私的図書館

本好き人の365日

株式上場

2006-01-31 22:21:00 | 本と日常
思わぬところでライブドア・ショックです*(びっくり2)*

うちの会社は、去年くらいから、株式の上場を目標に色々とやって来ました。

証券会社の指導のもと、経理の仕組みを大幅に変え、すでに同じ名前の企業が上場しているので社名の変更をコピーライターに依頼し、社員の持ち株組織を準備して、積み立て金の徴収も給料から天引き。

それがここに来て、会社側からの急なお知らせ。

なんと、株式上場の計画を延期するとのこと。
しかも、延期というのは、無期延期で今後はまったく予定がたっていないとの説明。

どうやら、一連のライブドア事件で、株式上場もいいことばかりじゃなさそうだと社長が気が付いたらしい(もっと早く気付け*(びっくり1)*)

ま、他にも銅の値段が上がって(うちは銅管パイプを扱っています)、利益計画の見通しがたたないことも原因らしい。

まだ社名を変更する前で良かった*(汗)*

まさかライブドアの事件が自分の会社にまで影響するとは思いませんでした。

ワンマン社長の会社なので、ニュースを見ただけで「株は危ない!」と思い込んで社長が即決した可能性も…ないとは言えない (^_^;)




一月の名言集

2006-01-30 22:55:00 | 本と日常
今はこんなに悲しくて

涙もかれ果てて

もう二度と笑顔には なれそうもないけど

…そんな時代もあったねと

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう





            ―中島みゆき「時代」―





僕とTくん その2

2006-01-29 20:49:00 | 本と日常
昨日の続き。

小学校六年生の僕とTくんが、学校の図書室で決闘をすることになったことまでは昨日書いた。

その時の気持ちは今でもよく憶えている。

僕は悔しかったんだと思う。
その頃の僕は当然だがまだ子供で、勉強のできない、先生にほめられたことのないTくんをバカにしていた。

みんなの嫌がることばかりしているTくんを、クラスのみんなに代わって一度やっつけてやらなければならないと、子供なりに自分を正当化する理由まで考えた。

でも本当は、自分がバカにしている相手に泣かされたのが悔しかったんだ。

相手の気持ちを考える余裕なんてなかった。
もしかしたら、Tくんは僕たちと一緒に遊びたかっただけかも知れない。
でもその方法がわからず、家に遊びに来た友達にタバコを吸ってみようと誘ったように、仲良くなるやり方が不器用なだけだったのかも。
本当のところはわからないけれど…

決闘といっても、殴りあったわけではない。

別にルールを決めたわけでもないのに、二人とも相手を傷つけるようなまねはしなかった。

勝負はあっけないほど簡単についた。
Tくんが僕を床に押し倒し、体の上に馬乗りになると、下になった僕はまさに手も足もでなくなった。

言い訳じゃないけど、同じ学年とはいえ、体格が全然違った。
体の小さな僕には初めから勝ち目なんてほとんどなかったのだ。

Tくんはそれ以上何もしなかった。
僕は負けを認め、決闘はそれでお終いになった。
悔しかったけれど、恨みはなかった。
このことは誰にも言わないと、僕とTくんと立ち会ってもらった友達の三人で取り決めて、テントを運ぶ作業にこっそり合流した。
誰一人気が付かなかった。

だけどそれ以来、Tくんは僕をいじめなくなった。一緒に遊ぶこともなかったけれど、何かが変わった。

中学生になると、Tくんはいわゆる不良の格好で学校に来るようになり、授業もサボって時々トイレでタバコを吸ったりしていた。

若い女の先生が泣かされたこともあった。
でも決して同級生には暴力はふるわなかった。

中学時代、一度だけTくんから電話がかかって来たことがある。
明日から二学期だという夏休みの最後の日。
夜になってかけてきた電話で、Tくんは夏休みの自由研究を、僕と共同でやったことにしてもらえないかと頼んできた。

Tくんが宿題を気にしていることにも驚いたが、僕に電話して来たことにも驚いた。
僕は「いいよ」と返事をして、自由研究のノートに、Tくんの名前も書いて提出した。
でも結局、先生にはすぐにバレた。

そんなことは僕にはどうでもよかった。
ただ、あることがきっかけで、僕とTくんは決定的に決別することになる。

Tくんは、あの決闘のことを自分のクラスの男子に話したのだ。
それも僕の負けた様子をおもしろ可笑しく身振り手振りで解説し、みんなの前で僕を笑い者にした。

僕は取り合わなかった。
男同士の約束を破ったTくんを軽蔑していたし、みんなの前で哀れな「僕」を演じるためにへなへなとした動きをするTくんが、実際哀れに見えたのだ。

その場では何人かが笑ったが、そのことでからかうような同級生は一人もいなかった。それが本当のことなのかと聞く者も一人もいなかった。
翌日にはみんな忘れてくれた。

その後、僕は隣町の高校に進み、Tくんは地元の農業高校に進んだ。
そこは近隣の不良が集まる有名な学校で、Tくんのウワサはどんどん悪くなっていった。

それから、Tくんとは二回しか会っていない。

一度は高校に入って間もない頃。
駅から出たところで僕はふいに名前を呼ばれ、振り向くと、見たことのない高校生数人が地面にしゃがみ込み、振り向いた僕を見て笑い声をたてていた。

その中にTくんがいた。

多分、Tくんが僕の名前を教えたんだろう。
やることがないので、みんなでああして座り込み、駅から出てくる奴が振り向く姿を見て笑って楽しんでいるのだ。

そう理解はしたものの、それが何の意味があるのか当時の僕にはわからなかった。

ただ、友達と一緒にいるはずのTくんの姿が、ひどく窮屈そうに見えたのを憶えている。

最後に会ったのは、19才の時。
その頃僕は横浜で暮らしていて、田舎に帰るのはお盆とお正月だけになっていた。

久しぶりに帰省し、駅前をブラブラしてふと立ち寄ったゲーム屋に、Tくんがいた。
彼はその店で働いているらしく、僕を見つけるとレジから離れて「久しぶり!」と声をかけてきた。

…僕もTくんだとすぐにわかった。
でも、その時口から出てきた言葉は………

「ごめん、誰だっけ?」

関わり合いになりたくなかった。
僕には新しい生活、新しい友達がいて、その時の僕にとってTくんは邪魔な存在でしかなかった。

Tくんは、しばらく黙ったまま立っていた。
自分が誰だか名乗ろうとはしなかった。
そのままレジのところに戻り、二度と目を合わせようとはしなかった。

今でも後悔している。
どうしてあの時あんなことを言ってしまったのか。

相手の気持ちなど、その時の僕には考える余裕がなかった、若かった、と言えば、言い訳になるだろうか。

いま会ったら、あの時とは違う言葉をかけられるだろうか。
実をいうと、その自信はない。

重松清さんの『きよしこ』という小説に、ゲルマという少年が出てくる。
みんなが迷惑しているのだが、お兄さんがツッパリだからみんな黙っている。
でも本当は友達思いで、でもそれを表現しようとすればするほど、さらに友達を傷つけてしまっていることに本人は気が付いていない。
このゲルマという少年と出会って、(そうか、Tくんもそうだったのかも知れない)と思った。
だから、こんなことを書くことにしたんだ。

Tくんは地元の成人式にも、同窓会にも一度も出席しなかった。
今ではウワサさえ聞かない。





僕とTくん

2006-01-28 23:19:00 | 本と日常
自分の話は照れくさいけれど、今日は友達の話。

重松清さんの小説『きよしこ』を読んで、このことを書かなくっちゃいけないと思ったから。
誰のためというわけじゃなく、自分のために…

彼との思い出は小学校の頃から始まる。

同級生は全部で49人。
信号機もないような田舎で、金融機関といえば農協と郵便局だけ。
郵便配達の人が来たら、お茶を出してもてなすような、そんな山あいの土地で僕らは育った。

彼(仮にTくんと呼ぶ)とは5年生まで別のクラスで、特に親しかったわけじゃない。

Tくんは中学生になった頃から荒れはじめ、卒業する頃には、いわゆる誰もが認める不良になっていて、かなり先生たちを困らせた。

小学生の頃もいたずらばかりして、みんなに嫌われ始めていたけれど、それはまだどれも幼い、たわいのないものばかりだった。

そんなTくんも字と絵だけはうまかった。

僕もその当時から絵を書くことが好きだったので、六年生で同じクラスになった時、自然と一緒に遊ぶようになった。

宇宙戦艦ヤマトをエンピツで下敷きに書いたり、当時はやっていたガンダムのシールを駄菓子屋で買って来ては、Tくんと僕と、もう一人の友達と三人で、買ったばかりのシールの図柄を見比べ、放課後になっても一生懸命ノートに模写したりしていた。

Tくんは兄貴肌で、けっこう面倒見がよかったりして、僕はTくんみたいになりたいと、その絵を真似たり、平仮名の「さ」を二回(ふた筆)で書くTくんを見習って、(僕は三回、横棒を引いて、縦棒を下ろし、最後に斜めに線を引くので、どうしても最後の線が離れてしまっていた)家で平仮名の「さ」を書く練習をした。

そんなTくんが、一度だけ家に招待してくれたことがある。
日曜日なのに、家族の人はいないらしく、僕ともう一人の友達とTくんだけだった。

そこでTくんはタバコを持ち出して来て、「吸ってみよう」と言い出した。
家の中ではまずいと思ったのか、僕ら三人は外に出て、田んぼの土手に隠れるようにしてそれぞれタバコに火を付けた。

全然おいしくはなかった。
むしろ不味くて、のどがイガイガして、吐き出したくなった。
それは他の二人も同じだったらしく、二口三口吸ってみんなやめてしまった。
だけど、なんだかいけないことをした高揚感に包まれていたことは確かで、共犯者になったという、友情みたいなものもなんとなくあったんだと思う。
でも、それは同時にとってもさみしい友情で、三人の間には嬉しさは微塵もなかった。

それから家の中に入り、今度はイタズラ電話をしてみよう、ということになった。
実はそのあたりのことはよく思い出せない。
困ったことになったぞ、と思ったのは憶えているのに、誰が最初に電話したのか、Tくんたちが実際に電話をしたのかも憶えていない。

ただ、僕は確実に黒電話のダイヤルを回した。

デタラメにダイヤルしたはずなのに、電話に出た女の人は、「もしもし」という僕の声に気付いて、「あら、○○くん」と答えて来た。
なんのことはない、無意識に何回もかけたことのある自分ちの隣の家の電話番号を回していたのだ。
しかもたまたま、その家に妹が遊びに行っていて、気を利かせたおばさんは、僕が何も言わないうちに、妹に電話を替わってくれた。

妹に何を言ったのか、とにかく電話を切った僕に、Tくんは、もう一度かけろとは言わなかった。

思い出の中のTくんの家は閑散としていたように思う。
温かい色合いのものは何もなかった。
おもちゃも、本も、Tくんの居場所を示すような空間はどこにもなくて、僕たちは玄関の床の上に座っていた。

そんなことがあって、しだいに「おえかき」もしなくなっていった。

Tくんのいたずらは度を超すようになり、ある時、便所掃除用の消毒液をその場で一緒に掃除していた友達にかけようとして追いかけっこになった。
僕もさんざん追いかけられ、みんなの前でとうとう泣いてしまった。
消毒液をかけられるのが本当に嫌だった。
女の子の前で泣かされ、すごく恥ずかしく、情けなかった。

もうこれは許しておけない。
そう思った僕は、Tくんを図書室に呼び出し、決闘をすることにした。

運動会のテントを借りるため、みんなが500mほど離れた中学校に行く日を選んで、僕とTくん、そして立会い人の友達、かつての三人で先生の目を盗んで図書室に忍び込んだ。



…長くなったので二回に分けます。



一月の本棚 2 『きよしこ』

2006-01-27 00:03:00 | 本と日常
こんな小説初めてでした*(音符)*

重松清の『きよしこ』☆

言葉がうまくしゃべれない。
無理にしゃべろうとするとどもってしまう、吃音(きつおん)の少年を主人公にした物語が全部で七編*(ハート3つ)*

読み始めて数行、「あぁ、この先読んでしまいたくない…」と思ってしまったのは、この物語が自分の心の奥にふれる内容だと直感したからかも…

ある意味、とっても心が痛い。

父親の仕事の関係で、何度も引越しを体験する少年が、その先々で出会う友達や大人たち。
小学校一年生から、中学、高校、大学受験と、少年の成長を追うように物語も進んでいきます。

吃音を気にして、しゃべる言葉をとっさに選ぶ少年。(少年は「カ」行と「タ」行が苦手)
思っていることをしゃべれないのは、言葉がつっかえて笑われるよりも、ずっとくやしくて、さびしい。

言葉がつっかかりながらも、両親に思いを伝える少年。

吃音を矯正するセミナーで、机をガタガタゆらして抗議する少年。

ただ、確かに吃音であることも、少年にとって大きな、とても大きなことなのですが、この小説はただそれだけじゃない。

少年のまなざし、そこにうつる少年や少女の姿。それが自分の思い出の中のかつての少年少女、自分の友達の姿と重なって、実にリアルに伝わってくるんです*(びっくり2)*

仲のいい友達のこと。
悪い仲間と街を歩いているのを見かけたかつての友達。
仲間はずれにされた子のさみしそうな目。
何もしゃべらず、ただ並んで帰った夕暮れの駅への道。

楽しい思い出ばかりじゃないけれど、どれもが大切で、気付かないうちにそっとしまい込んでしまっていた心の断片を、再び思い出させてくれた…

こんな小説の力は未体験☆

ひとりぼっちで、夢の中のなんでも分かり合える友達「きよしこ」を待ちつづけていた少年。
そんな彼が、同情されたり、哀れみの目で見られる事を何より嫌い、自分しか自分の人生を生きることはできない、と傷つきながらも心を閉ざさずに歩いていく姿には心打たれました☆

いやおうなく自分の人生と向き合わねばならない少年と比べ、できるだけ自分の心の中の弱さを見つめることをさけていた自分にとってはちょっと痛い読書体験。

それでも、だからこそ、忘れられない一冊になりそうです*(音符)*

読んでいて、先日紹介したあさのあつこさんの『バッテリー』にもどこか通じるところがあるような、と思っていたら、なんと解説はその、あさのあつこさん!

これまた偶然*(びっくり2)*

こんなことってあるんですね~

読みながら、何回目を潤ませ、この感情をどう処理しようかとウロウロ歩き回ったことか(笑)

またまたこんな小説に出会ってしまって、しばらくは同じ作者の本を買い漁ることになりそうです。

重松清さんの本を読むきっかけにもなり、この「きよしこ」を薦めて下さったcafe友達のpetitrose(はりこ)さん、ありがとう*(ハート)*



…最後に、私にもこの物語で「ゲルマ」と呼ばている(「ゲルマ」はゲルマニウム・ラジオのゲルマ)少年によく似た友達がいました。

この小説を読んだ今なら、彼の気持ちも少しだけわかるような気がしています。

重松清さん、ありがとう☆







重松 清  著
新潮文庫



「悪意」の存在

2006-01-24 23:52:00 | 本と日常
今、ニュースで話題のライブドア。

ちょっと興味があったので、堀江社長のブログを読んで来ました。

昨日の時点で4000件を超えるコメントが寄せられていて、その内容は…ちょっとヒドイ*(涙)*

誹謗中傷、罵倒、いやがらせ。
中には「信じています」「頑張って下さい」という応援(?)コメントもあるのですが、それはそれで疑問に思えてしまって。

いろいろな事件が起こる度に、加害者は言うに及ばず、被害者当人やその家族に対してまでかなりの数のいやがらせ電話がかかってくると聞いていたのですが、今回自分の目でそれを確認して、なんだか恐ろしいものを感じました。

人間の「悪意」ってやつでしょうか…

たとえ顔の見えない電話やブログのコメントとはいえ、他人を傷つけるような言葉を並べて、その人は自分が傷つかないのだろうか?

犯罪は犯罪なので、罪はキチンと償ってもらいたいけれど、その尻馬に乗っかって、自分の顔は隠したまま、平気で他人を傷つけるような言葉を投げつけていく人たち。

なんだかそっちの方が怖い…

マスコミの対応も、なんだか手のひらを返したよう。
コメンテーターの「前からおかしいと思っていた」みたいな発言や、政府の煮え切らないコメントにも首をかしげてしまう。

なんとなく、どこかが狂ってきている予感がして、不安な気持ちになってしまいました。



くるまの中身

2006-01-22 19:26:00 | 本と日常
車を車検に出しました。

やっぱり…高い*(汗)*

保険も更新して、痛んだ部品も交換、手数料も合わせると十万超えます。
命に関わることだから、しかたがないとはいえ、車持つって大変です。あ~あぁ*(涙)*

「車は走れば充分」という考えなので、普段からそんなにお金はかけていません。

会社の仲間なんかには装飾やパーツにこだわって、個性的な車体に仕上げている子もいますが、「視界が狭くならないのだろうか?」とか「うるさくないのかな?」と、素朴な疑問を感じながら温かく見守っています☆

逆に外見は汚れ放題、車内も散らかったままという車を見かけると(実は止めている駐車場の隣の人がそのタイプ)、なにか犯罪のにおいを感じてしまうんですけど、それは考えすぎかな(^_^;)

一度、コンビニで店員の車の横に止めた時、その車内のあまりの散らかりよう、雑誌の下からのぞく「美少女ゲーム」のいくつものパッケージにかなり引きました。

…他人の趣味をとやかく言う気はありませんが、人目を気にせず自分の欲望を抑えられない人はちょっと怖い。

自分の世界で自分が主人公なのはけっこうなのですが、周りの私たちをちゃんと人間扱いしてくれるのかな? と思ってしまいます。

そういう自分の車の中を見回してみると…
バイク用のブーツに雨の日用の傘。
テッシュに割り箸、ナイロン袋に折りたたみ毛布。筆記用具にライターと懐中電灯、懐中電灯用の予備の電池。
ぞうきんとタオル。
CDとMD多数に文庫本と道路地図。
それに今の時期は雪道用のチェーン一式。

…一般的な内容なのかなぁ*(はてな)*



賞状と映画化とマンガの話

2006-01-19 23:23:00 | 本と日常
芥川賞と直木賞の受賞者が発表されましたね*(音符)*

芥川賞は絲山(いとやま)秋子さんの『沖で待つ』。
直木賞は東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』。

インタビューをTVで見ていたのですが、なんだか二人とも個性的。

「芥川賞は足の裏についたごはん粒のようなもの。取れないと気持ち悪い」みたいなことを答えていた絲山秋子さん。

「落選する度にヤケ酒飲んで、選考委員の悪口を言ってました」という東野圭吾さん。

…う~ん、しゃべらないほうがいいんじゃないかな(笑)

コメントも作家らしく文章で出すことにしたらイメージ崩れなくていいのかも☆

ま、今のところどっちも読む予定はないのですが (^_^;)

でもこれでまた、本屋さんに山のように平積みされるんだろうな~

ところで、最近買った本はというと…

マイケル・ホーイ*(キラキラ)*「ネズミの時計屋ハーマックスⅠ 空いっぱいに恋してる」*(キラキラ)*

村上春樹*(キラキラ)*「ノルウェイの森」上下(文庫版)*(キラキラ)*

R・ウェストール*(キラキラ)*「クリスマスの幽霊」*(キラキラ)*

オースティン*(キラキラ)*「自負と偏見」*(キラキラ)*

ボードレール*(キラキラ)*「悪の華」*(キラキラ)*

…などなどこんな感じ*(ハート3つ)*

新作あんまり読んでない。

あ、あと「笑う大天使」映画化記念で表紙に川原泉(ファン*(ハート)*)の絵が載っていた月刊「MOE」も買ってしまった。(教えてくれたTi-ti-uuさんありがとう☆)

宮崎駿のインタビューも載っていて、特集は「もう一度マンガに夢中!」
なつかしい昔の名作から、全然知らない最近の作品まで、いろいろ紹介されていて、全部で100作品!

…今月はマンガでも読もうかな*(音符)*



一月の名言集

2006-01-18 20:39:00 | 本と日常


相手の意見がこちらと違うからといって、

相手の頭をたたき割ろうとするのは筋が通らない。

この論法でいけば、

十年前の自分と今の自分は違うのだから、

自分の頭をなぐるのが当然ということになる。





               ―ホーリス・マン―





一月の本棚 『バッテリー』

2006-01-17 01:15:00 | 本と日常
10代の少年が持つ危うさ…
それは、ぐんぐんと伸びる新芽のようでもあり、初めて空気にふれて身をふるわせる、さなぎから抜け出したばかりの白い昆虫のようでもあり…

思わず手を貸したくなるけれど、決して無闇に触れてはいけない存在。
見守るだけなんて、とってもじれったいけれど、触れたらその輝きも失ってしまいそうで怖い。
生まれたばかりのやわらかい羽をせーいっぱい伸ばす白い蝶…

読んでいる最中、主人公の少年に感じた印象は、まさにそんな危うさでした。
「もろさ」ではありません、むしろ「強さ」に秘められた危うさなのです!

さあ今回は、あさのあつこさんの本。
『バッテリー』をご紹介します☆

シリーズ物で、単行本全6巻がすでに刊行されていますが、先月、文庫版の最新刊、『バッテリーⅣ』も発売されました♪

文庫版には書き下ろし短編も収録されていてとってもお得*(ハート3つ)*

主人公の少年、巧(たくみ)は、中学入学を控えたその春、父親の仕事の都合で広島と岡山の県境の地方都市、新田市に引っ越して来ます。

生まれつき体の弱い弟、青波(せいは)は寡黙な兄と違い、明るく人当たりのイイ家族のムードメーカー的存在。(ファンです*(ハート)*)

仕事で忙しい父親と、弟の世話に奔走する母親。
そんな両親からは少し距離を置く巧は、引越し先である母親の実家に着くやいなや、さっさと荷物を片付けてランニングに出かけてしまいます。

彼は野球のピッチャー。
それも並外れた才能を持つ天才ピッチャーなのです☆

周りの大人たちに何と言われようと、チームメイトにどう思われようと、巧は自分の投げる球に絶対の自信を持っています。

孤高の天才ピッチャー。
それが原田巧なのです。

大人と衝突し、チームメイトに反発され、それでも自分のスタイルを変えない巧。
協調性が第一で、どんなに才能があってもそれを押さえつけようとする学校側の圧力や、異質な存在を仲間はずれにしたがる同年代の少年たちからの冷たい仕打ちの中で、不器用とうつるほど自分を守り通す巧。

時には妥協も必要だぞ! と衝突を避けるために妥協を繰り返して来た私なんかは思わず叫びたくなるのですが、巧のまっすぐ前を見つめる視線にぶつかると、そんな自分が恥ずかしくなったりします。

それほど、この主人公は自分の力を疑っていないのです。
だからこそ、周りが理解してくれないことに傷ついたりもします。

やがてバッテリーを組むことになる相棒、永倉豪(ながくらごう)は、巧のそんな姿に時にはいらだち、ケンカもし、憧れと共に理解しようと努めます。
しかし、巧の才能を誰よりも理解しているがために、自分の力のなさに苦悩する豪…

この豪ちゃんがまたいいんです☆

単なる野球少年物語ではなく、少年たちの持つ*(キラキラ)*輝き*(キラキラ)*を丁寧に描いたこの作品。

学校教育の持つ問題や、社会や世間が押し付けるやみくもな平等主義。
そんな闇を描くことで、忘れてしまいがちな、私たち誰もが持っている「個」としての尊厳と誇りのようなもの、自分の意見を発言し、その責任を引き受けるという当たり前のことを改めて思い出させてくれます。

あぁ、読んでよかった*(音符)*

主人公、巧の姿は、闇の中から輝く光だからこそ、こちらに鮮明にうつるのかも知れません。

実は映画化の話も動き出しているこの作品。
実在の役者さんで巧の役をやれる人がいるのかとっても不安なので、期待はしないでおこうと思っています。

それほど、大切にしたくなるキャラクターなんです♪







あさのあつこ  著
角川文庫



ある日の回転木馬

2006-01-15 23:59:00 | 本と日常
目標に向って歩くのが人生?

僕らはどこヘ行けばいい?

すぐこう考えてしまう、「あと何年生きられる?」

高校生がすれ違いざま、女の子に殴りかかる。「幸せそうで憎かった」

競争社会なんだ。幸せはみんなには行き渡らない。

彼らにそう教えた大人がもがき苦しむ。

誰も幸せにしてくれないって。

…だから本当はそうじゃない。

僕らは同じところをクルクル回る。

回転木馬には夢がいっぱい。

落ちないようにつかまって、周りの連中に手を振りましょう。

みんなあなたをうらやましがって、誰もが順番を待っている。

誰も前には進めない。

回転木馬は回るだけ。

屋根の上には星が広がる。

ここには音楽だけが響いてる。

僕らは草原を走る夢を見る。

そこには行き先なんて書かれていない。





              2006.01.15.


運命の出会い?

2006-01-14 23:59:00 | 本と日常
会社の帰り道。
ふと立ち寄ったコンビニで、その人と出会いました。

…エー、色恋沙汰の話ではありません*(汗)*

残念、そうだと良かったのですが(^_^;)

ばったり出会ったのは、今乗っている車を購入した販売店の人。

「ちょうどよかった!」とニコニコしながら近づいて来て、「もうすぐ車検だから一度寄ってよ」「保険もそろそろ更新だよね」と店内で営業活動。

確かに2月が車検ということは覚えいて、頭のスミでちょっとは考えていたのだけれど、仕事が忙しくてまだ何も決めていなかった…

なんだかタイミングよく出会ってしまったので、そのまま車検も保険も頼むことにしてしまいました。

なんかいきあたりばったりで生きてるなぁ(笑)

ま、その人の実家とうちの実家が近所だったこともあって、車買う時もサービスしてもらったので、断りにくいってのもあるんです。

それにしても、ほんの一分ずれていたら出会うこともなく、そのまま2月になって慌てて車検や保険の手配をしていたかも。
そう思えばこれも運命もお導き*(はてな)*

そんなわけないか☆
偶然♪ 偶然♪



一月の名言集

2006-01-09 22:38:00 | 本と日常
「ありがとう」

には幸せな思い出がつまっているのです





         ―ゆうきゆう「恋を実らせるほんのささいな60のことば」―



*(星)*つらい時に「私はもうダメ」とか、「うまくいくわけない」などと、マイナス思考で物を考えると、過去に味わったつらい時の記憶までが呼び覚まされて、どんどん悲観的な気持ちになってしまいます。
人間の記憶は、「周囲のできごと」に結び付けられて記憶されているため、マイナスの言葉に誘発されて、過去のつらかった時の感情までがのしかかってくるのです。
逆に、つらい時こそ、「ありがとう」などの前向きな言葉を口に出して下さい。
誰に言うのでもなくただ口のすればいいのです。
「ありがとう」には、嬉しかった時の記憶が結びつけられているため、それだけで、温かい気持ちがわき上がってくるはずです。
これを心理学用語で、「アンカリング」と言うそうです。
「アンカー」とは船などを止める「碇」のこと。
「ありがとう」には幸せな気持ちがアンカリングされています。
ただちょっと忘れていただけ。
あなたにも幸せな時間がたくさんあったことを思い出させてくれるはずです☆




物置きはブラックホール?

2006-01-08 23:58:00 | 本と日常
毛布を買って来ました*(音符)*
京都西◯のアクリル毛布4740円!

引越ししてから、羽毛布団の上下に毛布一枚で寝ていたのですが、あまりに寒いのでもう一枚買い足し。

実家に帰れば飼い犬にあげてもいいような状態の毛布から、一度も使っていない毛布まで、やたらにあるのはわかっているのですが、探すの面倒だし(どこにあるのかはしまい込んだ母親本人でさえわからない。しかも、同じ場所には二度と置いてない*(涙)*)、いま買うと割引があるというので、まあ衝動買いみたいなもの。

さすがに新品は肌ざわりがイイね*(ハート)*

実家では2年前に農機具を入れていた小屋を取り壊し、新しく物置き小屋を建てたの(瓦ぶきで車庫まで合わせると20畳ほど)ですが、買い置きのティッシュだとか、貰い物の瀬戸物だとか、一度しか使ったことのないバーベキュウセットだとかでもういっぱい。

もうひとつ車庫があるのですが(農家はこういう小屋が母屋の周りにけっこう並んでいるのです)、こちらは車2台が入るものの、物置き部分は同じようなもの。

そしてついに、昨年の年末から、昔は馬小屋として使っていた小屋を改修して、これも物置きにするリフォームが始まってしまいました。

…頼むから、小屋を作る前に物を処分してくれ*(汗)*

考えたら人間の住む家より、物置きの方が広いじゃないか*(びっくり2)*
どうして、片付けられない=物置きを作る、って発想になるんだ?
しまい込んだ物が再び使われるところ、一度も見たことないぞ!

私が家にいる間は、せっせと片付けて、部屋の模様替えもこまめにしていたので、物があふれるなんてことはなかったのに。
そもそも収納をちょっと工夫すれば今ある小屋でも十分やっていけるはず…

実家を出て一人暮らしをするようになって三ヶ月。
これまでも、一人暮らしを始める度に、実家に帰ると新しい物置きが増えていた…

今回が合わせると四回目の一人暮らしだけれど、その間に建った小屋が三つ。
しかも全部私がいない間に建ってる。

これは偶然の一致なのかな?

田舎だから土地はあるけど、お金はないはず。
そんなに物置きばっかり作ってどうする?
もうちょっと考えてお金使ってよね!!(怒)

ハァハァ…
ま、親とはいえ自分たちのお金だから何に使ってもいいけれど、もう少し、相談とかして欲しいものです。

心配してるのに。