私的図書館

本好き人の365日

中公文庫版 新井素子『くますけと一緒に』

2012-08-31 15:00:39 | 新井素子

同じ作品が出版社を替えて再販されることはよくありますが、今回は中央公論新社から発売されました。

 

新井素子 著

『くますけと一緒に』(中公文庫)

  

中央公論新社
発売日:2012-08-23
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あとがき作家」と呼ばれるだけあって、今回も新たに「中公文庫版 あとがき」が書き下ろしで載っています♪

この本、最初は1991年に大陸書房より単行本として発売され、その後1993年に新潮文庫、2001年に徳間デュアル文庫で二度に渡り文庫化されました。

今回は三度目の文庫化。

異様にぬいぐるみ好き、で一部SFファンには有名な新井素子さん。

当時の「あとがき」には、四百匹のぬい(ぬいぐるみの略語)が家に居ると書いていましたが、月日がたって、現在は桁が一つ違うんだとか(苦笑)

『銀婚式物語』などの作品で、作者の近況についてはある程度知ることができていたのですが、『結婚物語』、『新婚物語』でいいキャラを演じていた元編集者のお母様を、つい最近看取ったということも今回の「あとがき」には書かれていました。

十代で小説家としてデビューしていますからね。

それから数十年。

折に触れて家族のことも書いてみえたから、ずっと読み続けてきたファンとしては感慨深いです。

 

さて、その『くますけと一緒に』ですが、内容はちょっと怖いサイコホラー。

両親を交通事故で失った小学生の女の子。

母親の親友に引き取られた女の子は、かたときもクマのぬいぐるみ「くますけ」を放そうとはしません。

親と子。

愛されることと愛すること。

それは束縛と期待。

自分の中でこの不条理な世界にどうにか理由を見つけようとする小さな心。

…子供は親を嫌う権利がある。

 

人間の心ってやつはやっかいですからね。

タイトルのほのぼのさとは違い、ちょっとグサッとくる内容です。

 

最近、新井素子さんの作品を次々と復刊している中央公論新社。

これはいよいよ待ちに待った『銀婚式物語』の文庫化も近いかな?

本屋さんで珍しく『銀婚式物語』の初版本を置いているお店があったのですが、文庫本で買いたかったので、ものすごく悩んだ末に本棚に戻してきました。

だからお願いします。

一日も早い文庫化を!(苦笑)

 


試食コーナー攻防戦

2012-08-24 00:02:02 | 日々の出来事

また値上げ!?

 

ニュースで食料品の一部が値上げされると聞き、別にいますぐ必要なわけでもないのに、買い物カゴにバターを入れてしまいました。

何か前にも値上げって聞いてバターを買った記憶が…

こういうのが消費者心理?

消費税が値上げされる前には、やっぱり駆け込み需要が増えるのかな?

給料は上がらないのにこれじゃあ生活が苦しくなるばかりだよ。

スーパーで梨の試食コーナーがあったので、ちょっと一口。

まだまだ甘さが足りないかな…とのんびり味わっていると、ちょっと太目のおばさんがこちらに近づいてきて隣に並びました。

その距離があまりに近いので思わず後ずさると、すかさず試食コーナーの真ん中を占領し、「ちょっとちょっと、これ食べてみて」とすぐさま仲間のおばさんを呼び寄せ、私は試食コーナーから追い出されました。

迫力負け。

あまりのずうずうしさにちょっとあ然としましたが、これくらいパワーがなくちゃ家計は支えられないのかも知れませんね(苦笑)

自分の体の大きさをちゃんと利用しているのがなんだか可笑しい(笑)

これが海外のコメディドラマなら、笑い声が入るところだな、と想像してしまいました♪

 

結局、梨は買わず、100g98円のオージービーフのさらに10%値引き品と、10個入り98円の卵のパック、ペットボトル1.5ℓ入りの清涼飲料水98円1本、納豆3パック78円、めかぶ4パック198円を購入。

バターは100g238円でした。

今週はcoco壱番屋(カレーのお店)にラーメン屋(とんこつ)と、珍しく外食が続いたので節約しないと。

たまに発作的に食べたくなるんですよね。

節約の前に節制が必要かな?(苦笑)

 


いつも誰かが戦っている

2012-08-21 23:38:05 | 本と日常

おにいちゃんがんばって。

 

別に「おとうさんがんばって」でも、「おかあさんがんばって」でもいいのだけれど。

自分を応援してくれる味方がいるというのは心強いですね。

 

太郎がんばれ。

 

花子がんばれ。

 

でもいい。

それは期待でも同情でもなくて、一心同体になっている瞬間。

 

おとうさんがんばって。

 

おかあさんがんばって。

 

(わたしは味方だからね)

 

木地雅映子さんの小説、『氷の海のガレオン』に、深夜庭の大きなナツメの木を裸の拳で殴り続けている兄をみつめる妹が登場します。

クラスから浮いていて、自分を天才だと信じて疑わない小学生の妹は、兄の姿を見てこう思うのです。

私の大好きなシーン。

 

 兄貴は泣いていた。青春ってやつだ。彼はいま人生の岐路に立ったりなんかしているに違いない。おにいちゃんがんばって。

 薄情な妹は、それからもう一寝入りしてしまった。

                      ―木地雅映子「氷の海のガレオン」(ポプラ文庫ピュアフル)より―

 

この距離感がいいんですよね♪

誰もが生まれた時に、自分専用の小さな庭とナツメの木がもらえたらいいのに。

その庭は一人になりたい時は木陰が姿を隠してくれるけれど、完全に周りから切り離されてしまっているのではなくて、声や物音、人の横切る姿がチラッと見える、そんな気配が伝わってくる程度の広さ。

使い方は人それぞれ。

小さな畑を作ってもいいし、花を植えてもいい。木登りをしてもいいし、根元にもたれて読書をしてもいい。季節によってはナツメだって食べられるし☆

そして、深夜に泣きながら殴ったってナツメの木は受け止めてくれる…

そんな簡単なことじゃないのかも知れないけれど、少しはイジメや自殺や、生き苦しさから守ってくれないかな?

 

 おにいちゃんがんばって。

 

きっと、誰もが何かと戦っているんでしょうね。

暴力じゃなくて、魂の戦い。

 

 わたしはほんとうのことを隠さない。

 それに耐えられる魂だけ、わたしのおなかにおいで。

 (中略)

 だから、戦える魂だけ、ここにおいで……

                      ―木地雅映子「氷の海のガレオン」(ポプラ文庫ピュアフル)より―

  

ロンドンオリンピックも応援したし、高校野球も応援しています。

さぁ、今度は自分が頑張る番かな♪

 


『雨月物語』

2012-08-19 23:18:10 | 本と日常

引越しをして気が付いたこと。

 

部屋が広くなったからって、安心して散らかしていると、前よりひどい状態になる。

 

おかしい。

部屋にある物はそんなに変わっていないはずなのに、広くなったら広くなったで、散らかり方は前と変わらない。いや、もしかしたら前よりひどくなっているかも…

イメージとしては、四畳半に象がいたら大きくて暮らしにくいけれど、東京ドームなら広くなってへっちゃら、のはずだったのが、象が分裂して小さな象が東京ドームいっぱいに散らばっている感じ?

伝わりにくいたとえだな。

ま、東京ドームほど大きな部屋なんて掃除したくないですけどね(苦笑)

やっぱり毎日続けて掃除することが肝要かな~

 

TVでスティーブン・キング原作の話を見ていたら、急にホラーが読みたくなって、本棚にあった『雨月物語』を紐解いてみました。

現在放送中のNHKの大河ドラマ、「平清盛」にも登場した、「崇徳上皇のたたりの話」も載っているんですよ!

雨月物語巻の五は「貧福論」

陸奥の国、蒲生(がもう)氏郷(うじさと)に仕える武士で、倹約を旨とし、お金をためることに人並みならぬ執念を燃やす男が登場します。

この男、武勇の誉れも高く、高禄をもらっているのに、他の武士のように茶の湯を楽しむこともしないで、部屋にお金を並べては喜んでいる。

そんなことだから周りの仲間からつまはじきにされ、ケチで奇人だとのもっぱらのウワサ。

ところが、長く仕える下男の一人が、黄金一枚を隠し持っていることを聞きつけると、すぐに呼び出し、「下男でありながら黄金を蓄えるとは、立派な行いである」といって褒美をとらすのです。

武士たるもの、剣や弓矢で武功を立てることも大事だが、お金の重要性も軽く見てはいけない。いかなる名剣でも千人を相手にすることはできないが、お金の徳は万人を動かすことができる。

その夜、男の寝床に小さな老人の姿をした黄金の精霊がやってきます。

そこで交わされる貧福論。

生まれついての貧富の差は、仏教では前世の行いの報いだと説き、儒教では天命であると教える。実際のところはどうなのか?

お金に固執するあまり、不幸になる人の話はたくさんありますが、これはちょっと違っていて、ホラー色はあまりありませんが、面白く読みました♪

 

因果応報。

その人の過去の行いの結果が、今の状況を作っているんですよね。

過去と同じ事をしていたら、いつまでたっても変わらない。

なまけないでせっせと掃除して部屋を片付けたいと思います。

ようは出した物をそのまま出してきた所に戻せばいいだけでしょ?

 

…言うだけなら簡単なんですけどね(苦笑)

 


息をするように本を読む

2012-08-15 00:17:45 | 本と日常

夏は苦手。

なかなかやる気が出ないから本も読めない。

夏バテで疲れはたまるのに、食欲はあるからちっともヤセない。

洗濯物が増える(すぐ乾くけど)

朝起きると汗をかいている。

セミの声が暑苦しい。

車の中が蒸し風呂状態。

このエネルギーを利用して発電できないかな?

自家用車を小さな発電所に。

 

先日、お風呂の中で読み返していたH・D・ソローの『森の生活』(岩波文庫)の中のこんな言葉が心に引っかかりました。

曰く、

 

「自己への評価、つまり自己の行為が勝ち取った評判の奴隷となり囚人となっている」

 

「世間の評判」を気にするあまり、自己の運命までも他人の手にゆだねてしまっている人々。それはつまり、評判(他人)の奴隷ではないか…

そうなんですよね、わかってはいるんですが、この奴隷状態から抜け出すのってけっこう大変なんですよね。

中にはこの心理を逆手に取って、他人を利用しようとする不埒な連中もいますしね。

八方美人ではありませんが、他人からよく思われたいというつまらない虚栄心が自分の中にあって、いつも失敗してしまいます。

何事も無理はいけないってことですね。

今週はあまり本が読めていません。

立ち読みで、映画監督の細田守さん(『おおかみこどもの雨と雪』)と、漫画家の井上雄彦さん(『スラムダンク』『バカボンド』)の対談を雑誌で読んだくらい。

本好きさんのブログを読んでいると、皆さんたくさん本を読んでみえて、私も頑張らなくちゃ! なんて考えが浮かぶこともあるんですが、頑張ってする読書って何? と冷静な自分がたしなめてくれたりします。

読書って無理にしたって楽しくないですからね。

ま、そのうち読みたくなるだろうと、気楽にかまえています。

何事も、無理はいけませんよね。

 

夏のいいところ。

空が青い。

アイスクリームがうまい。

カキ氷もうまい。

冷やし中華にマヨネーズは常識。

海で泳げる。

川でも遊べる。

花火がよく上がる。

甲子園で高校生の頑張っている姿を応援できる。

どっちも負けるな、どっちも頑張れ!

子供が真っ黒。

入道雲は真っ白。

 

さぁ、明日も頑張ろう。


東野圭吾 『さまよう刃』

2012-08-12 23:58:23 | 日々の出来事

世間ではお盆休みのようですが、私はちょっと忙しくて、今年は田舎に帰れそうもありません。

いちおう実家は本家なので、それなりに人は集まるでしょうが、まぁ仕事だらか仕方ありません。

両親に妹、甥っ子たち、叔父さん、叔母さん×2、おばあちゃんのお姉さん夫婦、いとこ(男6人女1人)とその家族、おばあちゃんのもう一人のお姉さんの旦那さんの実家の人たち、その旦那さんが再婚して養子に入った家の人たち(何て呼べばいいのかわからない)、あと関係はわからないけれど、子供の頃から知っているおじさんおばさん数人。

父方の親戚でパッと顔の浮かぶのはこのくらい。

母親は6人兄弟なので、母方の親戚となるともっと多いです。

多分、田舎ではこれでも少ない方だとは思いますが、親類縁者というのは考えると不思議なものですね。

父親や母親の子供の頃のことばかりか、お墓の中の人たちのことまでまあよく話してくれます。

「あの人は幼くて亡くなったけれど頭がよかった」とか、「あの人はすごい美人だった」なんてことまで♪

お墓しか残っていないのに、親近感を感じてしまいます。

もちろん、自分のことも何年経っても昨日の事のように言われるんですけどね(苦笑)

 

職業も多様で、警察官、自衛官、美容師、看護婦、公務員、左官、農家、記者、サラリーマン、OL、剣道の師範代、工員、団体職員、などなど。

こういうのにも、一族の特徴とかが出るのかな?(笑)

 

先日TVで見た、東野圭吾さん原作の映画、『さまよう刃』

あれを見ていて、人間って群れで生きる生き物なんだなぁ、とちょっと飛躍しますが、そんな感想を持ちました。

父親が娘の敵を討つ。

一人の人間には、当たり前だけれど、その親がいて、親戚がいて、その一族がいる。

映画では犯人を追い詰めるのは父親一人でしたが(それと警察も)、もし、殺された女の子の一族全員が敵に回ることがわかっていたら、果たしてあの少年たちは手を出したろうか…

 

血縁者の結束が個人を守る抑止力になっている?

まぁ、一族や家が力を持つっていうのは、そういうことなんでしょうね。

それが現代になって、社会そのものが個人を守ってくれると思い込み、人間関係が希薄になったことで、個人がたった一人で弱肉強食の世界に放っぽり出されてる。

それは犯罪の場合だけじゃなくて、後ろ盾のない人間を軽く見るのは企業も同じ。

一人一人の人間の背後に、その人を愛するたくさんの人間のいることが忘れ去られているか、あるいは無視されてしまっている。

だから、人間性より利益や経済活動が優先されてしまっている。

もし、人間一人一人が腰に刀をさしていたら、政治家や企業家はそうした人々と接する時ははもっと真剣にならざるえないのでは?

 

なぁんて、どんどん想像がふくらんでいきました♪

 

我ながら、何を考えているんでしょうね(苦笑)

いまさら刀をさして歩くわけにもいかないですしね。

刀はただの比喩ですけどね。

誰かを利用して自分が利益を得ちゃいけません。

さぁ、明日も仕事だ、頑張ろう!


新美南吉記念館

2012-08-04 17:00:00 | 旅行

愛知県は知多半島の付け根にある、半田市の「新美南吉記念館」に行って来ました☆

「ごんぎつね」や「手袋をかいに」、「おじいさんのランプ」などの作品が有名ですよね♪

来年、2013年はちょうど新美南吉生誕100年目にあたるそうで、これからいろいろイベントが用意されているようでした。

まずは外観。

 

 

 

大地と一体化したような建物。

芝生の屋根って素敵ですよね♪

敷地内には小川が流れ、自然道が整備されていて、森や広場を散策することもできます。

 

 

館内ではちょうど、この「私的図書館」でも紹介したことのある、平成22年度文化庁若手アニメーター育成プロジェクトとして制作されたアニメーション、新美南吉の「おぢいさんのランプ」特別展、『巳之助の灯り』が開催されていました。

 

 

「巳之助(みのすけ)」というのは「おぢいさんのランプ」の主人公の名前。

孤児だった巳之助は、町でみかけた文明開化の証、石油ランプを販売する仕事を思いつき、それまで灯りといえばロウソクに頼っていた田舎の村々にランプを売って歩きます。

その商売はうまくいき、巳之助はお嫁さんをもらい、子供にも恵まれて幸せに暮らすのですが、ある日、町で大きな木の柱を何本も立て、その間を黒い線で結んでいる男たちを目にするのです。

立てていたものは電柱。

黒い線は電線。

そう、町に電気が引かれることになったのです。

石油を使わず、しかもランプの何倍も明るく輝く電球を見てたまげる巳之助。

文明開化の激しい波の中で、古いものと新しいものがぶつかりあっていた時代。

新美南吉は物語の中で、自己保身のために村に電気を引くことに反対する巳之助を描き、そして巳之助自身に気付かせます。

時代が変わったのなら、自分も変わらなくちゃならないことを。

 

アニメ化にともなって使われた絵コンテ、原画、動画、レイアウト、イメージボードなどが展示されていて、元アニメーターとしては興味深かったですし、とても懐かしかったです。

でもカット袋まで展示されていたのには驚きました。

あれ、ただの紙袋ですからね。

ま、確かに必要ですけど、現役時代一度も大切に扱った記憶がない(苦笑)

 

その他、常設展として、新美南吉の作文や日記、生原稿なども展示されていました。

特に私の心を打ったのが、小学生の頃の作文のうまさと、日記に書かれたこんな言葉です。

 

 私の作品には私の性質や考えが込められている。私が死んだとしても、私の作品が読まれ続ける限り、私は生き続ける。これほどの幸せが他にあろうか。(あくまで私の印象を文章にしたもので、必ずしも新美南吉の文章とは一致していないと思います)

 

物を創る人って、こういうところがあるのかも知れませんね。

作品は自分自身の分身。

すごいなぁ~

実際に知多半島に初めて電気の灯りがついたのが今から100年前の明治45年(1912年)

新美南吉が「おぢいさんのランプ」を書いたのが昭和17年(1942年)で、ちょうど70年前になるそうです。

確かに「おぢいさんのランプ」もいいけれど、私は「手袋をかいに」が好きかな(笑)

子狐が、手袋を買いに人間の町におつかいに行きます。

母狐に片方の手だけを人間の子供の手にしてもらった子狐は、何度も念を押されたにもかかわらず、絶対に出しちゃいけないといわれていた狐の方の手を出してしまいます。

「このお手々にちょうどいい手袋を下さい」

時に無垢な者の行動が、知恵者の配慮を上回ることが現実でもありますよね。

長く人生を経験すると、警戒するクセがついてしまう。

それが自身で作った壁だと、物語は教えてくれているような気がします。(あくまで個人的な感想ですよ☆)

 

SF界の巨匠、ハインラインの『夏への扉』という作品の中に、こんなセリフが登場します。

―なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。

新美南吉の作品とは関係ありませんが、結局、他人を信用しない人間は、余計な苦労を背負い込むことになるんですよね。

世界は自分一人じゃ回らない…

今回知多半島をめぐる旅に付き合ってくれたのは、YAMAHAのバイク「ドラッグスター」

 

 

このバイク、免許を取る前から憧れていたんですよね!

文系人間ですが、こういう物にも乗るんです!!

カッコイイでしょ?(笑)

夢がまたひとつかないました♪

 


中脇初枝 『きみはいい子』

2012-08-02 20:57:45 | 日本人作家

とにかく読んで欲しい!

中脇初枝さんの小説、

 

『きみはいい子』(ポプラ社)

 

 

ポプラ社
発売日:2012-05-17

 

 

 

 

 

  

 ぼくが悪い子だから、家にサンタさんがこないんだ

小学校4年生の少年は、そういいながら養父の暴力に声も出さずに耐え続けます。

いつも給食のおかわりをするので、同級生にからかわれる少年。

「給食費も払ってないくせに…」

いつも給食をおかわりし、着ている物はいつも同じ。

給食費を払ったことがなく、やせて、休み時間も同級生を遠巻きにながめているだけ。

 休みの日も、ずっと学校に来ていましたよ。

 5時までは家に帰って来るなってお父さんがいうから。

 本当のパパは東京にいるの。

 朝と昼はご飯はないんだ。でも夕飯は作ってくれるよ。

 昨日は何を食べたの?

 パン。

給食だけが、この子の命をつないでいた。

教師のおごったしょうゆラーメンを汁も残さず食べ干す少年。

 しょうゆラーメン好き?

 わかんない。

教師2年目の先生は自分の失言に気が付きます。

そうだ、この少年は出された物なら今と同じように何でも残さず食べるだろう。好き嫌いの選択をする余裕なんてこの子には許されていない。

そこまで追い詰められている…

いや、この子の親が子供をそこまで追い詰めている。

男女同権をうたい、男でも女でも「さん」づけで先生が子供を呼ぶ、今の教育現場。

トイレに行きたい子のために後ろのドアは開けておく。

いつも笑顔で、子供をほめる。

授業参観では、「保護者の皆さん」という言葉を使い、決して「お父さんお母さん」「父兄の皆さん」という言葉は使わないこと。

プライバシー保護の名目で、連絡網も作れない。

孤立していく子供たち。孤立していく家庭。孤立していく教師。

 

新人教師の目線で描いた「サンタさんのこない家」の他、実の娘に暴力をふるうネグレクトを、母親の目線から描いた「べっぴんさん」

小学生の息子の父親の目線で、その息子の友達をみつめた「うそつき」

齢八十を過ぎた女性が小学生とのふとした触れ合いから自分を見つめなおす「春がくるみたいに」

そして、かつて自分に厳しくあたった母親が認知症になり、3日間だけ預かることになった女性を描いた「うばすて山」

この本には5編の短編が収められています。

後半の3編も、重い問題を扱いながら、人間に光を当てた作品ですが、私は前半の2編に衝撃を受けました!

この2編をそれぞれ1冊の本として物語を書いて欲しい!!

もっと読みたい!

そう切実に思うほど、力のある内容だったんです!!

特に最初の「サンタのこない家」

教師一年目に小学校1年生の担任になり、学級崩壊という現象をただ見ていることしかできなかった青年。

子供たちの心に響く言葉が言えない。

見つからない。

叱り続け、注意し続け、声が枯れるまで言葉を尽くしても、子供たちにはとどかない。

疲れ果てた彼は、自分の子供時代の教師を思い出します。

どうしてあんなに怒鳴るのか、なぜあんなに嫌な先生ばかりだったのか、今ならわかる気がする…

2年目に、4年生の担任になった彼は、そこでは冷めて、陰湿になった子供たちに振り回されます。

グループ同士の争い、イジメ、不登校。

子供たちには子供たちの理由があって、この学校という世界で、限りなくギリギリまで踏み止まって懸命に生きているのだ…

そんな彼が子供たちに出した難しい宿題。

それは算数でも、国語でもなくて、家で誰かに抱きしめてもらってくること…

 

この小説を読んで、ジワッとこみあげてくるものがありました。

先生の、子供たちのセリフに思わず涙がこみあげてきたんです。

自分も含めてですが、人間ってなんて他人の痛みに鈍感なんでしょうね。

そのことを、あらためて思い知りました。

「べっぴんさん」の中で、自分の子供を虐待する母親が、自分を虐待していた時の母親の手の平もこんなに赤かったのかしら、と思い出すシーンには、思わず背筋が凍りました。

母親から虐待されながらも、その手を握りたい、優しく微笑んで欲しいと願う子供の心理。

しかし母親が腕をちょっと動かしただけで、体が勝手に反応して身を守る体勢になってしまう。

悲しい、悲しすぎる。

この小説はフィクションですが、内容は現実です。

でもやっぱり、前半の2作品と後半の3作品は、同じ本にしちゃうには「重み」が違うような気がしました。

そこは読み手の受け取り方しだいですけどね。

とにかく、前半2編だけでも読んで欲しい。

誰かに伝えたい。

そう思わせるものがこの本の中にはあります。

人間は失敗から学ぶ生き物です。

行動を改めることができる生き物です。

そこのところがちゃんと描かれていて、重いテーマばかりなのに、読み終わってからどこか明るい光を感じました。

あぁ、読んでよかった、って☆

 

いつの時代も社会は問題を抱えています。

今の世界が理想とは決していえない。

だから、私たちは考える。

数年後、この小説がもはや「時代遅れ」であり、参考にならないと誰も読まなくなっていることを切に願います。

そんな世界がくるといいなぁ。

 


夏ですね!

2012-08-01 19:06:44 | 日々の出来事

私が今日の仕事帰りに考えていたこと…

 

家に帰ったら冷蔵庫にアイス…家に帰ったら冷蔵庫にアイス…家に帰ったら冷蔵庫にアイス…

 

(笑)

いやぁ、暑いですね~

クーラーのない現場で働いているので、毎日汗だく。

風邪を引かないための着替えと、水分補給のためのペットボトルは欠かせません。

職場はそれでも扇風機があったり、事務所に行けばクーラーが効いていたりするので助かりますが、自宅にはクーラーどころか扇風機もナシ!!

唯一の手段がうちわです。

別にエコを気取っているわけじゃなくて、単に引越したばかりで冷房のことを考えていなかっただけ(苦笑)

真っ先に買ったのがウォーターオーブンでしたからね。

でもそろそろ買いに行かなきゃなぁ…

 

夜は窓を開けて寝ていますが、さすがに台風に来られると、そういうわけにもいかないし、保冷剤を首に巻いてしのぐのにも限界がありますからね。

困ったことはどこかでこの状況を楽しんでいる自分がいること♪

さぁ、どこまでクーラーなしで耐えられるのか!?

たった一人の我慢大会☆

ロンドンオリンピックをTVで見ながら私も自分自身との戦いです!

「暑さ寒さも彼岸まで」っていうから、秋分の日ぐらいまで我慢すれば大丈夫かな?

そうそう、今年は珍しく、9月22日が秋分の日なんですね!

春分の日と秋分の日は太陽と地球の位置関係で決まるため、何年かごとにズレを調整する必要があるのですが、そのためなんと今年は116年ぶりに9月22日が秋分の日になるんだとか。

116年前っていったら明治29年。

私の大好きな作家、宮沢賢治の生まれた年です!

でも実はこの年、賢治の生まれる2ヶ月前に、明治三陸地震というのが起こって、三陸地方を津波が襲い甚大な被害をもたらしているんですよね。

偶然でしょうが、去年の東日本大震災の記憶があるから、ちょっと不気味。

太陽と地球の位置が地震と関係しているとか?

ダメですね、何でも関連付けて考えてしまうのが人間の悪いクセです。

この間も夜遅く、静まりかえったなかでたまたま、本棚の本が「パタン」と倒れる音がしたんですよ。

まぁ、きっと本の置き方が悪くって、時間が経つにしたがってバランスが崩れたんだろと思いました。

ところが、1分も経たないうちに、もう一冊「パタン」と倒れる音がしたんです!

え!?

直感的に頭に浮かんだのが(誰かにからかわれてる…)という考え。

その瞬間、あんなに暑かったはずなのに背中がゾッと冷たくなりました。

いやいやいやいや、気のせいだから! 

2回重なったからなにか意味があるように受け取っちゃってるだけだから!

 

まったく、人間の脳って困ったものですね(苦笑)

 

頭で「恐怖」を感じただけで、本当に体が反応しちゃうんですから。

こう見えて(どう見えているかホントのところわかりませんが)、けっこう怖がりなんですよ。

深夜のガラス窓、ドアやふすまの隙間、閉じたまぶたのすぐ近く、暗闇からこちらをのぞいている「何か」をつい想像してしまうんですよね。

でもおかげで少しだけ涼しい思いをすることができました☆