私的図書館

本好き人の365日

六月の本棚 2 『二十四の瞳』

2004-06-29 05:38:00 | 日々の出来事
たまに自分の涙もろさにイヤになる時があります。

小説を読んでボロボロ泣き。映画を観ては感動し。TVのドラマやドキュメンタリーでさえ涙がこぼれる。

なんだか年を重ねるごとにひどくなっているみたいなんです。
涙って、どうして流れるんでしょうね?

さて、今回は、そんな感激屋さんにはとってはとっても強敵。

壺井栄の『二十四の瞳』をご紹介します☆

「こんどのおなご先生は、洋服きとるど」
「こんどのおなご先生は、芋女とちがうど」

瀬戸内海に面した小さな村。
新米の女先生を、さっそくからかってやろうと待ち構えている子供たちの前を、ピカピカの自転車に乗った女の人がさっそうと駆け抜けていきます。

「おはよう!」

ぽかんとしてながめている上級生を尻目に、にこやかな挨拶を残して、新任の大石先生は風のように岬の分教場に急ぐのでした。

この新米教師の”おなご先生”こと大石先生と、一年生になったばかりの十二人の子供たちとの交流を、迫り来る「戦争」という時代の暗い影を背景に、生き生きと描き出したこの作品。
映画の方も有名なので、みなさんよくご存知なのではないでしょうか。

まず登場する子供たち、この子たちがいじらしくって、愛らしくって、とってもいいんです☆

学校から帰ればすぐに子守になり、畑や海で大人の手伝いをしなければならない彼等。
初めて子供たちに会った時、大石先生は決意します。

それぞれの個性に輝くこの子たちの瞳。
「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」

ケガをして学校を休んだ大石先生に会いに行くために、片道八キロの道に乗り出す子供たち☆
わらじが切れても、お腹が減っても、一銭も持たない子供たちは、ただただ我慢し、先生の家を目指すのですが、やっぱり涙がこぼれてきます。

家が豆腐屋で、質屋に奉公に出る岡田磯吉。
米屋の跡取り息子で、東京の大学に進学する竹下竹一。
気が小さくて写真をとられるのも怖がっていた徳田吉次。
兵隊に行って下士官になると息巻いていた網元の息子の森岡正。
落第して四年生をもう一度やった相沢仁太。
百合の花の弁当箱を泣いて欲しがった川本松江。
自分が勉強が得意でないことを知っていて、進学よりも裁縫の学校に行きたいといった西口ミサ子。
料理屋の娘で、歌が習いたいために何度も家出した香川マスノ。
旧家の娘なのに、貧しさのために身売りしなければならなかった木下富士子。
内気で口数も少ないが、作文にしっかり教師になりたいと書いた山石早苗。
勝気で口のへらない加部小ツル。
学ぶことが好きで勉強も出来るのに、女に生まれたというだけで進学をあきらめている片桐コトエ。

十二人の子供たちの境遇は様々ですが、その瞳は真っ直ぐ大石先生を見つめます。

治安維持法。
国家総動員法。
そして太平洋戦争。

子供たちにはどうすることもできない時代の大きな流れ。
やがて成長した岬の子供たちも、ある者は戦地で傷つき、ある者は病に倒れ、子を産み育て、畑を耕し、必死でその時代を生きようとします。

「くりかえし私は、戦争は人類に不幸をしかもたらさないということを、強調せずにはいられなかったのです」

戦争というものが、いかに弱いもの、貧しいものを虐げてきたかということを、激しい怒りと静かな文体で、作者壺井栄は訴えます。

「名誉の戦死など、しなさんな。生きてもどってくるのよ」

「先生だいじょうぶ、勝ってもどってくる」

月日が流れ、大石先生自身も「靖国の妻」となって戦争が終り、復職に選んだ赴任先は、あの岬の学校でした。
若き日に虹の橋を夢見た入り江を船で渡り、自転車で駆け抜けた道をゆっくりと登る。

ずいぶんと変わってしまった村の風景。
見知らぬ人々。
花さえ供えられぬ新しい墓標。
もう二度と見ることのない笑顔。

だけど、教室に入った大石先生の瞳に飛び込んできたのは、あの、十八年前と変わらぬ子供たちの、希望に満ちた顔でした☆

思わず涙ぐんだ大石先生にさっそくついたアダ名は「泣きみそ先生」♪

子供たちはいつの時代も、真っ直ぐに大人達を見つめています。
その瞳は、いつでも社会を写す鏡なのです。
はたして、今のこの時代は、子供たちの瞳にどう写っているのでしょう。

でも、どんな時代になろうと、私達は大石先生のように心に誓いたいものです。

「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」





壺井 栄  著
角川文庫

失われたものを求めて

2004-06-27 18:15:00 | 日々の出来事
うちの車は、大きな荷物を積む時など、荷室の上のカバーを取り外して積み込むことができます。

春先に荷物を運んだ時、このカバーを取り外したのですが、面倒くさくてそのままにしておいたんですね。

このところ日差しが強くなってきたので、そろそろ取り付けようかと思って、久しぶりに物置を見てみたんです。

ところが、置いておいたところにない。

気が付いてみると、物置がキチンと片付けられていてスッキリしている。
どうやら父親が、定年で退職してヒマなものだから、整理したらしいのです。

どこに置いたのか訊いてみるんだけれど、まずその部品を説明するのがひと苦労。
あーで、こーでと説明して、ようやく分かったみたい。
そして、一言。

「ああ、あれなら捨てた」

「…す、捨てた!?」(←ガ~ンとショックを受けている)

「いるのか?」

い、いるに決まってるじゃないか~*(汗)*
あまりのことにしばらく絶句。

「あ、待てよ、捨ててないかもしれないな」

「!」(←ちょっと復活している)

「燃えないゴミなんかには持っていってないし、どうしたかな…」

「うん、うん、それで?」(←かすかな希望がわいてきたので立ち直りかけている)

「ああ、そうだ!」

「うん?」(←期待に目が輝いている)

「埋めた」

「・・・う、埋、め、た?」(←体がボロボロくずれているところをご想像下さい)

…埋めたって言葉がよく理解できなかったけど、絶望的なことには気が付きました*(涙)*

どうやら石垣を組んだ時(ヒマなので父親は石垣の補修を一人でしていたのです)、あいた隙間に不用品を詰め込んだらしい。
その中に哀れその部品も含まれていたらしいのです。

い、一万円もする部品なのに~!!
なんてことするんだ!!

いまさら掘り返すわけにもいかず、諦めて新品を注文しました。
えらい出費だ~*(汗)*

それにしても、埋めたはないよな、埋めたってのは。
お店の人に「壊れたの?」って訊かれて、思わず「捨てられちゃって…」と言って笑って誤魔化しました。

説明する自信がなかったんです。
説明できないですよね~

六月の本棚 3 『母さん、ぼくは生きてます』

2004-06-27 16:59:00 | 日々の出来事
戦乱のアフガニスタンから、母を残して命からがらたどり着いた希望の国ニッポン。
しかし、待ち受けていたのは、信じられないような冷たい運命だった…

今回ご紹介するのは、過酷な運命の中で今も必死に生きるアフガニスタンの青年、アリ・ジャンの本。

『母さん、ぼくは生きてます』です。

アリ・ジャンは1982年生まれ。
アフガニスタンはヒンズクーシー山脈のふもとで五人兄弟(兄2人、姉2人)の末っ子として育ち、小学生の時に首都のカブールに引っ越します。
アリ・ジャンが中学生の時、タリバンがアフガニスタン全土を制圧。
過激なイスラム原理主義による支配が始まります。
その後、兄2人はタリバンの手を逃れるためにカブールを離れますが、父親は逮捕され投獄されてしまいます。

「あなただけでも生き延びるのよ」

母の言葉を胸に、母と姉達を残し、隣国パキスタンに一人渡るアリ・ジャン。
その地で長兄がタリバンに拘束されたこと、そして自分にも逮捕状が出ていることを知った彼は、安全な国、日本へと旅立ちます。

戦争がない国、日本。
あした食べるものにも困ることなく、自由に勉強できるすばらしい国。

日本に行って、一生懸命勉強しよう。
そして戦争が終わったら故郷に戻ろう。
また母さんや姉さん達と一緒に暮らそう。

不安と希望を胸に成田空港に降り立ったアリ・ジャン。
しかし、彼を待ち受けていたのは、あまりにも、あまりにも厳しい日本の法律の壁でした…

この本を読んだ時ショックでした。
自分の国でこんなことが行われているなんて知らなかった。

空港を一歩も出ることなく、七ヶ月もの間、閉じ込められた生活を余儀なくされるアリ・ジャン。

いつ出られるのか、何年ここにいなくてはならないのかわからない不安。
狭い部屋で様々な国の人と暮らす不自由さ。

そんな中、アメリカで同時多発テロが起こり、数週間後、アメリカ軍による首都カブールへの空襲が始まります。

「あなたは難民ではありません」

「この国から出て行きなさい」

平和で、戦争がなくて、美しい国、ニッポン。
親切な人がたくさん住んでいる国、ニッポン。

そのニッポンという国が、アリ・ジャンに突きつけた通告は、あまりにも冷たいものでした。

家族のいるアフガニスタンの状況は日々悪化し、犯罪者でもないのに、手錠をかけられたり、自由のない収容所生活に、精神的に追い詰められたアリ・ジャンは、入管職員の一瞬のスキに、散髪用のハサミをつかんで、自分の体に突き立ててしまいます。

「あなただけでも生き延びて」

世界中で道を作ったり、日本のすぐれた技術を現地の人に教えたする、NGOの人道支援活動を見てきた人々は、日本の国そのものがやさしくて人道的な国だと信じていた。
それなのに、日本の難民に対する政策は、厳しすぎる。

アリ・ジャン達を助けるために、東奔西走する弁護士の先生達や、ボランティアの人々の姿には頭が下がります。

自分のことで精一杯の今の自分の生活。
アリ・ジャンに比べれば、恵まれた環境にいるにも関らず、逆にアリ・ジャンに教えられてしまいました。

なぜ、こんな人々を、日本という国は受け入れることが出来ないのでしょう。

戦争は、もう日本でも始まっているのです。
他人事では済まされないほど身近に…

仮釈放という形だけれど、なんとか外に出られたアリ・ジャンは、多くの人の骨折りで学校にも通えるようになり、いつの日か家族に再会できることを夢見て、頑張っています。

自分の無関心さに、恥じ入ると共に、多くの人々に、いま彼等の置かれている状況を知ってもらいたい。
そんな気持ちで読み終えました。

「たいへんなのは僕だけではありません」

この青年の言葉を、一人でも多くの人に…



「アッラサーム・アコイラム」

~あなたに平安がありますように~





アリ・ジャン  著
池田 香代子  監修
マガジンハウス

〈絵・アフガニスタン難民の子ども達〉

六月の名言集より

2004-06-23 22:38:00 | 日々の出来事
人が聞いたら、吹き出して笑って了(しま)うようなことでも、その中に、一かけらの幸福でも含まれているとしたら、その一かけらの幸福を自分の体のぐるりに張りめぐらして、私は生きていく。

幸福のかけらは、幾つでもある。

ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。

幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っている。

不幸は、実は本当の不幸ではない。

不幸だ、とその人が思っているだけのことだからである。




           ―宇野千代「生きて行く私」―


「ファインディング・ニモ」

2004-06-22 22:42:00 | 日々の出来事
DVD観ました☆

映画館では観られなかったので、発売を楽しみにしていたんです。

やっぱりよかった~♪

映像はキレイだし。
ニモはカワイイし。
お父さんは諦めないし。
海は広いな大きなって感じです☆

見所はめ~いっぱいあります。
サンゴ礁に沈没船にクラゲの群れ。
クジラにサメに、ウミガメ達!
爆発にカモメに歯医者に水槽♪

ディズニー独特のアクションにユーモア☆

ウミガメのお父さんが、子ガメが海流から外れてしまっても、「どうするか見てみよう」と見守るシーンがとっても印象的。
うまく乗り切った息子をいっぱいほめてあげるのもいいですね☆

そう、この映画のテーマはズバリ「親と子」!

ニモの成長と、お父さんの変化が一番の見所じゃないでしょうか。

甥っ子二人と観たので、あまりじっくりとは見れなかったのですが、わざわざ名古屋から見てもらいたくてDVDをもって来てくれた甥っ子に「面白かった。ありがとうね」とお礼を言っときました。

四歳の甥っ子は満足そうに「うん☆」とうなずいていました。

ニモよりカワイイと思うのは、あまりにも身内びいきでしょうか(笑)


教えられました…

2004-06-21 00:36:00 | 日々の出来事
車の整備のために、四歳の甥っ子を連れて、車屋さんに行って来ました。

お店には、親子連れのための子供の遊べるスペースがあって、ビデオを見たり、オモチャで遊んだりできるのです。

初めは私も一緒に遊んでいたのですが、そのうち他の子供たちと一緒にビデオに集中しだしたので、子供たちだけにしてみました。

初めて一人でお守りを任されたので、心配でしょっちゅう子供たちの様子をのぞいていたのですが、こんなに気を使うとは思いませんでした*(汗)*

泣きはしないか、他の子とケンカしないかと、もうハラハラ。
でも他のお母さん達は、そんな様子もなくテーブルでおしゃべりに夢中なんです。
子供に呼ばれない限りけっこうほったらかし。

その姿に妙に感心してしまいました。

子供はそんなに大人が干渉しなくても、けっこううまくやっていくものなんですね。
自分で考え、自分でくふうして遊んでいる。

そうか、私はしょせん預かりものとして甥っ子を見ていただけで、育児とは違うんだ。

そんな感想を持ちました。

大人だから我慢して子供に付き合うことの多かった自分にちょっと反省。
子供が困った時にだけ手を差し伸べる程度にして、あとは子供自身にまかせることにしました。

子供にはほんと、教えてもらうことが多くて、付き合っていて面白いですね☆


捨て去れないもの

2004-06-20 23:12:00 | 日々の出来事
肉体は日々衰えていく。

命は削られ、死が近づいてくる。

私は、そこに、ある。

知っている、けど、ただそれだけ。

なんの役にも立ちそうにない。

私は知ってしまった。

ああ、次の言葉はあまりにも恐れおおい。

文字にできない。

私にはおこがましい。

…少女が笑いながら振り返る。
夏の昼間。緑の別荘。
庭で少女は笑いながら拳銃で自分の頭を撃ち抜く。

あれは私なのだ。

私の頭でなくてはならない。

そうあるはずだ。

彼女もまた知っていたのだろうか。

何を?

私と同じ?

それは永久にわからないようで、知っていなくてもいけない。

彼女は立ち上がる。

何事もなかったかのように微笑んでいる。

しかし私は知っているはずだ。

彼女は、死んだのだった。



            1999.9.9.

と、いうような文章を日記の中に見つけました*(汗)*

時々自分で自分がわからなくなります。(イヤ、変な意味じゃなくてね)
なんでこんなこと書いているんだろう?
意味わかんないし、日本語も変*(涙)*

あえて意味を見つけるなら、きっと何かに傷ついて、自分の中のなにかが死んでしまったような喪失感に襲われたんでしょう。
ま、よくあることです。

たまに昔の日記を読むのもいいもんです。
こっぱずかしいけど、初心に帰るというか。
いや、あの頃の経験なんて一度で充分かな。
成長するっていうことは、ほんと、傷つき苦労することのほうが多いですからね☆


血液型って…

2004-06-19 23:55:00 | 日々の出来事
仕事ばっかりやっていられるか!

ということで、め~いっぱい詰った仕事をさっさと切り上げて、きっぱり定時で帰ってきました。

残業続きだったのと、変化のない日常に、ちょっと疲れてきていたので、思い切って気分転換です。

たまには生きる力を養わないと☆

かといって、飲みに行ったり遊んだりするわけでもなく、本屋さんで立ち読みしたり、マクドナルドでドライブスルーする程度の地味な気分転換で満足してしまうのだから、ほんとお金のかからない男です♪

ま、この程度が身の丈に合っているんですけどね☆

本屋に寄ったついでに何冊か買ってきました。
まずは、アフガニスタンから日本に逃れて来た青年。
アリ・ジャン著「母さん、ぼくは生きてます」

アフガニスタンの人々を身近に感じることが出来ると同時に、日本の難民政策について考えさせられる一冊です。

つづいては加藤諦三の「やさしさと冷たさの心理」という本。

いわゆる”癒し”系になるのかな?
生きることが楽になる…という文句に、ついつい手に取ってしまいました。

普段は決してこんな本に頼ったりはしないのですが、なぜだか今日はちょっと癒しが必要な気分。

つづいて能見俊賢の「血液型 怖いくらい性格がわかる本」☆

心理学の本に血液型で性格判断…
多分悩んでるんですよ、人間関係に(笑)

最後はE・D・ベイカーの「カエルになったお姫様」

おとぎ話によく出てくるカエルになった王子様。
お姫様のキスで元に戻るはずが、お姫様もカエルになっちゃった!?

おっちょこちょいのお姫様と見栄っぱりな王子様がカエルの姿で冒険の旅へ!

こういう話大好きなんですよ♪
可笑しくって楽しくって無邪気に笑える物語。
疲れた時に食べる甘い物みたいに、心が落ち着くんです。

血液型は、昔くわしい友達がいてかなり盛り上がりました。
最近は韓国やヨーロッパでも知られるようになってきたみたいですね。
統計学みたいなところもありますが、当たっているのかな?

AB型は「ナイーブ」で「クール」で「ロマンチスト」?

でも食いしん坊で過去や未来にこだわらず、土産物を買わないといったところは当たっているかな。
他人との違和感は強いな。
確かに生きることへの執着は少ないかも。
欲望や執着心が強くないぶん、あせらず飄々と人生を楽しむタイプ?
私生活は気ままで、根気に欠ける面も?

う~ん、当たっているような気もするな。

自分以外の血液型も、友達や家族、会社の上司なんかを当てはめてみるとけっこう笑えます☆

心理学と血液型。
こんなので乗り切れるほど、単純な社会でもないんですけどね。

蛍のひかり

2004-06-19 23:20:00 | 日々の出来事
近くの小川で蛍が見えるということで、この季節になると多くの人が訪れます。

我が家では庭先で見ることが出来るので、わざわざ見に行ったことはなかったのですが、父親の話だと観光バスも来ていたとのこと。

せっかく来てもらったのに、雨が降り出してしまって残念。

子供の頃は、そこらじゅうにいて、家の中に入ってくるのが邪魔なくらいだったのに、いつのまにかわざわざ見に来る人がいるっていうのだから、環境破壊も深刻なのかも。

今日、久しぶりに里帰りした妹が、二人の小さな息子に、
「トトロの世界にやって来たよ」
と説明していました。

…喜んでいいのか?

たまに来るだけならともかく、ずっと暮らしている身にとってはなんとなく複雑な心境でした*(汗)*


巣立ちの日

2004-06-15 22:45:00 | 日々の出来事
今日、ツバメの子が巣から初めて飛び立ちました☆

ず~と眺めていたらしい、うちの両親によると、ぎこちなく、あっちこっちに飛び移った後、なんとか飛び立ったそうです。

いや~よかった、よかった♪

はたから見ていても大きくなりすぎて、今にも巣からこぼれ落ちそうだった子供たち。
三羽とも元気に巣立ちの日を向かえそう。

あんなに小さな卵だったのに、ほんと、アッという間に大きくなったもんです。

来年戻って来てくれるかな?


六月の本棚 『アンネの日記』

2004-06-11 03:05:00 | 日々の出来事
「戦争のもたらす最大の悪は、それは、人間性の堕落である」

1944年。
ドイツ占領下のポーランドはアウシュヴィッツ収容所。
雨のなか、ガス室に入る順番を待たされているハンガリー人の子ども達を見て、涙を流しているひとりの少女がいました。

大人達が皆、そんな日常的な風景には見向きもしなくなっているその収容所で、少女は、自身痩せ衰えた姿で「見て、ねえ、見て、あの子たちの目…」と言って、その子たちのために、ずっと、泣いているのでした…

さて、今回ご紹介する本は、1947年に出版されて以来、多くの国々の言葉に翻訳され、多くの人々に読み継がれてきた…

アンネ・フランクの『アンネの日記』です。

「ユダヤ人でも、ユダヤ人でなくても、とにかくだれかが、わたしのことを理解してくれるだろうか―」

第二次世界大戦。
ヒトラー率いるナチスドイツは、ドイツ民族の優越性を説き、主にユダヤ人に対して狂気の沙汰としか思えない迫害、弾圧、民族の絶滅を遂行しました。
殺害されたユダヤ人の数は六百万人ともいわれています。

日本はイタリアと共に、ナチスドイツと同盟を結び、その結果は、皆さんご存知のとおりです。

この日記の著者、ユダヤ人であるアンネの一家は、この迫害から逃れるため、ドイツのフランクフルトからオランダのアムステルダムに移り、さらにオランダに侵攻してきたドイツ軍から身を守るために、《隠れ家》と呼ばれる秘密の部屋での、息をひそめた生活を余儀なくされます。

この日記は、そんな異常な環境にありながら、十三歳の誕生日から、日記の途切れる十五歳までの二年間に、アンネが聞き、体験し、そのつど考えたことを書き記した真実の記録です。

題名だけは聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。

私も学生の頃は、ユダヤ人迫害や、第二次大戦などと聞いて、ずっと敬遠していました。
学校の薦める本って、退屈なものが多いじゃないですか。
それに、歴史といわれても教科書の中だけで、当時としては全然実感が伴っていなかったし。

ところが、これが「面白い」んです☆

内容が内容だけに、こんな表現が適当かどうかわかりませんが、ほんと、「読ませて」くれます。

十三歳の女の子の好奇心の前には、戦争だってその想像力を止めることは出来ません!

友達のこと、両親のこと、《隠れ家》での生活や、一緒にそこで暮らす人々の様子。
自分の体の変化や、もちろん男の子のことだって、アンネは懸命に考え、悩み、自分の将来の展望について、じっくりと計画を練っていきます。
さすがはドイツ生まれ。
実質剛健。
しっかり者の両親の血をちゃんと受け継いでいます。

食糧事情が悪くなってもアンネはこう書きます。

「うちじゅうが家鳴り振動するようなすごい喧嘩つづき!
みんなが他のみんなに腹を立てています。すてきな雰囲気でしょう?」
「減量したい人は、どなたも我が《隠れ家》にどうぞ!」

貧しい食事でも、しばしば楽しい、と書くアンネ。

初めて男の子にキスされたり。
その子を堕落させているのは自分ではないかと悩んだり。
はては、若者を向上させるために、どうしたら”安易”な道から連れ戻すことができるかしらと、考えるアンネ。

時に自分の性格を分析し、反省する鋭い洞察力も持っています。

心と体が成長するに従い、彼女のたぐいまれな崇高な精神が文章のいたるところに顔を出してきて、十三才とは思えないくらい。
そのくせ好奇心たっぷりのアンネの性格は、その率直な書き方(なにせ日記ですから)と相まって、よりいっそうアンネ・フランクの、そして人間という生命の魅力を引き出してくれています。

「勇気を持つこと!
神様はけっしてわたしたちユダヤ人を見捨てられたことはない」

連合軍の上陸が始まり、戦況の変化に一喜一憂する《隠れ家》の住民。

けっして絶望することのないアンネは、《隠れ家》の生活でさえ、危険だけれど、ロマンチィックでおもしろい冒険だと日記に書きます。

秘密警察の目を誤魔化すことも、生活の上でのすべての不自由さも、日記の中ではユーモアまじりに書き、どんな危険なときにも、そのユーモラスな面を見つけて笑えるようにしようとするアンネ。

しかし、そんなアンネの希望にも、過酷な運命が影を差します。

「はたしてわたしは、なにか偉大なものが書けるでしょうか。いつかジャーナリストか作家になれるものでしょうか。そうなりたい。ぜひ、そうなりたい」

「もっと広い世界を見て、胸の躍るようなことをなんでもしてみたい」

1944年8月1日、火曜日。
アンネ・フランクの日記はその日付を最後に終っています。

三日後、《隠れ家》は密告により発見され、アンネ一家はオランダからアウシュヴィッツに移送されてしまうのです。

ソ連軍の迫る中、その後、両親と離れ離れにされたアンネは、姉のマルゴットと共に、アウシュヴィッツからドイツのベルゼンへ送られ、そこでマルゴットが病気にかかって死んだ後、1945年の二月の終りから三月のはじめに、アンネ・フランクもまた、亡くなったものと思われます。

そしてその二ヶ月後、ドイツは無条件降伏するのです。

その時、アンネ・フランクはまだ十六才にもなっていませんでした。



「いったい全体、こんな戦争をしてなにになるのだろう。

 なぜ人間はおたがいに仲よく暮らせないのだろう。

 なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう」



私達は、いつになったら、このアンネの疑問に答えてあげることができるのでしょうか…





アンネ・フランク  著
深町 眞理子  訳
文春文庫