私的図書館

本好き人の365日

浮世絵体験

2009-11-29 23:00:00 | 本と日常
岐阜県は旧中山道の宿場町、大井宿(現・恵那市)にある「中山道広重美術館」に行って来ました。

体験コーナーがあって、自分で版画を刷ることも出来るんですよ♪

「多色刷り」といって色を順番にのせて行くと一つのカラー版画が出来上がります。

広重の「大井宿」と「日本橋」という作品の多色刷りに挑戦して来ました☆
(写真はブログに載せてあります♪)

これがものすごく楽しい☆

広重というのは江戸時代の浮世絵師、歌川広重のこと。

風景画の大家で、「東海道五十三次」などの作品が有名です。

今回、特別展ということで、大正、昭和にかけて活躍した風景版画家、瀬川巴水の作品も、広重の作品と共に展示されていました。

江戸時代の風景画には旅行パンフレットみたいな役割もあったそうで、版画の中に版元(今で言う出版社)の名前や企業の広告が紛れ込んでいるのを初めて知りました!

広重の作品にも白粉(おしろい)の広告が載っていましたよ♪

雨が斜線で表現され大胆に画面を横切っている作品や、断崖絶壁に生えた木がまるで道のようになっていて、その上を木こりが歩いている作品など、本当にマンガみたいで、現在のマンガ大国日本に通じるものを感じました。

瀬川巴水さんの作品も、今回初めて目にしたのですが、まるでジブリの背景みたいでキレイ(失礼?)

すごく細かくて、その上大胆に省略されていて、版画って独特な魅力がありますね。

でも作るのは大変そう。

今回体験コーナーで自分でやってみてそう思いました。

刷るのだけなら楽しいのですが、刷り上がりを考えて、木の板に絵を彫っていくなんてすごい技術!

まるで絵画をドット絵で表現しているみたい。

どこまで省略してその美しさを表現するか…

一度版木を作ってしまえば大量生産できるのだから、当時としては画期的だったのでしょうが、つくづく現代のコピー機のありがたさがわかりました(苦笑)

浮世絵が海を渡ってゴッホやモネなどヨーロッパの芸術に影響を与えたことも説明されていて、興味深かったです。

久しぶりに美術館に行けて、静かな時間を過ごせたので、また月曜日から頑張れそうです。

体験コーナーで刷った版画は持って帰れます。

いいお土産になりました☆

『ポプラの秋』

2009-11-28 10:50:00 | 本と日常
ずいぶんと寒くなりました。

イチョウの葉っぱが見事に黄色く染まり、地面がまるで黄色の絨毯を敷きつめたみたいになっています。

中学校への通学路に、それは立派なイチョウの木が立っているお寺さんがあって、中学生が四人がかりで手をつないでも囲めないほど幹の太さがありました。

秋になると大人たちは落ちている銀杏を拾いにやってくるのですが、あんな強烈な臭いのする物より、扇のように広がった葉っぱのほうがキレイで、なぜ落ち葉を邪魔者扱いするのか子供の頃は不思議に思っていました。

今でも銀杏はニガ手です。

このところ、湯本香樹実さんの

*(キラキラ)*『ポプラの秋』*(キラキラ)*(新潮文庫)

を読んでいました。

古本屋さんで買った文庫本。
一冊100円。

この内容で100円は安すぎるだろう!!

380円くらいは出すぞ♪

湯本香樹実さんはデビュー作の『夏の庭』がよかったので、この本も読んでみたんです。

主人公は二十代の女性。

看護婦として勤めていた病院を辞め、そのことを母にも伝えず、睡眠薬に頼る日々…

そんな彼女の元に、子供時代に一時期を過ごしたアパートの大家さんが亡くなったとの連絡が入ります。

父親が死んで、母親と見つけたアパート…

そこには大きなポプラの木が立っていた…

物語は彼女の回想でつづられ、小学校一年生、七歳の女の子の物語へと移って行きます。

そこにあるのは死の影と不安と痛み。

デビュー作『夏の庭』で人の死に興味を持った小学生の男の子3人が、「もうすぐ死にそう」とウワサされる一人暮らしの老人を観察する様子を描いた湯本香樹実さん。

今回は父親の死、夫の死、そして我が子の死を描きながら、それでも生きていかなければならない人々を描いています。

「生きる」ということのいろいろな面を、体験させてもらいました。

アパートの大家さんである、おばあさんが傑作!

部屋は変な臭いがするし、食る物もオシャレじゃないし、子供の前で平気で着替えたりする。

口はぞんざいだし、背中は丸まっているし、シワはあるし、オマケに歯がない!

大家のおばあさんのことを最初は「怖い」と思っていたくせに、ずいぶんな女の子。

…思わず自分の祖母のことを思い出してしまいました☆

でも、歳を重ねるって、そういうことなんですよね。

歯だって悪くなるし、葉っぱが色付くように、自然と体だって変わっていく。

父親のことは母の前では口に出してはいけない。

死を本当に理解するなんて誰にもできない。

どこか不安定になってしまった母親に迷惑をかけまいと、気を張り、神経過敏になって、とうとう学校を休むことになった七歳の女の子に、おばあさんは語るのです。

あたしが死んだら手紙を届けてやるよ…

おばあさんの黒い箪笥の引き出しには、そうやって預かった手紙がたくさん入っているのだという。

その引き出しがいっぱいになった時、おばあさんのお迎えが来るのだと…

天国への郵便配達。

女の子は半信半疑ながら、亡くなった父親に宛てて手紙を書き始めます。
何通も何通も。

自分の気持を文字にするって大切ですよね~

世界は蓋の開いたマンホールがいくつもあって、気を付けていないと闇に飲み込まれて二度と戻ってこれなくなる…と感じている女の子が辛いです。

子供たちが大人に翻弄される姿には胸が痛みます。

大人たちだって懸命に生きている。

だけど、うまくいかない。

坂の上の教会で見た裸のキリスト像。

おばあさんの庭に集って来る猫たち。

アパートの住人、独身で豪快な性格の佐々木さん。

離婚して一人暮らしをしているタクシー運転手の西岡さん。

女の子の母方の祖母がもらす、


「あたしは年寄りやるしかないのよ。年寄りらしくしてなくちゃ、うまくいかないのよ」


という言葉が印象的でした。

季節が移り変わり、黄色くなった葉っぱは地面に落ちて、もうじき冬がやって来ます。

葉っぱが落ちるから、木々は力を蓄えて、春に新芽を出すことが出来るんですよね。

落ち葉で作る焼き芋が、これまたおいしい♪

さつまいもを濡れた新聞紙でくるんで、その上からアルミホイルでつつんで火の中へ。

そういえば今年はまだ焼き芋屋さん見てないなぁ~

大家さんのお葬式で、女性は意外な事実を知らされます。

とってもいい読書でした☆



『蜜のあわれ』

2009-11-21 23:59:00 | 本と日常
老人と金魚の少女のお話。

室生犀星の

*(キラキラ)*『蜜のあわれ』*(キラキラ)*(講談社文芸文庫)

を読みました。

金魚の少女といっても普通の人には二十歳くらいの人間に見えるそうです。

実際は生まれて3年。

主人公は酸いも甘いも噛み分けた作家の老人。

彼は我がままに振舞う金魚の化身の少女に言いたい放題言われていますが、どこかそれを楽しんでいる風。


「おじさまは? おじさまだってまだお臀が見たいんでしょう。」

「そりゃ見たいさ…」


ブリジット・バルドーのお臀について語ったり、通りで幽霊の女を見かけたり。

全編会話で進行する、ちょっと艶っぽくて、ちょっと不思議なお話。

文豪とか文学というと、どこか堅い印象がありますが、どうしてどうして、このお話なんてHっぽくて中学生あたりには受けそうです♪

中学生にはまだ早い?

最近では村上春樹さんの『1Q84』がTVで取り上げられたりしていましたが、いくら世界の村上春樹とはいえ、あれも中学校の課題図書にはしにくいだろうなぁ。

七十歳になる老作家と、時に悪女のようなもの言いをする金魚の少女との関係は、どこか背徳的。

それでもどこか、寂しい者同士が抱き合いながらお互いの体温で温め合うような、人間の持つ根本的なところでのつながりというものがうかがえます。

この場合は人間と金魚ですが(苦笑)

金魚の少女が魅力的に見えるのは、生命力の輝き…なのかな?

老作家は自分が少年の時には、七十くらいのジジイを見ては「半分くたばってやがる」と思ったものだと自嘲気味に言いますが、七十になってみると人間の(自分の)みずみずしさに驚いて見直すくらいになっていると語ります。

この本を読んで思い出したのが、高村光太郎の「月曜日のスケルツォ」という一編の詩。

その中では、前の日に体験したことをあれこれおしゃべりする十六歳のモデルの娘を前にして、その明るく元気あふれる体をまぶしく眺めながら、老彫刻家が作品を作り始めます。

詩や芸術についてはよくわかりませんが、これは単に「おじいさんったら年甲斐もなく!」なんていうのとはちょっと違うと、何となくわかります。

十代の頃に読んだ時はまだピンとこなかった。

齢をとったってこと(苦笑)

人間だからいろいろあります。

たいして人生経験があるわけではありませんが、見えなかった物が見えるようになると、その時は驚きますが楽しいです。

若さにも特権があるように、大人にも特権があるんだよ♪

ま、何だかんだいって、生き続けていると得ですね。




スズメ観賞

2009-11-17 23:59:00 | 本と日常
仕事の休憩時間。

飲み物を買いに外に出ると、外は冷たい雨。

どこからともなくチイチイと鳥の大合唱が聞こえて来るので目で探すと、雨の中だというのに、たくさんのスズメが電線に止まっていました。

冬のスズメはどこかふっくらと丸く見えます。

かしましくさえずる様子はまるでおしゃべりでもしているみたい。

でもそれは人間から見た視点で、実際は建物から出て来た人間(私のことです)を見て警戒しているだけなのかも…

と夢のないことを考えながら、スズメの前でペットボトルのお茶を飲んで、わざとゆっくり、これみよがしに休憩をとりました。

…スズメと張り合ってどうする。



人生の公式

2009-11-12 22:19:00 | 本と日常
スーパーでブロッコリーが安かったので、4株ほど買って来て、せっせと茹でながら背中でテレビを見ていました。

…世の中には結婚詐欺を働きながら、手に入れた高級外車やブランド品のことをブログに載せている人もいるそうですね。

そういう人はブロッコリーが安かったくらいじゃ喜ばないかな?

シチューに入れてもおいしいし、茹でたてにマヨネーズをかけても美味しいのに。

茹でたブロッコリーは冷凍保存しておいて、後日おいしくいただきます☆

実はブロッコリーを買ったそのスーパーで100円を拾いました。

知らずに蹴飛ばして、チャリン♪ と音がしたので気が付いたんです。

店員さんに届けようと辺りを見回すも、夕方の忙しい時間帯で手の空いてる人はいなさそう…

100円持って店員さんを探しまわるのも手間だし、自分の買い物もあるし…

と一瞬「ネコババしてしまえ!」という心の声が聞こえました(苦笑)

冗談じゃない。たかが100円で(お金の額じゃありませんね、ゴメンナサイ)何で罪悪感を抱え込まなきゃならないんだ!

この100円は子どもがお菓子を買うために握りしめていた大切な100円玉かも知れないじゃないか…

そう思うと店内から聞こえてくる子どもの泣き声が、今自分の持っている100円を返せと訴えているように聞こえてしょうがない…

すみません。
置かれた状況で思わず遊んでしまうのは私の悪いクセです。

とにかく、100円でお天道様に顔向けできないような人間になるなんて割が合わないので(お金の額じゃありませんね、ゴメンナサイ)、とりあえず自分の買い物を済ませてから、わざわざ店員さんが二人いるレジを狙って、会計をする時に「落し物です」と渡しました。

店員さん(若い女性)は「ありがとうございます。わざわざすみません」と心持ち好意的な笑顔を浮かべて受け取ってくれました。

好感度アップしたかな♪

見ず知らずの女性の好感度を上げて果たして何の意味があるのさっぱりわかりませんが、スーパーに来るたびに(ここで100円ネコババしたんだ)と罪悪感を感じるよりは、例えその場限りでも、感謝されるほうが何倍もお得です。

計算方法間違ってる?
だから貧乏なのかな?

ま、いいか。

どう逆立ちしても高級外車やブランド品がこの日記に登場することはないでしょう。

プロゴルファーの石川遼選手。

賞金王争いが話題になっていますが、テレビのアナウンサーがこう言っていました。
「1位との差はたった60万円です!」(11月12日現在の話)

石川遼くんは全然悪くありません。
無神経なのはアナウンサー。

…その60万円を稼ぐために、私は何日働くことか。

じっと手を見る。


『スポンサーから一言』

2009-11-07 08:30:00 | SF

先日、仕事帰りにふと空を見ると、月が山に隠れるくらい低い位置にありました。

月デカ!!

いつもより大きく見える月にビックリ!

まさか月が近づいてる?

地球と衝突!?

政府はこの事を隠していて、今頃は対策におおわらわで、でもアマチュア天文マニアの間で騒ぎになって、今夜にも記者会見?

まるで走馬灯のように人類滅亡のシナリオが頭をめぐりました。

…もちろん目の錯覚です。

月が地平線近くにある時に、大きく見える現象は昔から報告されています。

だまし絵みたいな物?

私たちは目で見た物をそのまま見てるんじゃなくて、脳で加工した映像を見ているんですよね。

犬は白黒でしか世界を見れないし、モンシロチョウは紫外線でオスとメスを見分けている。花の蜜をエサとする昆虫には、花びらは黒く、蜜のある場所は白く反射して見えるそうです。

脳って面白いですね。

最近読んだ本は、復刊が嬉しいフレドリック・ブラウンのSFショートショート。

『スポンサーから一言』(創元SF文庫)



『未来世界から来た男』(創元SF文庫)

米ソ緊張の高まる冷戦時代。
いよいよ開戦かと思われたその日、世界各地のラジオから、同じ時刻にその声は聞こえた…


「スポンサーから一言」

………

「戦え」


疑心暗鬼になる各国。
しかもその放送は、日付変更線や夏時間を採用している地域があるにもかかわらず、現地時間で必ず同じ時刻に放送されたのだ。

つまり、一時間の時差のある地域の境にそれぞれラジオを置いて、同じコンセントから電源を取っていても、一方のラジオが「戦え」と放送したきっちり一時間後に、すぐ隣のラジオがもう一度同じ言葉を繰り返す。結果的に同じ時刻に放送されたことになるが、こんなことは不可能だ…

「戦え」と言われた人類は?

それにしても「スポンサー」とはどういう意味?

フレドリック・ブラウンは1940年代から活躍したアメリカのSF・推理小説作家。

ちょっとシニカルな作風で、クスリと笑わせながらも、大人の皮肉があちこちで顔を出しています☆

もう一冊は20世紀を代表するドイツの劇作家ブレヒトの

*(キラキラ)*『母アンナの子連れ従軍記』*(キラキラ)*(光文社古典新訳文庫)

『三文オペラ』などの作品で知られるブレヒトの、『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の新訳戯曲。

17世紀ヨーロッパの「三十年戦争」を舞台に、幌馬車を引きながら戦場で抜け目なく商売をする「度胸アンナ」と三人の子どもたち。

聖母も娼婦も超えた…と評されている愚かだけどたくましい「度胸アンナ」の姿に、人間の本質の一端があるように感じました。

あと一冊はマンガ。
竹本泉さんの「よみきりものの…」シリーズ第6巻☆

*(キラキラ)*『たちこめるバラのかおり』*(キラキラ)*(エンターブレイン)

竹本泉さんは小学生の時に「なかよし」に連載されていた『あおいちゃんパニック!』からのファン♪

今回もほんわかした女の子や男の子や魔法使いや猫耳(ホントは狼耳)の女の子やトンネル堀りなどが活躍(?)します☆

このシリーズ、力が抜けるので好きなんですよね~

めっきり寒くなって鍋焼きうどんの美味しい季節になりました。

私は最後にコロッケを入れて食べるの好きです。

そろそろコタツも出そうかな。



手塚治虫さんの誕生日

2009-11-03 23:12:00 | 本と日常
コンビニで、カッターシャツにマフラーという出で立ちの高校生の男の子を見ました。

(寒いなら上着を着ろよ…)

と思わず年長者は思ってしまいましたが、きっとあれがファッションというやつなんでしょうね。

風邪引かなきゃいいけど…

ちなみに私の地方では学生服の下に着る白いシャツのことを「カッターシャツ」と呼びます。

大人が背広の下に着るのはワイシャツです。

…違いはよくわかりません。

本日11月3日は文化の日。

それと同時に、漫画家、手塚治虫の誕生日でもあります。

先月読んだマンガ*(キラキラ)*『コーリング』*(キラキラ)*の作者、岡野玲子さんの結婚相手が手塚治虫さんの長男、手塚眞さんだというのを最近知りました。

マンガのあとがきで、岡野さんのご主人に「寒いですね」と話しかけられて、うっかり「ガァ」と返事をしてしまったカラスのことが出てくるのですが、それを読んで、うっかり返事をしてしまったカラスもカラスだけれど、カラスに「寒いですね」と話しかけるこのご主人って何者? と思ってしまって、岡野玲子さんのプロフィールを見たのです。

マンガ家で、その結婚相手の父親が手塚治虫っていうのもスゴイなぁ~

手塚治虫さんの作品で好きだったのは、よく夏休みに再放送していた「メルモちゃん」(正式には「ふしぎなメルモ」)と、これもアニメの「ドン・ドラキュラ」♪

「メルモちゃん」は当時小学生の男の子にとって、ちょっとHなところが興味津々(苦笑)
「ドン・ドラキュラ」は吸血鬼の父娘が主人公で、毎回のように日の光に当たって灰になっちゃうんだけど、お湯をかけて3分(だったかな?)待つと元に戻るというところが面白かった♪

年代的には「アトム」や「ジャングル大帝」という世代ではないので、手塚作品というと、24時間テレビのスペシャルアニメとして見た記憶が大きいです。

小中学生の時はマンガの手塚作品は一冊も読んでいませんでした。

高校生になると本屋さんに1人で入れるようになって、毎日通って『ブッタ』を何冊も読んだり、アニメーターになる時に、「ジャンピング」とか「おんぼろフィルム」といった実験アニーメーションの作品に触れて感動したり、逆にアニメーターの給料が安いのは手塚治虫のせいだとうらんだり(苦笑)
亡くなった時はニュースの取り扱いが小さいと憤慨したことをよく覚えています。

近年でもマンガ家の浦沢直樹さんによって『PLUTO(プルートゥ)』という新たな「アトム」が生み出されたり、ハリウッドでCG映画になったり、多くの人に楽しまれ、影響を与え続けている手塚作品。

やっぱりスゴイ人だったんですね。

時代がアトムに追いついても(アトムの誕生日は2003年)、まだまだ楽しませてもらえそう☆