私的図書館

本好き人の365日

オルコット 『花ざかりのローズ』

2013-12-11 22:33:45 | 家庭小説

ようやく手に入れました。

長年探していた、角川文庫のマイ・ディア・ストーリーの一冊。


ルイザ・メイ・オルコット 著
村岡花子・佐川和子   訳

『花ざかりのローズ』(角川文庫)

佐川和子というのは四人の翻訳家によるペンネームです。

サンライズの「矢立肇」とか、プリキュアシリーズの「東堂いづみ」とか、東映の「八手三郎」みたいですけど。

オルコットといえば有名な作品は『若草物語』ですが、この『花ざかりのローズ』は、『八人のいとこ』の続編として書かれました。

幼い時に母親を亡くし、そして最大の理解者であった父親も亡くした少女、主人公のローズは、父方の親戚たちに引き取られますが、そこは年配の女性が多く、ローズについて言いたい放題。

そこに現れたのが四十男のアレック叔父さん。

独身のこの叔父さんは、ローズを一年間引き取り、相変わらず病弱で今より良い状態になっていなかったら、その時はローズを他の人にまかせると大見得を切り、ローズの後見人に名乗り出ます。

そして始まる、男の子ばかりの七人のいとこと、小間使いの少女フェーブを巻き込んでの、ローズの新しい生活!

 

『八人のいとこ』では、すっかり元気になったローズの姿が描かれましたが、この続編『花ざかりのローズ』では、アレック叔父さんとフェーブと共に、2年間のヨーロッパ旅行ですっかりレディーとして成長したローズが、いとこたちの待つ故郷に帰ってくる場面から始まります。

美しく成長したローズ。

こちらも身長も伸び、それぞれに成長したいとこ達。

実はたいへんな財産の相続人でもあるローズ。その財産を一族の外に出したくないいとこの母親たち、ローズにとってのおばさん達は、何とかローズと一族の男をくっつけようとします(笑)

果たしてローズは誰を選ぶのか?

 

この結末がずっと知りたかったのですが、ようやく、ようやくそれを知ることができました!

そうきたか! 予想できなかった! さすがオルコット!

 

『若草物語』があまりに有名なので、オルコットの他の作品がなかなか注目されないんですよね。

こんなに面白いのに。

長年探していた本が手に入り感無量です。

角川文庫でまた復刊して欲しい。

たくさんの人に読んでもらいたから。

いい読書ができました。

 


十一月の本棚 『あしながおじさん』

2006-11-21 01:42:00 | 家庭小説

人が喜んだり悲しんだり、驚いたり、感動したり、人を愛したりするのはなぜでしょう?

感じたり、考えたり、感謝したり、癇癪(かんしゃく)をおこしたり、生きるってとっても忙しい。

時には辛いこともあるけれど、想像力を働かせれば、立ち向うこともできる。
この本の主人公みたいに☆

 あしながおじ様

 ついにお返事をくださいませんでしたのね、とても重要な質問でしたのに!
 あなた様は禿げ頭でいらっしゃいますか?

今回は、とっても愉快で、とっても愛すべき作品♪

ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』をご紹介します☆

主人公のジュディ(本名はジルーシャ・アボット。ジョン・グリア孤児院のリペット院長が苗字は電話帳から、名前は墓石からつけた。本人は気に入っていない)は17才。

親の顔も知らず、孤児院で小さな子供たちの面倒を見る彼女は、その境遇にも関わらず、とっても明るく、前向きな少女。

少々批評家気味で、ついつい大胆なことも口にするけれど、どんなことからでも面白いことみつけることができるユーモアの持ち主。

そんな彼女がジョン・グリア孤児院のことを書いた、リペット院長に言わせると「無遠慮な作文」が一人の評議員の紳士の目に留り、そこから彼女の人生に思わぬ幸運が舞い降ります。

その紳士は、なんとジュデイを大学に通わせてくれるというのです!

しかもジュディに課せられた条件はたった一つ、毎月その紳士に手紙を書くというもの。

こうして、名前を明かさないその紳士のことを「あしながおじさん」と名づけたジュディは、憧れの大学生活での出来事を持ち前のユーモアにあふれた手紙として、まだ見ぬ「あしながおじさん」に送り続けるのでした。

とにかくジュディの書く手紙が面白くって、一緒になって笑ったり泣いたりしてしまいました♪

ただの食事や授業風景、体操の様子がジュディの手にかかるととっても楽しいことみたい!

孤児院で育ったジュディが出会う、初めての”外の世界”。

孤児院にいる時は、どんなに想像してそのドアの外側しか思い浮かべることのできなかった世界が目の前にある。

友達、学業、本、洋服。

学友の身に着けている絹のくつしたがどうしても欲しくて(ジュディは一度もはいたことがありません)、ついつい買ってしまったことをおじ様に告白するジュディが可笑しい♪

時にはまったく返事をくれないおじ様に腹立ちまぎれにひどいことを書いたり、病気になった時に送られたバラの花束に嬉しくて泣き伏したり、素直に感情を表すジュディ。

そんな彼女も自分が孤児院出身であることだけは誰にも言いません。

あくまで名前を明かさない「あしながおじさん」も、ジュディが夏休みに友達の別荘でその子のお兄さん達と一緒に過ごすのを邪魔してみたり(そうとしか思えない!)、ヨーロッパ旅行を強くすすめたり、カヌーの漕ぎ方を男の子から教わろうとするのも邪魔してみたり、なかなか怪しい!

そんなおじ様に反抗し、さっさと手紙が来る前に目的地に行ってしまうジュディも楽しい♪

携帯電話はないし、名前も伏せているので手紙でしかやりとりできないおじ様のまどろっこしさが伝わってきそう。

時々とる行動がなんだか子供っぽくてなんだか笑えます☆

大学に通わせてもらっているとはいえ、おじ様にただ甘えるだけでなく、援助してもらったお金もいつかは返すつもりのジュディ。

友達が値段を気にせずいくつも帽子を買う様子をつい手紙に書いてしまい、おじ様から帽子代にと、50ドルの小切手が送られて来ますが(この辺が子供っぽい!)、ジュディはそれを送り返します。

この小説は1912年に発表され、舞台もアメリカなので、私たちが知っている学園生活とはちょっと違いますが、そこで生きる少年少女、考えたり悩んだり、日常のちょっとしたことに喜んだり悲しんだりする様子は、時代を越えて共感できました☆

個人的にはジュディが読む本が「若草物語」だったり、「嵐が丘」だったり、「白鯨」だったりするのがお気に入りです♪

やがて大学を卒業するジュディ。
でも相変わらず「あしながおじさん」の正体はさっぱり(彼女には)わかりません。

そして、ある男性からの結婚の申し出。

そのことについても、正直に手紙に書いて、胸の内の悩みをおじ様に告白するジュディ。

そしてついに、おじ様から返事が来て、ジュディは「あしながおじさん」に会いに行きます!

果たして、「あしながおじさん」の正体は?

喜んだり悲しんだり、驚いたり、感動したり、人を愛したりと、ジュディの生活はとっても生き生きしています。

それはまさに生きているって証。

作者のジーン・ウェブスターの人柄が、このジュディという少女に命を与え、これほど長く人々に読まれる作品を創り出したんでしょうね。

作者自身は、結婚の翌年。長女を出産した二日後に40歳という若さで惜しまれつつも亡くなりました。
法律家の夫と二人でアヒルのヒナを卵から孵したり、ニューヨークの自宅で創作にいそしんだりと、短いとはいえ、幸福な結婚生活だったといいます。

ジュディと「あしながおじさん」の愉快な物語。

コタツに入りながら、秋の夜長にこんな素敵な物語はいかかでしょう?
きっと、心もあたためてくれると思いますよ♪



…もしかして、「あしながおじさん」って実はとってもヤキモチ焼きなのかも☆










ジーン・ウェブスター  著
松本 恵子  訳
新潮文庫





六月の本棚 『家なき娘』

2006-06-13 16:02:00 | 家庭小説

かつて、日曜日の7時半といえば、カルピスの提供でおなじみ、アニメ「世界名作劇場」の放送時間帯でした♪

今でも”懐かしのアニメ”といえば必ず登場する「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」といった数々の名作を送り出したアニメ界の金字塔のような番組です。

もう、テレビにかじりつくようにして見てました☆

ハイジやおじいさんの食べるとけたチーズに憧れ、ネロとパトラッシュの最後のシーンに涙し、マルコがお母さんを捜してボロボロの靴で見知らぬアルゼンチンの荒野を旅するのを固唾をのんで見守ったものです。

アニメーターとして就職した時の初仕事もこの「世界名作劇場」の仕事でした。

スポンサーはずっと前にハウス食品にかわっていましたが、憧れの作品に携われたことがとっても嬉しかったなぁ~

さて、今回はそんな名作劇場の作品の中でも、とっても好きな作品。

両親を亡くし、たった一人パリの街に取り残されてしまった少女ペリーヌが、苦難の末に愛する家(ホーム)を見つけ出す物語、「ペリーヌ物語」。

その原作になった作品をご紹介したいと思います☆

アニメの「ペリーヌ物語」はご存知ですか?
「あらいぐまラスカル」の後に始まって、「赤毛のアン」の前の作品です(笑)

NHKの衛星放送でも去年(2005年)密かに再放送されていましたね♪

原作者は19世紀末に活躍したフランスの作家エクトル・マロ。

小説として日本に紹介された時のタイトルは、『家なき娘』といいます☆

原題は「En famille」(アン・ファミーユ)。

エクトル・マロはその前に日本語にすでに翻訳されていた少年を主人公にした物語、『家なき子』(原題「サン・ファミーユ」)が広く知られていたので、こんなタイトルが選ばれたんでしょうか。

ちなみに「アン・ファミーユ」は『家なき子』でも使われていて、最後の章のタイトルなんだそうです。
その時は「家にて」と翻訳されています。

とにかく、このペリーヌが原作でも健気です!!!!!

遠くインドからフランスまで旅をしてくるのですが、途中で優しく頼りがいのある父親を亡くし、やっとたどり着いた巴里(パリ)の街で、今度は最愛の母親との別れが待っています。

しかもペリーヌはたったの12歳!

お父さんの残してくれた写真機や家馬車を売り、ギリシアからずっと一緒で何度もペリーヌ達を助けてくれたロバのパリカールまで手放して、必死でお母さんの薬代を用意するペリーヌ。(このパリカール大好きです☆)

しかし、キチンとした宿屋にも泊まれず、ひどい臭いと湿気の中、しだいに命の火が消えかかっていくお母さん…(まだ20代!)

せめてもと野に咲く花を摘んで飾り、必死で看病をするペリーヌ。
そんなペリーヌを病身でありながら優しく気遣うお母さんの深い愛が胸を打ちます!

ちくしょう、いい話だなぁ~(涙)

…舞台は産業革命により大きな工場があちこちに建つようになった頃のフランス。

ペリーヌのお父さんはフランス人で、当時イギリス領だったインドでお母さんと出会い、フランスにいる父親の反対を押し切って結婚したという過去があります。(二人はとっても愛し合っていたのです☆

そしてやがてペリーヌが生まれるのですが、お母さんの両親がインドで経営する工場が倒産してしまい、その上だまされてお金もなくなってしまったので、許してくれるかわからない父親、つまりペリーヌにとってはお祖父さんにあたる人を頼って、何とかして親子三人、フランスにたどりつこうとしたのです。

巴里(パリ)でお母さんを埋葬し、貧しいけれど親切にしてくれた人々に別れを告げて、一人旅立つペリーヌ。

彼女に残されたのは、擦り切れた上着に、繕いすぎて布もあてられなくなった靴下や身に付けている下着、細々とした小物にボロボロの靴と行き先を示した地図だけ。

しかもパリカールを売って手に入れたわずかなお金さえ、立ち寄ったパン屋で、身なりがボロだからと見くびられ、泥棒と言いがかりをつけられ巻き上げられてしまうという不幸!

許せんゾ、あのパン屋!!!!!

恐怖と不安、足の痛みや飢えと渇きに苦しめられ、それでも決して泥棒や乞食のようなマネはすまいと誓うペリーヌ。

たった一人、雨水をすすり、木の皮をかじってでも生き抜こうとするペリーヌを支えるのは、お母さんが残した最後の言葉です。

「お前はきっと幸せになる…」

…しかし、どんなに頑張ろうとも、ひとりぼっちの12歳の少女には、ただ生きることさえ、困難なことなのでした。

お金もなく、食べ物もなくなり、頼る人さえいない外国の地で、ついに、ついに力尽き、飢えのため道端に倒れ込んでしまうペリーヌ!!

あぁ~~~、ペリーヌ~~~!!!!!

さて、この後どうやってペリーヌは窮地を脱すのでしょう?

それは本を読んでのお楽しみ♪

とにかく、見どころ読みどころの多いこの物語。
盛り上がるのは後半です!!

大きな工場で、オーレリーと名前を変えて働くことになったペリーヌ。
お金がないので誰も使っていない小さな狩猟小屋で寝泊りし(ここでの生活がなんともペリーヌらしい☆)、安い布地を工夫して下着を仕立て、靴を手作りして間に合わせる。

やがて英語ができるという理由で(ペリーヌのお母さんはイギリス国籍のインド人でしたから、普段は英語なのです)、思わぬことから工場主の秘書として、その盲目の老人のそばで働くことになります。

ペリーヌの優しさと、内に秘めた知恵と勇気を見えない目で見抜いた老人は、少女を気に入り、やがて彼女を自分の屋敷に引き取ることにします。

その老人は、数年前に行方不明になった跡取り息子を必死に捜していて、その妻や娘のことを今も許してはいませんでした。

「ヴュルフラン様、あなたはあなたのお嬢様から慕われたくありませんか?」

「あれもあれの母親もわしは嫌いなのじゃ。ひとの倅を取ってよこしをらぬ。あれ共が倅を籠絡せなんだら、倅はとうの昔にわしのところにいるのじゃ!」

老人の怒りに落胆し、身を震わせるペリーヌ。

やがて息子の死の知らせを聞き、何もかも終わりだと、気弱になってしまった老人を、しかしペリーヌは必死で支え続けます。

「人に愛されるためには、まず自分が人を愛しなさい」

老人の口から、息子を奪ったインド人の女と、その娘のことを聞かされるたびに傷つくペリーヌ。

しかし、彼女は自分の両親を愛するのと同じように、この孤独な老人を愛し、自分の生まれについては一言もふれず、老人のために尽くすのです。

そしてラストは…

インドに始まり、父を亡くし、母を失って苦労に苦労を重ね、それでもあきらめずに、多くの人に助けられ、果敢に運命に挑戦して来たペリーヌの想いがやっと、やっと通じる瞬間!!!!!

不覚にも、読み終わってテッシュの箱片手に号泣してしまいました*(汗)*

ペリーヌが、ペリーヌがさぁ…(T_T)

もちろん、ハッピー・エンドです♪
読み終わってこんなにも幸せな気持にさせてくれるなんて、ペリーヌってスゴイ!

ただ健気というだけでなく、自分の頭と手の技だけで生きる工夫こらし、意思をしっかり持って行動するペリーヌに感動!

自然や動物達を愛する姿もいいです♪
もうベタ褒!

岩波文庫の『家なき娘』(上下)は旧仮名づかいなのでちょっと読み辛いという方は、他の出版社の本を探してみて下さい。

アニメの方もとてもよく出来ているのでオススメです☆

こちらにはバロンという原作には出てこない犬が登場していて、これまた面白い活躍をしてくれます♪

でも、やっぱり原作を読んでもらいたい!!
たくさんの人に読んで欲しい。
ホントにそう思わせてくれる物語です☆







エクトル・マロ  著
津田 穣  訳
岩波文庫






三月の本棚 2 『八人のいとこ』

2005-03-19 00:30:00 | 家庭小説
人間の、もっとも美しい行動とは何ですか?

あなたはそれを心の中で知っていますか?

知っているけれど、知らないふりをして生きていますか?

それとも、そんな偽りの言葉は信じていませんか?

考えないことに決心したのはいつからですか?

ハイ、お説教くさい言葉はこのくらいにして、今回は心から楽しめる、とっても愉快な一冊をご紹介しましょう♪

日本でも多くのファンに愛され、親しまれてきたアメリカの作家。

ルイザ・メイ・オルコットの『八人のいとこ』です☆

オルコットの代表作といえば「若草物語」が有名ですね。
この愛すべき四人姉妹とその母親の物語を書いた時、オルコットは三十六歳。後輩のモンゴメリよりもどこか教訓的な感じがするものの、そのユーモアとお話の巧みさ、女性だって負けていないわよ! という勢いが文章からにじみ出ている姿勢など、とっても大好きな作品です☆

貧しさの中で家族の生活を支えて筆を取っていた彼女は、「若草物語」がようやく認められ「借金は残らず返済。安心して死ねる気持ち」と日記に書いたといいます。

その「若草物語」が出版されたのが1868年、日本ではちょうど明治維新の頃ですね。

今回ご紹介する「八人のいとこ」はその八年後の1876年に発表された作品です。

なんと百年以上昔の小説!

その歴史の古さにもビックリですが、村岡花子さんの名訳と相まって、とてもそんな昔の作品とは思えない内容の豊かさ、色あせない登場人物たちに驚きます!

主人公の13才になる女の子ローズは、母親を亡くし、父親とずっと二人で暮らしていたのですが、その父親も死んでしまい、父方の親戚に引き取られることになります。

ここまではよくあるパターン。

でもここからがご注目!

ローズには六人もの叔母がいて、一堂に会する親族会議は大賑わい。それぞれが、それぞれの流儀でローズを育てようと、よく動く口でありがたい”意見”を述べまくるのです☆

このおしゃべりが楽しい♪

女性の中で唯一の男性で、ひたすらいねむりを決め込むマック叔父さんが、航海から帰ってきた独身のアレック叔父さんにこぼします。「結婚なんかしちゃいかんよ。もう一族に女はたくさんだわい」(笑)

てんでに好き放題ローズについてアレコレ意見が出されたのち、正式に後見人になったこの四十男、アレック叔父さんが宣言します。

「わたしの教育方針でやらせてみてください。一年たっても、ローズがあいかわらず病弱で、今より、よい状態になっていなかったら、ほかの人に、ローズを渡すことにしましょう」

そう、このお話は、一年間の教育期間を与えられたアレック叔父様とローズの、「良識アル二人三脚光源氏計画」物語なのです☆

「源氏物語」で無理矢理さらわれた紫の上とは違って、「良識アル」ってところがミソですけど♪

なにせこのアレック叔父様。船乗りでいい男なのにこの年まで独身。当然その理由もあるはずなのに、思わせぶりな書き方だけで、なかなか真相がハッキリしない。

ローズの姿にもう一人のローズの姿を重ねたりして、意味深な遠い目をして見せるのです。

脇を飾るのは、個性的な叔母様たちに、これまた個性的な教育を受けた七人のいとこたち。それもみんな男の子ばっかり。

年長者でジェシー叔母様の愛情をいっぱい受けて育った族長、とっても紳士なアーチー。
クララ叔母様の秘蔵っ子でアーチーの親友、美男子のプリンス・チャーリー。
ジェーン叔母様の息子でわがまま放題な兄弟、本の虫マックに、”とさか”にした髪が自慢のめかしやスティーブ。
アーチーの弟で、いつも一緒のジョーディとウィル。
一番年下で悪意はないけれど、いつもドキッとさせられるジェミー坊や。

十六歳から六歳までのこの七人にローズを加えたのが、題名の「八人のいとこ」なわけです☆

歩くことさえままならないドレスに体を締め付けるコルセット。
叔母様たちの与える薬は強烈で、すっかりスタイル良く、やせっぽっちに育ってしまったローズを、アレック叔父様は牛乳と元気ないとこ達、それに身寄りのないメイドの少女フェーブ(ファンです♪*)の協力を得て、本来のバラ色の頬をした少女へと変身させます。

このやり方も変わっているのですが、そこには、現代の教育現場が抱えている子供たちの様々な問題に通じるところもあって、とっても興味深いところ。

庭を走り、水泳をし、ボートに乗ったり、家事の手伝い。プレンティー叔母様にパン焼きを習い、年老いたピース叔母様のかたわらで刺繍と編み物を習得するローズ。

孤独な心を癒すのは、他人に必要とされることの喜び。大切にされるってことは、チョコレートではなく、オートミールで育てられるっていうこと。そして本当の愛情とは、自分のことを投げ出しても、その人のために尽くし、例えそれがほめられなくても気にかけず喜ぶこと。

ローズが、子供たちが、愛情ゆえにその身を投げ出すシーンが用意されていて、その描写のなんと美しいこと☆

それを見事に文章で表現しているオルコットはやっぱりさすがです!

時に叔父様のやり方に驚いたり、虚栄心の強いことを認めたり、女友達にそそのかされて、耳にピアスの穴を開けてしまうローズですが(後悔してもやっぱりつけていたいらしい♪)、一年がたつ頃には、見違えるような少女へと成長していきます。

実はたいへんな遺産の相続人でもあるローズ。

続編の「花ざかりのローズ」では、財産を一族の外に出したくない叔母様たちが、いとこの一人とローズを結婚させようと、またまたよけいな画策をし始めます。

はたして成長したローズは誰を選ぶのか?

これまたオルコットの腕の見せ所。
きっと期待をさせつつもしっかり読者の心を捕まえることでしょう♪

はっきり言い切れないのは、「花ざかりのローズ」をまだ手に入れていないから。
これがなかなか見つけられないんですよ~

紹介しておいてなんなんですが、誰か入手方法ご存知ないですかね?

ほんと、誰を選ぶのかとっても気になります。

でも、まずはこの「八人のいとこ」から。
これだけでも充分楽しめると思います♪

大切なものを書くためには、その人の中に大切なものがなければ書けません。そして読者も、その物語を楽しむために、自分の中の大切なもの、美しいものを見つけ出さなければならない…

昔を懐かしむ今なお輝く永遠の少年少女の方に。心のどこかに置き忘れてきてしまった大人の方にも。そして、ぜひ、これから探し出そうとしている若い方に。

この物語を送ります☆












ルイザ・メイ・オルコット  著
村岡 花子  訳
角川文庫

三月の本棚 『パレアナの青春』

2005-03-07 23:58:00 | 家庭小説
今回は、エレナ・ポーターの代表作『少女パレアナ』の続編、『パレアナの青春』をご紹介します☆

この作品、前から探してはいたのですが、なかなか出会いのチャンスがなくて、最近になってようやく読むことができました♪

今時、家庭小説?
と、思われるかも知れませんが、こうしたお話は、どれだけ時代が流れても、変わらない魅力っていうのがあるんです。ウンウン。

昔、親公認で見ることのできた数少ないアニメ番組に、日曜日の「世界名作劇場」というのがありまして、この「少女パレアナ」(TV版の題名は「ポリアンナ物語」だったかな…)を始め、「赤毛のアン」や「若草物語」、「アルプスの少女ハイジ」に「フランダースの犬」など、子供ながらに涙をさそわれる、お話の数々を放送していたものです。

憶えています?

もう、この番組大好きで、どのくらい好きかというと、アニメーターになる時に、第一志望に、「名作劇場」の製作をしていた日本アニメーションを選んだくらい。(落ちましたけど…)

結局、入った会社に日本アニメーションの下請けの仕事が回ってきて、念願の「名作劇場」の仕事をすることは出来たのですが、それでますますファンになってしまい、今もこうして本を読みあさっている状態です☆

名作というと、時代がかっていて、教訓的で、どこかウソくさいと敬遠している人いませんか?
読書なんてかったるい。TVとネットだけで十分だと思っているあなた。
流行物が大好きで、炭酸ソーダと激カラたっぷりの刺激を求めてやまないあなた。
そんなあなた達に隠れてこっそり、こんなに魅力的な本を読むことが出来て私はとっても幸せです☆(←けっこう意地が悪かったりします♪)

さて、前作「少女パレアナ」では、交通事故で足が不自由になってしまった主人公のパレアナが、チルトン医師の勧めでボストンの療養所に入院し、再び歩ける希望が出てきたところで終わっていました。
もちろんそこでも相変わらず、「喜びの遊び」を実践していたパレアナ♪

「喜びの遊び」とは、どんなことからでも、なにがしかの「喜び」をみつけるというゲーム。そのゲームにかかったら、交通事故で足を悪くしたことでさえ、「歩けることがどんなにありがたいことかをあらためて知ることができたのだから、嬉しい!」と、いうことになってしまいます☆

今回は、その療養所で知り合った看護婦、デラ嬢のたっての願いで、彼女の姉で未亡人のカリウ夫人のところに、冬の間じゅう、パレアナが預けられることになります。
夫と幼い息子に死に別れ、さらに未亡人となってから、わが子のように可愛がっていた甥のジェミーとも生き別れになってしまったカリウ夫人。美しい横顔は暗く沈み、家のカーテンも閉じられたまま、人を寄せ付けない生活を送っている彼女。

妹からパレアナの話を聞いても、「その子が生意気なお説教をしようものなら、すぐに送り返します」とはねつける彼女は、今回かなりの強敵ぶりを発揮します。

このカリウ夫人の変化が見所☆

そんなこととは露知らず、パレアナはいつものように喜びを胸に抱えて、ボストンで心待ちにしていてくれる(と彼女の信じる)カリウ夫人のところにやって来ます。

馬車が行き交い、新聞売りの少年が声を張り上げる大都会ボストン。前半は、このカリウ夫人と、生き別れになったという甥のジェミー。さらに、パレアナが公園で出会う、同じ名前を持ち、「喜びの本」を抱えた貧しい車椅子の少年、ジェミーがキーワード。後半は、成長したパレアナに突然の不運が降りかかり、登場人物総出で入り乱れる恋のさや当てまでが始まって波乱の展開!

いきなり成長してしまうパレアナや、突然の境遇の変化。
予想外の展開で読者を引っ張りまわしておいて、残りページあとわずかで、ちょっと都合良くまとまりすぎている感もありますが、そこはご愛嬌って感じです☆

時に「喜びの遊び」をすることも困難な場面に直面するパレアナ。

そんな彼女が、ただの現実逃避の楽観主義者と違い、強い意志と、努力によって、苦労と悲しみの中からでも、なんとか喜びをみつけ、必死に生きていこうとする姿は読んでいて胸を打ちます。そして、そんなパレアナを熱い思いで見つめ、友として支え続ける男性の存在。

パレアナの母に失恋し、独身を通したペンデルトン氏。
パレアナのおかげで、今やペンデルトン家の養子にまでなった孤児のジミー。
そして、車椅子の不自由な生活の中でも、喜びを数えてノートに書き込んでいるジェミー。

いったい誰がパレアナの心を射止めるのか?

美人じゃないけれど、その心持で男たちを魅了してやまないパレアナ。
みんなに愛情を持って接しているので、誰もがありえそうで、けっこう悩まされます。父親ほど年の離れた男性と結婚するってのも、この手のお話ではパターンといえばパターンですしね。

しかしさすがはエレナ・ポーター。最後の大団円では大盤振る舞い。ちょっとやりすぎなのでは? と、思うほどのハッピーエンドが待っています☆

どんな時でも「喜び」を見つけ、人々の心に希望という光を灯し続けるパレアナ。いつも希望を持つということが、実は絶望と悲しみにひたっていることよりも、辛く、真に勇気のいることであることを、この物語は教えてくれます。

人生を楽しみ、ひとを愛し、苦難に負けずに微笑むパレアナはまさに「喜び」の泉のよう♪

では、どうぞあなたも、喜びの洪水に押し流されちゃって下さい☆











エレナ・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

九月の本棚 『少女パレアナ』

2004-09-22 05:08:00 | 家庭小説

今回ご紹介する本は、1913年にアメリカで出版されて以来、多くの人々に「喜び」を与え続けている少女の物語。

エレナ・ポーターの『少女パレアナ』です☆

孤児となった女の子が気難しい叔母さんに引き取られる…

こんな始まり方からして、過酷な環境でもくじけないで頑張る少女の物語になるのかと思いきや、主人公パレアナのパワーはとてもそんなものではありません。

彼女を引き取ることになる独身の叔母は、引き取るのは愛情からではなくそれが義務だからだと言い切ります。
この「義務」という言葉を聞くたびに幼いパレアナは傷つきますが、積極的に日々の生活や人々との出会いの中に喜びや楽しみを見つけて乗り越えていくパレアナ。

例え暗い屋根裏部屋に押し込まれようと、夕食がパンと牛乳だけだろうと、どんなことからでも「喜び」を見つけ出すパレアナは、それを喜びを見つける遊び、ゲームだと言います。

亡くなった牧師の父と共に始めた「何でも喜ぶ」ゲーム。

ゲームのきっかけは一本の松葉杖でした。
人形が欲しかったパレアナは、教会の慰問箱から出てきた松葉杖にガッカリします。
でも父と娘はこう考えるのです。

松葉杖を使わなくて済むのが嬉しい☆

どんなことにでも喜びを見つけ、励まし合って生きていくこと。
それが、父が娘に残した「生きていく」という力。

「ありがとう」
「お元気ですか?」
「あなたに会えてうれしい」

こうした言葉がどれだけ人を励ますことになるか。
いつも明るく誰彼なく話しかけるパレアナは、喜びは共に生きている人すべての中にあることをよく知っています。

片足を骨折しても、両足じゃなくてよかったですね、と励ますパレアナ。
さすがに一生寝たきりの病人を励ますことには苦労しますが、ゲームが難しければ難しいほど「喜び」を見つけた時の喜びが増すわけですから、パレアナは張り切ります。
そんなパレアナに周りの大人は振り回されっぱなし♪

ところが物語後半、そんなパレアナに、もう「喜び」を見つけることができないくらい絶望的な悲劇が襲います。

それを聞きつけ、パレアナを心配して家を訪ねてくる人の多さに、たまげるパレアナの叔母。
パレアナの「ゲーム」はいつしか町の人々の心に明るい光を灯し、町に「喜び」を与えていたのでした。

パレアナは悲劇から立ち直ることができるのか?
そして気難しい叔母の秘密の過去とは?
物語はここから盛り上がりをみせ、終盤いっきにぐいぐいと読者を引き込んでいきます。

たまに混線するほどおしゃべりで、明るいパレアナが、枕を涙で濡らし、とても喜びなんて見つけられないと天国の父にこぼすシーンは、パレアナの性格をよく表していてとっても大好きなシーンの一つ。

話のテンポがよくて、次々とページをめくらせる手腕はさすがはエレナ・ポーター。
週刊誌に毎週掲載されたこの『少女パレアナ』は好評で、ついには辞書に普通名詞として載ったほど。
ちなみにウェブスター辞典にこう書いてあったそうです。

〈パレアナ=エレナ・ポーターという作家の有名な作品『パレアナ』からつくられた名詞で、喜びを意味する〉

実はこんなにお気に入りの作品なのに、なぜか出会いがなくて続編の『パレアナの青春』はまだ読んでいないんです。

でも考えようによっては、読む楽しみがまだ残っているということで、これもまたひとつの「喜び」なのかも☆







エレナ・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫


十月の本棚 4

2003-10-23 21:59:00 | 家庭小説

街の明りの一つ一つに、誰かがいて、家庭があって、人々の生活があるんだと思うと、不思議な気持ちがしますね。

おそらく、一度も会うこともなく、知らないまま通り過ぎていくであろう人々。

だけど、その人達にも人生があり、喜びや悲しみを抱えて私達同様日々生きている。

繰り返すわずらわしい毎日の雑用に辛抱強く耐え、家族のためにと世話を焼き、家を清潔にし、食事の支度に追われながら…

今回ご紹介するのは、そんな隠された愛すべき人々に送られた物語。

エレナ・ポーターの『スウ姉さん』です☆


かく言う私だって、毎日毎日「泳げたいやき君」みたいに鉄板の上で焼かれる日々、いいかげん「いやになっちゃう」時もあります。

物語の主人公「スウ姉さん」ことスザナ・ギルモア嬢もそんな一人。
なにかといえば「スウ姉さんにきいてごらん」と繰り返す父親に、「スウ姉さん」を連呼する妹と弟。
母親が亡くなってからは、ギルモア家のいっさいが、「スウ姉さん」なしでは何事も運ばないらしく、「自分を犠牲にしてまで妹の靴の心配や、弟の野球道具の世話までしてらんないわ」とうんざりする日々。

それでもなんとか、売り出し中の作家である婚約者の甘い励ましと、大好きなピアノに不満をぶつけることで、平凡で空しい毎日を乗り切っていたスウでしたが、二十歳になったその春、ついに自由を手に入れるための革命に立ち上がります!

「人々の注目を浴び、光の中、舞台でアンコールの波に包まれる自分」を夢に描き、ピアニストになろうと決心するスウ。
家族の反対を押し切り、恋人に打ち明けた時、思わぬ反撃にあいます。

「あたし、こんなにも愛されてるとは思わなかった…。男性の愛情って、こんなにも強いものだったんだ…」

恋人の甘い囁きに、ピアニストへの道はあきらめ、その日のうちに七月には結婚することを約束してしまうスウ。

…ダメじゃん、スウ(笑)

ところが物語は急転直下、ここから本編へと入って行くのです。

なんと父親の銀行が破産。
疲労困憊で倒れた父親は、心痛による痴呆症で、あわれにも子供同然となり、一生介護のいる身に。
財産も家屋敷も失い、なんとか残ったのは田舎の小さな別荘だけ。

不満ばかりで役に立たない妹弟と、泥んこ遊びに興じる父親を抱え、スウ姉さんの受難の日々が始まったのでした。

慣れない台所仕事に父親の介護、妹や弟の学費の工面から家計の算段と、辛抱強く、その一つ一つを懸命にこなしていくスウ。

その姿にエレナ・ポーターは、当時の、そして今でも、日々掃除や洗濯、繕い物や食事の支度に追われ、家族のために必要とされている女性達を重ね、自分達の自由な生活を諦め、けなげに働く彼女達の生き方に光をあてました。

「自分の役目は皮むきなのよ」

華やかな晩餐会の裏方として、台所の片隅で馬鈴薯の皮をむき、料理を作り、みんなに食べさせてからその皿を洗う。

誰に褒めてもらうわけでもなく、感謝もされず、それでも不平もいわずに「わずらわしい毎日の雑用」を果たしながら、その耳の奥に響くのは、
「アンコール! スザナ・ギルモア! アンコール!」
と叫ぶ幻の聴衆の声。

父親のもとを離れられない彼女は、結婚して家を出て欲しい婚約者とも、しだいに気まずくなっていき…

こんな話を読んでしまうと、三十年以上も黙々と食事の支度をしてくれた母親のありがたさが身に染みます。
そして同じぐらいの年月、毎日会社に通いつづける父親にも。

そして多くの人達が、「スウ姉さん」のように、この「日常」という偉大な業績を日々培っているわけですよね。

物語は後半、アッと驚く展開をみせます。
父親を看取り、妹達も立派に独立させて、自由の身になった「スウ姉さん」のとる行動とは?
そして結末は?

スウの最後のセリフから、どうぞみなさん推察してみて下さい。
きっと、納得のいく結末だと思いますよ。


「そんなこと、ちっとも犠牲じゃありませんわ!」



エレナ・ホグマン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫


十月の本棚 3

2003-10-23 01:12:00 | 家庭小説

ある時友人にこう言ったことがあります。
「人生には読んでおかなくっちゃならない本ってあるよね。」

彼はサラッと答えました。
「そうだよ。」

・・・なかなかの名言でした。いまだに忘れられない一言です。

さて、『昔気質の一少女』の紹介です。

前回は十四歳だった主人公ポリーも二十歳になり、家計を助けるためにピアノ教師として働くことにします。

ますます貴婦人として磨きをかけた友人ファニーは相変わらず。
幼かったその妹モードもようやくRの発音が満足にできるようになり、いつもポリーをからかっていたトムは大学で伊達男として名を馳せることに。

今回の見どころは、このファニー嬢の変化と、ポリーとファニーの恋模様♪
そして時代に先駆けた女性の自立をテーマにしたオルコットの見事な文体です。
アメリカで女性参政権が実現するのはこの小説の発表後半世紀がたった1920年なんですから、考えてみるとスゴイ!

「男だって女だってその心情や気概はみんなが考えているほど違うものではない」

ポリーの友人として登場する若き芸術家達。
お金や流行や地位に振り回されず、才能と若さで世間に立ち向かう彼女達。
そして独立を獲得するために一本の針で戦うあわれなジェーン・ブライアントのような多くの女性。
彼女達に、そしてポリーに誘発されて、あのファニーが「真に大切な物」に目覚めていく過程は胸がスーとします。

ファニーの一家を襲うことになる大きな困難でさえ、彼女を、そしてトムを大きく成長させる助けとなります。
もちろん、どんな時でも物事のよい半面を見る才能を持つポリーの存在は欠かせません。

「自尊心は懐の中にしまっておきなさい。そして貧乏は何も恥ずべきことではない、不正こそ恥ずべきことだということを忘れないようにおし」

貧困と労働の中にも喜びを見出し、人生を楽しむ術を知っているポリーのなんと魅力的なこと♪

そんな彼女が悩まされる恋愛模様は、「もうお願い、かんべんして!」と思わず叫びたくなるほどじれったい!

オルコットは読者を惹きつける天才ですね。
読者にはお互いの気持ちがわかっているだけに、ちっとも進展しない二人に「早く気づけよ!」と突っ込みたくなります(笑)
思いやりと取り越し苦労、よけいな告げ口に根拠のないウワサ話。
ファニーじゃないけど次の汽車で西部に行ってポリーの恋敵をひとにらみで倒し、意中の彼氏をばポリーへのおみやげにさらってきたくなります(…ファニーならやりかねない☆)

作者が読者に語りかける(いいわけかな?)シーンもあって、全編に流れる愛情とユーモアは、爽快感を与えてくれます。

物語中でオルコットが危惧していますが(笑)「この昔気質の娘の表紙が図書館でよれよれになっているのを発見するというような名声」は間違いなく与えられたことでしょう。
なんてったって百年以上たった今でもこんなにも熱烈な読者を獲得する魅力を持っているんですから。

現れては消えていく様々な時代の価値観にも揺るぐことのない人間の真実。

ぜひ若い人達に読んで頂きたい。

私の人生の中で、まさに「読んでおかなければならない本」の一冊です。



ルイザ・メイ・オルコット  著
吉田 勝江  訳
角川文庫


十月の本棚 2.5

2003-10-19 00:47:00 | 家庭小説

「フィンおばさん。ご迷惑をおかけするのをどうぞお許しください。でもこうするよりほかないのです。私は生きていけるだけのお仕事をみつけることができません。お医者様は静養しなくては病気は治らないと言います。でも私は他のかたの重荷になるのはいやなんです。ですからもうこれ以上誰にもご迷惑をかけないですむところに行こうと思います。おばさんから拝借したお金をお返しするために、身の回りの物を売りました。どうぞ私をこのままにしておいてください。人を呼んできて私を見せたりしないでくださるように。こうすることが罪深いことでなければいいと思います。でもこの世界には私のいる場所はないような気がします。私は今は死ぬのはこわくはありません。生きていて、正しい生活をすることができないで悪い人間になることを考えるとそのほうがこわいと思います。赤ちゃんによろしく。さよなら。さよなら。

         ジェーン・ブライアント」

『昔気質の一少女(下巻)』より。 十七歳の身寄りのない少女ジェーン・ブライアントの遺書。

内容をそのまま引用するのはルール違反のような気もしましたが、あまりの文章につい書き込んでしまいました。

心がふるえた一瞬でした。



ルイザ・メイ・オルコット  著
吉田 勝江  訳
角川文庫


十月の本棚 2

2003-10-18 23:53:00 | 家庭小説

アニメーターになって、初めてもらった仕事は世界名作劇場の「愛の若草物語ナンとジョー先生」の一シーンでした。

そして、めでたくも、これが見事リテイク(やり直し)第一号となりました(苦笑)

オルコット先生ゴメンナサイ。

だけど楽しい仕事だったな~♪ (生活は苦しかったけど…)

ボストンの名門出ではあるものの、父親の事業の失敗などで貧困生活を余儀なくされたオルコット。
それでも筆をとりつづけた彼女は、二十年目にしてようやく『若草物語』がヒットして日記に「借金はのこらず返済、安心して死ねる気持ち」と書き残しています。

今回ご紹介する本は、そんな『若草物語』の作者が送る、ちょっと趣きの変わった物語。

ボストンを舞台にした、ルイザ・メイ・オルコットの『昔気質の一少女』です。


ボストンの上流社交界に浮き身をやつす少女ファニーのもとに、昔気質の教育を受けた田舎娘、ポリーが遊びにやってきます。

まるで毎日お菓子ばっかり食べて暮らしているようなファニーの都会的で華やかな生活に、田舎育ちのポリーは振り回されっぱなし。
おしゃべりとファッションが幅を利かすファニーの友達とのお付き合いにも辟易してしまいます。

そんなポリーでしたが、喧騒と社交辞令の中で知らず知らずのうちに心の明りを曇らせてしまっていたファニーの家族にとっては、彼女の昔風の、そして優しい心遣いは、忘れていた家庭の幸せに光を投げかけてくれることとなるのです。

「今の女の子は、悲しいことに美しい昔気質というものを、まるで知らないようにみえる。知っていてもそれを恥じるような風潮にあるように思われる。真に女を美しくし、家庭を楽しいところにするのは、古きよき習わしであると思うのだが…」

序文でオルコットはこう書いていますが、オルコット自身、「女が結婚もせずに小説なんか書いて…」という時代の中で作家を続けていました。
しかもこの物語が書かれたのはアメリカ南北戦争後というのだから、「昔」の定義も難しい。

だけどこの”旧式な”ポリーの行動には、時代を越えた『真実』のようなものを感じます。

「取るにも足らない自分でさえも、何かよいことをすることができるかもしれない」

ファニーの父親が家に帰るたび、このバラ色の頬をした少女が小走りで向かえに出て、小さい両手を彼の大きな腕にまわすシーンは読んでいてついつい微笑んでしまいます。
カワイイ娘に、こんな出迎えを毎日してもらったら、たまんないな、父親は(笑)

ファニーはおやすみのキスも「赤ちゃんみたい」とバカにしますが、ポリーは気にしません。

一人でいることの多いおばあさまのお話を真に嬉しそうに聞くポリー。

こうしたポリーにとって「当たり前」の愛情が、生活を浪費することに忙しいファニーの一家に暖かな変化をもたらしていく様は、現代の私達にも「大切なこと」を教えてくれます。

ポリーの母親はいつも彼女にこう言い聞かせていました。
「たとえ小さい女の子でもこの広いせわしい世の中に何か力を尽くせるし、いくらでも善行をほどこせるものです」

自身、南北戦争に看護婦として志願したオルコット。
その時にかかった熱病がもとで、終生健康な体には戻れませんでしたが、衰える体力に鞭打つように小説を発表し続けていきます。

そんな中からこうした珠玉の作品達が生まれていったんですね。

この物語は南北戦争後のアメリカの人々の心を打ち、多くの要望に応えて、次の年には続編が書かれました。

舞台は六年後。ピアノ教師として自立したポリーの物語。

では続きは次回ということで。



ルイザ・メイ・オルコット  著
吉田 勝江  訳
角川文庫


九月の本棚 4

2003-09-30 23:05:00 | 家庭小説
初めて女の子と遊びに出かけたのは遊園地でした。

デートと呼ぶにはお粗末なもので、自分でもわかるほど変にはしゃいだり、相手の気持ちも考えずに場違いなことをしゃべり続けていたり。結局、気を使いすぎて臆病になり、手も握れませんでした(笑)

こうした想い出は不思議と忘れませんね。気まずい沈黙と夏の日差しの中、ただただ歩き続けていたのを憶えています。

さて、今回ご紹介するのはアメリカの若者達が登場する青春小説。

モーリーン・デイリの『十七歳の夏』です。

主人公のアンジイ・モロウは高校を卒業したばかりの十七歳。
中流家庭の四人姉妹の三女として、優しく厳しい両親に育てられ、姉達の恋模様やコールドクリームだらけの顔を横目で見ながら、ウィスコンシン州の片田舎で暮らして来ました。

アメリカの新学期は九月から始まるので、授業は五月に終り、六月七月八月と長い夏休みが続きます。
高校を卒業する十七歳の夏はその中でも特別。新しい旅立ち。そして別れ。それぞれの人生の岐路に立つ、大人への入り口。

その夏、アンジイは高校時代はバスケットボールの花形選手で、今は父親のパン屋の手伝いをしているジャックに、生まれて初めてデートに誘われます。とまどいながらも、はずむ胸を押さえて、こわごわ母親の許可を得た彼女は、夜の湖へとボートに乗りにでかけます。

物語は、特に大事件が起こるわけでも、ドラマティックな展開が待っているわけでもありません。二人のデートは、街のドラッグ・ストアにコカコーラを飲みに行くとか、配達用のトラックでドライブするとか、映画を見に行くとか、ごく普通のありふれたもの。

発表されたのが1942年なので、ダンスパーティーとか、ジューク・ボックスなどが登場し、いかにもアメリカの青春物といった感じ。ところが、アンジイのひとり語りで進んでいくこの物語。切り口がとても新鮮で、グッと読者の心をつかんでしまう魅力にあふれているんです。

特に、彼女の内面の葛藤、これがじつに面白い♪

他の女の子達のように話したり、ダンスをしたりできない自分はジャックにつまらないおもいをさせたのではないか、と悩むアンジイ。

自分でも男の子を思い悩ませることができると知った時に感じた、心ときめくような魅力的な力。
時にはこんな思いにもかられます。

「その男の子のことがとっても好きでも、彼が自分のことで心配しているということをときどき知るのは面白いわ」

まてまて、アンジイ(笑)

心配する男の身にもなってくれ! どうして電話がかかってくると知っていながら、わざと散歩にでかけたりするかな~

そっと重ねた手の平を、まるで何も触れていないかのように振舞ったり、家族の前でちょっと音をたてて食事をしたからって口をきいてくれなかったり。そうかと思うと、瞳を輝かせて、幼い下の妹相手にジャックのことをしゃべり倒したり。(聞いていようといまいとおかまいなしに)

そんな二人が、初めてのケンカや嫉妬を経験して、自分の気持ちや相手の気持ちに気が付いていく姿は、否応もなく読んでいるこっちの心の奥に眠っていた想い出を呼び覚まします。

そうそう、みんなこんな時期があったよねって☆

しっとりと、細やかな内面描写や、感情によって映り方をかえるまわりの景色など、読んでいてかつての自分の十七歳を思い出さずにはいられない。けっしてカッコよくもロマンティックでもなく、必死でもがき苦しんでいた時期だったけれど、確かにあの時期は特別だったような気がする。

物語は、新しい旅立ちの季節。九月を目の前にして、二人に訪れる別れと、未来への希望を匂わせて幕がひかれます。

涼しい秋風を感じる今日この頃、九月の風がまだ残っているうちに、この物語を紹介したかった。

ありふれた、それでいてたった一度の『十七歳の夏』を描いたこの作品。
誰もがかつて通ってきた道。
迷いと戸惑いの中で歩んできた自分達の道程を、忘れてしまわないように、たまにはこんな物語を読んでみるのはいかがでしょう?












モーリーン・デイリ  著
中村 能三  訳
角川文庫

九月の本棚

2003-09-16 23:26:00 | 家庭小説
いい季節になってきましたね。
緑が映え、木々がざわめき、青い空に力強い雲。
秋の実りを待ち望む動物達に、生命力を使い果たさんばかりの虫の声。

近づく読書の秋を先取りして、今回ご紹介するのは、自然描写がとっても魅力的な物語。

ジーン・ポーターの『そばかすの少年』です。

初版はなんと1904年! 日本が日露戦争なんかでてんやわんやしていた明治時代に、小説家という職業婦人が社会的地位を持っていたことも驚きなんですが、その内容の美しさに感動してしまいました。

片腕を失くした痛々しい姿で孤児院の入り口に捨てられていた赤ん坊。名前もわからず、その容姿から「そばかす」とだけ呼ばれていた少年は、もらわれた先で、いわれのない暴力と差別を受け、そこから逃げ出します。仕事を求めて少年がたどり着いたのは、原始の姿を残したリンバロストの森。そこで初めて人間らしい扱いを受けたそばかすは、森の番人として木材会社で働くことに。

この”そばかす”って少年がとってもイイんです♪

森の木を盗み出そうとする荒くれ者達。
跳びかからんばかりに尻尾を鳴らすガラガラ蛇。
片腕だけの体ではあっても、魂は勇気と責任感に燃えるそばかす。

突然あらわれた少女を「エンゼル」(天使)と呼び、心から崇拝するそばかす。
エンゼルの忘れていった帽子を届けるために街に降りたそばかすが、メチャクチャ会いたいくせに、わざわざ彼女の父親の会社に帽子と伝言を預けるシーンには驚きました。この行動、「紳士たる者はこうあるべきだという自分の良識」に従ったそばかすの対応が、実業家のエンゼルの父親に感銘を与える結果になります。

それでも、エンゼルを崇拝し、彼女のためなら命さえ投げ出す、そんなそばかすの思いは、それを口にだすくらいなら、死さえ望むほどに絶望的です。

名前さえない自分のこと、子供の片腕を奪ったであろう両親のことを考えると、そばかすがそう思うのもわかる気がするんだけれど、エンゼルは自分達の運命に敢然と立ち向かいます♪

そう、彼女も戦う少女なんです(笑)

「痛快」という言葉がぴったり☆

時に荒くれ者にピストルを向け。
大の男達に指図をし。
捕まったそばかすを救うため、一人で盗賊の首領と対峙する天使。

リンバロストの森の描写も素晴らしい♪

実は、ジーン・ポーターは蛾や蝶のことではけっこう知られた有名な博物学者なんです。実際にリンバロストの森に蝶を採りにしばしば訪れています。

はたして、そばかすとエンゼルは立ちはだかる困難に打ち勝つことができるのか?

しかし、いったいどうやって?

ぜひとも一度は読んでもらいたい本です。

自然豊かな森と、少年と少女の身も震えるほどの愛の物語。
忘れかけた人間の真の美しさを思い出させてくれる、そんな扉が目の前に開いていたら…

どうです?秋の夜長のつれづれに、あなたも覗いてみませんか。









ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

九月の本棚 3

2003-09-15 00:38:00 | 家庭小説
高校時代に読んだ『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」は今でも大好きな話の一つです。

マユも剃らず、歯もそめず、毛虫の収集を趣味とする姫君。
こういう人は、何が大切で、何が重要でないか、ちゃんとわきまえていたんだと思いますね☆

さて、『リンバロストの乙女』の二回目です。

我等がエルノラも、蝶や蛾の扱いについては「虫めづる姫君」に劣らず、かなり優秀です。”鳥のおばさん”から、蝶や蛾のコレクションがお金になることを聞いたエルノラは、学費からなにから、すべての資金をまかなうために、それらの収集に懸命に励みます。

蛾の中で「詩人の王」と呼ばれるシセロニア・レガリスが殻からはいだし、しだいに羽を広げていくシーンには、さしものエルノラの母親も、神の力を認めないわけにはいきません。

「わたしの魂を自由に拡げて、あなたの驚くべきみわざをあますところなく悟らせて下さるようお助け下さい。」

実は私、このお母さんの大ファンなんです(笑)

実際的で理性的。そうかと思うと夜中に沼の畔で、夫のために悲痛に嘆く激しい感情をあわせ持つ女性。悲しみと苦労のせいで自分以外の人間には冷淡に振舞うんだけど、その理由のわかっている読者には、そこさえたまらなく魅力的にうつってしまう。

もちろん、その他の登場人物もとっても魅力的です☆

病気の療養で訪れたフィリップ。
彼の婚約者で、社交界の女王様然としたエディス。
二人の友人で、愛するエディスのために奔走するヘンダソン。

物語後半は、ものすごい勢いで、恋物語へとなだれ込んでいきます。

高校生活はエルノラを少女から若々しい女性へと成長させました。
卒業式も終え、大学へ行く資金を稼ぐためにまたしても蝶や蛾を集めなくてはならないエルノラは、ある日、静養のためこの地を訪れていた一人の青年と出会います。
蝶や蛾について語り、学問について議論をかわす二人。そんな彼、フィリップに婚約者がいることは、すぐにわかり、エルノラは彼の婚約者に公平であろうと、フィリップに対し友人として接します。

やがて、リンバロストとエルノラに心を残しながらも、父の仕事や自分達の結婚式の準備のために去って行くフィリップ。

エルノラの母親はかたく抱きしめて娘に訊きます。

「言っておくれ。その涙はひとしずくでもあの人のせいなのかい?」

一方、自分と自分に対するフィリィプの愛を信じていながら、その愛を試すために何度も婚約を破棄すると言い出すエディスも、メチャクチャかわいい♪

フィリップをめぐるこのエディスとエルノラの二人っきりの刃の上を渡るかのような会話は、読んでいるこっちが息も詰まるほど。


 心は破れじ、
 過ぎし日の愛ゆえにうずき、
 痛む心にはあれど、 死には至らじ
 我がいのちこそ その証なれ


はたして恋の行方はいかに?

個人的には、エディスを愛するが故に、彼女の望む《フィリップの愛》をなんとか手に入れさせようとするヘンダソン君が健気で応援したくなっちゃうんだけど…

この物語には、リンバロストの美しい森だけでなく、『そばかすの少年』に出てきた人物や小道具も登場して、読者を楽しませてくれます。

しかし、そんなことよりもなによりも、まず一人でも多くの人に読んで頂きたい。
読んで知ってもらいたい。
私がどんなにこの物語で心揺さぶられたかを。

訳者の村岡花子女史はこう書いています。

「若い人々を読者として若い日の情熱を正しい方向へ導きたいというのが、私の生涯の仕事の基調です。」

何が大切で、何は重要でないかの選択を迫られた時、ちゃんと私の中でこの物語が生きています。
こんな出会いがあるから、人生はやめられないんですよね。

では、あなたにも、そんな素敵な出会いがありますように…










ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

九月の本棚 2

2003-09-15 00:01:00 | 家庭小説
いかなる環境に置かれようとも、人は、それに打ち勝つすべを生まれながらに持っている。

そうありたいと思い、そうであって欲しいと願うあなた。

今回は、そんなあなたに送るとっておきの物語。
ジーン・ポーター第二段。

家庭文学の近代古典『リンバロストの乙女』をご紹介します☆

父をリンバロストの沼で失い、それ以来いささかの愛情も示してくれない母と二人で森と共に暮らしてきた主人公のエルノラ。
町の高校に行き、勉強したいと切に願う彼女は、母親の反対をなんとか押し切り、念願の登校初日を迎えます。ところが、始業式の会場に立ったエルノラは呆然とします。

「これはなにもかも間違いなのだ。これは学校ではなく、蝶結びにした大きなリボンの大展示会なのだ。」

よい匂いをさせて、鳥や花とみまがうばかりのはでやかな装いをした、幸福そうな若い少女たち。対して自分は、丈の長い褐色の更紗の服に、重い革のドタドタした長靴。古ぼけた帽子に幅の狭いリボン。

エルノラの田舎じみた格好は、たちまち好奇の目にさらされ、彼女は恥ずかしさのあまり思わず天に祈ります。
「神さま、あなたの翼の蔭にあたしをかくして下さい」

こういう身の置き場のない、いたたまれない気持ち、わかります。
私も中学生の時に、床屋で変な髪形にされた時は、真剣に学校休もうかと考えましたもん☆

そんなエルノラに、さらに追い討ちをかけるように、授業料や教科書代などで、たくさんお金が必要なことが知らされます。エルノラの家はけっして貧乏というわけではないのですが、最愛の夫を沼で失ってからというもの、心を失ったかのように娘につらくあたる母親が、お金を工面してくれる希望はほとんどありません。

だけどエルノラはあきらめません。母からの援助が期待できない以上、彼女は自分の力で、この困難を乗り越えようとします。

こうしたエルノラの奮戦が、前半の見どころなのですが、こんな大昔から女子高生ってお金がかかったんですね。
通学で使うギンガムや麻の服に、色とりどりの髪リボン。洗髪用石鹸に爪みがき、コールドクリームなどの化粧品。革のベルトにハンカチ、帽子に靴下、散歩用の短靴。お弁当箱。

極めつけはグループ内のお茶会。

仲の良い友達同士が、順番に高価なお菓子やアイスクリーム、熱いチョコレートなどをおごるのだけれど、もちろんエルノラにそんなお金はない。

ここからが我等がエルノラの真骨頂。

楓糖でかため、ぶなの実をふんだんにちりばめた、はぜとうもろこし。砂糖をかけたヒッコリーの実の心。暖かなかぼちゃパイに、香りのよいドーナッツ。熟し切った赤いさんざしの実に、こうばしい大きなあけびの実。シュガー・ケーキに口の中で広がる香料入りの梨。大切な友達との付き合いのために、泣き言もいわず、自然からの贈り物をせっせと集めるエルノラ。
そのもてなしは大好評で、少女達が金切り声をあげて突撃するほど♪

こうした健気でがんばり屋のエルノラに、ジーン・ポーターは次から次へと無理難題を押し付けます(笑)

もう、ちょっとはそっとしておいてやってくれ! と思わず叫びたくなるほど。かわいそうな子供に自分のお弁当を全部あげてしまうエルノラ。ところが、次の日には子供は三人に増え、その次の日には昨日の三人に加えてなんと大きな犬まで(笑)

礼拝式の当日になって、頼んでおいた新しい服がないことに途方に暮れるエルノラ。後半は、婚約者のいる優しい青年がエルノラの前に登場したりして、さあ大変!

この続きは次回で紹介しましょう。
この本、角川文庫版だと、上下二冊にわかれているので、紹介も二回にわけて…なんて、まだまだ書き足りないだけなんですけどね。
なんてったってこの物語、とってもお気に入りなもんで☆









ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫