私的図書館

本好き人の365日

『赤毛のアン レシピ・ノート』

2014-01-24 00:50:43 | モンゴメリ

最近読んだ本です。

『赤毛のアン』の作者として有名な、ルーシー・モード・モンゴメリが実際に使っていたレシピ帳をもとにした一冊。

 

『赤毛のアン レシピ・ノート L・M・モンゴメリの台所から』 (東洋書林)



モンゴメリが生きた時代、結婚式のお祝いとしてオリジナルレシピを渡すほど、当時は各家庭のレシピは大変珍重されていました。モンゴメリも一族に伝わるレシピをせっせと書き写し、オリジナルのレシピも書き加えて、自分のレシピ帳を作っていたのです。

小説家になっていなかったら料理人になっていただろう、と語るほど料理をつくることが好きだったモンゴメリ。

そのレシピは、モンゴメリの死後も一族の間で大切に保管され、その数は400以上にのぼるそうです。

その中から約90種類ほどを選び、モンゴメリやその一族、当時の料理道具などの写真、母として、妻としてのモンゴメリや幼少期のエピソードなどを加えて作られたのがこの本です。

 

私はコタツに入って読んでいたのですが、時間が経つのを忘れるくらい楽しく読みました♪

当時の空気というか、扉を開けたらすぐそこにモンゴメリが暮らしたプリンス・エドワード島の景色が広がっているみたいな匂いを感じたぐらい☆

赤い道を馬車が走る、その土煙が見えたような♪

すぐに影響される性格なんです(苦笑)

定価が2500円とかなりお高いですが、私は古本屋で450円で手に入れました!

 

プディング、アイスクリーム、クリスマスケーキ、ピンク・レモネード、チキン・モールド、子羊肉のシチュー。

『赤毛のアン』に登場するメニューのレシピもあります!

モンゴメリのご子息であるスチュアート氏が恋しがった、母親の「モックチェリーパイ(まがいチェリーパイ)」とか食べてみたい!

 

 おいしいものを食べることも

 それを一生懸命作ることにとりくむことも好き

         ―L・M・モンゴメリ―

 

友人やお客をお茶に招いたり、牧師夫人としてピクニックやガーデンパーティを手伝ったり、毎日の食事にお茶のしたく、忙しさの中でもモンゴメリはそんな時間を愛しました。

小麦粉、バター、料理ストーブ、家、海岸、小川に小道、森や湖、家族の笑い声、そして猫たち。

食べるって、本当に生きることの基本なんですよね。

 

レシピ本としてだけでなく、当時の台所をのぞくことができる貴重な一冊。

『赤毛のアン』ファンはもちろん、多くの人に楽しんでもらえる本だと思います。

 

あぁ、お腹空いた(笑)

 

 

赤毛のアン レシピ・ノート―L.M.モンゴメリの台所から 赤毛のアン レシピ・ノート―L.M.モンゴメリの台所から
価格:¥ 2,625(税込)
発売日:2000-02

モンゴメリ 『果樹園のセレナーデ』

2012-06-02 21:45:06 | モンゴメリ

「赤毛のアン」の作者、ルーシー・モード・モンゴメリの初期の作品。

 

『果樹園のセレナーデ』(新潮文庫)

 

を読みました。

出版されたのは「赤毛のアン」の後ですが、書かれたのは「赤毛のアン」の前。

そう思って読むと、「アン」との対比が面白く、作者の成長がうかがえる貴重な作品。

現在絶版で手に入りにくいのが非常に残念です。

角川文庫さんが新訳で出版してくれないかな?

 

まずはヒロインのキルメニイ。

作者はこの名前を有名な詩からとったそうですが、まず字面がとっても読みにくかった。

物語後半になれば、慣れてくるのでどんな名前でもOKなんですが、ちょっと印象に残りにくい名前という印象。

どこにでもある「アン」という自分の名前に想像力がかきたてられず、「おわりにeのつくアン(Anne)」と強調するアン・シャーリーとは対極にあるような名前です。

名前は平凡でも、「赤毛のアン」を読めば、アンの名前は強烈に印象に残ります。

しかもこのキルメニイ、ある障害を持っているため、男性とほとんど接したことがなく、免疫がないので逆に男性に好意を寄せることに何の抵抗も持っていないのです。

自分を守らない。

顔を見れば素直に嬉しさを表現し、好きなら好きという。その人に自分を好きになって欲しいと思えば、あなたに好きになって欲しいからこうするの、と相手にそのまま伝えてしまうのです。

無垢な子供のような(現実でそんな子供見たことないけど…)少女というか、男性に対しては白痴だとでもいうか、そんなヒロインに「恋」や「愛」を教えようと主人公が奮闘するという、ある意味よくある、そして物語になりやすい特殊な設定で物語が進んでいく。

モンゴメリの後出のヒロインたち、「アン」も「エミリー」も「パット」も、想像力が旺盛だったり、物を書くことが生きることと同義だったり、愛する木や家に非常な愛着を感じる鋭い感性の持ち主だったりはしましたが、みんなプリンス・エドワード島で普通に暮らしている島の女でした。

キルメニイは違います。

森に隠され、果樹園でバイオリンを弾く、まさに王子様の登場を待つ物語のヒロイン。

学生時代には仲の良かった友達と三人で、お話クラブのような物を作り、自分の創作した物語を披露していたモンゴメリ。

この『果樹園のセレナーデ』には、そうした「古典の模倣」のような、どこか「ウケ」を狙ったところが垣間見えるのです。

 

かといって、物語がつまらないかといえば、そうではないのがさすがモンゴメリ!!

 

まわる運命の歯車。

母親の呪縛。

過去の因縁。

若き二人はその障害を乗り越え、はたして無事に結ばれるのか?

蜘蛛の巣のように張り巡らされた伏線…とはいえないまでも、毛糸くらいには伏線も張られていて、収まるところにキレイに収まるのも、優等生っぽくていかにも処女作という感じ(苦笑)

日常を観察し、生き生きと周りの人々を描き出す自分の才能にまだ気が付いていない、いわゆる「物語」を書いているモンゴメリ。

後半にはその片鱗が早くも見られて、どんどん物語りに引き込まれてしまいました☆

(以上、あくまで個人的な感想です)

 

 


谷口由美子訳 『パットの夢』

2012-05-24 22:24:17 | モンゴメリ

台所仕事をこんなに楽しそうに書く作家さんを私は他に知りません!

角川文庫が挑戦しているモンゴメリの新訳シリーズ。

『銀の森のパット』の続編にして完結編。

 

『パットの夢』 (角川文庫)

 

を読みました。

角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2012-04-25

 

 

 

 

 

 

 

プリンス・エドワード島の銀の森屋敷で暮らす主人公のパット。

前編『銀の森のパット』では7歳から18歳までのパットの成長が描かれましたが、今回の『パットの夢』では、パットは20歳になっています。

屋敷のかたらわらにある美しい白樺の林が、夜になるとまるで銀の森のように輝くことから「銀の森屋敷」と呼ばれるようになったパットの生家。

その白樺も、周りに生えている木々や草花も、小川やちょっとした野原も、そして何より「銀の森屋敷」のすべてを愛してやまないパット。

親友を病で亡くし、幼なじみで兄妹のような青年ジングルもまた、遠くに去ってしまっています。

それでもたくさんの猫に囲まれ、アイルランドなまりのあるばあや、ジュディの幽霊話に耳を傾け、年頃になった妹のたずなをしっかり引きしめながら、銀の森屋敷を切り回すパットの生活は充実していました。

…このまま、何も変わらなければいいのに。

しかし、人生はそうはいかないもの。

 

延々とお客様に出す料理やクリスマスの準備に追われる描写が続くと、ついていけない読者がいるかも知れません。

近所のウワサ話や、結婚式の衣装の話なんかは、普段サスペンスやアクション小説に慣れ親しんでいる方は、物足りなく感じるかも。

木々の美しさや、夕焼けの訪れた瞬間の描写、月の出るのを見るワクワク感というものが、これでもかこれでもかと随所にあふれかえっています。

この自然描写と細々とした人間描写がモンゴメリの真骨頂!!

これが楽しめないって人はとても彼女たちの「腹心の友」にはなれません。

60歳近くまで独身だったトムおじのロマンス♪

伯爵夫人をもてなすことになったパットのあわてぶり!

ジュディの里帰りの話や、パットの兄シドの選んだ結婚相手。

そしてもちろんパット自身の恋愛話も、ひとひねりもふたひねりもしてあって、もうハラハラしたり吹き出したり、じれったくてやきもきさせられます。

何より前作であんなにパットと意気投合していて魂の双子みたいだったジングルが、物語後半までちょっとしか出てこないなんて!!

今回は美しく成長したパットの妹、カドルズ(レイチェル)も物語に大きくかかわってきます。

なかなか決まった相手ができないパット。

親戚は半ばあきらめ、周りは哀れみの目で見る始末。

しかしパットは銀の森屋敷を離れることなど考えもできないし、それでいいと思っています。

そう自分でも思っていたはずなのに…

 

どこにでもあるような町、どこにでもいそうな人々、そして誰にでも起こりそうな出来事。

特別なことは何もありません。

でも、モンゴメリの物語を読むと、特別じゃない人なんてこの世の中にはいないんだって気になってきます。

日が昇り、朝食を用意し、働き、夕日を眺める。

暖かい台所での会話。

近所のウワサ話。

男の子たちの話に、昔のぞっとする話に、口の減らない親戚への愚痴。

そんな中で、窓の明かりや、夜の風や、木々のざわめきにふと目をやり、耳を傾ける。

それは誰にでも訪れる特別な瞬間…

 

ずっと読みたかった作品なので、楽しみにしていたのですが、その期待を裏切らない面白さでした☆

何だか自分の実家にあった大きな防風林が切られてしまった時の、何ともいえない寂しさを思い出してしまいました。

その時はまだ未成年で、父親の決めることに意見をはさめる立場じゃなかったのですが、私にとってはあの木もふくめて「家」だったんですよね。

自分と共に生きてきたみたいなところがあって、悲しかったなぁ~

「銀の森屋敷」や木々を愛するパットにも、悲しい別れが待っています。

そして、そこに現れるのは…

 

とてもいい読書ができました☆

 


十二月の本棚 2 『銀の森のパット』

2008-12-30 23:58:00 | モンゴメリ

今回は、ルーシー・モード・モンゴメリの、

『銀の森のパット』

を紹介したいと思います☆

モンゴメリの作品で有名なのは、なんといっても『赤毛のアン』ですね♪

カナダにある、プリンス・エドワード島に住む、マシューとマリラの老兄妹のもとに引き取られた、にんじんみたいな赤い髪をした少女、アン・シャーリーの物語。

この『銀の森のパット』の舞台も、プリンス・エドワード島です。

物語の主人公は、七歳になるパトリシャ・ガーディナー(愛称パット)。

彼女が生まれた”銀の森屋敷”は、屋敷の裏の丘に大きな白樺の林があるため、その名が付きました。

想像してみて下さい…

冬の夜のすきとおった空気。
周りが黒い影におおわれた中で、
月の光に浮かび上がる、雪の結晶をまとって銀色に輝く白樺の林…

家族が暮す、この美しい”銀の森屋敷”を愛してやまないパット。

もちろん、そこで暮す家族も、犬や猫たちも、周りの木々や花や、草や墓地さえ、彼女が愛さないものは何ひとつありません。

パットは庭の木が切られただけで涙を流し、
叔母がお嫁に行ってこの家からいなくなると知って嘆き悲しみます。

彼女は小さいながらに、この愛すべき世界がずっとこのまま続けばいい…そう思っているのです。

でも、木々が成長するように、人もまた変わっていくもの。

「あの子は、人でも、ものでも、なみはずれて好きになるだ。それだけ喜びも大きいかわりに、胸を痛めることも多いのさ。」

一緒に暮らすジュディはパットのことをこう心配します。

食事を作り、洗濯をし、畑で働き、寝て起きる。

TVもパソコンもない。

繰り返される平凡な毎日。

世界をゆるがす事件も、陰謀も、殺人事件も起こりません。

それなのに、どうしてモンゴメリの作品はこんなに魅力的なんでしょう。

猫がたくさん登場します♪
主人と悲しみも喜びも分かち合う忠実な犬も登場します♪
高慢ちきないとことケンカしたり、裸で森で踊ったといって怒られたり、近所のイジワルなおばさんの悪口も言います。

パーティーに着るドレスで悩んでみたり、髪を短く切ったら似合うかしらと迷ったり。

夜の景色を見て感動したり、お腹が空いて卵のバター揚げにかじりついたり♪

親戚との付き合い。
素敵な出会い。
失望と落胆。

結婚。
新居。
新しい命の誕生。
死という別れ。

ここに書かれているのは、時代も場所も違いますが、人間の生活そのもの。

そして、人間の魅力そのもののような気がします。

”銀の森屋敷”を愛し、家族を愛し、木々を愛するパット。

その魅力がこの物語のひとつの読みどころなのは間違いありません。

でも、もうひとつの魅力が、パットが生まれるずっと以前から、ガーディナー家で働く、ジュディおばさん。

この人が、とっても魅力的♪

体の弱いパットの母親に代わり、台所を取り仕切り、子供たちにとってはよき理解者であるこのジュディは、アイルランド生まれでその昔はお城にも奉公にあがったことがあると語り、パットたちに妖精や幽霊の話をしてくれます☆

その上、うわさ話が大好きで、どの家で昔こんなことがあったとか、あそこのじいさんはこんな人だったとか、まるで土地の生き字引!

パットもジュディのゾクゾクするような怖い話を聞くのが大好きです♪

少し大きくなって恋愛にうつつを抜かすような年代にパットがなった時は、そうした熱がすぐに冷めるのを知っていて、自慢のパットがこの時期を見事に乗り切るかどうかを眺めていたりします☆

「これで二度目だて。もしパットが三度目も切り抜けられさえすれば…」

アイルランドなまりのジュディはパットが大好き。
パットが病気になった時は、献身的に看病しますが、決して甘やかすことはなく、時に好きにさせ、必要な時には抱きしめてやり、彼女が気が付くまで見守っています。

幼い頃は、兄のシドとどこへでも一緒に出かけていたパット。

しかし、兄はそのうち妹から離れ、近所に住むジングル(ヒラリー)という少年や、引越して来たベッツ(エリザベス)という少女とパットは友達になります。

ジングルは貧しく、遠くで暮す母親には一度も会ったことがありません。

ベッツは大変美しい少女ですが、体が弱く、時々、その瞳にこの世のものでないような美しい輝きが宿ることをジュディは心配します。

二人とも、パットと同じ世界、木々や草や花の美しさを感じることができ、パットの無二の親友となります。

建築に興味があり、パットに夢の家を建ててあげると約束するジングルがとっても健気♪

まだ9歳のパットに、せいいっぱいの自分の気持ちとして、勇気を出して

「大人になったら…ぼくのひとになってくれない」

と告白するジングル。

ところが、他の女の子と違って、「誰かのもの」なんて呼ばれることが大嫌いなパットは怒り出します!
「ぼくのこと嫌いなの?」と聞くジングルに

「もちろん、好きよ。でも、わたしは決して誰かの人なんてものにはならないの。」

と言い放つパット。

しかもしょげかえっているジングルを見てますます腹が立ってきたパットは、もっと残酷なことを言ってやりたくなって…

ジングルかわいそう(笑)

やがて、成長したパットに崇拝者が現れますが、彼女と同じ世界を見ることができるのは、やっぱりジングルだけ。

いつもそばにいてくれるジングルを、しかしパットは大切な友達としてしか見ようとしません。

この『銀の森のパット』では、7歳から18歳までのパットが語られます。

18歳からの物語は、『パットお嬢さん』という続編に描かれます。

自分の家の灯りを見て、ホッとするパットが好きです。

ジングルと共に木々や小川を見て、美しさに喜ぶパットが好きです。

夜のしじまが静かに降りてくる丘で、詩の言葉にベッツと二人、美しさに涙を流すパットが好きです。

寒さにこごえる子供たちを優しく迎え入れ、温かい飲み物を出してくれるジュディの台所が大好きです♪

冬の寒さも本格的になって来ましたね。

大晦日とお正月を前に、どこの家庭でも台所は大忙しなのではないでしょうか。

どんなに忙しくても、ジュディの台所ではいつも食べ物の甘い香りがただよい、お気に入りの猫たちに囲まれて、キラキラした瞳で椅子にちょこんと座ったパットが、今日一日あったことをおしゃべりしています。

あなたも、そんな銀の森屋敷の温かな台所で、ジュディの身も凍るような話に耳を傾けに来ませんか☆








ルーシー・モード・モンゴメリ  著
田中 とき子  訳
篠崎書林


十二月の本棚 2 『アンをめぐる人々』

2007-12-24 19:04:00 | モンゴメリ

「崇拝者」って言葉を恋人たちの間の言葉として初めて読んだのは、村岡花子さんの翻訳された『赤毛のアン』シリーズの中ででした☆

「求婚者」ってうより断然「崇拝者」っていう方が、アン・シリーズの中に出てくる女性たちには似合います♪

40歳の誕生日をむかえ、今までの人生で一度も「崇拝者」を待ったことがない”かわいそうな”シャーロット。

さて今回ご紹介するのは、『赤毛のアン』の作者、ルーシー・モード・モンゴメリが、アンの舞台アヴォンリーに住む人々を主人公にして描いた短編集。

『アンをめぐる人々』です☆

その中でも私のお気に入りの一編、『偶然の一致』を取り上げます♪

私はどうして誰とも恋におちないのか、ちっとも不器量ではないのに…

子どもの頃からずっとアヴォンリーで暮らすシャーロットはいわゆる「オールド・ミス」。

でもシャーロット自身は、自分が結婚していないことについて、実はそんなに気に病んだりはしていません。

ただ一人も「崇拝者」があらわれなかったという事実だけは、時たまチクチク彼女の胸を刺します。

オールド・ミスを憐れむ村の人々。

シャーロットが何より嫌なのは、昔かたぎのこの人々に”かわいそう”なんて目で見られること。

「酔いどれの亭主を持つ」アデラ・ギルバートにまで憐れみの目で見られ、憤慨したシャーロットは、

「私だって(あんたのように)男心をそそろうとばかりしていたら…」

なんてついつい皮肉の一言も言いたくなりますが、すぐに「まあまあ、そんなことは考えてはならない」と自分で自分を落ち着かせます。

こういう人間味のある女性を書かせたら、モンゴメリにかなう人はいませんね♪

主人公だからって聖人君主なわけじゃない!

でもこのシャーロット。
本人が言うように、決して不器量というわけではなく、生活もきちんとしているし、思いつく時にそっと一人で詩を書いて喜びを感じるなど、感受性も豊かな女性。

豊かすぎていろいろ考えてしまい、ちょっと他人に対する評価が厳しいところもあるにはありますが☆

村の女性が集る「お針の会」。

夫や子どもたちの話ばかりの既婚女性に、ひとかたまりになって自分の「崇拝者」の話しをする三十娘たち。
若い娘たちは相変わらず騒がしいし、シャーロットと立場の同じオールド・ミスの連中は何かと言えば人のウワサばかり。

そんな村の女性たちに囲まれて、シャーロットはせっせと針を持つ手を動かしていました。

その家の敷居にからむバラを眺め、美しい想像に思いをめぐらせながら…

そんな時。

自分たちの話を聞いて微笑んでいると思った崇拝者の話をしていた一団から(実際は自分の空想に思わず微笑んでしまったのですが)「崇拝者をお持ちになったことがあんなすって、ホームズ(シャーロット)さん?」と聞かれたシャーロット。

その時。
運命のいたずらか神の奇跡か、シャーロットは思わずこう言ってしまうのです。

「ええ、一度だけありますよ」

ウソだ~~~~~!!

重ねて言いますが、シャーロットは生まれてから一度も「崇拝者」なんて持ったことはありません!

でもその場の勢い。
つい「持ったことがない」と言いたくないばっかりに、普段はウソなんて心底きらいなシャーロットが、一世一代の口からでまかせをすらすらと言ってしまうのです。

もちろん、シャーロットのことはおろか、村での出来事なら本人以上に詳しい年配の女性たちはあやしむし、知りたがり屋の若い連中は根ほり葉ほりシャーロットに質問の嵐!

シャーロットはその場にあった雑誌からその「崇拝者」の名前を作りだし、なぜ結婚しなかったのか、その悲恋の様子を語って聞かせます。

多少の罪悪感はあるものの、もともと空想好きなシャーロット、みんなの注目をあびることにもちょっと得意な様子。

しかし、神さまはちゃんと見ていたんでしょう。
ウソをついた女にとんでもない事態が降りかかります。

その「お針の会」から数日後。

また別の家での集まりで、シャーロットはホントにとんでもないことを聞かされるのです。

あの、彼女が作り上げた架空の「崇拝者」が、なんとこのアヴォンリーに来ているというのです!!

「そんなことはありえないわ!」

思わず叫ぶシャーロット。そりゃそうだろう☆

でも、その人物は本当に実在しました。

その日から、彼に会わないよう、教会にも行かず、招待も断わり続け、家に引きこもるシャーロット。

会ってしまえばウソがバレてしまいます。

それをまた村の人々は、シャーロットが昔の恋人を避けているのだと勘違い☆

でもいつかみんなの前で本当のことを話さなければならない…

根が真面目でちょっと勝気なシャーロットがオタオタする様が、本人には気の毒だけれど、読んでいてちょっと楽しい♪

そして偶然が偶然を呼び、訪れる最後の審判の日。

モンゴメリがその筆の力でどんなラストシーンを用意するのか。

もちろん素敵なロマンスも忘れない彼女の魅力はここでも健在です♪

『赤毛のアン』の主人公、アン・シャーリーはこのお話では登場しませんが、他にも魅力あふれるお話が、この短編集の中には収められています。

そのどれにも、アヴァンリーの人々が登場し、「アン」の「腹心の友」のみなさんはもちろん、それ以外の方々にもきっと楽しいで頂ける作品ばかりだと思います。

シャーロットのウソがどんな結末を迎えるのか?

たくさんの人に読んでもらいたい作品です☆








ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫




八月の本棚 3 『アンの友達 ―第四赤毛のアン― 』

2006-08-31 23:12:00 | モンゴメリ

魂の救急箱って持っていますか?

ど~しても気分が落ち込む時ってあるじゃないですか。

友人関係、親兄弟、学校や職場で、なんだかうまくいかなくって、このままだと、どんどん嫌な自分になっていくのがわかる、そういう時、立ち直るまでの避難所になってくれて、自分を取り戻す助けをしてくれる、そんな自分にとっての魂の救急箱☆

私の場合はまず美味しいものを食べること!

これでたいていのことは幸せで塗りつぶすことができます♪

あとは音楽を聴いたり、車で走ったり。

ひどく落ち込むような時はDVDでスタジオジブリの「耳をすませば」を観たり☆

そして、もっともお手軽で、もっともお世話になっているのが、お気に入りの本を読むことです!!

特に時間がなくて、すぐにでも応急手当しないと命に関わるような時は重宝します。

ついこの間も、「このままではヤバイ!」と思って急いで一冊の本を手に取りました。

それが今回ご紹介する本。
ルーシー・モード・モンゴメリの『アンの友達 ―第四赤毛のアン― 』です☆

この本は「人間ってほんとに…」と眉をひそめたくなるような気持ちになった時、まさに効果てき面!

自分の中の優しさを思い出させてくれる、少なくとも、「人間も捨てたもんじゃないなぁ~」くらいの気持ちにはしてくれます♪

おしゃべりで空想好きな女の子、アン・シャリー(アンの綴りはもちろん終わりにEの付くANNEです☆)の登場する『赤毛のアン』は有名ですよね。

アンの物語は「アン・ブックス」と呼ばれ、アンの青春時代から恋愛、結婚、そしてアンの子ども達が登場する物語まで、たくさんのシリーズがあるのですが、その中でもこの第四赤毛のアン、『アンの友達』では、主人公のアンは少し脇に引っ込み、アンの周囲で生きる素朴な人々の生活、人生にスポットライトがあてられています。

どれもが魅力的な十二の短編。

その中でも私が好きなのは『ルシンダついに語る』という物語☆

ルシンダはペンハロー一族きっての美人。
それなのに、35才になるこの歳までなぜか独身。

ある日、ペンハロー一族が集まった結婚式のでのこと、一年前にジョージ・ペンハローと結婚したばかりの新米ペンハロー、ジョージ夫人は、慣れない一族の人々に囲まれ、つい側にいたロムニー・ペンハロー(この好男子が夫のなににあたるのか彼女には皆目見当がつかない。もっとも、複雑なペンハロー一族の親戚関係を正確に述べることができるのは年とったジュリアス・ペンハロー伯父さんだけなのだが)に、その時窓辺にいたルシンダを指して、「(ルシンダは)美しい、とお思いになりません?」と軽く声をかけてしまいます。

それを聞いたロムニーは辛らつなセリフを残して部屋を出て行き、ルシンダは真っ赤になってひたすら外を眺めているばかり、同じ部屋にいた兄嫁たちは、ジョージ夫人のことをまるでへまをした子供のように見つめています。

そう、ジョージ夫人は知らなかったのです。
ロムニーとルシンダが恋仲であり、それなのにささいなケンカがきっかけで、お互いに愛し合っているくせに、もう十五年も口をきいていないということを!

十五年!!

どうやら悪いのはルシンダのほうらしいのですが、ついロムニーに向って、もう一生、口をきかないと言ってしまい、ロムニーのほうも、ルシンダのほうから口をきかなければ自分も二度とルシンダに話しかけない、と言ってしまったらしいのです。

もう! お互い30過ぎてるのに~!!

モンゴメリの人物描写が好きです♪

このロムニーとルシンダの二人は言うに及ばず、ペンハロー一族のおばさんたちの口傘のないおゃべりの楽しいこと(笑)

まるで自分ちの親戚のおばさんたちを見ているよう♪

さて、いよいよ結婚式も終わり、みんなが帰り支度を始めたころ、またしてもジョージ夫人はへまをしてしまいます。

ルシンダを馬車で送るはずだったいとこから、急用で送れなくなったので誰か別の人に送ってもらうように、との伝言を頼まれたジョージ夫人。

ところが彼女が伝言を伝えたのは、ルシンダではなく、彼女とよく似た薄緑色のオーガンディの服を着た背の高い赤毛の娘(笑)

あわれルシンダはたった一人送る人もなく取り残されてしまいます。

さすがに腹を立てたルシンダは、プリプリしながら午前一時の道を、底の薄い靴をはいて美しい薄緑色のボイルの服をまとったまま歩き始めます。(これが田舎道を歩くにのは全然向いてない!)

ところが、その帰りの小径で出会ったのはなんとあのロムニー・ペンハロー!!

驚きながらも、ルシンダのために(無言で)木戸を開けてやり、(無言のまま)錠をかけ、(無言のまま)ルシンダと共に歩き出すロムニー。

月の光で照らされた小径を静かに歩く二つの影。

とってもロマンチックなのに、このあともっとルシンダを怒らせる事態が発生してしまいます(笑)

果たして、十五年の沈黙の先に待ち受けている結末は?

私は笑いました♪
もう最高!!

モンゴメリの描く女性はとっても活発でとっても元気で大好きです☆

こっちまで元気にしてくれる。

もし、あなたが自分にも他人にも優しくなれなくて、自分の笑顔さえ忘れてしまいそうな時、この物語を読むことをオススメします。

悩みを解決することはできませんが、少しは、少なくとも、「人間も捨てたもんじゃないなぁ~………わたしも捨てたもんじゃないかも…」くらいの効果はあるかも知れません♪

さて、ルシンダは何と語るのでしょう?

人間は、どんな時笑うことができるんでしょう?

…人生って、可笑しなものですね☆











ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫






十二月の本棚 『青い城』

2005-12-04 23:03:00 | モンゴメリ

今回は、モンゴメリ作品のご紹介です♪

『赤毛のアン』はあまりにも有名ですが、モンゴメリはこの他にも、大人向けのたくさんの短編と、小説を書いているんですよ。

この作品もそうした大人向けの作品の一つ。
でも、きっと、中学生あたりから楽しめると思います。
だって、テーマが、「未婚女性の開き直りサクセスストーリー」なんですから!(ファンの人に怒られるかな?)

では改めて、ルーシー・モード・モンゴメリの『青い城』をご紹介します☆

主人公のヴァランシー・スターリングは29才。
彼女の住むディアウッドの村の人々も、一族であるスターリング家の人々も、彼女のことを結婚の望みのないかわいそうなオールド・ミスと見なしていて、ことあるごとに当てこすったり、おちこぼれの女であると見下したりしています。(この本が出版されたのは一九二六年、この当時では29才の独身女性はそう見られていたんですね。

年老いた母親はヴァランシーの服装や髪型のことにまで口を出し、一緒に暮らすイトコのスティックルズも、ヴァランシーが外に出るだけで風邪を引くと決め付け、いつも「長靴ははいたのか?」と訊いてくる。

決まりきった毎日。
何の変化も、なんの希望も持てない生活。
これで本当に生きているっていえるの?

いつも何かを恐れ、母親に口答えすることもできず、自分の狭い部屋のありとあらゆる物がイヤでしょうがないヴァランシー。

(いっそのこと、本当のことをはっきり言ったらどうかしら。『あたしは結婚できないので泣いているのよ』と。おかあさんは恐れをなすでしょうよ。)

でもこのヴァランシー、お堅いスターリング家の人達が聞いたら、卒倒してしまうような隠し事があったりするのです☆

ヴァランシーが夢見る『青い城』。
そこには、たくさんの恋人を持ち(もちろん一度には一人)、着飾ったヴァランシーの姿がある♪

アンやエミリーなどの、モンゴメリの他のキャラクターと同じように、空想の世界の住人でもあるヴァランシー。
だけど彼女には、親友も、幼友達も、優しい家族さえありません。

誰からも必要とされず、誰にも関心を示してもらえない悲しさ。
自分を押さえつけ、世間と、家族に遠慮して息をひそめる人生。
常識だの、世間体だの、自分をしばりつけるありとあらゆるもの。

そして運命のその日。

ヴァランシーの人生は180°変わることになるのです。

「恐れは原罪である。世の中のほとんどすべての悪には、その根源に、だれかが、何かを恐れているという事実がある。」

心臓に痛みを覚えたヴァランシーは、誰にも内緒で、老医師のもとを訪れます。
そして知るのです、自分があと一年しか生きられないだろうということを!

この、「自分の命はあと一年」と知ってからのヴァランシーの変わりようが魅力的☆

あまりの変わりように、親戚の人々は、気が狂ったのではないか? と心配(自分達一族の)しますが、読者にはヴァランシーがいつも思っていたことを口に出しているだけだとわかっているので、ナンだか痛快!

ここでもモンゴメリの筆は冴え渡ります♪

「あたし、青い城を捜しにいくのよ。」

行動する女性って好きです☆
ただ待っていたって幸せはやってこない。
いきなり変われるわけもなく、時には失敗もするヴァランシーですが、それでもどんどん自分の生きる道を捜して進んで行く。
「生きている」ことを確かめるために。

もちろん、本物のロマンスもあって、美しい自然と湖と、かわいい猫たちも登場します♪

ダンスパーティー。
おんぼろ自動車。
白樺の森。

後半、ヴァランシーの住むことになる本物の『青い城』の描写はさすが!
作者の夢に描く家を現実にしたみたいで、とってもうらやましくって、こんな暮らしがしてみたい♪

登場する人々も、みんな何かしらの欠点があって、こんな親戚のおじさんおばさん「いるいる」と相槌を打ちたくなるほど。

謎の作家ジョン・フォスター。
かわいそうなセシリア・ゲイの身の上。
何にでも効くレッドファーンのパープル丸薬。

舞台こそ、プリンス・エドワード島を離れ、カナダのオンタリオ州(モンゴメリは結婚してこの地に移り住んでいます)ですが、木々や野に咲く花、風の音を愛するモンゴメリの作風はここでも健在♪

きっと、多くの「腹心の友」の人々にも楽しんで頂ける作品だと思います☆

あなたが、もし何かを恐れてなにかを我慢しているようなら、どうぞこの物語をお読み下さい。

真に大切なものは、あなたの心の中に眠っている、「その思い」であることを、きっと思い出させてくれますよ☆





ルーシー・モード・モンゴメリ  著
谷口 由美子  訳
篠崎書林






三月の本棚 3 『エミリーの求めるもの』

2004-03-21 10:13:00 | モンゴメリ
今回はついに、エミリー・ブックスの最終回。

第三部『エミリーの求めるもの』をご紹介します☆

第一部では、まだ夢見がちな少女だったエミリー。
自分を守るため、そして時折訪れる”ひらめき”に従って書き続けてきた彼女も、新しく赴任してきたカーペンター先生との出会いをきっかけに、文学の、遠く険しくそびえる「アルプスの道の頂上」を目指して、歩んで行くことを決意します。

ニュー・ムーン農園の美しい自然と、理解してくれる友人に支えられ、古いしきたりの支配する土地で、周りの目にさらされながらも懸命に創作活動に打ち込むエミリー。その姿には、作者ルーシー・モード・モンゴメリの、書くこと、書き続けることに対する情熱と真剣さが込められているようで、読んでいて、鳥肌が立つ時があるくらい。

何度雑誌社に作品を投稿しても、採用されない悔しさ。
真夜中の三時に訪れる、苦悩と不安。
自分にはねうちのあることなど、何にもできないのではないか。才能も希望もなく、すべては無駄に終るのではないか。
エミリーの苦しみは、同時に作者の体験でもあるのです。

この物語が書かれた頃。モンゴメリは牧師のユーアン・マクドナルドの妻として、故郷プリンス・エドワード島を離れ、赴任地であるトロント近郊のノーヴァルという村に迎えられていました。50代になっていた彼女は、大変な時代の中、病気でふさぎがちな夫にかわり、よき牧師夫人として振る舞い、そのかたわらで、あふれるような書くことへの情熱と渇望、不安と苦悩を作品にぶつけていたのではないでしょうか。

エミリーは言います。

「仕事がどうして呪いと呼ばれるのかわからない―
 強いられた労働がいかに苦しいことかを知るまではそれはわからない。
 けれどもわたしたちに合った仕事は―
 それをするためにこの世に送られたと知る仕事は―
 それはほんとうに祝福でみちたりた喜びである」

シュールズベリーのルース伯母さんのもとで暮らした学生生活も終り、親友のイルゼとテディは、それぞれの道に進むため、都会へと旅立って行きます。
自分の意思でニュー・ムーンに一人残ったエミリー。
やがて、今また文学の師であったカーペンター先生までも失った彼女は、ニュー・ムーン農園での孤独で不安な生活の中、ある出来事がきっかけで、創作意欲を無くしてしまいます。

大きな試練ののち、再び書くことができるようになったエミリー。

しかし彼女は、心のどこかで自分でもわかわない何かを求め続けるのです。

エミリーの求めるものとはいったい?

適齢期と呼ばれる歳になったエミリーには様々な求婚者が現れます。若い牧師に有名な作家。はては遠い東洋の日本とかいう国の王子様まで。時には自分でも驚くくらい、ロマンティックなささやきに足をすくわれるエミリー。

大人になっていく女性の繊細だけれど大胆な、なんともいえない心と体の葛藤が、読んでいる者をグイグイと引き込んでいきます。

愛情豊かなユーモアとその鋭い人物描写はまさにモンゴメリの本領発揮といったところ。特に物語後半のイルゼの結婚式は目が離せません☆

エミリーの成長物語は、作者の精神的成長の投影でもあります。
木々を愛し。家を愛し。故郷プリンス・エドワード島を愛したモンゴメリ。
新しい時代に生きながら、同じように自然や住んでいる土地を愛し、古い時代のものを全く否定するでもなく、自分のものとして受け入れていくエミリー。


 自分の愛する国を離れたら、わたしの魂の中の活ける泉の成分はかわいてしまうでしょう。


う~ん、この作者だからわかるな、この言葉☆

ほんとはまだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、うまく文章にできません。(きっと本文全部書き写してると思うので)
ただ、この作品、常に何かを訴えてくるんです。
胸の奥の泉に波紋がいくつもいくつも広がっていくような感じというか…

最後にカーペンター先生はエミリーに約束させます。「きみはきみ自身を―喜ばせる以外には―だれをも喜ばせるためには書かないと―約束してくれ」

書くことは、自身の喜び…

作者ルーシー・モード・モンゴメリの息吹が近くで聴こえてきそう♪

がんばって、三冊すべて読むことをお薦めします。大丈夫、一冊読み終わる頃には、続きを読まずにはいられなくなっていますから☆

では、この本が最後の訳業となった村岡花子女史に、改めて感謝と尊敬の念を捧げ、この紹介を終ります。

「どうぞアンを愛してくださるみなさんは、同じようにエミリーをも愛してください」

           ―村岡花子―












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

三月の本棚 2 『エミリーはのぼる』

2004-03-20 21:05:00 | モンゴメリ
エミリーは美人ではありません。

さて、エミリー・ブックスの第二部、『エミリーはのぼる』のご紹介です☆

なのにいきなり「美人じゃない」なんて何を宣言してるのかって?

だって聞いて下さい。エミリーほど、本文中で、何度もその容姿について、「この子はけっして美人ではありません」と作者に宣言されるという不憫な主人公もないんですから。

まずは父親の葬式で、母方のマレー一族と初めて顔を合わせた時の場面。「目鼻立ちのきゃしゃな子だわね」「もすこし色がさしてたら、見っともなくないでしょうにねえ」と、伯母達に言われたい放題のエミリー。

さらに彼女が聞いていないと思って、「あの子は長生きして誰かに迷惑をかけることはなさそうに思うけど」とまで言われます。

プリースト家に嫁いだナンシー大叔母の前に立たされた時なんか、ズバリ!

「あんたは美人じゃないけれど、眼と手と足をうまく使えるようになったら、きっと、美人として通用するよ」

…なにもそこまで言わなくても(笑)

でも美人じゃなくても男なんて簡単にだませるものさ、と豪語するこの叔母さん、私はけっこう好きなんです♪

ではここで、登場人物(の中のほんの一部)を紹介しましょう。
まずは、主人公のエミリー・バード・スター。伯母達に言わせると、スターのおばあさんの髪と目、ジョージ大叔父さんの鼻、ナンシー叔母さんの手、いとこのスーザンのひじ、マレーのひいおばあさんのくるぶし、マレーのおじいさんの眉を受け継いでいて、父親からはひたいを、母親からはまつ毛とその微笑を受け継いでいるとのこと。見るひとによっては、妖精族の特徴、耳がとがって見えることもあります。

彼女を引き取ることになる、エミリーの母親の異母兄弟。
姉にあたる厳しいエリザベス・マレーと、こちらは優しいローラ・マレー。そのいとこで、幼い時、エリザベスと遊んでいて井戸に落ちてしまい、それ以来”おかしく”なったジミーさん。三人は一度も結婚したことがなく、ニュー・ムーンで、いまだにろうそく以外の明りを使うことを拒否して暮らしています。

自身詩人で、エミリーにそっとノートを買ってくれるジミーさんは、エミリーの数少ない理解者です♪

変わり者と言われるバーンリ医師の娘で、母のいないこれまた変わり者のかんしゃく持ち、イルゼ・バーンリ。
エミリーの生涯の親友になる彼女の言動には驚かされっぱなし。エミリーの中にたまに顔を出す、マレー家の高慢ちきなプライドを見つけると、容赦なくその伸びた鼻をへし折ってくれます。こんな友達、絶対一人は欲しいですね☆(…一人で十分だけど)

息子を溺愛するがゆえに、息子の愛するものに異常な憎しみを燃やす母親と暮す画家志望の少年テディ・ケント。彼が口笛で知らせる合図を聞くと、エミリーはたまらず駆け出していきます。「わたし、いかなくてはならないの」その合図は、子供時代の他愛もないものから、しだいにエミリーの中で、別の意味を持ち始めていくのです♪

高校に進学したエミリーは、ニュー・ムーンを離れ、ルース伯母さんのところに下宿することになります。エリザベス伯母さんから、小説を書くことを禁じられた彼女は、それでも「本当のこと」のみをノートに書き連ね、その創作意欲を「日記」の中に閉じ込め、カーペンター先生に言わせるなら、「抑制と節約を学ぶ」辛い修行に耐えるのです。

エミリーのそうした姿に「アルプスの道の頂上」を登らんとする者の努力と苦悩を重ね、訳者村岡花子さんは、作者モンゴメリの、文学への恐ろしいまでの敬愛とたゆみない勉強とが映しだされていると解説の中で書いています。

訳者に「恐ろしい」とまで言わせるなんて、その情熱のスゴさがわかってもらえます?

まさにエミリーこそは、ルーシィ・モンゴメリの心臓の鼓動を伝えるものだといえるでしょう。そうそう、あんまりみんなが「美人じゃない」なんて言うから、ついにエミリー自身、鏡を真剣にながめた後で、日記にこんなことを書いてしまいます。曰く、「わたしは自分がうつくしくはないという結論に達した」

そんなことないって、十分魅力的だよ!(笑)

ま、読者にこんなこと言われても慰めにはならないか☆

でも大丈夫、エミリーには、魔法の言葉をかけてくれる人物がいるのです。幾度となく恋人達の間でかわされてきたであろうその言葉を、エミリーはずっと心の中に大切にしまって置きます。誰がどんな場面で言ったのかは、読んでからのお楽しみ♪

「エミリー、君は世界中で一番うつくしい人だよ」はいはい、結局幾万の言葉を並べたところで、この一言の前では無力なんでしょ?
読者にいらん心配かけさせないでよね(笑)

では、次回はいよいよ、創作と孤独の中で、ゆれるエミリーの心情を描いた第三部。
『エミリーの求めるもの』です☆

大人になったエミリーの、求めるものとは?
エミリーが父親ほど歳の離れた相手と結婚?
日本の王子とエミリーがデート?

…どうぞ、お楽しみに☆












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

三月の本棚 『可愛いエミリー』

2004-03-12 19:08:00 | モンゴメリ
今回は、ルーシー・モード・モンゴメリの『可愛いエミリー』という本の紹介です。

のっけからなんなんですけど、…この題名、もう少しなんとかならないものですかね、訳者の村岡花子先生。

男友達に薦めにくいったらなくて…(笑)

もともとの題名を直訳すると、「ニュー・ムーン農園のエミリー」

うん、確かに「可愛いエミリー」の方がまだいいかな。(なにを生意気な!)

「グリーン・ゲイブルズのアン」を「赤毛のアン」にしたのは有名な話。名訳ですよね☆

この物語。
「可愛いエミリー」から始まる三部作をエミリー・ブックスと呼びますが。三年もかかってようやく出版社を見つけ、なんとか「赤毛のアン」が出版された1908年から、さらに六年後。「アン」が認められ、成功を収めたモンゴメリが、1914年から1929年の間に書いた五冊の小説の中の三冊にあたります。同時期に書かれた「アンの愛情」「アンの夢の家」と比べてみるのも面白いですよ♪

さて、物語は、幼い時に母親を亡くしたエミリーが、父親と、最後の二週間を過ごすシーンから始まります。

「勇気を持って生きなさい。…世の中は愛で一杯だ…」

最愛の、そして唯一の理解者である父を失い、母方の親戚に引き取られることとなったエミリーは、その言葉を胸に、古いしきたりと伝統が支配するニュー・ムーン農園で、新しい生活を始めます。

プリンス・エドワード島の豊かな自然の中で、その小さい瞳ですべてをとらえようとするエミリー。
木々や小道に名前を付けるところなんか、「アン」とも共通するところがあります♪

風のおばさん失望の家鏡の中のエミリーモンゴメリは猫の名前を付けるのも天才的☆

ソーシー・ソールにスモークにバターカップ♪

なんて魅力的なんでしょう。
けれど、「アン」と大きく違うところは、エミリーがどんな時でも書き続ける少女だということ。

孤独で、夢みがちなエミリーは、それはもう、何かに急かされているみたいに、紙切れの裏に、買ってもらったノートにと、必死になって鉛筆を走らせます。

父親への手紙。
ニュー・ムーンの伯母達のこと。
そして《ひらめき》が訪れた時に書き綴った詩。

大人達はそんなエミリーを”変わった子”とみなしますが、エミリーはひるまず書き続けるのです。

エミリー達の通う学校に赴任してきたカーペンター先生に、彼女の書いた詩を見せるように言われた時も、エミリーは訴えます。「もちろん、あたしやめませんわ」「だって、あたし書かないでいられないんですもの。」

エミリー・ブックスが「赤毛のアン」よりも作者モンゴメリの内面をよく表しているといわれるのは、この書くことに対する執着です。


「もし君が生まれつき、登らなければならないのなら、そうするほかはない。世の中には、丘に眼をあげなければならない人間がいるものだ。そういう人間は、谷間では息ができないのだ。」


子供らしい失敗と、大人達との衝突の中、エミリーはかけがえのない友達と、数少ない理解者を得て、アルプスのようにそびえる、その険しい道を登ることを決意します。

詩人か物語作家になることを夢見る少女、エミリーの苦難と試練、そして愛情に満ちた物語。

では、この続きは次回『エミリーはのぼる』でご紹介しましょう☆

それぞれの夢にむかい、今もアルプスの峰に挑戦している多くの人々に、ぜひこの作品をお薦めしたいです。特にモンゴメリと同じく物書きを目指している方。きっと、なにかの道しるべになるんじゃないかな?












ルーシー・モード・モンゴメリ  著
村岡 花子  訳
新潮文庫

四月の本棚

2003-04-20 21:35:00 | モンゴメリ
第一回目は、モンゴメリの「丘の家のジェーン」です。

モンゴメリといえばもちろん赤毛のアンが有名ですが、訳者の村岡花子先生の名訳と共に珠玉の作品がたくさんあるんです。

そのなかで今回はこの「丘の家のジェーン」を紹介します。

舞台は珍しくトロントから始まります。
父のいないジェーンはうららか街の古い大邸宅で頑な祖母と美しい母と共に重苦しい生活を送っています。しかし突然父からの手紙が届き、プリンス・エドワード島で一緒に夏を過そうといってきます。こわごわ出かけたジェーンは、美しい自然と素朴な人情、そしてなにより父の深い愛情に包まれて丘の上の小さな家でめざましく成長していきます。

モンゴメリの作品らしく、登場する家や家具、料理や洋服が実在感のある描写で生き生きと描かれ、まるで自分がプリンス・エドワード島にいるかのように作品の中に引き込まれていきます。
そしてやっぱり一番スゴイのは子供達の描写。本当にモンゴメリは魔法が使えるんじゃないかと思うくらい上手。ついつい自分の子供時代を思い出してしまいます。そしてなによりジェーンがカッコイイ。
カゴから解き放たれた鳥のように島での彼女は行動力に満ち、小さな丘の家を精力的に切り盛りします。そしていくつかの試練を乗り越えて、ジェーンの夢、父と母と一緒に小さい家に住む結末へと物語は進んでいきます。

使い勝手の良い台所と、保存食の詰まった食糧庫。
暖かい部屋にそこで遊ぶ子猫達。
たまにはうるさいテレビを消して、ココアでも飲みながら、こんな心温まる物語の中にひたってみるのもいいもんですよ。

ルーシー・モード・モンゴメリ 著
村岡 花子 訳
新潮文庫