私的図書館

本好き人の365日

六月の本棚 2 『二十四の瞳』

2004-06-29 05:38:00 | 日々の出来事
たまに自分の涙もろさにイヤになる時があります。

小説を読んでボロボロ泣き。映画を観ては感動し。TVのドラマやドキュメンタリーでさえ涙がこぼれる。

なんだか年を重ねるごとにひどくなっているみたいなんです。
涙って、どうして流れるんでしょうね?

さて、今回は、そんな感激屋さんにはとってはとっても強敵。

壺井栄の『二十四の瞳』をご紹介します☆

「こんどのおなご先生は、洋服きとるど」
「こんどのおなご先生は、芋女とちがうど」

瀬戸内海に面した小さな村。
新米の女先生を、さっそくからかってやろうと待ち構えている子供たちの前を、ピカピカの自転車に乗った女の人がさっそうと駆け抜けていきます。

「おはよう!」

ぽかんとしてながめている上級生を尻目に、にこやかな挨拶を残して、新任の大石先生は風のように岬の分教場に急ぐのでした。

この新米教師の”おなご先生”こと大石先生と、一年生になったばかりの十二人の子供たちとの交流を、迫り来る「戦争」という時代の暗い影を背景に、生き生きと描き出したこの作品。
映画の方も有名なので、みなさんよくご存知なのではないでしょうか。

まず登場する子供たち、この子たちがいじらしくって、愛らしくって、とってもいいんです☆

学校から帰ればすぐに子守になり、畑や海で大人の手伝いをしなければならない彼等。
初めて子供たちに会った時、大石先生は決意します。

それぞれの個性に輝くこの子たちの瞳。
「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」

ケガをして学校を休んだ大石先生に会いに行くために、片道八キロの道に乗り出す子供たち☆
わらじが切れても、お腹が減っても、一銭も持たない子供たちは、ただただ我慢し、先生の家を目指すのですが、やっぱり涙がこぼれてきます。

家が豆腐屋で、質屋に奉公に出る岡田磯吉。
米屋の跡取り息子で、東京の大学に進学する竹下竹一。
気が小さくて写真をとられるのも怖がっていた徳田吉次。
兵隊に行って下士官になると息巻いていた網元の息子の森岡正。
落第して四年生をもう一度やった相沢仁太。
百合の花の弁当箱を泣いて欲しがった川本松江。
自分が勉強が得意でないことを知っていて、進学よりも裁縫の学校に行きたいといった西口ミサ子。
料理屋の娘で、歌が習いたいために何度も家出した香川マスノ。
旧家の娘なのに、貧しさのために身売りしなければならなかった木下富士子。
内気で口数も少ないが、作文にしっかり教師になりたいと書いた山石早苗。
勝気で口のへらない加部小ツル。
学ぶことが好きで勉強も出来るのに、女に生まれたというだけで進学をあきらめている片桐コトエ。

十二人の子供たちの境遇は様々ですが、その瞳は真っ直ぐ大石先生を見つめます。

治安維持法。
国家総動員法。
そして太平洋戦争。

子供たちにはどうすることもできない時代の大きな流れ。
やがて成長した岬の子供たちも、ある者は戦地で傷つき、ある者は病に倒れ、子を産み育て、畑を耕し、必死でその時代を生きようとします。

「くりかえし私は、戦争は人類に不幸をしかもたらさないということを、強調せずにはいられなかったのです」

戦争というものが、いかに弱いもの、貧しいものを虐げてきたかということを、激しい怒りと静かな文体で、作者壺井栄は訴えます。

「名誉の戦死など、しなさんな。生きてもどってくるのよ」

「先生だいじょうぶ、勝ってもどってくる」

月日が流れ、大石先生自身も「靖国の妻」となって戦争が終り、復職に選んだ赴任先は、あの岬の学校でした。
若き日に虹の橋を夢見た入り江を船で渡り、自転車で駆け抜けた道をゆっくりと登る。

ずいぶんと変わってしまった村の風景。
見知らぬ人々。
花さえ供えられぬ新しい墓標。
もう二度と見ることのない笑顔。

だけど、教室に入った大石先生の瞳に飛び込んできたのは、あの、十八年前と変わらぬ子供たちの、希望に満ちた顔でした☆

思わず涙ぐんだ大石先生にさっそくついたアダ名は「泣きみそ先生」♪

子供たちはいつの時代も、真っ直ぐに大人達を見つめています。
その瞳は、いつでも社会を写す鏡なのです。
はたして、今のこの時代は、子供たちの瞳にどう写っているのでしょう。

でも、どんな時代になろうと、私達は大石先生のように心に誓いたいものです。

「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」





壺井 栄  著
角川文庫

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