ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

牛乳パックで小さな椅子を作りました

2013年06月28日 | 家庭の事象

2013/6/28  以前S子が作った牛乳パックの椅子が古くなったので、今度は僕が担当することに。同じものを作っても面白くないので、違ったものを作ろうと、ネットで調べて工夫してみました。S子は牛乳パックを四角いそのままで作っていたのですが、ネットでの主流は三角柱。さらに自分なりの工夫も加えて作ってみました。

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▲紙が重なっているかどを切り開きます。

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▲牛乳パックの底も切り進みます。

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▲左が牛乳パックの底だった方、右も左と同じになるように切ってしまいます。

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▲左右ともに切ったところ。

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▲紙が重なっていない方を少しだけ切り取っておいた方が綺麗に出来ます。

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▲薄いピンクの部分が切り離した紙です。

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▲四角い紙パックを三角にして止めておきます。

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▲上下の底もこんな風に止めておきます。そして、こんな三角柱を24個作っておくのです。僕も暇な時に少しずつ作っておいたのです。

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▲ネットで調べると、このように5つのまとまりと7つのまとまりを、それぞれふたつずつ作ります。それを合わせて六角形にするわけです。
でも、な~んか僕には気に入りません。この横長の構造を4つ合わせるというのが気に食わないのです。横長構造はあまり強くなさそうに思えませんか?

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▲というわけで、僕が採用した基本構造は三角柱6個分の六角柱。これならこの小さな六角柱だけでも構造的には強そうです。まあ、引っ込んだ箇所を三角柱2個で埋めるのは致し方ありませんね。

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▲これで、牛乳パックの椅子の出来上がり! あとはしっかりと固定するのと、見栄えを良くするのだけ。すぐバラバラになってしまうので、とりあえずベルトで縛っておきます。横長構造と違って、中心に向かって均等に力を加えることが可能です。

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▲布のガムテープでぐるぐる巻きにしています。

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▲底と同じ六角形の段ボールを2枚用意します。

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▲上下の底に、段ボールを貼り付けて完成! もっと完成度を高めようと思ったら、これを布できちっと包めば最高ですね。

S子は膝を痛めて正座が出来ませんから、この小さな椅子がけっこう重宝するようです。ちょっとした家事で役立つようですね。

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一日で二つの大滝を登攀しました!

2013年06月24日 | 沢登り/多摩川秋川盆堀川水系

2013/6/22  U田君から誘いの声があり、O橋君を加えて、大滝登攀の沢登りに行って来ました。目指すのは武蔵五日市駅からもさほどの距離ではない盆堀川の三郎ノ岩道窪と石津窪。そこにあるそれぞれ25mの大滝がターゲットです。

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▲U田君は寝坊したので電車ではなく車で来ていました。盆堀川支流の伝名沢出合広場に行くと、次々に車が到着します。一体何があるんだろうと聞くと「森林作業をするので、これからたくさん人が来て、バスも2台来ます」「車もここに停めていると、出られなくなりますよ」とのこと。U田君は駐車場所を求めて、結局は棡葉窪の近くまで戻って停めることになってしまいました。
帰宅して調べると、この辺りは「新宿の森・あきる野」と呼ぶようになっているようで、新宿区とあきる野市が「地域環境保全のための連携に関する協定に基づいて、森林の整備や自然学習、交流促進の場として活用する」のだそうです。
今日は植樹した広葉樹の下草刈りでもするのでしょうか? 9:00ころ。

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▲伝名沢を進みます。幾つか堰堤を越えると、三郎ノ岩道窪が出て来るはずなのですが。9:13ころ。

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▲確か、ここが三郎ノ岩道窪の出合のはず。9:21ころ。

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▲これが大滝です。9:26ころ。
実は僕はこの滝は3回目。そのうち一度はこの沢を下降しただけですから、大滝の登攀は2回目です。最初に登攀した時は、情報も乏しく、どのあたりを登るのかは知りませんでした。晩秋の頃だったせいでしょう、水流もほとんどなく、岩も乾いた部分が多かったので、滝の左下から取り付き、最初のテラスでハーケンを1本打ち、その上はほぼ水流沿いに登ったのです。この写真の上部5分の1あたりは60度前後のスラブ帯があります。下からはその広がりは見えません。そこに至り、進むことが出来なくなりました。何故なら、ホールドもスタンスも小さく、ハーケンを打ちこめるリスもなかったからです。クライムダウンすることもままならず、長い時間何も出来ずに立ち尽くすばかり。当時の僕の登攀能力(今もさほど変わりませんが)の4級+を越える5級+はあろうかと感じる困難さでした。足が疲労し、このままでは小さなスタンスに立ち続ける力さえなくなってしまいます。え~い、ままよと、最後の勇気を振り絞って、登りきりました。

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▲今日この大滝をリードするのはU田君。確保者はO橋君です。9:37ころ。
今は情報も得られるようになりました。ハーケンが打ってあるのは水流の右側です。

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▲出だしから嫌らしそうです。打ってあるはずのハーケンがなかなか見つからないようです。すでに数mは登っていますから、そろそろひとつ目のプロテクションを取らないと危険です。9:41ころ。

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▲U田君が今いるあたりが大滝登攀の核心部です。打ってあるハーケンがここでもなかなか見つかりません。プロテクションを取らないとこの先へ進む踏ん切りが精神的につきません。ここで墜落すると、グランドフォールしてしまうからです。ハーケンを打とうともしましたが、上手く打ちこめるリスが見つからないようです。9:51ころ。

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▲どうなることか、下でも緊張して眺めていましたが、「ハーケン見つかりました!」とのU田君の叫びが。「なんで見つけられなかったんだろう?」と、独り言も聞こえて来ます。あ~あ、やれやれです。見ている僕やO橋君もホッと胸を撫で下ろしました。10:07ころ。
そのプロテクションが彼の左足横に見えています。この写真ではすでに一段上に上がっていますが、先ほどまで立っていた場所の左上にあったのでした。

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▲ときおり陽も射す天気でした。この大滝にも陽が当たります。まあ、陽も当たるので草や苔も育ち、岩がぬめって登りにくくなるのですけれどね。
U田君はここでも苦労していました。さっきまでのところよりは易しいのですが、ハーケンが見つかりません。結局、足元にカムをセットしたようです。10:12ころ。

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▲最後の小さな垂壁を乗り越えます。10:27ころ。

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▲傾斜の落ちたスラブに出ました。右奥の灌木に確保支点を求めます。10:28ころ。

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▲セカンドで登るのはO橋君です。10:37ころ。U田君がこの1ピッチを登るのに、1時間弱かかったことになります。シビアな登攀でした。

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▲フォロウのO橋君も核心部にかかって来ます。フォロウだって大変です。10:45ころ。

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▲1ピッチ目の確保点です。11:16ころ。
U田君はこの登攀でかなり消耗したからでしょう、僕がフォロウして来ると「2ピッチ目をO橋君にリードさせてあげて」と言います。「今日は三郎ノ岩道窪だけでもう十分」と言った心持ちなんでしょう。僕は気楽なフォロウですから、「いやいや、まだ時間の余裕はあるから」と、やんわりと断ります。それに「2ピッチ目はO橋君にリードしてもらうほどのところじゃないよ、簡単だから」と言って、そのまま僕がリードしました。
前言撤回、易しくはありませんでした。昔の記憶ほど当てにならないことはありませんね。僕もルートは違えど1ピッチ目の困難さばかりが記憶に残って、2ピッチ目のことなんか忘却していたようです。フォロウの二人も、1ピッチ目の抜け殻状態で大変そうに登って来ました。

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▲大滝上には高さ数mクラスの小滝が連続してありました。各自好きなルートから勝手に登って進みます。12:13ころ。

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▲この滝はトイ状滝の手前にある5m。落ち口がツルツルでノーザイルでは登りたくないところ。僕とU田君は高巻きましたが、どうしても登りたいO橋君のため、ザイルを出しました。12:26ころ。

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▲トイ状を越えると滝はなくなります。適当な場所から左岸斜面を支尾根に向かって登ります。仕事道が出て来ました。12:44ころ。

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▲適当に下降していたせいでしょう。沢へ降り立ってしまいました。13:07ころ。
でも、何となく見覚えのある景色です。あ~あ! そうです。ここは棡葉窪の二俣!
下るべき支尾根はほぼ東方向へ下降すればよかったのですが、標高580m付近から少し北向きの尾根に入ってしまったようです。
でも、棡葉窪の二俣ならここから簡単に林道へ下りられます。意外とこちらの方が早かったのかもしれません。

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▲今日の天気予報は「午後、山間部ではにわか雨、雷もあるかもしれません」とのこと。それが的中して、棡葉窪出合から石津窪出合へと林道を歩いている間中、雷雨でした。たいした雨ではありませんでしたから、雨具も着ませんでしたけれど、気分爽快とはいきませんよね。写真は石津窪を遡行し始めてすぐのあたりです。14:29ころ。

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▲この2段の滝は登攀可能ですが、時間も押しているので省略。右側から高巻きしました。でも、その高巻きも思いのほか嫌らしい。14:38ころ。

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▲幅広の滝8m。難しくはありませんが、高さがあるのでザイルを出しました。リードはO橋君。14:55ころ。

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▲幅広の滝のすぐ上の滝です。5mほどの高さでしょうか? ピッチグレードは4級はあるでしょう。リードはU田君ですが、楽勝。15:09ころ。

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▲これが石津窪大滝25m。水量はこの時期としては少ない方かもしれませんね。ルートはふたつ。易しい一般ルートは水流右を20mほど進み、水流左に渡ります。最後は水流のすぐ左を直上するのです。暑い夏には気持ちのよいシャワークライミングルート! もうひとつは最後まで水流右を登るルート。濡れたくない時にはいいルートですが、難しいルート。僕は一般ルートしか登ったことはありませんでした。15:24ころ。

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▲O橋君のリードスタート。15:35ころ。

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▲O橋君が「寒~い!」と叫んでいます。「雨具を着た方がいいよ~っ」と。15:37ころ。

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▲一般ルートへ進むのなら、O橋君が今いるあたりから左へトラバースしなければなりません。全身びしょ濡れになるのは必定。どうするのでしょうね。15:42ころ。

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▲右直上ルートを選んだO橋君。今いるポイントがこのルートの核心部みたいです。苦労しています。プロテクションは取れているのですが、それでも上に登る踏ん切りがつかないようです。15:50ころ。

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▲「駄目かもしれません」と、O橋君が下に向かって声をかけます。最後に取っているプロテクションを支点に、負荷をなるべくかけずに下降し、U田君もしくは僕とリードを代わるという手はあります。でも、それは最後の手段。O橋君に登ってもらいたいと思っています。
下からひとつの提案。「そこのハーケンとかにシュリンゲをかけて、アブミのように少し高いスタンスを作ったら?」と。さっそく実行します。この写真がそれです。O橋君の右足が赤いシュリンゲを踏んで立ち込んでいます。16:01ころ。

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▲ほぼ登りきりました。やった~っ! 16:05ころ。

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▲セカンドで登るU田君も核心部へ。さすがに、フォロウは楽です。
天気も石津窪に入渓したころから持ち直し始めていましたが、大滝登攀の頃はほんの少しですが、日差しもあったりしました。16:18ころ。

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▲大滝登攀が終了し、下山することにしました。大滝の左岸に仕事道があったはずなので、それを探しながら大滝の左岸上部を目指します。仕事道はあるようなないような・・・・。ほとんど獣道程度の痕跡をつなげながら石津窪出合そばのガレ沢に出て、それを下って出合に戻りました。僕が大昔に愛用していた「東京周辺の沢」(草文社発行、昭和54年)には明確にその仕事道が記されています。僕も何度も歩いたことがあるのです。山仕事で使わなくなった仕事道はすぐに廃道化しますから無くなるのも仕方ありません。でも、ほぼ正しいルート取りはしたようですね。昔の仕事道も同じガレ沢付近に出て来ていますから。
写真は林道で装備解除終了し、歩き始めようとしている2人です。18:11ころ。

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▲夏至の翌日ですから、日は長いのです。石津窪を源流部まで遡行できませんでしたけれど、満足感はありますね。18:14ころ。

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▲棡葉窪出合そばに停めておいたU田君の愛車です。一台だけになっていました。18:50ころ。

車で五日市町の「音羽鮨」へ。ここが僕の行きつけのお店です。お寿司屋さんですが、何でもあります。僕たちは居酒屋さん風に活用させてもらっています。有り難いことに何ヶ月も前のボトルをそのままキープしてくれているのです。ひどい時には1年近くも。こんな僕のようなお客さんも大切に扱って下さり、感謝、感謝。それに驚くことに、キープしている焼酎は僕の愛酒「三岳」なんです。今日は水にも濡れているので、お湯割りで乾杯! 当然、U田君は飲めませんが。
U田君は翌日が27歳の誕生日でした。おめでと~う! ついでにO橋君は30歳。僕はと言うと、このブログ上では秘密です。でも、付き合ってくれる若者に感謝の年代ですね。

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長年敬遠して来た、期待度ゼロの沢へ・・・・

2013年06月20日 | 沢登り/多摩川・丹波川本流

2013/6/17  平日休みにS子と二人で沢登りへ。沢のガイドブックにルート図は掲載されているのに、まだ行ったことのない沢。交通の便もよく、技術的にもとても易しく、楽に日帰りできる沢。もうとっくに行っていて良さそうなものですが、行ったことのない沢があったのです。それがオオヤマト沢。
何故行かなかったかと言うと、ガイドブックに「堰堤とボサが多く、水が涸れるところまでワサビ田が続き、遡行の楽しさは少ない」とまとめてあるから。詳細を読むと、「ボサが沢筋を覆い、歩きにくい」「送水管が見え」「堰堤が連続する」「堰堤と堰堤の間はボサがかぶさって歩きにくい」「この沢は植林地の中を流れているようなものだ」「送水管が左岸にあり、せっかくの美観をそこねてしまっている」「放置されたままのワサビ田が次々と現われ、ボサが沢を覆って歩きにくい」「ワサビ田と沢との区別がつかず」・・・・
こんな表現が散りばめられている沢へはなかなか食指が伸びないものですよね?

それでも行くと決めてからは、二万五千図を眺め、ガイドブックを精読します。
あれっ? なんか変! 二万五千図とガイドブックのルート図とがしっくりと合致しません。

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▲二万五千図のオオヤマト沢に青い水線を入れてあります。この地形図を見る限り、どちらかと言えば右俣が本流です。流水域を比較しても右俣の方がほんの少しですが広く見えます。最奥までの距離も右俣の方が遠く、標高も右俣の方が60m高いのです!
普通の沢屋だったら、右俣に入ってそちらを紹介するはず・・・・?

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▲ところが、ルート図を見て下さい。(1:1)と記入されたところがありますよね。左右の水量の比が1:1と言うことですから、そこが二俣です。そこからは左に進んでいます。つまり、左俣に入っています。地形図からは右俣に入って当然。しかし、ルート図は左俣になっています。これは現場でその理由を調べてみるしかありません。
変だなぁ? と思った理由がもうひとつあります。ガイドブックにはこの沢の出合(入渓点)から終了点(登山道など)までの標高差が700mだとありました。地形図を見て下さい。出合は540m、右俣の終了点は1240mで標高差はちょうど700mです。左俣は標高差640mにしかなりません。誤差の範囲ではありません。これを書いた人物(宗像兵一氏)はやっぱり右俣を遡行したのではないでしょうか? ますます調べてみたくなりました。

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▲オオヤマト沢出合です。向こう側の橋は諸畑橋。その下を流れているのが丹波(たば)川です。少し下流の鴨沢あたりで多摩川あらため丹波川になるのです。「たま」も「たば」も、発音するとあまり違いはありませんから、狭い地域での方言のようなものだったんでしょう。10:03ころ。

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▲出合から山仕事用の道を拾いながら歩くことになるものと覚悟していましたが、沢らしい雰囲気が十分にあります。こんな立派な滝も・・・・! 10:14ころ。

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▲送水管のパイプがずう~っと続いています。パイプに耳を寄せて流れる水の音を聞こうとしましたが、聞こえませんでした。流れていないようです。10:20ころ。

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▲堰堤は確かに連続します。すべて左岸から越えました。10:38ころ。

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▲堰堤も繰り返し現れ、送水パイプも続いています。そのふたつに目をつぶれば、なかなか綺麗な沢ですね。10:43ころ。

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▲山仕事用の小屋跡です。この上流にもまだまだ堰堤は続きました。10:47ころ。

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▲11時前後に一回目の休憩を20分ほどとりました。再度歩き始め、標高640mで右岸から流入する支流を過ぎると、ワサビ田跡が出て来ます。11:23ころ。

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▲小滝や小ナメが連続するようになります。11:24ころ。

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▲気持ちいい沢歩きです。11:27ころ。

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▲植林もありますが、それ以上に広葉樹林が勝っています。確かに、左岸に設置されている送水パイプが美観を損ねているかもしれませんが・・・・ 11:32ころ。

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▲少しぬめる岩を慎重に越えて行くS子。11:33ころ。

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▲ここが二俣です。幾本もが束になって伸びている桂(多分)の木が印象的な場所。11:45ころ。
さ~て、どちらに行くべきか?
水量は左俣の方がわずかに多い。沢床の高さは見える範囲だけで言えば、左俣の方が低い。地形図なしで、この現状だけから判断するとしたら、右俣を選ぶか? 左俣を選ぶか?
と言う訳で、左俣を選びました。ガイドブックの遡行図を描いた宗像さんも、このように同様の判断を下したのだろうと。

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▲沢登りの最中は上記のように考えていました。
でも、家に帰ってよくよくルート図を眺めていると、(1:1)となっている二俣の上流に堰堤(=の記号)があります。左俣に入りましたが、堰堤はありませんでした。
ひとつ前の二俣の写真をよく見て下さい。桂の木の右奥から右俣が流下しているのですが、堰堤が見えますよね。背の低い堰堤があることは僕も現場で確認していたのです。
ということは・・・・・・・・

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▲こうなるのではないでしょうか? (1:1)の位置が誤って印刷されてしまったのでは?
やっぱり右俣を遡行していたのです。宗像さんは。

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▲左俣に入ると、ワサビ田跡が連続していました。11:53ころ。

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▲沢の右半分はワサビ田跡です。でも、荒れた感じはしません。水線通しに歩くのもワサビ田跡の平坦地を歩くのも自由です。11:59ころ。

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▲水は伏流しています。だんだん源流の様相になって来ました。12:10ころ。

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▲でも、再び水が現われました。12:43ころ。
2回目の休憩を12:15くらいから20分ほど取りました。標高820mあたりです。
もうこの頃になると、ルート図とはほとんど合致しないので、宗像さんが本当に左俣に入ったのか、疑いの気持ちが高まって来ていましたね。

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▲ルート図とは異なり、小滝やナメ滝がまだ現われるのは嬉しいことです。12:48ころ。

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▲宗像さんのルート図では高さ表示のある滝は2mが最高です。しかし、この滝は3mほどあるのでは? 12:54ころ。

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▲快適な沢歩きが続きます。12:57ころ。

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▲一歩一歩確実に、楽しみながら登ります。12:59ころ。

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▲小滝とは言え、こんなに多くの滝があるとは! 13:03ころ。

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▲ナメ滝ですが、高さは4mほどあります。13:09ころ。

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▲標高960m付近で“奥の二俣”になります。少し迷いましたが、まっすぐ左へ進むのが本流だと判断。すると、すぐにザレ場が出現しました。13:29ころ。

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▲少し進むと、今度は完全なガレ場になってしまいました。傾斜もありますから、S子には右岸の樹林帯を登ってもらうことに。13:36ころ。

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▲このガレ場の崩壊点です。標高は1030mあたり。崩壊の始まっている地点、もしくはその近辺から乗り上がろうとしたのですが、もろ過ぎて駄目でした。この写真を撮っている付近から左へと上がりました。13:39ころ。

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▲ガレ場を越えてからは、このような急登が続きます。素直な沢の詰め。ひたすら足の筋肉を酷使し続けます。登り続けるS子。14:01ころ。

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▲急登の途中でオトシブミ(左)を見つけました。右のは何だか知りません。「ご免ね」と謝りながら開いてみると、中はすでにもぬけの殻でした。ちょっとホッとします。14:05ころ。

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▲次第に傾斜がゆるんで来ました。左上に稜線が見えています。登山道もそこに通っています。14:16ころ。

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▲稜線到着です。14:21ころ。
ガイドブックの参考タイムが3時間40分。今日、S子は4時間20分で歩きました。休憩を2回とりましたから、ほぼ参考タイムと一緒です。

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▲ルート図の詰めの部分です。最後の分岐を左に行っているところまでは僕たちと一緒です。沢沿いに忠実に詰めると、このルート図では支尾根に詰め上げることになります。左俣へ入った僕たちは登山道に直接出ました。右俣へ入ったとしてもこのルート図通りになるかは不明ですが、やはり左俣ではなさそうです。

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▲装備解除を急いで、16:07のバスに乗ろうと思えば乗れないこともなかったと思います。でも、それではせわしないので、17:10のバスとし、超ゆっくりモードでの下山を選択しました。15:07ころ。
標高1000mを越えていますから、まだまだ新緑も明るくて鮮やかです。

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▲登山道脇にギンリョウソウ(銀竜草)が咲いていました。別名「ユウレイタケ(幽霊茸)」。15:13ころ。
小説の中で、「この花の下には死体が埋まっている」といった言い伝えが発端となって事件が展開していくストーリーがありましたが、それはどうやら間違いのようです。そればかりか、むかし学校で習った「ギンリョウソウは寄生植物」というのも違うみたいなのです。どうやら、菌類と共生(寄生?)している腐生植物という分類になっているようです。菌類を理解することは僕にはとても難しいので、この腐生植物というのも難しくて理解できそうにありませんね。

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▲大寺山山頂の仏舎利塔です。奥多摩湖からよく見えるあの白い塔ですね。15:37ころ。
この仏舎利塔は某日蓮宗系の団体が建てたもののようですが、この山にはそのもっと以前から寺院があり、生活の痕跡が今でも残っているのだとか。

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▲今日はあまり花には遭遇しませんでした。この山域に少ないのか、それともこの時期だからでしょうか? ただ、コアジサイだけはたくさん咲いていましたね。15:43ころ。

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▲大寺山から深山橋へ下る登山道は何回歩いてもあまり楽しい登山道ではありません。橋を渡った所がバス停です。16:58ころ。
ゆっくり歩いたせいでしょう。17:10がバスの時刻ですから、ゆっくりもしておれません。

バスで奥多摩駅へ行き、天益へ。ところが・・・・・

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▲あちゃ~~~っ!
本日休業とは! 残念! 17:44ころ。
悔やんでもせん無きことですから、気持ちを切り替えて拝島へ。そこで飲んで家路に着きました。
でも、チェーンの居酒屋さん! 芋焼酎のお湯割りを頼んだのですが、限りなくお湯に近かったですよ~っ! そこで二杯目は日本酒「沢ノ井」に。

今日はオオヤマト沢左俣を遡行しましたが、ルート図は右俣に違いありません。近いうちに右俣を訪れようと思います。
ボサもなく、ワサビ田もうるさいほどではなく、広葉樹林の美しい、佳い沢でした。沢歩きを楽しめる沢でした。宗像さんが遡行したのは1995年6月のこと。沢だって18年もたてばずいぶん変わるということです。この沢は佳い方向へ変貌していたので嬉しいですね。

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今年も河原から採って来ました――天鵞絨毛蕊花

2013年06月12日 | 家庭の事象

2013/6/12 昨日、多摩川河川敷公園のすぐ外、河原の端っこで天鵞絨毛蕊花を採って来ました。テーブルに飾っていますが、水吸いも良好で、朝には昨日はまだ硬い蕾だったのが花開いていました。

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▲多摩川の河原で咲いていた天鵞絨毛蕊花はまだ1mも伸びていませんでしたけれど、これからもっと伸びて、1.5~2mくらいにはなるのです。
ところで、この花の名前、何と読むかご存知ですか? 
「ビロードモウズイカ」です。
ビロードというのは葉っぱを触ってみると納得します。ビロードの手触りなのです。(もっとも、僕はびろーどに詳しくはありませんが、多分そうでしょう)
では、「毛蕊(モウズイ)」と言うのは何?

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▲「毛蕊」の「蕊」というのは雄しべと雌しべのことだそうです。その「蕊」に「毛」がいっぱい生えているので、「毛蕊」なのです。何とも理屈っぽい命名ですね。
うっすらと見える毛は写真をクリックし、拡大して見て下さいね。
帰化植物なのですが、開けた土地でしか繁殖しないので、他を押しのけて繁殖するような強さはないのだそうです。また、薬用としても古くから使われて来たようで、いろいろと効用があるようですね。

昨年のブログは http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/d/20120622 参照。

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今シーズンの沢初めを小中沢で

2013年06月06日 | 沢登り/多摩川本流

2013/6/1  例年ならばその年最初の沢登りを4月には行なっているものですが、今年はなにやかやで遅れに遅れ、6月に入ってしまいました。S子は山歩き自体がほぼ一ヶ月ぶりですから、易しい沢を選びました。
易しいとは言っても遡行したことのない沢ですから、ネットで調べた範囲でしか分かりません。ネットでの評価は「数メートルの小滝はあるけれど、ワサビ田とクモの巣だらけの沢でしかない」と言った評価。こんなマイナス評価も実際に行ってみないと僕自身がどのように感じるかは分からないものです。ただ、この沢を選んだ決め手は途中から中腹の林道へエスケープ可能という点でした。

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▲境橋バス停で下車し、境集落の方へ奥多摩むかし道を進むと、年代物の大きな橋梁が見えます。これは戦後、東京都の水瓶である小河内ダムを建設する時に氷川から水根へ資材運搬用に作られた鉄道路線です。1952年から5年半だけ使われたのだそうです。その後、水根までの営業路線として活用する案もあったそうなのですが、地質が不安定で安全運行が危ぶまれ、実現はしませんでした。8:53ころ。

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▲奥多摩むかし道が小中沢を横切る地点には立派なトイレが設置してあります。(上の写真)
道路横の広場で朝食を済ませ、沢支度をしました。そこから見えるのですが、支流出合にかかる25mほどの滝が見えます。正式名称かどうかは知りませんが、どうやら“不動上滝”と呼ばれている滝のようです。どうして“上滝”かと言うと、この下流、多摩川との出合に“不動滝”があり、その上流にある滝だからでしょう。9:59ころ。

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▲小滝が現われました。釜もあって、緑明るいこの季節は沢が美しいシーズンです。10:01ころ。
実は、僕とS子はずいぶん昔にこの小中沢に来たことがあります。いつかは忘れましたが、おそらく10数年以上前でしょう。しかし、こんな小さな滝の記憶すらありません。何故かと言えば、入渓してすぐに谷全体を埋め尽くす倒木に出くわしたからです。倒木と倒木の隙間をくぐり抜けながら進みました。しばらく進めば、倒木帯から抜け出せると予想していたからです。でも、まったく先が見えません。結局、ジャングルジムのような倒木帯の底から天辺に10m近くもあったでしょうか(ちょっと大袈裟ですが)! まさにジャングルジムを登るように、隙間をくぐるように登って行き、倒木帯の上に立ちました。その上流に延々と続く倒木帯を見て、遡行を諦めたと言う訳です。

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▲大きな釜を持つ滝が現われました。左のバンド状をへつっても行けそうですし、右壁を落ち口に向かって登ることも出来そうです。どちらにせよ、S子のためにザイルは出さなければなりません。左は中間支点が取りにくそうなので、右の方が良さそうです。水面から1mくらい登ってみましたが、大丈夫そうです。
ところが、S子が「時間がかかるから高巻こう」と言います。それも確かなので、今回は登らないことに。10:05ころ。

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▲水を送っているゴム管の下から高巻きました。ザイルを出していないので、高巻きにはくれぐれも用心が大事です。10:10ころ。

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▲さきほど境集落で見上げた鉄道路線が小中沢を横切っていました。10:22ころ。

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▲橋梁のすぐ上流から再びこのような渓流の様相です。10:23ころ。

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▲小さな沢でもこんなシーンがあると楽しめます。10:26ころ。

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▲先ほどから沢に沿って設置されていたゴム管の出発点がここ。取水口なのでしょう。10:35ころ。

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▲瀞が映す緑が美しいですね。10:36ころ。
滝の上には木の橋が見えます。仕事道です。

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▲2条の滝が現われました。右の流れを進むS子を岩の上から撮影しました。10:41ころ。

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▲ワサビ田はありますけれど、ワサビ田だらけというほどではありませんでした。奥多摩の沢にはもっとワサビ田が連続する沢はたくさんあります。手入れされていて現役のワサビ田が多いので沢自体が荒廃している印象はありませんでした。
写真の上部左にワサビ田が広がっているのですが、珍しいことに木で作製した樋を使って水を流し込んでいます。10:53ころ。

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▲沢の石の上に鳥の巣の残骸がありました。鳥の巣を誰かが取ってここに捨てたのでしょう。それとも、獣の仕業でしょうか? 11:11ころ。

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▲水線沿いにも登れそうでしたが、水を浴びてしまいそうなので、右の乾いた壁を登ることにしました。11:11ころ。

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▲念のため、S子にはザイルを出しました。11:24ころ。

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▲支沢から高さのある滝が流れ落ちていました。長い倒木が立てかけてありますけれど、誰かがそのあたりを登ったのでしょうか? 確かに登るとすれば倒木が立てかけてある辺りが易しそうです。11:34ころ。

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▲このような小滝が続きます。11:40と11:44ころ。

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▲水と緑の中を歩くだけで僕は満足なんです。11:51ころ。

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▲この滝は直登できないので、高巻きました。11:54ころ。

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▲こういう小滝でもどこを登ろうかとチャレンジするのが楽しいものです。どこを登ったっけ? 11:59ころ。

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▲いろんな形の滝があります。12:08ころ。

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▲左上の岩が倒れかかったのか、それとも下の岩が挟まったのでしょうか? 左に岩の穴が出来ています。12:50ころ。
二度目の休憩をした後でした。

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▲ひとつ前の写真の下部を左から右へ移動しているところです。岩に頭を押さえつけられるようで、体勢の取り方が難しい箇所。12:53ころ。

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▲沢の左岸のワサビ田跡に鉄のレールが出現しました。仕事用のモノレールです。13:08ころ。

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▲頭の上を朽ちかかった木橋が通ります。二万五千図の山道がこれなのかな、と思います。13:15ころ。
この先にはミニゴルジュがあるそうです。ミニゴルジュを越えたところからもエスケープ出来るようですが、今日のS子の調子から判断すると、この辺りから下山するのがいいと判断しました。

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▲木橋のすぐ横にはモノレール軌道も渡っています。このモノレールは最近になって奥多摩全域に次々作られています。増え過ぎたシカによる食害を防ぐために、森林を保全することが目的で作られているようです。13:22ころ。

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▲モノレールは途中で1本は沢へ向かいました。もう1本はこの植林帯を上がっていきます。写真の右端にレールが少し見えています。山道はしっかりと付いていました。13:27ころ。

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▲杉林の中で純白の花が咲いていました。ウツギです。漢字なら「空木」と書くことからも分かりますが、木の枝の断面が中空になっています。13:31ころ。

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▲静御前とその亡霊がともに舞う姿から「フタリシズカ」と名づけられました。その名の由来は最高にロマンチックですが、個人的には名前負けしているように感じます。二人ではなく、三人や四人のケースも多く見られますし、どちらかと言えば「三人かしまし」といった風情ですよね。13:32ころ。
もうひとつの「ヒトリシズカ」の方は花と葉に幽玄の雰囲気も感じられ、名前負けしていないように思ってますけれど。

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▲廃屋が見えて来ました。三ノ木戸(さぬきど)林道も間近なのでしょう。13:38ころ。
林道名ですが、林道にあった地図上では小中沢林道となっていました。でも、何となく三ノ木戸林道と、僕は呼んでいましたし、天益で地元の人に聞いても「もし呼ぶのなら三ノ木戸だなっ」といった雰囲気でした。

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▲林道の終点にぴったし飛び出しました。そこはモノレールの中継基地になっているようで、上へ下へ幾本ものレールが行き交っていました。13:45ころ。

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▲これがモノレールの車両です。人だけが乗ると、3人は楽勝でしょうか? レールをしっかりと噛んでいて、急な勾配でも安全です。13:47ころ。

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▲モンベルのサワーシューズロング。価格が6600円とリーズナブルなのと、沢用スパッツを兼用している点が長所です。短所は着脱の困難さ。最近やっと慣れて来て、足を攣らさずに出来るようになりました。S子はいまだに手こずっています。14:19ころ。

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▲右のピークは御前山1405.0m、中央は鞘口山1142m、その左が鋸山1109m、いちばん左の顕著なピークが天地山981mだと思います。14:20ころ。

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▲右端の天地山から始まって左へ、三角のピークは鍋割山1084m、その左下に歯の欠けた櫛のような山頂(写真をクリックして拡大すると分かるかな?)は御岳山929m、いちばん左のなだらかなピークは大塚山920.3mだと思います。14:21ころ。

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▲三ノ木戸林道を奥多摩駅へと歩き始めてすぐに、このような対岸斜面が見えて来ます。伐採跡に広葉樹を植えているようです。おそらく、ここの伐採の影響で10数年前の倒木帯が下流部に出来たのでしょう。14:37ころ。

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▲右の鋸山と左の天地山の間から大岳山1266.5mが山頂をのぞかせました。14:50ころ。

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▲スイカズラ。僕はこの花の甘い香りが好きです。ネットで調べると、漢字で「吸い葛」と書くそうです。僕は吸ったことがありませんが、吸うと蜜が甘いのだとか。今度吸ってみます。右の花は黄色っぽいですが、古くなるとだんだん黄色くなります。14:54ころ。

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▲これはヤマボウシ。ハナミズキなどの仲間です。白い花びらの様なのは「総苞」と言って、花びらではありません。ミズバショウやドクダミの白い部分も同じ。ヤマボウシは秋になると桃色の丸い実を付けます。柔らかくて口に含むと優しい甘みが広がります。15:02ころ。

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▲この花も僕が好きな花です。コアジサイと言います。ひとつひとつの花も小さくて、背丈も低い樹木。日本固有種なのだそうです。15:26ころ。

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▲羽黒三田神社です。15:29ころ。

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▲コアジサイがまた咲いていました。僕がこのコアジサイを好きな理由のひとつが、この青さです。白から薄青まで偏差はありますが、青い花が少ない中、この青さは貴重です。よく見ると、茎も青いんですね。15:33ころ。

沢初めなので無理をせず早めにエスケープして下山しました。小中沢は長さだけなら奥多摩でも長い方でしょうから、S子と遡行して六ッ石山まで行けるとは思っていませんでした。予定通りの三ノ木戸林道からの下山。
林道途中から天益に電話をし、席を確保しておきます。カウンターでは地元の人、青梅からしょっちゅう山歩きに来る人、関西から出張に来たついでに富士山登山のトレーニングに来た人など、話しが弾みました。

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