私的図書館

本好き人の365日

六月の本棚 『アンネの日記』

2004-06-11 03:05:00 | 日々の出来事
「戦争のもたらす最大の悪は、それは、人間性の堕落である」

1944年。
ドイツ占領下のポーランドはアウシュヴィッツ収容所。
雨のなか、ガス室に入る順番を待たされているハンガリー人の子ども達を見て、涙を流しているひとりの少女がいました。

大人達が皆、そんな日常的な風景には見向きもしなくなっているその収容所で、少女は、自身痩せ衰えた姿で「見て、ねえ、見て、あの子たちの目…」と言って、その子たちのために、ずっと、泣いているのでした…

さて、今回ご紹介する本は、1947年に出版されて以来、多くの国々の言葉に翻訳され、多くの人々に読み継がれてきた…

アンネ・フランクの『アンネの日記』です。

「ユダヤ人でも、ユダヤ人でなくても、とにかくだれかが、わたしのことを理解してくれるだろうか―」

第二次世界大戦。
ヒトラー率いるナチスドイツは、ドイツ民族の優越性を説き、主にユダヤ人に対して狂気の沙汰としか思えない迫害、弾圧、民族の絶滅を遂行しました。
殺害されたユダヤ人の数は六百万人ともいわれています。

日本はイタリアと共に、ナチスドイツと同盟を結び、その結果は、皆さんご存知のとおりです。

この日記の著者、ユダヤ人であるアンネの一家は、この迫害から逃れるため、ドイツのフランクフルトからオランダのアムステルダムに移り、さらにオランダに侵攻してきたドイツ軍から身を守るために、《隠れ家》と呼ばれる秘密の部屋での、息をひそめた生活を余儀なくされます。

この日記は、そんな異常な環境にありながら、十三歳の誕生日から、日記の途切れる十五歳までの二年間に、アンネが聞き、体験し、そのつど考えたことを書き記した真実の記録です。

題名だけは聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。

私も学生の頃は、ユダヤ人迫害や、第二次大戦などと聞いて、ずっと敬遠していました。
学校の薦める本って、退屈なものが多いじゃないですか。
それに、歴史といわれても教科書の中だけで、当時としては全然実感が伴っていなかったし。

ところが、これが「面白い」んです☆

内容が内容だけに、こんな表現が適当かどうかわかりませんが、ほんと、「読ませて」くれます。

十三歳の女の子の好奇心の前には、戦争だってその想像力を止めることは出来ません!

友達のこと、両親のこと、《隠れ家》での生活や、一緒にそこで暮らす人々の様子。
自分の体の変化や、もちろん男の子のことだって、アンネは懸命に考え、悩み、自分の将来の展望について、じっくりと計画を練っていきます。
さすがはドイツ生まれ。
実質剛健。
しっかり者の両親の血をちゃんと受け継いでいます。

食糧事情が悪くなってもアンネはこう書きます。

「うちじゅうが家鳴り振動するようなすごい喧嘩つづき!
みんなが他のみんなに腹を立てています。すてきな雰囲気でしょう?」
「減量したい人は、どなたも我が《隠れ家》にどうぞ!」

貧しい食事でも、しばしば楽しい、と書くアンネ。

初めて男の子にキスされたり。
その子を堕落させているのは自分ではないかと悩んだり。
はては、若者を向上させるために、どうしたら”安易”な道から連れ戻すことができるかしらと、考えるアンネ。

時に自分の性格を分析し、反省する鋭い洞察力も持っています。

心と体が成長するに従い、彼女のたぐいまれな崇高な精神が文章のいたるところに顔を出してきて、十三才とは思えないくらい。
そのくせ好奇心たっぷりのアンネの性格は、その率直な書き方(なにせ日記ですから)と相まって、よりいっそうアンネ・フランクの、そして人間という生命の魅力を引き出してくれています。

「勇気を持つこと!
神様はけっしてわたしたちユダヤ人を見捨てられたことはない」

連合軍の上陸が始まり、戦況の変化に一喜一憂する《隠れ家》の住民。

けっして絶望することのないアンネは、《隠れ家》の生活でさえ、危険だけれど、ロマンチィックでおもしろい冒険だと日記に書きます。

秘密警察の目を誤魔化すことも、生活の上でのすべての不自由さも、日記の中ではユーモアまじりに書き、どんな危険なときにも、そのユーモラスな面を見つけて笑えるようにしようとするアンネ。

しかし、そんなアンネの希望にも、過酷な運命が影を差します。

「はたしてわたしは、なにか偉大なものが書けるでしょうか。いつかジャーナリストか作家になれるものでしょうか。そうなりたい。ぜひ、そうなりたい」

「もっと広い世界を見て、胸の躍るようなことをなんでもしてみたい」

1944年8月1日、火曜日。
アンネ・フランクの日記はその日付を最後に終っています。

三日後、《隠れ家》は密告により発見され、アンネ一家はオランダからアウシュヴィッツに移送されてしまうのです。

ソ連軍の迫る中、その後、両親と離れ離れにされたアンネは、姉のマルゴットと共に、アウシュヴィッツからドイツのベルゼンへ送られ、そこでマルゴットが病気にかかって死んだ後、1945年の二月の終りから三月のはじめに、アンネ・フランクもまた、亡くなったものと思われます。

そしてその二ヶ月後、ドイツは無条件降伏するのです。

その時、アンネ・フランクはまだ十六才にもなっていませんでした。



「いったい全体、こんな戦争をしてなにになるのだろう。

 なぜ人間はおたがいに仲よく暮らせないのだろう。

 なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう」



私達は、いつになったら、このアンネの疑問に答えてあげることができるのでしょうか…





アンネ・フランク  著
深町 眞理子  訳
文春文庫