪がわずか現われはじめます。10:36ころ。

017
▲最初の目的地、扇山1137.8mに到着。11:04ころ。
扇山は「秀麗富岳12景」のひとつです。霞んでいるので、きりっとした美しさには欠けますけれど、やっぱり富士山はいいですねぇ。

020
▲山頂は残雪や霜柱が融けて、泥だらけになっています。泥の少ない場所を選んで休憩をとりました。山頂をあとにする際、再び富士山をパチリ。11:29ころ。

021a
▲扇山をスタートする3人。左の二人がK松夫妻、右端がA野さんです。11:29ころ。

022a
▲いきなり雪の下降。滑らないように細心の注意を払いました。手前からK美さん、A野さん、K松さん。11:33ころ。

025
▲途中の大久保山1109mを通過。11:42ころ。

027
▲枯れ木越しに見えているあのピークが百蔵山1003.4mでしょうか? 12:18ころ。

031
▲百蔵山直下の急登。久し振りの登山にA野さんが少々ばて気味です。13:12ころ。

034
▲百蔵山到着です。13:23ころ。
百蔵山も「秀麗富岳12景」のひとつ。中央の富士山をはさむように、右に三ツ峠山1785.2m、左に御正体山1681.6m。

035
▲富士山の左には道志の山々が連なっています。この山塊には数回しか入ったことがありませんから、山座同定はほとんど無理です。13:23ころ。

036
▲さらに左(東)を望むと、北丹沢が見えるようになるはずです。写真中央少し左の山頂が平らに見える大きな山体の山が大室山1587.6mではないでしょうか? さらにその左の顕著なピークは蛭ヶ岳1672.7mでしょうか? 13:23ころ。

038
▲最後にもう一枚、本日見納めの富士山です。13:24ころ。

039
▲百蔵山を少し下ったところにある分岐から猿橋へ下山しました。14:02ころ。

042
▲思いのほか早く、山道は終了し、林道が出現しました。K松さんが言うには「これからが長い」んだそうです。14:31ころ。

044
▲浄水場とかがあり、さらに下って行くと、この和田美術館がありました。ネットで調べましたが、どんなところなのかは不明です。14:56ころ。

045
▲和田美術館入り口の狛犬です。左側にあるので決まり通りの吽形(うんぎょう・口を閉じたもの)。ただ、足元には小さな狛犬がいます。これは子取りと呼ぶらしく、子犬なのだとか。大概、玉取りと対になっているというので、確認してみると、上の写真で分かりますが、右の狛犬は確かに玉取りですね。14:56ころ。

046a
▲里に降りて来て、K松さんに猿橋まで案内してもらいました。さすがに地元(K松夫妻は大月在住です)なので、道順に詳しいのです。
この橋が日本三奇橋のひとつ「猿橋」です。15:41ころ。
ちなみにその三つですが、猿橋の他には山口県岩国の錦帯橋、もうひとつは諸説あって定まっていないようです。錦帯橋は次を参考にして下さい。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/d/20130114
猿橋もこう見る限りは普通の橋に見えますが・・・・

049
▲橋の中央から下をのぞくと、この絶景! 狭くて深い峡谷に架かっている橋なんですね! 15:42ころ。
これは何か秘密がありそうです。

050
▲猿橋の解説板です。写真をクリックし、拡大して読んでみて下さい。15:43ころ。
古くは推古天皇の時代、今から1400年以上昔に橋の伝説が書き記されているそうです。史実としては15世紀には記録があるようですから、とにかく昔からある不思議な橋なのですね。

052
▲これが猿橋を横から見たときの写真です。両岸からだんだんに橋の土台を伸ばしていって作ったことが分かります。力学法則を駆使して作った橋なのですね。15:44ころ。

054
▲峡谷の下から見上げるとこんな感じです。わざわざこんな箇所を選んで橋を架けたことの方が不思議です。もっと他の場所で楽なところはなかったのでしょうか?
写真中央右にある格子状の橋は昔の国鉄時代の鉄道橋だとか。15:48ころ。

猿橋駅まで1km以上の道を歩いて向かいました。駅のそばで上り電車が行ってしまいましたし、猿橋駅周辺に食堂がありませんでしたから、隣り駅の大月まで行くことにしました。大月はK松夫妻の地元、気に入った食堂もあるようです。

大月駅前の庄屋はいい店でした。日本酒の「笹一」が切れていたのは残念でしたけれど、大いに飲み、食い、楽しみました。
ニュージーランドの話しをしたり、K松さんとは今年の夏、槍ヶ岳登頂のウウェストンルートを行こう! という話しになったり。ぜひ実現させましょう!

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高峰北尾根から日の出山、御岳山へ足慣らし

2014年02月08日 | ハイキング/奥多摩

2014/1/12  ぼちぼち雪山へも行きたいのですが、ここのところたいした山を歩いていないので、足慣らしをすることに。ニュージーランドから帰って以降、天益へも行っていませんから、お土産も渡したいと思っているのです。
足慣らしですから、難しいルートや長いルートは勘弁です。易しいルートを選ぶのですが、少しは未知の部分も歩いてみたいと思います。そこで浮かんだのが、高峰の北尾根。高峰の北西尾根とも言うべき築瀬尾根は歩いたことがあります。そこと比較して予想しますが、それほど問題のない楽な尾根でしょう。

001
▲S子と二人での山行ですから、朝はゆっくり。多くの登山者が降りる御岳駅で僕たちも下車しました。9:38ころ。

002
▲駅前の御岳橋を渡ります。9:39ころ。
橋の向こうに見える写真中央の山を登って行くのです。

004
▲御岳橋の上から西方向を眺めました。9:39ころ。

005
▲多摩川の御岳渓谷はカヌーのメッカです。9:39ころ。

007a_2
▲御岳橋を渡り、吉野街道をほんの少し左へ行って、山へ入りました。どんぴしゃで踏み跡がうっすらと付いていました。9:59ころ。
後方の矢印は御岳駅です。

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▲だいぶ上がって来ましたね。矢印は御岳駅、駅の左に6両編成の電車が見えます。10:10ころ。

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▲霜柱です。長いのは10cm以上ありますね。10:14ころ。

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▲御岳橋からも見えていた正面の伐採跡の左、笹叢に入ります。10:24ころ。

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▲続いて、杉の植林帯へ。10:34ころ。

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▲歩き始めてから1時間近くたったので、休憩です。10:43ころ。
写真の中央より少し右の目立ったピークは惣岳山756mでしょうか。御岳駅周辺の集落から丹縄や川井集落などが見えています。
「もしここがニュージーランドだったなら?」と、つい考えてしまいます。平地部分はもちろん、山の比較的なだらかな部分もほとんど牧草地になっているのでしょう。そして、人家がたったの数軒あるだけなのでしょうね。ただ、実際に牧草地にしてしまえば、日本のような多雨地帯では表層土が流出してしまって、荒廃してしまうでしょうから、牧草地には向いていないはずです。
日本はやっぱり日本です。この自然、この人々あっての日本です。

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▲少し左へパーンしました。中央部分の山が川苔山、その左の顕著なピークが本仁田山だと思うのですが、正確な山座同定はちょっと自信がありません。10:44ころ。

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▲さらに左へパーンし、中央に大塚山920.3m、左の山は御岳山ケーブルカーの駅がある裏の山でしょう。10:44ころ。

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▲杉の植林を行きます。11:19ころ。

034
▲動物の糞です。この大きさなので熊ではないかと思います。11:29ころ。

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▲高峰755mです。11:39ころ。
この標識には高峰山と記されていますが、山を取った「高峰」の方が正しいのではないでしょうか?
奥に古い標識が写っていて、そちらには「御岳駅」と書かれていますから、今日登って来た山道は昔は今よりも歩かれている山道だったのでしょうね。

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▲日の出山へとアップダウンのほとんどない山道を歩いていると、遠くに三ツドッケ(天目山)1576.0mが見えていました。この山は三つの突起で構成されていますから、よく分かります。長沢背稜にある山のひとつです。11:50ころ。

040
▲このような歩き易い、きつくない山道です。11:54ころ。

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▲またしても霜柱。光で縞状に輝く様子をお見せしたかったのですが、写真の技術がいまいちですね。12:10ころ。

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▲日の出山902.0m山頂に到着です。相変わらずすごい人出! 12:26ころ。

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▲日の出山から北西方向を撮りました。三ツドッケは分かるのですが、川苔山、石尾根の鷹ノ巣山や六ツ石山などは自信ありません。ひょっとしたら、雲取山も見えているのでしょうか?

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▲御嶽神社の方を撮りました。写真中央の杉の木が櫛状にまだらになっているピーク929mに武蔵御嶽神社があります。左のピークは奥ノ院がある1077mピーク。神社の下から右には御岳の集落が見えます。右の大きな建物はビジターセンターとかでしょうか? その向こう側に連なっている山々は石尾根だと思います。12:28ころ。

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▲山頂は人だらけでしたから、少し下がったところにあった北側のベンチで昼食にしました。再出発してすぐにあるのがこのトイレ。これだけ人が多いと、山頂にこれくらいの立派なトイレがないと駄目ですね。13:00ころ。

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▲武蔵御嶽神社の鳥居です。13:14ころ。

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▲御岳山~日の出山間の登山道は奥多摩でいちばん人通りの多いコースだと思います。13:16ころ。

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▲駒鳥山荘です。13:36ころ。
御岳山の多くの宿坊がそうなのだと思いますが、この宿も馬場さんと言う武蔵御嶽神社の神官でもある方がご主人です。最近ブームの滝行などでもよくテレビに出ておられる方。昔は中西悟堂先生がよく泊まられたとも聞いたことがありますね。
以前ひょんなことで知ったことがあるのですが、山野井さんの奥さんの妙子さんがこの宿坊でバイトしていたことがあるとか。そんなに凄い有名な方とはまったく知らなかったそうです。

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▲いつ見ても素晴らしい神代ケヤキ。13:37ころ。

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▲西の馬場家の屋敷です。さきほどの駒鳥山荘は東の馬場家なんです。13:46ころ。
このあたりから大楢峠への登山道へ入ります。

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▲越沢源流部をトラバースしている登山道ですが、北斜面でもあるので、最近降った雪がまだ残っています。14:09ころ。

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▲表層の土と一体となった霜柱です。柱同士がくっついて、氷となっています。14:11ころ。

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▲小さなコツコツコツという木を叩くような音が響きました。コゲラかな? と思って周囲を探しましたけど、なかなか見つかりません。ふたたび、コツコツコツと音がします。今度は見つけることができました。望遠にしてシャッターを押します。14:25ころ。
どこに何が写っているのか、分かりますか?

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▲写真中央を拡大したのがこれです。コツコツコツの音の大きさからコゲラだとばかり思っていましたが、写っている鳥を見ると、コゲラではなさそうですね? 何なのでしょうか? アカゲラなのでしょうか? 

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▲不思議な霜柱を発見しました。二層になっている霜柱です。二層になっているだけならばよく見かけるのですが、この霜柱、層と層の間に土がはさまっています。どのようにして出来たのでしょうか? 14:43ころ。

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▲アップダウンのほとんどない山腹を巻く山道が続きます。14:48ころ。

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▲大楢峠に着きました。この巨樹はコナラの木です。でも、もう年寄りなのでしょうか? 倒壊の危険があるそうです。15:10ころ。
それにしても、S子さ~ん! 右を回れ!って書いてあるのに、真っ直ぐ突っ込んでいくとは。

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▲西日当たる中、下山です。15:39ころ。

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▲なんて美しいドライフラワーなんでしょう! 16:02ころ。

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▲山道から車道に出て来ました。これで暗くなっても大丈夫。16:16ころ。

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▲後ろの山から月が上がって来ました。16:26ころ。

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▲奥多摩の氷川集落です。この風景を見るたびに、ネパールのナムチェバザールを思い出します。電気も車も来ていなかったころは、どんな風景だったんだろうかと想像してしまうのです。17:05ころ。

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▲昭和橋の上から多摩川を眺めました。中央右から日原川が合流しています。17:07ころ。
もっと早い時刻に下山するのが正しいのですが、こういう黄昏どきの光景を楽しみながら里を歩き帰るのが僕にとって理想の下山なんです。

いつも通り、天益に顔を出しました。女将さんが困った顔をしています。今日は消防署の人たちの貸し切りなのだそうです。ただ、その時刻までもう少しありますから、それまでという条件で席に着かせていただきました。いつも有り難うございます。
カウンターのいろんな人の話を聞くのが楽しいのです。短い時間でしたが、楽しめました。話の内容は忘れましたけれど、外人さんもいましたね。
無理やり座らせていただいたのに、お代をとっていただけませんでした。本当に有難うございます。

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第9回山行μ――小岱山はたくさんの人に愛される山でした

2014年02月01日 | ハイキング/山行μや山行χ

2014/1/5  2009年の正月から熊本の実家へ年に二回の帰省をスタートさせました。親のもとへはまったくと言っても過言ではないくらいに、近寄らない息子でしたから、有り得ないような変貌でした。母が認知症にかかり、そんな母と少しでも長く顔を合わせていたいという気持ちがそうさせたのでしょう。
年に3回の長期山行のうち、夏休みと正月休みを山にあてられなくなるわけですから、山屋としては非常につらいわけです。本来ならば、昨年5月に母が亡くなり、もはや熊本へ帰省(?)する必要性はないはずなのです。山へ行こうよと、山友達からの誘いもありました。それでも、今回熊本を訪れたのは、熊本の甥っ子家族が僕にとっても家族同様の存在になってきたからだと思います。そのように感じられる肉親が増えるということは、心地よいことです。
そんなことも、亡くなった母が僕に遺してくれたプレゼントなのだと思います。

ところで、2009年8月には第1回山行μがスタートしています。甥っ子の娘・Mちゃんと一緒に行く山行が山行μなのですが、雨続きで行けなかったこともありますが、コンスタントに帰省のたび1回ずつ積み重ね、今回が9回目となりました。小学校入学前の少女が4年生になっています。今では、大人顔負けの健脚に成長しています。

002
▲玉名駅までは熊本駅から鹿児島本線を北へ約30分ほどです。実家のそばからは熊本駅へ直接向かうバスはほとんどないので、交通センター行きへ乗り、駅へ最も接近するバス停で下車。そこから徒歩20分ほどで熊本駅へ着きました。
Mちゃんもだんだんとしっかり者になって来ているようで、朝も早く起きられるようです。「もっと早くだって大丈夫だよ」と言ってくれます。
玉名駅からはタクシーで小岱山(しょうだいさん)登山口の蛇ヶ谷公園へ向かいました。9:15ころ。

005
▲蛇ヶ谷公園へはタクシーで10分ほど。春には5000本もの桜が咲き競い、見事なんだそうです。最初は舗装された公園内の道路を歩き、すぐに写真のような土の広い道を歩くようになりました。9:36ころ。

009
▲展望所に着きました。でも、この日は晴れてはいるのですが、遠くの景色が霞んでいて、本当なら見えるはずの広々とした四囲が見えませんでした。残念! それでもこの頃はまだ、熊本市内の金峰山や有明海の近くの海岸線は薄っすらと見えていたのですが・・・・ 9:48ころ。

011
▲よく整備された登山道が続きます。9:50ころ。

015
▲途中、登山道の右側に金比羅様が祀られていました。岩がゴロゴロある小さなピークです。その岩に注連縄などを巻かないようにとの注意書きの立札がありました。ここの岩は御神体ではなくあくまでも金比羅様が神様だということなのでしょう。10:01ころ。

017
▲アップダウンもさほどなく、穏やかな山道が続きます。10:11ころ。

024
▲S子のすぐ前に竹がかたまって生えています。九州では竹がこのようにまとまって生えているのをよく見かけます。地下茎が遠くへ広がらない種類だということは分かったのですが、名前までは分かりません。10:32ころ。

026
▲Mちゃんがキノコを見つけました。S子のザックに付けて家へ持って帰ります。霊芝(れいし)かどうかの同定は出来ませんが、とても似ていますよね。10:46ころ。

029
▲笹千里の駐車場です。11:08ころ。

033
▲だんだんとヤブツバキが多くなって来ました。花もたくさん咲いています。11:21ころ。

035
▲心地よい天気のもと、歩いています。前を行くMちゃん。11:25ころ。

040a
▲丸山直下の長く続く階段の山道。11:38ころ。

041
▲丸山391.9m山頂は展望所になっているのですが、この日はどんどん霞んでいって、ここからはほとんどどこも見えませんでした。休憩をして、出発するところです。12:04ころ。
このコースは人気があるようです。あちらこちらからのコースも多様で、山頂にも次々と登山者が到着します。

044
▲この辺りの登山道の両側には、この薄茶色でスルッとした木ばかりが多く生えていました。ヤブツバキだろうとは思うのですが、何故かこの辺りには花が見かけられません。でも、少し行くと花名板がありました。やっぱりヤブツバキです。12:19ころ。

047
▲ちょっと急な山道も出て来ます。12:29ころ。

048
▲観音岳473mに到着です。子供たちが大勢いて走り回っていました。写真の右に「小岱山」の山名標識がありますが、小岱山(しょうだいさん)というのは丸山、観音岳、筒ヶ岳などの山体を総称する名前のようです。あくまでもこの山頂は観音岳とした方がいいと思うのですが・・・・ 12:38ころ。

049
▲観音岳山頂は本当に広いです。野球だって出来そう。写真中央の岩の塔は、紀元二千六百年を記念して昭和十五年に建てられた石碑のようです。12:39ころ。

052
▲鎌倉時代の名僧・俊芿律師(しゅんじょうりっし)が宋で勉学の後、ここに観音堂を建てたことから観音岳と呼ばれるようになったとの言い伝えが残っているようです。その時代のものではないでしょうが、現在でも山頂には写真のような観音堂がありました。12:42ころ。
なお、山頂の下方には唐渡岩(からといわ)と呼ばれる巨岩があるのだそうですが、この岩は俊芿律師の徳を慕って中国から飛来したのだと言われているそうです。

059
▲観音岳にはあまりもの多くの人がいましたから、休憩せずに素通りしました。すると、この日初めての急下降です。12:55ころ。

061
▲今度はこの登り階段! 12:59ころ。

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▲今度は不動明王でしょうか? 13:05ころ。

066
▲筒ヶ岳のすぐ手前に、謂れのある巨岩がありました。説明は写真をクリックし、拡大して読んでみて下さい。13:13ころ。
筒ヶ岳城と出ていますが、人によるとここは熊本県下最大級の山城だとか。落城したのは秀吉の頃でしょうか? それとも家康の頃? だいたいその頃だと思います。
それなりの山城だったようですから、金貨財宝の伝説も残ったのでしょうね。

068
▲筒ヶ岳山頂です。安土桃山時代まではここにどのような山城が建っていたのでしょうか? 13:14ころ。
この筒ヶ岳は標高501m、小岱山の最高峰です。1247年、武蔵国(今の埼玉県)児玉党の小代氏(鎌倉幕府の御家人)がその戦功ゆえに野原荘地頭職を賜り、ここに城を築いたのだそうです。海軍力に長けていた小代氏は中国とも貿易をしていたそうですから、想像以上に開明的で栄えていたのかもしれませんね。小代氏の治世は340年余続いたのだそうです。

これで小岱山の主だった三峰(丸山、観音岳、筒ヶ岳)を登り終えましたから、小岱山の名前の由来について考えたいと思います。
・直前の文章から容易に想像できるように、小代(しょうだい)氏が筒ヶ岳に城を築いたことで、小岱山と呼ぶことに。
・観音岳に観音堂を建てたといわれる名僧・俊芿律師は中国で勉学して来たのですが、帰国途中に立ち寄った中国の泰山(たいざん)に似ているからそのように名付けた。
・小岱山の麓の町でもある荒尾市には「小岱山正法寺」というお寺があります。俊芿が創建したお寺で当時は筒ヶ岳の八合目付近にあったのだそうです。お寺の山号からも分かるように「岱山」とあります。岱山とは補陀落伝説のある中国は舟山群島にある島で舟山群島は観音信仰の聖地なのだそうです。それで、お寺の山号を「小岱山」とし、その山も小岱山と呼ぶようになった。
ネットで調べると、この3案が考えられるようです。熊本県のHPには2番目の由来が書かれているそうです。しかし、個人的には3番目の考え方に説得力がありますよね。

073
▲いよいよ下山です。ガイドブックには来たルートを忠実に戻るコースが載っていました。でも、同じところをまた歩くのはあまり好きではありません。というわけで、写真の標識にもあるように府本バス停へ降りることにしました。4キロしかないようですから、山道ですが、1時間半もあればバス停に到着するでしょう。13:51ころ。

074
▲山頂を少し降りるとすぐに、標識が現われました。左へ進む山腹を巻くような山道の標識は「観音岳」へとなっていましたから、あまり考えもせずに、「針の耳、平山」へ下って行く山道を選択しました。13:53ころ。
この選択は間違いだったのです。府本バス停には遠回りの下山道になってしまいましたが、結果的にはラッキーな下山道ともなったのでした。

078
▲途中、妙な木がありました。13:57ころ。
樹皮がボロボロと剥げ落ちそうな具合になっているのです。笹千里の駐車場の解説板にこの辺りにはポロポロノキという名前の落葉樹があると出ていました。この木の樹皮もポロポロと剥げ落ちそうですからこれに違いないと思いましたが、ネットで調べると違っていました。それによく見ると、この写真の木は常緑樹のようですよね。
アキニレ(でもこれは落葉樹)にも似ていますし、アカガシにも似ているようです。

090
▲分かり易い尾根道を下って行くと、「針の耳」という奇妙な名の岩が現われました。写真がそれなのですが、いったいどのように「針の耳」なのかが分かりません。14:16ころ。

091
▲上の写真の中央少し右に黒く三角の穴が開いています。この写真がそれなのですが、向こうが見えるほどの穴があいているのです。14:17ころ。
この「針の耳」とこの穴が「耳の穴」の意でつながっているのでしょうか? ネットで調べてもまったく由来については書かれていません。そうなると、想像するしかありませんが、この筒ヶ岳は山全体が城砦のようなものですから、「針の耳」はもともと「見張りの耳」だったのではないでしょうか? 下から攻めて来る敵の物音がこの岩の穴のそばにいるとよく聞こえていたのではないでしょうか? そんな想像をしてしまいます。

092
▲針の耳のそばにはこんな石仏もありました。14:19ころ。
右手に宝剣、左手には如意宝珠を持っていますから、虚空蔵菩薩なのでしょうか? この針の耳で修業をする人がいたのでしょうか?

093a
▲岩っぽい急下降が時々あります。Mちゃんは上手に下れるようになっています。14:29ころ。

095
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▲林道の針の耳登山口に降りて来ました。14:44ころ。
最初は林道を右へ行ってみました。右の道の方がわずかに下っていたからです。でも、どんどん北へ東へと向かい、西方向へは行く様子がありません。しばらくしてその間違いに気付き、再びここまで戻って来ました。そして今度は反対側へ林道を歩きます。最初は少し上り坂でしたが、そのうち下るようになります。基本的には山腹を巻いている林道なのですが、そのうちもっと標高を下げることでしょう。
どれくらい歩いたのでしょうか。10分とか20分ぐらいだと思います。林道脇に車が停めてあり、下山したばかりの様子の車の持ち主らしい登山者がいます。挨拶をし、会話を交わすと、「乗って行きませんか?」と言ってくれるではありませんか! 以前も登山者を乗せてあげたことがあるようです。「みんな、府本のバス停へ行くと言うんですけどね、バスの本数が少ないですから、下山する頃にはバスなんてないんですよ」とおっしゃいます。
助かりました。荒尾在住の方で、70歳前後の男の人。自宅に近いJRの駅まで送ってくれることになりました。感謝! 感謝!

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▲南荒尾駅まで送って下さいました。15:50ころ。
下り列車が15:58に来ます。ちょうどのタイミング。
熊本駅ではY子さん(Mちゃんのお母さん)が車で迎えに来てくれて、17時前には帰宅できました。

小岱山は登山者が多く、市民に愛されているいい山です。登山道も整備され、多くの登山口もあって、コースを変えながら何度でも歩ける山だと思いました。しかも、ネットで調べて分かったことですが、歴史との関わりも様々な形であるのですね。また訪れたいと思える山です。

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